2024年12月21日更新(2024年12月29日ページ移動)
■12月21日(土) 個人的なご褒美あるいはお祝い ──中古の望遠レンズを約2万円で購入しました──
直接のきっかけは、今月上旬の出来事。
何度もお伝えしたように、センセイはここ2か月ほど次期ご当主様(予定)に与えられた役割に忙殺されていました。仕事の一つが写真撮影。何しろ当事者たちはそれどころではないので、記録のために要所要所で写真を撮りました。
整理を終えたら、記憶が醒めやらぬうちにできるだけ早く印画紙に焼いて、関係者に配付する必要があります。関係者は大半が高齢者なので、データを渡しても意味がないのです。そこで近くのキタムラへ。その場で何十枚かのデータを転送して、出力していただきます。この間、約15分。一時的に帰宅したり他の用を片付けても良かったのですが、天気が悪いので店内で待つことに。
他にすることもないので、ショーウィンドウ前をウロウロ...あれっ?!キヤノンの1眼ミラーレスカメラ用の中古レンズ(1枚目の写真左側)が並んでいたのです。どうやら後述するセンセイのカメラでも使えるモデルらしい。最初に目が行ったのは価格。税込で20,800円。
意外と手頃なのね。...と、ここで名前を呼ばれたので、その時はそこまで。数日後、年賀状の印刷のため再びキタムラへ。いつもなら11月下旬から翌年の年賀状の制作に取りかかり、12月に入るとキタムラでオーダーしていたのです。
ただし今年は、お伝えしたような事情で約1週間遅れ。発注をかけてから、改めて件(くだん)のレンズを見てみます。焦点距離は18mmから135mm(35mmフィルム換算約28mm〜216mm)。標準レンズから中程度の望遠域までをカバーするズームレンズです。
...ちょっと、いいかも。センセイは後述のコンパクトデジカメに加えて、一眼ミラーレスCANON“EOS Kiss M”と、標準レンズ(1枚目の写真右側)および“EF70-300mm F4-5.6 IS II USM”(以下、「松」。現行)望遠レンズを使用しています。
ここ数年のこのページで「望遠レンズ」と記された写真はすべて、このレンズで撮影しています。“EOS Kiss M”を買ったのは、5年前に文部科学省の科学研究費補助品で購入したのがきっかけ。センセイの私物ではなく借用していただけなので、退職に際してきちんと返却。ただし割と使いやすかったので、同じモデルの中古品を購入しました。
...というか実は、カメラにあまり詳しくないので、他のどれが適切なのか判断しかねたのです。黒歴史なのでお伝えしていませんでした──隠していたわけでもない──が、その際、今回のものとほぼ同程度の望遠レンズも一時的に購入。“EF-M18-150mm F3.5-6.3 IS STM”(同、「竹」。廃番)というモデルです。
役者がほぼ揃ったところで、そもそもの背景を。センセイは現在、外出の際にはほぼ常にキヤノン製デジカメ“PowerShot G9 X Mark II”(購入直後に故障したため、修理)を持ち運んでいます。(振動が激しい自転車に乗る時を除く)
アイドルグループ「乃木坂46」の、メンバー自身の撮影による写真集『乃木撮(のぎさつ)』にも用いられたカメラで、コンパクトデジカメとしては画質が良い。ただし購入から既に6年が経過。
この間にスマートフォンの著しい画質向上など、デジカメを取り巻く環境は激変しました。キヤノンはすでにコンパクトデジカメから撤退しています(低価格帯製品を除く)。つまり後継機は存在しません。そもそもふだんセンセイがカメラを使うのは標準レンズか、ちょっとした望遠レンズという場面。
つまりコンパクトデジカメだけで、目的の大半を達成することができるのです。でも植物の接写や行事の際の集合写真撮影(このページではご紹介していない)などでは、広角短焦点の標準レンズ(あるいは広角レンズ)が必須。他方、例えばこちらやこちらの場合のように、コンパクトデジカメではカバーできない望遠領域があります。
もちろんそのための望遠レンズ(「竹」)ですが、いつも持ち運ぶというわけにはいきません。重いし、嵩(かさ)があるので事実上、自動車が必要。つまりセンセイが「あったらいいなぁー」とずっと考えていたのが、今回のようなレンズ。だからこそ、前述した「竹」レンズを購入したのです。
調べていただくとわかりますが、全体の評判はそれほど悪くありません。でも「竹」レンズ、実際に使ってみるとズーム比を大きく稼ぐため暗い。戸外、それも明るい場所でないと使用できません。しかもペターッとした平板的な絵で、後述するような「ボケ」が効きません。
決定的だったのが、筐体の材質。ある程度の大きさと質量がある望遠レンズであるにもかかわらずマウント(カメラとの接続部分)を含めて、すべてがプラスチック製だったのです。もちろん軽量化のための割り切り。でも耐久性を考えると...。
実際、この点に関するトラブルも報告さています。またズームロックがないので、気がつかないうちに鏡筒がダランと下がってしまいます(実話)。ご縁がないと悟ったセンセイは、すぐに売却。
それ以来、コンパクトデジカメ+状況によって標準/望遠レンズという使い方を強いられていたのです。キタムラで運命の出逢い(?)を感じたセンセイ、型番を控えてこのレンズに関する情報を集めました。
キタムラに並んでいのは、“EF-S18-135mm F3.5-5.6 IS STM”(同、「梅」、廃番)という2012年発売のレンズ。当然、既にディスコン。西村センセイ、腹を括りました。実際に使ってみて、問題がなければ購入することにします。
ただしここで最後の障害となるのが購入の口実、つまり「大義名分」。センセイは年金生活者なので。
でも、まぁ、今回はよく働いた自分へのご褒美、あるいはお祝いに。何のお祝いにしようかと考えたのですが、そうだ、今回は「快気祝い」だ。これなら誰も異論を挟まないはず。
今晩は祝杯を上げねば。というわけで“EOS Kiss M”ボディとマウントアダプタをお店に持参して実物を確かめました。問題がなかったので購入してここ数日試用。
望遠端に限定してですが実際に撮影して、比較したのが3枚の写真。2〜4枚目の写真は自宅近くのJR越後線「比角(ひすみ)」踏切から、北北東の東柏崎駅(旧「比角駅」。写真中央奥左側)を望んだもの。中央奥は葬祭式場です。
ただし2枚目よび3枚目は昨年6月の撮影。今回撮影したのは最後の「梅」のみです。(すべて絞りは開放端。条件を完全に統一できていない点に留意)
写真はいずれも相当縮小しているので、違いがわかりにくくなっています。拡大写真の方が差異を理解しやすいので、ぜひご参照ください。
まず、右上の2枚目(長焦点の「松」)は比較対照のレファレンス。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960)要望を挙げたらきりがありませんが、やはりきちんとした絵で、何を訴えたいのかが伝わってきます。同時に手前の線路や沿線の雑草は相当ボケています。
右の3枚目は、売却した「竹」。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960)もちろんちゃんと写っており破綻はないのですが、上の「松」と比べると絵の力が弱い。どこにもピントが合っている反面、何を伝えたいのかわからない。
答案の内容はそこそこだけど、本当にわかっているのかどうかわからない学生の答案のような絵。「松」と比較すると手前のボケがとても少ないことことに気づきます。で、最後(右下)が、今回購入した「梅」で撮影したもの。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
この間、東柏崎駅は棒線化。跨線橋の補修工事も継続中であることがわかります。さて、どうでしょう?
もちろん、いろいろご意見はあるだろうと思います。至らぬ点を挙げることは容易ですが、センセイとしては(購入を自己正当化することなしに)まず、絵の「力」を認めてあげたい。
「松」に通じる、訴えたいものを感じるレンズです。同時に「竹」と違って、メリハリが。今日は望遠端だけでしたが、限られた時間内で接写──こちらは、ちょっと弱い──から、標準レンズとしての日常生活での撮影まで、いろいろ試している最中です。
難点を挙げるとすれば、まず、レンズ系の重さ。アダプターと合わせると「竹」の倍近くの質量なので、ズシッっときます。コンパクトデジカメのように「いつも鞄の中に入れておく」のは無理。(キッパリ)
それでも来春のJRグループダイヤ改正前に予定している日帰りツアーや、車で出かける時にいつも助手席に置いておく...というような使い方なら問題ありません。ズームロックが掛かるので、レンズが垂れ下がらない点も評価できます。これで20,000円ちょっとだったのですから、良い出逢いだったと思っています。
ふと人間関係でも、このような運命の出逢いがある──再び、キッパリ──ことを思い出しました。(たぶん、続く)
■12月20日(金) さて、来年度の金沢への移動をどうしよう... ──若者の車とあわや、正面衝突?!
──
今日は金曜日。
つまりセンセイにとって、実家での(安否確認+)両親の食料調達の日。トータルで約2か月続いたイレギュラーな任務にもほぼ一区切りついたので、今日はいつものように正午過ぎに実家へ移動。
あれこれ相談した後、近くのスーパーでへ買い出しに。帰路、親戚宅に立ち寄って用を済ませ、お土産をもらって帰路に就きます。経路には概ね二つの選択肢があるのですが、幹線国道は信号機が多い。また途中は舗装工事中で、片側交互通行を実施中。
急ぐ旅ではないので、ちょっとした丘越えの道を選びます。こちらは途中、信号機が1箇所しかないのです。しかも片側1車線なので、変な車がいてもトラブルに巻き込まれる可能性は低い。丘の頂上付近で北陸自動車道を高架で越えます。ここから先は道幅が少し狭くなります。
しかも急カーブが3カ所連続。幹線道路ではないので飛ばす車は少ない...と言いたいところですが、地域の若者を中心に無理をする車もあり、時々、ヒヤッとすることがあります。実は今日もそのパターン。
写真はドライブレコーダ映像を切り出したもの(50%縮小)。(拡大写真(別ウィンドウ、832×624(原寸トリミング))二つ目の、左カーブに差し掛かった時のものです。右の写真では切れていますが、カーブにはそれぞれカーブミラーが設置済。(拡大写真には入っている)
だから紺色の小型対向車が接近していることは認識していたのです。それ以上は気にせずにカーブに差し掛かったその瞬間、その車がグイッと、カーブの内側に入り込みました。え"っ?!
正直なところ写真から受ける印象は、ふだんから運転するかどうかで相当異なると思います。センセイ個人の判断はというと、このままでは車体の接触は不可避。(道路左側へ意図的に転落させるのなら別)
センセイの車の全幅は約1.800mm。刻々と迫ってくる対向車の左側に、そんな余裕がないことは明らか。急ブレーキを掛けようかと思ったのですが、(決して判断と行動が遅れたわけではなく)相手ドライバーの反応を待つことにしました。案の定、彼/彼女はこの直後、ドライバーから見た左側(=写真右側)にハンドルを切りました。
衝突あるいは接触を、ぎりぎりのところで回避。結果的には事なきを得たわけですが、カーブで内側に入り込むのは運転が下手になった場合──気をつける必要がある──か、若者などが意図的にそうしているかのどちらか。回避行動の様子からしても、今回はたぶん後者。
ドライバーの顔を確認することはできなかったため、断言はできませんが。もし相手が高齢者だったら、間違いなく正面衝突だったと思う。
若い彼/彼女はご自身の運転に自信があるのかもしれません。でも彼/彼女がカーブミラーをチェックしていなかったのはほぼ確実。センセイの車は白色なので、この状況下では相当目立っていたはずなのです。
でも、今日の経験から注意喚起を促しているのは彼/彼女以上に、センセイ自身に対して。ここ数ヶ月に限定しても複数回お伝えしたように、例えば自動車運転での注意不足(こちらやこちら)が目立ちます。ただし同様の事象は「これって、どうすんだったけなぁ」というような形で、しばしばそれ以外の場面でも。
老化が進んでいるだけと言われれば、それまでなのですが。自動車の運転に戻るならば、諸般の事情で来年度前半も金沢工大で大学院科目のみ担当することになりました。
老兵に講義のチャンスが与えられたことは有り難いこと。でもそれはそれとして、退職後1年目に担当した際はすべて電車で移動。されど諸般の事情──要するに、BMWが走りたがっていた──で、2年目は原則として自動車で通勤。
今日の経験を踏まえて、さて、来年度はどうしよう...。
■12月19日(木) 人間も大変だけど、冗談抜きで... ──冬の雪が積もっている間、鳩はどこに?
──
海岸部の当地としては珍しく、今朝は氷点下まで冷え込みました。
昨日の「ズンドコ」里雪はお昼過ぎに小康状態になり、夜間は少し晴れ間も。こうなると怖いのが放射冷却。起きる前から、「バリバリ」と氷を割って進む車の音がしました。例によって、午前中に徒歩で外出。
今日の主目的については、近日中に改めてお伝えすると思います。お昼を含めたすべての用件を終わらせて、帰宅すべく再び降り出した雪の中を歩いていると、あれっ?!
拙宅近くの、JR信越本線(拡大写真奥)と道路に挟まれた広い田圃の様子がいつもと違います。正確に言うと田圃そのものではなく、農耕用の車両が出入りする場所。
そこだけが坂道になっているのです。(多くの田圃では、金属製の仮橋を架けて出入りする)それが写真。20羽ほどの鳩が集まっています。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960。トリミングが大きく異なる))
最初は、寒さに耐えるため寄り添っているのかと思ったのですが、どうも様子が違います。多少こちらを警戒していますが、多くの鳩は食べることに夢中。
特に集中している場所では、我先にと何かを啄(ついば)んでいます。稲刈りが手刈りから機械化され、落ち穂の数が増えました、正確には穂というより籾(もみ)が穂から外れて落ちるのです。だから飛来した白鳥は日中、田圃でお食事。
鳩については初めて目撃したのですが、やはり穀物を食べるようですから不思議ではありません。というか鳥類は冬の間、特に積雪がある期間、どうやって食べているんだろうか。もちろんすべてが雪の下に隠れるわけではありません。雪を被った木の実を食べている鳥の姿を見ることがあります。
でも写真の鳩ように人間の近くで生活している場合、餌を十分に確保できるんだろうか。鳩についてはわかりませんが、白鳥の場合は決して杞憂(きゆう)ではありません。何度かお伝えしましたが新潟市内に住んでいた約30年前、平野部でも豪雪だった年があります。その時は白鳥が道路脇で次々と餓死しました。
田圃の中の、雪が消えた僅かばかりの場所で、折り重なるように息絶えていました。大型の鳥なので、生命維持のために必要なエネルギー量が多いからだろうと思います。
今日の鳩の食べっぷりを見ていると白鳥でも鳩でも、本質的な事情は同じなんだろうなぁーと思えてくるのです。
■12月18日(水) 風は弱いのに、雪がズンドコ ──今日の当地は、典型的な里雪型の降雪です──
今日も予定を変更して、タイトル通りそして見たままのお話。
禁酒1晩目を何とか乗り切り、今朝はあれこれと車検(「自動車検査登録制度」)に向けた準備。正確に言うと、車検そのものは自動車販売店と調整した結果、年明けにお願いすることになったのです。
でもほぼ同時期に、車の保険(自賠責および任意)を更新する必要が。これまでは金沢あるいは当地(隣接する長岡市)のディーラーにお任せしていたのですが、退職後初めての車検および保険更新のこの機会に、保険も見直すことにしました。
他の件でいろいろ相談した機会にこの件を持ち出したところ、地元の共済組合が興味を。その場でざっと試算したところ、同じ条件でこれまでの半額程度──今までの保険料は何だったんだ...──の金額を提示されたため、そちらに乗り換えることにしました。
何しろセンセイは年金生活者なので。10時の約束だったので、必要な証券類を整えて自宅を9時半頃に出発。朝は屋根に雪が残る程度で道路はほぼ無雪だったのですが、この頃から降り方が酷くなりました。
風は強くありません。今日の午前中、日本海に弱い低気圧が発生。上空にはかなり強い寒気が入り込んでいます。先日ご紹介したばかりの「里雪型」の状況そのもの。
しかも低気圧の西側には“JPCZ(Japan-sea Polar airmass Convergence Zone)”(「日本海寒帯気団収束帯」)がかかっています。歩いている人をほとんど見かけません。足跡のない歩道の上を、雪を踏みしめながら進みます。それでも往路はまだ平和だったのです。早く出発したので、約束の7分前に目的地到着。すぐに仕事に取りかかります。
田舎の組織だし、担当者も新人だったので1時間弱かかって契約終了。(されどその後、先方のミスが発覚して担当者が拙宅を訪れるはめに)担当者に見送られて外に出ると、おぉ、様子が一変しています。道路を含めて何もかもが真っ白。あちこちから重機の音が聞こえてきます。写真は有名なラーメン店の駐車場ですが、各所で除雪作業が始まったのです。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960)
それにしても酷い降り方。拡大写真をご覧いただくと、その雰囲気がわかるかも。
センセイは大型の傘を差していたのですが、最初は傘に雪が当たる音が。でもすぐにそれが静かになると同時に、傘が異様に重くなってきます。雪が積もったのです。何度も何度も雪を落としながら、次の目的地へ。
お昼を頂き、用を済ませて帰宅すると拙宅前の進入路には約10cmの積雪。器具を使い、20分ほどかけて除雪しました。この雪かき作業が効いたのか、日中の血圧の「平均」(「収縮期血圧」の3回移動平均の最低)は109mmHg。いわゆる「下」の「平均」(同)は68mmHgに留まりました。
でも今日は本格的な雪の季節の始まりに過ぎません。今年の雪は、どうなるんだろう。
■12月17日(火) それでもビールを買ったけど ──内視鏡検査の結果、2年連続でポリープを切除──
予定を変更して、タイトルのお話を。
サブタイトルにある大腸の内視鏡検査を今日受けることは、以前から予定されていたのです。秋に市の便潜血検査で検体2個いずれもが陽性となったため、同級生が運営するかかりつけ医院で相談。
お伝えしたように、実は1年前にこの検査を受けたばかり。その時はかなり丁寧に診てもらい、ポリープ1個を切除。他には問題がなかったため、「2、3年は潜血検査を受けて、その後は再度...」ということに。つまり僅か1年でポリープが見つかる可能性は低い。
ドクターによると「他で僅かに出血した可能性が高い」とのこと。(実際、そうだったらしい)「検体2個」には事情があり、陽性となるとは思っていなかったため、今回は手を抜いて同一の個体から検体2個を取り出しているのです。だから検査に引っかかるとしたら、両方とも陽性になっても不思議ではありません。
ドクターはちょっと心配になったらしく、「やはり年内に...」ということに。また大腸ガンの発生率と飲酒(特にビール)には明らかな相関が。ご存じのようにセンセイはビール党なので、念には念を...という意味もあります。
だから受診そのものに抵抗はないのです。問題は検査前の準備と、ポリープ切除後。ポリープが見つかるかどうかはわからなかったため、この話題を予定していなかったのです。
というより「お伝えせずに済む」ことを願っていた、というのが本当のところですが。食餌(しょくじ)制限は検査4日前から始まり、前日は専用のお粥のような食事だけ。もちろん美味しくいただけるように工夫されているのですが、それでもやはり辛い。
高齢者や病人を間近で見ていても実感しますが、やはり食べる歓びは大切だ。検査当日つまり今日はもっと悲惨。朝ごはん抜きで専用の腸管洗浄薬を2L(!!)、合間に水を1L(!!)飲みます。さほどの苦もなく服用できる薬なのですが、その後が大変。
数分おきにトイレに走り...。(以下、省略)去年同様、ヘロヘロかつ強い脱水状態になりながらクリニックへ向かいます。待っている間もトイレを数回利用して、いよいよ検査開始。内視鏡は細いので、未受診の方がイメージするほど苦しくはありません。
ただし大腸は数カ所で大きく曲がっています。内視鏡が奥へ進むほど強い痛みが。何に由来するのかはわかりませんが、検査の中断を提案されたほど。それでも痛みのヤマを越えれば何とか耐えることができるので検査を継続し、カメラは小腸との結合部「回腸」付近まで進入。
その後はゆっくりと戻りながら、大腸内を確認します。今回は一番奥の「上行結腸」で小さなポリープが発見されました。看護師の方およびセンセイを含めて「どうする?」という感じ。ドクターは一目見るなり「取りますね。ガンじゃないです」(キッパリ)。
前回は表面から少し入った場所にあったため、内視鏡の先端部から「スネア」という金属の輪を出し、そこに高周波電流を流して切除。今回は本当に表面だったので電流を流さず、スネアで直接切り取りました。そのため今回はそれなりに出血が。それ以外には病変が認められなかったため、検査と処置はこれで終了。内視鏡を抜けば、痛み等はありません。
ただし注射薬で動きを止められた腸の中に空気が残っているので、身体全体が違和感の塊。ひとまず自宅へ戻ってお粥をいただき、自動車でいくつかの用を片付けます。最後に立ち寄ったのが写真の酒類量販店(白い点はストロボに反射した雪)。いつものようにビールを購入したのです。今回は切除手術を行っているので少なくとも数日間、できれば1週間は禁酒。
センセイのことですからたぶん、前者を選択するでしょうけど。個人的にはとてもハードな1日だったので、血圧は高いだろうなぁーと覚悟したのです。実際、血圧計を装着しながら検査を受けたのですが、強い痛みがあった時は相当高かったらしい。数値は尋ねていませんが。
で、帰宅後の測定結果は「平均」(「収縮期血圧」の3回移動平均の最低)は118mmHgと、問題なく正常値の範囲内。ただしいわゆる「下」(「弛緩期血圧」)の「平均」(同上)は、80mmHg。
正常値の範囲内ですが、ふだんと比較すると10〜15mmHg程度高い。このところ、少なくともセンセイの場合はちょっとしたことで上下する「上」よりも、「下」の方が本当の体調をうまく表しているという印象を持っています。
その意味ではやはり今日は、身体にとって非常に大変な日だったということなのでしょう。
■12月16日(月) ある意味、「家族経営」の再評価 ──「ワークマン」を初めて訪れました──
結果的に、昨日の続き。
かなり唐突な「わたじん書店」閉店に関して、お店や会社側の事情がわかってきました。実は1ヶ月ほど前、書店事業を切り盛りしていらっしゃった女性──たぶん「渡辺三兄弟」の4代目──が亡くなられたのだそうです。
お悔やみを申し上げます。ある日、いつになってもお店のシャッターが上がらないため関係者が店内に入ったところ、すでに事切れていたとのこと。実は先代のお父様も若くして急逝されており急遽、女性がお店の経営を引き継ぐことに。
息子さんはまだ大学生だということもあり、これを機に閉店することにしたそうです。写真は、道路沿いによく見かける「ワークマン」、正確には新潟市西区の「WORKMAN Plus 新潟内野店」です。一昨日新潟市へ行った際に、娘の希望で訪れました。娘夫婦のマンションから職場までは3km弱。
天気が良い日は自転車を利用しているそうですが、この時季は無理。適当なバス路線もないので、徒歩で通勤。雪と寒さが厳しくなるこれからに向かって、防寒具を見直したいというのです。そこで出たのが「ワークマン」という店名。
まぁ、わからないではない。現場で働く職人さんたちにとって、ワークマンは唯一無二の存在。材料や工具類はホームセンターで概ね調達できますが、作業衣や手袋、靴などは明らかにイマイチ。
当然、このワークマンへ向かうことになります。その反面、一般人にとっては遠い存在だったのですが、その質実剛健さ(+低価格)が広く知られるようになり、普通のお客さんの中にも関心を持つ人が増加。
そのような方を対象に、商品構成を見直したのが「ワークマン プラス」。(最近は「女子」などそれ以外の形態も)自宅の近くにも「ワークマン」があり、駐車場はいつもほぼ満車。個人的には興味があったのですがホームセンターと違って、やはり敷居が高い。
そのため、この日がセンセイのワークマンデビュー。センセイは手前の、かつて国道116号線だった道路を右側からやってきました。つまり、お店は進行方向右側。道幅は広いので、道路中央付近、交通の流れの邪魔にならない場所で一時停止します。
残念ながら駐車場は満車。どうしようかなぁーと思っていると、赤い防寒具の男性が誘導しています。稼ぎ時なので誘導員を一時的に雇用しているようですが...何だか、ちょっと違う。それはともかく、彼の指示に従って、車を隣のお店の駐車場へ入れます。
土曜日なので、こちらは休業。もちろんお店にはきちんと話をつけてあるはず。娘らは先に店内へ。センセイは写真を撮影してから続いたのですが、くだんの男性は誘導を終えると、おぉ、何とお店の窓ガラスを洗い始めました。つまり男性は従業員。駐車場が狭いため、誘導も担当していらっしゃるのです。
予想外でした。肝心の品揃えはというと、センセイの期待以上。
個人的には職人さんの作業服にご縁はありませんが手袋、安全靴、そして料理用にすべり止めのついた靴や食品加工用の長靴など、あったら便利だなぁーと感心させられる品がたくさん並んでいました。
造りもしっかりしており、しかも手頃な価格。店員さんはというと、中年の女性が客の求めに応じてあちこち移動しながら切り盛りしています。西村センセイやっとここで、脚立の上に立って窓を清掃中の男性と、この女性がご夫婦(あるいは家族など)であることに気づきました。
ワークマンへのフランチャイズ加盟は「夫婦での経営」が条件なのです。不意に「ガガガッ」と、キャッシャーの裏でミシンが音を立て始めました。ズボンの裾上げが始まったのです。普通の衣料販売店と異なり、ワークマンは裾上げ無料。そして混雑その他の状況にもよりますが、可能な限り早く仕上げてくださります。
つまりワークマンの現場を動かしているのは、一種の「家族経営」。(ミシンの女性が家族かどうかは不明)「家族経営」という言葉からは、合理性や採算性を軽視し、しかも公私を混同した経営──そのような家庭で育った人を知っている──をイメージしがち。その対極にあるのが、近代的で合理的な経営形態。
でもよく考えればすぐにわかるように、後者だからすべてがうまくいく...というわけでもありません。「わたじん書店」(詳細は省略)や「ワークマン」のこのお店は、それなりに合理的な組織を基盤としつつも、上部つまり現場のお店については阿吽(あうん)の呼吸すら感じる家族経営的要素で活性化。
もちろん実際にはいろいろな問題があるでしょう。例えばお店の運営の中心となっている女性については意見が分かれると思います。されど、そのようなマイナス面を踏まえても、「家族経営」が持つ良い部分は再評価されるべきなのでは、と、改めて実感。
組織としての「わたじん」はやはり、祖業であると同時に構成員およびステイクホルダーの拠り所である書籍販売事業を、可能な限り存続させたかったはずなのです。
改めて、合掌。
■12月15日(日) だんだん自信がなくなってきた ──旧市街地で100年以上続いた書店が本日閉店──
実は、トホホなお話。
昨朝、階下に降りて新聞の折込広告にチラリと目を遣(や)ったところ、え"っ?!
地元の広告会社が企業から記事を募ってまとめたチラシなのですが、その中に文字ばかりの「東本町2『わたじん書店』閉店に伴う書店業務終了のお知らせ」という見出しが。しかも書店の閉店は何と、本日12月15日。
「わたじん書店」(X:現在更新停止中。閲覧にはログインが必要)は、柏崎市旧市街地の中心にあって長い歴史を持ち、地域住民から愛されてきたお店です。(写真は昨日撮影したもの)旧市街地商店街の全盛期、柏崎市中心部には「わたじん書店」と「高桑書店」、そして「くわのや書店」の3店が。そして少し離れた場所に「尚文館書店」。どのお店もセンセイを含めた学校帰りの高校生や一般客で混雑していました。
されど「高桑書店」と「くわのや書店」は、センセイが進学や就職で当地を離れていた間に閉店。旧市街地商店街から客足が離れたからですが、それでも書店には一定のニーズがあります。利用客は交通の便が悪い旧市街地から、郊外の幹線道路沿いにオープンしたチェーン店へ移行。
ご紹介したお店の他にも個人あるいは家族経営の書店が多数存在したのですがこちらは、ほぼ完全に淘汰。しかも旧市街地商店街そのものが2007年に発生した新潟県中越沖地震で壊滅的な被害を受けました。「尚文館書店」も全壊しましたが再建されて、現在も営業中。
家族経営のお店としては希有(けう)な存在です。「わたじん書店」はというと、中越沖地震ですっかり寂しくなった旧市街地商店街で異例の復活。たぶんこれには他店と異なる事情が。
「わたじん書店」、実は「株式会社わたじん」の一部門なのです。「会社概要」の「沿革」にあるように、会社は1921年(大正10年)「渡甚書店」として創業。つまり書店経営は祖業(そぎょう)ということになります。
センセイが良く耳にしたのは「渡辺三兄弟」という言葉。創業者らには商売の才覚があったらしい。
書店経営に加えて程なく楽器販売を始め、戦後は音楽教室の経営に乗り出します。しかも創業地だけでなく新潟県中越および下越地方に進出し、現在は県内に7店舗を展開中。
その背景にはかつての高度成長と、今よりもはるかに多かった児童生徒の存在が関係しています。現在の「わたじん」のビジネスの主柱は音楽関係。書店の斜向かいにあった楽器店──散々お世話になった──は中越沖地震を契機に閉店して、本社、楽器店および教室機能を郊外へ移転。
されど被災後の旧市街地での書店復活には、やはり「祖業」への強い意識があったように思われます。思い入れのあるその書店を閉店させるというのですから、経営者側は相当悩まれたはず。またセンセイを含めて、書店にお世話になった地域住民もいろいろな思いが。
センセイはたまたま、中越沖地震被災直後の書店(写真右側)の様子を撮影している...はずだったのです。それが2枚目の写真。こちらの9枚目を現在の基準で修正したもので、拡大写真(別ウィンドウ、1280×960)は初めてのご紹介となります。
でもデータを整理していて、ちょっと不安になってきたことが。写真右側の建物は、本当に「わたじん書店」だったのだろうか...。
そもそも、再建された書店と写真の全壊した建物──ここで犠牲者が出なかったのは僥倖(ぎょうこう)──の位置は一致していません。書店は写真右端に見える郵便局の、さらに数軒先。でもセンセイはなぜか、「わたじんが移転した」と思い込んでいたのです。
でも土地の権利関係を考えれば、それは難しい。白状すると、以前からこの件に関するセンセイの記憶が曖昧であることは自覚していたのです。されどいろいろ調べてもはっきりしないので、お昼に外出した際に市立図書館「ソフィアセンター」──凄い名称だ──を訪れることにしました。
50年くらい前の住宅地図を閲覧できるかも、と考えたのです。今日は大荒れの天気だったのですが、頑張って図書館前まで辿り着くと...なぜか駐車場はスカスカ。「ラッキー!!」と思って玄関へ向かうと今日は、月に1日だけの「休館日」。自宅を離れてから思いついたので、休館日を事前に調べていなかったのです。
だから言い訳は可能。されどセンセイのオツムはどこかで、「問題はそれに留まらない」と認めています。どうやら、センセイが自覚あるいはこうありたいと願っている以上に、知能と身体の能力が急速に低下しつつあるらしい。
娘夫婦宅を訪れた昨日も、かなり厳しい状況下で車を無理に左折させたところ、左後輪を少し縁石に乗り上げてしまったし...。9月に姪夫婦宅を訪れた時とは異なり、タイヤが少し乗り上げただけで車体やホイールにまったく損傷はないのですが。
古代ギリシア、デルフォイ神殿の入口に刻まれていた、「汝自身を知れ」(“gnoqi sauton”(グノーティ・サウトン))というソクラテスの解釈で有名になった言葉を思い出します。もともとは「身の程をわきまえよ」くらいの意味。
ソクラテスには心から経緯を表しますが現在のセンセイには徐々に、原意の方が相応しくなっているようです。冗談抜きで、トホホ...。