2015年6月20日更新(2015年6月28日ページ移動。2018年1月6日一部写真削除)

──2015年6月第3週のニュース──

バックナンバーはこちら

6月20日(土) 大学近くのラーメン店「池田屋」が今月末に閉店し、別なお店になるようです

 昨日の続き、つまり金沢工大近辺のお店の動きを。

 ただし今日は正確に言うと、センセイ自身が発見したものではありません。学生さんからもたらされた情報です。

 金沢工大野々市キャンパスの脇を流れる高橋川を渡ったばかりのところに6年前、「らーめん 池田屋」がオープン。センセイもお店ができてから間もなく入ってみました。
 でも量が多いのと、味もかなりくどかったので、その後はご無沙汰。

 お店の前を通ってほっかほっか亭へというのがここ数年の行動パターン。でもその池田屋さん、お昼時はいつも満員
 開店前、入口の前に立っているコアなお客さんを見ることもあります。

 ところが学生さんによると、繁盛しているその池田屋さんが、今月末──正確には28日(日)──に閉店するというのです。
 昨日現地を訪れて写真を撮影したのですが、そのような掲示は見つかりませんでした。

 でも改めて調べてみると、確かにその通り。最初は経営面などの問題かと思ったのですが、そうではないらしい。
 この池田屋さん、本店(?)は京都かどこかにあり、このお店は「金沢店(金沢工大前店)」という位置づけらしい。

 それがどうやら、このたび本店との関係を整理して、円満独立することになったようなのです。一般論ですが、そうなるともう「池田屋」という看板は使えない。
 暖簾
(のれん)分けという方法もありますが。

 改装も施し、新しい名前でお店を開くようです。

 もちろんその心意気は応援したい。でも、(ほぼ)現在のメンバーが、あの量と味の品揃えでお店を経営するのだろうと思うと、正直なところ個人的には、ご縁はないだろうなぁー。
 もちろん若く、食べ盛りの人は別ですよ。



6月19日(金) 四面楚歌、ではありませんでした ──大学近くのセブン-イレブンが本日オープン!! ──

 ほっともっとの値上げで、センセイは昼食に関して非常に困ったことに。

 別に毎日通っていたわけではないのですが、「困ったらほっともっと」という図式が崩れると、どうもペースが掴めない。だから毎日、大学近辺をウロウロ。でもそのおかげで(?)、新しい発見がいくつかありました。
 その一つが、年初にご紹介した大学近くのセブン-イレブンのお店。

 オーナーが決まったらしく、少し前から開店の準備と店員の訓練が始まったのです。オープンは今朝7時。
 お昼に行ってみました。

 今日の金沢は雨だったのですが、ご近所と思われる人がかなり集まっていました。店頭では野菜の即売も。
 「明日もやるの?」とご婦人が尋ねると、今日だけとのこと。

 店内に入ってみると、絵に描いたようなセブン-イレブンのお店。開店初日なので商品の数も多い。
 店員の一人が音頭を取って、お勧め商品を全員で唱和しています。

 ご祝儀に(茹でてある)冷やし中華を買ったのですが、アルバイトの店員の動きはぎこちない。
 でも、まぁ、当然ですよね。

 大学の食堂で、店内の様子を思い出しながら冷やし中華を頂いたのですが、明日からは今日のようにはいかないだろうなぁ......。ご存じのように、コンビニ業界は過当競争。
 スーパーやドラッグストアとも客を奪い合っています。

 西村センセイ、今学期は講義時間割の関係で11時過ぎ、つまり早い時間帯にお昼を食べることが多いのです。でも、これからが書き入れ時なのに大学近辺のコンビニはどこも、商品の種類と数が少ない。
 売れ残った時の損失を考えると、品揃えを充実させる余裕なんて、もうないのです。

 今日はなぜか冷やし中華を食べたかったのですが、食べ終えてみるとやはり、「茹でである麺」。本物を食べたいなぁ......。

 ここで訂正を。今日訪れたお店がオープンすると、金沢工大はその四方をセブン-イレブンに囲まれるとお伝えしましたが、それは誤りでした。お詫びして訂正させていただきます。
 実は昨日のお昼、食べるものが本当になくて南側の、そのお店へ初めて行ってみたのです。

 そこはセブン-イレブンではないお店でした。センセイはコンビニをほとんど利用しないので、看板の色から勝手にそう思い込んでしまったのです。でもセンセイ、何も買わずにお店を後にしました。
 理由はとてもシンプル。

 商品が、ほとんど並んでいなかったからです。



6月18日(木) 先日のダイヤ改正で引退した国鉄色485系特急電車が、新津で保存されることになりました

 2週間ほど前のこと、想定していなかった情報がもたらされました。

 北陸新幹線開業に伴う平行在来区間の第三セクター化により、3月のダイヤ改正で引退した485系特急電車(国鉄色)1両が、保存されることになったというのです。場所は鉄道の街、新津(にいつ)にある新津鉄道資料館
 先日確認が取れたので、ご報告します。
((c)Niigata City Nitsu Railway Museum)

 来月の連休期間中に特別公開した後、保存のために屋根を設置してから再度公開するそうです。
 485系国鉄色といえばT-18編成しかありません。

 保存されるのは1編成6両の中で最も有名な、新潟側の運転席のついたクハ481-1508(写真左端)と推測されます。(ただし未確認)
 北海道から九州までの国鉄・JR線を駆け抜けたことで知られる車両です。

 新潟に配属されてしばらくは通称「上沼垂色」という塗装(こちらの左側)だったのですが、2008年に国鉄色に戻されてから知られるようになりました。
 その人気ゆえに、プレートを盗まれるという受難も。

 もちろんセンセイは何回も何回も乗車しています。特に自由席として運用されていたクハ481-1508の中央席がお気に入り。
 揺れが少ないし、モーターがついていないので静かなのです。

 個人的にはダイヤ改正前の2月に乗り納め。でも幸いなことに北陸新幹線開業後の先月、お別れ運転に立ち会うことができました。
 新津鉄道資料館、実はまだ訪れたことがありません。

 来月の特別公開に行けるかどうかはわかりませんが、新潟市に住んでいる弟宅を訪れる時に資料館の脇を通ります。ぜひその際には立ち寄って、「いつもの席」を見てみたいと思います。
 ところで、T-18編成の秘密を一つ。

 この編成、新潟側のクハ481-1508には“T-18”と記されていますが、金沢・秋田側の先頭車両は“T18”。つまり編成の前後で表記が一致していないのです。
 どうでもいい、と言われればそれまでなのですが。



6月17日(水) 1年半ほどを要した大学近くの道路工事も(さすがに)、終盤を迎えているようです

 お伝えしたいネタを急遽差し替えて、今日は見たままの話題。

 ほっともっとの突然の値上げにダメージを受けた西村センセイは、その後ずっとお昼ご飯に困ったままです。ご飯の味に目を瞑(つむ)って大学食堂へ行ったり、ふだんなら食べないコンビニのパスタや焼きうどんにしたり。
 しかし、どれもイマイチ。

 今日はセンセイが一番忙しい水曜日。朝イチの講義は無事に乗り切ることができたのです。しかし午後に講義と、会議と、ヘビーな会議と、学長との打合せと、特別講義が控えています。
 ......ふう。

 何も食べないわけにはいかないので、ほっかほっか亭へ行くことにしました。

 強い陽射しの下、久しぶりの道を確かめていると、大学近くの道路工事現場の様子が、かなり変わっていることに気づきました。
 専用の重機を用いて、舗装作業を行っているのです。

 振り返ってみると、この地にあった「アールドリーム」閉店から始まったこの工事、店舗の解体整地、そして道路工事着手と進みました。
 この辺までは割と順調。

 ところが単なる道路拡幅工事ではなかったようで、その後はあっちで何か作業したり、こっちで工事をしたり。
 「年内に完成して供用開始」というセンセイの予想はあっさりと裏切られ、年度すら越えてしまいました。

 正直なところ、こうなるとなかば「どうでもいいや」という気持ちになっていたのです。現場の今日の様子からすると、長かった工事も終盤を迎えているらしい。
 舗装面の高さが違うのです。

 でもそれならば、何でこれだけの時間(と経費)が必要だったんだろう......。



6月16日(火) 平行する北陸新幹線を見下ろす区間もあります ──糸魚川東バイパスが部分開通しました──

 “E/W7+E653 < E46”という不等式が頭の中にパッと浮かんで以来、新潟−金沢間の移動に電車をほとんど使わなくなってしまった西村センセイ。でも、金沢−東京間は別です。
 もともと自動車で高崎以南へ行ったことはないのですが。

 写真は先週金曜日の夕方、東京行の北陸新幹線「かがやき」車内から撮影した糸魚川駅の東側。写真左側、コンクリート製の橋の奥に日本海が見えます。
 一番手前の壁はもちろん、北陸新幹線の防音壁。

 その向こうに川(「海川」)があり、手前から旧北陸本線と国道8号線の橋脚が架かっています。
 以前ご紹介した旧北陸本線の死電区間(デッド・セクション)のあたりから、逆方向を見ています。

 で、問題は一番奥の新しい橋はというと、一つ手前の国道8号線のパイパス「糸魚川東バイパス」なのです。
 数年間の工事を終えて、先月末に開通しました。

 このバイパスは旧北陸本線と国道8号線を跨ぐため、この付近ではとても高い場所を通ります。
 場所によっては新幹線を見下ろす──つまり新幹線からは見上げる──ほど。

 だから日曜日に金沢へ車で移動する際にこのバイパスを走ってみました。残念ながら新幹線とは出くわしませんでしたが。
 しかしこのパイバス、意外と使い勝手が悪い。

 東端が中途半端な場所にあるため、旧道を走った方が便利で早いのです。要するに工事は未完成。さらに東側へ延伸することになっているようですが、間脇に至る未着手区間は山と海が接した狭い場所。
 その狭い場所を現在、旧北陸本線と国道8号線が走っています。

 バイパスを造るためには長いトンネルを掘るしかないと思います。完成は10年後か、20年後か。センセイの年齢を考えると、(生きていたとしても)その頃には金沢工大を退職しています。
 つまり完成したバイパスを通ることは、ない。

 そう考えると、ますますこの糸魚川東バイパスを縁遠く感じてしまいます。



6月15日(月) 植樹から26年半、母校の「ニュートンのりんごの木」は立派に成長し、今年も実を結びました

 今日は先週末の出張の際の。ただし九州の話ではないのでお許しを。

 今回の出張、本務は土曜午後の研究会。ただしせっかくの機会なので、その前日、会議を終えてからバスと北陸新幹線を乗り継いで1日早く上京。就職活動中の娘を励ますためです。
 なお宿泊費を含めて、公務外の出費はすべて自己負担です。

 内定はまだもらっていませんが、就職活動に入ってから急に成長した娘の姿を確かめてからホテルへ。翌日はまず、中央線の武蔵境駅へ向かいます。

 そこで西武多摩川線に乗り換え、一つ先の新小金井駅で下車。少し歩いて東大名誉教授の師匠宅へ。といっても残念ながら、先生はちょうど10年前に亡くなられました
 しかし奥様は高齢ながらご健在。センセイは家人や娘を含め、一家でてお世話になったので、定期的にご挨拶にうかがっているのです。

 先日患った病気や、重要な事項を含めて近況をご報告。お邪魔したのは1時間半程でしたが、センセイくらいの年齢の人と話す機会がすっかり減ってしまったとのことで、奥様も喜んでいらっしゃいました。
 もちろんこちらにとっても貴重な時間。

 お昼が近づいてきたのでお暇(いとま)し、150mほど歩くと母校──といっても大学院だけ──であり、最初の勤務先である国際基督教大学(ICU)に到着。
 大学院生および助手時代、毎日通った裏門です。

 付属高校のグラウンドと木立とを抜けると、センセイの部屋があったNSビル(自然科学棟)。1階に所属教員の一覧が表示されています。
 しかし、直接存じ上げる方──つまり、元同僚──の名前はついに、一つも見つけることができませんでした。

 時間の流れを感じながら、反対側の出入り口へ。構内から出発するバスに乗って、本務先へ向かうのです。
 そこに立っているのは、先日ご紹介した「ニュートンのりんごの木」。

 NSビル脇に小さな苗木──アスパラガスのような1本の棒でしかなかった──を植樹したのは1988年の秋(その後移植)。26年半前のことです。
 それがここまで立派に成長しています。説明のプレートは失われたままでした。

 「だからこちらは老いるわけだ」と感じながら、本館を通り抜け、食堂で昼食を済ませて、小田急バスに乗車。

 ......そう言えば、プリンセスのお姿をお見かけすることはなかったなぁ。



6月14日(日) 柏崎地域で最も重要な年中行事「えんま市」が始まりました

 昨晩、9日ぶりに自宅書斎に入ると、部屋はすっかりいつもの姿に戻って......。

 これだけじゃ、何のことかさっぱりわかりませんね。雨漏りと判明した書斎天井の不具合の件は、お伝えした屋根瓦の交換に続き、センセイの入院中に天井パネルおよび断熱材の交換が行われました。
 その際、天井板を引きはがすので大量のゴミやチリが出ます。

 そのため、部屋の中のすべてのものに薄く透明なシートをかけて、かつそれをテープで繋いで保護。だから退院後にセンセイが見たのは、シートに覆われた書斎だったのです。机の中のものなどを取り出すのに、とても苦労しました。
 しかしこちらも、先週半ばにクロスの張り替え工事が行われ作業完了。

 さて今日14日から16日までの3日間、この地域の住民にとって最も重要な「えんま市」が開かれます。もともとは江戸時代に馬の市として始まったそうです。しかし近年は農繁期の重労働を終えた地域住民のお祭りのような位置づけ。
 市の総人口──赤ちゃんから足腰の立たない老人まで含めた数──に相当する人間が、しかも3日間ですよ。

 センセイが子供の頃は実用品も販売していましたが、現在は陶器(一昨年)や植木(中越沖地震被災翌年)を除くと子供向けのものばかり。それでもこの地域で生まれ育った人間は、「行くしかない」。
 だってDNAにそう書かれているんですから。

 家人を含めて、他県や県内他地域からやって来た方はその感覚がわからないと言います。でも大丈夫。
 彼女の子供のDNAには間違いなく、「えんま市へ行く」と書き込まれています。

 偉そうなことを言うつもりはありません。

 このホームページを開設して以来、北海道出張や平日で金沢に留まった日を除くと、様態はともかく、センセイも必ずえんま市を訪れています。
 そして他地域の方には少々申し訳ないと思いつつ、その様子をお伝えしています。 

 えんま市は、14日の夜からが本番なのですが、今年は曜日まわりの関係で、明日15日から平日。お父さんやお母さんたちは仕事。
 子供達も大半は保育園/幼稚園、あるいは学校へ行ってしまいます。

 だから「今日しかないだろうなぁー」と考えて、昼食のついでに市街地中心部まで歩いてみました。お察しの通り。
 自動車は激しい渋滞で、まったく動かなくなるのです。

 あちこちから若いお父さんお母さんと、彼ら彼女らに連れられた子供たち──小学校低学年から園児、幼児が主──が集まってきます。

 去年はたまたま、サッカーのワールドカップ日本戦が佳境に入っていたためか、若い人の姿が少なかったようです。でも今年は例年通り、あるいはそれ以上の大混雑。
 陽射しもあり、かなり蒸し暑かったので、小さな子供たちには大変だっただろうと思います。

 右の写真は地域の精神的な拠り所である閻魔堂。実際には土着信仰の性格が強いと思います。長い参拝者の列で目立つのは高齢者。
 世代を超えた──だってDNAにそう書かれているから──地域の拠り所となっているんですね。

 ところで、センセイが小学生の頃は「今日はえんま市だから」という理由で、午前中で放課となりました。(実話)
 今から考えると、どうやって理屈をつけたのだろう。

 ただし子供たちや地域の人間はそれが当たり前だと思っていたし、先生方ですら「(自分の)子供をえんま市に連れて行かなくては」と思っていたに違いない。
 地域で最も重要なイベントなのですから。

 (狭い意味での)貨幣価値を超えたものが、その地域で大切に共有されていた時代のことです。

「最近のニュース」(最新版)へ
バックナンバーのトップページへ
トップページへ戻る