2018年9月29日更新(2018年10月7日ページ移動)
■9月29日(土) 電車に電力を送り込む架線が...終わっている ──烏山線で蓄電池駆動電車に初めて乗車しました──
先週末の宇都宮ツアーの話題も、最終回。予定外のニュースが入ったため、「近日中」とは言い難いかもしれませんが、悪しからず。
お伝えしたように早起きをした西村センセイ、沿線の様子を確かめながら日光駅から宇都宮駅へ下りました。次に乗るのは、東北本線宝積寺(ほうしゃくじ)駅から分岐する烏山線。数年前、この烏山線で大きな変化がありました。
直流電化されたのです。烏山線は非電化区間なのでディーゼルカーが用いられていました。でも黒磯までの東北本線が早い時期から直流電化されているなど、周囲を走っているのは電車ばかり。長い区間ならともかく、烏山線のように比較的短距離、しかも本数が少ない路線の場合、わざわざ専用のディーゼルカーを運用するのは得策ではないのです。
で、「電車」が走り始めたのですが、これが普通の電車とちょっと、しかし確実に、違う。だって、電力を取り入れる架線がない場所を走行できる「電車」なのですから。
写真は烏山駅で撮影したもの。2両編成の列車の情報には架線が張られています。普通の架線ではなく、大電力を流すための太い金属の棒ですが。電車の陰になっていますが、奥には電力施設があります。
で、手前はというと、架線が存在しない!!この“ACCUM”──「蓄電池」を意味する“accumulator”に由来──という愛称を与えられたEV-E301系電車は、現在のところ烏山線専用。電化されている東北本線内と、この烏山駅では架線から電力を取り入れます。
でもここ以外の烏山線には架線が張られておらず、電車は内蔵するリチウムイオン電池に蓄えた電力で走行します。それ以外は普通の電車。エンジンを唸らせて徐々にスピードを上げるディーゼルカーとは対照的に、加速は素晴らしい。まさに電車。知らなかったら絶対、普通の電車だと信じて疑わないはず。
ただし電力は走行だけに用いるわけではありません。自動車同様、最近の列車はディーゼルカーも電車も、車載コンピュータで運行から車内環境までコントロールしています。限られた電力をどのように使用し、電化区間でどのように充電しているかは、車内にある専用モニタに逐次表示されます。
それを見ていても、全然飽きない。まぁ、これは、センセイだけかもしれませんが...。センセイ自身はまだ乗車あるいは目撃していませんが、秋田の男鹿線でも、JR九州が用いているものとほぼ同等の蓄電池駆動電車が運行を始めたはず。
さらにはもっと一般的に、JR東日本およびJR北海道のディーゼルカーを、「ディーゼルエンジンで発電した電力で、モーターを動かす」車両に置き換えることになりそうです。
こちらでご紹介した機関車の、お客を乗せる電車版だと思ってください。「電車」の概念が、最適解を求めて、どんどん変わっていきます。
■9月28日(金) 三者三様 ──西村センセイ、迫り来る颱風に負けず、1か月後の行動計画を練る──
今日は完全な休暇(のはず)。
明日、早朝から重要な仕事があるので今日のうちに金沢へ移動しますが、建前上は明日の仕事が始まる時までに大学に到着していれば良い。実際には、加齢で視力が低下しているので、夜間や未明の運転はしませんが。
で、今日は、お昼頃まで自宅付近での用を済ませ、日光の土産を渡すという名目で実家を訪れて、両親の安否確認をすることにしていたのです。でも結局、予定の大半をキャンセルして、センセイはやや遅めに自宅を発ち、10時前にはJR東日本柿崎駅に出現。ベテランの駅員に資料を渡して用件を伝えて「その時」を待っていると、大学から電話が。
颱風がやって来るため、受験生や関係者の安全を優先して、明後日の入学試験を中止するのこと(広く公開されている事実)。やっぱり。入試部長が休暇不在なので、事務と学長とで決定したそうです。明日は予定通り実施するのですが、代替試験日の個別対応など、現場はかなり厳しい状況のはず。結局、午後には「ご出勤」。ま、仕事だからいいんですけど。
今日の写真は先日の日光ツアーの最後に撮影したもの。宇都宮から米沢に出て、米坂線の列車に乗車したところまでお伝えしました。終点坂町到着後、センセイは自宅とは反対方向の村上行の電車に乗車。列車は村上で折り返して、今度は新潟を目指します。
もともとそのような乗車券を用意しており、決して不正乗車ではありませんので、誤解なきよう。でもセンセイは途中の新発田(しばた)駅で下車。ホーム反対側に停車している2両編成のディーゼルカーに乗車します。先ほどの電車は新発田から白新線に入ります。
でも羽越線本体は、新発田から鉄道の要衝、新津(にいつ)へ続いているのです。この区間、滅多に乗ることがありません。センセイは、かつて存在した夜行寝台特急「トワイライトエクスプレス」に8回乗車していますが、この列車は新潟に立ち寄ることなくこの羽越線を走行します。
上り列車、つまり札幌を出発して大阪を目指すトワイライトエクスプレスに乗車すると、なぜかいつも新津手前、阿賀野川を渡る鉄橋の上で目覚めます。でも日中、この区間に乗るのは3回目くらいじゃないだろうか。だから車窓の風景はとても新鮮。で写真。
新津駅に到着する直前、列車最後尾から窓越しに撮影しています。右上から左下に走るのが、乗車している羽越本線。でも、これを直行するような形で信越本線が交差しています。
以前、信越本線の車中から撮影したものご紹介した場所。軌間が異なる山形新幹線と仙山線の交差(2枚目の写真)ほどではありませんが、分かる人には貴重な場面。実は今回、米沢から鉄道ファンと思われる男性が2名乗車しました。
いずれも首から大型のカメラを下げています。センセイもその一族であることについては否定しようがないのですが、注目する対象は三者三様。車窓からの風景であったり、車両の記号であったり...。でも、今泉駅でのレールの共用だとか、新津駅のレール交差などについては興味ないらしい。
単に、知らない、ということなのかもしれませんが...。ちなみに西村センセイ、カメラは鞄の中にしまっておいて、必要な時だけ取り出します。シャッターチャンスを逃す原因でもあるのですが、被写体や一般の方に、カメラを手にして何か獲物を...という印象を与えたくないので。
程度の差でしかないことは、承知しています。で、1ヶ月後、センセイはどこで何をしているのでしょう...。
■9月27日(木) 雲から垂れ下がり、今にも海に届こうかという漏斗雲の撮影に成功しました
今日は予定を変更してお伝えします。
センセイは現在、新潟の自宅へ戻っています。今週と来週の週末、入学試験が実施される(広く公開されている事実)関係で、明日、代休を頂戴しているのです。午後の講義を終えてからアパートに立ち寄り、荷物をまとめて移動開始。
通常は一般道だけを使ってゆっくり帰るのですが、今日は遅い出発。いつもの経路だと富山市内で帰宅ラッシュにぶつかるし、程なく日も暮れます。そこで富山市中心部の手前から北陸自動車道に入りました。
石川県内は細い雨が降っていたのですが、意外にも富山県に入ると、雲は残るもののかなり晴れています。でも、新潟との県境に差し掛かると、正面は真っ黒。
太陽を背にしているので、副虹を含む虹がかかっています。綺麗ですが、その下は雨のはず。晴れと雲の境目が明瞭だったので、チラチラと見ていると、ふと、細い漏斗(ろうと)雲の存在に気づきました。刻一刻と形が変わっています。入善SAで撮影したのが写真。
ちょっと分かりづらいと思いますが、漏斗雲に対応して、海水が吹き上がるような状態になっています。上空に寒気が入って大気が不安定になっており、発生した強い空気の渦が海水その他を吸い上げているのです。これが発達すると竜巻などになります。
今まで何度も目撃し、時々撮影していますが、ここまではっきりしたものは初めて。で、新潟県に入ると、お察しの通り猛烈な風雨。冗談抜きで視界が悪くなり、運転に支障を来すほどでした。もちろん安全運転を心がけて帰宅しましたが。
休暇といっても、自宅に滞在するのは一晩だけ。明日の午後には金沢へ移動します。
■9月26日(水) 西村センセイ、今泉駅でダブルスタンダードを猛省する
ある意味、昨日の続き。舞台も同じ今泉駅とその付近ですが、内容はひとまず別。
今泉駅で20分ほど停車すると聞いた西村センセイ、駅前に出るため跨線橋へ。窓を開けて──撮影後閉めて鍵を掛けています──橋の上部から撮影したのが写真。
北西方向を見ています。線路が何本か見えますが、右から“λ”あるいは「人」の字のように見える線路が山形鉄道フラワー長井線。左側の太い線路が米坂線。ちなみに、左端は保守車両用の側線と推測されます。
で、これらの線路、ご覧のように最後は合流しています。それが、どうしたって?
米坂線はJR東日本の路線、フラワー長井線は第三セクターである山形鉄道の路線。それが一つになっているのです。実際、反対側(南東側)は別々に線路が。
これには、事情があります。フラワー長井線は実は、旧国鉄長井線。列車の運転頻度は高くないので、分離する必要がない区間は、米坂線と長井線が一つの線路を共用していたのです。
北西方向へ1.5kmほど進み、白川に架かる鉄橋を越えると、右の写真(列車最後部から南東方向、つまり今泉駅方向を見ている)のように線路が分岐します。センセイが乗っているのは米坂線。
左側(北東方向)へ分かれていくのがフラワー長井線。ちなみに、その先には「ジャズやるべぇ!!」の撮影地があります。山形鉄道そのものも、しっかりとご出演(?)。
再び「それがどうした」と問われそうですが西村センセイ、個人的には、「JR線全線乗車」(JR東日本の一部区間を除く)の価値が問われています。
東日本以外は全線乗車したことそのものは事実。ただし旧国鉄解体時、あるいはそれ以降に第三セクターに経営が移譲された区間があります。山形鉄道はその一つですが、まだ乗車する機会に恵まれていない...。
長崎県などの九州北西部を旅した時も松浦鉄道(旧松浦線)を、そして九州北部のJR線をを完全乗車した時も平成筑豊鉄道には乗り損ねてしまいました。
それでいて、北陸新幹線開業に伴う在来線の第三セクター化などはあまり気にしない。要するに、自分にとって都合が良いように解釈。「ダブルスタンダード」です。
北海道や秋田県、山形県、四国、そして九州も入ってみたいのだけど、やはり遠い。そしてもしかすると、もはやそこへ行くだけの時間すら残されていないのかもしれない。
残念ながら。
■9月25日(火) その日、宮脇俊三は父長吉とともに、この今泉駅前に立っていた
先週末の日光線・烏山線ツアーの続きを。ただし今日の舞台は栃木県ではなく、山形県。
今回の鉄分補給の旅は、日光駅を早朝に出発するという点を除けば、相当良くできたプラン。メインの路線を効率良く乗車できることに加えて、烏山から宇都宮に戻った後は、自由に経路を選択できます。
時間もたっぷり。そこで今回は、東北・山形新幹線で福島─山形県境を絶景を愛でてから、久しぶりに米坂線に乗車することにしました。これらを含めて全体としての乗り継ぎが良い。そこで今回は大判のJTBの時刻表を持参しませんでした。
もちろん乗換の時刻等はメモしておいたのです。米坂線には何度も乗っています。でも、米沢から新潟に抜けるのは初めて。当たり前ですが、山形県置賜(おきたま)地方と新潟とでは、前者が高い位置にあります。つまり新潟から米沢へ向かう時は基本的に、上り坂。
分水嶺は山形県内にあり、そこを越えてしばらく下ると米沢。同じ路線を走っているにもかかわらず、ディーゼルエンジンを唸らせて山形へ向かう時と印象がずいぶん違います。そして、今回乗車した列車には予想外だったことがもう一つ。途中、今泉駅と小国駅でそれぞれ20分ほど停車したのです。
写真の今泉駅では山形鉄道フラワー長井線の列車と接続。せっかくのこの機会なので、初めて駅前に降り立ってみました。予想外に狭い駅前。ひっそりとしており、誰もいません。山形屋と栄屋という旅館が2軒。
ただしこの今泉はかつて、鉄道のそれなりの要衝でした。紀行作家──鉄道作家というべきか──の宮脇俊三は、国会議員だった父長吉とともに旅行中の1945年8月15日正午、ここ立っていました。
終戦の玉音放送をここで聞きます。その時の様子が名作『時刻表昭和史』(1980)に記されています。父は息子に「いいか、どんな放送であっても黙っているのだぞ」と念を押します。
粗悪なラジオから流れる昭和天皇の言葉は極めて難解。「放送が終わっても、人びとは黙ったまま棒のように立っていた」にもかかわらず、「日本の汽車は時刻表どおりに走っていた」と、静と動を見事に対比させます。
あるいは聖と俗、過去と未来。その場所をぜひ訪れてみたかったのですが、今まで乗車した列車はいずれも、僅かな停車時間。駅舎の外へ出ることはできませんでした。西村センセイ、少なくとも鉄道に関しては計算し尽くしてから行動します。
「計算可能」が大前提であり、これまでのこの国の誇りの一つなのですが。でも時には、このようないい加減さ、あるいは偶然も大切。そこで調子に乗って、今泉駅とその付近でもう一つのことを確かめてみました。(たぶん、続く)
■9月24日(月:祝日) (再び)これが技術力の差かぁ... ──金沢のディーラーでブレーキパッドを交換していただきました──
今日は予定を変更してお伝えします。個人的には、かなりショックだったので...。
今朝は早めに新潟の自宅を発ちました。午後、金沢のBMWディーラーEPM社へ入庫することになっているのです。きっかけは8月上旬の飛び石によるフロントガラスので損傷。保険の関係で、こちらは新潟のディーラーで交換していただきいました。
それ自体は何の問題もなかったのです。起動時に表示される指示によると定期点検を受ける時期とのことだったので、それも合わせてお願いしたのですが、何だかこちらはしどろもどろ。結果的にこの点検は、6月に金沢のディーラーへお願いしたものらしい。
しかも営業担当者は何も言わなかったのですが、技術の人が車に疎い家人に「○○を交換した方が良い」と言っていたらしい。「○○」って何?技術の方に電話してみると、後輪のブレーキパッドが限界(約3mm)に近づいているとのこと。ブレーキは安全を確保する基本的な消耗品。だったら、点検のついでに...とならないところが、新潟のお店。費用を尋ねると約78,000円。
しかも車を引き取り一晩預かる必要があるとのこと。そして数日後に摩耗が限界を超え、起動時その他のタイミングで強く警告されるようになりました。写真中央のブレーキランプがその一つ(他にもある)。
サイドブレーキを引いた時(下の写真中央部)にも表示されるマークですが、これが常に点灯しています。車は移動手段として必要だし、新潟のディーラーは以上のような状態なので、先週金沢のお店を尋ねました。
状況を確認した後に伝えられたのは、作業時間は1時間強。費用は約41,000円。ただし必要な部品の在庫がなく、取り寄せる必要がある。何なんだ、この差は。
金額の多寡(たか)の問題ではないのです。(再び)これが技術力の差かぁ...。
というわけで今日、金沢のディーラーに持ち込んだという次第。説明を受けて店内で待っていると、奇妙なことに気づきました。お店は2車線の幹線国道に面しています。
奥はスイスイ流れているのに、金沢市街地へ向かう手前は、妙に流れが悪い。「今日は3連休だから...」と考えたのですが、なぜかホイッスルを繰り返し耳にします。変だなぁと思って道路を見ると、道路脇の電柱の陰で、上下紺色の服を着た若い男性が立って道路を見ています。左手には小型の黒い物体(無線機)。
何だか、とてもシュールな光景......あ"っ。彼は警察官。交通取締りの最中なのです。この先に交通機動隊の本部があり、赤旗を掲げた隊員が次々と車を誘導しています。右側車線にも飛び込んで(!!)、車を止めています。ここで、ブレーキパッド交換の作業が終了し、係の方がお越しになりました。
彼の説明によると、手前のユニクロとこの場所との二段構えで、シートベルト着用を取り締まっているとのこと。商売なので精算しようとすると、一部の部品については交換しなかったため、費用は伝えられた見積額より抑えられて約36,000円とのこと。そしてもう一つ。
前回訪れた時にも話題になったのですが、BMWの車は最近、軽微なリコールを発表しています。点火プラグ関係の点検が必要なのです。もちろん新潟のディーラーにもその旨を伝えたのですが......結果報告がない。
先週金沢で点検した時もその記録は残っていませんでした。そして残念ながら1週間後の今日も記録は入力されていない...。というわけで、購入したお店ではないにもかかわらず、金沢でリコールに対応していただきました。もちろん、お礼を言って、お店を後にします。
新潟のディーラー、冗談抜きで、大丈夫かなぁ。
■9月23日(日) 日光東照宮も、中禅寺湖も、華厳の滝も...今回だけはパス ──JR日光線と烏山線に乗車しました──
気になって出張申請の書類を確認したのですが、今回はやはり、日帰りでのご出張。
というわけで、昨晩の宿泊その他は自腹で、いよいよ行動開始。目的はもちろん鉄分補給。JR東日本以外のJR線は完全乗車していますが、東日本社線については関東北部と千葉県、そして横浜に未乗区間が残っています。
ただしいずれも、なかなか行く機会がありません。宇都宮に初めて降りたのですから、比較的近い場所にある未乗区間に乗ろうと考えたのです。
昨日はごく普通──でもないか──のルートで宇都宮入りしたのですが、上越新幹線も、大宮で乗り換えた東北新幹線も大混雑。自由席車両はもちろん、指定席車両のデッキにもお客さんが立っている状態でした。世の中、3連休なのね。
鉄分を補給することにしてホテルを探したのですが、やはり連休だからでしょう、見事なまでに、ない。困った...。関東北部に残された未乗区間は日光線と烏山線。乗車が難しいのは後者。何しろ、終点の烏山駅(那須烏山市)で、折り返しまでに1時間半も待ちます。駅の近くにホテルがあれば話は別なのです。
とにかく辿り着き、翌朝、烏山駅を起点に行動を開始する。しかし調べてみると駅前には旅館が1軒あるだけらしい。諦めて日光駅を目指します。まず確保しなければならないのはホテル。高級物件は調べていませんが、駅前に安ホテルを確保することができました。
実際に泊まってみると、他の方にお勧めできるような物件ではありませんでしたが。次に列車の乗り継ぎを調べます。すると日光駅を6時に発車する列車に乗ると、宇都宮駅を経由して割と調子よく烏山駅へ向かうことができます。早朝なので、列車は20分ちょっと停車しただけで折り返し運転。しかも宇都宮駅へ9時過ぎに戻れます。
その後のルートは自由。初めての日光線。車窓からの景色はどうなんだろうと期待していたのです。宇都宮駅を発つ時はまだ僅かに明るさが。都市部なら暗くても人工光で、ある程度様子はわかります。
でも日光線は、宇都宮市街地から外れると、真っ暗。人家が少なく、沿線は農地か森林であることがわかります。その状態を40分ほど続けて着したのが、光溢れ写真のJR日光駅。夜7時頃の撮影ですが、とにかく外国人客が多い。
ロシア語とフランス語とハングル語が入り乱れています。車内および駅舎内、駅前の案内も他言語。先日の札幌もこうだったら良かったのに...。
ホテルへ向かって歩きます。ご存じの方も多いと思いますが、日光はJR線と東武線が平行して走行しています。東武日光駅はJRの駅舎よりずっと大きい。
またJRがロングシートの通勤用205系──ただし最近、ジョイフルトレイン「いろは」を導入──を運用しているのに、東武はもっと立派(に見える)。ホテルの所在地を確かめてから、斜向かいのコンビニでワインと夜食を購入します。いろいろトラブルはありましたが、気を取り直して5時過ぎに起床。
朝のJR日光駅も撮影しているのですが、夜の方が風情ありますね。
早朝の駅舎は無人。係員もいなかったので、切符を自動改札機に入れてホームへ出ます。ちょうどここで夜を過ごした4両編成の205系が待避線から入線するところ。出発時刻になっても、乗客はごく僅かです。
昨晩も気づいていたのですが、日光は、坂ばかり。かなりの山間(やまあい)にあります。そして宇都宮から日光に至るまでの間、JR線も東武線も相当な勾配を登っています。というか、実際の歴史は逆で、たぶん坂道を登りきれなくなった場所に鉄道の駅を設けたんだと思います。
周囲は予想通り農地。もちろん住宅も多いのですが、何故か自宅敷地内に鳥居──神社の、あの鳥居──を設けた家が目立ちます。写真は撮影し損ねましたが。
鹿沼からどっとお客さんが乗ってきて、宇都宮駅到着。烏山線直通の列車はすでに入線していました。早朝なので乗客はそんなに多くはないのですが、少ないわけでもない。沿線の高校で資格試験が行われるらしく、女子高校生が教科書を読んでいました。
もっと真面目な子は、自筆のノートに目を通しています。こちらも1時間弱走行して、写真の烏山駅に到着。建て替えられたばかりのモダンな建物です。乗車するのは、宇都宮で買い物などをして遊ぼうという私服女子中学生の一群や、新幹線で上京するらしい親子連れなど。
繰り返しになりますが、今日は連休の中日なのです。センセイはというと、これで関東北部の未乗路線はなくなりました。ただし車中で感慨深そうに缶ビールの栓を抜く──していません──などというのではなく、あっちへ行ったり、こっちを確かめたり。
そして、ふ〜ん。というのは、この地域に唯一残されていた非電化路線の烏山線は、最近......。続きはたぶん、近日中に。