2025年5月31日更新(2025年6月8日ページ移動)

──2025年5月第5週のニュース──

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5月31日(土) 若草色と土の色。その比率がポイント ──雨が降る前に、庭の草取りをしました──

 昨日に引き続き濃淡の異なる緑色が目立ちますが、ご注目いただきたいのは中央部の茶色い部分。

 関東から東北地方は今日も雨。太平洋側では特に風雨が強かったようです。当地はというと、当初は終日雨との予報だったのです。でも起床して外を見ると、曇っているものの雨はまだ降っていません。
 雨雲レーダーで確認すると、雨雲は想定より南側に。

 どうやら当地には、正午頃まで掛からずにすみそう...って、昨日と同じパターン。いろいろ考えたのですが、メール──ほとんどが証券会社を騙(かた)るスパムメール──だけ確認してから身支度をし、庭へ出ました。
 雨が降る前に少しでも雑草を取ろうと考えたのです。

 この時季は、植物の成長速度が特に大きく、放っておくと雑草だらけになってしまいます。しかも去年までと違って、今年度前半は火曜から木曜日まで不在。
 金曜日は実家での用があるし時々自身の通院も入るので、草取りをするタイミングが限られるのです。

 もちろん最も重要な要素は作業候補日の天気。明日は雨だし、イレギュラーな家族サービスが入っています。月曜日は天気が回復するものの、翌日以降の講義の準備が。
 つまり機会を見つけて草を取るしかない。

 拙宅の庭は母親が設計し、彼女のポケットマネーで造ったもの。植物好きの彼女が実家庭を造作したくても、許してもらえなかったためです。
 拙宅本体の工事が始まった時には、すでにほぼ完成
(!!)していました。

 つまりセンセイらには選択の余地なし。

 当地は田舎なので、そもそも敷地が広い。加えてこの庭なので、メンテナンスが本当に大変。歳を取ってから実感しています。でも母親の気持ちを考えると、ここは何とかするしかありません。(なお、センセイのマザコン度は相当低い)
 写真は今日の作業現場の様子。
拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))

 昨秋に撮影したの左端付近から右側(≒西側)を見ています。3週間くらい前から雑草を取り始めており、今日はその延長。写真手前から始めて、左側の枝垂れ桜のちょっと先で時間切れになりました。
 もうちょっと作業したかったのですが、雨が降る前に外出したいので。

 ちなみにピンク色の物体は、以前ご紹介した浴室用の椅子を転用したもの。センセイは体が硬いので、この椅子なしには作業できません。

 はっきりとした理由はわかりませんが他の場所と比較して、枝垂れ桜の周囲にはコケ類が生えています。ここは他の場所より高く、地中の水分は相対的に低いはず。でもそれは、写真左奥の場所も同等。
 枝垂れ桜で陽射しが少し遮られて...ということなのかもしれません。

 それはともかくセンセイが除去したいのは雑草。違いは何かと訪ねられたら困りますが、コケ類は対象外。できるだけ鎌を細かく使って雑草だけを...と頑張るのですが、雑草の根は深く、コケ類の根(?)は非常に浅い。
 結果的に、あらゆる植物を根こそぎ除去するような格好に。トホホ。

 でも改めて写真をご覧いただくと、センセイの意図を少し理解していただけるのでは...と思います。

 天気が良かったらという前提でですが、次回の草取りは来週金曜日の見込みです。



5月30日(金) もしかするとこれって、麦?! ──教えを乞いたいと願っても、残念ながら難しそう──

 若い緑色の写真が続きますが悪しからず。季節が着実に進んでいるということです。

 今日は九州四国そして関東地方を中心に強い雨。当地は後者の雨雲の北端部分に入り、日中は雨との予報だったのです。ところが昨晩になると予想が少し変更に。雨雲はかかるかかからないか...。
 朝になってからポツポツと雨が当たる時間もあったのです。

 でも大幅に悪化する気配はありません。雨雲レーダーを見ても、仮に降ったとしても本降りにはならない見込み。そのため、実家へ移動する前に徒歩で市街地中心部へ。家を出ると薄日が射してきました。
 予想していなかったので帽子以外の紫外線対策をしていませんが、ま、仕方ない。

 まず郵便局と駅で用を済ませます。地下道を通って駅南側へ。早めのお昼を頂いてから、晩酌のツマミを買い求めるべるべく最後の目的地であるスーパーへ向かいます。
 JR信越本線
(2枚目の写真右側)脇の農道を通るのですが、その脇に先日もお伝えした小さなが。

 数日前に気づいたのですが最近、1枚目の写真中央の植物に穂が出てきました。穂には非常に長い髯(ひげ)が。これって、もしかすると麦の仲間?拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
 もちろん植物に疎くセンスもない西村センセイのことですから、間違っている可能性は高い。

 実家で麦を育てたことはありませんが、移動中に富山県内で麦は見ています。今はまさに「麦秋(ばくしゅう)」で麦畑は一面、黄金色。でもここはご覧のように若草色。
 また富山県内の麦も車窓から見ているだけで、間近でじっくり観察したわけではありません。

 ちなみに穂の部分を拡大(別アングル)したのがこちら(別ウィンドウ、1280×960)。画像検索に掛けてみましたが、返ってきたのは予想通り、麦の仲間とのお返事ばかり。
 仮に麦類だとしても、なぜ?

 趣味で麦を育てるだけなのなら、まぁ、わからないではない(個人的にはほぼ理解不能だけど)。でももし他の野菜の育成同様、収穫などそれ以上を望むのなら話は別。
 お米同様、麦の収穫後には乾燥と脱穀などの作業が必要と推測されます。

 しかもお米と違って、粒状の麦を粉にする必要があるはず。つまり仮に完全自家消費用だとしても、僅かこればかりの面積なら割に合わない。
 まぁ、石臼
──実家には残っている──で粉にすることは可能でしょうが。

 要するにわからないことだらけ。これ以上の情報を得たければ、この畑を耕作している方に教えていただくしかないのですが...実はかなり難しそう。
 右の写真は別の位置から畑全体を撮影したもの。
拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))

 この畑を耕していらっしゃるのは、高齢の女性。必要に応じて営農用トラックを運転するなど、かなりアクティブな方なのですが実は、最近お見かけしていない...。
 皆さんが写真からどんな印象を受けられるかはわかりません。

 でも──センスはないながらも──農家の「セガレ」(「倅」。長男のこと)的に見ると、まず畑は荒れ気味。細い竹の棒がたくさん見えますが、これは野菜を育てる際の支柱。多くの場合、上部を縛って三角形にします。
 野菜がある程度育ってきたら、その枝をこの支柱に緩やかに縛りつけます。

 でもこの畑、支柱だけでなく畑全体が少なくとも数週間、この状態のまま。

 女性のことが気がかりであうと同時に、この状況はまさに「明日は我が身」。実家の──ざっと、この20倍くらいの広さ──を一人で耕作しているのは御歳89歳の母親。3人の息子は野菜を分けてもらうだけで、彼女のように育成することはできません。
 それでも次男は、妻とともに小さい畑で野菜を育てているだけ偉い。

 長男であるセンセイについては絶望的。水遣り以外ほとんど何もせずに済む枝豆栽培が関の山。彼女の年齢と健康状態を考えると、この畑の現状は、数年後に訪れるはずのXデー以降の実家の畑の状況そのままなのです。
 かといって、アクロバティックな解決方法は存在しない。

 この畑はまさに、それを示しています。



5月29日(木) 運転しなくても、あるいはストレスを感じていなくても、講義をするだけで血圧は上昇?!

 木曜日なので、前任校で日帰りの講義。

 でもやはり、金沢工大大学院の講義と移動に続いてとなると体力的にはかなり厳しい。両大学ともに授業は山場。「自分の科目」なので、少なくとも本人はストレスを感じているという認識はないのです。
 他方、体力面の消耗は誰の目にも明らか。

 特にこの頃は急に気温が上昇。倒れるわけにはいかないので水筒を持参し、水分を十分補給しているつもり。でも金沢にせよ前任校にせよ、帰宅後に体重を計測すると1kg弱減少しています。
 水分が抜けたと考えざるを得ません。

 加齢が進んでいるからでしょう、疲労感もなかなか抜けなくなっています。

 お伝えしたように補足資料を作成して、今日の講義で配布するつもりだったのです。ところが忙しくてなかなか着手できずに時間だけが経過。さすがにマズいので、昨日、帰宅後に作業することに。
 ところが昨晩は金沢工大の講義に関連した業務が。

 全履修者向けの提示資料(公開版)の作成およびアップロードに加えて、事情を抱えた学生諸君への個別対応。気力体力、そして時間を奪われてしまいます。
 それでも何とか作業終了。

 前任校用の資料作成は、物理的には可能だったのです。でもこの疲労度で資料を作っても...と考え、昨晩は作業を断念。最悪の場合は口頭で補足することを検討しながら就寝。
 今朝は4時半に目覚めました。

 いつも通り、6時半過ぎの列車に乗車してアイディアを練ります。長岡駅で電車を乗り継ぎます。この列車は大学最寄り駅まで乗り換えなし。
 やはり文系学生には難しい内容を取り扱っているので、この乗車時間を利用して補足資料を作成することにします。

 センセイの専門分野ですから材料はいくらでもあるのです。でもそれを、レベルを下げることなく文系学生──女子学生が主──に理解してもらうためにはどうするか。
 あれこれ考え、1時間ほどで資料を作成しました。新潟駅はもう間近。

 列車は新潟駅で方向転換。(センセイを除く)ほぼすべての乗員乗客が入れ替わり、混雑した通勤列車から、のんびりしたローカル線の電車に変身します。(もともと乏しい)オツムを使った西村センセイは、持参したバナナを頂くことに。
 かなり早い昼食です。

 講義終了後は学食が混雑するし、帰りの学バス発車時刻との関係もあるため、2回目の講義から何か口にするものを持ち込んでいるのです。大学到着後、補足資料のファイルを出力していただき、人数分印刷。
 完璧とはいきませんでしたが、資料作成の効果を確認できました。

 体力が尽きたので、今日は早めに講義終了。内容面での区切りも関係しています。多数の資料や機材を使っているので、後片づけに時間がかかります。当然、学食でお昼を頂くことはできないので、学バスに乗車すべくロータリーへ。
 「ニュートンのりんごの木」の様子を確認。

 お伝えしたように「今年はこれが最後」と思っていたりんごの花ですが意外にも、まだあちこちで咲いていました。生長した幼果と(写真左側(別ウィンドウ、1280×960)。原寸切り出しが共存する様子に、実に不思議な印象を覚えます。
 写真は大学最寄りの佐々木駅で撮影したもの。

 科目受講生1名を含む学生諸君とともに、新潟行の電車に乗車。新潟駅で乗り換えたのですが、相当疲れていたらしく一時ウトウトしました。でもやはり電車だと、今朝のように仕事もできるし、少し休むことも可能。
 長岡駅で再度乗り換えて、いつも通りに帰宅。

 今日は自動車を運転していません。仕事をしたり休んだりしながら電車で移動したのだから、今晩の血圧は...と思ったら、ドッカーン!!

 長距離走行後の昨日(134mmHg)より高く、「平均」(「収縮期血圧」の3回移動平均の最低)は139mmHg。ちなみに前日までの疲労が残った今朝の「平均」は123mmHg。う〜ん、運転してもしなくても、血圧が上昇?!
 繰り返しになりますが、本人はあまりストレスを感じていません。

 個人的には金沢工大大学院、前任校ともに、比較的心地良い疲れ方(もちろん反省点は多い)。これって、講義をすると血圧は上昇するということなのでしょうか。それとも本人は自覚していないものの、ストレスがかかる環境にいることを強いられているのか。
 ちょっとわかりませんが明日、明後日になれば、血圧がある程度落ち着くであろうこともまた、事実。

 「電車で移動するだけで血圧が下がる」のなら、どんなに早起きしてでも車から切り替えるんだけどなぁ...。



5月28日(水) ここも今日から、巡礼すべき「聖地」に? ──能生(のう)漁港前の「かにや旅館」──

 白状すると、昨日お伝えするつもりだった話題。

 火曜日は常識的な時間に起床し、5時間ちょっとかけて金沢へ移動。なお今年度は今のところ自動車を使っていますが、電車でも同じような時間に到着することができます。車を駐車場に止めたら、まず遅めのお昼
 講義は体力勝負なので。

 ちなみにセンセイの場合、1回の講義で体重が約1kg減ります。ホントに。

 続いて事務手続きや教材印刷などの準備。決まり切った内容なので、初回を除けばさほど時間はかかりません。去年まで講義は水曜日だったので、(偉い人を含めた)関係者との情報交換がなければ、前日のサービス出勤はこれで終了。
 後はホテルへ移動するだけ。

 天気などの問題がなければ約5.5km全区間を歩くこともしばしば。でも今年の講義は火曜4限。

 知的格闘技──実際、大半の受講生は真剣な眼差し──を終えたばかりなので、もう、ヘロヘロ。しかも続いて機材の片づけや学生への個別対応。ダメ押しをするかのように、ホテルへの移動の問題が。
 片付けその他を終えるともう遅い時間。

 去年までのように全区間を歩いてホテルへ...は、無理。途中での買い物はできますが、そこから先は路線バスを利用する必要があります。ところが、そのバスの運転本数が...というわけで、昨日は講義終了後、かなり焦りながら荷物を積み替えて、移動。
 お察しのように、肝心の撮影データを収めたカメラを移動に使った車の中に残してしまったという次第。トホホ。

 言い訳の前振りが異常に長くなりましたが、写真は昨日の移動途中に糸魚川(いといがわ)市内で撮影したもの。というよりセンセイらの世代にとっては、旧「能生(のう)町」。
 小さな町です。

 ご存じのように今日、大相撲夏場所で優勝した大関大の里関が横綱に昇進しました報道例。彼は石川県津幡町の出身なので、ご当地はとんでもないことになっているはず。
 ただしセンセイは朝のうちに金沢を発っているため、この目でその様子を見ることはできませんでしたが。

 実は横綱昇進で、新潟県内もたいへんな盛り上がり。というのは、大の里関は単身で中学(能生中学校)、高校(相撲部のある能生水産高校)と、新潟県糸魚川市に相撲留学しているのです。
 小学校を卒業したばかりの子供が、ですよ。

 その彼が6年間住んでいた「寮」──大の里関自身の表現──が1枚目の「かにや旅館」。すでに旅館名を記した単行本が刊行(未読)されているほどなので、秘密の情報ではありません。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
 能生漁港
(2枚目の写真奥)の真向かい、手前を走る国道8号線に面しています。

 写真ではわかりませんが、写真中央部の引き戸には大の里関の優勝を報じる号外が2枚張り出されています。かつては左側に赤い看板が立っており、一般客を迎え入れていました。(Googleマップでは確認できる)
 ただし現在は一般客不可のようです。

 昨日、近くにある「道の駅 マリンドーム能生」には大の里関の幕内優勝を祝う横断幕が掲げられていたのですが、今日は「祝 横綱昇進 大の里関」に差し替え。
 能生水産高校のアンテナショップを含む道の駅の売り上げも大幅に伸びているそうです。

 ここ数日の県内ニュースも、たとえば大の里関が中学2年に職場体験で訪れた飲食店の様子や、同級生のコメントなど、大の里関の能生時代を連日伝えています。
 もちろん優勝決定時の能生の様子も。

 右の写真は「かにや旅館」の向かいの様子。漁港(写真奥)があるくらいですから、当地の地形は高度差こそさほどではないものの、リアス式海岸。
 国道8号線から少し下がったところにあるのが、写真の「
(能生)水産高校 栽培授業実習棟」。

 いかにも...という感じ。能生漁港の防波堤内側に農水産高校の実習船が停泊していることが多いのですが、今年は一度も見かけていません。実習中なのでしょうか。カリキュラム詳細については知りませんが、大の里関もこれらの幾ばくかを体験しているはず。
 かように能生は、水産と相撲の町。

 「かにや旅館」、すでにテレビで何回か紹介されているとのこと。もしかすると巡礼すべき「聖地」化されるのかもしれません。



5月27日(火) もちろん、個人的にはありがたいけれど... ──ガソリン価格が少し低下しました──

 火曜日なので金沢へ移動。 

 毎度のことながら反省点は多々あったものの大学院の講義を無事に終えて、現在はホテルに入ったところ。今日の講義は頑張ったので、風呂上がりに頂くサッポロビールが本当においしい。
 極論すれば、このために働いている
──in vino est veritas”(「酒の中に真実あり」)──ようなもの?!

 ただしその代償として(?)、今晩の「平均」血圧(「収縮期血圧」の3回移動平均の最低)は139mmHgと、正常値上限をクリアできず。ただし次の世代のために身を削っているようなものなので、まぁ、しかたない。
 でもこうなるともはや、「おつう」および「与ひょう」の世界。
(知らない人は調べてね)

 それはともかく、今日の移動に関してはポイントが二つ。まず国道8号線「上輪橋」通行止めに対応するため往路では初めて、柏崎I.C.から高速道路に乗車。拙宅からだと、ひとまず戻る格好に。
 所要時間が短縮されるかも、と考えたのです。

 でも、やはりセンセイの高速道路嫌いは如何ともし難い。次回からはやはり往路帰路ともに柏崎市西部の米山I.C.利用になりそう。そしてもう一つ。
 今日は途中の糸魚川市
(旧能生(のう)町)で車を止めました。

 センセイが現在滞在している石川県は明日、お祭り騒ぎになるはず。そして実は、新潟県も同様。その理由は...ですが、その現場の一つを訪れたのです。
 実は以前からほぼ毎週、現場前を通過していたのですが。

 今日の写真は先日撮影したもの。いつも利用している柏崎市内のガソリンスタンドです。皆さんが実感しているはずですが、このところ、とにかく物価が高い。
 特に食料品と、エネルギーは厳しい。

 世論あるいは支持率対策もあるのでしょう、ご存じのように政府は先週からガソリン価格に補助金を支給。実際には半年くらい前から断続的に投入されていたのですが。
 このお店の、センセイが購入するハイオク
──輸入車はハイオク指定──の場合、販売価格は一晩で8円/L低下。

 田舎では「ガソリンが高い...」という声をよく耳にします。でも冷静に考えると「下駄」代わりの近距離走行では、あまり影響は受けないのです。でも運送業やセンセイのような長距離走行は、話が別。
 だから、個人的には素直にありがたい。

 でも、よく考えてみると補助金の原資はほぼ血税。う〜ん、これって、喜ぶべきことなんだろうか。

 なお「お祭り騒ぎ」については、たぶん明日。

 もう少々お待ちください。



5月26日(月) ここまで揃うと、壮観だ... ──仮想「動物園」には一定のルールがあるらしい──

 センセイは明日から3日間、講義ないしはそのための移動。

 というわけで今日は地元の話題を。ずいぶん前に少しご紹介しておきながら、その後をお伝えし損なっていた、実家へ行く途中の「青いゾウ」です。ゾウが「住んで」いるお宅の前の道は公道と判明。
 そこで通行の邪魔にならない場所に車を止めて、お宅の前へ移動。

 公道上から撮影したのが右の写真です。近くで見ると、やはり、大きい...。実際の高さ以上に、強い存在感を受けます。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960)一部加工)

 実際の高さは1.7mくらいなのですが、案山子(かかし:こちらこちらのような簡易な造りではありません。金属か木材かは不明ですが、しっかりとした骨格があるはず。
 「肉付け」に当たる部分も、単純に詰め物をしているわけではなさそう。
(その場合は内容物が垂れ下がる)

 口腔内部の素材は判然としませんが、舌に当たる部分はピンク色に塗装された板。耐候性を考えると耐水処理済の木材か、樹脂板か。
 隣接する部分との接合は「縫って」いるように見えます。

 さすがに牙は苦労したようで、金属製と推測される心棒の周囲に綿か何かを巻き付けて、最終的には全体を縛っています。個人的にもっとも関心を持っていたのが皮膚に当たる素材。
 最初はいわゆる「ブルーシート」だろうと思ったのです。

 でもすぐに気がついたのですが、質感が違います。一種のシートではあるものの、ネット状の素材です。農業用のものを転用しているのでしょうか。
 こちらも最終的には「縫って」います。

 全体としては相当の重量があります。だから全体としては強度もあるはず。と、同時に、足元をよぉーく見るとキャスターが。つまり移動可能!!
 もちろんふだんは勝手に移動しないように、物干し用の土台
(?)に固定されています。

 ここで一歩引いて、青いゾウおよび「動物園」全体を写したのが右の写真。左端には「アンパンマン」も。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
 農作業小屋あるいは車庫の側面全体を利用して、5種類の動物の親子が描かれています。

 良く見ると画には共通性が。親はおそらく母親。そして彼女は子供を見つめ、子供は(母)親の方を見上げています。またゾウを含めてですが、目の描き方には四白眼(しはくがん)という特徴が。
 決して「試しに作ってみました」というレベルではありません。

 波長が合うかどうかは別にしても、表現したいという熱い想いが伝わってきます。しかもその想いを、実際の形にしてしまうところが凄い。
 調べてみた限り、この青いゾウと仮想「動物園」についての情報は流布していないようです。

 この話題、続きがあるかどうかは不明です。



5月25日(日) 第一印象は、重要であると同時に判断を見誤らせる可場合も... ──「岩上の地蔵菩薩」──

 昨晩は珍しく、知り合いと市内で飲み会。

 旧市街地中心部のお店に入ったのですが、昨日は土曜日。それなりにお客さんが...と予想していたら、店内は大学生風の若い男女数人組とセンセイらの2組だけ。若者は夕食が目的だったらしく、1時間弱で散会。
 店内は静かになり、調理場にあるテレビの音が聞こえてきます。

 その後もお客が入る気配はなく、入店後2時間半で何となく閉店モードに(ただし追い出されたわけではない)。こちらは美味しい料理を頂き、飲むだけ飲んで...という感じだったので、さほど問題ないのですが。
 飲み屋は他にいくらでもあるので無理な敷衍
(ふえん)は禁物ですが、これが当地の現状なんだろうなぁ...。

 センセイが外で飲むのは、ほぼ仕事関係。言い換えると飲むことそのものがお仕事。昨晩がそうであるように、知り合いと飲むこと直近はあるのですが、かなり気を使います。だから翌日はぐったりしてしまいます。
 今回もそのパターン。

 今日は午前午後とも基本的には休息。天気があまり良くなかったという事情もあります。それでもお昼に短時間、目的地を絞って徒歩で外出。
 その途中にあるのが、写真。
拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))

 「岩上の地蔵菩薩」です。相当古そうな石に彫られた菩薩像で、下部には「文政五壬午(みずのえうま)年 三月廿四(にじゅうし)日 若者中」と掘られています。
 両脇の石灯籠本体は比較的新しいようですが、基礎部分は菩薩像と同時代かも。

 何回かお伝えしていますが、当地は大きな2本の川が日本海に注ぐ場所。海岸部には砂丘が形成されていますが、その内側は拙宅のある場所を含めて、元々は湿地帯。
 かつて人間は、地域中の比較的高い部分に住んでいました。

 この状態が1950年頃までの数百年間続いたはず。像がある場所はまさに、居住地と湿地帯の境界部分。菩薩像には旧地域住民の思いが込められているはず。
 以前から気になっていたのですが、今回初めて、ちょっとだけ調べてみました。

 現在と異なり、かつては災厄(さいやく)その他があるたびに元号を切り替えたので「文政」と言われてもピンと来ません。調べてみると西暦1822年。江戸時代も終わりに近づいている頃で、「天保の改革」(1841年〜1843年)の前。
 意外に新しく、約200年前でしかありません。石から古い印象を受けていたのですが。

 何回かお伝えしていますがセンセイの実家の祖先は庄屋。昔は電気も眼鏡もなかったので、行灯(あんどん)の光で字が読めない年齢になると家督を譲ったと聞いています。その当主が隠居し、現在の初代西村家となってから、父親で9代目。
 ワンジェネレーション30年で計算すると、隠居は約270年前と推測されます。

 正確なことは実家の仏壇にある過去帳を調べればわかるのです。でも書かれている字が非常に小さく、しかもセンセイの視力も低下しているため、ここ数十年目を通していません。でも全体として大きな相違はないはず。
 それより新しいんですねぇ。

 もちろん、だからといってこの地蔵菩薩像の価値が減じられるわけではありません。当地の人々の思いがここに結実していることに変わりはないので。お伝えしたかったのは、見かけ──ここでは石の古さ──に惑わされてはいけないということ。

 冗談抜きで、反省した次第です。

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