2024年1月13更新(2024年1月21日ページ移動)
■1月13日(土) こちらの利用に、年齢制限はありません ──JR東日本の平日割、明日販売開始──
ある意味、昨日の続き。
JR東日本は、企画乗車券「旅せよ平日! JR東日本たびキュン早割パス」を明日14日から販売します。これは新幹線および特急列車などの自由席を含むJR東日本全線(一部第三セクターを含む)が、1日乗り放題になるというもの。
普通列車に限りますが、指定席を2回利用できます。価格は、破格の10,000円。ただし注意しなければならない点も。利用可能期間は2月14日(水)〜3月14日(木)までの平日のみ。発売期間も制限されており、乗車日の1ヶ月前から14日前まで。
つまり直前になってからの購入は不可。また駅窓口では販売しておらず、JR東日本の「えきねっと」(Webサイト)でのみ購入できます。その代わり、昨日ご紹介した「ジパング倶楽部」のような年齢制限や、JR東日本が運営する「えきねっと会員」になる必要はありません。
誰かが会員なら購入が可能で、その場合の人数制限もなし。初めて企画乗車券となりますが、対象としているのは主に、平日に列車を利用できる首都圏からの旅行客と、地方から日帰りで上京する人々。
実際、こちらのサイト(写真)の下部をご覧いただくと、まず、後者が紹介されています。((c)JR東日本)枚数に制限がないので、複数枚購入すればその枚数分利用が可能。そこで2枚を利用して岩手あるいは秋田旅行も例として挙げられています。
こちらには首都圏から日帰りで新青森、盛岡そして仙台(温泉を含む)を楽しむという、かなり強行軍のプランも。補給をし損ねて、鉄分不足気味の西村センセイ、報道に接した瞬間は「おぉ」と思ったのです。でも良く考えてみるとこの企画乗車券、センセイには使いづらい。
もちろん何かの目的のために上京するのなら別。ただしJR東日本管内では周縁部に当たる当地からすると、それ以外の利用はなかなか難しい。特に、センセイは在来線を好むので、なおさらです。
最初は在来線で秋田まで往復してみようかと思ったのですが、帰りの便が悪く、帰宅は夜になってしまいます。それでも在来線で秋田まで出て年寄りのために「いぶりがっこ」を買った後、秋田新幹線に乗り換えて久しく乗っていない田沢湖線、東北新幹線そして上越新幹線と乗り継いでそんなに遅くない時間に帰宅可能であることは確認しました。
でも、せっかく秋田へ行くのなら、駅近くの「ドジャーズ食堂」を再訪してみたい。以下は年齢制限付となりますが、もし東北地方をゆっくり巡りたいのなら50歳以上の「大人の休日倶楽部」会員となり、「大人の休日倶楽部パス」を利用すべき。例えば今回の乗車券に対応するパスの場合、価格は15,270円。
利用期間は倍の4日。それにそもそも移動距離や効率、速度だけが「旅」じゃないし。
というわけで西村センセイ、「ドジャーズ食堂」を目指すかいなか、思い倦(あぐ)ねているのです。(どうなるか、まったく不明です)
■1月12日(金) ぐずぐずする必要なんてなかった... ──JRの「ジパング倶楽部」に入会しました──
というわけで、年明けにお伝えするつもりだった話題。(ただし年初に相応しいかどうかは別)
ご存じのようにセンセイは昨年度中に満65歳となり、昨年3月に金沢工大を退職しました。一昨年の12月に誕生日を迎えたのですが、その前後から、どうしようか迷ったまま手つかずのまま残していたことが。
JR各社が共同で運営する「ジパング倶楽部」への加入です。センセイが鉄道ファンであることをご存じの方なら当然、「なぜ」という疑問が出るはず。
だって、片道・往復・連続で201km以上乗車する場合、何と、運賃や各種料金が30%引き(ただし新規会員のみ最初の2回は20%引き。上限20回/年)に。また「のぞみ」の特急料金など、一部割引対象外があります。
それにセンセイは、満50歳からの「大人の休日倶楽部ミドルカード」の時は、あれほど心待ちにしていたのに。正直なところ、躊躇(ためら)っていた理由について、自分でも良くわからない部分があるのです。
当時は退職が公表されただけでなく、研究室およびアパートの片付けでバタバタしていた。もう一つ、割と意識していたことは、カード変更のメリットが強く感じられない。
前述したように、条件を満たせばJR料金は大幅割引に。ただし退職後、201km以上の列車を利用することなんて、どれだけあるんだろうか。お伝えしたように昨年12月、北海道を訪れています。
その際はすでに加入済の「ミドル」会員資格で同一のサービスを受けています。もしかすると65歳になることや、それに伴う退職を認めたくなかったかのかもしれない──ただし、まったく自覚していない──のですが...やはりよくわからない。
結果的にそのまま放っておくことに。変化のきっかけは昨年秋の報道。詳細は省略しますが、「ジパング倶楽部」の入会資格が一部変更されるというのです。これを機に、いろいろ調べてみると、おぉ...。
センセイの場合、逡巡(しゅんじゅん)することなく、65歳になる段階で入会すべきでした。最大のミスは「201km」の解釈。確かに、退職後は北海道行きを除き、それを超える移動は発生していません(ただし後述するように、これは誤り)。これからは年に1、2回都内へ行くことがあるかもしれない...くらいだし。
4月から前任校での講義が再開されるのですが、最寄り駅までの距離は107kmで割引対象外(だと解釈していた)。でも良く読むと条件は「片道・往復・連続で201km以上」。つまり往復214kmとなり、割引の適用条件を満たすのです。それにそもそも前任校への移動はすべてJR東日本管内なので、何と、無条件かつ回数制限なしで30%オフ。
ちなみに、JR北海道管内も無条件で30%の割引となります。しかも今年度前半の金沢との移動も、JR東日本・西日本の走行距離が200kmを超えているため、割引の対象。何てこった...。
というわけで慌てて「ジパング倶楽部」のJR東日本版「大人の休日倶楽部 ジパング倶楽部」への加入手続を取りました。写真は届いた会員手帳とガイドブック。会員個人に依存するシステムのため、手帳には写真を貼付(ちょうふ)。
会員外の不正利用を防止するためです。右側の黄色い紙は、写真を上から覆うシート。大学入学共通テストで受験票に貼るものと同様です。う〜ん、何をぐずぐずしていたんだろう。
自分でも良くわからないのですが、少なくともこの件に関して、センセイが冴えていなかったことは認めざるを得ません。トホホ。
ところでNHKは今朝から、一昨日お伝えしたBS103チャンネルを通じた臨時衛星放送で、ニュースなどに限らず石川県の総合テレビそのものの放送を開始しました(著作権の関係などで、一部例外あり)。
被災地の現況が、手に取るように伝わってきます。
■1月11日(木) 「地震は必ず、再度やってくる」ので... ──スピーカーの落下防止対策を講じました──
能登半島地震から10日が経過しました。
冷たいヤツだと思われるかもしれませんが、お伝えしたような理由(こちらやこちら)で、お伝えすべき事象が発生した場合を除き、地震を正面から取り上げる頻度を下げたいと考えています。
もちろん、被災地への思いについては心の中に置きつつも、です。今回は、地震に直接関する話題の最終回。
写真は書斎入口にある本棚(こちらの写真右奥)の、その裏側を撮影したもの。書斎は窓のある南側を除き、三方に造りつけの書棚が設置されてます。
でも入口を塞ぐわけにはいかないので、その部分には学部学生時代から使ってきた古いこの書棚を配置。また造りつけの書棚で角を形成することはできないので、その間に、やはり50年近く使っている細身の書棚を置いています。(こちらの2枚目の写真奥)
地震の際の転倒が怖いので、いずれも隣接する造りつけの書棚に金属部品を使って(ほぼ)固定しています。おかげで新潟県中越沖地震の時も今回も二つの本棚は転倒していません。ただしそこに収めている物品については別。今回も揺れで、かなり崩れたり落下したりしています。
特に問題なのがスピーカー。退職が視野に入った時点でデンマークDALI社の“MENUET”スピーカーを購入したのですが、この書棚に収めていた右側が外れてしまいました。(1枚目の写真右側)
ただしケーブルをしっかりネジ止めしてあったので、床に落ちる──この場合、床を含めて損傷は甚大──ことはなく、宙ぶらりんの状態でぶら下がっています。引き揚げてみたのですが、外れた際に本棚と激しくぶつかったようで、筐体の一部が欠けてしまいました(トホホ)。倖いにも傷は底面だったので通常の使用および美観に問題はまったくありません。
もちろん以前から気になっていたのですが、ついつい対応を先送りに。決して、偉そうなことは言えませんねぇ。
というわけで地震の翌日、たとえスピーカーが多少動いても落下はしないように、書棚に括りつけました。写真では何が何だかわかりませんが、まず書棚の堅固な部分にヒートンをネジ止めし、そこでスピーカーケーブルを二重に縛っています。
もちろん強い揺れでヒートンが抜け落ちたり、書棚が倒れる可能性は残っています。でもそれが発生するのは、この書斎が崩れる日。こんな簡単なことで、被害は大幅に軽減されます。
もっと早く対処しておくべきでした。
■1月10日(水) NHKは被災地向けの臨時衛星放送を開始しました。少し懐かしくも、複雑な心境に
今日も予定を変更してお伝えします。
すでにご存じの方も多いでしょうが、NHKは昨日からBS放送の103チャンネルを使って、能登半島地震の被災地に向けて放送を開始しました。103チャンネル(旧BSプレミアム)はBS放送の再編成に伴い、昨年12月1日から事実上の空きチャンネル。((c)NHK)
ただし停波しているわけではなく、NHKは「BSの周知広報に使用」との立場。1日の能登半島地震発生直後は被災地──受信できたかどうかは別──や周辺地域に留まらず、全国あるいは世界が地震の被害に関する情報を求めていました。当然、放送各局もその期待に応えようと奮闘しました。
特に公共放送であるNHKは終日、情報を提供。ただし、これをいつまで続けるかどうかは別。伝えるべきニュースは他にもあります。また、距離が大きな要素となるでしょうが、被災地との関係性も地域によって異なります。
新潟で暮らすセンセイとしては個人的に、先週後半から被災地に関する情報が急減していると感じていました。NHKの場合、当地は関東甲信越として括られていることも関係するかも。石川県は名古屋放送局の管轄なのです。
たぶん石川県内では情報が詳細な提供されているのでしょうが、金沢市に21年間居住し、多少なりともご縁があったセンセイはその情報に接することができません。
同じような状況は、被災地と人的、経済的な結びつきが強い富山県西部でも発生していたはず。今回、少々意外だったのですが、情報不足は被災地でも起きていたのだそうです。被災地にある中継局への電力供給が絶たれたため、被災翌日あるいは翌々日から地上デジタル波が停波。
非常用発電機の燃料が尽きたためです。(携帯電話も同様)おそらく電力が回復した地域および富山県西部からその旨の要望があり、今回の措置に至ったようです。
ちなみに、そもそも日本における衛星放送は山間部や、このような事態への難視聴対策として進められた──実際には口実──という経緯があります。その意味では本来の趣旨に戻ったと言えるかも。
それはともかく、お昼の時間帯からBS103に切り替えてみました。おぉ、まさに金沢放送局のニュース。ただし地震の情報を24時間放送しているわけではありません。朝昼晩のローカルニュースの時間帯を中心に、金沢放送局からの情報をそのまま全国に提供しています。
特筆すべきは、各種の支援情報。被災地への物資の提供先だったり、入浴情報、社会的弱者への配慮に関する情報など。これらの情報を見ていると、現地が置かれている状況がよくわかります。もちろん孤立地域など、このセーフティー・ネットに掛からない地域も存在するはずなのですが。
昨夏まで金沢に通い、夕方および夜のニュースを見ていたのですが、その後に変化したことも。たとえば夕方の「かがのとイブニング」の場合、男性キャスターが2人交替制にになったようですし、スタジオのセット(背景)も変わっていました。たぶんコンピュータグラフィック。正直なところ、ちょっと安っぽい。
もう一つ気づいたことが。マニアックな話で申し訳ありませんが、地上デジタル波の解像度は1440×1080。つまり本来のフルハイビジョンではありません。それを横に引き伸ばしているので、ぼんやりした映像。対照的に、BS103の解像度は1920×1080のフルハイビジョン。
画質はビットレートも関係しますが、少なくともセンセイの書斎のシステムで観る限り、画質は全然違う。かつて民放BS局が揃った当初は、大半の局がフルハイビジョンだったのです。されど徐々にチャンネル再編成に伴い、1440×1080に。新放送開始のためですが、(NHKの場合、受信料をきちんと支払っているにもかかわらず)多くの方が気づかないうちにサービスの質が低下。
もちろん、この間の事情も理解できなくはないのです。それはともかく、被災地の現状を考えるとやはり、複雑な心境が続いてしまいます。
■1月9日(火) ごく近い将来か、数年後かと思っていたら... ──県内で最大震度5弱の地震が発生──
予定を変更してお伝えします。
今日の北陸地方はよく晴れて、放射冷却現象が発生。あまり気温が下がらない当地で-1.7℃の最低気温を記録するなど、かなり冷え込みました。
地震から1週間が経過した能登の被災地でも同じように厳しい寒さだったはず。でもこちらは通常の生活環境下。被災地の停電はある程度解消されつつあるようですが、燃料も不足して十分に暖を取れないはず。
しかも床──場合によっては地面──に直接、不十分な寝具を置くと、そこから熱をどんどん奪われてしまいます。加えて被災地全体で断水が続いており、衛生環境は劣悪なはず。新潟県中越沖地震の際、センセイ個人は数日後に金沢へ移動してシャワーを浴びることができましたが、家族を含めて一般市民が入浴できたのは約1週間後。
冬の今回は寒いので、被災者の方々のストレスは限界に近いはず。ただし冷酷なようですが、このページを今までのように地震関連情報中心にすべきかどうかは考えもの。お伝えしたような理由でにより、少なくとも直接取り上げるテーマについては徐々に通常に戻すつもりだったのです。
ところが、いざページを書き始めようとした、まさにその時に嫌な感覚。本日17時59分40秒過ぎ、まず、微かな揺れを感じました。もちろん地震です。今回はいつもとは違って、周波数の高いP波(初期微動)は感じず、いきなり横揺れから。
だから最初は、気のせいかと思ったほど。でもすぐに周波数の低い、しかし次第に大きくなる横揺れに襲われました。身の危険を感じるほど。前後して、けたたましい音を立てながら写真の緊急速報。
書斎の椅子に座っていたので、周囲の様子を確かめながら揺れに耐えます。民放のニュースの時間帯だったのでテレビ放送画面にしていたのですが、一向に地震のことを報じません。6時を過ぎていたのでNHKに切り替えると、さすがにこちらは速報中。
当然、能登半島地震の余震であることは想定されたのですが、少し待ってから「震源地は佐渡付近」との情報が。お伝えしたように、今回の地震の震央分布は、佐渡の西側から能登半島西端付近まで広がっています。最深の報道によると、やはり長さ150km程度とのこと。
その東北端付近の断層がずれた──というより破壊された──のです。震度情報については提供までにさらに時間がかかりました。最初は新潟県全体が黄色く表示され、続いて上中越、佐渡ごとの最大震度。
この段階では新潟県全体が震度4。続いて各地の震度が報道され始めたのですが、アナウンサーがやや興奮気味に「新潟県中越(拙宅のある地域)では震度5弱を記録しました」。
写真は今回の震度分布。((c)JMA)震源地は、センセイの自宅がある新潟県中越地方の真正面。距離は約80km。そりゃ、揺れるわけだ。ただし初期微動を感じなかった──これは多くの人が指摘している──理由はわかりません。
後日お伝えすることになると思いますが元日の地震以降、追加の対策を施していたこともあってか、明確な被害は確認されていません。積み重ねてあった書類が一部ずれたくらいですが、1996年の新築以降、新潟県中越地震、同中越沖地震、東日本大震災、そして今回の能登半島地震およびそれらの余震に健気(けなげ)に耐えてくれた拙宅。
その点には感謝しています。柱の繋ぎ目や補強のための鉄製部材などにダメージが蓄積されているはず。でも今回の地震は、発生地点は海上であるものの、タイプとしては内陸型。中越地震がそうであったように、余震はかなり長く続くはず。
そしておそらく、震源地は今回ずれた断層の前後に広がる。佐渡付近で地震が発生するのは時間の問題だと考えていたのですが、さすがに発生時期まではわからない。ごく近い将来か、あるいは数年後か。もしかすると数十年後かもしれませんが申し訳ない、センセイはその時に存在していない。
それでも1週間が経過して、できるだけストレスにならないように考えていたのですが...。残念ながら、もうしばらくこの状況に付き合う必要があるようです。
■1月8日(月:祝日) こんなことも起きるんだ... ──能登半島地震の影響は、意外な場所にも──
お伝えしたように、昨日午後から雪に。
当地は昨晩が最深で積雪26cm。現在は22cm。そのままずっと降り続けるかと思ったのですが、昼前にはほぼ止みました。雨雲レーダーの様子を見ながら徒歩で外出。雪が融けた水たまりが多いので、長靴が必須。
郵便物を投函する必要があったのですが集配の関係で、本局まで行くことに。かなり遠回りになります。最寄りの経路を選択して駅裏を歩いていると、あれっ?!
写真は駅地下道出口付近にある元ホテル。営業しているところを見たことはないので事実上、ずいぶん前に廃業したんだろうと思います。1階はスナックと飲食店。
後者は2年くらい前まで細々と営業していました。でも去年、人の気配が急になくなったかと思ったら、まず、左側の駐車場にカラーコーンが置かれて立ち入りできなくなり、昨年末には「売物」の看板が。
ここまでは衰退する街でよく見かける光景。問題はホテル部分。今日、最初に気づいたのは3階で揺れるカーテン。廃業したホテルで、ですよ。え"っ、と思って見直すと、3階駐車場側の窓がすべて開いています。
年末までカーテンは揺れていなかった。
窓の静止位置はバラバラ。積もった雪に異変はないので、人の出入りはない模様。つまり人為的なものではなさそうです。考えられる原因は...お察しの通り、能登半島地震。
あの大きな揺れで、ロックされていなかった窓が開いた。こんなこともあるんだぁ...。
当地での地震による被害をやや軽視してしまったと反省。これ以降、周囲を注意して観察してみると、地盤が特に悪い駅近辺では被害が目立ちます。基礎のあるビルと接する歩道の端が崩れていたり、縁石が傾いていたり。
液状化現象の跡も確認しました。先日お伝えしたホテルの被害も最初の印象より酷く、二つの建物の間には30cmくらいの段差が発生していました。また左側新棟の1階はレストランになっているのですが、出入り口付近の壁が合板で覆われていました。
撮影時は気づかなかったのですが、拡大写真(別ウィンドウ、1280×960)で一部を確認することができます。...う〜ん。再度の反省。
■1月7日(日) 西村センセイ、消防団員に「敬礼」される ──隣村の出初め式に遭遇しました──
予定を変更して、今日センセイが出くわしたものを。
県内に住む弟夫婦がお昼に来るので、今日は早めに実家へ。約束の時刻5分前に到着すると、予定が早まったとの電話連絡があったそうで、すぐに隣村の、地域では一番大きなスーパーへ行くことに。
両親の1週間分の食料確保および今日の皆のお昼の調達です。母親を乗せて車を運転して隣村に入ると、ずいぶん遠く、村役場付近に多数の赤色灯が。消防ポンプ車も複数見えてきました。すわ大事かと思ったのです。よく考えてみると、今日は1月7日。
たぶん、村の消防団の出初め式。ポンプ車を横目で見ながら車を進めていると、ポンプ車の方も動き始めました。邪魔をするつもりはないのでそのまま直進。ポンプ車はというと、二手に分かれました。
ところが、あるT字路で、センセイの車とポンプ車グループが鉢合わせすることに。ポンプ車3台が左折(写真)し、後続3台が一時停止したところにセンセイがT字路へ進入。赤色灯を点灯させた緊急車両ですが、サイレンは鳴らしていません。
注意喚起のために赤色灯を回転させているパトカーと同じで、道路交通法上の緊急走行には非該当。(ただし例外あり)つまり優先権はこちら。どうしようか少し迷ったのですが、停止中のポンプ車が動く気配を見せなかったので、交通ルールに従い、そのまま進みました。
その結果、センセイの車は前後6台のポンプ車に護衛(?)されるような格好に。直後の様子を撮影したのが写真(ドライブレコーダーからの切り抜き)。何と、赤いジャンパーを着用し道路脇に立った消防団員がこちらを向いて敬礼しています。
同時に、ちょっと戸惑ったような表情も。ま、そりゃそうでしょう。消防団にとっては重要な儀式である出初め式のパレードに珍客が紛れ込んだのですから。
写真奥まで進んだところで先頭車両が異変(?)に気づき、ハザードランプを点滅させて道路脇に停車。(繰り返しになりますが)邪魔をする気はないので、右側から追い越しました。ちなみに柏崎市は、今年の出初め式を中止。
能登半島地震の余震などに備えてとのこと。(なお、決して刈羽村の実施判断を批判しているわけではありません)帰路もこの場所を通過したのですが、7名の消防団員は道路上の重い鉄の蓋を外して消火栓の点検中。冷たい霙(みぞれ)が降る中、こうやって社会の基盤を支えてくださっているんですねぇ。
ちなみに霙はその後、本降りの雪に。明日朝までに雪が20cmくらい積もりそう。
邪魔をするつもりはなかったのです。ホントに。