2025年8月16日更新(2025年8月24日ページ移動)

──2025年8月第3週のニュース──

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8月16日(土) せっかくの機会なので... ──父親の依頼に応えて、郵便受けを移設しました──

 実家での出来事を、もう少し。

 一昨日、弟夫婦らを迎えるために実家へ入ったのは13時。夕方の到着までにかなり時間がありますが、これは主に食料買い出しの関係。田舎では、お盆の13日から15日ころはメンバーが入れ替わりつつ、大勢で夕食を取ることが多い。
 遅くなるとお刺身やごちそうが...と、母親が心配したためです。

 特に反対する理由もないので、それに合わせて到着したという次第。スーパーを訪れると少し混雑していましたが、問題なく食料を調達。まっすぐ帰宅して、傷みやすいお刺身やビールを冷蔵庫へ。
 続いて先日の、父親からの依頼に応えます。

 一部繰り返しになりますが、具体的には玄関脇の郵便受け(右の写真右側)を覗こうとして転倒したため、それを移設して欲しいという要望。もちろん必要な工具は持参しています。
 でもその前に、改めて転倒時の事情と要望内容を詳細に聴取。

 どうやら郵便受け前の段差を越える際、上手く足が上がらなかったらしい。なるほど。お盆で実家に滞在した期間中、父親が転倒する場面を数回目撃しています。
 正直なところ「転ぶ」というより、もはや「崩れる」感じ。

 父親は足が細い。だから若い時は長距離走が得意だったそうです。でも見方を変えるとこれはほそのまま「脚力があまり強くない」ということ。
 しかも加齢で脚力はどんどん低下しています。
(ちなみに父親のこの姿は、X年後のセンセイそのもの)

 玄関付近の構造の関係で、郵便受けは少し奥まったところに。その周囲も整備されているわけではありません。状況はわかったので、次は対策の検討。
 センセイだったら仮設の手摺りを復活させるとともに、玄関角の柱に上下の手摺りを設置してもらうと思う。

 実は玄関前の仮設および固定式の手摺りを設置する際、ケアマネージャーさんから提案された内容です。これなら郵便受けを移設せずにすみます。
 郵便受け付近での移動時のリスクはかなり軽減されるはず。
(父親の手の力は、相対的にまだ残っている)

 ただしなぜか父親は強い難色を示します。他方、彼の当初の依頼通り、郵便受けを地面あるいはその付近に配置すると、郵便および新聞を配達する方が困る。
 う〜ん、と悩んでいると父親がボロッと、「あと一冬あるかどうかくらいだろうから...」。

 一瞬、何を言っているのかわかりませんでした。でもすぐに、彼に残された時間を語っていることを理解しました。昨年末、ただ一人残っていた姉を看取ったことが響いているのでしょう。
 だから父親が仮設に拘るんですね。

 ここで不意に、割と良いアイディアが。冬季のみ設置している冬囲いを玄関の片側だけ復活させ、そこに郵便受けを固定するという方法です。冬の期間はずっとこんな感じ。
 父親も喜んで賛同。

 最初は「弟が来たら、明日にも...」と言ったのですが、う〜ん、自分でやった方が早い。作業着に着替えて蔵の雁木(がんぎ)へ。多数の資材が置かれているので、その中から玄関用それも右側用を探し出すのは大変。
 また要するに材木なので、非常に重い。

 それでも1時間くらいかけて、2枚目の写真のように冬囲いを完成させ、郵便受けを固定させます。やれやれ。暑い中での作業だった──写真を比較すると、この間の太陽の位置変化がわかる──ので全身汗びっしょり。
 汗を拭いてから、かねてから考えていたことを実行へ移します。

 居間でくつろぐ両親を前に、封筒から白い紙とボールペンを取り出します。ここで父方および母方の家系をはっきりさせようと考えたのです。誤解されると困りますが、決して特別な何かがあったわけではありません。
 ただし田舎の一世代上は当時の国策に従い、子供が多いのが普通。

 たとえば西村家の場合、父および叔父伯母は計8人(幼少時に死去した者が他に2名)。母方は同様に7名(他に、男児1名が死去しているはず)。こんな具合なので従兄弟に至っては、数えるたびに人数が異なるという状況。(実話)
 しかもこれだけ子供が多いと、兄弟姉妹間で年齢が30歳くらい離れます。

 その結果何が起きるかというとたとえば、小さい時から従兄弟だと思い、夏休みに一緒に遊んでいた男性2名が実は、従兄弟の子供(!!)。その事実を知った時は愕然としました。ただし今回は最低限の調査。
 聴取を始めて気づいたのは、両親も知らないことが多いということ。

 たとえば父方の祖父の名前には最後に、「三郎」がつきます。同様に弟(後に分家)には「四郎」。祖父が生まれたのは明治16年頃(詳細未確定)ですから当然、長男、次男がいたであろうと推測されます。
 でもその点を訪ねると父親は、「知らない」。

 続いて母方へ。結果は省きますが今回、母方の祖母の名前と旧姓を初めて知りました。

 容易に察することができるように、次の世代は子供の数がずっと少なくなります(上の姉ほど子供が多い)。で、この世代はセンセイおよび弟2名を含めて計41名(!!)。センセイらを除くと、従兄弟は38名であることが初めて確定しました。(前述した幼少時に死去した子供を除く)
 ただし残念ながら、すでに5名が鬼籍
(きせき)に入っています。

 最も可哀相なのが、結婚後満州国へ渡った伯母。敗戦で帰国する途中で一人娘が死去。『過去帳』には「駅前の大きな樹の下に埋葬した」と記されています。そして残念ながら伯母自身も満州国で逝去。
 「お盆だから許されるか...」と考えて実行した今回の行為。

 この勢いのまま、続いて取り組む必要があるのは親戚関係の把握。基本的には家系図と重なりますが、こちらは少なくとも4代前まで遡ることが確実。

 いろいろな受け止め方が可能でしょうが、センセイとしては先祖の弔いのつもり。

 どうやら、(センセイ自身を含めて)時間はあまり残されていないようなので。



8月15日(金) 田舎の夜はヒグラシの大合唱。暑い日が続いていても、季節は確実に進んでいます

 お盆も、いよいよ佳境。

 昨14日は夕方、新潟市に住む弟夫婦が孫娘(弟の膝の上)とともに実家へ。久しぶりなので皆で食事を頂くとともに、弟とは日付が替わる頃まで情報交換。弟は大酒飲みなので、ビールが次々と空に。
 センセイは痛風を警戒し、あらかじめ対策を講じた上で、
(少なくとも気持ちの上では)酒量を控えました。

 されどふだん以上の深酒だったことは否めない事実。対策の甲斐あって例年ほど酷くはなかったものの、6:30に起床した時は「さっぱりとした気分で...」というわけにはいかず。他方、今朝の血圧は非常に低く、「平均」(「収縮期血圧」の3回移動平均の最低)は101mmHg。
 ちなみに、個別最低は100mmHgでした。

 今日は14:00〜14:30の間に菩提寺の方丈(ほうじょう)──住職のこと──が「棚参り」にお越しになることになっています。時間があるし、心身ともにセンセイは疲れ果てています。そこでひとまず帰宅して2時間ほど、文字通り泥のように眠りました。
 ひとまず人間界に戻ったところで、少し徒歩で外出。

 今日は平日なので、それと帰省・観光客がまだら模様で共存しています。自動車もまだ県外ナンバーが多い。一昨年以来の「棚参り」ですが、前回、方丈様がお越しになったのは14時前。
 その時はぎりぎりの対応だったのです。

 だから今年は余裕を見て13:30へ実家へ...と考え、実際その通りに行動。ただし家の前には方丈様の車が。急いで駐車場に車を止め、実家へ。
 ちょうど読経が始まったところ。

 弟らはラーメンを食べに出ていたそうですが、直前に戻ることができたとのこと。有り難いお経を上げていただき、御布施をお渡しするとともにお礼を申し上げます。
 事実上、今年のお盆はこれでお終い。

 今日初めて母親から聞いたのですが、かつてはお盆最終日の16日に祖先の霊を送り出す「送り火」という習慣があったらしいのです。
 ただし少なくとも当地では早くに廃
(すた)れたようで、詳細は覚えていないとのこと。センセイも記憶は一切ありません。

 弟夫婦も帰るというので、センセイも荷物をまとめて一足先に車を走らせます...が、2kmほど走ったところで「忘れ物」に気づき、実家へ戻ります。センセイは昨晩、異常なまでに暑い実家2階で就寝。
 実家の窓は大半が木製。

 さすがに何カ所か、特製網戸が用意されているのです。だから昨日実家に到着して最初に取り組んだのが、2階各室の網戸の嵌め込みと空気の入れ換え。お盆後はしばらく、実家に泊まる予定はありません。
 だから帰宅時には網戸を外して格納し、雨戸を閉める必要があったのです。

 でも今日は方丈様の行動など予想外の事態が連発したため、網戸の件をすっかり失念。このお盆は両親の加齢進行を思い知らされたのですが、う〜ん、これは同時に、既に高齢者であるセンセイ自身の問題だった。
 反省。

 網戸その他を片付けつつ、昨晩のヒグラシを思い出しました。今年初めてヒグラシの鳴き声を聞いたのは7月中旬。金沢工大大学院の講義を終えて、市内中心部にあるホテルに入る際、向かいの金沢城公園の杜で鳴いていました。
 非常に早い。

 されどその後は金沢、新潟ともにとんとご無沙汰。でも昨晩、完全に酔っぱらった状態で2階に上り、照明を落とすと外はヒグラシの大合唱。

 田舎の人間にとって、夏の暑苦しいアブラゼミの鳴き声は当然のこと。でもちょうどお盆頃から夕方になるとヒグラシに交替。こうなると、「確かに日中は暑くて逃げ場がないけど、夕方からは気温がグッと低下し...」という意味。
 そして「お盆でしっかり休んだら、半月後くらいには
(稲刈りの)繁忙(はんぼう)期に入るから、覚悟しておいてね」。

 もっとも現在は、昨日お伝えしたように稲の品種改良他が進んでおり、極早稲から始まってコシヒカリ、そして晩生(おくて)まで稲の収穫時期が分散しています。(農家にとってリスク分散および、高額な機材を中心とした資材運用の関係から、この方がありがたい)
 今日は朝、割と曇っていたのですが、お昼頃からは晴れて気温も上昇。

 でも日が暮れると気温は、スッと低下します。当地はまだしばらく暑い日が続く予想。

 それでも、(人間を含めて)「季節」は確実に進行しています。



8月14日(木) まだお盆だというのに... ──実家の近くで極早稲品種の収穫が始まっていました──

 予定を変更して、タイトル通りのお話を。

 右の写真は昨日、実家からの帰りに撮影したもの。コンバインを用いた稲刈りに出くわしたのです。場所は隣の刈羽(かりわ)村。菩提寺の近くです。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
 往路は別なルートを走ったので、この場所を通っていません。

 一部で稲刈りが始まったことはすでに報道されていました。でも今シーズン、この目で見るのは初めて。それも3ヶ所で作業中。こちらは、心の準備もカメラの用意もできていません。
 そこでまず安全に停車できる場所を探して、カメラのレンズを「」広角から「」望遠レンズに交換し...。

 少々時間を取られた後、最初に2台のコンバインを見かけた場所に戻ると、1台はすでに作業を終えて停止中(人も見かけなかった)。もう1台は姿が見当たらず。
 最近の、しかも割と大型のコンバインなので性能が良く、予定箇所の稲刈りを終えたのです。恐るべし。

 というわけで3台目の場所へ移動すると、大きく、パンパンに膨らんだ袋を荷台に載せた軽トラックが現場を離れるところ。もちろん袋の中身は収穫、脱穀(だっこく)した籾(もみ)
 車を安全な場所に止めて撮影したのが写真。

 キリンの首のように、コンバインから長い筒が延びていますが、これは脱穀し一時的にコンバイン内に溜めた籾を送り出すためのもの。
 現在は筒を伸ばした状態で、稲を刈る場所に戻る途中です。

 左側の軽トラの荷台にも青い袋が見えますが、あまり膨らんでいません。つまり先ほどの軽トラに籾(もみ)を移し、満杯になったのでトラックは発車。
 このトラックにも少し移したものの、コンバイン内が空になったというわけです。
(到着時は移動の最中)

 お盆のこの時季に稲刈りをするとは、ちょっとびっくり。極早稲品種ですから、たぶん「葉月みのり」でしょう。なお連休明けには稲刈りが本格的に始まると予想していたのです。
 右の写真は一昨日、拙宅近くで撮影したもの。
拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))

 極早稲品種か早生で、ご覧のようにすでに稲穂が垂れています。これだとお盆明けの収穫。当地は平場なので水にはかなり恵まれており、実入りが少ないなどの困った事態は確認できません。
 高温の影響があるので、最終的な品質は収穫してみないとわからないのですが。

 場所にもよります──山間部ほど遅い──が当地の場合、主力のコシヒカリが出穂のピークを迎えています。水不足が続きましたが、先日からので「かろうじて間に合った」というところだろうと思います。

 一部繰り返しになりますが、お盆明けから稲刈りが本格化します。



8月13日(水) 不意打ちの「その日」は、遠くないなぁ... ──甥とともに実家の墓参りをしました──

 (田舎の人間にとって)いよいよ、お盆本番。

 今日13日は家族全員で墓参し、「お精霊(しょうれい)さま」こと先祖の霊を提灯の蝋燭に移し、お迎えする日です。正確に言うと今日は旧暦の閏(うるう)六月二十日なのですが、まぁ、それより気持の方が大切。
 今朝連絡があったのですが県北部に住む甥が今日、実家を訪れて水回りを清掃してくれるとのこと。

 母親から指示された時刻に実家を訪れると、甥はすでに到着済。それどころか早めに家を出たそうで、すでに清掃を終えて休憩中。センセイは両親に似て掃除(と洗濯)が苦手。だから本当に有り難い。
 ちなみに甥は、実に好青年。

 センセイの最初の任務は、お昼の買い出し。両親だけなら不要だし、センセイも帰宅後にお昼を頂くつもりだったのです。でも甥が来てくれたので、お礼を兼ねて皆で食事を取ることに。母親を乗せて近くのスーパーへ。
 帰宅後は、細い竹を使って仏壇周りの装飾作り。

 「山で切って(竹を確保して)もらうかも...」とのことだったのですが縁側の外を見ると、すでに竹が3本。母親に訊(き)くと、近所の人に事情を話したところ快諾していただき、その方の竹林で切らせてもらったとのこと。
 ありがたや。

 ひとまず外で不要な枝を取り、長さを整えるなどしてから座敷に持ち込み微調整。仏壇付近には専用の紐が用意されているので、竹をそれそれぞれに結びつけて固定します。
 室内で切った枝や、作業中に落ちた葉を清掃して作業終了。

 完全ではありませんが「お精霊さま」を迎える準備ができたので、必要な道具一式を持ち先々週、関係者が苦労して掃除したばかりの集団墓地へ。
 隣の隣の家の跡地なので、すぐに到着。

 ただし足腰が弱っている父親は、かなり遅れて姿を現しました。

 西村家のお墓だけでなく、先祖が家督を譲った本家の墓(写真右端)や実家の分家、伯母が嫁いだ家など親戚の墓に花や蝋燭、線香をお供えしてお参り。
 大切なロウソクの火は、甥が提灯に収めて持ち帰りました。

 仏壇付近を片付けていると、父親の帰りが遅すぎる。玄関から外を見ると、彼は実家前の橋の上で転んだらしく、起きあがる途中。冷酷に感じられるかもしれませんが、今日は救助に駆けつけるようなことはしませんでした。
 う〜ん、この調子だと半年か1年以内には骨折する可能性が高い。
(父親は骨密度が低く、骨粗鬆(そしょう)症の薬を服用している)

 今日知ったのですが、先日、郵便受けを覗こうとして転倒したとのこと。その設置場所の変更を依頼されたのですが、必要な工具が見つからなかったのでパス。明日、自宅から必要な資材を持ち込んで作業するつもり。
 ただしこの問題、チト、根が深い。

 一昨年と去年、実家玄関から道路まで手摺りを設置していただいたのです。もちろん道路側の固定式は現在もそのまま。ただし玄関に近い場所に設置していただいた仮設式のものは、冬季除雪の邪魔になるからという父親の希望により撤去。
 ま、それはそれで、わかる。

 さすがに春になったら...と予想していたのですが実は、彼の頭の中から仮設の手摺りの記憶は消え去っているんじゃないだろうか。頻発する転倒に象徴される身体の衰えはもはや、誰の目にも明らか。
 他方、このところの父親のリクエストは、個別に見るとそれほど理不尽ではないのです。

 後日ご紹介するかもしれませんが、先日の唐突な依頼にも彼なりの理由が。実際、求められたものを印刷、製本して持参すると、素直に「ありがとう」。(感謝の言葉に拘っているわけではない)

 でも(可能な限り)冷静に観察すると、別な姿が浮かんできます。気温の変化などを含めて、感覚器官による身体内・外の情報収集からその認識、判断に至るまでのプロセスが、必ずしも正常に機能しなくなっているように感じられるのです。
 「老いて再び稚児
(ちご)になる」という言葉が。

 老人が「子供に戻る」ような現象はしばしば報告されます。両親ともに、以前からその傾向が進行中。ただし少なくとも父親の場合、もはや「稚児」を通り越し、心身ともに「胎児」に戻りつつあるんじゃないだろうか...。
 暑さ寒さを
(本当に)ほぼまったく感じていないらしいし...。

 なお高齢者には珍しく、父親の歯はかなり丈夫こちらおよびこちら。食欲も旺盛──父親のかかりつけ医も指摘していた──であることを、彼の名誉のために申し添えさせていただきます。

 ま、この点は、母親の日々の悩みの種でもあるのですが。

 いずれにせよ、「その日」は、そんなに遠くないなぁ...。



8月12日(火) 「見上げてごらん夜空の星を」 ──こんな田舎にボルダリングのお店がオープン?! ──

 今日はある意味、お借りした話題です。悪しからず。

 一昨日、地域紙(柏崎市)報道で何と、ボルダリングを体験できる施設が昨秋市内にオープンしたことを知りました。人口僅か8万人の田舎の街にですよ。もちろんスポーツジムはいくつか富山資本地元資本他)存在。
 この他に中・高齢者用の施設も。

 でもさすがに、それなりの設備投資が必要なボルダリングのジムができるなんて考えてもいませんでした。で、一昨日、徒歩で外出した際にお店を確認することにしました。
 その「クライミングジム&カフェ PARKS
インスタグラムは概ね、センセイのふだんの行動範囲内。

 スーパーでの買い物および給油の関係で、すぐ近くの道路を徒歩ないしは車で週に1、2回通っているのです。でもお店は、そこから20mほど入ったところ。
 この道は退職後の一昨年、一度だけ徒歩で通ったことがあるだけ。

 その時のことは割と良く覚えているのですが、それらしき施設は一切記憶にありません。雨の中、興味津々(しんしん)で接近すると、確かにお店が。
 ただし一昨日は日曜日だったにもかかわらず、閉店。

 帰宅後に調べてみると営業日は公開──事前に調べない方が悪い──されており、平日を中心に営業。翌日つまり昨日も休業日だったので、今日改めて訪れること。
 ついでにGoogleマップで調べると、以前は事務所と倉庫
(?)だったらしい。それを大幅改装。

 3連休後、そしてお盆前日のスーパーはお店によって混み具合が違います。一部帰省客はすでに本拠地に戻ったらしく、雰囲気はふだんの平穏とお盆前の緊張感が混在。最初のお店で必要なものを買い求め、少しだけ遠回り。
 ご覧のように今日は旗が立てられ、看板が出ています。

 事務所だったであろう左側の建物の前と、倉庫(?)だった右側の建物の道路側は駐車場になっており、満車(右の空いたスペースは、親子3人連れの車が出たため)。倉庫(?)の窓を良く見ると、内側にある板材を確認できます。
 もちろんここにボルダリングに必要な「ホールド」その他を備えた設備が存在するはず。

 いろいろな意味でセンセイがボルダリングに挑戦することは、まずない。でもコーヒーくらいは楽しみ、可能ならば旧倉庫(?)の高さを利用した内部も見学したいと思ったのです。でも、何より大繁盛。
 センセイにとってはそれ以上に、客層が全然違うことに当惑。

 僅かな間の滞在だったにもかかわらず、かなりの人が出入りしていました。お察しの通り、お客さんは若いファミリーがメイン。だから個人的にはご縁はなさそうですが、オーナーと関係者、そして支援する方々に(少し離れた場所から)エールを送りたいと思います。
 ところで、今日は8月12日。

 40年前の今日のことは良く覚えています。国際基督教大学ICU大学院1年生だったセンセイは、この日か前日に帰省。その頃実家のテレビが寿命を迎えたため、秋葉原で代替品を購入し、実家に配達していただきました。
 当時、「家電は秋葉原」が常識だったのです。

 たぶんこの日にテレビが届き、アンテナ接続などを終えて夕食を迎えた時に流れた臨時ニュースが「日航機行方不明」。この年のお盆のことは良く覚えています。8月6日、(今年は言及していませんが)9日、そして12日は特別な日。
 前二者については、まだセンセイが生まれていない時のできごとですが12日については、一種の当事者。
(全国民がそうだった)

 ちなみにNHKの連続ドラマ「あんぱん」。故やなせたかし氏と奥様の暢(のぶ)さんをモデルにしたドラマです。個人的には朝、着替える時にチラッとしか見ていませんが、その限りにおいても、掛け値なしで面白い。
 ただし個人的には、本編との関連がよくわからないオープニングムービーおよび主題歌については、う〜ん。

 それはともかく今週の「あんぱん」のサブタイトルは、「見上げてごらん夜空の星を」。

 40年前を直接経験した人に皮膚感覚でじ〜んと迫る、とても重い言葉です。



8月11日(月:祝日) 右手がついつい... ──お盆前に前任校の採点を終え、成績を提出しました──

 昨日は久しぶりに、終日エアコンなし。

 つまり夜間もエアコンを稼働させてずに就寝しました。そのためか最近では珍しく、前の晩より夜間の気温が約2℃高かったにもかかわらず、割と眠ることができた方。ずっと続いていた寝不足感も、今朝は軽め。
 つまり、かなり元気。

 ちなみに今朝の「平均」(「収縮期血圧」の3回移動平均の最低)血圧は106mmHgと低め(個別最低記録は97mmHg)。午前はいろいろ片付けものをして正午前、いつもより少し遅めに徒歩で外へ。今日の天気は曇り。
 そこに時々雨が降る、という感じ。

 いつものルートを歩いていると踏切の警報音が。上越妙高発、「地酒王国・新潟が誇るお酒がコンセプト」の観光列車「越乃Shu*Kura」が接近しているのです。ただし今日は位置関係の問題で撮影できず。
 というわけで右の写真は一昨日撮影した「シュクラ」。
拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))

 ただし線路手前の木々が予想外に繁っていて背も高い。写真としては完全にボツです。悪しからず。ちなみにバックは、地域のシンボル「(よね)(992m)
 「シュクラ」は週末を中心とした不定期運行。

 いつも感じるのですが、乗車率は割と良好。上越・北陸新幹線との接続を重視しているので、関東や関西からのお客さんが多いのでしょう。
 倖い、雨に降られることなく帰宅。

 少し休んでからインスタントコーヒーを飲み、「宿題」こと前任校で実施したテストを採点します。さすがにお盆前に、これだけは片付けておきたいので。
 当該講義の実質的な受講生は約30名。

 彼ら彼女らにとって初めて学ぶ内容なので、完全記述式の期末試験内容に関係するキーワードを公開しています。後はそれを手がかりに、講義で感じ、考えた内容をいかに自分なりの言葉で表現できるかを問うています。(これも公開済)
 この講義は昨年度まで、集中講義として実施。
昨夏および今冬

 そのため受講生は最終日、お昼休みだけを挟んで午後イチの期末試験に臨んでいました。つまり準備期間ほぼなし。言い換えれば「ぶっつけ本番」。誤解なきように申しますが、それでも受講生の理解度はかなり正確に把握できるのです。
 ただし、ある種の「勢い」に左右されがちな状況であることもまた、事実。

 でも今年度は、4月中旬から毎週きちんと実施してきた講義。もちろん反省、改善すべき点は多い。されど本来の専門分野なので、致命的なミスが発生する可能性は低い。しかもこの間、受講生とは講義内で質疑応答の形でかなり頻繁にやり取り。
 ただし出欠については個別に点呼するのではなく、これまでの出欠状況の確認を兼ねて一覧表に記入してもらっています。

 何を言いたいかというと、決してすべてを把握しているわけでないのは当然として、それでも誰が誰か、そしてどの程度理解しているのかは概ね把握しているつもり。で、実際に採点してみると、例外はある──これは事実──ものの、センセイの理解とほぼ一致。
 やっぱりなぁ...というのが実感。

 採点していて最初に感じたのは、お伝えした「学びたい」という受講生の知的欲求。初回の講義から実感していたのですが、この点が前任校の良さであることはきちんと評価したい。繰り返しになりますが、これは受講生に対するセンセイの評価。
 残念ながら前任校がその意欲に、組織としてどこまで応えることができているかどうか
──センセイの担当科目を含む──は、まったく別問題です。

 センセイが前任校で担当しているのは「科学史」。つまり文字通り「科学の歴史」。高校までの日本史や世界史と決定的に違うのは、その背後に存在する歴史観、端的に表現すれば「哲学」と、その根拠となる歴史的事実関係。
 その上で今学期は、後者の実例として天文学史を相当詳しいレベル
──たぶん現在、日本国内ではここだけだと思う──で取り扱いました。

 期末試験は両者を大問2題として出題。それぞれ複数の問いの中から一つを選択して解答してもらいました。例によって事前に十分説明し、かつ試験問題の指示に「1問を選択し...」と明記したにもかかわらず、全問解答した学生が複数名。
 当然、彼らは最低の評価。

 受講生はいわゆる「文系」の学生。だからどうしても事実関係つまり天文学の理解は弱い。ちなみに天文学的な事実関係の錯誤については減点していない旨を伝えており実際、そのようにしています。
 他方、歴史観あるいは哲学については、予想外に優秀な学生が目立ちます。

 ただし気持ちだけが空回りして、事実関係を十分抑えないまま自身の主張を展開する学生もチラホラ。業界的にはいわゆる「感想文」。事前に「決して高く評価しません」と伝えているにもかかわらず。
 でも彼ら彼女らは、講義を知的に楽しんでくれたんだろうなあ...。

 一部繰り返しになりますが難点を認めた上で、これも前任校の評価すべき点。つまり受講生はちゃんと「学びたい」という意欲を持ち、大学側もきちんと「教育してあげたい」と考えているのです。
 ただしそれをサポートする組織的な取り組みができているかどうかは別。

 偉そうなことを言っていても、センセイ自身がちゃんと講義できているかどうか、自省の念を含めてです。

 で、採点していると、不思議なことが。

 センセイはできるだけ厳密に採点しているのです。でも、成績を管理しているExcelに評価を打ち込もうとするとついつい、右手が滑りがちになる場面が。この現象は特に、S/A/B/C/D評価の境界付近で起こりがち。
 でも、ま、いっかー。

 というわけで前任校については無事(?)、成績を提出しました。明日からは金沢工大大学院の成績処理と報告に取り組みます。



8月10日(日) これぞまさに、「小さい秋」 ──緊張からリラックスへ、様態が一晩で転換しました──

 九州の状況が気になりますが、ひとまず連休中日の当地の様子を。

 予報通り、当地は朝から雨に。

 決して大雨ではないのですが、それなりにしっかりと降っています。特に午前中はいつもと風向きが異なり、少し開けた窓から雨が室内に入りかけていたため、慌てて完全に閉めたりしました。
 倖い、大事には至りませんでしたが。

 気温はというと、今日はずっと降ったり止んだりという状況だったので20℃台前半(室内は20℃台後半)。もちろん苦手なエアコンは稼働停止。湿度は高いのですが、それでも少しとはいえ窓を開けられるのはありがたい。
 数日前までの、あの逃げ場のない酷暑とは大違いです。

 例によって、お昼前に徒歩で外出。雨のせいでしょう、歩いている人はごく稀。ただし昨日ほどではないものの、家族連れの車が行き交います。スーパーの駐車場も同様。店内にもたくさんのお客さん。
 ...が、やはり昨日ほどではありません。

 昨日と決定的に違うのが、お客さんの雰囲気。帰省その他の方と、お客さんを迎える側が半々くらいなのですが、後者に「遠路、よぉー来てくれた」というような高揚感はありません。「緊張感」の方が実態に近いかも。
 帰省・観光客はというと、至ってマイペース。

 単純に「アレが足りないから、コレを食べたいから買い出しに...」という感じ。この状況下、両者に共通するのは、割とくつろいでいるということ。ひとまず「高齢の両親に成長した孫の顔を見せ、祖父母は無条件で...」というイメージ。
 今日のセンセイは、どちらにも属しない異邦人。

 この場は淡々と用を済ませて、次の目的地へ向かいます。一部繰り返しになりますが今日は比較的気温が低く、しかも紫外線が弱い。そこで徒歩で行動できる範囲内になる最近気づいたことと、報道で初めて知った場所を訪れてみました。
 今回は、いわばロケハン
(“location scouting”)

 雨が降っていたことと、それに伴い今日はコンパクトデジカメしか持たなかったため、こちらについては後日。

 写真はその途中で気づいた柿の実。もちろん柿の木は以前から認識していたのです。去年も立派な実をつけたし。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
 講義がない日はほぼ必ず歩いているルートですが白状すると今季、柿の実に気づいたのは初めて。

 このところあまりに暑すぎたため、注意力が低下していたようです。それはともかく、まだ色づいていないものの、立派な実が。しかもいくつも。
 の上の「秋」だけでなく、中身を伴った秋が近づいているんですねぇ。

 稲もここ数日の降雨を受けてすっかり元気に。これまでの高温障害による品質低下についてはわかりかねますが、少なくとも平場(ひらば)の当地の稲は、割と順調に成育中。
 帰宅後、ちょっとビックリしたことが。

 手洗い時の水道水の温度がかなり低下しているのです。地温および水温は気温の変化を受けにくいのですが、水道水は地下の割と浅い部分に配管があるため、どうしても気温の影響を受けがち。
 入浴時にも水温の低下を感じました。

 気温は低いし、体力もある程度回復したため、帰宅後は少し休んでから「お仕事モード」。完全に復調しているわけではないので、今日は小手調べという感じでしたが、それでも今日の「コップの水」は割と多め。
 今日ほどではないにせよ明日、明後日は雨がちなので、気温は割と低め。

 13日(水)はお盆の行事がドカンと入ってくるので、それまでに最低限の仕事をして目星をつけたいと考えています。

 ある意味、実に情けない告白なのですが...。

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