2009年4月18日更新(2009年4月26日ページ移動。2013年9月15日一部写真削除)
■4月18日(土) 人を地域が、地域が人を育てる ──旧山古志村を地震後初めて訪問しました──
先月亡くなった義理の伯父の納骨のために、大阪の伯母(90歳)が1週間ほど実家に帰省しています。この機会に今日は午後から、伯母と父との3人で、旧山古志村(現在は長岡市)へ行ってきました。
2004年10月23日に発生した新潟県中越地震の際に全村避難でその名を知られるようになった、あの「山古志」です。実家と山古志は直線距離で20km弱しか離れていないのです。山古志は山間部で人口も少ないので、新潟県民の多くはあまりご縁がありません。
けれども県の農業行政関係の職員だった父は、この山古志が職場だった時代があり、旧村の隅々まで知っています。どうやらお姉ちゃんを口実にして、久しぶりに山古志へ行ってみたいというのがホンネのようです。センセイは安全運転ですが、今日は老人を乗せているのでスピードをさらに落とし、特にカーブに注意を払います。
平野部から山間部に入ると様子が一変します。とにかく山が険しい。
急峻な山間部の連続するカーブを登り切ると、突然目の前に盆地が開けます。旧山古志村の西半分です。
谷底から山の頂上付近まで弓形の棚田が並んでおり、その中にいくつかの集落がかたまっています。そして次の瞬間、昔はもっと美しかったはずの風景が、地震で大きく損なわれたことを思い知らされます。
信じてもらえないでしょうが、明らかに地形が大きく変わっています。旧村役場で休憩を兼ねながら地震のビデオを見せていただいた後に、山古志の東半分──こちらも盆地になっている──をまわったのですが、地形が変わりすぎていて、案内役の父親が道を間違えてしまったほど。
被災地の写真を撮影することにはかなり抵抗があるのですが、意外にも山古志の方々は、被災への関心を持ち続けて欲しいと望んでいるようでした。
いわば「許可を得て」撮ったのが、地震によって崩れた土砂が川をせき止め、道路や集落が水没した場所です。奥の立派なお宅は、新築してから数年で被災してしまったようです。でも、悪いことばかりではありません。
ハンドルを握りながら、気がつき、そして確かめたことが一つあります。地域住民のこの土地への愛情です。(そして、その大地がそのような人間を育てたのでしょう。)
確かに単身の老人など、この場所に戻りたくてもそれがかなわなかった方々がたくさんいらっしゃいます。以前と比べて人口もかなり減ってしまいました。
それでも、普通の人が普通に暮らしているだけなのに、「この場所に戻ろう、この大地と一緒に生きよう」という生命力のようなものがひしひしと伝わってきます。「効率」とか「カイゼン」──実際はそれも怪しいんだけど──だけしか追求しない人には、ちょっとわかりにくいだろうなとは思います。
■4月17日(金) 防水工事が終わらないと思ったら... ──新厚生棟の建設が始まりました!!
──
昨年末の雹(ひょう)による雨漏り被害を受けて始まった防水工事は、かなりの騒音──もちろんしかたないんだけど──を伴いながら進められてきました。
本当は3月末に終了する予定だったようですが、この期間の天気が不安定だったからでしょう、4月になってもまだ続いています。それでも、ずっとセンセイらの建物全体を覆っていた工事用のネットが、1週間くらい前に撤去されました。
ようやく最終段階に入ったんだろうな、と思ったのですが、数日前からかえって騒音が大きくなってきました。
しかも、これまでのコンクリートを削る音ではなく、重機で地面を掘り返すような音です。久しぶりの外食で外へ出たついでに、どうなっているんだろう、と音のする場所を確かめると、あ"......。
防水工事とは別の、かなり離れた建物の解体および新築工事が始まったのです。ここ数日はとにかく忙しくてほとんど外へ出なかったのと、センセイは裏口から出入りしている──センセイを象徴しているなぁ──ので、たぶんセンセイだけが気づかなかったのですね。
工事が始まった建物とセンセイらの研究室はかなり離れているのですが、途中に音を遮ったり吸収したりするものがないため、すぐ近くであるかのように感じられます。
つまり、このまま騒音が続くことになるのでしょうが、地震対策とか、手狭な食堂のことを考えると、これは喜ぶべきことなんでしょうね。
■4月16日(木) 新緑の若い緑色に生命力を感じるのは...
4月1日の入学式から始まった怒濤の新入生向け行事もそろそろ一区切り。
学生諸君はまだちょっと戸惑いながらも、それなりに大学生活を始めています。このところずっと、受け持ちの新入生と面接をしているので、それが手に取るようにわかるのです。ただし金沢工大の場合、大学院の諸日程は学部のそれよりちょっと遅れていて、やっと今日から本格的な講義。雑事に追われて準備が間に合わないこともあって、今朝は6時半に出勤し、朝イチの大学院講義の準備を終わらせます。
その甲斐あってか、まぁ何とかなったのですが、大学院生は優秀なだけあって、講義は学部とはかなり違います。その後も面接が続き、本当にヘロヘロ。さすがに疲れました。
お昼過ぎにやっと解放されたのですがこの間、約6時間、まったく休みはありません。
遅い昼食を取る必要があるので、脳みそが疲れていることもあって、何も考えずに外へ出ると、おぉ、先日の桜。
残念ながら、去年のような絶景を見逃してしまいました。北陸地方では一昨日から冬に戻ったような冷たく、雨がちの天気が続いています。
学生さんの反応も、雨は勘弁してほしいという趣旨のものが目立ちます。でもセンセイがこの新緑から受けるのは、生命力。
まだ目的地はおろか、自分自身の存在意義すら見いだせないような、そんな荒削りの生命力です。
そしてそのための犠牲を象徴するかのように、足もとは一面のピンク色。なぜこの新緑にそれほどの生命力を感じるのだろうか、といろいろ考えたのですが、たどり着いた答はただ一つ。要するに、センセイの生命力が弱くなっているんでしょうね。
その分、若い時にはわからなかったことも理解できるようになったわけですから、人生、悪いことばっかりではない、と実感します。
頑張れ、(まだ先を見通すことのできない)若葉たち。
■4月15日(水) ふ〜ん、そういう風に見えているのね ──センセイの報告を紹介したブログを教えていただきました──
ずっとお世話になってるS氏(元金沢工業大学学生)から先日、センセイの学会報告の様子がブログブログで紹介されているとのお知らせを頂戴しました。(Sさん、ありがとうございました。)
本来ならば作者を紹介すべきなのですが、センセイの探し方が悪いのか、どこにも作者の氏名がありません(たぶん)。
産能大学のK准教授だろうと強く推測されるのですが断言はできないので、現時点でクレジットは掲載いたしません。昨年12月15日付のそのブログは、その半月ほど前、11月29日(土)から30日(日)にかけて玉川大学で開かれた初年次教育学会第1回大会の様子を報告したものです。
ブログの中段に「ミニッツ全部にフィードバックする凄い先生」というタイトルでセンセイの発表報告が乗っています。
「ミニッツ」というのはセンセイが使っている「小カード」のことです。詳しくはブログをお読みいただくしかないのですが、へぇー、世間からはこういう風に見られているのね。
発声音が頭蓋で響くために、他人が聴く自分の声がよくわからない──自分の声の録音を聴いて不思議な気分になる──ように、何だかちょっと変な感じ。こちらの意図の75%くらいはちゃんと伝わっているのですが、それでも「ちょっと、そういう意味じゃないんだけどなぁー」という部分も残ります。
そしてもう一つ。
この時はこのセンセイの個人報告としてと、金沢工大とという組織としての報告の二つがあったのですが、後者は全然触れられていません。
いくつかの会場に分かれて同時に報告会が開催されているので仕方ないのですが、あの時の各会場での発表内容を思い出すと、金沢工大の所にお越し頂いても......という感じ。いずれにせよ、見る側と見られる側、話す側と聴く側では、やはり「ずれ」が生ずるんですね。そしてその「ずれ」がきっと、新しい何かを生み出すのでしょう。
■4月14日(火) 西村センセイ、“Skunk cabbage”でいろいろ考える
センセイの実家の裏は小高い丘になっていて、そこに降った雨水の一部がで泉のように地表に出てきます。つまりそこは、いつも綺麗な水で潤っています。
もう40年近く前になるでしょうか、生きていれば110歳になるはずの祖母が、近くのお寺から水芭蕉をもらって、ここに植えました。水芭蕉と聞くと、栽培が難しいという印象がありますが、実際はタフな植物。
この地を気に入ったらしくその後もずっとここで花を咲かせています。もちろん新潟県中越沖地震に負けるはずはありません。春祭りの準備の合間にその場所へ行ってみると、今年も可憐な......というべきか立派な花を咲かせていました。
正確には「花」ではないんですけどね。この花を移植した祖母は、ずいぶんと長命でしたが、93歳で死去しました。
田中角榮元総理大臣の母親を含めて、その知人友人もすでに鬼籍(きせき)に入っています。それどころか、センセイの周囲では訃報が続き、師匠や元同僚、最後まで元気だった叔父まで亡くなってしまいました。
気がつくと祖母の子供達──センセイの父や伯父伯母──も半分以下に減っています。そして何より、センセイが今の学生さんくらいの時にずいぶん影響を受けた、その立場に、センセイは立っています。
まぁ順番だからどうしようもないし、若い時には理解できなかったことがわかるようになってきたので、齢(よわい)を重ねるのも悪くはないな、と思うのですが。それにしても水芭蕉は、英語だと“Skunk cabbage”、つまり「スカンクのキャベツ」と呼ばれるんですね。
何でなんだろう。
■4月13日(月) 思いがけない効用も ──G4 Cube(自宅)のHDDをSSDに換装しました!!
──
お伝えしたように先日、SSD(Solid State Drive/Disk)とそのケースを数個購入しました。
手始めにこの週末、まず自宅のG4 Cube(Mac OS 9専用)のHDDをSSDに換装してみました。正確には内臓HDDを外して外付けのSSDから起動できるようにしたので「換装」ではないのですが。
手順は簡単で、ケースに組み込にFireWireで接続したSSD(5枚目の写真右端の小さな物体)にCubeの内容をコピーします。(右の写真の左側)
SSDから起動できることを確認(中央)してから電源を切り、内臓HDDを外すだけです(右:実際はSSDから起動している)。センセイが使ったSSDのケースとOS(Mac OS 9)の組み合わせでは、SSDボリュームは普通のディスクのアイコンが表示されました。(センセイは勝手にCubeのアイコンを貼り付けています。)
Mac OS Xの場合はこのようには行かないと思います。SSDは書き込み回数に上限があるので、ビデオの編集など実データの激しい書き換えには向きません。
けれどもそういう激しい使い方は、今回購入したMacBook(White)やMac miniが担当しますし、いざとなったら外付けFireWire経由のHDDで作業すればいいので、センセイの場合はあまり問題にはなりません。不要なデータを削除してみるとG4 CubeのHDD使用量は8GBくらいに収まりました。
PageMaker(5.0および6.5)から始まってPhotoshop(7.0)Illustrator(10.0)、あるいはDVD Studio ProやFinal Cut Proまで搭載して、です。もちろんフルバージョンのOfficeも入っています。
昔は軽かった......。HDDがどんどん大容量化していったので、これまでは160GのHDDを使用──ただしCubeが認識できるのは120Gまで──していたのですが、ビデオや音楽の編集をしない限りそんなに容量は必要ないんですね。
そもそも、G4 CubeのHDD容量は20Gだった──はず──のですが、これでiMovieなどを使って大容量が必要なDVデータを編集してDVDを作っていたのですから。
ホントに、どうやってやり繰りしていたのでしょう。さて、データを移し終えたら、不要になったHDDをCubeから外します。
まず右の写真のように本体をひっくり返すと取っ手が飛び出してきますので、これを静かに引くと本体が抜けます。
HDDは放熱板とともに3本のネジで止められている(4枚目の写真参照)だけなので、それを外します。
データ移行直後に作業したのですが、HDDはまだかなり熱かったです。他方、SSDは何をやってもちょっと温(ぬる)くなるだけ。
なおこの取り外し作業のみ、「トルクスドライバー」という特殊なドライバーの8番が必要です。
ネジを外したら、向きを変えて、AirMacカードを固定する部品を外します(簡単に外れます)。
するとその奥にHDDへの電源ケーブル(中央左の白い部品)およびデータIF用のコネクタ(その右側)が露出するので、これを引き抜きます。
手では無理です。一般にG4 Cubeは分解が難しいと言われています。
確かにマザーボード近辺は複雑な3次元構造になっているので大変ですが、HDDの換装だけなら意外と簡単なのです。
全体が寄せ木細工状になっていて、ネジが何種類もあり、手順も複雑なPowerBook 2400cなんかとは比較になりません。逆の手順で本体をケースに収めて作業完了。
本体の外にHDD(SSD)ケースがぶら下がるわけですが、みっともないのでデスクの下(右端)に置いておきました。
Macの場合、データをコピーするだけでほとんどのソフトを問題なく使用することができます。
今回もプロテクトが厳しいDVD Studio Proも正常に動作しています。
ただし“ATM”(Adobe Type Manager)という業務用のフォント管理ソフトだけは「必要なファイルがない」という警告が出て正常に走らなかったので、再インストールしました。ATMはDTP(DeskTop Publishing)で使用するソフトなのですが、そういえばATMもPageMakerもあまり使わなくなっているなぁー。
この頃の仕事はがWindows版のWordかExcelがほとんど......。さて出来具合は、というと、予想通りだったことと、予期しなかったことの二つ。
まずは、あらかじめわかっていた方から。
128GのSSDですでに確認済だったのですが、Transcend社製のこのSSDシリーズは、手頃な値段で入手できるものの、あまり高速ではありません※。2.5"のHDDと比較すると読み込みは少し速く、書き込みは同程度かむしろ、やや遅くなります。3.5"と比較すると差がさらに大きくなり、読み込みは同程度、書き込みは2/3くらいの速度という感じです。
ただしHDD特有の、静止状態からの立ち上がりの遅れはありません。速度面に関して全体的には、十分納得できます。予想外のこともありました。
G4 Cubeは割と重い本体を透明な筐体で空中に浮かせているようなデザインになっています。
そのためにHDDが起動していると、たとえアクセスしていなくても「ブーン」という鈍い音がします。筐体下部の空間で共鳴しているんだと思います。オフィスなんかでは問題にならないレベルですが、センセイの書斎は静粛そのもの。
しかも今まで、冷却ファンが常に大きな音を立てていたWindowsノートが、とても静かなMacBook(White)──ただし冷却ファンは常に働いている──に交代したので、Cubeの「ブーン」がかえって目立つ格好になっていました。
それが、物理的に動く部分がないので、全くの無音当たり前といえば当たり前なのですが、何も音を立てずにMacがどんどん起動するのはとても不思議な光景です。
RAMディスクからPowerBook 2400cを起動して以来の感動です。写真のようにこれまで、防震ゴムを2枚重ねて騒音を抑えていたのですが、もちろん撤去します。
今回の換装に味をしめた西村センセイ、今後は金沢のアパートで使用しているPowerBook G4と大学のG4 CubeをSSD化しようと思っています。
もっとも、忙しいので作業は大型連休中になると思いますが。なお、センセイはIDE(PATA)規格のHDDを搭載したマシンを多数使用しているため、今回は今後の換装を考えてIDE規格のSDDとケースを購入しました。
でもそういう事情がなければ、すでに主流になっているSATA規格の外付けSSDを使用する方が良いと思います。あ"、いずれにせよ今回ご紹介した内容はG4 Cubeなど、FireWireが使えるMacintoshのお話です。内蔵HDDが不調だ......などという場合、使用環境によっては外付けSSDのご使用も検討してみてはいかがでしょうか。
※以下はセンセイの使用環境での状態です。
今日は自宅近くの実家で、地域の神社の春祭りを手伝いました。
実家のある地域は旧北国街道──現在の北陸自動車道やJRの日本海縦貫線に相当──沿いにあります。
かつては宿場町として栄え、センセイの家は脇本陣として用いられました(10代前の先祖が庄屋〔=本陣〕を隠居した)。
もちろんセンセイが生まれた時には道路も鉄道も別な場所を走っており、幹線道路からは外れていたのですが、それでも狭い場所なのに110戸以上が集落を形成していました。北陸自動車道の西山ICのすぐ脇で、決して山間地というわけではないのですが、やはり過疎化がどんどん進み、現在では50戸ほどしか残っていません。
しかもそのほとんどが老人ばかり。以前ならめったにお祭りの当番に当たらなかったのですが、戸数が減少し、しかも老女の一人暮らしの家には仕事をお願いできないので、今では数年おきに仕事がまわってくるのです。
かといってもセンセイの実家も高齢の両親だけなので、今日はお手伝い。写真は神社前での御輿渡御(とぎょ)の最後の様子ですが、以前と比べると参加者がまた一段と減っています。
センセイが子供の頃は、この場所に屋台が二つ出るほど子供たちで溢れていたのですが......。
そもそも衰退が進行していたところに、一昨年の新潟県中越沖地震がとどめを刺すような格好になってしまいました。祭りの前、久しぶりにあった伯母は記憶に混乱が見られるし、親戚でもある隣家のおじいちゃんがつい最近亡くなられていました。もう滅多に子供の姿を見ることはできません。
こうやって静かに消えつつある地域が、日本中のあちこちにあるんでしょうねぇ。