2017年3月11日更新(2017年3月19日ページ移動。2019年1月4日写真削除)
■3月11日(土) 個人的には、シンプルなスーツが一番好印象 ──金沢工業大学の卒業式が挙行されました──
お伝えしたように、今日は金沢工大の卒業式。
実は今回、一番心配だったのが天気。先週は前半は良い天気が続いたものの、後半は一時的にせよ雪が積もるなど寒さを含めて、まるで冬に戻ったかのよう。
それでも今日は晴れとの予報だったのです。でも昨晩になると「場所によっては午前中、雪や雨が降るかも」とのこと。午後は晴れるとのことなのですが。今朝は昨日の研究会の報告書を作成、配布する必要もあって早朝に出勤。
駐車場案内の方はすでに出勤してましたが、保護者の車はまだほとんど到着していません。でもポツポツと袴姿の女子学生。ものすごく早く起床して、着付けをし、髪を整えてもらったのでしょう。
お互いに声をかけあっています。本当はもっと早くに卒業式会場へ行くつもりだったのですが、報告書の作成と印刷に手間取り、やっと9時頃に会場へ続く建物の前へ。
ご覧のように卒業生が記念写真を撮影中。女子学生ばかりなので、建築系だと思います。あちこちの準備状況や進行を確かめているうちに卒業生や先生方が集まってきて、予定通り10時に開式宣言。
もちろん例年通りの卒業式です。でも卒業生にとっては最初で最後なので、それこそが一番大切。センセイは立場上、略礼服を着て壇上やや下手──舞台に向かって左側──に着席していました。
前に座るのは心理系や建築系。つまり女子が多い。改めて気づいたことがあって、皆が皆、写真のような袴姿なのです。以前はそんなでもなかったような気がするのですが......。偉そうなことを言うつもりはありません。
センセイの娘も1年前の卒業式で袴を着用したのですから。壇上から気づいた限りでは、建築系の女子学生1名のみ、グレーのスーツ。個人的にはという断りつきですが、彼女の方が内に秘めた知的な美しさを表現していたように思えます。
オトナの顔だったのです。彼女は頭抜けて。
■3月10日(金) 午後の会議を終えてから、金沢大学で開かれた研究会に参加しました
今日はタイトル通りの話題。
昨日は1日中忙しかったし、行事が夜まで続いた上に、冷たい雨の中を歩いて帰宅したのでセンセイは少々お疲れ気味。急ぎの用件はなかったので、今朝はゆっくりと起床......できない。
寝過ごしたのではなく、その逆。いつも通りの時刻に目が覚めたのです。しかも寝不足という感覚もない。たぶん体力が回復しているんだろうと思います。もちろんそのまま起床してご出勤。
いくつかの仕事を済ませ、午後の立場上の会議を乗り切ると荷物をまとめます。数km離れた金沢大学へ行くのです。
金大を訪れるのは数年ぶり。先日ほどではありませんが、慣れていない道なので慎重に運転します。道路は混んでいましたが、20分ちょっとで問題なく到着。
ただし指示された駐車場への進入口がわからず、結果的にキャンパスをぐるっと一周しました。今日の研究会は、去年の夏に名古屋大学で、そして秋に明治大学で開かれた内容の、いわば続編。
しかも今日の午後、まさに学内で開いた会議の内容です。山形大学の先生方のお話をうかがったのですが、やはりエレガントでエクセレント。全然敵いません。
だからといって諦めたり、何もしないということではないのですが。......学ぶことが多いなぁ。
■3月9日(木) 仏を作ったら、次は魂を入れなければ... ──夢考房は引っ越し作業中──
今朝は冷たい霙が降っていました。しかも割と強い横風。
こんな日は普通、自動車で出勤するのですが、今日は徒歩。夜に飲み会があるのです。今日のセンセイはホントに大変。
朝の9時から会議と、上奏(じょうそう)と説明会と会議と会議がほぼ切れ目なしに連続。しかも最後の会議に続いて研修会が開かれ、その後は送別会兼懇親会。
9時過ぎに自宅アパートへ戻りました。それでも、お昼に少し時間が空いただけラッキー。今日の昼食は無理かと密かに覚悟していたのです。
降り出した霙の中、傘を差して弁当屋へ向かっていると、あれっ?!旧夢考房26の入口が大きく開いています。というか、入口部分が外されているんじゃないだろうか。
もちろん新築された新夢考房41への引っ越しのためです。新夢考房41は、建物こそ完成したものの機器類はまだ一部の、金属加工機械しか搬入されていません。
それ以外はここを含めて旧夢考房に残されたまま。旧夢考房26、内部はこんな感じなのですが、たくさんの機械類を分解、梱包して移動し、再度組み立てる必要があるのです。
仏を作ったら、次に魂を入れる必要があるということです。う〜ん、でも良く考えてみると夢考房の「魂」は、そこで育つ学生や関係する職員(技師)の中に存在するはず。ということは、これらは「仏具」のような位置づけか。
茶化しているわけではないので、関係者の皆様、お許しを。
■3月8日(水) 雪がズンドコ降ってきた。今週末は卒業式だというのに...
週末から月曜日まで、北陸地方はかなり良い天気だったのです。
日曜日も、新潟の自宅で洗車した時こそ細い雨だったものの、車を走らせて富山県に入ると途端に晴れ上がりました。ちょっと割り切れなさを感じたくらいです。
それが急変したのは、昨日。それでも朝はまだたいしたことなかったのです。でも竣工式を終える頃には風向きが変わって気温がどんどん低下し、雪が降り始めました。昨日の写真をよく見ると、傘を差している人がいます。
お昼頃になると降り方は激しさを増して、「ズンドコ」降るという感じ。もちろん降雪そのものは音を立てません。でも真冬でもめったに経験しないほどの激しい降り方なので、傘に当たる音がホントにうるさいのです。傘に雪が積もってしまう(!!)ため、時々傘の上の雪を振り落とす必要があるほどでした。
昨日は昼に寒冷前線が通過し、その後から寒気が上空に入ってきました。ただし真冬によく見られる西高東低の冬型ではなく、移動性の低気圧の通過にともなうもの。
気圧配置の上では、もう完全に春なのです。降雪が長続きしないことはわかっているのですが、ある場所──例えば金沢──に雪が降るかどうかはよくわからない。
断片的になった雪雲が通過するかどうかにかかっています。写真は今朝撮影したもの。斯様(かよう)に、一面雪景色だったのです。ただし地表はかなり暖まっています。
芝生などを除くと、お昼までには地面から雪は消えてしまいました。ところが、これで終わりかと思ったら帰宅する頃にはまた激しい降雪。寒気は予報より遅れて、今晩もまだ上空に留まっている模様です。
この時季、三寒四温とは良く言ったものだと、先人の智慧に驚かされます。好天や雪を2、3日の周期で繰り返しながら、全体としては大きく次の季節へ動いています。今年の春分は3月20日。もう2週間もありません。金沢工大の卒業式は今週土曜日。
考えてみると数年前の卒業式で、あまりの寒さに使い捨てのホッカイロが配られた記憶が......。う〜ん、卒業式を良い条件で迎えられるといいのだけど。
■3月7日(火) あちこちに、区切りがつけられていく(2) ──新夢考房41号館の竣工式が行われました──
今日も見たまま、そしてタイトル通りの話題。
いわゆる「春休み」──センセイらにとっての休みではありません──期間なので、特に早く出勤する必要はないのですが、今日だけはちょっと特別。
9時に現地へ集合せよとの指示が出ているのです。向かったのはセンセイらの研究室のある建物から少し離れた場所にある(新)「夢考房41」。「夢考房」は学生が自主的にモノづくり活動をする拠点。ロボカップなどで有名です。
(旧)41号館は閉店した電気店跡を買い取り、転用したもの。もう一つの「夢考房26」と統合するため、昨年5月の着工以来建設工事が進んでいたのです。
西村センセイ、この種の行事に出席するのは初めて。10分前に写真中央やや左寄りの入口から入館すると、3階に上るよう指示されました。広く大きな、そして長い階段。
なぜか踏み板はゴム張りでした。滑らないようにするためでしょうか。一番広く、ロボットなどを走行させる「試走スペース」という部屋の中に紅白幕が張られており、神職が続いて入ります。
神式の竣工式は約40分で終了。退出のついでに、館内のあちこちを見せていただきます。従来の夢考房と比べて広々としているのが特徴。実際、旧館(2館の合計)の1.7倍の床面積があるそうです。
建物は完成したものの、引っ越しはまだ始まったばかり。というか、移動が終わったのは重く大きな金属加工機器ばかりで、それ以外はまだ引っ越し準備中です。だから実際の供用開始は新年度になってから。
学生諸君の喜ぶ様子が目に浮かびます。
■3月6日(月) あちこちに、区切りがつけられていく(1) ──1号館の床暖房システムが完成しました──
今日は見たまま、そしてタイトル通りの話題。
昨日は日曜日で、珍しく「出勤」しませんでした。センセイは通常、日曜の朝に自宅を発つので、金沢到着は午後早く。アパートにいても仕方ないので、たいていは研究室で仕事をするのです。
ただし昨日は出発が2時間ほど遅かったし、事故を目撃してダメージを受けていたので、アパートでゴロゴロしていたのです。で、今朝出勤すると、年初から始まった1号館(センセイらの居室がある建物)の床暖房工事が終わっていました。
それでも午前中に外国からのお客さんをお招きした時は周囲にポールが置かれており、立ち入ることができなかったのです。
でも夕方帰宅する時には、ご覧のように遮るものは何もありません。工事中はどうなるかなぁーと密かに心配していたのですが、完成してみるとずいぶんスッキリとしています。
写真手前と奥に車椅子用のスロープがあります。テーブルはその位置を移動させられるようですが、それぞれの中央に有線LAN端子があるので、大きく変更することはできません。
周囲の長椅子は固定式。というか、もしこの椅子が存在しないと段差で躓いてしまう人が出ると思います。手摺や柵の代用なのですが、椅子にすることで圧迫感を減じているんでしょうね。
右側に床面が露出している場所がありますが、これは台車等を移動させるためのスペース(のはず)。学内のあちこちで工事をしているので、漠然と「いつになったら...」と感じる時もあるのですが、やはりそこはプロ。「その時」までにはしっかり仕事を終えます。
これで一区切り。明けない夜はないんですね。まぁ、終わりのない人生もないのですが。
■3月5日(日) 糸魚川大火で消失した割烹「鶴来家」、路線バスの広告は健在でした。当たり前ではありますが...
今日は移動日。
霧のような雨が降っていた──「漂っていた」の方が近い──のですが、まず洗車します。3週間ほど洗うことができなかったので、かなり汚れが目立ちます。
それだけではありません。日本海側では道路の凍結を防止するため融雪剤として塩化カルシウムを捲くし、日本海の波が海岸で砕けて霧状になり、塩分が車体に付着します(窓ガラスが塩分ですぐ白くなる)。
塩分は車体を錆びさせるので、見える汚れよりもはるかにやっかいなのです。冬の間はちゃんと洗車できなかったのですが、今日は割と丁寧に洗いました。といっても、自宅では塩分が付着した車体下部を洗浄することはできないのですが。
荷物を積み込んで自宅を出発。柏崎市と上越市の境界付近ではセンセイが車を走らせている国道8号線と北陸自動車道が平行します。高速道路は海岸段丘の上にあるのですが......ずいぶんゆっくり走行しています。
間もなく赤色灯を点灯したパトカー2台が見えました。交通事故です。情報によると、交通事故で通行止めとのこと。上越を過ぎた糸魚川市(旧能生(のう)町)鬼舞(きぶ)で道路脇に不自然な格好で駐車した車2台に気づきました。営業車なので仕事なのかと思ったら、衝突事故。
大きな被害はないようでしたが。どうも精神的に交通事故に追いかけられているような格好になったので、いつも以上に慎重な運転を続けていると、神通川にかかる橋の上でいきなりストップ。車に不具合が生じたのではなく、急に渋滞が発生したのです。
車列は全然進みません。橋の上なのでUターンなんてできない。それでも20分くらいして動き始めると、片側1車線の道路上で正面衝突事故が起きたようです。黒い大きなワンボックスカーが歩道に乗り上げており、その脇には小さな子供2人と若い両親。
お母さんは子供たちを抱きかかえていました。事故の様子はドライブレコーダーにきちんと記録されているはず。もちろん昨日のようにそれをご紹介することもあります。
でもそればかりやっていると、何だか邪悪なものに密かに侵食(しんしょく)されてしまいそう。というわけで、同じドライブレコーダーの記録でも、こちらは事故とは無縁の映像。昨日、自宅に帰る途中、糸魚川市内で撮影したものです。
この地域でバスを運行する頸城鉄道の路線バス2台の後ろを走る格好になったのです。(写真と枠内)それぞれの後部ガラスには何と、割烹「鶴来(つるき)家」の宣伝が。昨年末の糸魚川大火(年初の現場)で消失したお店です。
バス会社としては宣伝契約通りの仕事をしているだけ。でも個人的には、地元に愛されているお店なんだろうなぁという印象を持ちました。
ちなみに鶴来家は、年初から店主の自宅でリゾート列車「雪月花」用のお弁当製造と、仕出しを再開しています。ついでに言えば、同じく被災した加賀の井酒造もグループ会社の銀盤酒造──北陸新幹線黒部宇奈月温泉駅の近くにある──で酒造りを再開しています。
こちらは金沢のテレビニュースで観ました。たぶん邪悪なものは人間の弱さの中に存在したり、弱さを突いて出現します。残念ながら弱い部分、暗闇の部分(ダークサイド)が存在することをきちんと認めること。
それがオトナへの第一歩なんだと思います。コドモにはできないこと、です。