2024年7月13更新(2024年7月21日ページ移動)
■7月13日(土) 丁寧に洗車した理由 ──“Freude am Fahren”、その最大の難敵は... ──
ご紹介が遅れていたお話。ある意味、昨日とは自動車繋がりです。
タイトルの“Freude am Fahren”(読みは「フロイデ・アム・ファーレン」。丁寧な表現だと“Die Freude an dem Fahren”になるはず)は、ドイツ語で「運転する喜び」くらいの意味。
何度かお伝えしましたが、ちょっと前までBMWが使っていたキャッチコピーです。ちなみに、BMW JAPANの翻訳は「駈け抜ける歓び」。ずっと乗っている人間としては、とても上手い訳だなぁというのが実感。
乗ってみればわかる、乗って違いを感じられないのなら、残念ながらご縁は...。それはともかく、走りたがっているBMWに応えるべく、今年前半の金沢「通勤」は自動車での移動がメイン。また昨日お伝えしたように、長持ちさせて使い続けることができるように、きちんと点検、整備をお願いしています。
年金生活者になった現在、どこに整備をお願いすべきかは悩ましい問題ですが。で、その“Freude am Fahren”、当然、それを妨げる要素が存在します。メカあるいは運転手(=センセイ)の不調だったり道路状況、先行車の意味不明のノロノロ運転など人的要素など。
ガソリン価格が高止まりしている現在、燃費がその一つに加わるかも。いろいろお考えはあるでしょうが、個人的に最大の難敵と考えているのは実は、飛び石。現在の車を含めて、すべて1回ずつフロントガラスを傷つけられています。
もう少し低い位置にあるボンネットや、車体前面はもっと悲惨。近所で下駄代わりに使う──健康のため、センセイだったら歩く──のならともかく、長距離を走行する場合はどうしてもダメージを受けてしまいます。
あまりの痛々しさに昨春、ボンネットのみ再塗装していただいたほど。なお塗装作業は通常、専門業者への外注しますが、金沢のディーラーは自社内──工場は白山市内の旧店舗──で塗装まで行います。整備も塗装も、技術力が本当に高い。
されど、再塗装後にも飛び石が...。西村センセイ、長距離走行後は必ず車体前面の状況をチェックするようにしています。泥その他の汚れは無視。少ない水で泥を落とすのは、塗装にヤスリをかけている、つまり自ら傷つけているようなもの。
どこかで、たっぷりの水を掛けて汚れを浮き上がらせて、洗い流すべき。ただし付着した虫や鶏の糞は別。強酸性/強アルカリ性の物質が含まれている可能性があり、塗装の皮膜を侵すかもしれません。だから目的地到着後、水筒の水とティッシュを使って、落とします。
先日もそうだったのですが...あ"っ。ボンネットに2カ所、飛び石の傷を発見しました。指で触るとわかるのですが、本当に「穴」になっています。ただし出先なので対処のしようがありませんし、慌てて対応すると間違いなく状況を悪化させます。
残念ながら、飛び石の傷が車体の鉄板に及ぶとダメージは避けられません。鉄板の外側、空気と接する部分から鉄板と塗装膜の間を縫って酸化が進行しますます。要するに、錆び。みみず腫れ(蕁麻疹(じんましん))のように、そしてまるでカビが成長するかのごとく、錆が広がります。
前のE46では、他車とすれ違う車体右側側面の後部で発生しました。ただしBMWの場合、目に付きやすい最外層の内側にある下塗りの塗装が強い。しばしば「硬い」と表現されるグレーの塗装です。今回の傷はいずれも、下塗りは大丈夫らしい。というわけで先月末、丁寧に洗車。
完全に乾燥させた上で、補修用の「タッチアップ」(写真上部)という補修用の塗料を、ごく少量塗布──厚過ぎるのは不可──して処置します。ところが今回は洗車後、肝心の傷がどこにあるのか、わからなくなってしまいました。傷がごく小さいことに加えて、洗車当日は良く晴れ、陽射しが強すぎたためだろうと思います。やっと見つけた傷の一つが写真。(中央の「□」内)
塗装業者はポストイットのイメージで、養生用のテープを貼って位置を確認します。今回はその代わりに、「タッチアップ」の箱を置きました。左下の「□」内が傷本体(原寸)。割と綺麗な円形ですねぇ。下塗りの色も確認できます。苦労の末、もう1カ所の傷も確認し、タッチアップで封止しました。
やれやれ。“Freude am Fahren”、歓びとともに、目立たない地味な苦労も多い...。
ま、いいんですけど。
■7月12日(金) JR信越本線土底浜駅を初めて利用しました ──BMWは、新しいお店で重整備に──
2日連続で鉄道の話題になってしまいました。悪しからず。
副題にある通り、愛車の整備を隣の上越市内で見つけた自動車販売会社に依頼しました。MT車では消耗品の「クラッチ」と、エンジンおよびトランスミッションを車体に据える「マウント」という部品を交換していただきます。
作業が順調に進んだとしても約1週間を要する「重整備」。先方と十分調整の上で、今日からお願いすることにしました。ただし今日は金曜日。つまりセンセイにとっては家族サービスの日。まず早めに自分の用を片付けます。その上で、いつもより30分ちょっと早く実家へ。
両親の1週間分の食料を調達します。自宅へ戻って野菜を降ろし、準備を整えてお店を目指しました。今日はなぜか、前を走る自動車航送車に嫌がらせをされ続けました──あれは何だったんだ... ──が、ここは安全運転を最優先。
30分少々で無事、お店に到着しました。受付の女性は対応の後、「少々お待ちください」。しばらくして作業服姿の社長がお見えになりました。初めてお目にかかりますが細身で、予想外にお若い。30歳代半ばか。
もちろん最初にご挨拶をし、今回の依頼事項を確認した上で、「次」にも言及。名字からして、社長はたぶん地元の方。ネット上の情報によると、他県の自動車会社で輸入車の整備を経験されたとのこと。その後地元に戻り、ご自身のお店を...ということのようです。
ご存じのようにセンセイは古い人間なので、AT車を運転できません。現在、MTの「代車」確保は極めて困難なので、長岡のディーラーに整備をお願いする時は、お店と駅との間を徒歩ないしはバスで移動していました。
金沢のディーラーも同様ですが、こちらは大学まで4km歩くセンセイをかわいそうだと思って、営業の方が送ってくださる時も。それはともかく、基本的には今回も長岡と同じ状況。ただし決定的に違う点が。お店から直線距離で約300m、実際の距離でも500mくらいのところに、JR信越本線「土底浜(どそこはま)」駅があるのです。
もちろん列車内から何百回──たぶん、1,000回程度──も見ていますし、繋がる道路を何度も走行しています。でも、実際に利用するのは初めて。
左側の建物は上り線の待合室ですが、コンクリートブロック造りの簡素なもの。下り線はもう少しだけ本格的ですが、基本的には同じようなもの。なお別棟にトイレがあり、通勤通学客用に自転車置き場も。
程なく長岡行各駅停車が入線。...というか、お店までの用事が想定以上にスムースに進行したので予定を早めて移動し、1本早い電車に間に合ったのです。やれやれ。
さて重整備。もちろん順調に進むことを願っています。そして、これがうまく行けば、次にお願いしたいことが...。
■7月11日(木) 祝 羽越本線全線開通100周年。その記念に特急シンボルマークを装着したE653系が...
梅雨末期の不安定な雨が続いており、各地から被害のニュースが。拡大しないことを願うばかりです。
当地も、今日のお昼頃までは雨。特に昨晩はかなり降った時間帯がありました。風向きの関係で窓を開けることができなかったので眠りが浅く、なかなか疲れが取れない...。まぁ、単なる飲み過ぎという噂もありますが。
それでも梅雨前線の南下に伴い、雨が小降りになってきたので、お昼前に徒歩で外へ。いくつかの用を済ませ、最後にスーパーマーケットへ向かって歩いていると、遠くで踏切の警報音が。時刻からして新潟発上越妙高行きの「しらゆき4号」です。しかも目に飛び込んできたのは、以前ご紹介(2枚目の写真)した「上沼垂色」E653系1100番台H202編成特急電車。
ちょっと気になることがあったので注視していると...あ"っ。その時は信越本線から少し離れた場所を歩いていたので撮影不可。折り返しの「しらゆき5号」を柏崎駅付近で撮影したのが写真。雨は上がり、薄日が射しています。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
ポイントは先頭車両中央部。まるで少し口を広げて笑っているようにも見えますが、その「鼻」に当たる部分、本来のE653系(1枚目の写真)には、そのような物体は存在しません。
今日、「しらゆき4号」を遠くから見ていて、初めて気づきました。これには少々解説が必要かも。これまで何回かお伝えしていますが、新潟地域の特急電車については、秋田までの羽越本線と、新井(一部上越妙高)までの信越本線(現在、一部はえちごトキめき鉄道)とで一体運用されています。
実はその羽越本線は、今月31日で全線開通100周年という記念すべき節目。JR東日本新潟支社はこれを記念して、「羽越線100周年記念号」──なぜか「本線」が抜けている──を運行し、特急「いなほ」の一部にラッピングを施します。
そして、この4両編成のH202編成については記念日の31日に「100 周年当日記念 特別な特急いなほ」として運行。その際、特別に、現在は使用されていない特急のシンボルマーク──たとえばこちら──を取り付ける、というのです。西村センセイ、遅ればせながら、やっとここで理解したことが。
上沼垂色の編成を復活させたから、それにシンボルマークを取り付けて100周年を...ではありません。実は、その真逆。
H202編成は秋田の「土崎工場」(こちらおよびこちら)で、自動車の車検に相当する「全般検査」を受けているはず。その際、塗装だけでなく、シンボルマーク装着のための準備工事を終えているはず。
溶接作業を伴うので。記念運行日当日は、以前の列車で用いられた車体側面の「行先標」──通称「サボ」──のように、車体前面の受け具にシンボルマークを上から差し込むと予想されます。でもそれならば...と、(再度)やっとここで気づいたことが。
お察しの通り、それならば塗装変更後のH202編成(2枚目の写真)には既に受け具が...と気づいて写真を確認すると、ドッカーン。白状しますが、今日までまったく気づきませんでした。
トホホ。
■7月10日(水) ついに、日本郵便からもスパムが?! ──中古のHDMIキャプチャーを購入しました──
1、2枚目の写真は、Mac──OSはWindows 10──のキャプチャ画面。
先々月にWindows 10(実機)が頓死して以降、仕事などに使うWindowsマシンは、MacBook Pro(実機および仮想マシン)とMac mini上の仮想マシン。それぞれに2種類のメールソフトをインストールしています。
まず、学生に教えていただいた──深謝──“Becky! ”というソフトで、届いているメールの様子をチェック。メールを読むのではなく、メールボックスを開けてタイトルと発信人を確認するのです。1枚目は数時間の間に届いた11通のメールですが、うち9通はスパムメール。
カード会社や東京電力、最近はヤマト運輸を騙(かた)るものが多い。“Becky! ”の特徴は、この段階で不要なメールをサーバー上から削除できること。ウイルスを含む可能性のあるメール本体を開くことなく除去できます。
その上で改めて、真正なメールをダウンロード。2枚目の写真は昨晩、就寝のためシステムをシャットダウンする前、念のためにもう一つのソフト“Outlook”でメールを確認したところ。
少し前に綺麗にしたばかりなのに、もう2通。差出人を一瞥すると、何と「日本郵便」。ついに郵便も騙られるようになったのか...と思ったら、その下には、ほぼ同時刻に発信された別なメールが。
こちらには身に覚えが。頼んでいたある商品の発送元です。商品は確保したものの、発送が遅れていると連絡が入ったばかり。その準備が完了し、輸送を日本郵便に依頼した、ということです。酔っぱらっていたので、早合点してしまいました。
深く反省。というわけで今日届いたのが右下の写真、HDMI信号をMpeg2にエンコード──HDMI端子上を流れる動画をMpeg2ファイルに変換──する「HDMI/アナログキャプチャー」。主にゲームの録画などに使用されているようです。
今学期、特別に依頼された講義の録画も、HDVシステム──HDMI出力のカメラとして使用──とこのマシンさえあれば、目的を容易に達成できたのです。今回購入したのはI・O DATA社の“GV-HDREC”。数年前に発売が開始された、定評ある製品です。販売希望価格は約20,000円で、実売価格は14,000円程度。
センセイは年金生活者なので中古品を探したところ、HDMIケーブル欠品の中古品がおおよそ半額で販売されていたので、そちらを購入しました。少し汚れが残っている部分がありましたが、まぁ、許容範囲内。
写真は入出力のHDMIケーブルと電源コード、記録用のSDカードを挿入したところ。入力信号を1920×1080(60p/60i/30p)あるいは1280×720(60p)、720×480(60p)でメモリ上に記録します。
ちなみに、一見すると液晶画面──もしそうだったら、とても便利──のように見える左側の凹みは、ただの飾り。接続してさっそく使ってみましたが、使いにくい部分があるものの、全体としての操作は簡単。ただし細かい編集は苦手なので、記録した動画をMac上で編集した方が格段に便利です。
センセイは外出先で古い録画を提示したり視聴したりすることが多いので、その作成のための購入。今ままでは元の動画をDVD-RWに焼き、それをMac上で読み取ってMpegファイルに変換していました。手間と時間がかかるし、ある画面サイズ以上にはできなかったのですが、これらの問題が一挙に解決。
もっと早く導入すべきだった...。なお、実際に使ってみて、初めて気づいたことが。数年前の発売開始ということは、見方を変えると設計がチト古い。ビットレート(≒データ量)はネット上で出回る画像の数倍から10倍程度にもなります。
されど画質は逆に、同等あるいはそれより劣る程度。たぶんここ数年、エンコードチップの性能が向上し、アルゴリズムも改良されているためと考えられます。素直な画像なのですが、イマイチ「冴え」がない...。でも、ま、7,000円ちょっとで手に入ったのですから、ここは良しとしましょう。
なお、この種のマシンは現在のTV放送など、著作権保護された動画には対応していません。悪しからず。
■7月9日(火) 時間差も、意外といいかも ──梅雨の晴れ間。枝豆の一部に花が咲きました──
タイトル通りのお話を。
北陸地方はこのところ、ずっと雨がちの天気。昨日と今日は局地的にかなりの降雨があり、新潟県内については昨日、羽越本線、白新線、越後線、磐越西線および信越本線の一部で長時間、運転見合わせが行われたほど。
雨の中心は今日、山陰と東北地方へ。梅雨の降雨は自然現象だし、水資源を考えても必要なこと。今は梅雨末期の被害ができるだけ少なくなることを願うだけです。で、西村センセイ、雨が降っても毎日お昼にはそれなりにきちんと外出。
まぁ、晴れている時と比べて移動距離つまり歩数は2/3くらいに低下してしまいますが。ただし写真は撮ることができない。発想を変えれば、雨の日ならではの風景があるに違いないのです。でもセンセイは頭がカタイので、なかなか良いアイディアが浮かびません。しかも技量はアマチュア以前。
そこで、やや邪道ながら、梅雨の晴れ間に撮影したのが写真。庭で育てている枝豆の、南側で順調に育っているグループの一部に咲いた花です。非常に小さな花です。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960。原寸切り出し))
他にも数輪、開花あるいは開花寸前のものが。去年は5月中旬に種を蒔いて、6月下旬に開花しています。今年もほぼ同じ時季に蒔いていますから、単純に考えれば2週間くらい遅れていることになります。
ただしこの点については注意が必要。お伝えしたように今年は、最初の播種直後から不必要な水遣りをしてしまったため、初回の半分くらいが発芽しませんでした。トホホ。
その後2回、合計3回、種を蒔き直していているのです。だから今回開花した株がいつ蒔いたものか確定が難しい(たぶん2回目)。晴れた日はちゃんと水遣りをしたのですが、このところ雨が続いているのでご無沙汰。
初回については、気づかないうちに開花が終わっていた可能性が高い。実際、南側の一部については、ごく初期の鞘と思われるものも見受けられます。もしその通りなら、(初回蒔いた種の)生長は去年とほぼ同程度ということに。
さらに、改めて考えてみると、違うタイミングでの豆撒きは意外と面白いかも。ある瞬間にいろんな生長段階の、そしして個体差のある植物を愛(め)でることができます。う〜ん、これって、まるでどこかで見た光景。
そう、教室内で多様な、そして異なる成長段階の学生を教えている時とまったく同じ状況です。案外、共通しているものなんですねぇ。
最後に一つだけ。写真を比べていただくとわかりますが、花の色が今年はピンク、去年は青紫。撮影時に気づきました。別な株の開花寸前の花は去年同様、青紫色だったので。実は2回目に蒔いたものだけ、品種が違います。
そのせいなのか、もともとバラバラなのか...。この件に関して、現時点では事実関係をお伝えすることができるだけで、それ以上の情報は持ちあわせていません。
悪しからず。
■7月8日(月) このままで問題なく使えるということが凄い ──ビル内の駐車場を良く見ると...
──
時間的には、昨日の続き。
「美野屋」跡地を撮影し終えると、昨日の写真の右側(=北)へ向かって歩き始めました。昨日は暑かったし、とにかく陽射しが強かったので、その先にあるアーケード街を抜けて、つまり日陰を歩きながら帰宅しようと考えたのです。
でもすぐに気が変わりました。「美野屋」のすぐ北側を細い川──というより、実態は用水路──が流れており、脇には歩道が。実はそこを歩けば、拙宅に至るのです。それに、しばらくこの道を歩いていないし...。歩き始めた途端、え"っ?!
突然、強い違和感を覚えたのです。最初は何が起きたのか良くわかりませんでした。周囲を改めて見渡すと、違和感の発信源が用水路北側の、このビルだと理解しました。
拡大写真でないと良くわからないかも。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))最初に感じたのはビル1階の駐車場の様子。右上(=北)から左下にかけて、見事なまでに波打っています。建物の手前、つまり用水路側も見事に沈み込んでいます。柱の下以外、基礎はないんだ...。
他方、ビル本体は健全らしい。ここで現場を離れて、周囲の状況を再確認する必要が。当地は、日本海に沿って北東─南西方向に砂丘が形成されており中世以降、その上に市街地が発達しました。
砂丘の内側は湿地帯で、2本の川が砂丘を横切って日本海に注いでいます。近代に入り、鉄道(現在のJR信越本線)が敷設されることになりますが、旧市街地への乗り入れは拒絶。これはどこでもそうだったのです。(ヨーロッパ諸都市も同様)
その結果、鉄道は当時の旧市街地の南端、砂丘の内側の湿地帯と接する場所に建設されることに。柏崎駅はこの用水路を含めた2本の川に挟まれた中州のような場所に建設。信越本線はもう1本の川を遡るように南東へ敷設されます。つまり鉄道も駅も、そして駅近辺の構造物はすべて、古い河道(かどう)の上にあるのです。
当然、先日ご紹介したばかりの新潟市西部同様、極めて液状化しやすく、そして不等沈下の被害も受けがち。鉄道開通後、運輸体系は一変して人や物の流れが旧市街地から駅の付近に移動してきます。ブルボン(旧「北日本製菓」)の工場建設もその一つ。昨日の写真の左奥、現在はホテルがある場所には駅前旅館がありました。
その後、モータリゼーションの進展によって商売や物流の中心地は郊外へ流れ。駅前は寂れるようになりますが。現場に戻ると、ビルの駐車場および南側(左手前)の沈下は、2007年の新潟県中越沖地震か、元日の能登半島地震、そして先月発生したその余震によるものと考えられます。現場の状況からして、中越沖地震の被害はひとまず完全に修復されたようです。
つまり、現在残っている被害はたぶん、能登半島地震あるいは余震によって引き起こされたもの。どうも修繕しようという意志が感じられません。空室があることを考えるとおそらく、費用が最大要因。それでもまぁ、駐車場や外構については、わからないではない。ただし今回、センセイが驚かされたのは、受水槽の様子。(写真中央奥)
実は、手前に向かって大きく傾いています。つまり、この写真の中に写っているいろいろなものが大きく傾いたり歪んだりしているのです。でも見方を変えると、(多少の不便はあるかもしれませんが)いずれもこのままで問題なく使うことができているらしい...。
う〜ん、だから、ま、いっかー。
■7月7日(日) 柏崎駅前、ブルボン本社の向かいにあった菓子店「美野屋」の建物が解体されていた
地方都市の、しかも七夕とはご縁のない話題です。悪しからず。
タイトルを一瞥(いちべつ)すれば、事実関係についてひとまずご理解いただけるはず。多くの方が「自分には関係ないや...」と考えて当然の状況。実際、その通りなのですが、これには当地の事情が。
写真は今日の正午頃撮影したもの。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))熱帯夜こそ免れたものの、昨晩は気温が高く、しかも湿度は高いまま。お察しの通り、十分休息できない状態で目が覚めました。今日の午前中は良い天気で気温が急上昇したため、ついに拙宅でもエアコンを稼働。
それでもやはり、所用を片付けるべく午前中に2時間弱外出しました。郵便局での用を済ませてから、柏崎駅前──駅舎は写真の左側──で撮影したのが写真。いくつかの建物が見えますが、まず左奥の高いビルは駅前のホテル。左側の茶色っぽい部分も、別なホテルの一部です。
右奥に目を転じると、ガラス張りの高いビルが。これは菓子メーカー「ブルボン」の本社ビル。実は同社、当地が創業の地。地元菓子店から独立しました。かつてはここに主力工場があって、近くを通るといつも甘い匂いが。
問題はその手前。建物が解体された直後であることがわかります。その奥を見ると、まるでブルボン本社ビルを横方向に切り取るかのような黒い帯が見えます。これは歩道上のアーケードで、それと繋がって手前に菓子店「美野屋」がありました。
1883年(明治16年)創業で、「明治饅頭」が有名。つまり、かつては北日本製菓(「ブルボン」の旧社名)の工場と「美野屋」が駅前の大通りを挟んで対峙(たいじ)するような格好で存在していたのです。
業務内容が大きく異なりますから、ライバルというわけではありませんが。長く続いた「美野屋」。センセイも高齢者への贈答用によく利用していましたが、後継者がいなかったため7年前に惜しまれながら閉店。
ポイントはここから。「美野屋」閉店時、土地と建物はブルボンに買い取ってもらう、とのことだったのです。
(記憶に間違いがなければ)同社製品の宣伝、販売スペースとして使用するとのことだったのですが...。性格がほとんど異なるので、実際には難しいだろうなぁと考えていました。実際、その後はまったく動きなし。
そのまま今日に至ったという次第。現場に工事関係の標識が掲げられていましたが、解体工事とあるだけでそれ以外の情報は見当たりませんでした。登記を調べれば正確なことがわかはずですが、そもそもホントかなぁ...と思っていたので、そんな気力はありません。
というわけでこのお話、続きかあるかどうかはまったくわかりません。その上で、「やはり一地方都市の...」と言われれば、返す言葉はまったく見当たらないのです。