2024年10月12更新(2024年10月20日ページ移動)

──2024年10月第2週のニュース──

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10月12日(土) 【悲報】主力機MacBook ProのWindowsボリュームが頓死した模様です

 緊急のお知らせです。

 センセイの主力機MacBook ProのWindowsボリュームが今晩、頓死した模様です。しばらく更新に支障が出ることは避けられない状況です。

 続報をお待ちいただきたいのですが、もしかすると、このまま休止/廃止になるかも...。

 再び皆様にお目にかかれる日を心待ちにしています。



10月11日(金) 西村センセイ、たくさん交換する ──蛍光灯の価格が上昇し、在庫も不安定に──

 正確に言うと交換したのは「蛍光灯」(=照明器具)ではなく、「蛍光管」あるいは「蛍光ランプ」。皆様よくご存じの、あの光る管です。

 改めて「どうしようかなぁ...」と考えたきっかけは、パナソニックが2027年までに蛍光灯の生産を終了させるとの報道。なお、パナソニックのプレスリリースでは、「蛍光ランプ」を使用した「蛍光灯」と、しっかり区別しています。
 ご存じと思いますが、背景にあるのは水銀そして水俣病。

 蛍光管は原理上、生態系に危険な水銀を使用するのです。徐々に使用規制が進んできたのですがいよいよ、水銀に関する水俣条約 第5回締約国会議で製造や輸出入が禁止に。
 遠くない将来、蛍光管が流通しなくなるため蛍光灯は使えなくなります。

 さて、どうしよう...。

 28年前に建てた拙宅の場合、蛍光灯と白熱電球の比は6:4くらい。ただし蛍光灯は更新の際に徐々にLED化。台所の一部に残っていた蛍光灯も今回、別な理由でLEDランプに切り替えました。
 残っているのは2階のシャンプードレッサー
(写真)と、書斎のデスクライト2台のみ。

 ずっと点灯させるものならLED化しますが、これらは必要に応じて一時的に使用するだけ。当面はこのまま使用を継続するつもりです。在庫を確かめたところ、写真の直管(20型)はまだ手持ちが。
 デスクライトの在庫はなかったので、予備として1個ずつ購入しました。

 お気づきかどうか、このところ蛍光管の価格がどんどん上昇しています。しかも商品によっては店頭から在庫がなくなる場合も。もちろん、蛍光灯をめぐる状況の変化を受けてです。
 正確なデータを持っているわけではありませんが、感覚的には以前の2倍近くにまで高騰しています。

 我が家──というより西村家──の場合、問題は拙宅ではなく実家。

 60年以上前に建てた家なので、LED照明は僅か1台。それ以外の主要な照明はすべて蛍光灯。ここで暮らす両親が永遠に長生きするとか、誰かがずっと住み続けるのならLEDランプに切り替えるべき。
 ただし定住者は、あと何年かで存在しなくなります。残念ながら、これが現実。

 そこで、イザという時に備えて、事前に蛍光灯を確認の上で蛍光管を約20本購入しました。ネット上では価格と在庫がどんどん上昇しており、オーダーしようと思った日には前日の1.5倍になっていたことも。(実話)
 もう一つ驚いたことが。

 ネット上で価格を確かめた上で、地元のディスカウントストア(ドン.キホーテ)を訪れると、何と、こちらの方が安い。ただし在庫切れが目立ちましたが。とにかく蛍光管を集められるだけ集めて今日、実家へ。
 なお、すべての蛍光管を一気に交換したわけではありません。

 使えるものはまだ使い、未使用分と予備を残しておくつもり。今回のチェックで新たにグロー管1個の不良も発覚。必要な数の蛍光管が揃ったわけではないのですが、それでもしばらくは乗り切れそう。
 やれやれ...と思っていたら94歳の父親が、ばつが悪そうに、ゴニョゴニョ。

 ...え"っ?!

 たぶん続きますが、蛍光管あるいは蛍光灯の話ではありません。悪しからず。



10月10日(木) 残された未来への道標 ──BMWの損傷部分を、ひとまず補修塗装しました──

 3枚の写真は、昨夕撮影したもの。

 昨日はお昼まで雨が降っていたのですが午後は、雲こそ残るものの晴れてきました。そこで久しぶりにBMWを洗車。当地はこのところずっと雨がちだったし、その前は天気が良かったとしても、暑さが厳しすぎる。
 暑い日に洗車すると早く乾きすぎて、表面に水玉模様が残ったりするのです。

 洗車は車に付着した汚れを取り除くためですが、今回はちょっと固有の事情が。

 1ヶ月前に姪宅を訪れた際、ブロックに接触させてしまった車体左後部補修のためです。不注意により姪宅で損傷させたのは、車体左側「サイドシル」写真左赤枠内)の最後部と、左後輪のアルミホイール。
 車体に加えて、姪宅のコンクリートブロックを一部損壊させてしまいました。

 ただしお伝えしたように、こちらは姪宅の外回りを担当した甥(姪の兄)が補修してくれるとのこと(深謝)。アルミホイールについては素人では難しいと判断して、市内の業者に修理をお願いしています。
 問題は、サイドシル部の傷。
拡大写真(別ウィンドウ、962×1068))

 これらの写真だけ見ると、大きな損傷に感じられるかもしれません。でも実際は、1枚目の写真左側の黒っぽい円形の部分から右端まで約10mm。
 それほど大きいわけではありません。

 またこの部分は樹脂製。黒っぽい色はベース樹脂の色です。金属ではないので錆の心配も無用。だから極端な話、そのまま放置しても問題はないのです。
 ただし見苦しいこともまた、事実。

 3年前、実家前で脱輪させてしまった時は、損傷部分を金沢のディーラーで修理、再塗装していただきました。金沢のディーラーは外注ではなく自社内に塗装部門を有するため、作業内容は完璧。
 ただしその分、コストがかかります。

 今回、アルミホイールの修理の件で市内のお店と相談した際、社長曰く「これなら○万円〜○万円くらいで綺麗に直せますよ」とのこと。ディーラーの1/3〜1/5くらい。たぶんお言葉の通りでしょう。
 年金生活者のセンセイには、グッと来るものがあります。

 でも実は、塗装は奥が深い。以前ご紹介したように、例えばドア1枚だけが僅かに色が違う車を見かけることがあります。そのような事態は避けたい。
 というわけで損傷当初からお伝えしていたように、ひとまず専用の「タッチアップ」で補修してみたという次第。

 前振りがやたら長くなってしまいましたが、お昼過ぎに洗車し、十分乾燥させてから樹脂の出っ張りをできるだけ取り除いて撮影したのが1枚目(塗装直前)。2枚目は「タッチアップ」を塗ってみた直後。
 3枚目は溶剤が抜けるまで20分ほど待ってから再塗装したもの。

 なお、塗装作業をしたのは夕方。明るさと色温度も刻々と変化──本当に驚かされた──する中で作業しています。できるだけ同じ条件になるように調整しましたが結果的に、ややコントラストが強めに、また全体として白っぽくなっています。
 また、今日のお昼に再度塗装しています。
(撮影はしていません)

 皆さんの率直な感想をお聞かせいただきたいところですが、センセイとしてはしばらくこれで様子を見るつもり。 

 費用その他、前述した現実的な要因とともに実は、別な問題意識を持っているのです。つまり3年前の脱輪も今回の接触も直接には、センセイのその瞬間の注意力不足。それはその通りなのですがたぶん、その背後にはもっと深い問題が。
 若かったら、このようなトラブルはずっと少なかったはず。

 つまりセンセイの「老い」が、確実に進行しているということ。

 ただしこの件、必ずしもネガティブに捉える必要はないと考えます。老若男女(ろうにゃくなんにょ)を問わず、老化は生物の本質の一つ。細かいことはともかく、全体としては抗(あらが/あらご)うことはできず、受け入れるしかない。
 生命としての最後の時を含めて、です。

 つまり発想を転換すれば、今回の件は残された時間をいかに有意義に使うべきかという道標(みちしるべ/どうひょう)の一つを得たということ。この、長さわずか10mm程度の損傷部分を目にするたび、気持ちを新たに...。
 どうでしょう。

 だから少なくともしばらくは、このまま様子を見ようと考えているのです。



10月9日(水) 跨線橋ではなく、「横断歩道橋」だった... ──高校生は1年半、遠回りしての通学──

 時間的には昨日の続き。諏訪町を後にしたセンセイは帰宅の途へ。

 ただしそのためには、どこかで越後線を越える必要があります。諏訪町はその西側、拙宅は東側に。昨日ご紹介した写真の位置からだと東柏崎駅(旧「比角(ひすみ)駅」)の跨線橋(写真)を通るのが便利。
 でも跨線橋は現在、補修工事中で通行できません。

 そのため駅の南北、いずれも約250m離れた場所にある踏切を渡る必要があります。今回は敢えて北側の「第一大和町踏切」へ。センセイ個人は南側の「比角踏切」の方が便利なのですが、いつも通っている場所なので。
 踏切に近づくと女子高校生とすれ違うように。一人だったり、二人連れだったり。

 写真は駅舎の反対側(東側)に出たところで撮影したもの。お昼の下り列車が入線してきました。彼女たちが急いでいた理由です。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
 この日は中間試験か何かで、半ドンだったのでしょう。

 実は、東柏崎駅跨線橋工事で最も影響を受けるのが彼女たち。写真左側、跨線橋からわずか200mほどの場所に、新潟県立柏崎常磐高校が。彼女たちは同校の生徒なのです。
 ちなみに、かつては女子校だったのですが現在は共学。

 ただしすれ違った生徒も、駅ホームで待つ生徒──拡大写真、ススキの奥に何人か確認できる──も、全員が女子。仮に中間試験期間中だとして、男子生徒は試験勉強をしないということなのでしょうか。
 それはともかく、跨線橋が使えないことで駅からの距離は700m〜800mと、数倍に。

 当然、所要時間もそれまでの2分が10分くらいに増加します。でも、まぁ、高校生にしてみたら、最寄り駅から自宅までの距離の方がはるかに長いケースが大半。
 この程度の「遠回り」なんて...ということでしょうか。

 高校生を乗せて列車は出発。工事には2ヶ月くらい前に気づいたのですが今回、改めて状況を確認します。工事の概要を記した掲示によると、まず、工事期間は今年の6月から来年末までの約1年半。
 ...長い。

 センセイは2、3ヶ月から、長くても半年くらいの工事だろうと勝手に思い込んでいたのです。これだけ長期間となると相当な工事のはず。まぁ確かに、この跨線橋はかなり傷んでおり、本格的なメンテナンスが必要だったのですが。
 これに加えて今回、予想外だったことが二つ。

 まず、工事主体は柏崎市ではありませんでした。掲示によると、発注者はJR東日本新潟支社。

 駅舎やホームなどは当然、JR東日本の所有物。ただしこの跨線橋は駅舎とは独立しており、ホームを跨ぐような格好で設置されています。そのため跨線橋は柏崎市のものだろうと考えていたのです。
 実際問題として、跨線橋内に設置されていた防犯カメラは市が維持、管理していたし。

 そしてもう一つ。そもそも、これは「跨線橋」ではなかった...。

 掲示には大きく「東柏崎駅横断歩道橋」。隣に設置された市の掲示にもそのように記されています。もしかすると「跨線橋」──あるいは「陸橋(りくばし)」──は駅構内にあるものだけを指すのかも。(たぶん、外れている)
 でも、もしそうならば前述の設置、管理者の問題と齟齬があるようにも思えるのですが...。

 良くわからないことだらけですが、以上、事実は事実なので。



10月8日(火) いつ終わったのか...すらわからないほど「終わっている」街 ──諏訪町商店街──

 お断りしておきますが、商店街からお店が消失したわけではありません。決して、誤解なきよう。

 写真は先週、久しぶりに訪れた市内「諏訪町」で撮影したもの拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))。右奥に地域のシンボル「(よね)」が見えます。

 旧市街地の中心部からすると、ここは北東の外れ。ただし、かつて市役所がこのすぐ右隣(=西側)にあった──現在は駅前に移転──ので、関係者にとっては「市役所の勝手口」くらいのイメージです。
 しかも写真左後方には越後線旧「
比角(ひすみ)」駅が。

 モータリゼーションが進む前、通勤通学客の移動手段は鉄道か路線バス。いずれも朝夕は、溢れんばかりのお客さんを乗せていました。
 ある時は混雑が酷すぎて一部乗客が列車に乗車できず、併結していた郵便車両を一部開放したほど。
(実話)

 通勤通学客は概ね北東、南東、そして南西から市中心部の勤め先や高校を目指して集まってきます。この中の北東方向──ただし海岸部はバス──からのお客さんは旧比角駅で下車。
 彼ら彼女らは、必ずこの諏訪町を通ります。

 何を隠そう、高校生のセンセイもその中の一人。しかも写真奥にあった「諏訪町食堂」で従姉妹とともに一冬を過ごしています。だからセンセイにとっては庭のような場所。
 ある意味「駅前商店街」だったので、その頃は活力がありました。小さいながらも書店が2店あった(!!)ほど。

 ただし全国の駅前商店街同様、半ばシャッター街と化しつつあります。商店街の中心にあった柏崎諏訪町郵便局すら、新興住宅地へ転出したほど。
 ただし地域の変化は極めて緩慢なので関係者以外、相当意識しないと気づくことが難しい。

 今回、そんな諏訪町を歩いていて写真の工事現場に出くわしました。看板にある通り「アーケード撤去工事中」とのこと。このアーケードはセンセイが高校生の時からあったはず。
 現在、工事が行われているのは商店街の端の部分。

 お店の都合などによる部分的な撤去なのか、商店街全体でアーケードを撤去するつもりなのか、ちょっとわかりません。そこで帰宅後、諏訪町商店街のホームページを調べてみると...2010年以降更新されてません。
 しかも主要な活動は2002年まで。

 ここは「ガラクタ市」で有名だったのですが報道によるとそれも、2018年つまり6年前の「えんま市」で25年の歴史に幕を下ろしたそうな。
 ホームページによると、そもそもアーケードは1978年の道路拡幅に合わせて建設。

 つい先ほど「高校生の時から」とお伝えしましたが、センセイはアーケード建設前に高校を卒業し、大学進学のため新潟市へ移住していることになります。
 つまり記憶のかなりの部分が不正確。にもかかわらずセンセイは...。トホホ。

 されど同時に、この諏訪町商店街がその役割を終えつつあることも認めざるを得ない事実。ホームページ上に掲載された店舗の中で現在も存続しているお店は、新規に開業したタイ料理のお店を含めたとしても、半数以下。
 2枚目の写真は、アーケード下
──工事現場の、道路を挟んだほぼ反対側──に吊されている、唯一の商店街の看板。

 上部から左の緑色の部分は米山と田園で、右下の青い部分は波を含めて日本海を示してものと考えられます。中央部分は「諏訪町」の頭文字“S”で、山と海を繋いでいるのでしょう。ただしお魚は良くわからない。
 ホームページによるとこれはメダカのようですが、何故メダカなのかは不明。

 下部のオレンジ色の帯と白抜き文字は、商店街の活力を意味しているのでしょう。

 誤解されたくないのですが、センセイとしては商業環境が大きく変化する中で道路拡幅の機会に合わせて、より高い目標を目指した方々に敬意を表しているつもり。ただし結果的に時代の流れの速さは、彼ら彼女らの想定以上だった...。
 実は商店街メンバーの中に、センセイが存じ上げる方がいらっしゃいます。

 おそらく商店街メンバーの中でも重要な役目を果たした/果たしている方。だからその気になればお店にお伺いして、これまでの経緯やアーケード撤去の詳細についてご教示いただけるはず。
 それはそれで、たいへん貴重な情報。

 でもセンセイとしては正直なところ、躊躇(ためら)いが。

 時代の証人として(?)、その最後の有様を静かに見守るべきなのかなぁ...というのがセンセイのホンネなのです。



10月7日(月) 目の前を行くのは、X年後のセンセイ... ──なかなか右折しない車に覚えた違和感──

 写真は先日撮影したもの。

 所用で市街地の外れ、幹線道路の右側にあるお店を目指しました。拙宅から2kmちょっとの場所なので、通常ならば徒歩で訪れるとことろ。ただしこの日は途中の酒類量販店でビールを購入。
 移動手段は当然、自動車。

 ビールケースを積み込んで国道8号線に戻り、少し車を走らせると目的地。同じお店に入ろうというのでしょう、ウィンカーを点滅させた軽自動車の後ろに。
 対向車が続いていたので、少し待ちます。

 それはいいのです。広い幹線道路──2022年の大雪で大渋滞が発生した、まさにその現場──なので大型トラックを含めて、直進する車は我々の左側を問題なく通過。
 ...でも、何か変。

 お気づきでしょうか。

 最初は、なかなか右折しないなぁ...程度だったのです。センセイだったら曲がるタイミングでも、決して動こうとしません。慎重な運転ぶり。
 安全を優先していることがわかります。

 後ろ姿およびルームミラーからすると、運転しているのは男性の高齢者。でも、それ以上はわからなかったので、右側つまり運転席側のサイドミラーからドライバーを見ようとして...できない。
 ミラーを畳んだまま走行しているのです。

 サイドミラーを畳んだまま走行する車を目撃したのは3回目前回。運転していたのはいずれも高齢者でした。

 やがて軽自動車はお店の駐車場へ。安全を確認して、センセイも続きます。

 車を止める際、たまたま相対するような格好に。車から降りてきた「彼」は、おそらく70歳代前半。誤解なきように申しますが、決して「彼」を批判したり、センセイの運転を自慢しているのではありません。
 つい先日、注意が途切れて車体側面を摺ってしまったばかりだし。

 それより何より「彼」は、X年後のセンセイの姿なのです。



10月6日(日) センセイの実家通いが増えそうな気配... ──人はパンのみにて生くるにあらず──

 センセイは今日、12.8km離れた実家へ。

 いつもは金曜日に実家を訪れて、高齢の両親の──安否確認と──1週間分の食料を調達するのです。ただし先週は母親の希望で昨日、つまり土曜日に。それはいいのですが、その際に母親と打ち合わせた内容の一部に問題が。
 昨日相談したのは、これから1ヶ月半くらいの予定。

 最優先事項は両親の通院。利用客の減少と人手不足で路線バスは一昨年に廃止。ただし一部についてはコミュニティバスを利用できるので、できるだけ自分たちだけで通院してもらうようにしています。
 「冷たい」と思われるかもしれませんが、本人たちのプライドを尊重し、フレイルを防止するためです。

 されど、どうしても公共交通機関を利用できない場合も多い。「タクシーを使えば...」と考えられるかもしれませんが、当地での手配は無理。当地では、地域内にある原子力発電所への通勤が優先される(!!)のです。(実話)
 となると、病院への送迎は家族
──多くは長男の嫁──が担うすることに。

 我が家の場合はセンセイが担当するしかありません。誤解されると困りますが、それはいいのです。早めに退職したのもそのためだし。通院は、両親揃ってのこともあれば片親だけの場合も。
 残念ながら、その頻度は去年の倍近くに増加しています。

 こうなると、かなり綿密に予定を組む必要が出てきます。たとえば数日かけて自動車のメンテナンスをお願いしたりするすることがあるからです。
 そこで昨日の相談となったのですが、何だか変。

 でも、まぁ、本人(たち)の希望だから...と、昨日はそのまま持ち帰ったのですが、やはりおかしい。通院は定期的な受診が主なので、あらかじめこちらで見通しを立てていたのです。
 ところが母親が示した案は、それと1週間ずれています。

 母親が、二人揃って受診日する日の計算を間違えていたためでした。電話で説明してもいいのですが、何しろ相手は高齢者。細かい話もあるし...。
 というわけで今日、再び実家へ。

 たいした荷物はないし、人を運ぶ必要もないので秋になってから初めて自転車で移動。やはり下半身がヘトヘトになりました。1枚目の写真は、実家の石垣の上に咲いていたヒガンバナ。
 奥は家紋のついた土蔵
拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))

 実は2枚目の写真の奥にもヒガンバナが植えられているのですが残念ながら、こちらは先週が見頃。今日はすっかり元気がなくなっていました。
 実家へ入り、あれこれ説明。

 母親は自分の錯誤をすぐに理解し、「計算もできなくなったんだてぇ」と嘆いていました。プライドつまり生き甲斐との兼ね合いで、この辺の塩梅(あんばい)が難しい。
 それでも彼女にしてみたら、血の繋がった息子がわざわざやってきて説明してくれたのだから、ダメージは最小限に抑えられたはず。
(希望的観測)

 右の写真は帰り際に撮影したもの。実家(奥)と手前の道路の間には、隣の集落へ繋がる用水路が流れています。その橋の上に、仮設の棒が。
 94歳の父親が道路と昨春に設置した手摺りとの間を「怖い」と感じたらしく、自分で勝手に「手摺り」を設置したらしい。

 良く考えると手前部分は公共のものなので、「電柱に縛り付けていいのか」などの問題が発生するのかもしれません。でも、まぁ、これは電柱に縛り付けられた広告と同程度か。
 仮に、それが認められたとしても実は、次なる問題が。

 黄色の枠内は、実家側の仮固定部分を拡大したもの。道路側は電柱の手前に棒が。ただし奥、つまり枠内は手摺りの外側で縛られています。ちなみに縛り方は見事。センセイは真似できません。
 されどこの縛りが少し緩んできた時に、用水路に落ちまいと彼が手摺りを掴み、結果的に押してしまったらどうなるでしょう。

 お察しの通り、その瞬間、縄はほどけてしまい、転落防止のための手摺りの役目を果たさなくなります。

 さて、どうしようか...。

 縛り方でわかるようにプライドがとても高く、しかも加齢に伴って受容力低下が顕著な父親に、この問題を伝えるか否か、ということです。

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