2025年8月23日更新(2025年8月31日ページ移動)

──2025年8月第4週のニュース──

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8月23日(土) でも、Macなので... ──西村センセイ、偽のセキュリティ警告画面で戸惑う──

 サブタイトル通りのお話。

 皆さんもそうでしょうが最近、パソコンでブラウザを使用していると偽のセキュリティ警告画面に遭遇する機会が増えています。いかにも怪しそうなサイトで出くわしたのなら、自業自得という面があるかもしれない。
 でも、ごく普通の正規サイトでも、ちょっとしたクリックミスなどで偽画面に誘導される場合が。

 たとえばセンセイの場合、県内経済ニュースのサイトで2回発生しています(いずれもクリックミスではない)。偽のセキュリティ警告は、本来の作業とは別にスクリーン全体に警告画面が表示されます。
 キーボードやマウスの操作を受け付けず、ひたすら偽のWindowsサポートに電話するよう指示。

 実は、この状態では実害が発生しておらず、偽画面が表示されるだけ(ただし、どこかをクリックすると事態が悪化する可能性あり)。通常はキーボード左奥の「esc」(エスケープ)キーを押せば操作可能な状態に戻ります。
 写真は最近、別なニュースサイトで遭遇したもの。

 ニュースの続きを読もうとして「次へ」をクリックしたところ、すぐ近くにあった別なボタンを押したらしい。その瞬間、Windowsサポートを騙(かた)る画面に。拡大写真(別ウィンドウ、1280×720))
 ところが今回は「esc」を押しても反応なし。

 偽画面は「0101」から始まるサポートに電話するよう求めています。かつては「050」からの番号が多かったのですが、最近はこちらに替わったようです。
 ここでパニックに陥って電話をかけると、「
(偽)サポート」が応答するはず。

 その指示に従って操作すると、リモートコントロールのソフトウェアをインストールさせられ、クレジットカード情報などを含むパソコン内の個人情報が抜き取られてしまいます。
 もしかすると操作不能に陥らせ、新たに金銭などを要求されるかも。

 ここではブラウザを強制的に終了させる(Macなら「オプション+コマンド+esc」)か、何らかの方法でシステムをシャットダウンすればいいのです。最悪の場合、電源ボタンを長押しすれば電源を落とせます。
 ただしこの場合、システムあるいはファイルを損傷する可能性が。

 で、センセイはどうしたかというと画面をキャプチャした後、別なキーコンビネーション(「control+Eject」)でシステムを正常にシャットダウン。システムとしては完全なWindowsマシンですが、ハードウェアはMacなので。
 ちなみに後から調べてみたところ、Windowsの場合は「esc」を3秒以上押せば、コントロール可能になるそうです。

 それにしても、実に迷惑な話だ...。



8月22日(金) 「日本音楽教育の母」小山作之助の胸像と、彼の「夏は来ぬ」歌碑を訪れました

 今朝は、いつもより1時間早く起床。

 母親を病院まで送迎するためです。あらかじめわかっていたことなので、前日は早めに就寝。その前の晩の反省もあり、エアコンについては悩みました。ただし気温が割と順調に低下していたため、窓を開けて眠ることに。
 当地の今朝の最低気温は23.3℃。

 風通しはいいのですが寝室を含めて、起床時の2階の室温は26℃台。睡眠時間は十分なのですが、「ゆっくり」休むことができたかどうかは微妙。今朝の「平均」血圧(「収縮期血圧」の3回移動平均の最低)は115mmHg。
 まぁ、こんなもんかなぁ...と思いながら母親を迎えるべく車を出したのですが、しだいに睡眠不足を覚えるように。

 そこで母親を病院玄関前まで送り、ひとまず帰宅してからインスタントコーヒーを頂きました。治療を終えた旨の電話があったので病院前に赴き、両親の1週間分の食料を途中で調達して実家へ送り届けます。
 ところでスーパーでは何と、極早稲品種「葉月みのり」の新米5kgが3,780円
(+税)で販売されていました。

 JA経由の「葉月みのり」は明日23日からの販売。どうやら別ルートで集荷したようです。お米売り場ではなく、イレギュラーな入り口付近、それも目立たない場所に陳列。
 しかも特別な掲示もなかったからか、購入した人は見かけませんでした。
(母親も気づいていなかった)

 今日は病院と薬局が混んでいたそうで、行動は想定より遅れ気味。そこで母親を送り届けた後は自宅には立ち寄らず、上越市を目指しました。
 お伝えしたように、お世話になっている自動車販売店で愛車後輪のベアリングを交換していただくためです。

 途中、道路工事による片側交互通行などもありましたが、途中で頂くつもりだったお昼を抜いて時間を調整したため、予定通りの時刻に到着。
 車をお渡しした上で別の、ちょっと気になっている事象の点検もお願いします。

 今日はここからが本題。自動車店があるのは上越市大潟区。センセイのような人間にとっては旧「大潟町」。有名なのは人魚伝説と「鵜の浜温泉」。
 そして明治期の作曲家、教育者で「日本音楽教育の母」と呼ばれる「小山作之助」。

 作之助は、当地(当時は「潟町村」)出身なのです。もともとある程度知っていたのですが、3月に自動車店を訪れた際、潟町駅前でかなり詳しい情報を得ました。
 これはもう、機会があれば現地を訪れるしかない。

 というわけで気温30℃越えの炎天下を20分ほど歩いて、上越市大潟区総合事務所(旧大潟町役場(のはず))を目指します。2階の「大潟コミュニティプラザ」の一角に「小山作之助記念資料室」があるはずなのです。(1枚目の写真)
 行き交う人はおらず、コミュニティプラザもほぼ無人。

 やや訝(いぶか)りながら2階へ上ると、奥まった場所に写真の資料室が。何だか真っ暗ですが、入室すると自動で照明が点きます。7畳くらいの部屋の四方に作之助の資料が。
 残念ながら今日は時間がない
──予定の電車を逃すと、次は2時間待ち──ので、次の目的地へ。

 大潟は砂丘の街。新潟市の五十嵐地区(新潟大学の近辺)がそうであるように、道路は曲がりくねっており、しかも細い。資料室に来るまでも大変だったのですが、ここからも「大丈夫かなぁ...」。
 結果的には、すべて問題なく行動できたのですが。

 今回のメインは、総合事務所から約500m離れた場所にある上越市立大潟町中学校の正門付近。ここに作之助の胸像と、彼が作曲した「夏は来ぬ」の歌碑があるはずなのです。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
 現地に到着すると、おぉ、校門の左側に、確かに。

 周囲は「作之助記念庭園」として割と最近整備されたようです。道路を挟んで中学校の向かいには「西念寺」があり、周囲には墓地が(経路途中なので確認した)。その中に作之助の墓もあるそうですが、残ながらここで時間切れ。
 潟町駅へ急ぎます...というか実際には、駅は予想外に近かった。

 5分ほど待って、電車に乗車。

 「日本音楽教育の母」が作之助だとすれば当然、「父は誰?」ということになります。結論からすると「父」は伊沢修二(異説あり)。両者は師弟関係にあり、二人の尽力によって日本の近代音楽教育の基礎が形成されました。
 代表曲の一つであり、誰もが口ずさむことができる「夏は来ぬ」。

 その歌い出しは「卯の花(ウツギ)の匂う垣根に...」。これを受けて、旧大潟町の「町の花」はウツギと定められました。胸像および歌碑の周囲にもウツギが植えられているだけでなく、地区の防災無線は夏季、「夏は来ぬ」を夕方の時報として放送しています。
 でも良く考えると、作之助が担当したのは作曲。

 「卯の花...」という歌詞を書いたのは別人。(三重県出身の佐佐木信綱)

 ま、いいんですけど。



8月21日(木) では、なぜ当地に? ──東柏崎駅を挟んで存在する、新旧二つの対照的な模型店──

 お伝えしたように、センセイはやっと「夏休み」。

 実家その他でのイベントはありますが、それでも気分は楽。「だから(概ね正常値の範囲ながら、高めだった)血圧もこれで...」と思っていたのです。実際、昨日の「平均」血圧(「収縮期血圧」の3回移動平均の最低)は朝が113mmHg、日中が105mmHg。
 昨日は暑い中をかなり歩いた
(総歩数13,436歩)ことが関係しているかも。

 やれやれこの調子で...と思っていたら、ドッカーン!!

 今朝は測定初回から高い。まぁ、それでも「平均」126mmHgと正常値の範囲内に落ち着いたのですが。原因ははっきりしています。昨晩は午後から雲がかかり、夜は放射冷却が起きにくい状況に。
 そのためエアコンを稼働させたまま就寝しました。

 その判断そのものは適切だったのですが設定温度が高すぎたようで、ちゃんと休息できなかったのです。予報通り秋雨前線が夜間に南下し、4時頃から2時間程度かなり激しい雨が降ったことも関係。
 寝室以外の窓を少し開けており、それらを閉めるために起きたのです。

 覚悟して測定を開始したのですが、初回および2回目は想定以上の悪い値。でもまぁ、これも事実。朝の血圧は、前夜の睡眠状況と密接に関係しているという印象を持っています。
 最低限の仕事を済ませてから、午前中は久しぶりに洗車。

 何のことはなく、ここ2ヶ月ほど暑すぎたのと忙しかったのでわかっていても、そのまま放置してしまったのです。お詫びの意味も込めてきょうは2時間かけて丁寧に作業。
 付着した鉄粉
(ブレーキダスト)も薬剤を使って除去したので、アルミホイールはピカピカに。

 洗車終了後は着替えて、いくつかの用を片付けるべく徒歩で外出。街は完全に正常モード。最低限の用を済ませた時、あることに気づいたのでちょっと遠回りすることに。
 先日ご紹介した「マルス模型」をチラと見ながら、東柏崎駅
(旧「比角(ひすみ)」駅)の反対側へ。

 跨線橋を利用できれば簡単に移動できるのですが、お伝えしたように工事中。かなり迂回して辿りついたのが、旧幹線道路沿いにある写真のお店。
 2019年に設立された「(株)プレジャーネット」が運営するミニカーショップ“NEWOLD
Xです。

 センセイの徒歩での行動範囲内だし、旧幹線道路ということもあり時々自動車でお店の前を通過することも。数年前にはその存在を意識していました。ただし、実際に入ってみるには敷居が高そう。
 左側の窓から少し見える店内には、ミニカーがぎっしり。

 だから気になってはいたものの、ちゃんと訪れる機会はなし。今日こそは...と意気込んでみたのですが何と、定休日(実話)。帰宅後に調べてみると、“Things.”紙にかなり詳しい情報が掲載されていました。
 知らなかった...。

 以前から写真左側の駐車場に止められた車のナンバーなどから、「地元」というより主に、県内各地あるいは他県からのお客さんを対象にしているんだろうなぁ...と感じていたのです。記事の中にはまさにそのような記述が。
 もちろんオーナーはこの柏崎市とのご縁を強く意識し、しかも今後の展望を語っていらっしゃいます。

 個人的には2018年夏に閉店した「イトーヨーカドー 丸大 柏崎店」とのご縁など、実に興味ある内容が含まれています。でも、どうしてもセンセイが払拭(ふっしょく)できないのは、「なぜ、柏崎なのか」という点。
 なおここで、絶対に誤解されたくないことが。

 「これほど貴重な人材に、いかにして地域内に定着していただくか」という問題です。

 おそらく当地とのご縁を機会として、自ら歩み始めただけでなく、IOTも活用して商売の面ではかなり充実したステージにいらっしゃるはず。プライバシーに踏み込むつもりはありませんが、従業員やご家族のことも考える立場にあるものと推測されますす。
 実に充実した人生。

 でも、これだけの実力をお持ちなのなら、必ずしも当地でなくても...という疑問が浮かんでしまうのです。たとえばご実家の近くなど。

 逆に考えるとオーナーは、ご出身の地域を含めた他地域より、この柏崎市にある種の可能性を見出していらっしゃるのかも。残念ながら、センセイはまだ見出していませんが。いずれにせよ、東柏崎駅を挟んで存在する、対照的かつ貴重な模型店2店です。
 酷暑の中、昨日と同じくらい歩いてご帰宅。

 「さて...」と、覚悟しながら血圧を測定すると「平均」は107mmHg。

 書斎の室温をタイマーで28℃に設定しておいたので、急激な温度変化で身体は軽いヒートショックを起こしている──この場合、一般的には血圧が上昇する──可能性が。酷い場合は頭痛などが発生するようですが、そのようなことは起きていません。
 だからたぶん、この値は実態にかなり近い。

 当地では秋雨前線はほぼ消失し、今日の午後から今週末にかけて太平洋高気圧の張り出しが予想されています。つまり酷暑が数日続くということ。

 さて明日以降、暑さ(と血圧)はどうなる。



8月20日(水) 匂いからして収穫は、お盆明け ──当地では稲刈りが本格化。最初期の品質は... ──

 写真は今日のお昼、徒歩で外出した際に撮影したもの。

 先日ご紹介した拙宅近くの田圃(2枚目。撮影場所もほぼ同一)の様子です。昨日気づいたのですが、その時は「」広角レンズを持っていなかった──あまりに暑いので、持ち運ぶ物を少しでも減らしたい──ため、改めて撮影し直したという次第。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
 ご覧のように、稲が見事に刈り取られています。

 ちなみに、ちょっと霞んでいますが中央奥に地域のシンボル「(よね)(992m)が見えています。昨日、稲刈りに気づいて現場を訪れた際、最初に感じたのは「匂い」。
 当然、何のことかさっぱり...のはず。

 成熟した稲を収穫したばかりの田圃には、独特の匂いが立ちこめるのです。稲刈りは水分で満たされた稲の茎を鎌(かま)やコンバインの歯で強制的に切断します。
 当然、切断面から内部の液体が滲み出てきます。

 その際、独特の匂い──たぶん揮発性の有機物──がするのです。でも今回、確かに匂いは残っているものの、そんなに強くない。しかも、茎の切断面もやや萎れた感じ。
 昨日時点での匂いからして、稲刈りはたぶん18日(月)。
(17日(土)午後の可能性もあり)

 実はその前日の17日(日)のお昼にこの場所を通っていますが、その時はまだ稲が生い茂っていました。前々日の16日(土)には2名の方が、間近に迫った稲刈りに備えて田圃の中に入り、雑草の稗(ひえ)を抜いていらっしゃいました。
 収穫はもう、秒読み段階だったのです。

 予想通りだったわけですが、別に自慢しているわけではありません。農家に生まれた人間なら、誰でもこの程度のことは予測できます。それどころか、センセイは感度が最も鈍いグループに属するはず。
 それはともかく、農家にとって重要なのは今年のお米の品質。

 この田圃のお米については情報を持ちあわせていません(収穫後に乾燥、精米するため、出荷までに数日かかる)。昨日の報道によると残念ながら、今年市内で生産された極早稲品種「葉月みのり」の品質評価検査は全量、2等米評価。
 白濁した米が目立つとのこと。

 しかも収量がやや少ないそうですが、これは品質評価とは無関係。当地は平場で水はちゃんと供給されており、その影響は否定できないものの相対的には軽微。となると当然、品質低下の主な原因は、春から夏にかけての異常高温。
 当地では今月上旬から待望のに恵まれるようになり、それに伴い気温も少し低下。

 この田圃はたぶん「葉月みのり」ですが、主力の「コシヒカリ」は、降雨と出穂期が概ね重なっています。「葉月みのり」の生産農家には申し訳ないのですが、「コシヒカリ」の品質は、ある程度持ち直すと予想されます。
 お米の品質
(と収量)は、農家の収入と直結。

 詳細は品種および地域によって異なりますが1等米と比較すると、残念ながら2等米の価格は90%程度。極早稲品種を育てる農家にとって今年は、収穫の歓びとともにホロ苦さを感じる年になったはず。

 もちろん、続く早稲、中手、晩生(おくて)品種の品質および収量の改善を願っています。



8月19日(火) 「これがありますよ...」 ──担当科目の採点を完了。センセイはやっと「夏休み」に──

 朝食後、インスタントコーヒー(正確にはカフェオレ)と従姉から貰ったお菓子1個を手にして、2階の書斎(2枚目の写真)へ。

 歳のせいか、コーヒーは1杯だけでも体調にあまり良くない変化が出るように。対照的に、もっと影響を与えそうなビール──実際、「飲めなくなった」という話は良く聞く──は、いくつになっても決してそのような影響を与えません。
 不思議ですが、どちらも事実。

 前者すなわちカフェインに関していえば、講義が終了して長距離運転が激減したため、苦労して入手した最後の4箱を含めて、このところ「カフェロップ」の出番なし。貴重品なので、できるだけ温存します。
 でも今日は最後の一仕事なので、体調云々
(「でんでん」ではなく「うんぬん」)などと言ってはいられません。

 実は、昨日までに主課題(および若干のオマケ)を除き、各課題の評価を終えています。だから昨日のうちに勢いで「やっつける」ことは可能だったのです。でもそもそも、成績評価はそのようなものではない。
 また主課題については丁寧に評価する必要があるため、翌日に先送りしたという次第。

 何回かの点検を含めて、成績評価作業は2時間弱で終了。データを指定されたフォーマットに変換し、数回検算します。完全デジタルなのでチェックは割と容易。1発でデータアップロードに成功しました。
 実は昨日、別科目
(実際には同一の科目)で1回ミスをしたのです。

 関係者に成績を提出した旨のメールを送り、これで今年度の金沢工大大学院の仕事は一区切り。どっと溢れ出てくる疲れを認めざるを得ない。
 若い時はまったく感じなかったのですが、歳を取ってくると講義をするたび、ひどく疲れるように。

 センセイの場合、「歌って踊る」タイプ──実際には歌いも踊りもしない──の講義なので、わからないではない。夏場は90分の講義で、体重が1kg近く落ちます。(実話)
 短時間で筋肉が減るわけはありませんから当然、減ったのはほとんどが水分。

 先月中旬に発症した痛風の原因の一つです。水分管理には気をつけていたのですが...。他方、採点作業は机の前に座って、紙の提出物か電子的な提出物に目を通すだけ。
 身体的な疲れとはご縁がなさそう。
(ただし筋肉を動かさないため「凝り」(およびそれによる頭痛は起こる)

 でも、決して目の前に存在するわけではないものの、「相手」がある仕事。答案やレポート、メモの向こうに、受講生の姿が浮かびます。

 ミスあるいは不適切な評価が残る可能性が皆無とは言えませんが20年以上担当している当該科目に関する限り、受講生からクレーム(「成績異議申立」)があったことはありません。(もちろん申し立てがあった場合は真摯(しんし)に対応する)
 これで知的重労働を終えたことになります。

 これから少しの間が、センセイの夏休み。振り返ると、気を遣う講義を終えた途端、暑い中でのお盆の準備──特にお墓掃除が物理的にきつかった──と本番、そして担当した講義の成績評価とこの間、ゆっくり休むことができませんでした。
 う〜ん、センセイは高齢者なんだけど...。

 プレッシャーは血圧の変化にも。

 落ち着いてからご報告することになると思いますが、8月に入ってからの血圧は割と高め。ほとんど正常値の範囲内で問題はないのですが、各種行事や採点のプレッシャーが影響しているようです。
 少なくとも明日明後日は、久しぶりの完全オフ。

 センセイのことですから、「夏休み」期間中の行動もあれこれ考えています。たいしたものではありませんが、一生懸命働いた「ご褒美」。これは先方からお誘いがあったのですが、まず今週末は、新潟市内で大学(2回目)のプチ同級会(拡大版)に参加予定。
 さらに後期講義が再開されるまでの間に、小旅行
(“excursion”)を考えています。

 また「旅行」とは言えないのですが、プチ同級会の前日には6月に発覚したトラブルに対応するため、お世話になっているお店に自動車を整備に出します。前回同様、フェリーと受け取りの際は電車を利用。
 写真は前回の乗車券。

 鉄道を利用した際、下車時に「無効印をください」──「持ち帰りたい」でもかまわない──と申し出れば、各社は「無効」その他を押印して乗車券を返却してくださいます。場合によってはパンチで大きな穴を開ける場合も。
 会社などの組織で、支払った運賃を確認する必要がある場合のためです。
(過去に所属組織から正規運賃を受け取りながら、割安航空券で搭乗したことが社会的問題になった(センセイではない))

 で、前回。改札口でその旨を申し出ると、若い駅員2名が対応してくださいました。先輩が無効印を押印してセンセイに手渡そうとした時、まだ入社て間もないと思われる若い駅員がニコニコして、「これがありますよ」。(実話)
 引き出しから持ち出したのは、小型のパンチ。

 「目の前にあるいつものヤツでいいじゃん...」と思っていたら、若い駅員は先輩から乗車券を受け取り、穴を開けました。何が起こったのかと思って注視していると、2人は「おぉ...」。何がどうなった?
 で、使用済の乗車券を受け取ると、あ"っ。

 確かに、券面には使用済を示す大きな「穴」。鉄道ファン的には、嬉しくないわけではないのです。

 でも、少なくともJR東日本の場合、続発する新幹線のトラブルや架線事故など、事業の根幹である安全確実な輸送体制が問われているはず。同時に、少なくとも当地域の場合、「えちごワンデーパス」の廃止など、割引乗車券は縮小の方向。
 その他にもあれやこれや...。

 もちろん利益を追求する企業活動の一環である以上、利用者の立場から賛成するかどうかは別にして、その判断を理解できないわけではありません。でも今回の「新幹線」パンチ(?)、これにどれほどの意味があるのでしょうか。
 また大所高所からの問題意識を持たず
──たぶん──ニコニコと対応する若手職員。

 正直なところ、大丈夫かなぁ...。

 当地の場合、JR東日本を利用しないわけにはいかないのですが、ぜひ積極的に...とは、いきそうにありません。



8月18日(月) し、知らなかった... ──こんな田舎に、本格的模型店&ラジコンカーのお店が──

 残された「宿題」、つまり金沢工大大学院の成績評価は佳境へ。

 前任校の採点は1日で終わりましたが、金沢工大の受講生は約2.5倍。しかも課題の数は約10倍。機械的に採点できる課題もあるので、単純に「何倍」と言えないのですが。いずれにせよ、センセイはヘロヘロ状態。
 それでも頑張った甲斐あって、先が見えてきました。

 成績報告の締め切りは明後日正午ですが、このペースなら明日の午前中に提出できると思います。もっと早くから開始していればこんなことにならないのですが...。でも、センセイには無理。(キッパリ)
 さて、今日は2枚の写真を。

 ただし後述するような事情で撮影日が異なります。右の写真は街中でお盆の準備が進んでいた約1週間前、雨の日にロケハンで訪れた際に撮影したもの。
 場所はJR越後線東柏崎駅
(旧「比角(ひすみ)」駅)近く。

 駅東口から県立常磐高校へ向かう道路沿いにある「マルス模型店」です。とても小さなお店。お店の外側には単に「マルス」とだけ書かれているだけ。
 数年前に通りかかった際、店内にプラモデルの箱が山積
み──しかもぎっしり(!!)──されていることで気づきました。

 驚いてお店を良く見ると、窓ガラスには高品質で知られた米“Revell”(2018年倒産)や「タミヤ」などプラモデルメーカーのシールが。懐かしい。
 センセイも中学生くらいまで、レベルやハセガワなどのプラモデルを良く作っていたのです。

 「へぇ...こんなお店がまだ残っていたんだぁ」というのが正直な感想。その頃つまり半世紀前(!!)には市内に模型専門店がいくつも存在したのです。
 でもセンセイが大学に進学して当地を離れている間に次々と閉店。センセイもプラモを作らなくなったし。

 なかなか入りづらそうな雰囲気ということもあり、これまでご紹介していませんでした。でもごく最近、この「マルス模型」がラジコンカーの専門店でもあることを知りました。
 しかも、お店の裏にはオフロードコースがあるらしい。

 知らなかった...というか、想像もしていなかったので「お精霊(しょうれい)さま」を迎えた13日の帰り、渋滞を回避するために迂回した際に立ち寄ってみました。
 この日は休業していたので、店舗については以前の写真を掲載したという次第。悪しからず。

 「お店が営業していないのだから...」と思いながらお店(左から2軒目の赤い屋根)の裏に回ると、おぉ、完全に想定外。3名の男性──ピット内に1名──がラジコンカーの操縦を楽しんでいらっしゃいました。
 奥行約22m、幅約14mのコース。

 正式な名称は知りませんが、直線コースやヘアピン、ジャンプ台などが用意されています。写真右側には操縦、観客用の「お立ち台」そして奥には数グループ用の「ピット」が。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
 操縦している方に快諾していただき、撮影させていただきました。

 帰宅後に調べてみると、マニアの間では割と知られたお店らしい。お店およびコースの様子についてはYouTube上でも紹介されています。それによると「マルス模型」は昭和50年(1975年)創業。
 センセイが高校3年生の時だ。

 (何度目かの)知らなかった...。ホントに反省。

 さて(心の中で)ゆっくり休むことができたので、明日はきちんと成績を提出せねば。



8月17日(日) 彼の記憶と公式記録の差異が意味すること ──『戦場としての新潟』電子書籍化──

 当地はここ数日で、雰囲気が一変。

 一昨日までは、日によって違いこそあったものの、完全なお盆モード。それが昨日と今日の2日間で、まるで潮が引くように平日モードへ。まぁ今日は日曜日ですが。他県ナンバーの自動車は激減。
 それでも県北部を示す「新潟」ナンバーがいつもより多いかな、という程度。

 というわけでセンセイも、お盆あるいは終戦の日特集(?)最終回。

 そもそも、このところ父親の衰えが目立つことと、お盆で実家へ行く機会が増えているため、父親からあれこれ頼まれることが増えています。正直なところ、こちらからすると最初は「唐突...」という印象。
 ただし郵便受け移設の件がそうであるように、ちゃんと話を聴くと彼なりの理由が。

 実は今月上旬の依頼も同様。上手く話せなくなっていることもあり、最初は何を言っているのかわからないことが多い。今回は「(NHKのローカル)ニュースで知っているかもしらんども(=しれないけれど)...」。
 あぁ、あの話ね。

 一瞬でほぼすべてを悟りました。センセイが特殊な能力を持っているのではなく、テレビ/AMラジオとメディアは違えど、(たぶん)同一のニュースに接していたからです。センセイが両親の食料調達のため実家へ行くのは通常、12:40ころ。
 これは単純に母親の要望。

 たぶん昼食後の片づけを終えて休憩している時に来てほしい...ということなのでしょう。両親は正午前後に、NHKのテレビニュースを観ながら昼食を取っているはず。
 他方、センセイは給油の有無で多少相違することがあるものの、概ね12:10ころに出発。

 その際、ラジオでNHKのローカルニュースを聞くことが多い。依頼があった8日もこのパターン。その何本目かのニュースの中で、新潟市が1945年8月に空襲された際の記録が電子書籍化されたと伝えていたのです。
 原本は、新潟市が1998年に発行した『戦場としての新潟』。

 ちなみにここでの「新潟」は新潟県ではなく、「新潟市」のこと。ま、いいんですけど。

 販売は終了していますが復刻の希望が寄せられたため、誰でも無料で読むことができるように電子化したとのこと。リンク先から電子書籍版(写真左)での閲覧、あるいはHTML版およびPDF版(右)での閲覧およびダウンロードが可能です。
 父親がこの本に強い関心を示したのには理由が。

 1930年(昭和5年)生まれの父親は中学校卒業後、県内の高校へ入学。新潟県はなぜか、現在の高等学校に相当する女子中等教育、商業教育そして農業教育には拠点校を開設(ただし工業教育はない)
 父親は結果的に、その拠点校へ進んだのです。

 すでに戦況は相当悪化。入学したばかりの父親は動員され、新潟市の旧競馬場(現在の新潟市中央区文京町付近)で軍馬の面倒を看ていました。

 8月10日、米海軍の艦載機が新潟市を本格的に空襲し、軍事拠点や輸送手段を中心に銃撃。父親は、少し離れた場所からこの空襲の一部始終を目撃していたのです。当然のことながら、この件は強く脳裏に刻まれます。
 センセイも子供のころから何度も聞かされました。
(悪い意味ではない)

 中でも良く覚えているのが「高射砲って、当たらねんだっやっ」。そりゃそうでしょう、高速で飛行するグラマンF6F戦闘機が相手ですから。でも1機だけだけ被弾らしく、「パラシュートがパッと開いて、パイロットが...」。
 つまり脱出したパイロットは生きている。

 今回、初めて読んだPDF版の『戦場としての新潟』。そのp.50(PDF版)に、2機撃墜ととの日本側記録が。父親の記憶と相違しますが彼が見ていないところでもう1機撃墜された可能性があるので、これについては何とも言えません。
 問題は、アメリカ側の公式記録との関係。

 それによると「・・・1機が撃墜され、パイロット1名が戦死・・・(p.51)。今回、念のため父親に確認したところ少なくとも落下傘での降下中、彼は「生きていた」。しかも今回初めて知ったのですが、「たまたま翌日、護送される米兵を新潟駅で見た」。
 これはもう、びっくり。

 当時新潟市には俘虜(捕虜のこと)収容所が2箇所開設されていました。そこにいた米兵が、たまたま空襲翌日にどこかへ護送された可能性はあります。でも米軍の場合、パイロットは士官(少尉以上)
 それを考慮すると、前日撃墜された戦闘機パイロットの可能性が。

 他方、米軍公式記録は「戦死」。

 残念ながら歴史的証人の生の声は、そう遠くない将来、二度と聞くことができなくなります。

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