2014年2月15日更新(2014年2月23日ページ移動。2017年3月13日一部写真削除)

──2014年2月第3週のニュース──

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2月15日(土) 10年に1度の大工事。最初の難関は、質量67.5kgの“KX-32HV50”カラーモニタの搬出です

 繰り返しお伝えしている自宅書斎のコンピュータおよびAV用モニタの更新。

 昨晩のコンピュータモニタの接続(デジタル)に続いて、今朝、Power Macintosh 8100(G3)をNECのモニタにアナログで接続できることを確認しました。事実上すでに引退してるマシンなのですが。
 引き続き、Mac mini(PowerPC)を三菱のモニタに、まずデジタルで接続してみます。

 三菱のDVI端子はMac mini(Intel)がすでに使用していますが、Mac mini(PowerPC)はデジタル出力も持っているので、それをHDMIに変換して入力するのです。
 結果はというと、ちゃんと認識しているものの、輝度が足りず、またアナログ接続のようにぼんやりしています。

 実用にはならないので、改めてアナログで接続します。そのついでに2台所有するMac mini(PowerPC)のデータを他方に転送しました。
 1台が不調に陥っていたので、システムを再インストールしたのです。

 ここでお昼になりました。午後3時には知り合いの電気店が、KX-32HV50”を引き取りに来てくれることになっているので、その準備に入ります。
 写真は、最後の日を迎えた“KX-32HV50”。(搬出に備えて、位置を手前にずらしている)

 いろいろ事情があって14年前に購入しました。自宅書斎のAVシステムのまさに中核として働いてきてくれたのですが、2007年の新潟県中越沖地震に直撃されて落下、筐体破損。

 ひとまず修理──関係者の皆様、ありがとうございました──を受けた後、当時金沢工大生だった学生さんの貴重な情報により、ブラウン管および高圧回路交換という大手術を経て完全復活。
 数奇な運命を辿っています。

 被災までNTSCモニタとして7年、被災を契機に、アナログ接続ハイビジョンモニタとして本格的に生まれ変わってから7年。長く、とても熱心に働いてくれました。
 しかしさすがに天寿を迎えつつあるだけでなく、処分がとても難しくなっています。気がつくとどこの家にももう、このようなモニタはほとんど存在していない。

 そこで20年以上前からつきあいのある電気店──現在は東証一部上場企業──に電話したのです。会長兼社長はその頃から存じ上げています。ただし、あちらは覚えていないと思いますが。
 すると何と、自宅まで引き取りに来てくれるとのこと。有り難や、有り難や。

 電話連絡の後に、電気店の軽自動車がやってきました......入るかなぁ。おまけに降りてきたのは運転していたお一人だけ。
 
ブラウン管交換の際に身に染みたのですが、搬入よりも搬出の方がはるかに難しいのです。

 でも、引き取ってもらえるだけでも有り難い。センセイと2人で休みながら、やっとで運び出しました。
 車に積み込んでから手続きを尋ねると、「引き取りだから何も手続きはいらない」──従って無料──とのこと。

 本社との電話では引き取り費用がかかるような話だったし、民生用モニタなのでリサイクルにはお金がかかるはず。
 引き取って中古品として販売するなら、それなりの手続きが必要なはず。

 う〜ん、でも、ま、いっかー。10年に1度の大工事は最初の難関を乗り越えました。

 次の難題は床下の配線の更新。2枚目の写真中央部にはACコンセントが見えています。こちらと同じ場所を見ています。問題はその左側、配線が剥き出して出ている部分。
 書斎は機器類とモニタの場所が離れているので、床下に配線用の配管が設置されているのです。

 でもこれがかなり細い。その中を、大ぶりなHDMIケーブルを通す必要があります。しかも今回は機器を完全にデジタル化しているので、スピーカー以外の配線をすべて入れ替える必要があります。
 これが本当に大変。

 うまく行くかどうかは別として、この続きは、また明日。(たぶん)



2月14日(金) 慣れない... ──まず、旧Mac OSマシン用に液晶モニタを導入しました──

 2週間ぶりに新潟の自宅へちゃんと戻りました。お伝えしているように、この週末はコンピュータおよびAV用モニタを一新します。まずは旧Mac OSコンピュータ用のモニタ。
 残念ながら三菱の液晶モニタではデジタル接続できないことが確認されたためです。

 実は先週のうちにNECの“LCD-AS193Mi”というモデル(2台並んだ左側)を購入し、自宅に届けてもらいました。

 19インチで1280×1024ピクセル(SXGA)、IPSパネルのモデルは事実上、これしかないのです。価格は約18,000円。安い。
 そして開梱した実物は、確かに、安い。

 先週、盛岡からの帰りに自宅に立ち寄った際にひとまず設置したのです。本体および画面の高さは三菱のものとほぼ同じ。
 購入しておいたADC-DVI変換アダプターを使ってデジタルで接続します。

 最初の印象はというと......慣れない。

 写真のように複数のモニタを並べて配置すると、目の前のもの以外は斜めから見ることになります。
 こういう状況では、液晶モニタはどうしても色相が変化しがち。

 色が微妙に、しかし無視できないレベルで変化したり、時には「ひっくり返った」ような色になる、あの現象です。
 だからIPSパネルにしたのです。

 しかし残念ながら色相はかなり変化します。三菱の方はあまり目立ちません。両者では画素数が違い、従って1ピクセルの大きさも異なるので、同じ基準では比較できないのですが。
 またデフォルトではギンギラギンの派手な画面。でもまぁ、これはしかたない。

 100%の白画面やグレー画面、カラーバーを表示しながら、色温度を変え、ブライトネスとコントラストをひとまず調整します。最後はRGBそれぞれのレベルを変えます。
 現時点では、これ以上どうしようもありません。

 確かに、IPSパネル独特の発色の良さがあります。肌色などはとても健康的。しかしRGBそれぞれのリニアリティが異なるので、明るさによってバランスが微妙に崩れてしまいます。
 金沢のアパートには旧Mac OS用「ガンマ」コントロールパネル(Adobe製)があるので、それを用いて改善したいと思っています。

 まだまだ改善点は残りますが、これで切り替えスイッチなしにPowerMac G4 Cube(写真奥)とPower Macintosh 8100(G3)(椅子の左)を使用できることになります。(8100用のADBキーボードとマウスは別に接続)
 ただし後者はアナログ接続。

 夜も更けてきたので、こちらは明日、試してみようと思います。



2月13日(木) デジタルセレクタが壊れてしまった ──自宅のモニタをデジタル化することにしました──

 先日、金沢のアパートで学生から寄せられた授業の感想にコメントを打っていた時のこと。

 せっかくなので良い音で音楽を聴きながら作業したいと思い、Mac mini(Intel)上の非圧縮音源のデジタル出力を、サンプリング周波数コンバーターに接続。簡易DACとして使うのです。
 安物ですですがその音質は価格以上。

 そのバランス出力を真空管式イヤースピーカーシステムで聴いていると....ブチッ。突然、音が途切れてしまいました。

 いろいろ調べてみると、写真中央のデジタルセレクタの一部機能が働いていないことがわかりました。
 電源部を修理したものと同じ形式(ただし別の個体)です。

 安かったのですが、音源を選択するだけでなく同軸/光信号を相互に変換することができるのでとても便利なマシン。
 でもどうやら、光入力を正常に認識しなくなっているようです。

 センセイのAVシステムは自宅書斎、金沢のアパートともに、いろいろな機器を組み合わせてシステム化しています。
 問題が発生している部分を回避すべく接続を変更して、今回はひとまずは問題解決。

 でも、いつまでもこういうわけにはいかないだろうなぁ。今回のセレクタも、20年くらい使っているはず。
 設計寿命はとうの昔に過ぎています。

 さし当たりは、自宅書斎のパソコンおよびAVモニタが特に問題。機器が寿命を迎えつつある──たぶんあと2、3年は使える──だけでなく、処分がどんどん難しくなっているのです。
 パソコン用についてはすでに、金沢のアパートで使っていた液晶モニタを自宅に持ち帰っています。

 いろいろ考えたのですが、この機会にパソコン用モニタだけでなく、AVモニタ──名機“KX-32HV50”──も世代交代させることにしました。

 近日中には続きをお伝えできると思います。 



2月12日(水) 金沢駅ビル内店舗は、旧「あじわい館」だけでなく「おみやげ館」も一時休業中

 昨日金沢駅で見たことを一つだけ。

 昨日はアパートを出てをバス停に着くとすぐに路線バスがやって来ました。何故か乗客も少なかった──片町など繁華街の人通りも少なかった──こともあり、予定よりもかなり早く金沢駅に到着。
 車内で頂くお弁当はいつものスーパーで購入する予定。

 スーパーはバス停(東口)の反対方向にあります。だから割と歩く必要があるのです。エスカレーターを目指して歩いていると、あれ?!
 妙に狭い。

 改札口(写真右奥)の前に、ご覧のような統一されたブースが、たくさんお店を構えているのです。ナシテ?!
 改めてお店をよく見ると、いずれも金沢では名の通ったお店ばかり。

 そして「おみやげ館」で営業していたお店です。この仮店舗で営業しているんですね。
 西村センセイ、ここでやっと気づきました。(詰めの甘さを暴露しているようなものなのですが。)

 先日、駅ビル「金沢百番街」の一部店舗の閉店および一時休業をご紹介しました。約1年後に迫った北陸新幹線開業に伴うものです。
 その時センセイは、「新幹線が2階を走るビル」だけの工事だと思っていたのです。

 金沢駅はその他に、在来線が上を走るビルと、いずれでもないビルの、独立した3棟から構成されています。他のビルに移動するためには、ドアを開けて外へ出る必要があります。(一部例外あり)
 でも工事は在来線のビルでも行われるのです。現場に行ってみると、確かにその部分(「あじわい館」)は閉鎖されていました。

 土産物店はお店を構えるだけだから何とかなりますが、海産物やお弁当など、冷凍冷蔵設備を必要とするお店もあります。調べてみると各店舗は、駅構内に分散して営業を続けています。
 「ふれあい館」の一番奥を訪ねると、確かに珍味や海産物を販売していました。

 改札口前に戻ります。よく見ると従業員は防寒具を着込んでいます。寒いんでしょうねぇ。戸外にいるようなものですから当然。大変だと思います。
 夏には本来の場所での営業を再開するようです。

 それまで体調を崩さないように頑張っていただきたいものです。



2月11日(火:祝日) 筋の良い若い人たちが育っているなぁ ──西村センセイ、日帰りで京都に──

 というわけでセンセイは日帰りで、京都で開かれた研究会に参加しました。ただし去年は出張がつづいたので、大学から与えられた研究旅費予算は年末に尽きています
 だから完全な自腹。

 しかも今日は休日なので、必ずしも大学に届ける必要はない──休日に私用で旅行しているのと同じ──のです。ただし万一事故があった時のために、公務出張扱いにしました。

 お弁当を買って乗り込んだ大阪行の特急「サンダーバード」、途中までは快調だったのですが、滋賀県内に入ってから急停車しました。
 湖西線内の強風のため、部分的に徐行運転をするとのこと。

 その後も滋賀県北部で徐行、一時停車を繰り返し、約30分遅れで京都に到着しました。ぎりぎりのタイミングで会場到着。
 参加者数は、先週末のセンセイらの研究会と同程度。写真は最後の総合討論の場面です。

 発表者3名と司会者はいずれも若手。といってもこの業界のことですから40歳前後なのですが。
 彼ら彼女らは、いずれも知的な筋が極めて良い。惚れ惚れします。

 大学教育をめぐる昨今の状況は極めて厳しいのが現状。

 しかしそのような悪条件の中で、彼ら彼女らはしっかりと生き抜き、学生を教えて(、たぶん家族を守って)います。
 理不尽なことが平気でまかり通るこの国ですが、それでもまんざら捨てたもんじゃない、というのがセンセイの実感。

 もともとそれが持論なのですが、4月から学内での立場が少し変わることもあって、自分に言い聞かせるようにそれを確認していた今日のセンセイだったのです。
 彼ら彼女らのおかげです。



2月10日(月) 「ありがとう こまち」 ──新造される列車もあれば、引退、廃車となる車両も──

 ご存じのように、センセイは1年中列車に乗って日本中を旅しています。可能な限り飛行機は使いません。考えてみたら、ここ2、3年で飛行機に搭乗したのは、オランダへ行った時だけ。
 もっとも、オランダでもしっかりと電車に乗っていましたけどね。

 さらに国内で列車を利用する時も、できるだけ新幹線ではなく在来線。正直なところ、乗っていてあまり面白くないのです。でも山形新幹線と秋田新幹線は別
 在来区間を走行する時はもちろん、東北新幹線上を走行している時もずいぶん印象が違います。

 そこで今回も大宮から盛岡まで秋田新幹線「こまち」号を利用しました。

 もともと秋田行の新幹線なので、盛岡に到着しても乗客はあまり下車しません。しかも降りたお客と同じくらいの人が乗り込んできます。
 「つばさ」号(写真奥)などとは利用パターンが少し違うんでしょうね。

 センセイは盛岡駅前のホテルへ向かうだけ。階段に向かってホームを歩いていると、見慣れない光景に気づきました。
 「ありがとう こまち」。車体の上部に大きなシールが貼られています。

 ここでやっと思い出しました。今回利用した秋田新幹線用のE3系車両は、E6系への置き換えにより、山形新幹線に転用される一部を除いて廃車になるのです。
 要するにスクラップ。

 「ありがとう」の文字に、JR関係者だけでなく、秋田の普通の人々の気持ちが感じられます。
 センセイは昭和の時代に生まれ育ちました。

 だから良い物をできるだけ丁寧に長く使うように教育されています。その頃の、つまり国鉄時代の列車はデザインや使い勝手よりも安全性や耐久性、安定して使用できることが優先されていました。
 だから田舎に住んでいたセンセイが乗るのは、いつもオンボロ列車。

 でもJRになってから徐々に、特に最近は急激に、その考え方が変わっているように感じられます。ただし急いで再確認しておくと、JR各社は安全が最優先にしていることは微動だにしません。
 このE3系はわずか20年弱での引退。

 変化を一言で表せば、車両はもはや消耗品。造りも使い方も、です。一定の品質の物を効率よく生産し、以前よりも短期間で減価償却を終え、浮いた費用で新しい車両を開発する。
 それはそれでわからないではないのです。

 大きく変化しているのは、目の前にあるものよりも、その背景や思想。

 「消耗品」扱いされつつあるのは、新幹線だけではあいと思います。人々の肉体から発せられるはずの「言葉」や、「聴く」という行為もずいぶん軽く扱われているように思えるのですが......。
 どうでしょう。



2月9日(日) 北陸新幹線用の“E7”系車両が、試運転や体験乗車を始めています

 首都圏を襲った大雪で関東から東北の交通機関は大きく乱れましたが、幸いにもセンセイは、多少遅れながらも無事に金沢へ移動することができました。
 起床してまず、窓の外を確かめました。盛岡の雪はたいしたことありません。

 ニュースで東北新幹線も間引き運転と伝えられたのですが、どの列車が運休なのかはネットでもわかりません。とにかく盛岡駅へ急ぎます。人出はまばら。
 確認すると、センセイが予約してある列車は運行予定とのこと。やれやれ。

 少し遅れて入線した「はやて」に乗車。満席で通路に立っている人もいます。ほぼ定刻に出発したのですが、ほぼノンストップ便のはずが、途中の各駅に停車し始めました。
 ただしドアを開けての「客扱い」はしません。時間調整、つまりこの列車の前が詰まっているのです。

 積雪量は場所によって違います。ふだんあまり雪が降らない仙台は見たこともない大雪。在来線はほぼ完全にストップしています。大変なことになっているんだろうなぁ。
 それでも列車は12分遅れで乗換駅の大宮に到着。上越新幹線には問題なく間に合います。

 しかしホームに出ると、明らかに様子が変。異様な高揚感と緊張感が漂っています。前者はカメラを構えた人々から、そして後者はJR東日本および西日本──ここは東日本管内!! ──の腕章をした人および黒いスーツ姿の人々(アルバイト)から発せられたもの。
 ホーム上の表示を見ると「団体専用」列車が到着するとのこと。

 やがてアナウンスから、北陸新幹線用に新造され、すでに試運転を始めているJR東日本のE7系が招待客を乗せて、ここ大宮駅から長野まで走ることがわかりました。
 程なく目の前にE7系が静かに到着。

 車体のベース色はクリーム色。上品な色です。アクセントの金色も、実物はもっと落ち着いた色。
 金沢の金箔と高岡(富山県)の伝統的な金属加工をイメージしているものですが、それはそれで、わかるつもり。

 でもやはり、鮮やかな青色には違和感があります。日本海側にこんな色はあるだろうか。

 係員の説明によると、乗車できるのは報道関係者のみとのこと。彼らは指定された窓際の席に座り、専用のパンフレットに目を通しています。
 子供たち(+鉄道ファン)が、その様子を羨ましそうに見つめています。

 西村センセイ、やがて毎週のように利用することになるんだけど、正直に言うと「どうかなぁー」という感じ。何だかご縁がまた一つ切れてしまったような。
 次に到着した上越新幹線に乗ると、確かに周囲は一面の銀世界。積雪は20〜30cm程度でしかないのですが。

 短時間のうちに、田圃の中に落ち込んだり、堤防の上の道路──こんな日にとても危険だ──で半回転して身動きが取れなくなった車、凍結した陸橋を越えたものの、制御できなくなって脇に突っ込んでパトカーにお世話になっている車など5台確認しました。
 雪が積もった中をノーマルタイヤで走行したんでしょうね。無謀だ。

 脱輪しただけなら、牽引して引き揚げて貰えばいいのですが、中には道路脇の比較的大きな用水路に、車体全体を頭から突っ込んでいる車もありました。
 こうなると運転手も無事では済まなかったはず。

 そうこうしているうちに、何故か上越新幹線も徐行し始めました。それでも新潟県内は雪に強いので、予定通りに自宅に立ち寄り、2分ほど遅れながらも夜、金沢に無事に到着しました。
 当地はまるで何事もなかったかのような、穏やかな表情をしています。 

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