2025年7月19日更新(2025年7月27日ページ移動)

──2025年7月第7週のニュース──

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7月19日(土) それにしても、なぜ日曜日に? ──後継者不在で市内の精密部品メーカーが廃業へ──

 今朝、Web版の地域紙『柏崎日報』に目を通していると、あれっ?

 市内の部品精密加工メーカー(会社のサイトは閉鎖済)が、明日20日に廃業するというのです。資金繰り他の問題か...と思ったら、後継者不足で事業継続を断念したとのこと。最近、良く耳にする問題です。
 この段階では「ふ〜ん、市内でも...」程度だったのです。

 でも会社名に見覚えが。しかも所在地は隣の町名...あ"っ。

 拙宅のある場所はもともと湿地帯で、田圃として利用されていました。それを区画整理した上で現在は宅地として利用。つまり道路は碁盤の目状。いつも利用する道路の1本隣に面して、2棟からなる写真の工場が。
 近くですから、それなりに通ります。

 地元のメーカーの中には工場にエアコンがなく、夏季は窓を開けて操業しているケースもあるのです。でもここは、常に窓を閉めています。
 冷暖房完備を意味しますが、部品の精度を保持する目的もあるはず。

 工場前の看板(写真やや左)には、ここで製造された部品が航空機や自動車、医療そして化粧品業界その他で広く使用されていることをアピールしています。
 大量生産というより、試作品など比較的少ないロットの製造を得意としているらしい。

 窓を閉めているので従業員の姿は見えないのですが、車の出入りの様子から「渋い仕事をきちんとされているんだろうなぁ...」と考えていました。
 実際、その通りだったらしい。

 廃業となると当然、従業員の雇用、土地や建物、そして高価な備品(製造機器)などの取り扱いが問題になります。記事によると、全従業員は隣の上越市(旧柿崎町)のメーカーに転籍し、雇用は実質的に継続されるとのこと。
 やれやれ。

 相手先である「三星(みつぼし)工業」のサイトを拝見すると、事業内容がよく似ています。もっともこちらは試作というより量産がメインのようですが。不思議に感じたので「会社沿革」を見ると、操業は1946 (昭和21) 年。
 1970
(昭和45) 年には「柏崎工場を新築し...」って、まさに今回の現場付近。

 その柏崎工場は1974 (昭和49) 年、「三星精工株式会社」として分離独立しています。分社後についての言及はありません。どうやら「三星精工(株)」は後に、経営者の名字に由来する社名に変更し...と、強く予想されるのです。
 町内に工場はここしかないし...。

 ただし根拠は弱い。いろいろ考えたのですが、ふと思いついて以前ご紹介した「空中写真タイムトラベル」で当時の状況を確認してみました。すると「柏崎工場」は、まさにこの場所。予想通りです。
 当時。この近辺は一面田圃。

 センセイが高校に進学する直前で、記憶と良く一致しています。

 (関係者に申し訳ないほど)簡略化すると、戦後間もなく新進気鋭のメーカーが隣の町(旧柿崎町)に設立。量産と開発、試作はかなり異なるので、後者専用の部門と工場を当地に新設。何らかの理由で別会社としたものの、一貫して深い関係を継続。
 経営者の意気込みを示すためでしょう、社長の名字を取った会社名に変更。

 されど報道にあるように、後継者の問題から(2代目?)経営者は廃業を決断。少なくとも従業員については元の会社に引き取っていただいたという次第。熟練工が多いでしょうし研究開発、試作部門は絶対に必要。
 ある意味、“Win-Win”な関係。

 でもそれだったら土地や建物、設備、そして企業にとって貴重な技術を含めて「柏崎工場」に戻せばいいのに...。従業員は今まで通り通勤できるし。ま、これについては特に資金面を中心として、オトナの事情があるはず。
 同時に、この件に関して今後、報道されることはないと予想されます。

 気づいてしまったので個人的には注意を継続しますが本件、続きがあるかどうかは不明です。悪しからず。

 それにしても、なぜ日曜日に廃業するのでしょう...。



7月18日(金) こんなに遠くまで見えるんだ... ──北陸・関東甲信・東北南部が梅雨明けしました──

 今日は金曜日。

 つまりセンセイにとっては実家での家族サービスの日。ただし今日はちょっと変則的で、まずセンセイ自身が同級生のかかりつけ医へ。先週発症した痛風の再診です。お伝えしたように強い薬を処方していただきました。
 副作用に悩まされましたが、おかげで炎症も痛みもほぼ解消。 

 今日は事実上、先週採取した血液の検査結果を教えていただくために訪れるようなもの。で、その結果はというと痛風の原因となった尿酸値は高めだった──ただしピークを過ぎたところで発症したはず──ことを除けば、肝臓の値を含めて問題なし。
 糖尿病と関係する血糖値については「優等生」とのこと。

 無罪放免の宣告を受けた後、ひとまず自宅へ戻り、今度は自動車で両親のかかりつけ医院へ。両親は今日、コミュニティバスを使って自分たちだけで病院を訪れているのです。そろそろ薬を受け取っている頃...。
 予想通り、二人は薬局内でセンセイの到着を待っていました。

 両親を乗せてスーパーへ向かい、1週間分の食料を確保。実家に到着すると意外にも、室内は割と涼しい。車外気温計は32.0℃〜34.0℃を表示していたのですが、実家のアルコール式温度計によると、室温は28.0℃。
 う〜ん、ちょっと微妙...。

 実は今日、実家初(!!)のエアコン導入を提案しようと考えていたのです。二人は加齢が進行しているため、温度変化を感じにくくなっています。(特に父親)
 真夏でも「暑くない」
──彼は本当にそう感じている──と言い張って網戸すら使わず、閉め切った高温の部屋で就寝。

 だからこちらは毎年、この時季は冗談抜きでヒヤヒヤの毎日。実家の涼しさ──ただしセンセイが寝る2階は暑い──は認めつつもエアコン購入を提案すると当然、「いらない」。
 「でもお盆に子供や孫が来た時...」と返すと心が揺れて、最後はあっさりとエアコン導入に合意しました。

 この勝負、センセイの作戦勝ち。先週頼まれた一部テレビ放送受信不具合の件を含めて、学区内の電器店にお願いすることにします。実はこのお店、同級生の実家。
 ご主人
(同級生の兄)に説明します。(この件はたぶん、後日)

 今日は市の出先機関にも用があったため、ふだん使わない海岸沿いの道路へ。東京電力柏崎刈羽原子力発電所(写真左端)の手前(北)まで来た時、あ"っ...。本当に息を飲みました。
 初めて見る光景が広がっていたのです。
拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))

 天気は良い。ただし先日と違って雲がかかっています。センセイが驚いたのは天気や雲ではなく奥の山々。正面奥に見えるのは、おぉ、妙高山。もちろん上越市など上越地域なら、ちょっと斜めになるものの妙高山が見えるのです。
 でも地元柏崎から見えるなんて、知らなかった...。

 それも真正面です。それだけではありません。実に遠くまで良く見えています。縮小写真ではわかりませんが、右奥にはここから約55km離れた上越市西部の「鳥ヶ首岬」こちらこちらを確認できます。
 さらにその先
(=右側)には何と、約100km離れた新潟─富山県境付近が。

 正確に言うと地球は球形なので、見えている先端が平面地図通りとは限りません(海岸付近などは高度が低く、見えない)。実際には、その奥の富山県朝日町宮崎付近、それもある程度標高のある場所を見ているんだろうと推測されます。
 ということは、先端部から左側
(=南側)の霞んだ山々は北アルプス!!

 今日は「」望遠レンズしか持っていなかったため、撮影はこれが限界。いろいろな地名が登場したので、ご参考までに触れていないものを含めた地名入りの写真(別ウィンドウ、1280×960)をご紹介しておきます。
 日本地図と照らし合わせながらご覧いただければ倖いです。

 ちなみに、「大湊」集落(写真左)前の海岸では、2人の方が魚釣りをしていらっしゃいます。

 市役所分室での用を済ませ、来週分のガソリンを補給してご帰宅。ただし午後2時前だというのに、センセイはまだお昼を頂いていません。改めて徒歩で外出し、別な用を済ませつつ再度のご帰宅。
 血圧を測定すると「平均」120mmHg。

 ま、こんなものかな。

 急ぎの用件は片づいたのでMacシステムを起動すると予想通り、新潟地方気象台は今日、「北陸地方は、令和7年7月18日ごろに梅雨明けしたと見られます」と発表しました報道例。まぁ、誰でも容易に予想できる状況だったのです。
 今年は早くから太平洋高気圧が張り出したため、梅雨前線そのものがはっきりしない状態が続きました。

 少なくとも当地では結果的に、空梅雨。つまり水不足が懸念されます。他方、これからは「梅雨明け十日(とおか)」つまり10日前後は晴れの天気が続くことが予想されます。県内では農作物の生育に影響が。
 特に雨水に頼っている天水田
(てんすいでん)での水不足が深刻になっています。

 関係者には本当に申し訳ないけれど、相当厳しい状況に耐えることを強いられるだろうなぁ...。

 それを考えると、「遠くまで見える!!」などと喜んでいるわけにはいかないのです。



7月17日(木) だって一度食べてみたかったので... ──「ラ・ムー」の「大黒様の濃厚ナポリタン」──

 木曜日は前任校で講義の日。

 昨晩はやはり疲れていたようで、残念ながら血圧は正常値をかなり超えました(「平均」145mmHg)。それもあって、ゆっくり休もうと思ったのですが何しろ気温が下がらない。昨晩の当地の最低気温は本日未明に記録した26.7℃。
 エアコンの設定温度を最高にして、稼働させたまま就寝しました。

 それなりに眠ったつもりですが前日に続き、昨晩の眠りの質は微妙。それでも今朝の「平均」血圧(「収縮期血圧」の3回移動平均の最低)は122mmHgに収まりました。やはりここは2日連続で身体を褒めてあげましょう。
 ほぼ定刻に自宅を出発。

 柏崎市街地は交通量が多く運転に気を遣いましたが、そこを抜ければ順調に走行。例によって新潟市の「新新バイパス」の混雑状況をモニタしていたのですが、一時は相当な渋滞。ただし9時前になると概ね解消。
 カーナビの便利な機能だ。

 「新新バイパス」に入る直前で交通が集中し、渋滞しがちになる場所があるのですが、そこも表示通りスイスイと通行。ただしさすがに、黒埼IC〜桜木IC間は混雑。
 「渋滞」というほどではありませんでしたが。

 紫竹山ICから先は郊外へ向かう格好になるので、交通量こそ多いものの概ね順調に流れています。結局、いつもより5分遅れで前任校到着。配布資料の印刷はないので、そのまま教室と機材の準備。
 定刻に講義開始。

 期末試験が月末に迫っているので、受講生の表情がかなり変わっています。いつもこんな感じなら...と思うと同時に、彼ら彼女ら──女子学生の方が多い──の弁護を。
 これまでの経験からすると、前任校の受講生は真面目で「勉強したい」という学生が多い。

 ただし学生の側からすると、その意欲をどう具体化したらいいのからわからない。同時に、この問題は前任校における教育システムの改善すべき点。(金沢工大はこの点に関して秀(ひい)でている)
 ちょっと積み残しがあったものの、無事に講義終了。

 何度かお伝えしましたが(少なくともセンセイの場合)、講義は体力を消耗します。だから前任校では移動手段にかかわらず、バナナか菓子パンを持参して講義前に少し頂いていたのです。でも今は異常な高温を継続中。
 バナナは、あっという間に劣化。
(実話)

 そのため今日は間食せずに講義を実施しています。つまりお腹がペコペコ。されど大学食堂は混雑。見切りをつけて教具を車に積み込み、大学を発ちます。途中の燕市(旧「吉田町」)で、以前「(若鶏一口)山賊焼き」を購入した「ラ・ムー燕吉田店」へ立ち寄ります。
 もちろんお昼を頂くため。

 お目当ては、ずぅ〜っと気になっていた写真の「大黒様の濃厚ナポリタン」(98円(!!)+税)。「これって、総菜コーナーの片隅に並んでいる...」とお感じになるかもしれません。それなら値段もまぁ、理解できるし。
 でも写真を、よぉーく見てください。

 お気づきでしょうか、「パスタが細い...」のではなく、全体がとんでもないボリュームなので、パスタが相対的に細く感じられるのです。重量は250g以上(一説には275g)。これだけで単品として通用する量です。
 これで税込105円ですよ?

 気にならないわけがない。これまで手を伸ばさなかったのは、1パックあたりの塩分が4.3gあるため。でも重量を考えれば理解できるので初めて購入しました。光線と撮影テクニックの問題があるので、写真の印象はイマイチかも。
 でもボリュームと価格の助けもあるのでしょう、現場で実物を見ると本当においしそう。

 頂く前に、改めて内容をチェック。見た目はごく普通のナポリタン。ただし野菜はタマネギとピーマンだけで、それもごく少量。よぉーく見るとハムが少しだけ。まぁ、コストを考えれば当然なのですが。
 いざ、実食。

 最初に感じたのは、ごく普通のナポリタン。特別な感じは受けません。続いて思い知らされたのが量の多さ。冗談抜きで、これでお腹一杯になりそうなくらい。ただし肉体労働者だった今日のセンセイは別ですが。
 同時に、満腹感を覚え始めたところで気づいたのが、パスタの粉っぽさ。

 でも価格とボリュームを考えれば、そりゃそうでしょう。それでもやはり、理解でいる範囲を完全に逸脱しています。他方、「再度購入しますか?」と訪ねられたら、う〜ん、ちょっと微妙...。

 あ"、これって、「(若鶏一口)山賊焼き」を頂いた時と同じだ...。



7月16日(水) そりゃ、確かに不審人物だ ──閉店した信金跡は更地に、ラーメン店はやはり... ──

 ...ラーメン店だったという、いかにも「ありそう」なオチ。

 反省点は多々あるものの、何とか無事に大学院の講義を終えて新潟の自宅へ戻りました。どうやら昨日は相当疲れていたらしく、このページを更新した後、何と、デスクの前で寝落ち。もちろん寝直しましたが。
 睡眠時間は割と取れたし、それなりにちゃんと眠ったのです。

 微妙な血圧だろうなぁ...と思いながら測定すると、見事に乱高下──初回は非常に高かった──して安定しません。で、「平均」(「収縮期血圧」の3回移動平均の最低)は正常値の上限である130mmHgと、まさに微妙。
 でも、ま、ここは頑張った身体を褒めてあげるべきでしょう。

 朝食を頂いて身支度し、車を置いた金沢工大へ向かうべくバス乗り場へ。講義の終わりが近づいているので、今日はちょっと新しいことに挑戦。
 センセイは金沢市中心部におり、南西方向へ向かいます。

 路線バスで金沢工大付近へ行く場合、大学から見て主に、東および北東からのバスを利用。今学期もその両方を利用しています。でも実は、北からのルートもあるのです。
 正確にいうと大学キャンパスから少し離れた幹線道路を、東から西
(松任市方面)へ向かうルート。

 何のことはなく、センセイが現役時代に利用していたバス路線です。たまたまその路線のバスが到着したので乗車。いつも使っていた「伏見橋」バス停で降ります。
 ...が、ない。

 「伏見橋」バス停は片側2車線の幹線道路が交差(写真右端)する場所にあります。そこには金沢信用金庫(通称「金信」)の支店があったのです。ご覧のように、それが更地に。
 実は10年くらい前にこの支店は廃止されたのです。

 でも建物はそのまま。それがなくなると、もう、何があったのか思い出せない...。不思議な感覚を覚えながら、時間が経過したことを思い知らされます。
 続いて、お借りしていたアパートへ。

 こちらは一昨年そして去年も訪れています。新たな入居はなく、センセイが退去した時のまま。付近では田圃が数ヶ所埋め立てられて、真新しい建売住宅を販売中。
 幹線道路を渡ろうとして、あれっ?!

 横断歩道のすぐ近く、「歌志軒」だった──その後しばらく空き店舗──建物が、写真の「じゃりんこラーメン金沢店」に。キャッチは「京都人がこよなく愛した味」。
 へぇ...と思いながら、「」広角レンズで撮影。

 ...と、ここで、店主と思しき人物が割とキツイ表情で飛び出してきました。「すみませぇーん、何撮ってるんですかぁ?」。そう言えば左側のドアは少し開いている。
 どうやら不審人物と見なされたらしい。

 たとえば変な業界関係者だとか、SNSの類でネガティブに紹介されるんじゃないかとか。

 良く考えてみると、カッターシャツ姿の人物が連絡なしで店舗を撮影しています。付近に荷物はなく──入り込まないように少し離れた場所に置いた──構えているのは一眼レフっぽいカメラ。しかも胸ポケットには会社員風のIDカード。
 実際には金沢工大の施設利用票ですが。

 ...確かに、十分アヤシイ。

 もちろん事情を説明して事なきを得たのですが、関係者が在室していることがわかっていれば趣旨を説明して事前に了解を得るべきでしたね。店主の緊張はまだ高めだったので、この建物が2009年に廃業したレコード店「ヤマチク」本社だったことなどは伝えずに撤収。
 大学を目指して歩きます。

 北西側の門からキャンパスに入る手前には、センセイが撤収する頃に解体されたお宅の跡地。こちらは元々の敷地を二分割した上で宅地として整備されているのですが、ここ2年ほど動きはありません。
 誤解されたくないのですが、今日訪れた場所に特別な思い入れはないのです。

 されどこの地で、センセイが20年以上生活したこともまた、事実。

 ほぼ昨日の繰り返しになってしまうのですが時間はこうやって、粛々(しゅくしゅく)と進んでいくんだろうなぁ...。



7月15日(火) 不意打ちのヒグラシと初物の枝豆 ──天体と自然、そして人間の「季節」は進む──

 昨晩の当地は、ホントに暑かった。

 我が家では暑くても原則として就寝時にはエアコンを停止します。昨日は日付が替わる前に寝室に入ったのですが、寝室のエアコンは28.0℃設定で稼働中。他方、外気温は約29℃(アメダスによる)
 何とかなるだろうと判断してエアコンを停止し、窓を全開にして布団に入りました。

 されど程なくウトウトし始めた時、雨音で起こされました。結局、当地でも雨が降ったのです(これは「後出しじゃんけん」ではない)。拙宅の構造上、寝室は問題ないのですが書斎など他の部屋の窓も開けたままにしています。
 こちらは、雨が吹き込む可能性が。

 飛び起きてそれらの窓を閉め、改めて就寝。このページを書くにあたりアメダスの記録を確認したところ、まず0時前後の降雨は記録なし。アメダス地点から少し離れているためでしょう。興味深かったのが気温の変化。
 降雨とともに気温は約30℃まで上昇。

 実は暑さで3時過ぎに目が覚めてしまったのです。このままでは移動や講義に支障が出るため、エアコンを再稼働させて就寝。睡眠時間そのものはそれなりに確保できているのです。ただしお察しの通り、「ぐっすり」とはほど遠い。
 睡眠不足が原因でしょう、朝の血圧はとても高く、やっとで正常値をクリア
(128mmHg)

 でも仕事は仕事。受講生が待っているので、コーヒーを飲んで出発。この頃には再び雨に。通行止め解除された「上輪橋」を渡り、ほぼいつも通りに金沢へ移動。
 心配された睡眠不足の影響、直接には感じられませんでした。

 金沢工業大学大学院工学研究科の講義、今週と来週はちょっと特別。ある種、ゲーム感覚でいろいろな状況を疑似体験していただくのです。
 使用するのは米国で制作され、センセイを含めた金沢工大チームが翻訳した教材

 センセイの確認不足による資材の不足などトラブルがあったものの、代替手段を使って何とか無事に講義終了。受講生諸君にも(知的に)楽しんでいただけた模様。
 まだびっこが残る足で「業務スーパー」と「ニュー三久」へ。

 途中からバスに乗ってホテルに着いたのですが、正面玄関に入ろうとしたその時、向かいの金沢城公園の杜から何と、ヒグラシの鳴き声が。(実話)
 今日はいろいろあってホテル入りが遅れたのですが、ふと、窓の外を見るともう暗くなっています。

 実は、朝も5月下旬から6月にかけての、あの異常に興奮したかのような早い夜明けではなくなっています。写真は昨日撮影したもの。自宅庭で育てている枝豆の初物です。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960)
 肥料をまったく与えていないので株の丈は低く、実も小さい。収穫したり、茹でたりするのが申し訳ないほど。

 でも口にすると噛み応えとともに素朴な、そしてとても良質な甘みを感じます。おいしい。夏のおつまみは、やはり茹でた枝豆。ちなみに痛風の治療中であるにも関わらず、昨晩からビールを再開しています。
 同級生の主治医には内緒ですけど。

 ヒグラシや枝豆、そして太陽高度の変化とそれに伴う昼間の長さからわかるように、季節は確実に進んでいます。いろいろ心配しましたが、今日は無事に金沢へ移動し、トラブルにもめげず講義を実施。
 本人としては反省点はあるものの、それなりに充実感。

 同時に今日は、総歩数は約12,400歩と、それなりに運動しています。だから厳しい状況下で正常値をクリアできるかどうかは別にして、今晩の血圧は、まぁ、納得できるレベルかなぁ...と期待しながら測定すると、ドッカーン!!
 今学期の記録のほぼ最悪値。

 「業務スーパー」で購入し、しっかり冷やしたサッポロ黒生も残念ながら、手放しで「おいしい!!」というほどでもない(ちゃんと、それなりにおいしく頂戴しておりますので、誤解なきよう)。おそらく、今朝の懸念はかなり妥当。
 つまり、いつまでも若いと思っている老体は、かなり無理を続けている。

 人間の「季節」も静かに、そして着実に進んでいるらしい。

 「人生の午後三時」どころか、午後5時くらいか...。



7月14日(月) 当地には珍しく雲一つない好天。視程も非常に良好。こりゃきっと、半日くらいで...

 ...雨になるだろうな、というオチ。なぜそうなのかは後半で。

 今日は朝イチに歯科医院を訪れることになっています。臼歯のカリエスを治療していただいたのですが、一部の噛み合わせに難があるため受診を予約していたのです。夜が明けるとともに当地は気温が急上昇。
 ご存じのように現在、東日本沖の太平洋を颱風5号が北上中。

 関東や東日本は局地的に大雨になってます。当地には颱風の雨雲が直接かかることはありませんが、颱風がもたらす反時計回りの湿った空気が越後山脈を越えて県内に流れ込んできます。山越え前に、飽和した水蒸気は雨となって地上に落下。
 山越え後の空気は乾い状態で新潟県内へ。

 お察しの通り、フェーン現象の発生条件が揃っています。山越え前の「湿潤断熱減率」(0.5℃/100m)と山越え後の「乾燥断熱減率」(約1℃/100m)の差が大きいため、山越え後の空気は温度がかなり上昇。
 これがフェーン現象の熱力学的説明。

 ここまでは想定済。実際、家を出た瞬間から「ムッ」とする暑さ(アメダスによると32.0℃)。逃げ場がない感じですが同時に、湿度については微妙。梅雨時の「ジメジメ、ベトベト」とも、ちょっと違う...。
 痛風は比較的順調に回復しているので、約1km離れた歯科医院まで徒歩で移動。

 相変わらずおかしな歩き方ですが、それでもここまで回復したことを言祝(ことほ)ぐべき。まだ太陽高度は低いので、日陰を探しながら歩いていると、おぉ、右手に地域のシンボル「(よね)(992m)拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
 ご覧のように、雲一つありません。

 まぁ、正確に言うと写真左側(=南)の高層に薄い雲がかかっていますが。それでも今日は、どこまでも見通すことができます。これは珍しいこと。
 この時季は湿度が高いので遠くが見えないか、見えてもぼんやりすることが多いのです。

 これくらいなら、今日は約85km離れた新潟─富山県境からこの米山が見えているはず。「珍しいなぁ...」と思いつつ、この状況から、ふと頭に浮かんだことが。
 「こりゃ、たぶん、半日くらいで雨になるだろうなぁ」。

 全国的に認知されているわけではありませんが日本海側では、このようにやたら天気が良い日は、半日程度(数時間後〜翌日)天気が崩れやすいことが経験的に知られています。
 申し訳ありませんが、そのメカニズムについては承知していません。

 今日はまさに、そんな日。ご存じのように日本海西部には熱帯性低気圧由来の低気圧が停滞気味で存在。「腐ってもタイ(颱風)」の一族です。
 その影響で西日本や近畿、東海地方は局地的な大雨に。

 残念ながら各地で被害も発生し始めています。低気圧の雨雲は徐々に東進しており、日付が替わる前には新潟県内にかかるはず。まぁ、当地に雨が降るかどうかは微妙ですが。もちろんこれも事前に承知しています。
 だから穿
(うが)った見方をすれば、「センセイの『予想』は答を知った上での『後出しじゃんけん』でしょ?」。

 もちろん否定は不可能。ただし今日の米山を見たセンセイが...もまた、事実。判断はお任せします。

 フェーン現象は午後まで続き、当地では15時過ぎに最高気温36.3℃、つまり猛暑日を記録しました。今季最高記録です。ちなみに西隣の「大潟」観測地点では最高気温37.8℃。今日の国内最高気温とのこと。
 当地では昨日、農作業をしていた80代男性が熱中症で亡くなるという残念な事故も発生しています。
(県内初)

 写真手前は、知り合いが耕している田圃。これまでは割と順調に生長していたのですが、このところの暑さに、稲がちょっと負け気味です。それでも当地は農業用水に恵まれているため、今のところ顕著な影響は出ていないようです。
 しかしさすがに、この状態が継続するとなると...。

 こればかりは、どうなるかわかりません。



7月13日(日) まるで「ラピュタ」に登場する、あの... ──遠すぎた越後交通旧「大河津駅」──

 予定していたテーマですが、内容はほぼ別物。

 まずは痛風の続報から。処方していただいたのは沈痛・抗炎症剤。とても強力な薬で、昨晩はかなりぐっすり眠ることができました。朝起きると痛みは大幅に減少。さらに、ちゃんと眠ることができたので血圧も大幅に低下。
 ただし副作用も。

 食後に服用するのですが、食事の量に注意が必要。お腹一杯の時は問題ないのですが、少な目の時は胃にかなり負担がかかり、気分が悪くなってきます(注意事項にも記載されている)。そのため胃の粘膜を保護する薬との併用が必要。
 市販薬と違い、そもそも医師が処方する薬はそういうものなのですが。

 おかげで今日は、歩き方はおかしいものの何とか歩行できるまでに回復。昨日はびっこを引きながらだったことを考えれば雲泥(うんでい)の差。少々手こずったものの靴下、そして靴も履くことができました。
 頑張って、お昼に徒歩で外出。

 さすがに長距離は無理なのでスーパーを含めたいつもの最低限のコースを一周しただけ。興味深かったのが歩数。いつもなら6,500歩程度のルートなのです。でも今日は9,000歩以上と、1.5倍弱。
 左足をちょっと引きずりながら、狭い歩幅で歩いているためです。

 でも、まぁ、ここまで回復できたことを感謝すべきでしょう。で、本題。

 そもそも今日は、JR東日本の企画乗車券を約2ヶ月ぶりに使って越後線寺泊(旧「大河津(おおこうづ)」駅)を訪れることにしていたのです。
 痛風の発症でキャンセルになりましたが。

 お目当ては主に、以前ご紹介した同駅舎内展示の見学と、南隣にあった越後交通長岡線旧「大河津駅」の確認。後者は1975年の路線廃止に伴い廃駅に。
 センセイは越後交通長岡線には乗車していませんが、廃止前に当時の国鉄大河津駅を訪れています。

 詳細は省略しますが、高校の部活動での2泊3日の大移動だったのです。しかも2泊目は夜行急行「佐渡4号」で上野駅から新潟駅までという強行軍。しかも自由席。
 若さ故に可能だったんでしょうねぁ。

 教員3名を含めて20名弱での行動だったと思います。大河津駅(当時)を訪れたのは3日目。未明に新潟駅に到着し、越後線で柏崎まで戻る途中でした。
 計画全体は部として計画したもの。

 今だから白状しますが、移動案については当時高校1年生だったセンセイが『時刻表』を読んで立案しました。今から考えると合理性に乏しい移動案。「後出しじゃんけん」ですが、当時は『時刻表』の字面(じづら)しか読んでいなかったわけです。
 トホホ。

 他方、この経験がその後のセンセイに繋がっていることもまた、事実。

 上野駅に長い列を作って並び、無事に全員が自由席に着席できたとはいえ、ボックスシート。いくら若いとはいえ未明に新潟駅に到着した頃にはヘロヘロになり、乗り換えた越後線では皆が眠り込み...。
 そんな中で訪れた大河津駅。
(当時)

 南隣には越後交通の見慣れぬ駅があり、停車中の電車も。ホームと信号機についても良く覚えています。ただし駅舎──現在は完全撤去済──については記憶が判然としません。だからこの機会に...と考えたのです。
 その後も越後線にはそれなりに乗車しています。

 この春、まだ雑草がそれほど伸びていない時に越後線の電車内から越後交通旧「大河津」駅南側を撮影したのが写真。叢(くさむら)の中に直立あるいは傾いた金属製の物体が。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
 これらは旧長岡線の信号および信号機の鉄柱。

 まるで映画「天空の城ラピュタ」に登場する朽ちたロボット兵あるいは園丁ロボットのよう。以前はちゃんと直立していたのですが...。

 ただしこの写真はJR東日本E129系の熱線吸収ガラス越しに撮影しているため、色バランスを完全に補正することができません。そもそも寺泊駅を訪れるのなら、国鉄との共用区間も近くから確認したい。
 ま、今回はドクターストップ状態なので、しかたない。

 でもよく考えてみると、これらの目的を達成するためだけなら、自由に行動できる自動車で訪れる方が...ということになりかねません。

 本件、続きの有無を含めてどう展開する(/しない)かは不明です。 

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