2024年12月7日更新(2024年12月15日ページ移動)

──2024年12月第1週のニュース──

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12月7日(土) 冷たい雨がこのまま降り続くかと思ったら、夕方近くには雪化粧した「米山」が出現

 半日とはいえ昨日は少し休むことができたので、今日は次期ご当主様(予定)のお仕事(?)に復帰。

 朝のうちに必要なデータを整理し、10時の営業開始に合わせていくつかのお店を徒歩で梯子。途中で高タンパク低塩分のお昼をいただきます。この間、ずっと小雨。いつ雪に変わってもおかしくない寒さです。
 昨日までと違って、風が弱いのがせめてもの救い。

 今朝は家々の屋根が雪で真っ白になりました。地面はまだ温度が高いので、地表に降った雪はすぐに融けてしまいましたが。外出先でも、屋根やフロントガラスに雪を積んだままの車を多数見かけました。
 されど上空一面が雨雲で覆われてるため、当地を三方から囲んでいる山々の様子はわからないまま。

 正午前に帰宅後、準備を整え直して実家へ。

 メインは両親の食料確保ですが、それ以外にもあれこれ相談ごとと頼まれごとが。それらを済ませてから親戚宅へ向かいます。今朝、電話で新たな仕事を頼まれたのです。多少手こずりながらも、持参したMacBook Proでデータをひとまず整理。
 全体像が見えてきたところで、センセイが関係先へ赴くことに。

 親戚の二人は自動車を運転できないのです。それに目的地は拙宅のすぐ近く──センセイのお散歩コース内──だし...。平野部に出たところで、あることに気づきました。
 というより、ちょっとびっくり。

 「晴れて...」とまではいきませんが、雲がずいぶん薄くなり、遠くまで見渡せるようになりました。もちろん、もはや雨は降っていません。
 冬の当地では極めて珍しい現象です。
(ただし翌朝になったら晴れていて...というのは年に何回かある)

 南西方向が開けた場所に来ると、おぉ、地域のシンボル「(よね)」がご覧のようにくっきりと。用を済ませてから高い場所へ移動して撮影したのが写真。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960)。実際にはかなり暗い)
 まるで定規で線を引いたかのように、標高の高い場所は真っ白に雪化粧。

 米山の標高は993m。5合目から6合目付近、つまり約500〜600m以上の場所に雪が積もったというイメージですが、今回は下から見上げているので正確な計測ではありません。
 たとえば一番手前の峰には雪がありません。

 帰宅後に「地理院地図」で確認したところ、雪が積もっているのはどうやら標高約300mより高い場所。

 天気図を良く見ると、佐渡沖に小さな低気圧が存在するはず。この低気圧と上空に入り込んでいる寒気の影響で、地形にはあまり関係せずに平野部でも静かに雪が積もる「里雪型」の要素が入っているものと考えられます。
 この、昨日から今日にかけての低気圧は東に抜けましたが、それと入れ替わるように同規模の弱い低気圧がやって来ます。

 他方、寒気は引き続き上空に居座ったまま。予報によると、当地の明朝までの積雪予想は最大10cm。市街地が一面真っ白になっても不思議ではありません。

 さて、どうなる。



12月6日(金) 陸に上がった鉄輪 ──自宅近くの鉄道ファン的には面白い場所に、この日は... ──

 今日からセンセイは平常態勢。

 ただし昨日まで変則的かつ無理な行動パターンを強いられたので、体調をすぐに元に戻すことはできません。あまり食べられなかったため、体重は1kg落ちたままだし...。されどストレスが継続したにもかかわらず何故か、血圧は低い。
 朝の「最低」
(「収縮期血圧」の3回移動平均の最低)は101mmHg、上昇しやすい日中も112mmHg。

 う〜ん、良くわからないと白状するしかないのですが、疲れが溜まっていることも事実。というわけで午前中は意識して、ずっと休んでいました。

 それでも午後は、自動車で外出。車検が来月に迫っているし、別な整備も必要なので日程その他を調整すべく県西部の自動車販売店を訪れました。
 これはあらかじめ予定されていたこと。

 実は昨日、金沢へ行く用があったので、その帰りに立ち寄ることにしていたのです。実家での状況が変わったため、予定していた所用はキャンセルしましたが。
 柏崎市内でいくつかの用を済ませてから、通常と違うルートで移動。

 今日の当地は大荒れ。視界が悪く、強い西風が吹き付けているので、運転にはかなり気を使います。疲れが抜けていないので、かなりしんどい。
 調整作業は問題なく終了。

 お店の技術力は高く評価しているのですが、会社としての業務遂行システムにはやや難こちらこちらがあります。そのため車検をどこにお願いするか、最終的には決めかねていたのです。
 お察しの通り、今回はこのお店にお願いすることにしました。

 センセイは年金生活者だし。

 風向きが逆になるから...というわけではないのでしょうが、帰路は順調に走行。自宅の近くまで来た時に通るのがこの場所。ただし写真は数日前、晴れ間にここを通りがかった際に撮影したもの。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
 大型トラックの向こうには川が流れており、その奥には道路が。

 センセイはその日、奥の道路を右側から歩いてきたのです。以前お伝えしましたが、ここは鉄道の踏切や電気設備を取り扱う専門会社の出先施設。時々、敷地内に踏切の遮断機や軌陸車などが置かれていることがあります。
 この日、最初にセンセイの目に入ったのは、写真奥の大型トラック。

 クレーンを器用に使って、3人の職員が木製の長く大きな棒を積み込んでいました。最初は鉄道用の電柱かと思ったのですが、それにしては長さが足りない。しかも現在は、すべてコンクリート製のはず。
 何だろうと思いながら、その場を通過。

 写真左側にある小さな橋を渡って撮影地点に来た時、あ"っ...。(公道上から撮影)

 遊園地のゴーカートのような物体が敷地内に置かれています。車輪を良く見るとわかりますがゴムタイヤではなく、鉄輪。これは「レールカート」──他の呼び方もある──という、鉄道の保守点検用の自走車両。
 この車はガソリンエンジン式ですが、最近は電池で走行する車両も。

 最高速度は40km/h程度出せるそうですから、アルミ製車体から受けるイメージと相違して実はかなり速い。その奥にある台車も鉄輪。おそらくレールカートに連結して、あまり重くない資材を運ぶためのものなのでしょう。
 つまりいずれも本来の線路から、慣れない陸に上がった鉄輪。

 写真だけを見ると違和感を覚えますが、背後にある事情を考えることができるようになると、非常に興味深い。

 だから鉄道ファン的には、とても面白い場所なのです。



12月5日(木) 「留守」の間に起きていたこと ──お役目を恙なく終えることができました──

 「恙(つつが)なく」と読みます。

 「無事」や「息災(そくさい)」を意味し、例えば何度かご紹介した文部省唱歌「故郷(ふるさと)(作詞:高野辰之)歌詞2番の中の、「・・・如何にいます父母[、]恙無しや友がき[。]・・・」のように用いられます。
 お察しのように、昨日と今日でセンセイに課された約1ヶ月半の任務は一区切り。

 今朝もいつもより早く起きて実家へ移動し、両親を乗せて目的地へ。

 その後は、アレをこうして来客にこう対応し、気難しい主賓にはあそこをこうして...と、気がついたらもうお昼。そこから主賓他を乗せて自動車を運転し...。区切りをつけることができたのは15:30ころ。
 この間、センセイが口にしたのは眠気覚ましに自動販売機で購入した缶入りコーヒーだけ。

 缶コーヒーを買うのはたぶん、10年ぶりくらいだろうと思う。

 それはともかく、いろいろな人や物事が関係する全体の進行と、安全運転に気をつけて1日が無事に終了しました。明日以降も残務が続きますがさすがに、これほどまでに多数の要素が関係する仕事は今日が最後。
 やれやれ。

 で、この間、つまりセンセイがいつもの生活パターンを「留守」にしていた間に、ちょっと理解に苦しむ現象が発生していたのです。それを示すのが、右の折れ線グラフ。
 横軸が時間軸で、縦軸
(リニア目盛)はこのサイトへのアクセス数。

 以前お伝えしたことがありますが、このサイトへのアクセス状況は管理者のセンセイにのみ、その概略がわかるようになっています。
 と言っても現在、センセイが取得できるデータはユニークアクセス数
(濃い青色)と総閲覧ページ数(薄い青色)だけ。

 誰──ただしその場合でも、得られるのはプロバイダ情報だけ──がいつどこで何を見たかといったような、個人等を特定できる詳細なデータはわかりません。
 ご安心
(?)ください。

 誤解されたくないのですが、センセイがこのサイトへのアクセス状況に関心を持っているのはサイト運営を続けるためではなく、サイトを閉鎖するため。
 個人的には、このページはもう、その本来の役目を終えたと考えているのです。

 他方、センセイが頓死(とんし)した場合などを除き、いきなりサイトを閉鎖というわけにもいきません。いわば退(ひ)き際を探っている状況なのですが、これがなかなか難しい。
 MacBook Proで発生した深刻な障害とその後の対応など、いわば「派手」なニュースがあるとアクセス数は増えるのです。

 でも決してアクセス数のためにこのサイトを運営しているわけではありません。センセイがどこで何をしているかは別にして、意識して、できるだけ日常生活の中で気づいたこと(+時々、突発事項)をお伝えしているつもり。
 本来の狙い通り、退職後のアクセスは順調に漸減
(ぜんげん)

 ただしこのまま閉鎖...と思っても、なかなかある程度以下にならない。センセイ自身は予想外だったのですが、それなりにちゃんと読んでいただいている方がいらっしゃるらしい。もちろん有り難いこと。
 やり甲斐があります。

 同時に、まったく意図していない状況で、突然アクセスが集中する場面が。たとえば今夏、スポーツに力を入れてはいるものの、全国レベルでは必ずしも有名とは言えない当地の私立高校が甲子園初出場を決めた後の様子を伝えた日。
 この日は突然、ふだんの20倍くらいのアクセス。

 ただしこの時のユニークアクセス数は総閲覧ページ数と同じくらい。単に甲子園に進出した高校名で検索したらしく、このサイトをちゃんと読もうとした気配はありません。つまりたまたま旋(つむじ)風が吹いたようなもの。
 ところが一昨日、その「旋風」が再び。
(グラフ)

 正直なところ、今回は理解に苦しんでいます。ただし前回と相違して、総閲覧ページ数も多い。つまり大半は検索ロボットによるものなのでしょうが、それなりに読んでいただいている方もいらっしゃるということ。
 お伝えしたようにこの日のテーマは、なかなかわかりにくい「連続乗車券」。

 でも、それが本当に検索のキーワードだったのだろうか。

 この本サイトアクセス状況の変化、本当は昨日お伝えしようかと思ったのですが気力、体力的に厳しかったため、今日に先送りしました。この判断のメリットは昨日のアクセス状況(右端)がわかること。
 ご覧のように平常値に戻っています。

 やはり旋風だったらしい。

 繰り返しになりますが特段の事情がない限り、このサイトを突然閉鎖するようなことはありません。

 ご安心を。



12月4日(水) 窓の外がやたらうるさいと思ったら... ──大粒の霰で、屋根が白くなりました──

 予定を変更してお伝えします。

 センセイは今日も実家へ。というより、今晩と明日が本番。朝イチに実家集落内にあるお寺へ(実家の菩提寺ではない)。センセイは単なる運転手。主たる用を片付けて、いろいろ打ち合わせます。
 親戚宅へ戻ってからは来客に対応しつつ、業者と確認、調整。

 心配なのは当地の天気。全国的には電気が割と良いようですが新潟県、特に当地は昨日から上空に雨雲がかかり続けています。時々強い風も。そこで急遽、テントも借用することにしました。
 業者との打合せは正午頃に終了。

 微調整や来客対応は続きますが、センセイはどこかで昼食を頂いてからひとまず帰宅することにします。体力は使っていないのですが、気を使う作業を1週間ほど続けているので、今後に備えて少し休む必要があります。
 それに最後は着替えなきゃいけないし。

 書斎に戻ったのですが、疲れがなかなか取れません。少し横になったのですが疲れすぎているらしく、おなか一杯であるにもかかわらず眠くならない。
 不意に、窓の外がとてもうるさくなりました。

 鉄板の屋根に強い雨が打ちつけているような音。確かに東隣は倉庫で屋根は厚い鉄板。でも音はそちらからではなく拙宅あるいは隣家から。でもお互い、屋根は瓦。
 おかしいなぁーと思って窓の外を見たら、あ"。

 霰(あられ)です。今シーズン2回目ですが、今日は大粒。本瓦屋根の場合、雨や雪だと音はしませんが、粒の大きい霰だと音を立てることがあるのです。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
 それにしても今日は大きな音だった。

 季節も人生も、大きな区切りの日を迎えました。

 着替えて、再び実家方面へ向かうことにします。



12月3日(火) 連立方程式を解く歓びが... ──JRグループ、往復乗車券および連続乗車券を廃止──

 昨12月2日、JRグループ旅客各社は往復乗車券および連続乗車券の販売を2026年3月に終了すると発表しました。

 詳細については各社の発表(例:JR東日本をご覧いただきたいのですが、往復乗車券については割とイメージしやすいと思います。実は、往復乗車券が片道601km以上の場合、運賃が1割引となるメリットが。
 有名な例では東京から新神戸まで往復する場合、一つ先の西明石までの往復乗車券を購入した方が安い。

 ただし個人的には、金沢あるいは新潟から九州まで単純に往復する場合こちらなどを除き、あまりご縁がありませんでした。理由は簡単。センセイはしばしば遠くまで出かけましたがその際、あちこち寄り道をすることが多かったからです。
 そんな時に便利なのが連続乗車券。

 ただし不慣れな方にはイメージしにくい乗車券です。いくつかのパターンがあるのですが、まず「6」の字を思い描いてください。通常の筆順が乗車経路だとすると、途中がどんなに複雑であっても、線が重なるまでは初めての乗車。
 線が重なる、つまり経路が閉じた段階で1枚目の乗車券が完結。

 問題はその先。もしその先も移動して「」のように出発地点まで別ルートで戻るのなら、新たに2枚目の乗車券を発行する必要があります。
 「
」のように、出発地点と最終的な目的地が違ってもかまいません。

 今回の報道に接して、保管してある使用済乗車券を少し──枚数が多いので、ごく一部──調べてみました。たまたま見つかったのがこれら2枚の乗車券。
 1枚目
(使用前)は、すでにご紹介済。

 これは2012年の夏に山陰・中国地方をかなり大胆なルートで移動した時のもの。まず金沢から当時の常識的なルートで岡山まで移動し、伯備線の特急に乗り換えて新見で一泊。
 未明に起床して芸備線の始発列車で未乗区間
(今春、逆方向で再乗車に乗って、1枚目の券面終点の三次(みよし)駅へ。

 三次からは江の川沿いに走る三江線(2018年廃止)に初めて乗車して山陰本線、そしてこちらも初めての山口線で瀬戸内海側へ出ます。岩徳線を経由して広島で一泊した後、再び芸備線で三次へ。
 ここで1枚目が完結。
(券面最上部に「連続1」と記されている)

 2回目の三次から先(2枚目の「連続2」)は、少しだけ芸備線に再乗車した後、福塩線で瀬戸内海側へ(なぜか券面のルートと実際の乗車区間がずれている)。途中の大阪で会合に出席してから金沢に戻っています。
 いくつもの未乗線や区間を効率的に、しかも一気に乗車するというずいぶんワイルドな行程。

 体力が落ちた現在では、絶対に無理だ。

 なお今年の5月に山陰・中国地方を訪れた際の乗車券も、一部は連続乗車券なのです。でも改めて確認したところ、「連続」の記載はなく、片道乗車券2枚を繋げただけ。
 もしかすると若いJR職員にとって連続乗車券は、もはや遠い存在なのかも。

 2026年春の廃止後も「6」の字の原則は変わらないはず。だからこのルートも片道乗車券で乗ることができるのです。ただし鉄道ファンは良くご存じのはずですが、往復乗車券は有効期間が片道の倍に。
 そして連続乗車券の場合は、通した走行距離で有効期間が決まります。

 だから時間的に余裕のある人が途中下車して、観光したり、ビジネスの際に活用するには便利。ゴールデンウィークなど少し長い休暇期間を利用して帰省と旅行を兼ねるなどの利用方法もあると思います。
 されど1987年の国鉄分割民営化から37年が経過。

 「運賃は下げます。鉄道路線の廃止もありません。サービスは向上させます」が、分割民営化の時の約束だったはず。社会情勢はもちろん鉄道の利用方法も変わったから、さすがにもうそろそろ実態に合わせて...ということなのでしょう。
 もちろん、それはそれで理解できるつもり。

 でも穿(うが)って考えてみると地方赤字JR線廃止の是非を含めて、この思考方法には致命的な問題が。つまり本質的な問題を個別事象に無理やり置き換えている。別な言い方をすれば、今後の交通運輸体系をどう構築するかという視点が見事なまでに欠落しています。
 大所高所からの議論なしに、赤字などを末端あるいは弱い側に押しつけて、本質的な問題を有耶無耶
(うやむや)のうちに「なかったこと」にさせようとしていると解釈することも可能。

 冷酷に考えるとこれは、古代ローマ帝国以来の「分断して統治せよ」(“divide et impera”)という植民地支配の手法そのもの。

 イメージ──だから実際の事象とは必ずしも一致しない──的には、まず、野党など批判勢力間の僅かな意見の相違を際立たせる。結果的に、与党など支配する側の勢力は安泰(あんたい)。この構図、現代日本ではいくらでも列挙が可能。
 例えば正規雇用対非正規、都市部対地方、そしていろいろな意味での社会的弱者の問題など。

 その意味では為政者の術中(じゅっちゅう)に、見事なまでに落ちているのかも。

 鉄道ファンの視点に戻っても、これで難解な連立方程式を解く歓びが、また一つ失(う)せてしまったという感じ。センセイのような存在や視点は、もはや「時代遅れ」ということなんでしょうねぇ。

 センセイは歴史家ですけど。(キッパリ)



12月2日(月) お食事中というより、その後の休憩中... ──田圃の中に、100羽前後もの白鳥が──

 タイトル通り、そして見たままのお話。

 お伝えしたような理由で、日田舎の話題がもう数続くはずです。悪しからずご了承ください。実際、今日もセンセイは朝から実家および親戚宅へ。関係各方面に気を使いながら、あちこちと連絡調整。
 おかげ様で与えられた任務を、比較的良い形で遂行することができそうです。

 ここ2週間ほど毎日のように実家へ通っている中で、一つ気づいたことが。

 群れで飛ぶ白鳥です。(冬なのだから)当たり前...と思われるかもしれませんが、実際はそれほど簡単ではありません。白鳥そのものは、一月半ほど前くらいから飛来しているのです。ただし日中は、白鳥が飛ぶ姿をほとんど見かけません。
 出くわしたとしても、せいぜい2、3羽。

 白鳥は、夜は寝床に群れたまま留まり、昼間はどこかへ出かけて餌を穫っているのです。だから朝夕には、群れて飛ぶ姿を見かけることが。具体的には今回の実家通いの中で、朝に何回か、大群で飛ぶ姿を見かけました。
 センセイの移動は概ね人間の通勤通学時間帯。

 たぶん、白鳥の「出勤」時刻はもっと早い。その最後の移動や食餌場所の調整行動が、人間の移動時間帯と重なっているということなのでしょう。
 というわけで日中は、意外と白鳥を見かけない。

 どこにいるんだろう...と思っていたら、日中に飛んでいた数羽の白鳥が降りた先が怪しい。というわけで午前中の仕事を終えてから、舞い降りた場所を訪れると、おぉ、ご覧のように白鳥の群が。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
 写真はその一部で、総数は100羽前後もの大群。
(背後は地域のシンボル「米(よね)山」)

 ここは幹線道路の国道116号線から離れており、国道と交差する交通量がやや多い2本の道路に挟まれた(いずれもそれなりの距離がある)田圃。しかも南西(写真奥)側に用水路があり、その岸にススキが群生。
 周囲から見えにくい
──ただし上空からは丸見え──ため、白鳥にとってストレスが少ない場所のはず。

 しかも現在は人手ではなくコンバインで稲を収穫するため、白鳥の餌となる落ち穂が多い。だからこの田圃は、白鳥にとって夢の「三食昼寝付」ができる場所。
 実際、拡大写真をご覧いただくとわかりますが、食事中の白鳥はごく僅か。大半はまるで、食後の休憩中。
(明らかに緊張度も低い)

 それはそれで言祝(ことほ)ぐべきこと。でも、冬の本当の厳しさはこれからです。新潟に戻ってきた約30年前に豪雪の年がありました。当時は新潟市内に居住していたのですが平野部を含めて、どこもかしこも雪だらけ。
 国道116号線脇では複数の白鳥が、折り重なるようにその大きな体を横たえていました。

 いずれも田圃の、雪の少ない場所。当たり前ですが、白鳥は除雪することができません。苦労の末、雪の少ない場所を探して餌を啄(ついば)んだまでは良かったのですが、ここまで辿り着いたとしても、餌には限りが...。
 白鳥の、こののんびりとしてくつろぐ姿は同時に、伴走する「死」の裏返しという面を意味しています。

 まさにmemento mori carpe diem(メメント・モリ、カルペ・ディエム)”。

 今週末の当地は、平野部でも積雪の可能性が。いよいよ、本格的な冬本番です。



12月1日(日) 柿の木の枝の、もう一つの活用方法 ──徐々に通常の生活パターンへ戻ります──

 お気づきのことと思いますがセンセイはこの1ヶ月半、特に直近の2週間は非常に変則的に行動。

 10代目ご当主様(予定)としての立場上、あっちまで人を運んだり、こっちでいろいろな方と調整したり。センセイ以上に、当事者には非常に厳しい状況が継続。まぁ、そのおかげでいろんなことを学ばせていただきました。
 されど、それも昨日と今日で一区切り。

 今週半ば過ぎまで関係する行事が続きますが、その後は徐々に通常の生活パターンに戻るはずです。

 なお影響が少し残るため何人かの方々には明日以降、例の件に関してメールを差し上げます。(今日は体力的に無理。ご容赦の程を)

 この間、時々外出先で見たことをお伝えすることもありましたが、行動範囲が地元に制約されていたため、どうしてもこのページの話題も地域限定になりがち。
 同じようなネタで厭きてしまった方もいらっしゃるでしょうが諸事情ご勘案の上、ご寛恕
(かんじょ)の程を。

 ただし今日も田舎の写真。というより、センセイ自身が長く目にしていなかったような昔の地方の風景。その意味では、(昭和世代がイメージする)日本の原風景とすら言えるかも。
 連絡調整のため、今朝は5時過に起床して実家と親戚宅へ。

 二つの家は2kmほど離れています。親戚での用を済ませ、調整確認のため実家へ向かって車を走らせていたところ小中学校の同級生の家の前で、センセイの目は点に。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
 葉を綺麗に落とした柿の木の枝から、白っぽいものが複数ぶら下がっています。

 ご覧の通り、ダイコンを枝に掛けて干しているのです。もちろん漬け物にするため。田舎では現在もダイコン干しを良く目にします。
 ただしその場合は、軒下や物干し棹を使うのが普通。

 今回のように木の枝に掛けて...というのは初めて出くわしたんじゃないだろうか。決して批判しているわけではないのです。あまりに唐突だったということ。

 これで、もし奥の瀟洒(しょうしゃ)なお宅が昔良く見られた茅葺きだったりしたら、時代は60〜70年くらい前まで一気に遡ります。まぁ、その頃、田舎道はまったく舗装されておらず、良くて砂利道でしたけどね。
 行き交う人
──「行き交う車」ではない──は、はるかに多かったし。

 特別な日に干しダイコンをきっかけとして、はるか昔のことを思い出したのです。

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