2020年7月18日更新(2020年7月26日ページ移動)

──2020年7月第3週のニュース──

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7月18日(土) これが、その「米山降ろし」。(あまりはっきりしてないけど...)

 休日なので、新潟の自宅へ戻りました。

 朝食後はまず、約1ヶ月ぶりに洗車。汚れが溜まっていることは良く認識していたのですが、ホントにずぅーっと雨が続き、洗うことができなかったのです。その後は自転車でかかりつけ医を訪れて診断と治療を受け、ひとまず帰宅。
 車に乗り換えて、実家へ。

 土蔵の雨樋の整理など、いくつかの所用を済ませて帰路へ。国道116号線に入ると、正面には、何度もご紹介したこの地域のシンボル「(よね)(993m)。...あ"っ。

 米山は新潟県の中央部と西部、つまり中越と上越を分けていいます。現在は北東から南西に向かっているのですが、米山の左側(東側)に連なる稜線に、見慣れない雲が。
 本当はそこで車を止め、写真を撮影しておくべきだったのです。

 でも運転中で次の信号機とのタイミング──走り慣れている道路なので知り尽くしている──もあります。何より、まだかなり遠い...。
 そこで市内に入ってから撮影することにしました。

 これは最初から折込済だったのですが、いくら田舎とはいえ、市内にはそれなりに構造物があります。だから米山の様子が良く見えない。見通しがきく場所に出たのですが、今度は「それ」が消滅。
 後から考えると「それ」の変化は、思いのほか急速だった。

 自宅に戻り、片づけを終えてから書斎から改めて米山の様子を確認します。写真はその時に撮影したもの。米山の山頂(ほぼ右端)と東側の稜線の一部を見ています。
 おそらく、まず感じていただけるのは、山々の高い場所に雲がかかっている...。

 それだけでしょうか。

 曇りの日など、大気がそれなりに安定してるのなら、雲の下部はほぼ揃っています、雲は浮かんでいるのではなく少しずつ落下しているため、気温が上昇した高度で見えなくなってしまうのです。でもここではそれほどでもない。
 そして、どうやら峰の向こうは雲が詰まっているような...。

 そしておそらくその通り。当地は基本的に、北西から風が吹きます。ただし今日は日本海に低気圧が位置しているため南西、つまり写真の奥から弱い風が吹いています。そしてその空気はかなり湿っている。
 写真の場所は、高さ数百mの峰々が西から東に向かって衝立
(ついたて)のように連なっています。

 峰の向こうの湿った空気は背後から押されているためその地形を昇らざるを得ず、雲となるか、飽和水蒸気量の限度に達して雨となるしかない(今回は降っていないはず)。何とか峰を越えると今度は下降気流に。
 すると今度は気温が上昇するので、雲はあえなく消失。実際、こちら側の空は、かなり晴れています。

 富山県内で経験したフェーン現象も、基本的には同じ現象です。

 センセイが帰宅途中に気づいた時、峰々の低い場所から雲が滝のように流れ落ち、そしてそれがある高度で消失していました。「流れ落ち...」と言っても雲なので、ごくゆっくりとした流れでしたが。
 「滝雲」と呼ばれる雲です。そしてこれが「米山降ろし」。

 現在の場所に家を建てた時、隣家のご主人から初めてこの言葉を教えていただきました。

 「米山降ろし」は天気が急変する予兆。実際、程なく周囲は暗くなり、2時間後くらい後に雨が降り始めました。ローカルな智慧かもしれませんが、学校で学んだことと組みあわせるとさらに力を持ちます。
 他人の話を(それなりに)ちゃんと聴くこと、そして勉強することってやはり、役に立つ。

 少なくともセンセイは、そう考えます。



7月17日(金) 「Aの、破滅型」... ──大学最寄りのガソリンスタンドが閉店しました──

 今日は見たままのお話。

 写真は今週、雨が降っていない時間に外出した際、「眼鏡市場」旧店舗のその後の様子を確認したついでに撮影したもの。大学最寄りのガソリンスタンドが閉店しています。何故その日、その場所なのかというと、ここは「眼鏡市場」旧店舗および「松屋」の向かいだから。
 お店を経営していたのは、市内で他に数店舗を展開する地元資本の会社。

 少し前から閉店に向けたと思われる動きが始まっていたのです。でも火曜日に訪れると、敷地全体が緑色のフェンスで覆われていました。
 看板類も完全に消去されています。

 個人的には、自宅までの経路上でで給油する──しかも最近は、自宅付近のみ──ので、このお店を利用したことはありません。同僚が運転する公用車で立ち寄ったことがあるだけ。
 でも2018年の大雪の際はここで洗車機のトラブルに出くわすなど、それなりに気になっていました。

 割と大きなお店──つまり、かなり投資されている──で、それなりに固定客がいたのです。だから正直なところ、今回の閉店はちょっと意外。
 しかし頭を冷やして振り返ると、この先には安売りのお店が一昨年末にオープンするなど、競争が激化していました。

 だから考えようによっては、資本主義の競争原理に忠実に従っただけなのです。

 されど、どこか哀愁(あいしゅう)が漂う。一つには過去の人間が徐々に消え去り、若い世代が台頭するというごく正常の、そして客観的な動き。この中には地域全体の栄枯盛衰(えいこせいすい)も含まれます。
 ある意味、日本人が好まれるとされる諸行無常
(しょぎょうむじょう)あるいは判官贔屓(ほうがんびいき)なのかもしれない。

 でも、昨日、一昨日とお伝えしている解体工事を含めて、「滅びゆくもの」に関するセンセイの拘りは、それだけでは説明できないと思う。一つはセンセイのもともとの性格。これに関してはエピソードが。
 センセイはこの3月までの4年間だけでなく、前任校でも6年間ほど学生募集と入学試験の実質的な責任者を務めました。

 1995年のことだと思うのですが、国内最大手のR社と協力して大学のパンフレットを作成することになりました。現在までお付き合いが続いている精鋭の方々──今から考えても奇跡だと思う──が集結。

 制作中の休憩時間、関係者の血液型が話題になりました。センセイの番になった時、プロのカメラマンの方がボロッと、「Aの...破滅型」。一瞬にして関係者の表情が固まります(実話)。誰もフォローのしようがない。
 その通りなので。

 でもセンセイは平気。(ホントに)

 センセイより数歳年上の彼は、感覚的に本質を見抜き、しかしクライアントであるセンセイの立場を考えることなく、感じたことを口にしたんだと思います。まぁ、その意味ではビジネスマンとして必ずしも適切ではなかったかもしれない。
 でも本質的には、彼の見立の通り。

 そしてもう一つ。

 何回かお伝えしてきていることですが、最近の体力の衰えは想定を越えています。超長距離通勤とこともあり、センセイの引退はどうも、早まりそうな気配なのです。でも、まぁ、これも人生(“C'est la vie”)。
 決して不満の類を述べているわけではありません。



7月16日(木) 人間、引き際が難しい... ──久しぶりに晴れた日、センセイがこの目で見たもの──

 「夜の雨も明け方には...」という昨晩の予報は残念ながらちょっと外れ。

 起床して外を確認すると、歩いている人は傘を差しています。たいした降りではなかったのですが。身支度を整えて出発しようというころには、それなりの雨。というわけで今日もセンセイは自動車でご出勤。 
 ただし大学に到着する頃には傘は不要に。

 朝から研究室で仕事をしていたのですが、気づくと外はずいぶん明るくなっています。そのうちに日が射し始めました。写真はお昼に撮影したもの。午後イチも講義なので、お昼は簡単に済ませたい。
 午前の講義を終えて受講生の反応を確認していたら、「今日はいい天気です」というコメントが。

 それに誘われて...というわけではないのですが、約1年ぶりに大学裏のサンドウィッチ店「ニュージョイス かもの」へ向かいました。
 高齢の奥様と息子さん夫婦が切り盛りする、金沢ではとても有名なお店です。

 ご覧のようにかなり綺麗に晴れています。こんな青空は数週間ぶり。途中、蝉の音が聞こえてきました。午後の講義の中で別なクラスの受講生も、蝉の声に言及していました。
 もしかしたら以前から鳴いていたのかもしれません。でも、少なくともセンセイが明確に意識したのは初めて。

 すでにバレバレですが、サンドウィッチ店というのは口実に近い。隠されたアジェンダは写真の解体中のお宅。つまり昨日の続きということになります。
 ただし実は、時間は逆。

 昨晩、仕事に区切りをつけて自動車でスーパーに向かっていた時、一瞬、重機の黄色いアームが目に入ったように感じたのです。でも周囲は暗いし、何よりセンセイは運転中。
 自転車と違って、Uターンは難しい。

 というわけでチャンスがあったら再訪することにして帰宅したところ、アパート近くの解体現場に出くわしてしまったという次第。

 改めて確認すると昨日同様、まずかなり広い敷地です。ただしこちらは庭よりも建物の広さを重視していますが。積雪に耐えるためのコンクリート製の車庫が特徴。住んでいた方がきちんと管理していたことがわかります。
 昨日のお宅と同じ時期の建設と。

 こちらもご不幸があったなどは確認しておらず、詳しい事情は良く分かりません。でも、確かなこともあって世代交代は静かに、されど着実に進んでいるということ。以前のセンセイだった、気にも留めなかったはずなのです。
 でもここ数年は、違う。

 お察しの通り、(病気その他がなかったとして)「明日は...」とは言いませんが、いよいよ明後日は我が身の問題として迫ってきた、ということなのです。

 人間、引き際が難しい...。



7月15日(水) 降り続く雨で、見落としてしまった... ──アパートのすぐ近くで、住宅の解体工事が始まりました──

 今日は見たままのお話。

 3週間前、自宅から手動式のポンプを運んで金沢で使っている自転車のタイヤに空気を詰め直しました。ところがその後、その自転車の出番がほとんどない...。

 もちろん、このところ降り続く雨のせいです。自宅と金沢を電車で移動していた時は、雨が降ったら徒歩で出勤していたのです。でも現在は、通勤にも自動車を利用可能。もちろんあまり濡れずに済むのはメリットです。
 しかし、それでなくても少ない運動量が、さらに減ります。

 そもそも、今学期は大半の講義が遠隔式なので、1日中研究室で座りっぱなし。対面式の講義はもちろん疲れるけれど、そちらは心地良い疲労感。一方、遠隔授業は何だか妙な疲れ方...。まぁ、ずいぶん慣れましたけど。
 自動車通勤には、問題がもう一つ。

 通勤経路の様子を良く確認できないのです。当たり前ですが、安全運転が最優先。自転車でも安全は大切ですが、自動車となると段違い。危険を予知しながら、前方を注視します。

 写真は今晩撮影したもの。スーパーで生の鯵2尾を買って帰宅したのですが、アパートに到着する寸前、車庫入れ中の乗用車と出くわしました。
 もちろん邪魔するつもりはないので、減速します...あれっ?!

 その車の隣の隣のお宅が何と、解体工事中だったのです。まったく気づきませんでした。

 思い返してみたのですが、そのお宅でご不幸があったとか、デイサービスの車をよく見かけるようになったなどの変化はありませんでした。だからまったく予想外。
 でも良く考えてみると、今週は少しだけ、しかし確かに、いつもと違う動きがあった...。

 徒歩だったらもちろん、自転車でも今週に入ってからの変化を見逃すことはなかったと思います。でも自動車だと、良くも悪くも視野狭窄(きょうさく)に陥る。しかも暗くなってからのご帰宅。
 改めて現地を確認します。

 初めて気づいたのですが、ずいぶん広い敷地です。右から車庫、解体中の住宅、そして写真の外まで広がる広いお庭。内部構造が一部見えており、このお宅が建設された時代を推測することができます。
 おそらく、やはり世代交代。

 程なく自身がその対象になることを再確認するだけでなく、変化を見落としていたことに愕然とした今日のセンセイだったのです。



7月14日(火) 関係が、逆なのかも... ──「眼鏡市場」旧店舗は、解体せずに残される模様です──

 今日は火曜日。朝イチに1年生を対象した対面の講義がああります。

 「大雨になるかも」との昨晩の予報は良い方に外れましたが、今日も自動車でご出勤。帰路はかなり降られました。それはともかく、早朝から準備をしたので、講義と後片づけは10半までに終了。さて、どうしよう...。
 昼食です。

 講義を終えたので最低限、翌日以降の講義の準備をすればいいのです。いつもなら仕事の区切りと混まない時間帯を見計らってお弁当その他を買い、午後の作業に備えます。でも今日は、お昼休みに学生との個人面談が入っています。
 そもそも雨が降っているので、大学近辺でどうにかするしかない。

 その場合、学内の売店あるいは近隣でお弁当を買うにしても、塩分の多いものになりかねない。いろいろ考えた末、近くの松屋へ行くことにしました。11時までならシンプルな朝定食を頂くことができるのです。
 卵焼きでタンパク質も補給可能。

 そして、もう一つ松屋を選択した理由が。

 隣接する、新店舗へ移転した「眼鏡市場」の旧店舗の「その後」です。写真は先日、奥にあるドラッグストアを訪れた際に気がついて撮影したもの。
 最初は解体工事か、と思ったのです。

 落ち着いてよく観察すると、確かに店内の什器(じゅうき)備品は撤去されて、片付け作業が進んでいます。でも外まわりはというと、どうやら看板の類を撤去しているだけらしい。
 なぜか駐車場の舗装を剥がしていましたが。

 今日確かめたかったのは、お店の様子に加えて、左奥に少しだけ見える建物のその後の様子。実は、目立たないこの場所にある建物は、眼科クリニックなのです。
 でも営業休業日も、営業時間帯も眼鏡市場と同じ。

 医薬分業が進んでいる──学生諸君は生まれた時からそうなので、何を言っているのか分からないと思う──ので、病院の傍に薬局があるのは良くあること。
 大きな病院だと、複数の店舗がお客さんを待っていたりします。

 つまり病院が主で、薬局が従。

 でもここでは、両者の関係が逆転しているような...。まるで処方箋が必要な時のために、クリニックを開設したかのよう。もちろんセンセイの勝手な思い込みでしょうし、「それが悪い」と言っているわけではないのですが...。
 改めて、現地を確認します。

 意外にも重機こそなかったものの、今日もまだ片付け作業が続いていました。で、クリニックはというと、やはり営業していません。「眼鏡市場」と同じ日付、同一の時刻で閉じていました。それはそれで、わからなくはない。
 でも新店舗の近くに、それと思
(おぼ)しき眼科医院は見当たりません。

 端的に言うと、要らなくなった、ということなんでしょうか...。



7月13日(月) 高齢のご夫婦が切り盛りする中華料理店「タカラ飯店」に、初めて入ってみました

 今日は見たままのお話。

 お伝えしたように、センセイは昨日のうちに金沢へ移動しました。写真はその前日、つまり土曜日に自宅のある柏崎市内で撮影したもの。「タカラ飯店」という中華料理店です。その存在は以前から承知していました。
 ただし、市の中心部からちょっとだけ外れた場所にあるので、あまり馴染みがない。

 それでも、金沢工大のすべての役職を降りた4月以降、お店の前を通る機会が増えました。いつものガソリンスタンドで給油してから実家へ向かう時に、お店の前を通るのです(直接向かう場合は別なルート)。
 でも正直なところ、積極的に...という雰囲気とは言い難い。

 しかも年々その敷居が高くなっていたのです。ところが最近、このお店に関する情報に触れる機会がありました。もちろん美味しさに関してです。
 そこで一昨日、初めて入ってみました。

 店内は、外観に対応した雰囲気。カウンターが数席と小上がりがあり、座卓が二つ。ピークを過ぎた時間だったので、お客さんは親子と思(おぼ)しき高齢と中年の女性の1組のみ。
 事前の情報通り、調理場には高齢のご夫婦。

 お二人ともセンセイの両親より約5歳くらいお若く、閉店した「ニュー立山」のご夫婦よりは年長。基本的にはご主人が調理し、奥様が配膳その他という役割らしい。
 ただし分担は状況に応じて柔軟に使い分けているようです。お二人のステディな動作がすべてを物語ります。

 本当はラーメンが美味しいらしい。でもセンセイはキンエン生活中なので、ご飯ものを頂くことにします。初めて目にするメニューなので、どれを選ぶべきかよくわかりません。
 そこで目に飛び込んできたカツ丼(750円)をお願いしました。ご主人がジャーの中のご飯の量を確かめます。

 奥様が先のお客さんのチャーシュー麺と冷やし中華を、やや時間差を持たせて運んできました。センセイからすると背後になるため直接見てはいませんが、二人とも「美味しい、美味しい」と言いながら、そしてまさにそんな雰囲気で頂いています。
 中年の男性客が入ってきました。馴染み客らしく、短いやりとりの後にマーボー麺をオーダー。

 続いて「辛目で、麺は硬め」。ふ〜ん、こういう感じなんだ。 

 ここでセンセイのカツ丼登場。写真は撮影してありますが、今回は省略。非常に素朴な造りで、奇を衒(てら)った要素は皆無。当たり前ですが、中華料理店なのでお味噌汁ではなく中華スープ。肝心のお味は、直球ストレート。
 もちろん、美味しい。

 正直なところ、キンエン生活中のセンセイにはちょっと辛いものがあった──特にスープと漬け物──のですが、地域の人々を惹きつける魅力があることは良くわかりました。メニューを確認したので、次回は(あまりお肉が入っていないらしい)野菜炒め定食を頂こうかな。
 リーズナブルな価格設定だし。

 可能な限り、長く続いてほしいお店です。



7月12日(日) 約30年連れ添ったDAコンバーターを開腹して、お別れを告げました(3)

 朝、いつも通りに自宅を出発。

 新潟、富山県内は雨。しかも時々激しく降るので、運転にはかなり気を使いました。短時間ですが、場所によっては猛烈な降りになったので、スモールライトだけでは足りずに前照灯を点灯させ、ワイパーを高速で動作させる必要があったほど。
 お昼過ぎ、無事に金沢に到着しました。

 途中で一つ気づいたことがありました。6月中旬から他県──それも非常に遠くの県──ナンバーの乗用車やキャンピングカーをよく見かけるようになったのですが、今回はほぼ皆無。この天気のせいかもしれません。
 それとも新型コロナウイルスの感染拡大を意識してか。

 金沢では雨がほとんど降っていなかったので、少しだけ休息してからトランクにビールの空きケースを積み、後部座席にセンセイの環境下では非常に使いにくかったDMR-BRG2050”を載せてアパートを発ちます。
 自宅書斎でも先週末のうちに“BDZ-ZX2700”を設置し、設定を終えました。

 パナソニックのBDレコーダーは録画内容をすべて消去し、各種設定を工場出荷時に戻しています。ビールを補給した帰りに、ハードオフで2台とも買い取っていただきました。買い取り価格は購入時の約1/3。まぁ、こんなものでしょう。
 それにしてもつくづく、センセイはパナソニックとご縁がないらしい。

 というわけで、半ば忘れられつつある感がするDAコンバーター“D-500”シリーズ(こちらこちら)最終回。今回はデジタル基盤編です。

 以前、アナログ基盤をご覧に頂いたことがありますが、写真デジタル基盤は初めての公開。と言うか、実はセンセイ自身、30年弱前の改造以来この目で見ていません。デジタル回路も改造されているのですが、最後まで完璧に動作していました。
 素晴らしい。

 全体として“74HC”シリーズなど集積度が非常に低い汎用IC(左右の、細長くあまり大きくないIC)を多用しています。時代を感じます。改造のポイントは、写真左上の増設部分。
 もちろんセンセイが設計、製作しました。

 改造の目的は、不要なコピー制御符号を付与せずに、デジタル信号を外部に出力すること。ちろん違法な用途には使用していません。基盤上、中央部分に載っているのがキーデバイス。
 ソニー製の“CXD1211P”という専用送信IC(集積回路)です。

 このマシンを改造する前に“PCM-501ES”と“CDP-502ES”を改造しているのですが、その時は“CX23033”というソニー製の非常に特殊なICを使用しています。
 ICUの助手時代に、秋葉原の専門業者を通じて2個購入。とにかく高かった。

 ただしICU在籍時は忙しすぎたため、実際には使わずに、前任校時代(たぶん1993年頃)まず“PCM-501ES”を、そして“CDP-502ES”を改造したはず。
 特に“PCM-501ES”は、センセイの最高傑作。

 このような回路は高速で動作するため、その基準となる「クロック」というパルス信号が必要になります。

 普通ならCRによる発振回路か水晶素子を使って元の信号を得るのですが、PCMプロセッサの場合、音声データを画像として記録しているVTRのビデオ信号からクロックを生成する必要があります。
 つまり他機からの信号に依存しながら、安定したクロックを得なければならない。

 そこで“PCM-501ES”の時は、当時実用化されたばかりの「バリメガ・モジュール」という富士通製の複合デバイスを用いました(こちらも高価だった)。
 やはり秋葉原の専門業者を通じて入手したように記憶しています。

 ただし両機で手持ちの“CX23033”を使い切ったため、この“D-500”の時は1世代新しい“CXD1211P”を使用しています。ピンの端子が異なるはずなので、相当勉強したはず。
 このパワーが本来の仕事に向かっていたら...。トホホ。

 増設部分を外し、記念に残します。現れたのが2枚目の写真。左側が本来の送信IC、ヤマハ製の“YM3623B”。

 右隣はセイコーグループのNPC(日本プレシジョン・サーキッツ株式会社。現セイコーNPC株式会社)製の“SM5803APT”デジタルフィルタ。3周波数(32.0/(44.056/)44.1/48.0kHz)の周波数に対応する当時最新鋭のIC。
 末尾の“T”は、ゴム印で記されています。

 確か、選別品を意味しているはず。ちなみにアナログ基盤上の“TDA1541A”DACも、“S1”はゴム印です。

 しかしセンセイの集中的なパワーも残念ながらここまで。この“D-500”の場合、アナログ基盤上のASC社製コンデンサへの置換はICUの助手時代、つまり30歳頃に行っています(費用がかかっただけで、改造そのものはごく簡単)。
 “PCM-501ES”と“CDP-502ES”の改造は35歳頃。

 “D-500”デジタル基盤の改造は37歳頃で、学生募集および入学試験の実質的な責任者となってバリバリ働き始めた時です。

 実はオーディオ機器の場合「クロック」の純度が問題で、それが低いと「ジッター」というクロックの「濁り」が発生し、音質に大きく悪影響を与えます。前述したようにクロックの元となる信号は、CR素子で発生させ、PLLという回路を通じて必要なクロックを生成させるのが簡単で安価。
 しかしこの場合はクロックの純度が低く、音質が良くありません。水晶素子を使う方法もあるのですが、こちらは複数周波数に対応させるのが難しい。

 しかもPCMプロセッサの場合、VTRからの信号を使う関係で、再生時は録音時の44.1kHzと僅かに異なる44.056kHzにも同期させる必要があります。ただし見方を変えると、PCMプロセッサでは44.1kHzと44.056kHzにさえ対応すれば良い。
 そこで“PCM-501ES”はこれらの周波数のみに対応するタイプのバリメガ・モジュールを使用しています。

 バリメガ・モジュールには3周波数対応のモデルもあり、実際に購入済。これを使って再改造すれば、“D-500”の音質はさらに向上するはず...なのですが、その日は来ないまま最後の時を迎えてしまいました。
 ゴメンね。 

 つくづく、約30年前のセンセイはやはり、ほぼまったくの別人だったようです。

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