2017年9月2日更新(2017年9月10日ページ移動。2019年5月1日一部写真削除)
■9月2日(土) 購入したオーディオDAコンバータがとても良いので、処分することにしました!?
......これだけじゃ、意味がほとんど通じませんよね。
でもこれ、間違いではありません。約1ヶ月前に購入したばかりのOPPO社製DAコンバータ“Sonica DAC”の音質がとても良いため、結果的に、これを何らかの形で転用、あるいは処分しようと考えているのです。
と言うか、すでに実行段階。お伝えしたように“Sonica DAC”は、センセイが現在メインとして使用している同じOPPO社の“BDP-105D JAPAN LIMITED”を凌ぐ高性能。特に解像度が高い。
今まで聞こえていなかった音の存在を示されて、ドキッとすることがしばしば。しかし難点がないわけではない。自宅書斎のシステムはのオーディオ・ビジュアルに加えて、Macとも一体化されています。それらのすべてに対応できる“BDP-105D JPL”はまさに適役。
しかし“Sonica DAC”は基本的にオーディオおよびMacには対応可能ですが、HDMIのデジタルビデオには対応しません。それを承知で購入したのですが、実際に使ってみるともう一つ問題が出てきました。センセイが数枚所有するSACDに対応しない。製品の問題ではなく、フォーマット上の制約。
再生する機器から外部に出力できないようになっているのです。正確な時期は未定ですが、センセイはそう遠くない将来に現役を退いて自宅に戻ります。その時のことを考えると、う〜ん......。
白状すると、そこまで考えが至っていなかったのです。というわけで、約1ヶ月前にセンセイが「ク、クリックしてしまった...」のは4K UHD Blu-rayディスクプレーヤー“UDP-205”。
最近販売を開始した“BDP-105D JPL”の後継機で、購入は順番待ち。それが約1週間前に届いたのです。さっそく自宅AV(+Mac)システム右側最下段に収めていた“BDP-105D JPL”(2台目)と入れ換えたのが写真。
ともに黒い筐体だし、しかもそっくりなので見分けがつかないと思います。“UDP-205”、音質は極めて優れています。意外に感じられるかもしれませんが、古いアナログ音源に隠されていた音をこれでもか、というほど明らかにします。
聴く人によっては疲れてしまうんじゃないかしら、と心配してしまうほど。ピアノやギターの複雑な倍音の表現は特にすばらしい。「そうだよなぁー、生音はこうだよなぁー」とか、「スタジオのJBLのモニタだとこうだったよなぁ」という感じ。
ただし今度は別な種類の問題が。“BDP-105D JPL”ではまったく問題なかったHDMI関連のトラブルが確認されています。外部HDMI入力からの音声が正常に出力されないのです。コントロールパネルを設定し直すと再生することもあるのですが、非常に不安定。
そもそも外部HDMI入力からの映像がコマ落ちして、パラパラ漫画状態。要するに実用にならない。国産品ではあり得ない完成度の低さ(特にソフトウェア)と、それを凌ぐ本質的な魅力が共存しているのですが......う〜ん、これってMacintoshそのもの。
それはともかく、“Sonica DAC”については金沢で使用する──ただし、その場合は引退時の問題が残る──か売却、自宅で使用していた“BDP-105D JPL”については売却を考えています。
もしご希望の方がいらっしゃる場合は格安でお譲りいたしますので、来週中にご連絡ください。
■9月1日(金) 富山は何故こんなに大型バスが多いんだろうと思ったら、今日は9月1日だった...
9月1日は防災の日だから、ではありません。
自宅に戻った昨日は自分自身の病院へ行ったのですが、今日は父親の通院の送迎。彼はこの春、自宅で転倒して腰の骨(腸骨)を折り、約1ヶ月間市内の病院に入院。
幸いなことに、腸骨は大きな骨なので血管も太く、懸念された後遺症を残さずにほぼ完治。その代わり、というわけではないのですが、以前から悩まされていた頸椎の病気が顕在化しました。検査と検討を重ねた結果、再度入院、手術することになったのです。
今日はその最終調整。オペ(手術)を担当するドクターの関係で、何と来週することになり、バタバタとあちこちを調整。お昼過ぎに両親を実家に送って、今日の仕事は完了。自宅に立ち寄ってから金沢に向けて出発。
ただし昨日から、かなりの長距離走行。しかもいつものように一般道だけを走行すると富山市内で帰宅ラッシュに巻き込まれます。そこで今日は部分的に高速道路を利用することにします。
いろいろ考えたのですが、新潟─富山県境まで国道8号線を利用し、朝日I.C.から北陸自動車道へ。どこで降りるか決めていなかったのですが、結局、久しぶりに富山I.C.で一般道へ。そこから先は通常のルート。
......でも、いつもと少し違う。帰宅時間帯に入り始めているために交通量は多い。それは織り込み済だったのです。大型バスを追いかけるように走行します。
ふと、なぜ、大型バスなんだろう.....。最初は偶然だろうと思ったのです。ところが前を行くバスはともかく、対向車線にも見慣れない大型バスが続きます。
その前面ガラスには大きく「九×」(最初の写真)とか「名×」(2枚目)......。こちらも、最初は偶然だと思ったのですが......あ"、今日は9月1日。「おわら風の盆」が始まったのです。
電車で移動していた時はそれなりに気にしていたのに。そういえば道路沿いに一般車両や観光バス向けの臨時路線案内が出ていたっけ。2台目の「名×」バスのナンバーを確認すると確かに名古屋ナンバー。
すると「九×」のバスは、はるか遠く九州からお越しになっているんでしょうか。
■8月31日(木) こちらは20回目のお誕生日 ──柏崎市の「小さな絵本館サバト」──
もう1日だけ誕生日のお話を。
今日は休暇を頂き、同級生の内科医院で胃の内視鏡検査を受けることになっています。だから昨日のうちに帰宅する予定を組んでいたのですが、午後遅くまで会議が入ってしまいました。
事務職員を対象とした大きな会議なので立場上、ちゃんと出席する必要があります。終了後に自宅へ移動してもいいのですが、最近はまさに「秋の夜は釣瓶(つるべ)落とし」。すぐに真っ暗になります。視力が低下し、加齢で反応が鈍くなっているセンセイとしては、夜間の運転は避けたい。
というわけで昨晩は金沢に留まり、今朝移動することにしました。普通に起床しても高速道路を利用すれば、予約した11時15分に充分間に合うのです。でもヘソ曲がりのセンセイは、高速道路を好きになれない。しかも居眠り運転してしまいそう。
早めに就寝して、起きた時の状況に応じて経路を選択することにします。最初に目覚めたのは午前1時過ぎ。早く寝たとはいえ、さすがにこれは酒気帯び運転の可能性があります。結局、4時半に行動開始。5時前にアパートを発ったのですが、これには理由が。
富山市付近の交通混雑を避けるためです。出発時には東の空にうっすらと光。富山─金沢県境を越える頃にはかなり明るくなりました。
早めに移動したためラッシュに出くわすこともなく、結局、全経路を一般道で走行しました。予定より早く到着したこともあり、先にかかりつけの医院などを片付けてから、同級生の内科医院へ。
一昨年にピロリ菌除菌処置を受けていることもあり、まったく問題ないとのこと。予想通り、彼の方から「次は、還暦の会で」(同級会のこと)。ただし麻酔の関係でしばらくは飲食不可。
自宅へ戻り少し休んでから、昼食を兼ねて外出します。途中、写真の建物の前を通りました。ここにはもともと田舎の小学校のような産婦人科医院がありました。
右手の胸像は院長先生。センセイ一家が約20年前にこの近くに引っ越してきた頃、当時の市長夫人を中心として「小さな絵本館サバト」という絵本の読み聞かせグループが市内に結成されました。
サバトは当初、別な場所で活動していたのですが、諸事情でこの「小学校」を本拠地に。子供を育てるという意味で、その中身も建物も似合っていたのですが、何とその翌年、新潟県中越沖地震が戦前からの古い建物を直撃、破壊してしまいます。
傾いた建物から多くの人が絵本を救出する様子は、センセイも目撃しています。報道(『新潟日報』〔環境により、一度で開けない可能性あり〕・『柏崎日報』)によると先週末、その「サバト」活動20周年を記念する行事が催されたとのこと。つまり20回目のお誕生日。
幼かった頃にずいぶんお世話になった娘が、現在手にするのはスマホかタブレット。彼女らが、絵本や活字を読む喜びを味わうことができる日が来るといいのですが.....。
■8月30日(水) 今年はここから「おめでとうございます」 ──季節がゆっくりと、しかし確実に替わっています──
今度こそ、できるだけ短く。
今日の天気予報は雨のち曇り。早朝に起床すると、確かに車の屋根に水滴は残っているものの、道路はひとまず乾いています。ちょっと迷ったのですが、自転車でご出勤。
交通事故が怖いのと、タイヤの空気圧が少し低下しているので、夢考房で空気を補充したかったのです。途中で自転車を止めて撮影したのが写真。早稲品種が育てられていた田圃が2枚、稲刈りを終えています。(中央奥は金沢工大の図書館棟)
1週間くらい前、雨の中を自動車で通った時には、作業が完了していました。季節はゆっくりと、しかし確実に替わっています。
出勤して仕事をしていたら、iPhone 5が鳴動しました。時計を見ると9時ちょうど。メールではありません。登録してある誕生日を知らせてきたのです。
つい先日は、前任校の元同僚の誕生日でした。今日は8月30日。誰の誕生日か、見なくてもわかっています。
センセイが金沢工大に赴任したばかりの頃に、SA(スチューデント・アシスタント)として仕事を手伝ってくださった方。
その後は大学院へ進み、現在は都内で、金沢工大で学んだ建築分野の仕事をしていらっしゃいます。さて、どうしよう。
ここ数年は直接お目にかかっていません。連絡手段は彼女に教えてもらった“mixi”だけ。お世話になったので、素直に誕生日をお祝いさせていただきたいのですが......う〜ん。
で、彼女は時々このページをご覧になっているらしいので、この場を借りて、「誕生日おめでとうございます」。......うまく伝わったかなぁ。
別な季節が少しだけ、しかし冷酷に進みます。
■8月29日(火) センセイの住所はここだったのかぁ... ──残暑見舞いを頂戴しました──
仕事が溜まっているまたは/かつ疲れている時には、このページが長くなる傾向が見られます。
夏期休暇中で講義がないこともあって、ついつい長くなっているので、今日は見た通りの話題をできるだけ短く。
昨日のこと。事務室に設置してあるセンセイのメールボックスを開くと、いくつかのA4サイズの書類とともに、1枚の葉書が入っていました。
まず気づいたのは手書きであること。今どき、珍しい。宛先をチラッと確かめたのですが、間違いなくセンセイ宛。他にも荷物を持っていたので、裏面をよく確かめずに研究室へ。
薄暗かったので、内容を十分に読み取れなかったこともあります。研究室の作業机の上に書類を広げてそれらの内容を確認し始めると、隙間から件(くだん)の葉書が滑り落ちました。
まだ眼鏡をかけていなかったので、裏面を見ても、詳細がよくわからない。老眼鏡をかけて見直すと、おぉ、顧問を仰せつかっている少林寺拳法部員からの残暑見舞。こういうところは本当に義理堅い。
何度も感心させられる場面がありました。表面に戻って、初めて気づいたことがあります。記されている内容は正確。でもセンセイの所まで、この情報だけで届いたんですね。
郵便局の皆様、学内関係者の皆様、お礼申し上げます。......ちっとも短くないか。
■8月28日(月) 秋葉原駅前から京浜東北線の電車が見える!? ──かつて慣れ親しんだ街は現在...──
本当は先週金曜日にお伝えするつもりだった話題。
木曜日は飯田橋に出張したのですが、ちょうど良い速達型北陸新幹線「かがやき」がなかったため、少し早めに移動。上野駅で新幹線を降りて、秋葉原駅(写真左)で途中下車しました。
駅を降りて振り返ると、中央奥(2階)に京浜東北線の青い電車が見えます。これはちょっと、びっくり。JRに限ると秋葉原には京浜東北線、山手線、総武・中央線(緩行)が乗り入れていますから当たり前じゃないか、と思うかもしれません。
でも実は、中央奥の電車の場所には6階建てのビルがあって、京浜東北線は僅かに、ビルの隙間から姿を見せるだけだったのです。
1階に、時々利用したJRのコンビニ“NEWDAYS”があったその場所は現在、ビルの建て替え工事中。写真右側の秋葉原ラジオ会館に入ってみたのですが、アニメやフィギュアのお店ばかり。そしてもう一つ。
外国人が非常に多い。誤解されると困るのですが、決して外国人を排斥しろというのではありません。客観的に見て、行き交う人の1/3くらいは外国人旅行客じゃないかと思います。人種や国籍は、見事なまでにバラバラ。
他の場所と比較すると、秋葉原を訪れる外国人旅行客は欧米系が、そして日本人に似て、いかにもオタクという感じの人が多い。これはこれで、日本の新しい文化の発信地となっているんだろうなぁーと、やや感傷に浸りつつ、移動。
秋葉原はセンセイが高校生の頃から電子部品の入手先として出入りしていた場所。その頃はお金がなかったので学割と、急行に乗車できる周遊券を使って、新潟の実家から日帰りで上京。大学院生、助手時代には都内に住んでいたので、個人的にはもう「庭」(テリトリー)のような感覚で足繁(しげ)く通いました。
2013年に閉店したラジオストアなどでアレをチェックしてからあそこのお店へ行って......という感じ。写真の若者や外国人旅行客はまさに、その頃のセンセイ自身。
秋葉原はセンセイが知っている家電と電子部品の街からコンピュータの街へ、そして(センセイが知らない)アニメとフィギュアの街へ変貌しました。それを否定しているのではありません。
変身が可能なのは、それが生命力を持っているから。街が変貌したように、センセイもいつの間にかその立ち位置を変えていました。限られた時間の最後に、センセイは石丸電気──エディオンに吸収合併──本社跡を訪れました。
現在は大規模再開発中で、更地に近い状態。あの頃の様子を正確に思い出すことが難しくなっています。
■8月27日(日) 楽しみにしていた「石橋商店街」は山車が繰り出した、お祭りの真っ最中でした
今回の学会、センセイにとって初日はお昼休みがとても長い。
ポスターセッションと、会員限定の総会がある──センセイは非会員なので参加できない──ためなのですが、とにかく長い。そこでこの機会に、最寄り阪急石橋駅の駅前「石橋商店街」を訪れてみました。
大学キャンパス西側の坂を降ります。9年前に初めて大阪大学を訪れた時には良い印象がなかった(その原因は、主にセンセイ側にある)ものの、3年前にそれが劇的に変わった商店街です。キャンパスを出ると、そこは大学の門前町。
お店がずいぶん替わっているような印象を受けますが、どんどん前へ進み、幹線道路と阪急線の踏切を越えます。そこが石橋商店街。と、明らかに、その周囲が非日常であることに気づきました。見ると揃いの法被(はっぴ)を着た行列。
写真では見えませんが、彼ら彼女らは2本の太いロープを引いています。その先には何と、山車(だし)。写真の最上部に、男性2名が立っているのがわかりますでしょうか。
アーケード内が暗いためわかりにくいのですが、彼らは濃い朱色の山車に乗っているのです。山車はかなり大きく、商店街の建物や道路標識、あるいはお店の前に陳列してある商品と今にもぶつかりそうなほどで、リーダー役の人が声を掛けて、注意しながら進んでいます。
で、肝心の商店街はというと、ちょっと微妙。もちろん他の衰退した駅前商店街に比べれば元気なのですが、留守番をしている人は主に、センセイよりちょっと年上の団塊の世代。
(センセイ自身を含めて)もうすぐ引退する年齢です。若い経営者も目立つのですが、相対的に人数は少ないし、明らかに本来の店舗跡を居抜きで、お試し経営に近い感じで使用していると思われる若手もいらっしゃいます。
まだ根付いていないので、すぐにわかってしまうのです。一つ気づいたことがあって、若者が多い。阪大は夏休みなので学生はほとんどいません。石橋商店街も同様。それでも(阪大生ではない)若者が一定数存在しています。
大学が再開されれば、これに阪大生が加わります。失敗を繰り返しながらも社会を目立たぬ形で支え、そして必要に応じて変革するのは常に若者。彼ら彼女らをもっと信じてあげるべきなんじゃないかと思います。
なお昨日目撃したこのお祭り、商店街のサイトには掲載されていません。だから、どのような性格のものだったのか、正確なところはよくわかりません。