2024年4月13更新(2024年4月21日ページ移動)
■4月13日(土) う〜ん、やはりまだ良くわからない... ──実家裏、土砂崩れへの対応に一区切り──
いろいろ考えたのですが、やはりタイトルのご報告を。
お伝えしたように一昨日、先週および今週月曜日に続いて実家を訪れ、裏の土砂崩れ現場で多数の孟宗竹を伐採して片付けました。副題にある通り、これで一区切りのつもり。写真は昨日撮影した現地の様子。
なぜ昨日かというと、自転車で実家へ行く時は一眼ミラーレスを運べないため。iPhone SE(第2世代)──電池再交換後は絶好調──はもちろん、小型デジカメなら上着のポケットに無理やり突っこむことが可能なのです。でも後者は先日、自転車での走行中に、はずみで道路に落ちてしまいました。(実話)
センセイのことですから保護ケースに収納しており、不具合や傷はありませんでしたが。それにそもそも、実は現場が意外に広くて、小型デジカメでは1枚に収まらないのです。今回は先日の写真の、石垣の左端付近から崖を見上げています。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
土砂崩れ現場は概ね収まっているのですが、う〜ん、やはりこれでも良くわからない...。写真の下部1/3くらいが、実家の敷地より1mほど高い台地状になっており、それなりの勾配で盛り上がっています。写真中程から上は、崖。
ほぼ垂直に切り立っているだけでなく、最上部は竹や樹の根に守られているため、「雪庇」状にはみ出しています。一昨日はまず、用具を整えた上で、崖を這い上りました(実話)。崖の縁から倒れている竹を伐採するためです。月曜日に崖の上から切ろうとしたのですが、足場が悪く、断念。
そこで崖の途中から...というわけです。もちろん崖登りはホントに大変。やっとで現場にたどり着いたのですが、ここも足場が悪い。さらに困ったことに、横に倒れた竹を下から伐採するので最悪の場合、鋭い切断面が落ちてきて負傷する可能性が。
そこでそのまま崖を這い登り(!!)、長い鋸(のこぎり)を使って伐採しました。崖の上部での作業を終えたので、ぐるっと回って──実は、細いながらも道がある──実家の敷地に降り、これまでに伐採した竹の切断、整理作業に取りかかります。ここで、テレビの再放送を見ていた94歳の父親が登場。
「あれを切れ、これも...」と言うのかなと思ったら、片づけについては指示するものの、全体としては「その程度で...」とのこと。現地はよそ様との境界。ちょうど写真の右半分が西村家の所有地。父親としては、境界付近で目立つ作業をしたくないという意図があったようです。もちろんそれは十分理解できるのですが、この話が始まった時はむしろ、逆のトーン。
ま、いいんですけど。現在のご当主様は父親なんだし。
本当は長過ぎて上手く運べない竹もあったのですが、切断を断念。切り倒した竹や木を実家側、つまり写真の右側に寄せて作業に区切りをつけました。
次期ご当主様は、大変だ。
■4月12日(金) 構図の取り方で、ずいぶん違った印象に ──当地の桜が、ほぼ満開になりました──
というわけで、当地の桜のお話を。
今日はお昼に車で実家へ行き、(安否確認とともに)高齢の両親の食料を調達することになっています。でもその前に、お昼を兼ねて早めに外へ。なぜ「早め」かというと越後線、吉田発柏崎の列車が通過する時刻が迫っているため。
向かったのは昨日、米山の雪形を撮影した場所の近く。この付近には市営テニスコート(2枚の写真、いずれも左側)と脇を走る越後線の間に、9本の桜の樹があります。昨日ご紹介した桜を、ほぼ逆の位置から見るとこんな感じ。19年前のこの写真からわかるように、その頃はこの樹、綺麗な花をたくさん咲かせたのです。
でもその後は、蔦の方がどんどん生長して桜の栄養分を奪うように。昨日の写真でもお感じになったのではないかと思いますが、ここ15年ほど、少し元気がありません。対照的に、その奥、砂丘側にある数本の桜(写真の右奥)は生気に満ち溢れています。
そこで桜の季節になったら、こちらのご紹介しようと思っていたのです。それも、できれば電車と絡めて。白状すると昨日の写真は、そのためのロケハンを兼ねていました。列車通過の数分前に現地──といっても、拙宅のすぐそば──に到着。
時刻は9時40分過ぎ。一般論ですが、桜の花を撮影する時は順光が望ましい。先週末にご紹介した咲き始めの桜は、逆光に近い状態でやっと撮っています。
太陽を背に受け、北西方向を向いて撮影したのが写真。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))ただし、今回は桜が主役でJR東日本のE129系電車は脇役。そこでシャッタースピードを1/40secまで落として、電車の走行を感じられるように頑張ってみました。(拡大写真だとわかる)
手持ちで何とか撮影しましたが、これ以下のスピードだともう、三脚なしでは無理ですねぇ。こう書くと何事もなく、順調に済んだかのように思われるかもしれませんが、実は今回、ハプニングが。列車の通過を待っていると、線路の向こう側、左から中年の女性が現れたのです。
右手にはスマートフォン。西村センセイ、そもそも線路の向こう側に立ち入ることができるなんて、まったく知りませんでした。テニスコートが線路脇まで...と思っていたのですが実は、そうではないらしい。
彼女はこの桜の樹を撮影し始めたのですが...どうやら、彼女も電車の通過に合わせて登場したらしい。要するに、センセイのリサーチ不足。そこで、リベンジというわけではないのですが、他の用を済ませてひとまず帰宅後、約2時間半後に再び現場へ。
太陽の位置はかなり変化しています。彼女の構図(?)に倣(なら)ってシャッターを押したのが、2枚目の写真。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
こちらは鮮明さを優先して、絞り開放(F2.0)で撮影しています。なお、いずれもCanon社製の小型デジカメ(故障交換後の製品)を使用。でも印象は、ずいぶん違います。
お察しの通り、お伝えしたようなシャッタースピードや絞り、葉池の青空の違いなど、要因はいくつも考えられます。でも最大の相違点は、構図の違いだろうと思う。と言うか、その背後に存在する「何を、どのように伝えたいのか」という哲学、思想。今回、主役と脇役は明確でブレておらず、そこは問題ではありません。
でもたとえば、1枚目は4本の桜を群像的に描こうとしているのに対して、彼女の構図は満開になった一番左の桜の樹にポイントを絞っています。前者はどうしても平板的になりがち──センセイはこのパターン──ですが、後者はマッシブ。今回は、生命力の逞(たくま)しさを上手く表現していると思います。
う〜ん、彼女から学ぶべきものは多かった。(反省と学習)
■4月11日(木) 実は、3人だった?! ──米山さんに「すじまきじいさん」が現れたら、農作業の季節──
後日お伝えするかもしれませんが、今日も午前中に自転車で実家へ。
帰り道は、地域のシンボル「米(よね)山」(993m)を正面に見ながら走る格好になるのですが、すぐに気づいたことが。そこで帰宅後、カメラを持って外へ。1枚目の写真は、自宅近くで撮影したもの。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
手前のJR越後線と、奥の信越本線(線路は見えない)を一気に越える陸橋の奥に、その米山が見えています。当地では米山を、親しみを込めて「米山さん」と呼びます。地元民謡「三階節」が、「米山さんから雲が出た...」で始まるほど。
新潟地方気象台は今日、新潟市の桜が満開になったと発表しました。また夕方のテレビニュースは、満開の大河津分水の桜の様子を中継していました。
ただし当地はというと、陸橋手前の桜がそうであるように、全体としては満開の一歩手前。それでも綺麗に晴れ上がったなら、青空とのコントラストで淡い桜色も際立つのでしょうが...ご覧のように今日は薄曇り。予想通り、当地の満開はこの週末。
気温が相当高いので、あっと言う間に見頃を終えてしまうかも。ただし今日の主役は桜ではなく、その奥にある米山に現れた「雪形(ゆきがた)」。
雪形は、山に積もった雪と岩肌が形成する模様を人間が何かの形に見立てたもの。当地の近くでは、妙高山の「はねうま」が有名。(ただし、個人的にはまだ見たことがない)
北陸新幹線の金沢延伸に伴い、JR東日本から「えちごトキめき鉄道」に移管された旧信越本線のこの区間が、「妙高はねうまライン」と名付けられたほどです。この雪形が注目されるのは、積雪が多い時ではなく雪が徐々に消える時。つまり古くから、雪形が農事暦として用いられてきたのです。
当地の場合、「『米山さん』に『すじまきじいさん(/すじまき男)』が出たら、農作業の時季」。ちなみに「すじまき」というのは、稲の種を苗床に蒔(ま)くこと。それが発芽し、3週間くらいで12cm程度まで育ったら、それを田圃へ移植します。これが「田植え」。
今日は、その「すじまきじいさん」がはっきりと見えたのです。1枚目を撮影後に少し移動して、障害物が少ない場所から撮ったが2枚目。センセイは子供の頃から、黄色の枠内が「すじまきじいさん」だと教えられてきました。
でも今回、改めて調べてみると、こちらにある通り、米山山腹の別な場所にも「すじまきじいさん」が存在するのだそうです。知らなかった。
解説によると米山をどこから見るか、つまり地域によって「すじまきじいさん」は異なるそうな。(再び)知らなかった...。
もっとも、実際には半月くらい前から農作業や、家の周囲の片づけが始まっているのですが。
■4月10日(水) 1bit“DSD”、違いは一目瞭然です ──「ハイレゾ」再生、始めました(7)──
市内の桜の名所、赤坂山公園では桜の満開宣言が。そこで再々度予定を変更しようかと思ったのですが、正直なところ市街地の桜は、まだ2、3分咲き。
というわけで、ずいぶん間が空いてしまいましたが、「ハイレゾ」再生の続きを。申し訳ありませんが今日の内容、頭の中にスッと入るのは難しい場面があるかも。まず最初の図をご覧ください。
基本的には今まで何度か見てきた(こちらやこちら、こちらなど)、波形とその周波数アナライザの画面です。左側に尖った波の連続──しかも振幅(=上下方向)に違いがある──が見えますが、実はこれ、変な波ではなく綺麗な正弦波(サイン・ウェーブ)。その証拠が右側のグラフ。(続く2枚と異なり、こちらはリニア目盛り)
CDが収録できるほぼ上限の、20kHzの波です。フロア部分のノイズを除外すれば、他の成分は見当たりません。もし聴き取ることができれば、「ピーン」という綺麗な音がするはずです。
振幅が凸凹しているのはCDのサンプリング周波数(Fs)である44.1kHzと20.0kHzが倍数関係にないため。モアレ現象のイメージです。左側の波だけを見ると非常に歪(いびつ)な印象を受けますが標本化定理に従い、サンプリング周波数の半分以下の周波数なので、これでも綺麗な正弦波をきちんと再現できます。
感覚的にはちょっと違和感がありますが。今回ご注目いただきたいのは標本化、つまりデジタル化(A/D変換)の方法。
これまで主流だったパルス符号(/コード)変調(PCM:Pulse-Code Moduration)は、最初の図の左側の波形に、縦(=振幅)と横(=時間軸)の方眼紙あるいはマス目を当てて、計測する瞬間ごとの振幅を記録(=サンプリング)するという方法。
この記録を数値化(A/D変換)して保存や加工、再生(D/A変換)などします。このPCMという変換方法は、ある程度イメージ理解しやすい概念。ただし以前お伝えしたように、デジタル録音方法はPCMだけではないのです。そしてこの別な方法が「ハイレゾ」に深く関係。
まず、こちらのサイトにアクセスしてみてください。これはOPPO社が提供しているDSD(Direct Stream Digital)のデモトラックファイルのページ。センセイが同社の“BDP-105D JAPAN LIMITED”を購入した際、オマケとしてUSBメモリに同梱されていたものと同一です。
その上で、よろしければページ中ほどにある音楽ファイルをダウンロードしてみてください。(ファイルサイズは大きいものでも300MB以下)もし“DSF - 1bit/2.8MHz (DSD64) ”というファイルを開くことができたら、2枚目※のようになります。引き続き、左側の画面は時間軸と振幅。右側の画面が周波数アナライザで見た周波数分布。(2、3枚目の横軸はlog目盛り)
今までとまったく違う部分があることにお気づきだと思います。もちろん右側。ただしその中でも左側はこれまでとほとんど変化はありません。グラフが綺麗な直線状の右肩下がりなのは、アコースティック楽器および音声(クラシックを含む)の特徴。(正確に言うと、演奏前のフロアノイズを示している)
問題はグラフの右側。グラフ上部に引いた縦線は可聴周波数帯域の上限、20kHzを示します。その外側(=右側)に急な右肩上がりのグラフが 今までのグラフではまったく見られなかった現象です。これは録音方法がまったく異なるため。
以下、非常に雑な説明なので、悪しからず。このファイルは通称“1bit”と呼ばれる方法で録音されたもの。発想が「方眼紙」のPCMとはまったく異なります。
まず左の画面の横軸(=時間軸)の精度をCDの64倍(DSD64:2.8224MHz)あるいは128倍(5.6668MHz)に高めます。その上で、縦軸(=振幅)については、ある意味、長さを測ることを放棄。
その瞬間、瞬間に、「音があるか、ないか」だけを判断します。だから“1bit”。おそらく研究者中にも知らない方がいらっしゃると思います──たぶん、試したことがない──が、実は、これだけでもある程度原音を再生できます。
40年くらい前のことですが、日立に勤務後に大学へ入った友人が実演してくれました。もっと低いサンプリング周波数だったのですが、ノイズの中に混じって、微かに原音が。ホントにびっくりしました。まるで昨日のことのように覚えています。彼には、他の件でも大変お世話になっています。
良い友に恵まれました。本題に戻ると、これはパルス密度変調(PDM:Pulse-Density Modulation)という方法。
「あるか、ないか」だけなら誤差(=ノイズ)だらけになるため、このままでは実用になりません。そこでひとまず音の有無を判断したら、次のタイミング(=「クロック」)で、誤差を判定します。(「ΔΣ変調」)
これを超高速で繰り返すと、可聴周波数帯域(右側グラフの、黄色い線の左側)ではノイズが減少するのです。(「ノイズシェーピング」)実はノイズの総量が減少する──パーセバルの定理により、総エネルギー量は不変──わけではなく、ノイズの大半がグラフ右側に追い出されるだけ。ただしこれらについてはフィルターで減衰(≒消去)することが可能。
意外に思われるかもしれませんが、この分野は日本がリードしてきました。研究は1960年代に始まり1980年代後半つまりCDが実用化された後、理論はNTT、実際のIC化は松下(現パナソニック)という形で“MASH”として結実。いやぁー、あの頃の勢いは、ホントに凄かった。
これが一般消費者向け製品に実用化したのが、CDの後継として期待されたSACD(スーパーオーディオCD)。2枚目の写真は、SACDと同じ規格(DSD64)の音源です。でも肝心なのは、音。
(再生可能だとして、)これ以降はご自身の耳で判断していただくしかないのですが、センセイ個人としては全然違う、という印象。何しろ、出だしのアコースティックギターの、その最初の立ち上がりの音の鮮やかさが違う。
ただし、ここで注意すべき点も。同サイト、ご紹介したファイルのすぐ下に比較のため、「CDの倍のサンプリング周波数(88.2kHz)の音に変換した」とされるファイルが掲載されています。
それを再生したのが3枚目の写真。右側のグラフを見ると、2枚目と非常によく似ています。明らかにDSDファイルを変換したもの。で、再生──できたとして──すると、最初に感じるのは迫力の差。
当然、「やっぱりDSDの方が...」となりがちなのですが、ここに落とし穴が。意図的かどうかは不明ですが、3枚目の写真の音源は2枚目のDSDより音量を下がっているのです。ちゃんと比較するためには音量(=振幅)を揃える必要が。
振幅をできるだけ揃えた上で聴くと...判断は、人によって分かれると思います。お伝えしているように個人的にはDSD、つまりSACDの方が音楽のノリや雰囲気(会場の空気)を良く伝えると感じています。
他方、PCMの方は優等生的で、(オーバーサンプリングがない場合の高域端を除き)絶対に破綻することはありません。イメージ的には、前者は「痘痕(あばた)も靨(えくぼ)」の、実にチャーミングな人物。ただし、かなりじゃじゃ馬。
後者は、良くも悪くもビジンさん。西村センセイ、実在の人間に関してはどちらもご縁がなかったようなので、全然たとえになっていないか...。
「ハイレゾ」、何だか泥沼化の様相を呈しつつあります。(続く)
※ただし、これは正確ではありません。DSDは高速パルス波の連続なので、図の左側は完全に灰色になるはず(ソフトは操作者のために、PCM変換をしている。またこの画面も、PCM変換後の画面。さらに少なくともこのソフトの場合、DSDの同時FFT(周波数アナライザ)ができない。
■4月9日(火) ニコニコした表情と、緊張しすぎて疲れ果てた顔と ──4月に咲く、大小の傘の花──
申し訳ありませんが、予定を変更します。やはり今日お伝えすることに意味がある内容なので。
寒冷前線の通過に伴い、今日は西本から東日本の広い地域で本格的な雨に。特に太平洋側ではかなり降ったようです。まだ風も強かったので、都心など桜が満開の地域では、花散らしの雨に。
多摩地域はもう少し遅いので、今週いっぱいは桜を愛でることができるかも。それはともかく、当地も昨晩からそれなりの雨。ちょっと事情──後日ご報告──があって、午前中に車で柏崎駅へ。そのついでに、酒類量販店でビールを購入しました。
帰路、自宅近くを運転していると、あれっ?!センセイは警察署前の交差点で停車していたのですが、目の前の出来事に違和感が。ただし決してネガティブなものではなく、どこか微笑ましい光景。
横断歩道を、傘を差した3人が渡っています。先頭を歩くのは小さな女の子。薄手のコートを羽織っていたため最初は気づかなかったのですが、その下はたぶん晴れ着。教材セットが入った紙袋を手にして続くのは彼女のご両親。
県内の小中学校の大半で今日、入学式が行われたのです。もちろん彼女はピカピカの1年生。本当にニコニコしていて、親御さんを取り残しそうな勢いで歩いていきます。毎年のことながら、新入生だなぁ...。
ひとまず帰宅し、徒歩で出直します。郵便局その他に用があったし、当地はそれほど風が強くなかったので。自宅を出てすぐ、大きな教材袋を持った若い男性とすれ違いました。先ほどのお父さんが持っていたのと同じ紙袋です。
もちろん彼も、新入児童のパパ。さらに歩いて出逢ったのが写真の新入生ご家族。お父さんが手にぶら下げているのは、例の教材袋。センセイはこのまま歩道を渡ったのですが、率直に言って、男児は疲れ切った表情。緊張しすぎてエネルギーが切れたのでしょう。
25年前の我が家の娘も、このパターン。好天が続いていた中で、たまたま今日だけ雨(明日は晴れる)。ちょっとかわいそうな気もしますが、考えてみれば人生、晴れの日ばかりじゃないし...(というか、逆の日の方がはるかに多い)。
春の雨の日に咲く大小の傘の花も、風情があるもの。入学、おめでとうございます。
■4月8日(月) お風呂に入ったら、下半身はアザだらけ... ──実家裏の整備に再度取り組みました──
もう1日だけ、季節(?)の話題を。
先週に引き続いで実家を訪れ、土砂崩れ現場付近で、倒れた竹を少し整備しました。これが、もう、本当に大変。
朝、新聞を読み終えると、自転車で実家へ向かいます。先週と違い、風はそんなに強くはありません。しかも身体が運動に少し慣れてきたようで、軽々...とはいかないまでも、体力に比較的余裕のある状態を保ったまま実家到着。
写真は帰り際に、現場を撮影したもの。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))う〜ん、でも、良くわかりませんねぇ。すみません。
実家(写真右方向)は道路より1mくらい高い場所に建っています。裏にはまず土蔵があり、そのさらに裏側に、写真右側の作業小屋が。
昔はこの中で脱穀作業などを行いましたが、現在は倉庫として使っています。現場は、そのさらに裏側(写真中央奥)。道路は緩い坂になっており、しかも実家裏は少し高くなっているので、2階建ての作業小屋は地面から約2mの高さ。
作業小屋の左側の空間は、ほぼ半々で実家および隣家の所有地。緑色凝灰岩(グリーンタフ)の石垣までが実家の敷地です。この部分、現在は実家の敷地より1m弱高い平地になっているのですが、本来は裏山の一部。お伝えしたようにそこで1944年、崖崩れが発生。
撤去しきれなかった土砂を平らにしたものなのだそうです。崖の部分に倒れかかってきた竹については先週、ある程度処分。今日はまず、実家裏からぐるっと回って崖の上(写真上部。実家の所有地)へ出ました。正直なところ、写真ではそれほど高いという印象は受けません。
でもそれは、見上げているため。実際は、実家敷地を基準にしても、15m程度の高さ。しかも、お伝えしたように崖の縁は、直下が空洞になっており、いつ崖が崩れてもおかしくない。この状態で既に枯れた竹、そして生きてはいるものの、倒れてしまった竹を伐採。
高度差があるので、切断された竹は即座に崖下へ滑り落ちます。完全とはいきませんでしたが、崖の上での作業に区切りをつけ、今度は崖下へ。生きている竹は水分を多く含んでいるので、とても重い。しかも今回はとても太く長いものも。それをさらにいくつかに切断します。
全身を酷使する作業なので、もう、ヘロヘロ。そもそも地面の上に切り倒した木や竹が折り重なっており、それらの上での作業。しっかりした足場がなく、思いもかけず切断した竹が転げ落ちてきたものの、周囲に掴む場所がなかったので回避のため、センセイの方がコロリと1回転したり。(実話)
もちろん全体に怪我だけはしないよう、十分注意して作業しました。2時間ほど働いたところで体力の限界を悟り、今日の作業に区切りをつけました。崖下での切断、整理作業がまだ不十分なので、近日中にこの続きをするつもり。実家に入って時計を見ると実際には、まだ1時間半しか経っていません。
トホホ。作業後、一休みしてから母親が育てた薹(とう)菜とホウレン草をもらい、帰路につきます。来る時と風向きが少し変わっており、やや向かい風。気圧配置の変化というより、陸地の気温が上昇して海風(うみかぜ)が起きているものと思われます。
全身が疲労しているので往路のように...とはいきませんでしたが、問題なく帰宅。夜、お風呂にはいると先週以上に下半身のアザがあちこちに。まぁ、名誉の負傷です。ちなみに体重は1kg近く落ちました。
茹でた薹菜を夕食に頂いたのですが、独特の甘みが薄くなり、またずいぶん硬くなっています(ホウレン草は硬くなっているものの、味はそれほど変化しない)。母親も指摘していましたが、ここ数日の好天で急に生長したためでしょう。
でもこれが意味するのは桜の開花同様、季節の着実な進行。
疲労困憊(こんぱい)状態ではあるものの、薹菜とホウレン草の苦みを愛(め)でることにします。
■4月7日(日) 今年は郵便受けも一緒に、「春の色」 ──車体表面に付着した鉄粉を除去しました──
今日も、「春」のお話。
天気予報および“Windy”によると、当地は明日の日中まで晴れ。しかも風は弱い。明日は竹林整備のため実家へ行くことにしているので、今日のうちに季節の仕事を。車体の塗装面に食い込んだ鉄粉の除去作業です。
なぜ風が関係するかというと、この作業、薬剤が入った手動式のスプレーを使うため。風があると貴重な薬剤が文字通り霧散してしまいます。残念ながら作業開始後に北風が出てきて、心配した通りになってしまったのですが...。まずはとにかくざっと洗車し、全体の汚れを落とします。
その上で専用の鉄粉除去剤を塗装面に吹き付けます。写真は、燃料補給口カバーの下部。あまり目にしたくはないけれど、これもある意味、春の色。
鉄粉は車体後部などはっきりわかる部分だけでなく、このように車体全体に付着しています。よく見ると、場所による意外な片寄りも。
たとえばボンネットの場合、空気が渦を作ると思われる後部──ワイパーの直前──には鉄粉が集中的に存在。それでも年間約24,000kmも走行していた昨年春までと比較すると、鉄粉は明らかに少なくなっています。散布される融雪剤で車体を傷める冬の走行距離も減ったし。
鉄粉を浮き上がらせたら今度は、紫色の筋が残らないように大量の水で洗い流します。再度洗車した後、綺麗に拭き上げて、作業完了。鉄粉が付着していると塗装がくすむとともに、表面を触った時にザラザラした感触がします。(実話)
鉄粉の除去で本来の色が回復するだけでなく、手触りも一変。まぁ、後者には薬剤に含まれている界面活性剤によって、油性の汚れが落ちるという面もあると思います。
この勢いで今日は、写真の郵便受けも錆落とし。28年前、親戚の宮大工に拙宅を建ててもらった時から同じ郵便受けを使っています。
それが錆びてきたので10年くらい前、家人が同一製品の新品に交換。ただしそれも...というわけで昨年、錆を鉄粉除去剤で落としました。自動車の方はコーティング対策済の高い薬剤を使いましたが、こちらはもう少し安いものを使用。
処理直後は非常に綺麗になったのです。ところがそれまでに比べて、錆の進行が1ケタ速くなったような印象。そこで今日は、まず自動車同様にざっと洗浄した後、鉄粉除去剤を散布。
泡の付近に見えている紫色のものが、還元された鉄(=錆だったもの)を含んだ薬剤です。劣化が早まった理由はおそらく、酸化鉄(=錆)を落としたは良いものの、処理後の表面は活性度が高い状態になっていて、相対的に速く酸化されたためだろうと思います。
銅の導線を切断したり被覆を剥いた時、表面は綺麗な銅色。それがみるみる輝きを失ってしまうようなイメージ。そこで今日は、処理、乾燥後に、透明の防錆(ぼうせい)剤──もともとは自転車の錆止め用に購入しておいたもの──を塗布しました。この製品の場合、防錆の役目を果たすのはアクリル樹脂。
厚くスプレーすると垂れてきます。そのため、表面の平滑性を綺麗に保つのが大変──冗談抜きで最後は、ほぼ素手でアクリル樹脂と格闘した──でしたが、まぁ、仕上がりは95点くらいかな。ただし今後の錆びの進行については、様子を見守るしかありません。
忘れていなかったら、結果はきちんとご報告したいと思います。