2017年10月14日更新(2017年10月22日ページ移動。2019年5月1日写真削除)
■10月14日(土) 何度目かの“For the Rest of Us” ──地域の商店街の催し物をのぞいてみました──
ずいぶん久しぶりの、完全な休日。
仕事の締め切りが目前に迫っているのですが明日以降に先送りし、今日は基本的に休息と家族サービスに徹します。お昼は、こちらもご無沙汰している現「うれっ子」(旧「そばよし」)へ。
焼きそばを作る手順を再確認するためです。一種の答え合わせ。奥様が作ってくださるのならもちろん焼きそば(800円)をお願いしたのですが、店内に入ってみると別な人がその位置についていたので、パス。別な品をお願いしながら、調理の手際を拝見します。
細かいところでは確かに、「そっちが、先かぁ」などという場面も。しかし基本的な手順は予想通り。ただし、かなりの量の塩を使っています。センセイには、無理。
「答え合わせ」を終えたので、そのまま自宅へ戻ろうかと思ったのですが、ちょっと寄り道をすることに。街の気配がちょっとだけ、いつもと違ったのです。
ここは柏崎市諏訪町。旧市街地中心部の一つであり、柏崎高校の1年生だった時、かつてこの地にあった「諏訪町食堂」──当時はすでに廃業──の2階に一冬だけ、従姉妹2人と下宿しました。もちろん部屋は別。
かつての従業員用の部屋が空いていたのです。だからこの地域は良く知っています。気配のする方へ、小路を抜けます。こういう時、自転車は便利。
通りに出ると、あぁ、この日だったんだぁ。諏訪町商店街が春と秋に開いている「びっくり市」の日だったのです。訪れるのはたぶん6年ぶり。
ご覧のように瀬戸物や骨董品、衣類などに加えて、飲食コーナーも。ふだんは人気(ひとけ)のない諏訪町。皆さんの近くの駅前商店街と同じです。でも今日は、これだけの人々がこの街のどこにいたんだろうと思えるほどの人が集まっています。
お客の中心は高齢者とその予備軍。孫を連れているケースも目立ちます。確かに子育て世代のように激しく消費する、売り手にとって有り難い人々ではないかもしれない。でも彼ら彼女らだって、ちゃんと生きる権利がある。実際、しっかりと生きているし。
決して特別ではない、ごく普通の人々。でも、グローバル化が休息に進展する現在、そのような目立たない人々の権利は徐々にないがしろにされがち。それよりも、(中身が伴っていないのに)大きな声を上げた人に注目が集まります。
組織の規模を問わずに、です。これって、年明けにお話ししようと思っている話題そのものじゃないか......。
■10月13日(金) 新しいバイパスが開通すると、それまでの古い道路を利用しなくなってしまう...
......当たり前といえば、当たり前なのでしょうが。
週末なので、新潟の自宅に向けて出発しました。この金曜午後に帰るのが本来のパターン。ここ2ヶ月ほど忙しくて、ちゃんと戻れないことが多かったのです。
写真は金沢市東部、富山県との県境に近い不動寺地区で撮影したドライブレコーダーの映像。左手の少し高い場所を北陸自動車道が走っており、不動寺PA(上り)が左奥にあります。その下には写真の国道304号線。もちろん建設された順番は逆。
国道の方がはるかに古いので、線形があまり良くありませんセンセイがこの道路を利用するようになってから何回か、改良工事が行われているのですが、道路拡幅などのために人々が生活する住居を移転させるのは大変。
そこで、たいていは集落の外側にバイパス道路を建設します。この不動寺地区も同様で、左側(=北側)の古い道路沿いにある民家を迂回すべく、右側にバイパスが新設されました。
建設工事は半年くらい前から始まっていたのです。工事は最初のうちとても順調に進んだのですが、最後になると、ある場所だけ全然進まない。
他は舗装工事まで終わっているのに、まだ道路の形になっていないという具合。それでも1ヶ月くらい前から工事の最終盤に入ったのですが......それでも供用は始まらない。
区切りの良い11月あるいは12月1日などに開通式を行うんじゃないかと勘ぐった程です。センセイは今週の月曜にこの場所を逆方向から利用したのですが、その時は左側の古い道路を走行しました。
だから今日もまだ...と思ったら、いきなり新線へ。この場所はとても運転しやすくなったのですが、実は写真奥の左カーブから先は旧線に戻ります。そこは深い右カーブ。そのさらに奥は10年くらい前に改良工事を終えています。
なぜ一度に工事しないんだろう......。それはともかく、振り返ってみるとこの付近の道路を含めて、新しい道路が建設されると、古い方はまず利用しません。覚えているんだけど、走ろうという気にならない。
記憶は確かなのですが、現状が記憶通りかどうか確かめる意欲がなくなっています。こうやって、いろいろなことを忘れていき、「なかったこと」になるんだろうなぁ...。
忘れてはいけないはずのものや事柄を含めて。
■10月12日(木) 野菜はもちろん、麺がとても甘い!! ──生麺を使って本格的な焼きそばを作りました──
病みつきソース焼きそばシリーズも最終回。
明日は新潟の自宅に戻るので、残っている野菜を使い切る必要があります。そこで今日もソース焼きそばを作ることに。昨日までに味付けはほぼ完璧なレベルまで達しています。
誰かがアパートに遊びに来たら、自信を持って提供できる水準。実はセンセイにとって、そして柏崎在住のセンセイらの世代にとっての「焼きそば」は、現「うれっ子」(旧「そばよし」)の、先代の奥様が作る焼きそば。他を超越した存在でした。
先週末の同級会に参加するため、全国各地から集まった中のかなりの人が、旧「そばよし」へ行ったんじゃないだろうか。でも奥様はかなりの高齢なので現在、ご自身で鍋を振ることは滅多にありません。申し訳ないのですが、代わりの方のものは一味も二味も落ちてしまいます。
昨年末、たまたま奥様が作ってくださった焼きそばは、センセイにとってたぶん人生最後の一皿。センセイだってこの2週間ほどで驚異的に腕を上げたのですが、やはりまったくかなわないものがあります。
それは、麺。これまでは市販の焼きそば用の麺──すでに茹でてある──を使用しました。それなりにうまくいく反面、絶対「うれっ子」のようにはならない。
「うれっ子」では、息子さんがその場で生麺を茹でて、ざっと炒めた肉野菜の鍋の中に、絶妙のタイミングでそれを投入するのです。そこで今回、写真の細麺を購入。茹でていないパサパサした麺です。120g入りで58円。本当は電子レンジで温めるだけにしようかなぁと思ったのです。
でもせっかくの機会なので、「うれっ子」のように鍋で茹でることにしました。茹で時間は2〜3分とのことだったのですが、鍋で炒める時にも加熱するので、半分くらいの時間で引き揚げ、水で洗って冷やします。
要するに、ここまでは冷やし中華。それを、炒めつつある肉野菜の中に入れてソースで味を調えました。焼きそば用の市販の調味料などは一切使用していません(そもそも持っていない)。さて、肝心のお味は......。
最初に強く感じたのは、甘さ。母親が育てた野菜を使っているので、そもそも野菜は「うれっ子」のものより甘い。これは以前からです。でも今回、麺が甘いということを初めて経験しました。もちろん素材の持つ甘さです。
本当に美味しいし、奥様の作る焼きそばの味に肉薄しています。香辛料は全然使っていないので、その辺は違いますし、塩分もずっと少ない。これなら毎日焼きそばでいいかも...と思えるほどです。ただし気をつけなければいけない点も良くわかりました。
それは手順。段取りを完璧に整えておかないと、鍋に入れた麺がのびてしまい、しかもお互いにくっついて団子状態になってしまいます。後者は、程度の差こそあれ「うれっ子」でも起きていること。
だから菜箸で鍋の中の麺を大きな動作ですくい上げ、解きほぐしていたんだ。いろいろ得るところが大きかった焼きそば作りですが、実は今日が最終回。冷蔵庫の中に保管されたままになっていたウスターソースが空になったのです。
次回はいつになるのやら。
■10月11日(水) 大学食堂の「極麺」の麺が変わっていました ──西村センセイ、ラーメンに走る──
麺なしソース焼きそばを作って以来、ずいぶん久しぶりにラーメン派──正確には焼きそば派──に戻っているセンセイ。
といっても、センセイは引き続きキンエン生活中。自宅での休日を含めて、専門店など外でラーメンを頂くことはありませんでした。正確に言うと、今日までは。
今日は水曜。会議と講義が夕方まで続く日なので、昼食の選択が難しい。特に今日は地鎮式の関係で、午前中の会議が30分後ろ倒しになっています。昼食を取る時間がなくなるかも。
そこで今日は特別に、近くの松屋で朝定食をしっかりと頂きました。これで最悪の場合、お昼を抜くことが可能。ところが世の中はうまくいかないもので、そんな今日に限って午前中の会議は早めに終了。さて、どうしよう。
お腹が空いているというわけではないのですが、食べないわけにもいかない。さりとて、しっかりとしたお弁当や定食は、ちょっと重い。というわけで、本当に久しぶりに大学食堂へ入りました。うどん類かラーメンを頂くつもり。ただし前者はとても塩分が多い。
自然と券売機のラーメン類に目が向かいます。ふと、「極麺(きわめん) 特製豚骨醤油ラーメン」(410円)の文字が目に入りました。センセイ、製豚骨醤油は好みではありません。
でも前半の「極麺」という漢字の並びに惹かれるものが...。というわけで数ヶ月ぶりに大学食堂でラーメンを頂きました。調理の様子をずっと見ていたのですが、麺は冷凍麺。
これだけの人数を処理するのですから、当然です。でも見比べると、隣のコーナーの通常の麺とは違うような......。
出来上がったのが写真。まずスープを一口頂きます。味がかなり濃い。塩分よりも、濃い醤油味と鶏ガラスープが存在を訴えます。ただし残念ながら、深みはない。メンマも味が強い。
チャーシューについては、センセイは基本的に肉を食べないので、赤身を少しだけ囓って、パス。さて、肝心の麺はというと、やはり今までの麺とは一味も二味も違う。そもそも平麺なのでレギュラーの麺とは異なるのですが、それなりにコシがあります。冷凍うどんなどに共通するあの感覚。
喉越しのツルッという感じもそれなりに味わえます。醤油味が前面に出ていますが、塩分も多いはず。だからスープは残したのですが、いやぁ、今までの大学食堂にはない麺です。普通なら、「これなら今度も大学食堂で...」となるところ。
でも焼きそばで手応えを感じた西村センセイ、「う〜ん、これなら今度は麺で勝負......」と、あらぬ方向へ妄想を逞しくしているのでした。続きは、どうなる?!
■10月10日(火) 「扇が丘ゴショ遺跡」のプレハブ小屋跡に、地鎮式のテントが設置されていました
同級会のショックが大きかったのか、何年ぶりかで風邪を引いてしまいました。まぁ、馬○ではなかったのだと、喜ぶことにしましょう。
というわけで今日はタイトル通り、そして見たままの話題。
夕方、臨時のヘビーな会議が開かれました。珍しくセンセイも積極的に発言して、無事に終了。ただし誰の目にも風邪であることは明らか。学生との面談も終了していたので、そのまま早めに退勤することにします。
今晩は実家から持ってきた野菜で、再度焼きそばを作るつもり。ただし豚肉の細切れがないので、途中で買うことにして駐輪場を出た時、ふとあることに気づきました。確かめてみたいことが出てきたのです。
自転車をUターンさせて向かったのはす、ぐ近くにある「扇が丘ゴショ遺跡」の発掘調査現場。先週末、現場の周囲に工事用の鉄製フェンス(写真右端)が設置されたのを確認して......やっぱり。
発掘調査関係者用のプレハブ小屋があった場所に、写真のテントが設置されていました。今朝はなかったはず。
駐輪場新築工事同様、明日、この場所で地鎮式が執り行われるのです。新築されるのは、金沢工大がこれまでちょっと苦手としてきた国際交流の施設です。
明日の式典には呼ばれていないのですが(新)夢考房41同様、竣工式には出席することになると思います。新しい施設が楽しみ。
そして何より、その施設を活用した国際交流の発展が期待されます。ちなみに、今晩の焼きそばはほぼ完璧でした。しばらく病みつきになるかも。
■10月9日(月:祝日) 退職日は、必ずしも年度末じゃないんだぁ... ──同級会で気づいたこと──
高校の同級会のお話を、もう1日だけ。(ペコリ)
写真は会場となったホテル(左側)。柏崎市西部の、日本海に面した高い崖の上にあり、右側を国道8号線が走っています。地域のシンボル「米山(よねやま)」を一望できる良い立地。
お分かりの通り、相当暗い状況下での撮影です。写真右側、道路沿いの建物は海産物を取り扱う「日本海鮮魚センター」やレストランで、ホテルと事実上一体で運営(正確には、9月にホテル事業を譲渡)されています。
北陸自動車道米山I.C.のすぐそば。ということもあり、休日は多くの買い物客で賑わいます。今回、意外だったことが二つ。
他高校に進学後再受験した3名を除く同級生は、1957年4月2日〜1958年4月1日の間に生まれました。
現在は年度の半ばなので、約半数は誕生日を迎えて60歳となり、センセイを含めた残りはまだ59歳。話を聞いてみると、定年はたいてい60歳らしい。
センセイもそうなのでてっきり、宮仕えをしている人は皆、今年度末で退職するのかと思ったら、ずいぶん様子が違う。
「○月末で退職し、そのまま雇用延長...」とか、「現在は関連会社で...」とか。センセイら教育業界は学年度(Academic Year: AY)単位で動くため、年度末に退職します。でもこれって、必ずしも世の中の常識じゃなかったんですねぇ。
反省。また3年前に開かれた大学(1回目)の同級会同様、すでに退職していらっしゃる方が予想外に多い。特に女性陣はほとんどの方(自営業を除く)が退職されていました。
う〜ん、センセイは最長あと10年常勤職なのに...。(実際には体力的に無理だと思いますが。)もう一つ驚いたのが、複数の方がこのページをご覧になっていること。
ある方は、地元柏崎をずっと離れているのだそうです。金沢の話には興味なくても、週末にセンセイが帰る柏崎──例えば「えんま市」──の情報はちゃんとチェックしていらっしゃるとのこと。
なるほど、そう来たかぁ。やはり柏崎で育った人間のDNAには、えんま市の情報が書き込まれているんですね。えんま市は偉大だ。
オマケを一つ。センセイは大学の途中から文科系に進むことになるのですが、高校3年生の時は理系クラスに所属していました。今回は、卒業時のクラス単位でのテーブル設定。
しかしセンセイらのテーブルに、見知らぬ女性が一人。センセイと同じ組の男性が、他クラス(文系)の女性と同級生同士で結婚されたんですね。センセイ、お二人が記念写真撮影の時から一心同体の動きをされるので、気になっていたのです。
この他に同級生同士のカップルが2組。こちらは、よく存じ上げています。でも315名中3組6名というこの数字、気の迷いやアクシデントさえなければ、変わっていた......のかも。
■10月8日(日) “Sturm
und Drang” ──高校の同級生による還暦を祝う会が開かれました──
昨晩、市内のホテルで高校の同級会が開かれました。
今回は60歳の還暦スペシャル版。午後4時半頃自宅を出て、徒歩で駅ヘ向かいます。柏崎駅に用があるのではなく、駅前からホテルまでの送迎バスが出るのです......が、すでにその気配。
初老の男性が100mくらい前を歩いているのですが、時々キョロキョロして周囲の様子を確認しています。まるで訓練を始めたばかりのスパイのよう。それは冗談として、高校を卒業してから41年半前に当地を離れてから変わった様子を確認しているのか、友達の姿を見つけようとしているのか。
つまり同じ目的に向かっているのです。交差点ではラフな格好をした男性がもう一人。この頃には顔がはっきり見えるようになっていたのですが......わからない。センセイの方早く到着したので、先にバスに乗り込みます。
70人乗りのバスに、先客が20名ほど。ただし誰が誰だか、さっぱりわからない。出発時刻が迫る頃には、それと思しき人物があちこちから集まってきます......が、一人もわからない。確実に同定できるのは、つい先日もお世話になったかかりつけ医院の同級生だけ。
そして今、ホテルから出てきたスーツ姿の男性はたぶん、1年の時の同級生。彼とは高校卒業以来、会っていません。しかしセンセイが、そして仙台住まいの彼も地震で被災したということもあって、手紙のやり取りをずっと続けています。
会場に到着すると大きな和室に誘導され、受付と記念写真撮影。人数の多さに驚かされたのですが、学年定員315名に対して、今日の参加者は約1/3の110名。
センセイを含む地元組と、首都圏を中心とした県外勢が半々くらい。会場を写真の部屋に移し、お祓い──宮司は2学年下の同窓生──に続いていよいよパーティ開始。写真は乾杯の場面です。
実は北朝鮮に拉致されながら、奇跡的に帰還した蓮池薫君も同級生。この写真のどこかに収まっています。テーブルと座席は一応決まっていたのですが、すぐにその意味を失いました。
センセイらが卒業した新潟県立柏崎高等学校、少なくとも当時は地域の進学校でした。文武両道がモットー。
といってもセンセイは、そのどちらにも弱かったのですが。学生の自主性を尊重する学校で、センセイらのクラスを中心に、先生を説得して複数の授業を休講にし、中庭にあった池の掃除を始めるなど、もう、やりたい放題。
ただし現在の学級崩壊や、ほったらかしとはまったく違います。ドイツ語に“(der)Sturm und Drang”(シュトルム・ウント・ドランク)という言葉があります。
(狭い)理性を重視するフランス啓蒙主義などに対抗して、(広い意味での理性を含む)感情、つまり肉体性や感覚を重視する流れの標語。その後のロマン主義に繋がる動きです。
通常は「疾風怒濤」と訳されますが、あまり適切な訳ではないと思います。「入学直後の西村君はとても小さく、幼かった」──センセイは高校3年間で身長が25cm伸びた──など、本人が半ば忘れていた話題で盛り上がります。
もちろん若気の至り。心に痛く、現在に続く思い出も。2時間半という時間はあっという間。再びバスに乗り、柏崎駅前へ。幹事によると、5年後か10年後かに再び...。
果たしてその時、センセイは物理的に存在しているんだろうか。