2024年4月20更新(2024年4月28日ページ移動)

──2024年4月第3週のニュース──

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4月20日(土) 予算の潤沢さは、「正義」だっ?! ──国道の上り坂に出現した9基の「電気こたつ」──

 白状すると西村センセイ、最近、ちょっとお疲れのご様子。

 もちろん今週から始まった講義に関係しているものと考えられます。どのような科目であっても、初回は本当に大変。事務方との打合せを含めて多様な事前準備が求められるし、配布物や各種の説明など、初回ならではの作業も。
 そして何より、初回で講義全体の出来不出来が決まってしまいます。

 加えて今回は、自動車での移動。もちろん昨年のように在来線(一部新幹線を含む)での移動や、新幹線往復も検討したのです。でも後者については2月に利用したものの、やはり好きになれそうにない。
 もちろん、選択肢がなかったら耐え忍びますが。

 誤解されると困りますが、自動車での移動も久しぶりの区間を除けば、さほど大きな問題はありませんでした。BMWは運転していると、こちらも楽しくなってくる車だし。
 後日その理由をご報告するかもしれませんが、少なくとも最初の3回は自動車で移動する予定です。

 センセイの自覚症状(?)としては、金沢から戻ってから特別な何かをしているわけではないのに、原因不明の緊張感が続き、身体の休まらない状態が続いているという感じ。
 やはり8月半ほど完全な引退生活をしていたため、身体が仕事モードに切り替わっていないようなのです。

 血圧も、正常値の範囲ではあるものの、高めの状態を継続。

 身体のリズムを取り戻すべく、いろいろ考えたのですが、今日はちょっと歩いてみることに。その途中で撮影したのが写真。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
 場所は柏崎市市街地の西縁部、赤坂山。そこを走る国道8号線を、西向きに撮影しています。

 道路沿いに、背の低い照明のようなものが9基見えますが、これが今日の主役。でもその前に背景説明を。

 照明や交通標識をよく見ていただくとわかりますが、ここは西に向かって上り坂になっています。しかも最大6%と実は、かなりの勾配。そのため毎年雪の季節になると、大型トラックがしばしば立ち往生。
 2022年12月のドカ雪の際は、大型トラック2台がスタックし、道路を塞ぎました。

 この「柏崎バイパス」を管理する国土交通省もこの問題を良く認識しており、抜本的な対策として市街地を迂回しつつ、勾配も緩和したこの区間のバイパスを2022年11月に延伸(センセイもその後、走行
 ただしお気づきのように、延伸はドカ雪のわずか1ヶ月前。

 そのため、新道の開通を知らない大型トラックがこの旧道を走行し...。

 批判を浴びた国土交通省長岡国道事務所は雪害への対応方針を示し、この旧道についても対処することに。何しろ、国土交通省の予算は潤沢(じゅんたく)。この区間については何と、遠赤外線融雪装置およびカーボン発熱シート融雪装置を昨年11月までに試験導入
 前者が道路脇の「照明のようなもの」です。要するに、電気こたつの原理ですね。

 なお、後者は走行車線の地下に埋設されているはずなのですが、視認できませんでした。

 融雪装置の試験導入については報道(NHK新潟地元紙他)で承知していたのです。でも現場はセンセイの徒歩での行動範囲外。距離的にはたいしたことないのですが、周囲にスーパーその他がないため、訪れる機会がほとんどないのです。
 今週火曜日に金沢へ移動する際に視認したため、今日、改めて撮影したという次第。

 設置していただいたのはありがたい。でもこの冬は最初こそ雪が積もったものの、全体としては暖冬少雪だったので、融雪装置設置の効果ははっきりしていないはず。正直なところ、今後の展開は予算次第かも。
 その後、スーパーその他に立ち寄ってから、ご帰宅。

 今日は14,500歩以上だから...と、やや期待しながら血圧を測定すると、「平均」──「収縮期血圧」の3回移動平均の最低──は112mmHg。もちろん正常値(上限130mmHg)の範囲内なので、問題ないのです。
 でも先週までと比較すると、まだ10mmHg程度高い。

 いずれにせよ血圧変化の件は、データがまとまり次第、改めてご報告します。 



4月19日(金) やはり、季節が10日程度早まっているような... ──筍の初物を収穫しました──

 正確に言うと最初の1本は既に、母親が収穫していました。

 今日はお昼過ぎに車で実家へ行き、両親の(安否確認と)1週間分の食料を調達する日。到着すると、おぉ、先日の打合せ通り、玄関前には仮設の手摺りが設置されていました。もちろん、父親の歩行補助のため。
 今後、そこから道路までの間にも手摺りを設置予定。

 こちらは仮設ではなく、本格的な工事となります。また費用ついては、自己負担。

 実家に入り、各種の打合せ──都合で、通院の予定を少し変えてもらった──を終えると、母親から意外な言葉が。すぐ裏に筍(たけのこ)が出たので収穫し、下茹(ゆ)でしておいたとのこと。
 帰る時に忘れないように...という意味なのですが、筍って、こんなに早かったかなぁー。

 2週間くらい前からスーパーで国産の筍を目にしていたのです。ただし熊本など九州産。帰宅後に調べてみると去年同様、やはり平年より10日〜2週間程度早い。
 いつもなら4月末から5月の連休前半に収穫していたのです。

 念のため、買い物に出る前に実家の周囲を確認すると、おぉ、母親が穫った場所のすぐ近くに筍(写真)が拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))。彼女は気づいていませんでした。
 地上高は約40cm。
(長さの目安とするため、唐鍬(とうが/とうぐわ)を脇に配置)

 う〜ん、でも、ここまで生長すると、ちょっと硬くなっているかも。筍はできるだけ小さい方が柔らかく、美味しいのです。つまり美味しい筍を食べたいと思ったら、良く見て、地上に出たばかりのものを収穫する必要があるのです。
 そして収穫後は、可能な限り速
(すみ)やかに調理しなければなりません。

 筍は水分の塊のようなもの。宅配便で送ろうとすると、輸送中にどんどん水が出てきて、包んでいた新聞紙や箱までがダメになってしまうこともあるほど。ご紹介したスーパーの筍は収穫から時間が経過しているため、半ば干(ひ)からびていました。
 もちろん、筍の味はするでしょうが。

 というわけで買い物を終えて実家に戻った後、作業着に着替え、唐鍬を使って写真の筍を一発で掘りました。筍は「切る」あるいは「苅り取る」のではなく、地中の、できるだけ深いところから「掘る」ものなのです。
 ここで、ちょっと気になってきたことが...。

 実家のすぐ近くには竹があまり生えていないので、その子である筍も少ない。先日作業した裏のや、その上に広がる竹林の方こそ筍が出やすいのです。そこでどちらも歩いてみたのですが、筍には気づきませんでした。
 ただし写真の筍の近くに、出たばかりのものが1本だけ。

 もちろん掘ったのですが、この大きさなら刺身でも美味しいと思う。

 どうやら、この周囲は陽当たりが良いので、他の場所に先行して筍が出てきたようです。筍掘りのピークはおそらく、今週末から月末まで。特に、「雨後の筍」という表現があるように、雨が降った日の翌日および翌々日に、どっと出てきます。
 つくづく、先人の慧眼
(けいがん)に驚かされます。

 冬の間に雪で倒れた木や竹の手入れも必要なので西村センセイ、この間は数日に1回程度、実家へ通うことになりそうです。次期ご当主様(予定)は、辛いぜ。

 ...と、同時に、筍掘りは楽しみ。内緒ですけど。



4月18日(木) 目の前に広がる、即座には受け入れがたい光景 ──藤崎海岸で出くわしたもの──

 もう1日だけ金沢の話題を。正確には、道中のお話です。

 昨年の講義終了後、センセイは富山県と石川県をほとんど訪れていません。春の山陰ツアーで新幹線などの車窓からほんの少し見た(こちらこちら)だけ。まぁ、確かに在来線と徒歩で約200mほど、富山県に足を踏み入れてはいますが。
 つまり今回は新潟県内を含めて、8ヶ月半ぶりのちゃんとした移動。

 しかも昨年度は列車だけで「通勤」していたので、自動車での移動については退職後、1年1ヶ月ぶりとなります。能登半島地震によるものの他にも、いろいろなものが変わっているんだろうなぁ...と思った──白状すると、期待した(?)──のですが、これが予想外。
 もちろん季節は少しずれていますが、まるで「1週間前にも走ったでしょ」と言うかのように、センセイと車を迎え入れます。

 沿道の店舗その他の変化は少なく、はっきりと気づいたのは糸魚川(いといがわ)市の「らーめん ふうらい」が閉店後、更地になっていたくらい。ただし、まったく想定外ゆえに、目の前に出現しても俄には受け入れがたいものも。それが写真。
 正確に言うと、あっけに取られて往路は何もできなかったため、昨日撮影したものです。
(原寸切り出し)

 上越市を抜けて、糸魚川市筒石の先にある小さな岬を越えると、旧能生町の藤崎(とうざき)地区に入ります。以前ご紹介したこちらの場所です。
 閉店後に復活──経営者が何回か替っているらしい──した「藤崎ラーメン」の、少し手前。

 ご覧のように、その海岸に漁船。「日本海に面しているのだから、当たり前だろう...」と考えたいところ。最初に気づいた時は、センセイもぼんやりとそう感じたのです。
 でも良く考えると、ここは砂浜。

 夏は海水浴場として用いられる浅瀬の、しかも波打ち際から20mくらい入った位置に、それなりの漁船が存在するという、良く考えるとシュールな光景。
 明らかに、尋常な事態ではありません。

 一瞬の間を置いて、やっと事態を理解しました。お察しの通り、この漁船は能登半島地震の揺れと津波によって、能登の漁港から流され、ここに漂着したもの。
 記憶に間違いがなければ、県内には2桁の数の漁船が漂着しています。

 漁船には戸籍に当たる記号や所属漁協などが記されています。当然、所有者もこの事態を把握しているはずで、実際、一部の船についてはすでに、元の漁港に戻ることができたと聞いています。
 ただしこの漁船については転倒防止のために土嚢が配置されているだけ。

 決して、この地区の方々が意地悪をして、返却を阻止しているわけではありません。おそらく、本来の漁港が隆起してしまい、返すことができないのでしょう。

 つまりこの船は大地が隆起した能登半島の北側にある漁港から流されてきたものと推測されます。つまり港が使えないだけでなく、その近辺にお住まいの関係者のご自宅や仕事先は非常に厳しい状況にあるはず。
 場合によっては、人的被害も発生している可能性が。

 目の前の出来事を受け入れるだけでも大変ですが、それが意味するものを考えると、思考がほとんど停止しそうになってきます。

 でも残念ながら、これが現実、です。



4月17日(水) 西村センセイ、バックアップシステムに救われる ──初回の講義を終えました──

 というわけで今年度初めての講義を何とか終え、新潟の自宅へ戻りました。やはり初回は大変でした。

 大学指定の、勝手知ったるホテルに泊まったのですが、目は冴えたまま。しょうがないのでホテル内の自動販売機でビールを追加購入。備え付けの目覚まし時計を6時にセットし、日付が替わる頃に就寝。
 ただし目覚めたのは5時。

 もう少し休もうとしたのですが、外はまだ薄暗いにもかかわらず、もう寝付くことができません。腹を括ってこのまま起きることにして、まず血圧測定。昨晩の高い数値が頭にあるので、覚悟して血圧計を手に。
 で、測ってみると、たとえば初回の「最高」
(「収縮期血圧」)は106mmHg。

 やや拍子抜けの数値です。タフになったのか鈍いのか、あるいはゆっくりと休むことができた──とてもそうは思えない──のか...。

 7時きっかりに軽い朝食を頂き、金沢工大行のバスに乗り込みます。去年とダイヤが少し変わっていました。7時50分頃に大学に到着し、準備開始。すぐに気の早い受講生が教室に入ってきます。
 プリント配布の準備や録画用各種機材の設定などで大忙し。

 去年は割と優雅に準備したのですが、今回は準備を終えたと思ったら、もう講義開始時刻。初回は資料の配付や、グループ編成などがあるので、どうしても手間取ります。加えて今学期は留学中の学生のために、録画しなければなりません。
 一通り説明を終えたところで、過去に起きた問題事例のビデオを観ていただきます。

 この間は講義の録画を停止。録画機材のところへ行くと...何だか変。何と、パソコンでの録画がうまく行っていないようです。(絶句)
 どうやら、そもそもセンセイが録画のボタンを押していなかったらしい...。トホホ。

 倖いなことに、バックアップ用に持ち込んだHDVシステムは無事に稼働していたらしい(帰宅後、正常に録画されていることを確認)。やれやれ。
 準備が大変ということは、後片づけも大仕事。

 次の時間の先生がお越しになっていたので教室に入っていただき、片づけと次の準備を同時進行。飛び込んできた別件──センセイは退職した身なのに...──を片付けて荷物を車に積み込み、BMWを走らせます。ふぅ。
 往路同様、帰り道もBMWは本当に楽しそうに走ります。

 ただし運転するセンセイは、ちょっと緊張。昨日お伝えしたように、石川─富山県境は乗り慣れない道──ただし何回か走ったことはある──を走行する必要があるのです。
 実際に運転してみると、確かに緊張は強いられるものの、道路がかなり改良されていました。

 また、これまでの道よりも4.5kmほど短く、その分、早く抜けることができます。砺波市からは「いつもの道」へ。

 緊張度が急に低下します。はやり走り慣れた道は楽。危険な要素や交通取締の場所など、身体がポイントを覚えているので。そのおかげで、ようやく周囲の状況にも注意が向くようになりました。
 結局、高速道路をまったく利用せずに帰宅。

 上の写真は富山県東部、朝日町で信号停止時に撮影したもの。向きの関係で往路は気づかなかった──斜め後ろになる──のですが、ご覧のように山肌が露(あら)わに。
 相当大きな土砂崩れです。
拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))

 今冬は雪が少なかったことを考えると、やはり元日の能登半島地震によるものではないかと推測されます。ちなみに手前のモニュメントがある場所は、「鹿熊(かくま)工業(株)」の敷地。
 たぶん倉庫。

 土砂崩れといえば、上越市茶屋ヶ原を忘れるわけにはいきません。帰路撮影したのが右の写真。この写真だけではあまり強い印象を受けることはないかも。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
 でも、左下を走るトラックなどと対比すると、この崖がいかに断崖絶壁であるかがわかります。

 所要時間はかかったものの、「通勤ルート」に戻ってからは緊張も和らぎ、無事に自宅到着。1年間のタイムラグをほとんど感じませんでした。でも別な意味で、ややストレスを感じたことが。
 往路でも気づいていたのですが、
履き替えたミシュランのタイヤ、これまでより燃費が8〜9%程度低下しています。

 誰でもそうでしょうが、タイヤを履き替えたからといって運転の仕方が激変するようなことはありません。また、肝心の乗り心地そのものに不満はありません。同時に、乗り始めてすぐに、走行時のノイズの変化には気づいたのです。
 ただし燃費がここまで違うと...う〜ん。

 それはともかく、ミシュランのタイヤその他に支えられて、無事にご帰宅。今日は6,000歩弱しか歩いていないし、ずっと運転していたので夕方の血圧は高いだろうなぁ...と覚悟して測定すると、ドッカーン!!
 期待通り、「平均」
(「収縮期血圧」の3回移動平均の最低)は140mmHg。

 でも、ま、これも事実。受け入れるしかありません。

 夕食を済ませてから、持ち帰ったHDVテープを再生してHDDにコピーし、これをさらにDVD-RWへ。編集のためにビデオをずっと観ていたのですが...ほとんど自己嫌悪。誰でも録音された自分の声に違和感を覚えると言われています。
 ただし今回は、自分自身の語りかけ方にもマイナスな要素ばかりを探してしまいがち。

 もちろん、意図することは十分わかるのですが...。

 次回講義からは気をつけよう。というわけで、本日2回目のドッカーン!!

 ビデオの編集作業の続きは、明日に回すことにします。



4月16日(火) 大学食堂からアクリル樹脂製のパーションが... ――西村センセイ、金沢に出現――

 「...こんなに荷物が多いのなら、仕方ないわねぇ」。

 明日から始まる金沢工大大学院の講義のため、8か月半ぶりに金沢へ移動しました。冒頭の言葉は今朝、自宅を発つ時に家人が発した言葉。それもそもはず、全て列車を利用した去年と違い、今日は自動車で移動したのです。
 口実は、荷物が多いから。

 それそのものは事実です。今回は通常の、100名以上の大学院生――進学予定の学部4年生を含む――を対象とした講義に加えて、アメリカ留学中の学生のために、講義の動画を提供することになっています。
 見方を変えると、センセイが担当する科目がグローバルスタンダードでも求められているということなのですが。

 それはともかく、事前に関係者と打ち合わせした結果、いろいろ機材を用意していただくとともに、非常に優秀な学生さんに講義を手伝っていただくことになりました。(深謝、深謝)
 他方、センセイが最新の機器を使いこなすことができるかどうかについては、イマイチ自信がない。

 というわけで初回に限り、バックアップ用に私物の録画機材(こちらこちら、およびこちら)と、2種類の三脚その他の資材を持ち込むことにしました。
 かなりの量と重さなので、こうなるともう自動車で移動するしかありません。(妙に、キッパリ) 

 ただし、お察しの通り、本当の理由はBMWが走りがっていたから(本当に)。夏用タイヤを新品に履き替えたこともあるのでしょう。実際、本当に嬉しそうに走ります。(決して暴走していませんので、誤解なきよう)
 まさに、“Freude am Fahren”
(「駆け抜ける喜び」)

 ご存じのように、センセイは新幹線と高速道路をあまり好みません。可能ならば在来線といわゆる「下道(したみち)」をゆっくりと走行します。
 でも今日は、「仕事」での移動。

 厳密にはサービス出勤ですが、講義の資料を印刷したり、元同僚や偉い方々にご挨拶する必要があります。

 そこで今日は、新潟県内については一般道を走行したものの、富山県東部から石川県の区間は高速道路を利用しました。富山―石川県境の2か所で大規模な土砂崩れが発生したことも関係しています。
 国道359号線の完全復旧には、たぶん、まだ1年以上かかるだろうなぁ...。

 それはともかく、無事に金沢工大に到着。最初に行ったのは各種の事務手続き。それは当然として、次に向かったのは大学食堂。13時頃到着したのですが、まだお昼を頂いていなかったのです。
 途中で何か頂いてから運転すると、眠くなりますからね。

 大学食堂に残っていたのはチキンカツ定食だけ。まぁ、これは想定通りなのでさほど問題ありません。他方、お伝えしたように昨秋からメニューを値上げしたので、ボリューム増に期待したのですが...こちらは見なかったことにしましょう。
 代金を支払ってから...びっくり。

 何と、テーブル上に設置されていたアクリル製のパーティションが撤去されています。新型コロナウイルス感染拡大後、金沢工大ではまず、学食の椅子を大幅に間引き。続いて学食――後に、本格的なものに更新――受付窓口に、アクリル樹脂製のパーティションを導入したのです。
 「当たり前」の姿の復活が、センセイにはとても新鮮。

 その後は実務的な打ち合わせと、あちこちへのご挨拶、そして教材印刷。う〜ん、とても引退した人間とは思えないほどの働きぶりだ。

 ここまで運転だけで運動していないため、高い気温の中を1時間ちょっと歩いてホテルへ。到着後、さらに遠くのスーパーまで食材確保のため往復。運転でストレスがかかったので、ある程度の血圧上昇は仕方ないとして、用務を終えた後はストレスフリー。
 しかも15,000歩以上歩いたからから...と期待しながら血圧を測定すると、ドッカーン!!

 今晩の「平均」(「収縮期血圧」の3回移動平均の最低)は135mmHgでした。残念ながら、正常値の範囲外。甥の頓死から約4か月ぶりの記録です。でも、これは事実なのですから、認めざるを得ません。

 さて、明日の(血圧と)講義は、どうなる?!



4月15日(月) 西村センセイ、今回は直球勝負 ──意外にも、大河津分水の見事な桜が穴場だった──

 今日はタイトル通りのお話。

 センセイが昨日訪れたのは、新潟県の中央部にある大河津(おおこうづ)分水。お伝えしたように、分水の堤防に植えられた桜の名所として知られています。本当は糸魚川方面に行こうかと思ったのです。
 でも今週から金沢工大大学院で講義が始まるので、この地域はこれから4ヶ月間、ほぼ毎週通過することになります。

 それに、先週末は上越市の高田城祉公園の桜が満開に。一昨日、別な所用で上越市に行った家人によると、電車だけでなく市街地も相当な混雑だったらしい。う〜ん、ちょっと西へ向かう気分にはなれそうにありません。
 個人的には別に桜に拘っているわけではないのです。

 だから越後線に乗って弥彦──なお、ここのも綺麗──あるいは新潟市へ行くことも検討したのですが、越後線は本数が少なく、帰宅が夕方になってしまいます。大学院科目の受講生が先週土曜日の朝にやっと確定したので、実はこの週末、講義の準備で忙しい。
 というわけで今回は、昨日お伝えしたように、午前中にゆっくりと出発し、しかも早く帰宅できる大河津分水まで往復することにしました。

 目的は桜と、もう一つ。

 本当はかつての「キハ15」ディーゼルカーなどのように、ゆっくりと移動したかったのですが、最新のE129系電車はグイグイと加速します。
 高校生の時に通学していた区間を越え、快調に分水駅へ。

 駅には多数の人々が。乗客もいらっしゃるのですが、実は少数派。2枚目の写真のように分水駅はホーム脇に多数の、それも手が届くところに植えられているのです。
 それだけでなく駅周辺まで桜、桜、桜...。まるで満開の桜の中に
分水駅があるかのよう。

 ホーム上の人々は、その桜をバックに入線してくる電車──もちろん主役は前者──を撮影しようとスマートフォンを構えているのです。
 駅から大河津分水の桜並木まで数百m。

 10分程度歩くだけで何の苦もなく到着します。唯一、昨日問題があったとすれば気温が高かったこと。今日の新潟はフェーン現象で気温がさらに上昇し、分水に近い三条市では最高気温32.5℃を記録しました。
 それはともかく、分水の桜はというと...意外に花見客は少ない。

 先週末は咲き始めの桜の下で「おいらん(花魁)道中」が開かれて多くの人が繰り出したようですが。堤防の上(写真右上)ではシートを広げてお食事中の方もいらっしゃったのですが、ごく少数。
 1枚目の写真はそこで撮影したもの。

 1歳ちょっとで、やっと一人立ちできるようになった男の子をご両親が嬉しそうに支えつつ、記念撮影中。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
 姉妹や従姉妹などが撮っているのかなぁと思ったのですが、実際はプロのカメラマンでした。

 「もう一つの...」とは、ここ分水──本来の地名としては「地蔵堂」。駅もかつては「地蔵堂駅」──にはご縁のあった方が数名いらっしゃるのです。
 もう半世紀近く前のことなので、ご挨拶もせずに分水駅へ。

 この頃になると、時々、風が急に強く吹き付ける場面が。分水の堤防の桜よりも駅の桜の方が咲き具合が少し早い。その結果、ご覧のように文字通り「桜吹雪」に。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
 帰りの電車の到着時刻が近づくと、再び、あちこちからスマートフォンを構えた人々が。

 新潟方面からの2両編成列車からは多くの方が下車したのですが、乗車したのはセンセイだけ。

 過疎化が進む新潟県、越後線沿線も例外ではありません。センセイが高校生の頃は本当に多くの人々がこの地で生活していらっしゃったのですが...。たとえ家はなくなっても、その頃のことは良く覚えています。
 消えたものを含めて、かつての様子を辿りつつ帰宅。

 まぁ、ある意味、センセイもお迎えが近くなっているということなのでしょう。



4月14日(日) 「当番」を務めるべきだったかも... ──地元神社の春の例祭を、初めて見ました──

 今日の当地はご覧のように、良い天気。

 陽気に誘われて外出したくなるところですが、今日午前中、我が家が近くの神社の当番に当たっています。センセイは20年くらい前、新年の深夜から未明までの数時間を担当したことがあります。
 まぁ、その時はほとんど何もせず、単に留守番をしただけですが。

 ところが世の中には奇特(きとく)な方がいらっしゃるもので、家人は予定通りに「出勤」するものの、その方に代わっていただき、センセイは無罪放免に。しかも2週間前に使ったばかりの企画乗車券をもらっています。
 これはもう、行くしかない。

 というわけで午前中に講義の準備をしてから、お弁当を買い求めて柏崎駅へ。各駅停車に乗り込みました。この列車、次の駅に停車する寸前に神社の脇を通過。何と、それなりに人が集まっています。
 春の例祭が行われているのです。

 「動員はこのためだったのね...」と思いながら、目的地──後日ご紹介予定──へ向かいました。今までの企画乗車券の旅とは対照的に、今回は目的地との間を往復するだけ。
 しかも先方での滞在時間は、わずか約1時間。

 柏崎駅には13:41に到着します。晩酌のツマミを買い求めるべく、そこからスーパー経由で帰宅するつもりだったのですが...そうだ、一つ手前の東柏崎駅で降りよう。
 
歴史的には、旧駅名「比角(ひすみ)の方が、はるかに由緒正しいのですが。

 「もう行事は終わっているだろうなぁ...」と思いながら東柏崎駅を降り、跨線橋を渡ると、予想外に太鼓と笛の音が聞こえてきました。
 経路の関係で、裏口から入ったのが写真の「羽森
(はもり)神社」。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))

 当地に居を構えて28年になりますが、羽森神社のお祭りを訪れるのは初めて。個人的には、実家の近くにある「大地主(おおちしゅ)神社」が神社だと思っているからかも。
 羽森神社、初めて知ったのですが、小さいながらも神楽
(かぐら)殿も。(右側)

 センセイが訪れた時は「鈿女(うずめ)」を舞っているところでした。笛や太鼓の姿が見えなかったので、最初は録音かなぁと思ったのですが、それにしては鮮やかすぎる音色。神楽殿の裏側に回ってみると、隣の部屋で生演奏中。
 「大地主神社」では、春と秋の建てる仮設の神楽殿ながら、サイズはもっと大きく、奏者は殿内に。

 そもそもですが、お客さんもそれなりにおり、小さいながらも飲み物と甘いものの屋台が出ています。「大地主神社」のことを考えれば、昔はもっと盛大なお祭りだったんだろうなぁ...。

 「神社当番」をすべきだったかも、と、少々反省した今日のセンセイだったのです。

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