2015年11月28日更新(2015年12月6日ページ移動。2018年1月6日写真削除)

──2015年11月第4週のニュース──

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11月28日(土) 岩手医科大学で開かれた学会に参加しました

 正確に言うと、タイトルの表現はちょっと微妙。学会はまだ続いているのです。ただし岩手医科大学での会合は今日だけなので、その意味で「参加しました」としました。
 ちょっとややこしいですね。

 それはともかく、今日、明日と開かれる学会に参加するため、センセイは昨晩の新幹線で盛岡へ移動。今朝、東北本線の各駅停車で矢巾町にある矢幅駅――これもややこしい――へ。
 岩手医科大学の本部と付属病院、教養部は盛岡市中心部にあります。

 しかし医学部と歯学部は平成23年4月に矢巾キャンパスへ移転したのです。矢幅駅から大学まで徒歩で15分ほど。
 東北新幹線に乗っていると、盛岡駅の少し南で、線路の東側に写真のシンボル塔を見ることができます。

 300名ほどが参加するため、主催者が連絡バスを運行してくださったのですが、そこはへそ曲がりの西村センセイ。
 キャンパスまで歩いてみることにしました。

 道中、やはりいろいろ考えるところがあったのですが、とにかく無事に大学到着。センセイがメインとしている学会なので、先週以上に同級会状態。
 されど学会の内容は真剣なもの。

 何度かご一緒させていただいた山形大学教授の意外な一面に、センセイの無知を思い知らされました。
 反省。

 プログラム終了後はバスに分乗して盛岡市内のホテルへ移動し、情報交換会となりました。「懇親会」と言った方が分かりやすいでしょうか。
 現在は宿所に戻ったところ。

 さて今回の学会はとても変則的な開催です。今日の会場校である岩手医科大学(私立)と、岩手大学(国立)の共催で、明日は岩手大学で開かれるのです。
 だからタイトルは本来、「学会に参加しています」なのです。



11月27日(金) 西村センセイ、お台場に出現する ――国際シンポジウムに参加しました――

 というわけでセンセイは、3週連続で東京へご出張。

 今回の目的地は何と、お台場です。姪の結婚式以来ですが、おそらく日本国内で最もセンセイに似合わない場所。訪れたのは「国際研究交流村」――そんな「村」があったんだ――内にある東京国際交流館
 ここに来てから知ったのですが、これは日本学生支援機構の施設なんですね。

 ご存じない方のために補足すると、日本学生支援機構は学生の奨学金や留学生などを取り扱う組織。
 かつての日本育英会などいくつかの組織を統合したものです。

 今回はそのホールをお借りして、機構と放送大学が共催で高等教育に関する国際シンポジウムを開催したのです。
 会場内での写真撮影は不可とのことだったので、お昼休みに建物入り口で撮影したのが写真。

 それはともかく、シンポジウムの内容はとても興味深いもので、最近センセイが考えていることとかなり共通しています。
 イギリスのオープンユニバーシティー副学長が基調講演をしたのですが、まさにエレガント。

 しかも2番目の発表として帝塚山大学の岩井学長が登壇したのですが、シンプルなプレゼンなのに、とても奥が深い。
 この2つの発表を聴くことができただけでも、来た甲斐がありました。

 休憩時間にコーヒーを飲んでいると、向こうからやって来たのは、おぉ、岩井学長。あちらから声をかけていただいたので、感想をお伝えした後はヒソヒソと業務連絡。
 その意味でも、似合わない場所を訪れた意味がありました。



11月26日(木) どこが変なのか、わかります? ──センセイが早朝の校舎内で覚えた違和感──

 センセイは午後の講義を終えてから北陸新幹線で上京しています。相当疲れていたらしく、富山県内でウトウトしてしまい、気づいたらもう長野駅の手前。
 というわけで、今日はトンネルの音を確かめることはできませんでした。

 写真は昨日早朝――左の壁面にある時計は7時を示している――に撮影したもの。金沢工大1号館の、しかもセンセイらの研究室がある3階です。
 関係者なら一目でどこだかわかります。

 何度もお伝えしているように、昨日の水曜日はセンセイにとって一週間の中で一番大変な日。
 特に朝イチに156名もの学生が参加する大学院の講義があります。

 配布資料は写真手前にある印刷室でプリントするのですが、突き当りの右側にある自室に戻ろうとして......あれっ?!
 何か変。危険ではないのですが、不思議な感じがします。

 正解(?)はこちら【写真削除】。(別ウィンドウが開きます)

 描かれている同窓会のシンボルマークから、「それ」が3週間くらい前からそこに存在していた可能性があります。
 かつてのゴム製と違って、アルミ製の「それ」は長持ちするのです(娘が時々縁日で買ったのでよくわかる)。

 ただし、もしかすると誰か最近が置いたのかもしれません。

 不思議なことに「それ」は昨日の日中、別な場所へ移動していました。梁を越える必要があるので、高度を変えなければならないのですが、まさか自分で動いた?!
 さらに夜、ヘロヘロになったセンセイが帰宅する時に「それ」は存在していませんでした。

 だから正直なところ、事情はよくわからないのです。



11月25日(水) 学生は自分の力で成長する ──「やっぱり2年生は違うなぁー」と思った場面──

 今日は一週間の中で一番忙しい水曜日なので、見たままのお話。

 いろんな人が関係する案件を調整するため、センセイは学内をあっちへ行ったり、こっちへ行ったり。

 たまたま新講義棟(23号館)の1階を歩いていたら、何だか館内の雰囲気がいつもと様子が違います。
  最初は何だかよく分からなかったのですが、教室沿いに歩いているとどうやら、ポスター発表会の最中らしい。

 2年生のPBL(Project/Problem Based Learning)科目のようです。チームのポスターを背にして発表する側も、それを聴く側も学生。

 それならどのチームも同じような集客状況かというと、決してそんなことはありません。
 観客が特に集中している発表はありませんでしたが、人気のないチームも。

 後者の説明者はたいてい、ちょっと暗い顔をしています。だからお客が集まらないのか、お客が来ないから表情が冴えないのかはわかりませんが。
 でも、全チームに一つだけ共通することが。

 学生諸君は2年生の後半なのですが、やはり1年生とは違う。一番の差はその表情。控え目な自信を感じます。
 そしてもう一つ。

 1年生より、恰幅が良い。



11月24日(火) 西村センセイ、暗闇の中で確かめる ──北陸新幹線と上越新幹線の違い──

 敷設されている場所が違うとか、車両が違うとか、そういう話ではありません。トンネルの違いです。

 先に開通した上越新幹線も、今春金沢まで延伸された北陸新幹線も場所によっては豪雪地帯を通ります。つまり降雪、積雪および寒冷地対策が必要になります。
 実は、ここでもすでに違いが。

 上越新幹線がスプリンクラーで雪を融かす──水は再利用している──のに対して、北陸新幹線は多数の小型モーターカーで線路脇に除雪します。
 それで本当に上手く行くのかどうかは、何シーズンか様子を見てみないとわからないのですが。

 降雪にも関係しますが、トンネル、正確にはトンネルとトンネルの間の地上区間の構造もかなり違います。たとえば青函トンネルや北陸トンネルは真面目に長い長いトンネルを掘削します。
 仕方ないからなのですが、この方法は手間も時間もお金もかかります。工事中に事故が起こる危険性も高い。

 そこで、可能ならば山沿い──と言っても山体の内部──に比較的短いトンネルを掘り、それを繋げるという方法もあります。新潟県内の上越新幹線が採用している方法です。
 山が削られた谷の部分では地上に出ます。

 逆に言うと、その部分からトンネル掘削を始めれば良いので、あちこちで同時にトンネルを掘ることができます。

 上越新幹線の場合は、その短い地上区間を鉄製の覆いで囲っています。乗車していると隙間から空気が構造物の外に漏れるのがわかるので、地上区間を通過したと確認できます。
 場所によっては外部の光が見えることも。

 でも北陸新幹線は違います。在来線からその区間の様子を見ていたのですが、糸魚川駅東方の1カ所の例外を除くと、しっかりとしたコンクリート製の「筒」のような構造になっているのです。
 要するにトンネルの延長。空気もほとんど外に漏れません。

 だから北陸新幹線に乗っていると、その地上区間に出たのかどうかがよく分からなかったのです。

 それでも何回も乗っていると、僅かな音の違いを聞き分けることができるようになりました。
 少しは構造物の外に漏れているんですね。

 ただしそれでも、新潟─富山県境と、富山県朝日町の間にあるはずの地上区間だけは、いまだに聞き分けることができません。

 週末に出張する関係で、昨日は在来線特急と北陸新幹線を乗り継いで金沢へやって来ました。
 写真は富山駅で乗客や乗務員の迷惑にならないように配慮しながら撮影したもの。

 先日ご紹介した金沢駅のホームドアと違い、車両西側ドアの部分には「金沢側」と書かれていました。
 他の駅でも確認しています。

 まぁ、当然だろうなぁとは思うのですが。



11月23日(月:祝日) 新潟県中越沖地震で被災した柏崎市旧市街地の再開発工事が、最終段階に近づいています

 昨日と今日は本当に久しぶりにオフの日。

 といっても、自宅にいる時は家族サービス。しかも今回は昨日の肉体労働でかなり疲れています。それでもお昼だけは自分の時間なので、47年間通い続けているラーメン店へ。
 開店時刻より少し前に到着したので、裏通りにある駐車場に車を残して表通りへ。

 ここは地域のシンボル「閻魔堂」がある地区。6月の「えんま市」には地域の総人口の3倍に相当する人々がこの狭い場所に押し寄せます。

 以前ご紹介したようにこの近辺では再開発工事が進んでいます。2007年に発生した新潟県中越沖地震でこの地域全体が激しく被災したのです。
 閻魔堂もその例外ではありませんでした。

 すでに通りの南側と、閻魔堂本体の修復・補強工事(こちらこちら)はほぼ工事を完了しています。
 工事の主体は道路の北側へ移っていました。

 ほぼ最後まで残ったような格好になったのが閻魔堂近辺。しかしそれも昨年から工事が本格化。
 閻魔堂前、写真右側の建物もこの夏には解体されてしまいました。

 それでも左側、旧時計店の建物だけは残っていたのです。しかしそれも1ヶ月前くらいから解体工事が始まりました。再開発工事は最終段階。
 センセイが次にこの場所を訪れる時にはもう、時計店の姿を見ることはできないでしょう。

 しかし本当の問題はこれからです。地震前も地震後も、そして再開発工事に入ってからも、この場所を通る人の姿はまばら。
 地域経済の中心はすでに郊外に移っています。

 しかも、写真には入っていませんが、左奥にある市役所が遠くない将来、駅前に移転することが確実視されています。つまり、この地区を利用する人が激減するのです。
 正直なところ、再開発工事が完了しても「えんま市」など特別な日を除けば、人々がここを訪れることはないのです。

 これは柏崎市だけには留まりません。ごく一部の例外を除いて、駅前商店街など全国各地で進行している大問題なのです......が、政府も自治体も企業も、正直なところ、触れたくないらしい。
 おそらく、既存組織の利益を優先せざるを得ないんでしょうね。

 本来ならばこういう場面でこそ、大学生などの若者の才能を活用すべきなんでしょう。しかもそれによって新しい展開が期待されると思うのですが。



11月22日(日) 一家総出で、自宅庭の冬囲い作業をしました

 昨日の会合は宵まで続いたので、新潟の自宅へ戻ったのは真夜中。

 もうちょっと開始、終了時刻を前倒ししてもらえるとありがたいんだけど。帰宅時刻にかかわらず、今朝は定時に起床。我が家ではいつもそうなのですが。

 朝食を済ませてからまず、10kmほど離れた実家へ向かい、両親といろいろな道具類を車に乗せて自宅へ戻ります。
 この時期の北陸には珍しい晴れの日を利用して、一家総出で庭の冬囲いをするのです。

 自宅の敷地は100坪。実家はさらにその数倍の広さ。都会暮らしの人には信じてもらえないと思います。
 反面、その手入れはとても大変。家人や両親はまるでその維持のために存在しているかのよう。

 というわけでまず、奥の松の木から作業開始。脇に竹棒を立て、上部から吊した縄で枝を支えます。
 KITキャンパスや兼六園での雪囲いと同じ方法です。

 続いて手前の低い木や進入路の木々など。約1時間半で作業終了。

 午後から市のホールで開かれるコンサートの鑑賞に出かけるという父親を残し、母親と市が処分できないゴミを車に乗せて実家まで送り届け、ついでにスーパーでの食料調達につき合って、任務完了。
 ふだん講義以外で身体を動かさないこともあって、かなり疲れました。

 比較的若い時の子供とはいえ、センセイも定年退職が近づいています。だから両親はもう、相当な高齢。正直なところ、こんな風に冬囲いできる機会も最後に近づいています。
 その変化がいつ、どのような形で具体的に起こるのかはわかりませんが。

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