2018年10月27日更新(2018年11月4日ページ移動)

──2018年10月第4週のニュース──

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10月27日(土) 【追伸】さすがに歓声は聞こえなかったけれど... ――熱戦が繰り広げられた広島球場脇を通過しました――

 今日は特別にオマケを。1日に2回更新するのは18年ぶりのはず。

 センセイは予定通りシンポジムに出席してから、ひとまず東京駅に戻って、5時過ぎの東海道山陽新幹線に乗車しました。本当の目的地は博多。
 明日開かれる研究会に参加するためです。

 ただし行楽シーズンの週末だからなのか、何かイベントがあるのか、博多市内のホテルには空席がありませんでした。そこで新幹線としては一つ手前の、小倉駅前に宿泊することに。
 「のぞみ」の指定席はほぼ満席。アナウンスによると、自由席は相当混雑したようです。

 このページは名古屋の手前で更新。ビールのせいでぼんやりしていると、車内の電光掲示板の情報が目に入りました。今日初戦の日本シリーズは、6回の時点で2対2の同点とのこと。
 時刻を考えると、進行が遅い。

 もしかしたら、試合を「見る」事ができるかも。山陽新幹線は、広島駅到着直前に広島球場(正式名称は「MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島」)の脇を通過するのです。
 センセイが乗車した「のぞみ53号」は9時過ぎに広島へ到着します。

 駅到着のアナウンスがあり、下車する乗客が通路に並んだころに、列車は球場脇を通過。写真では良くわかりません――すみません――が、客席はカープの赤色一色。さすがに歓声は聞こえてきませんでしたが、すぐ脇を走る在来線なら良く聞こえると思います。
 広島からは、ホークスのユニフォームを着た男性が乗車。

 だから、もしかしたら試合に決着が着いたのかなぁと思っていたのですが、10時過ぎに小倉に到着した時点では2対2のまま。お風呂にお湯を張っている時に、12回が終了し、引き分けとなりました。
 最後の緊張感は凄かったです。

 遠くからだけど、立ち会うことができたことを喜びたいと思います。



10月27日(土) 優秀な人からは、やはり、学ぶことが多い... ――「工大サミット」に参加しました――

 2日連続で同じような写真になってしまい、申し訳ありません。

 もともとは大学正門の、青空に映える写真にするつもりだったのですが、シンポジウムの内容に惹き込まれてしまったので。会場そのもの、そして座った位置は同一。
 だからどうしても似たような写真になってしまいます。

 お伝えしたようにセンセイは昨日に続き、芝浦工業大学で開かれた会合に参加しました。テーマは、昨日の高大接続と関連はするもののひとまず別。何てたって「工大サミット」。
 サミットというのは頂上のこと。

 私立工業大学トップ8校の集まり、というわけです。ただしその中に金沢工大は含まれていません。きっと、大人の事情があるのでしょう。

 それはともかく、主催大学学長の説明に続いて昨日同様、文部科学省の担当者による基調講演。続いてサミット8校の学長(1名のみ所用で代理の副学長)が各大学の取り組みを説明しました。
 正直なところ、センセイはあまり期待していなかったのですが、これが本当に興味深い。

 学長の報告の奥行きが、見事なまでに違うのです。特に、最後に話された福岡工業大学学長のお話には魅了されました。言葉の数は少ない。ただし経験に裏打ちされているので重みがある。
 それを裏から支えているのは、「知」(“
scientia”)への敬意。「畏敬の念」と表現する方が適切かも。

 センセイはこれまで、何人かの学長の下で働いてきました。意外に思われるかも知れませんが、学長が皆、行政者として優秀だとは限らない。むしろ、残念ながらそうではない人の方が多いと思います。でも言い換えると、優秀な人は優秀。
 この目で見ていますし、実際その方の直下で働くこともありました。

 この人の下で働くことができていたら...というのが今日の偽らざる感想。いろいろなことを考えながら、センセイは現在、滅多に乗らない東海道新幹線で西を目指しています。



10月26日(金) 「あの日」から間もなく一カ月... ――西村センセイ、都内で開かれたシンポジウムに参加する――

 ...というわけで西村センセイは昨日、講義を終えると新潟の自宅へ移動。今日からの出張に備えるためです。

 低く、黄色く、そして圧迫感を覚えるほど大きな満月を正面に見据えながら自宅に到着したのは、夜も更けてから。

 授業のページなどサイトを更新して就寝すると、もう起床、そして出発の時刻。各駅停車2本と上越新幹線を乗り継いで上京しました。
 目的地は豊洲にある芝浦工業大学

 今日ここで「高大接続」に関するシンポジウムが開かれ、それに参加したのです。ただし、「参加した」と過去形にすべきかどうかは微妙。明日も関連行事が開かれ、そちらにも出席するのです。
 写真は文部科学省の担当者が講演しているところ。

 センセイは金沢工大の入試部長なので、高大接続や大学改革には否応なしに巻き込まれています。ただし今日訪れた個人的な関心事は、少々別なところに。
 帝京大学を訪れた時と同様、採択された科学研究費補助金での研究内容に関係した内容です。

 その点に関して言えば、今後の見通しを得ることができて大変参考になりました。

 一連のプログラムは明日夕方まで続きます。終了後、普通なら新潟の自宅か金沢へ移動するのですが今回、センセイは東海道山陽新幹線に乗って西へ向かいます。
 もちろんセンセイの専門に関する公務出張。

 ただしお察しの通り、これは「あの日」と関係していて...。



10月25日(木) 新幹線の窓の向こうに「それ」が存在したので... ──万代の「レインボータワー」は解体、撤去へ──

 「それ」の存在に気づいたのは、先月3日

 センセイは出張先の札幌を目指して日本海縦貫線経由(在来線)で北上していました。ただし乗換の関係で、長岡─新潟間は上越新幹線に乗車。東京方面はよく利用するのですが、この区間に乗るのは数年ぶりだと思います。
 列車が新潟駅に近づいた時、窓越しに目に入ってきたのが、「レインボータワー」。

 1973年、新潟駅近くの新潟交通本社用地に整備された「万代(ばんだい)シテイ」に、バスセンターとともに建設された象徴的存在の展望塔。ご覧のように塔はその名の通り、七色に塗り分けられています。
 この塔を中心に、ドーナッツ状2階建ての展望台がゆっくりと回転しながら昇降します。

 センセイは1976年から9年間、新潟市中心部および西部に生徒・学生として存在していました。新潟市再開発地区の真新しいダイエーとレインボータワーは、お上りさんには眩しい存在。
 ただし学生時代およびその約10年後、前任校に大学教師として赴任した時も、搭乗する機会はありませんでした。

 でも、子供ができると事態は一変。2000年、幼稚園児だった娘とともに新潟を訪れた際、レインボータワーに初めて乗ってみました。誰かの手から離れ、上昇する風船が記憶に残っています。
 高い建物なので、新潟平野を広く見渡すことができます。

 レインボータワーは2011年に発生した東日本大震災で一部に損傷を受けて営業を休止していたのですが、2012年に営業を終了。そして今春、解体が発表されました。
 ここまではニュースで知っていたのです。

 でも、車窓越しとはいえ、実際にこの目でレインボータワーを見ると、関連するいろいろな出来事が思い出されます。塔の近くにある建物でイベントに参加したこととか。
 そこで先週末、その周囲を歩いてみました。

 ご覧のように、塔の周囲には工事用の足場が組まれています。新幹線の中からだと分からなかったのですが、展望台は既に撤去されていました。現在は塔そのものの解体工事中。万代シティおよび万代地区の象徴が消えていきます。
 それとともに、その時代や時間を共有した人々、そしてセンセイ自身の存在が徐々に薄くなっていくことを思い知らされます。

 役者が人知れず、静かに交替するというわけです。



10月24日(水) 西村センセイ、2日連続で食べ過ぎてしまう ──「バスセンターのカレー」編──

 もう1日だけ食べ物の話題を。

 今回の秋田ツアーは本来の仕事に加えて、個人的には鉄分補給も目的。お伝えしたように沿線の状況を確認できる時間帯に移動したので、特急「いなほ」の新潟到着は正午過ぎ。残念ながら、そこから先の乗り継ぎが良くありません。
 次の列車まで2時間ほどあります。

 そこで今回は発想を切り替え、この機会に新潟駅周辺を歩いてみることにしました。前任校時代、センセイは良くこの辺に出没していたのです。ただし現在は、そもそも新潟へ来る機会が少ない。もちろん新潟駅で乗り換えることはありますし、駅近辺のホテルに泊まることもあります。
 でも正面玄関にあたる万代口(北側)に降り立つことはほとんどなくなっています。その万代口に立つと...ない。

 右手正面のマルタケビルが解体撤去されていました。もちろん立替工事の件は知っていたのですが、マルタケビルは金沢でいうと金沢都ホテルのような存在。工事用フェンスに囲まれた何もない空間に違和感を覚えます。
 向かいのビル2階にあった喫茶店も、いくつかのお店も、そして私立学校関係のホテルもなくなっています。

 裏道を通って新潟中央郵便局脇から万代シティ方面へ向かいます。途中、「ラーメン二郎 新潟店」に出くわしました。もちろん長い行列。新潟にも進出していたんですね。ここまで来ると元ダイエー、現在のLoveLa万代はすぐ目の前。
 現在ではとても考えられないことですがダイエーの上層階にはかつて、電子部品──この場合は抵抗とかコンデンサーなどという意味──の売店がありました。

 秋葉原へ行けばもっと種類が豊富でしかも安いのですが、交通費がかかるので、貧乏学生には敷居が高い。

 通信販売という方法もあったのですが、現在のようなネット社会ではないので、手間とお金がかかります。だからしばしばダイエーを訪れていたのです。
 無理をしてTEACのA-6100 MkIIテープデッキ(こちらこちら)を買ったのもダイエー。40年近く前のことです。

 現在、隣のビル内にはNGT48劇場が存在するはずですが、そちらにはご縁がなさそう。

 館内を通り抜けると2階が広場になっていて、1階はバスセンター。周囲のビルも建物そのものや、店舗が変わっていました。広いお店を構えていた紀伊國屋書店はダイエー最上階へ。
 ここまで来たら、もう行くしかない。

 有名な「バスセンターのカレー」です。食べるかどうかは別にして、その存在を確かめて見たかったのです。1階に降りると、やはり行列ができていました。
 並んでいる人の話によると「今日は列が短い」とのこと。

 正確には立ち食い蕎麦店「名物 万代そば」。でも蕎麦とともに有名なのが「バスセンターのカレー」。新潟市民で知らない人はいないんじゃないかと思うほど。
 まずは右端の券売機で食券を購入します。

 食券さえ手に入れば、お目当てのカレーやそばはすぐに出てきます。十数年ぶりに手にしたのが写真の「カレーライス」。普通盛で、470円です。
 こんなに量が多かったっけな。ずっしりとくる重さです。

 野菜は玉葱がメインで、他に人参など。大きな豚肉も入っています。久しぶりに頂くと、まず感じるのは懐かしさ。特別な主張はなく、家庭料理のカレーという感じ。
 でも徐々に、辛さを感じるようになりました。それを打ち消すかのようにご飯をいただきます。

 客観的な評価はというと、食べる人によって見解が分かれるところだと思います。特に凝っているわけではない──と思う──ので、物足りなさを感じる人もいるでしょう。
 でも新潟市民を惹きつけて止まない魅力があることもまた、確かです。

 で、結局、2日連続で食べ過ぎてしまった...。



10月23日(火) 西村センセイ、2日連続で食べ過ぎてしまう ──「新潟駅は1番線ホーム」編──

 先週末の秋田ツアーで、体重が少々増えてしまった件の続き。

 秋田駅東口の「ドジャース食堂」でお昼を食べ過ぎてしまったセンセイ、その影響で、少なくとも食事に関しては初めて経験する酒田での夜を楽しむことができませんでした。北前船──現在の高速道路網に相当──で栄えた酒田なのに、本当にもったいないことをしました。
 翌朝は、酒田始発の特急「いなほ」に乗車予定。

 良い席の特急指定券を持っているのですが、ふと気づくと、乗車時刻を20分ほど勘違いしていました。センセイにしては珍しいこと。もちろん乗り遅れるようなことはなかったのですが。リズムと自信を崩し気味で「いなほ」に乗車。
 終点の新潟駅は、ここ数年、ずっと工事中。老朽化が進んだ駅舎に替わる新駅舎を新築中なのです。

 お伝えしたように、すでに上越新幹線と羽越本線の特急「いなほ」が同一平面上で乗換可能になっています。

 写真は新潟駅到着後、連絡用の南北通路から西側を見たもの。右端に微かに見えてるのが現駅の1番線ホーム。ホームは残っていますが、工事用のフェンスで覆われており、立ち入ることはできません。
 かつてそこから左側(=南側)に向かって、7番線(その後、6番線に削減)までのホームが存在していました。

 新駅舎では、新幹線のみならず在来線ホームも3階に設置されます。在来線のみ地上を走る仙台駅などとは違って、現在の金沢駅や富山駅同様、駅の南北を平面で通り抜ける道路が建設されることになります。
 現在はその過渡期。

 センセイは新潟市内に12年ほど住んでいました。新潟駅とその周辺についてはいろいろな思い出があります。でも、今日の関心事は別なところに。
 「新潟駅は1番線」です。

 新潟駅には立ち食い蕎麦のお店がいくつか存在しました。記憶に間違いがなければホーム上に3軒。そして駅舎内に数軒。で、鉄道ファンの間で有名だったのが、「新潟駅は1番線」。
 もちろん1番線の駅が美味しい、という意味です。

 ハラハラどきどきしながら階段を降りると......残っていました。上の写真の右下にあたる場所に存在する「新潟庵」です。以前はこんな暖簾、なかったけどなぁ。
 これぞ運命。迷うことなくお店に突入します。

 工事の関係か、お店の位置を微妙に引っ込めた(?)ようで、券売機は撤去されていました。男性の店員に注文を伝えて現金で代金を支払います。
 ポータブル型のキャッシャーから取り出したお釣りを受け取ります。

 センセイがお願いしたのは、かき揚げうどん(430円)。改めて店内を見渡します。やはり仮店舗らしい。

 でも、かき揚げうどんはホントに美味しかった。冷凍麺ならではのコシは当然として、ダシも美味しく、塩っぽくもない。キンエン生活中のセンセイなので、頂く量も控えましたが。
 改めて感心したのが、他店とは異なる、かき揚げの美味しさ。倖せだ...。

 唯一失敗したのが、麺の量。前日に「ドジャース食堂」で食べ過ぎてしまった影響が長引き、この日の朝は何も食べることができなかったのです。徐々に空腹感を意識するようになっていたのですが、大盛りを頼み損なってしまいました。
 この微妙な感覚が、続く悲劇(?)を......。



10月22日(月) 季節がグイッと、波打つように進む ──剣岳など、立山連峰が冠雪しました──

 予定を変更して、今日見たままの話題を。

 いつもなら日曜日、つまり昨日のうちに金沢へ移動するセンセイ。ただしこの週末は工大祭──参加できなくて、ゴメンね──で、今日はその片づけの日。昨晩は新潟に留まりました。
 朝イチにかかりつけのお医者さんへ行ったため、少々遅めのご出発。

 初めての場所に少し寄り道をして、順調に富山県内に入ります。気温は10℃台前半で、しかも湿度が低かったため、新潟県内と富山県東部はエアコンを切って走行。
 ただし燃費はあまり変わりませんでした。

 いつものように「スーパー農道」へ迂回すると、剣岳(写真中央)など立山連峰の峰々が少し白くなっていることに気づきました。初冠雪です。昨晩のニュースで立山の冠雪が報道されていたことを思い出しました。
 ほぼ例年(2017年2016年)通りの冠雪です。季節は正直だ。

 「里山の駅 つるぎの味蔵」で撮影したのが写真。秋と初冬が同居しています。間もなく麓も雪の季節に入ります。センセイは今日、冬用タイヤへの交換を予約しました。
 ただしこれは夏を基準にした表現。

 半年前まで冬だったことを考えると、本来のあり方に戻る、という方がより適切な表現なのかもしれない。



10月21日(日) 西村センセイ、2日連続で食べ過ぎてしまう ──秋田「ドジャース食堂」編──

 西村センセイ実は、僅か2日間の秋田ツアーで1kgちょっと(!!)体重が増えてしまいました。理由は要するに、美味し過ぎたから。

 初日(金曜日)は早朝に自宅を発ち、全席指定の快速列車と新幹線、そして特急「いなほ」を乗り継ぎ、目的地の秋田には正午過ぎに到着。出発が早かったということもあって、珍しくお腹が空いています。
 秋田の中心地は駅の西側。

 以前、駅のすぐ近くにとても美味しそうなお店があったのですが、その時は団体行動だったので入り損ねてしまいました。そこに訪れようかと思ったのですが、すでに混雑する時間帯。それにサラリーマンは仕事最優先。
 秋田大学は駅北東部にあります。

 そこでお昼を食べるとともに、バスの便など駅東側の様子を確かめることに。以前、駅に隣接するビルの飲食店に入って反省したことが影響しているのでしょうか、結果的に、駅からどんどん離れてしまいました。
 駅ビルに戻ることも考えた時、ふと、遠くに派手な「食堂」の看板が。これも運命。

 お店を確かめてから行動することにします。ダメだったら秋田大学構内の大学食堂でお昼を済ませてもいいのです。で、お店に接近して最初に気づいたのが駐車中の車の多さ。
 人々の出入りも多い。

 「ドジャース食堂」の看板が掛かった建物に近づくと、ご覧のように自転車も多い。美味しいお店を選ぶ鉄則は、繁盛しているお店を選ぶこと。その意味では十分合格点。
 僅かな逡巡
(しゅんじゅん)を蹴散らして、とにかく入店することにします。

 店外もそうですが、入口や店内も掲示物が多く、初めてのお客にはなかなか状況を理解することができません。まず分かりにくかったのが、注文の仕方。食券を買い求める必要があるのです。
 幸いにもセンセイの前には、女子高生2人連れなど数人のお客さんがいるので、その行動を見習うことにします。 

 結論から言うと、注文は高速道路のS.A.で見かける方式。食券を購入すると、そのデータは自動的に厨房へ伝えられるので、お客さんは呼び出しを待つだけ。でも良く分かっていないお客さんも見かけました。
 とにかく席を確保してから、改めて店内を見渡します。

 お客さんは実に多種多様。常連と思われる地元客も多いのですが、スーツ姿の初めて利用する客や、夫婦連れ。そして女子高生。良く知っているお客さんは2階に存在するらしい「個室」に入っていきます。
 お客さんは60名くらいだと思うのですが、厨房で作業しているのは僅か4名。実に動きが良い。

 大学食堂のように出来合いのものを並べるのではなく、多種多様なオーダーを一つ一つこなしていきます。ただし、すべてがこの調子では商品を円滑に供給することができません。

 どうするんだろうと思ってみていると、ご飯を盛るための空の椀とともに、メインとなる料理のみお盆に乗せて提供。ご飯やみそ汁類、ドレッシングなどは商品を受け取ったお客さんが、自分の好みに合わせて対応するという仕組み。
 これだったのね。値段の安さの秘密は。

 最後の詰めは、美味しさ。本当に美味しい。しかも量が多い。

 東北なので濃い味なのかと思ったら薄味。それでいて野菜などの素材の美味しさ──「甘さ」というべきか──を引き出しています。ご飯は秋田産とのことですが、これも美味しい。で、結果的に食べ過ぎてしまいました。
 夕食はほとんど口に入らなかったほど。(ただしビールは別腹)

 あまりのショックに、自宅へ戻ってからしらべてみると、このお店、秋田では良く知られた株式会社ドジャース商事の一部門とのこと。食堂はこのお店と寿司店だけのようです。経営面、特に無駄な支出などには相当厳しいらしい。
 改めてお店を振り返ると、おそらく店舗は経営がうまく行かなかった店舗跡を改装しているんじゃないでしょうか。

 秋田を訪れる機会があったら、今度こそゆっくりと訪れてみたいと思います。

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