2025年8月2日更新(2025年8月10日ページ移動)
■8月2日(土) コップに残された水は、多い? / 少ない? ──講義を終えたら血圧は、いきなり102mmHg!!
1ヶ月半前に続く血圧のお話。
というより、4月中旬から3ヶ月半続いた年度前半の講義の、別な観点からの総括という面が。なお採点や成績評価は未完ですが今後、講義の話題は予定しておりません。1枚目ののグラフは過去7年間の血圧変化。
要領はこれまでと同一です。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×920))左側2/3くらいが現職時代で、その右側は退職後。
まず、(右端を除き)全体的には右肩下がり。なおここで白状しますが、最初は(平均ではなく)個別データの最低を記録していました。データの信頼性にかかわる問題ですが、高血圧症の方の間では良くあること。
「そんなの、当たり前だよ」と返されるのがオチ。
だから実際にはグラフ以上に酷かったのです。されど程なく事態の深刻さを自覚し、まず摂取塩分量を控えるように。「キンエン生活」の始まりです。
例外(こちらやこちら)を除き、麺類はもうほとんど口にしていません。好きだったラーメンも、ここ7、8年食べていないはず(ただしこれも例外あり。なお「つかそば」は最近まったく訪れていない)。自分でも意外だったのですが、「ラーメン食べたい!!」と思わなくなっています。
少なくともセンセイの場合、「キンエン」効果は非常に大きい。塩分に対する感覚も鋭くなりました。続いて取り組んだのが「運動」。といっても、可能な場合は自動車の利用を控え、徒歩で移動するだけ。現在、旧市街地の移動はすべて徒歩です。
効果は...というと、血圧に関しては微妙ですが、メンタル面には確実に貢献しています。一番難しかったのが、ストレスの軽減。多くの方に同感していただけるものと期待していますが、正直なところ現役の社会人には難しい。
所属組織にもよりますが、宮仕えはストレスの連続。
退職でストレスが減少し血圧が低下したことはグラフから明らか。ただしセンセイの場合、退職後も金沢工大(年度前半)および前任校で講義が。
講義を担当することそのものにほとんど問題はないのです。でもやはり、大切な学生諸君を相手にした仕事。気を遣います。また講義に関連して、両大学とも遠方にあることに起因する移動手段の問題も。
退職直後の金沢工大は電車での移動だったため、影響は少なかったのです。でもいろいろ考えた末、2、3年目は自動車での移動を主に。また前任校での集中講義はもう限界だったので、今年度から通常の講義に変更していただきました。
これらが血圧に与えた影響は大きい。グラフ右端付近の二つの山に相当します。一瞥(いちべつ)しただけだと、特に今年度は現役時代と同程度か、あるいはそれより悪化しているように感じられます。
でも前回お伝えしたように、良く見ると印象と実態はかなり異なります。2枚目のグラフは前回同様、4月以降の血圧変化に注目したグラフ(拡大写真(別ウィンドウ、1187×856))。見事なまでに規則的に変化しています。4月前半を除き、ピークは16回。前任校の講義回数と一致しています。
ただし4月下旬から5月上旬にかけては少し乱れが。これは金沢工大で講義がなかった──講義回数は14回──ことと、実家でかなり大きなイベントを開催したことによるもの。それを差し引くと、金沢工大大学院での講義のハイライトシーンにおける難しさなどと見事に対応しています。
でも、今から考えると、この時はすでに体調不調に陥りかけていたのかも。そう考えると客観的な血圧の変化と、本人が自覚する体調はかなり深くリンクしていることがわかります。もちろん、稀に意味不明のエラーが起きることはありますが、これは例外。(2枚のグラフには影響していない)
注目していただきたいのは、2枚目のグラフ右端。昨日は金曜日なので実家で親の面倒を看ていました。ご存じのようにセンセイのファザコン/マザコン度はかなり低いので、実はストレス。その影響か、日中の「平均」血圧──「収縮期血圧」の3回移動平均の最低──は122mmHg。
正常値はクリアしてしますが、さりとて、特に低いというわけでもない。で、今朝の「平均」は119mmHg。まぁ、こんなもんかなぁ...という感じだったのですが炎天下に外出してから日中の血圧を測定すると、どんどん低下して「平均」は102mmHgを記録。今回、個別最低は100mmHg。
その前後が低かったため、好成績を記録したという面が。だから、どこかの国の大統領のように、数値だけを恣意(しい)的に切り取って非合理的なアピールをするつもりはないのです。他方、冷静に考えると年度前半のこの血圧変化についての解釈は微妙。
まず受け入れるを得ない事実として、老化は着実に進行しており身体能力も低下傾向。でも、いきなりドクターストップを宣告されているわけではなく、それなりの適応力が残っているらしいこともまた、事実。
無理は禁物だけど、状況をきちんとモニタしながら、かつ、セーブしながらの仕事は、まぁ、許されそう(個人的な願望を含んでいることは否めませんが)。このような状況下で、よく使われる喩(たと)えが、「コップの水」。
若い時のように満杯でないことは認めざるを得ない。ただしそれを、「まだ残されている」と好意的に解釈するか、「もう、こんなに減って...」と心配するか。
昨日、古い友人からメールが届き、「後期高齢者に入ったため...」。メールの中で紹介されていた大学時代の同級生は校長退職後、市の教育長に。彼が校長だったことは知っていました。でも教育長就任の件は初耳。
ところが何と、病気のため昨年辞任したとのこと。「コップの水」が、センセイにとっていかに切実な問題か、若い方に少しでもお感じいただけたでしょうか...。
でも、ま、ここはベストを尽くすしかありません。
■8月1日(金) おそらく、もう見ることはできない... ──「ニュートンのりんご」は着実に成熟中──
昨日、お伝えすべきか最後まで迷ったお話。
金沢工大および前任校における今年度前半の講義が終了したということは、大学へ行く理由がなくなったということ。学生諸君はもちろん、大学関係者そして「ニュートンのりんごの木」に会うことができない。
1枚目の写真は講義最終日に撮影した金沢工大の「りんごの木」。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
「正面」にあたる校舎(奥)から見るとわかりませんが裏(南側)に回ると、幹や枝の生長に片寄りがあることに気づきます。全体として北側(写真右奥)へ伸びています。
この片寄り、実は脇に植えていただいた地元のりんごの木(こちらの写真の左側の木)も概ね同様。つまり2本の木に共通する理由があると強く推測されます。前回の写真をご覧いただくとわかりますが、「りんごの木」の南側(写真左奥)には、すでに生長した高い木々が。
光合成に必要な太陽光線を得るために、高い木々を避けて日が当たる北側に枝を伸ばしたのでは...と推測されます。今年度の金沢工大の講義は完全に終了したので当分の間、少なくとも今年度は、この木にお目にかかることはないはず。別に入構を禁じられているわけではないのです。
ただし新潟の自宅からだと240km。散歩で訪れる距離ではありません。何度目かの、「親はいなくなっても...」。ただしセンセイのふだんの行動範囲内には、たとえば前任校の「りんごの木」も。2002年の金沢工大移籍後は原則として夏休みに集中講義を実施。(昨年度のみ冬季も実施)
だからほぼ毎年、「ニュートンのりんごの木」の様子をちゃんと見ています。
でも見方を変えると、センセイが見ることができたのは集中講義の期間だけ。何を言いたいのかというと、実ったりんごが成熟するのはこれから。
金沢工大にせよ前任校にせよ、センセイは長いこと成熟したりんごを見ていないのです。右の写真は昨日撮影した前任校の「りんごの木」...というより、「りんご」。1個だけですが、ご覧のように赤くなり始めていました。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
8月に入ったので、りんごは順々に成熟モードへ。最後はホントに赤く熟します(一昨年の母校のりんごの例)。本当はそこまで見守っていたいのですが、「後期」の講義が始まりセンセイが出勤するのは9月下旬。
その時には、実はすべて落果しています。実はそれ以前の方が大変。鳥類はりんごの生長具合をホントに良く観察しており、赤く熟して「おいしくなった」と判断すると、集中的にりんごを啄(ついば)みます。
残念ながら、これも自然の掟(おきて)。すでに一部ご紹介しましたが、センセイの通常の行動範囲内には母校柏崎高等学校の「ニュートンのりんごの木」も。退職後、こちらについては割と定期的にチェック。だから、「金沢工大および前任校はともかく...」といきたいところ。
ところが母校の「りんごの木」は病気の影響でしょうか、今年はすべての実が落果。つまり少なくとも今年度、センセイが関係したこれらの「ニュートンのりんご」の、今後の様子を見る機会はないということを意味しています。でも、ま、「これも人生」(“C'est la vie”「セ・ラ・ヴィ」)。仕方ない。
そもそもこれらの木は、センセイの掌(たなごころ)から離れて自立しているんだし。お願いだから、それぞれの智慧(ちえ)で何とか生き延びてね。
■7月31日(木) 頑張ったご褒美は、地元産「あまだい」のお刺身 ──前学期の講義が終了しました──
今日で7月も終わり。
業界関係者にとっては学期末の日(ただし前任校は明日8月1日まで)。成績その他に区切りをつける節目の日です。木曜日ですから前任校へ...といっても、今日は期末試験を実施するだけ。しかも試験問題は作成、印刷済。
だから客観的には、通常より30分以上遅く出発してもまったく問題ないと予想されるのです。しかもその方が、出発地柏崎市および通過する新潟市での渋滞を回避しやすくなるはず。昨日まではそのつもりでいたのですが、一度リズムができてしまうと身体の方は意志と関係なく動いてしまう部分が。
結局、いつも通りに行動。往路はほぼ全区間、信じられないほど順調。たとえば実家近くから県中央部までの約30kmを、完全ノンストップで走行(!!)しました。いくら田舎とはいえ天下の国道116号線。信号機はそれなりに存在するにもかかわらず。
新潟市の「新新バイパス」も、混雑は一部区間だけ。
渋滞を警戒して、柏崎市内で2.5kmほど長く燃費も低下する迂回路を利用したにもかかわらず、結局、110km弱を2時間2分で走破。(信号無視や暴走は絶対にしていない。信号無視の車は目撃したけれど)
すべて一般道であるにもかかわらず、トータルでの燃費は22.2km/L(!!)。信じられます?試験開始時刻の1時間半も前に到着。事務手続きに続いて教室の冷房を入れます。当地は今日も酷暑だったのです。その後は学内を散策。
所定の時刻が迫ってくると受講生が集まってきて、期末試験開始。ポイントその他は先週伝えてあるので、何の問題もなく試験は終了。通常と異なり、片付けも簡単です。忘れ物がないかチェックし、冷房を切って撤収へ。
正午過ぎで「新新バイパス」を走行する車も少ない...のですが、必ずしも流れは順調ではありません。80km/hないしは70km/h制限の自動車専用道路であるにもかかわらず時々、ブレーキを踏まざるを得ない場面が。これは「新潟西バイパス」を降りてからも同様。
順調だった往路と対照的に、3速で走行する場面すら何回か。結局、帰路の燃費は19.3km/L(通常は20.0km/L越え)に留まり、平均速度も低下。ま、仕方ない。当初、帰宅後に晩酌のツマミを求めて徒歩で外出するつもりだったのです。でもお伝えしたように当地は酷暑。
車外気温計は何度か37.0℃を表示していました。そこで外出は断念し、柏崎市街地に入る手前のスーパー(いつも利用している会社の別店舗)で、地元柏崎産の「あまだい刺身(焼き霜降り)」を購入しました。いつものお店の刺身の品揃えが急に悪くなったことも考慮して、です。
今は「ぼっち宴会」に入ったところ。4月中旬から3ヶ月半担当した2大学での今年度の講義。移動の問題を措けば「自分の講義だから...」と、割と安易に考えていたのです。でも改めて振り返ると、かなりの負担。やはり加齢が着実に進んでいるということなのでしょう。
認めざるを得ない事実ですが、それでも今日で一区切り。(前任校の講義は後期も継続)地元産のコリコリした美味しさが、心に染み入ります。
ちなみに今週、講義のあった一昨日と移動日の昨日の血圧は、残念ながらわずかに正常値をクリアできず。でも今日は変動はあったものの「平均」(「収縮期血圧」の3回移動平均の最低)は正常値の範囲内に留まりました。
どうやら身体の適応能力は、ある程度残っているらしい。高齢者に残された数少ない、明るい材料です。
■7月30日(水) これが最後かもしれないので... ──1年ぶりに中山峠を抜けて帰宅しました──
無事に新潟の自宅へ戻りました。
お伝えしたように、金沢工大大学院の講義を来年度以降も担当するかどうかはわかりません。判断するのは金沢工大側なので。ただし仮に依頼があったとしても、センセイの体力や実家の面倒を看る関係で、引き受けられないかも。
つまり今回が最後になる可能性はそれなりに高い。決しておセンチになったわけではないのですが、この機会に「今までしてこなかったこと」を意識して実行に移しました。その一つが「ホテルに正面から入る」こと。正直なところ、何を言っているのかわからない方が多いはず。
退職後の3年間、センセイがお世話になったのが写真の「ホテル金沢 兼六荘」。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))金沢工大や前任校など私立学校の「日本私立学校振興・共済事業団」が運営する「宿泊所」という位置づけ。かなり年季が入った建物ですが、センセイには選択の余地なし。それにセンセイの場合、基本的には寝るだけだし。
なおホテルの名誉のために、朝食がかなり美味しいことと従業員の皆様の接客が良好であることを申し添えさせていただきます。
で、なぜ正面かというと、センセイはいつも裏口から出入りしているから。写真は尾崎神社を背にし、東側から撮影しています。ホテルの奥には駐車場。
バス停や「近江(おみ)町市場」は、そのさらに奥。ホテルの駐車場側には通用口があり、慣れてくるとそちらから出入りする方が楽なのです。去年は正面玄関を一度も通っていないんじゃないだろうか。
さすがにこれはマズい...と、ちょっと遠回りして正面へ。周辺を含めて雰囲気が変わっているような...。そこでGoogleマップで調べてみると、出入り口は数年前にリニューアル。右側にあった病院はマンションに替わっていました。
ホテル1階のレストランから外を見た時に、マンションには気づいていたのです。そして今日、もう一つ挑戦したのが内山峠を抜けて富山県に入ること。言い換えると金沢市北部から国道359号線で小矢部市に入るルートです。
現役時代に使っていたこの359号線は、昨年の能登半島地震で深刻な被害を受けました。(報道例)それでも約半年後に仮復旧して通行可能になり、センセイも1回走行しています。正直に言うと、「何とか通行可能にした」というのがその時の印象。だからその後は内山峠を一度も走行していないはず。
区切りの時に、マズい。(再び)走り慣れた国道359号線。カーブもアクセルとギヤの具合は身体が覚えています(ブレーキは踏まないので覚えない)。何と石川県側は完全復旧。普通なら、被害が大きかった理由には道路の工法も関係している...と考えるはず。
でも金沢市今泉町の崩落現場(こちらの1枚目の写真)は、本当に「元に戻した」だけ。今回は、富山県側の方が被害は深刻。峠を越えたばかりのところに沢を埋めた盛り土が大規模に流出した場所(2枚目の写真)があります。地元の方によると、以前も水害で同様の流出が発生したことがあるんだそうです。
だから「ここは沢を橋で越えるんじゃ...」と予想していたのです。実際、他の場所ではそのような事例があります。ところがここも、「元に戻す」らしい。大規模崩落だったのでこちらの工事はまだ継続しており、当該区間は信号機による片側交互通行でした。
その先には新たな工事現場も。去年は何事もなく通過できた場所に仮設迂回路を設置。道路を深く掘り下げて工事をしていました。仮復旧後に深刻な問題が見つかったのでしょう。その先にも片側対面通行が2箇所...と思ったら、標高の低い場所は完全復旧。
走り慣れた359線に戻ります。砺波市内で去年、今年と利用してきた南側ルートと合流。
今回の国道359号線利用にはもう一つ理由が。それは燃費の変化。金沢から富山県南砺市に抜けるルートだと、燃費が数%低下するような...。結果はというと、359号線経由では燃費は僅かに改善。
ただし富山県内での混雑状況や信号停止などの状態に大きく左右されるので、今回は誤差の範囲内。ミシュランの“PILOT SPORT 4”は走行性能はもちろん燃費を含めて、ホントに良いタイヤだったのです。でも長岡のディーラーの薦めで購入した同社後継品“PS5”はちょっとイマイチ。グリップ力や騒音などに問題はなく、非常に高性能。
ただし燃費は“PS4”比で4%くらい低下。ルートよりもタイヤの影響の方がずっと大きいかも。でも金沢とのご縁が切れるたら長距離走行の機会は激減するので、それすら考慮する必要がなくなるかもしれません。
...って、それなら、高い整備費用──お世話になっているお店はディーラーより格段にリーズナブル──を払ってBMWを維持する必要はあるのかぁ?
■7月29日(火) ケンタッキー・フライド・チキン金沢工大前店が来月閉店予定とのこと。移転先は...
予定を変更して、タイトルのお話を。
お伝えしていたように今日は金沢へ移動し、今年度最終回の大学院講義を実施しました(もちろんこれは予定通り)。現在は金沢市中心部のホテルへ移動して、入浴後「ぼっち宴会」に突入したところ。
例によって反省点は複数あったものの、講義は概ね無事終了。白状すると、今日の講義は受講生に支えられたという面が大きい。そもそも大学院生および大学院進学予定の学部4年生ですから全体として優秀なのです。でも中には、抜きんでた学生が確かに存在。
今日は、そのような方々を中心にプレゼンテーションしていただきました。
もちろん学生の発表ですから、見落として抜けている点や混乱、誤解は多い。でも彼ら彼女らは初学者。ここは次のステージにステップアップするために通り抜けるべき、試練の場です。
問題点を指摘しつつ、(幼いながらも)秀でている点をきちんと評価します。今回は優秀な学生が直接の相手だったからか、何と、後半になるとセンセイの知的体力が尽きてしまいました(残念ながら実話)。最後に、まとめのお話をして講義終了。
本来ならば今日は、もう見ることがないかもしれない「ニュートンのりんごの木」の写真を載せるべきところ。実際、写真はひとまず撮影済。というか撮影していたら、枝の一部とそこに実ったりんごが病気に罹っているらしいことに気づきました。
「親」であるセンセイはいなくなりますが、何とか生き延びてね。「りんごの木」を心配しつつも、人間の方はホテルへ移動する必要があります。大学のロッカーおよび駐車場に止めた車で、荷物の中身をホテル宿泊モードに切り替えます。
続いて向かうのは当然、「業務スーパー」。...あれっ?!
金沢工大近くの、割と大きな交差点を渡ると写真の「ケンタッキー・フライド・チキン 金沢工大前店」が。センセイが金沢工大に移籍した時は別な場所にあったと思う。
それはともかく、ここに移転してからは割と順調に営業(という印象)。暑すぎることもあり、早く日陰に入ろうと急いで通り過ぎようとしていた時、窓の張り紙に目が止まりました。だって「9月中旬に閉店予定」と書かれていたので。
そのすぐ下には、「9月下旬に移転オープン」と朱書。よく見ると、左の張り紙に移転先その他の情報が記されています。地図を見た時、ご紹介していなかった情報と結びつきました。その現場が右の写真。
センセイがお世話になったスーパーのすぐ近くです。ここには「アメリカンスクエアマツヤ 502」というジーンズ&カジュアル専門店があったのです。背の高い建物で、大きな庇の上にはコンクリート製の馬のモニュメントが。
残念ながらセンセイが入ったことはありませんが。先月中旬、講義の翌朝にホテルから金沢工大へバスで移動した際、意図して手前のバス停で下車。金沢滞在時もある程度運動量を確保するためです。その途中、この場所に出くわしたのですが...ない。
「馬」を含めてすべてが解体、撤去されて、更地になっています。1枚目の写真に戻ると、簡略化された地図情報による限り、移転先はここなんじゃないだろうか(この土地のすべてを使うかどうかは不明)。ちなみに移転に伴い、店名を「金沢工大前店」から所在地名を入れた「金沢久安店」に変更するとのこと。
現在のお店は交差点に面しており、便利な場所。ただし自動車で訪れる際は敷地が狭いという難点が。その点、移転先はかなり広い。お店の経営は割と順調なんだろうなぁ...。
それはそれで言祝(ことほ)ぐべきこと。でも視点を変えると、もう一つのことに気づきます。少し長い目で考えると金沢工大近辺から飲食店が撤退する傾向が見られるのです。理由は簡単、学生がお金を落とさないから。
学生の側からしたら、「お金が、ない」。これは明後日、期末試験を実施する前任校でも認められる現象。金沢工大も前任校も、学生諸君はホントに節約ながら学んでいます。センセイの学生時代は社会全体が貧乏だったので、学生の節約は当然のこと。
その意味では安定していた面が。その後、1980年代の「バブル経済」期(現役の学生諸君はまだ生まれていない)に入ると一転、「お金が全て」の時代に。個人的にはこの時期、羽振りが良かった経営者──その直後に経営破綻──と直接話しています。(当時のセンセイは2回目の学部生)
良くも悪くも、多くのことを学びました。あれから50年近くが経過。今は、何を基準にしていいのかわからないほどの混乱状態ですが、この状況の中でも学生諸君はやはり、しっかりと学ぼうとしています。若さ故の空振りも多いのですが、それは当然のこと。
やはり我々古い世代は若い世代を信じ、その良い面をちゃんと評価してあげるべきだろうと思う。今日の講義で、改めて再確認させられた感じたホンネです。
...って、「ケンタッキー・フライド・チキン金沢工大店」の移転と、あんまり関係ないか。(トホホ)
■7月28日(月) 半世紀の時を経て、元の鞘に... ──廃業した精密部品メーカーは事実上、吸収合併──
予定を変更してお伝えします。
明日は金沢工大大学院でび最後の講義。今回は課題を課しており、一部の受講生にそれを発表していただきます。提出期限は昨晩深夜0時。つまり今日中にすべての提出物に目を通して評価し、発表予定分を選択する必要が。
それ以外にもいろいろ準備すべき事項があります。
何度もお伝えしているように当地も連日猛暑が続き、特に、しっかりと眠ることができずに困っています。他方、何より学ぼうという気持ちを持つ学生諸君を相手にした仕事。
朝からエアコンを稼働させ、提出された課題を読みます。頑張った甲斐あってか、お昼前には一区切りつけることができました(疲れ果てて、効率が低下したという面もある)。そこでいつもよりかなり遅いものの、お昼を兼ねて徒歩へ外へ。
今日は、ルートをちょっとだけ変更します。先日ご紹介した部品精密加工メーカーがどうなったのか、この目で確かめようと考えたのです。バス営業所の裏の道に出て少し歩くと、徐々に工場が見えてきます。
でも、何も変わっていないような...。まず、建物はそのまま。工事用の仮設資材が組まれているわけではありません。工場前の駐車場には関係者と思われる車も...あれっ?!
さらに接近すると、看板が真新しいものに替わっていることに気づきました。そこに書かれていたのは、おぉ、「三星(みつぼし)工業株式会社 柏崎工場」。全回の記事をお読みいただくとわかりますが、廃業した会社は同社から分離、独立しています。つまり何のことはなく、元の鞘に戻るということ。
「(同社の)『柏崎工場』に戻せばいいのに...」が、見事に実現したという次第。白状するとセンセイもその可能性は十分認識していたのです。でもきっかけとなった報道が「全社員は・・・転籍し・・・」と、従業員についてのみ触れていたため、建物や施設設備については引き取らないのかと考えました。
なお現時点で「三星工業株式会社」のホームページには、本件に関する記述はないようです。いわば「結果オーライ」というわけですが良く考えると、会社内部では大変なんだろうなぁーと思うことも。いくら(実質的な)系列企業だとしても、独立してからほぼ半世紀が過ぎています。当然、企業文化はかなり違っているはず。
さらに面倒なのが、従業員の給与体系や福利厚生など。これらは組織によって大きく異なります。でも、まぁ、これらは個人の移籍や、組織の吸収合併では避けられないこと。いろいろ大変でしょうが関係者、特に転籍した従業員の方々には、この局面を乗り越えて頑張っていただきたい。
3社(3大学)移籍したセンセイのホンネです。同時に会社全体も、ぜひ順調に発展していただきたいと願っています。
■7月27日(日) Windows 10の「拡張セキュリティ更新プログラム」に、一部マシンを登録しました
怒濤の「ぎおん柏崎まつり」も無事終了。
昨晩、帰宅後に市内に設置されたライブカメラや、Googleマップの道路混雑状況を見ていたのですが、花火大会終了後の旧市街地は全国各地へ戻る車で酷い渋滞。解消までに2時間程度を要しました。
実は隣家にも、関東に住む甥とその友人がお越しに。渋滞は予想されていたので事前に了解を得た上で、拙宅進入路内に駐車。花火会場まで徒歩で往復し、終了後は近くにある国道へ割と容易に出たはず。これなら旧市街地に車で立ち入らずに済むのです。
一夜明けた当地は、昨日までと一変。引き続きキャンピングカーを含めた県外ナンバーの車が目立ちますが、あの、異常なまでの高揚感は見事に消え失せています。もちろん日曜日だし子供たちは夏休み入りしています。スーパーは子供連れの家族で混雑。
この何とも言えない宙ぶらりんな状態が、お盆まで続くんだろうなぁ...。
それはともかく今日は地域ネタを離れて、久しぶりにコンピュータの話題を。昨日、Windows 10(実機)を更新していると、いつもと違う表示が。(右の写真)
「拡張セキュリティ更新プログラム」への登録を呼びかけるものです。同プログラム(“Extended Security Update: ESU”)は、以前からMicrosoft社が公表(個人向け)していたもの。ご存じのようにWindows 10は今年10月にサポートを打ち切られます。
MicrosoftおよびPCメーカーはWindows 11への移行を促しています。されど現在もなお、Windows 10のシェアは50%前後(!!)を維持しており、Windows 11への移行はメーカー側の期待通りには進んでいません。
さらに個人ユーザーはともかく、法人組織などでは稼働台数が多すぎて更新が間に合わないことも。
そこでMicrosoftは個人、組織ともに一定の「条件」を満たせば最低限のサポートを1年間延長することに。それがいよいよ開始されたのです。(記事例:こちらやこちら)
「条件」は、ソフトその他の物理的条件とWindows 10の利用状況。前者については省略。後者は「Windows バックアップ」で設定をクラウドに同期させるか、“Microsoft Rewards”1,000ポイントと引き換え(他)というもの。後者はセンセイと無関係。
前者も覚えはありません。でも念のため「今すぐ登録」をクリックしてみると、おぉ、右の写真に。それによると、クラウドに設定をバックアップ──「文書等のバックアップ」ではない──しているため、利用可能とのこと。
確かに、「設定」→「アカウント」→「Windowsバックアップ」と進むと、大項目2番目の「自分の設定を保存する」が「オン」になっていました。
いろいろ考えたのですが、これを奇貨(きか)として該当するマシンを登録することにしました。センセイは現在、Windows 10マシンを主に4台(実機2台、仮想マシン2台)使用中。
その中の仮想マシン2台と、実機1台を登録しました。(実機1台はまだ、登録画面が表示されない)ESUへの登録が完了すると「設定」画面(右の写真)に戻ります。一見すると何も変わっていないように見えますが、右上に登録済である旨が表示されています。
これでもう1年、(ある程度)胸を張って堂々と使用可能。やれやれ。ただし本件、手放しで...というわけにはいきません。まず基本的に、サポートが1年延びただけというのが実態。さらに、その内容にも注意が必要。
Microsoftが提供するのはこれまでのようなきめ細かいサポートではなく、本当に最低限の内容。Windows 7のサポート終了後、Windows OS全体にかなり深刻なバグが発見され、緊急対策としてOSの修正ファイルが配信されたことが。今回も同じ程度に留まることが強く予想されます。
しかも、さらに困ったことが。今秋、Windows OS上で稼働するOfiice 2016および2019のサポートが打ち切られますが、こちらのサポート延長はアナウンスされていません。そりゃそうでしょう、金蔓(かねづる)を手放すわけにはいきませんから。
この問題、本質的にはWindows OSおよびアプリケーションと今後、どう付き合うのかということ。10年前あるいはそれ以前なら、「仕事」をするためにはMicrosoftが提供するOSとアプリケーションがほぼ必須。でも現在、仕事をするのならOSおよび端末をあまり問わないWebベースのやり取りが主流に。
もはやティーンエイジの大半は、スマートフォンで用事を完結させます。仕事だって、少なくともお客さんを相手にするような現場でされているのはタブレット。もちろん帰社すればPCを使うでしょう。でも言い換えればその程度。センセイのような高齢者はどうかというと、個人的にはまだコンピュータ。
使用しているのはすべて10年くらい前の機器ですが、それで何の支障もありません。少し本題から外れる部分がありますが、中規模の病院などでは、システムのOSがまだWindows 7だということを目撃することがあります(おそらくシステム更新費用の問題)。また、この目で確かめたわけではありませんが、NC(“Numerical Control”:数値制御)加工機のOSがWindows XPという話は良く耳にします。
何てたって、製造業の現場ではNECのPC-98すら現役(!!)なのですから...。センセイ個人に戻ると大学の講義を担当できるのはたぶん、あと2年半。しかも客観的には「軽い」作業だけ。そもそもメインマシンであるMacintosh G4 Cube(Mac OS 9.2.2)上(およびWindows 10上の仮想旧Mac OS)上のExcelはバージョンは'98。
今から27年前(!!)のバージョンです。しかもWindows 10上で最も使用しているのは最低限のアップデート(SP3)を施したOffice 2000。今現在もバリバリの現役で、不都合はありません。
それを考えると少なくともセンセイの場合、どんどん地位や役割が低下しているWindowsマシンおよびOSを無理やり更新する日は来ないんじゃないかなぁ...と考えてしまうのです。もちろんハードウェア、つまりMac mini他も更新しない。
もちろん想定外の状況では別ですが。センセイは年金生活者だし、そもそもその頃にはセンセイが物理的に存在し続けるかどうかとの競争になるかもしれないし...。