2024年2月24更新(2024年3月3日ページ移動)
■2月24日(土) ともに新幹線の写真。でも個人的にはちょっと寂しいものが... ──時刻表、発売──
血圧測定の結果を記録しようとして手帳を開いたら、あれっ?!
今日の日付の欄に、書き殴りの汚い文字で何かが記されています。そういえば昨晩、かなり酔っぱらってから何かを書き込んだような...。書き始めにボールペンのインキが上手く出なかった──良く覚えている──こともあって、読めない。
測定結果を書き終えてから老眼鏡を掛け、やっと内容を判別できました。「時刻表購入」。
今日、ダイヤ改正号(右側)が発売されるのです。もちろんお昼に購入し、1年前のもの(左)とともに撮影したのが写真。((c)JTBパブリッシング)
以前は年に数冊購入していたのですが、最近は改正号のみ。去年、JR線で遠出したのは春の熊本と冬の北海道だけ。付け加えるとすれば、秋の福島・茨城ツアーくらい。
でも左の時刻表はずいぶん読み込みました。そもそも時刻表と辞書は探すのではなく読むもの。前学期の金沢との往復や、秋から冬にかけての県内探訪などで活躍してくれました。
だから新しい時刻表にも期待したいところですが...個人的にはちょっと寂しい。ご存じのように、北陸新幹線が敦賀まで延伸──これ自体は言祝(ことほ)ぐべきこと──され、これに伴い並行在来線、つまり北陸本線が第三セクターに移管されます。
それを象徴するのが特急「サンダーバード」と「しらさぎ」の同区間廃止。この状況は、2015年の北陸新幹線開業に伴い、特急「はくたか」や「北越」が廃止された時に良く似ています。車窓からの風景が格別...とは言えないかもしれませんが、関西やそれ以西への移動でお世話になった列車に乗れなくなるのも寂しい。
お察しの通り来週の「暇乞(いとまご)いの旅」は、北陸本線特急乗り納めが目的の一つ。北陸本線──特に金沢─富山間──は、東西からの特急列車がひっきりになしに走るため、「特急銀座」と呼ばれていました。ダイヤ改正日が近づくと俄乗り鉄や撮り鉄で車内や沿線は凄いことになるんだろうなぁ...。
センセイもその中の一人なので、決して偉そうなことは言いませんが。
■2月23日(金:祝日) こちらは、セブンイレブン ──そういえば旧市街地中心部に、コンビニはない...
──
当地はここ数日、真冬に戻ったかのような天気。
何と、昨日は雪が積もり、今日も一時的に白っぽくなったほど。もっとも地表面の温度が上昇しているので、昨日の雪も夕方までにはほとんど融けてしまったのですが。写真は、そんな昨日撮影したもの。
床面の一部が濡れているのは、そのためです。いつもとちょっと違う正午過ぎに旧市街地を通ったのですが、ビルの下、雨宿りができる場所に、写真の移動販売車が停車していることに気づきました。中心部から撤退したスーパーの救済策として出店している車ではありません。
車体側面には市内にあるセブンイレブンの店舗名が記されています。毎日かどうかは知りませんが、どうやら、(少なくともある程度定期的に)ここで販売しているらしい。商品を間近で見たわけではないのですが、この前の移動販売車とちょっと違うようです。
生鮮食料品も並んでいましたが、主力はお弁当やサンドウィッチ、総菜など。そうなのです。移動販売車ではあるものの、キッチンカーとしての性格も。西村センセイ、ここでやっと気がついた──情けない──ことが。
ここは商工会議所などがある場所、つまり商業に関する市の中心。それなのに、この周辺にはコンビニがない(!!)のです。地域人口8万人の、それなりの街なのに、ですよ。かつて斜向かいにセブンイレブンが存在したのですが、10年ほど前に閉店。
地域の現状を象徴するかのように建物は現在、市の社会福祉包括支援センターとして活用中。もちろん周囲にコンビニがまったく存在していないわけではありません。でもこの場所からだと、最寄りのお店まで約500m。この日はそれなりの格好をした男性が、時間をかけてお弁当を品定めしていらっしゃいました。
イトーヨーカドー 丸大は当然として、地元資本のスーパーまでもが逃げ出すわけだ。でも、よぉーく考えてみると先日の移動販売車にせよ、このセブンイレブン「移動店舗」にせよ、このような対応で旧市街地中心部の需要をそれなりに満たすことができている、ということなのかも...。
それなら第三セクター「フォンジェ」復活は、ますます遠くへ退くばかり。まぁ、最後は、地域住民の負担で整理するしかないのですけど。
【オマケの情報】
ご紹介したユニバーサルディスクプレーヤーの紹介記事が昨日掲載されました。メーカー(および流通業者)とメディアは持ちつ持たれつの関係なので、その点を考慮してお読みいただければと思います。
■2月22日(木) 手が届くかどうかは別にして... ──ユニバーサルディスクプレーヤ、国内再販売──
ある意味、昨日の続き。
現役引退を機に昨秋、自宅書斎のAV機器を再配置しました。といってもその時のポイントは主に、電源およびデジタル/アナログ回線の再整理。機器については昨春、金沢を引き揚げた際に持ち帰った機器と一部交換した程度。
中核となる機器の一つが、ラック右側最下段の“BDP-105D JAPAN LIMITED”。12cm(および8cm)のディスクならCDはもちろん、SACDやDVD、BDまで何でも再生可能というユニバーサルディスクプレーヤ。現在使用しているものは、金沢のアパートで使っていた最も古いマシン。
書斎にも同一機種を導入したのですが、後に“UDP-205”に交替。ただし“UDP-205”は高音域の音質に少し癖があることと後述の理由により、現役引退の際に専門店に売却し、次の方に買い取っていただきました。OPPOのユニバーサルディスクプレーヤには、他に見られない特徴が。
もちろん、まず音質の良さ。(ただし“BDP-105DJP”のアナログ出力にも癖がある)それに加えて、プレーヤであるにもかかわらず各種デジタル入力を装備。USBや同軸/光デジタル音声はわかるとして何と、HDMI入力まで。それも2系統。
使用するAV機器が多く、しかも特別な接続をする場合があるセンセイ。古い“BDP-105DJP”の方が使いやすいため、新しい“UDP-205”の方を売却したという次第。その判断そのものは適切だったと考えています。ただし、この判断にはリスクも。
お気づきでしょうか...。お察しの通り、書斎のシステムは特定のマシン(“BDP-105DJP”)に過度に依存する構成になっているのです。要するに、何かトラブルが起きた時に、対応を取れるかどうか。
もちろんディスクの再生だけなら他のBDレコーダで、そしてデジタル音声はアキュフェーズの“E-270”上のDACボード──音は極めて正確──で対応可能。でも、完全な代わりにはならないこともまた事実。「OPPO難民」という言葉まで生まれたほど。
通常ならば同じメーカーの後継機種や他社の同等品で代替できることが多いのです。ただしOPPO社は新製品の企画、開発を終了しています。
株式会社「エミライ」が続けてきたOPPO製品サポートも保守用部品払底(ふってい)のため、昨秋に終了。そもそも、このようなマシンこそ日本メーカーの得意芸だったはず...と言っても、犬の遠吠え。
現在のところ“BDP-105DJP”はご機嫌に稼働中。万一の際は、DVDおよびBDについてはレコーダーで再生する──ただし冷却用のファンがうるさい──ことにして、CD類は国産の中級クラスCDプレーヤ導入するしか...と考えていたのです。
ただしこの場合、SACDは再生不可。ところが一昨日、予想していなかった動きが。報道(こちらやこちら)で知ったのですが、先ほどご紹介したAV機器輸入元の株式会社「エミライ」が、中国“MAGNETAR”社製ユニーバーサルディスクプレーヤの販売を本日から開始すると発表。
写真は同社の当該製品紹介ページ。((C)エミライ。現在は市場予想価格も掲載されている)繰り返しになりますが、同社は米OPPO社(実態は中国のメーカー)とも深く関係。OPPO社の撤退騒動の過程で商機を見出したようです。しかも単に国内販売するというだけでなく、製品開発にも関与。
製品の操作画面などは「ここまでそっくりでいいのかぁ」と思うほど、特に“UDP-205”そのもの。問題は、製品の価格。中級クラスで約30万円。機能的に“BDP-105DJP”や“UDP-205”に相当するモデルで55万円。年金生活者のセンセイには手が届かない...けど、「イザという時、届くかもしれない」と夢想することは可能。
ほとんど幻でもいいから、微かな希望を持つことができるか否か。たわいもない話、と一笑に付されるかもしれませんが、センセイのような老人には、そして実は、被災地や戦禍の国の人々にも共通することだと信じています。
それはともかく冷静に考えてみると、数少ないSACDについては、別な対応方法もあるんじゃないだろうか。そもそもOPPO社がニバーサルディスクプレーヤの製造販売から撤退したのは、配信サービスの急速な普及が理由。
そして、その分析と判断は概ね妥当。慣れ親しんだ自身の行動パターンに拘泥(こうでい)するのではなく、ここで発想を変えてみると...。
もしかしたら、しばらく間を置いてから、続きがあるかも。
■2月21日(水) 満足できるかどうか、最後は... ──西村センセイ、展示現品限りのこたつを買う──
先週から今週にかけて、実家へ行く頻度がこれまでの倍くらいに。
もちろん、あらかじめわかっている用が多いのですが、中には、思いつきと言われても即座に否定できないような件も。たとえば先日、変な時間帯に掛かってきた電話に出ると、「お爺ちゃんが『こたつが暖かくない』と言っている」。
実家のこたつは古い遠赤外線式。電源スイッチを入れて、赤くなる──ただし見えているのは近赤外光(可視光。赤外線は目に見えない)──かどうか尋ねると、「赤い」とのこと。間違いなく正常に動作しています。そもそも非常に簡単な構造だし。
でもここで「暖かくないのは気のせい」と即答するかどうかは、別。「暖かくない」に続くメッセージがあるはずなので尋ねると、「(こたつの)サイズはわかっているだろうから、今度来る時に新しいものを買ってきて欲しい」。う〜ん。
ひとまず了解した旨返答して、電話を切りました。翌々日に実家へ行くことになっていたのですが、よほど抜き打ちでこたつの状況を確認しようかと思ったほど。でも、大人気(おとなげ)ないので、止めておきました。
外出したついでに、家電量販店を梯子(はしご)。初めて知ったのですが、生活パターンが変化したからでしょうか、昔ながらのサイズのこたつはほぼ絶滅状態。最近のものは横に長かったり、椅子式になっていたり。
ヒーターも変化して、現在は石英管式。いろいろ考えた末、写真の木目調こたつを購入。サイズを含めて、従来型(ただし石英管式)のものはこれしかなかったのです。しかも現品限りの店頭展示品なので格安。
ちょっと気になったのが出力。購入したこたつは300Wだったのですが、実家のものの出力は不明。店頭にあったこたつの大半は300Wだったのですが、中には400Wのものも(ただし横長なので、今回は不可)。新品に交換するのは良いとして、出力が従前より低下する事態も。
...でも両親はそもそも、出力なんて把握しているんだろうか。翌々日、こたつを実家へ持ち込んで、古いものと交換。電源を切る前はしっかり赤く輝いていました。一抹の不安を覚えつつ交換し、こたつ布団を掛け直して作業完了。電源を投入したのですが、石英管式なので赤くはならない。
その日はそのまま撤収。昨日も、急に電話があり実家へ。実家の保険(建物共済)の更新に関する用件で、実はセンセイがいないと契約できなかった内容。両親ともに70歳を過ぎているので、契約の際に第三者の立ち会いが求められる──サインもした──のです。
センセイがいなかったら、どうするつもりだったんだろう。こういう時ほど、あらかじめ知らせてもらいたいのですが...。
それはともかく、契約更新は無事に終了。そして何より、実家のこたつは問題のない暖かさ。やれやれ、出力の件はバレずに...と思ったら父親が不意に、「前のは400Wだったよな」。実は、その通り。
交換の際に、小さな表示を確認しました。でも心配はご無用。
父親はクレームをつけているのではありません。両親ともに、明らかに新しいこたつに満足しています。ある意味、客観的な物理現象は二の次。満足できるかどうかは、主に、精神的な問題なのです。
...あ"っ、電話が掛かってきた。
■2月20日(火) 本当の理由は、たぶん... ──被災した駅前のホテルが、今月末での閉館を発表──
今日は予定を変更してお伝えします。
今朝、地方紙の報道(全文を読むためには登録が必要)で知ったのですが、元日の能登半島地震で被災した駅前の「ホテルサンシャイン」が、今月末で閉館するとホームページ上で発表しました。
正直なところ、かなり唐突、という印象。そしてもう一つ。何故か、閉館に至った理由は未公表。ただし、個人的には思い当たる節が。
この地元資本のホテル(中央左の白っぽいビル)は40年以上前、駅前地区初のホテルとして開業。駅前には日本式の駅前旅館(2枚目の写真、左奥の背の高いホテルの位置)があったのですが、客の流れがガラッと変わりました。
数年後には、右側に6階建の新館も建設。このホテルに続き、駅前には全国資本のホテルも開業。地方都市とはいえ、お客さんをそれなりに迎え入れてきました。近年は設備も順次更新。
だから部外者からすると、閉館の理由が良くわからない...。先日お伝えしたように、当地域でのJR信越本線は、数本並行して流れる小さな川沿いに敷設されています。もちろん柏崎駅やこれらホテルが建設された場所も。
当然、地盤は軟弱。実際、何度かお伝えした(こちらやこちら)したように、この地区の建物、特に建設時期が古く、必ずしも基礎が堅固でない建物は、非常に大きな被害を受けています。
もちろん個々の地盤その他にも関係しますが。地震発生直後にこの周囲を歩いていた時、センセイはこのホテルに関してあることに気づいていました。ただしそれは所有者が公開していない情報。
他人が言及、さらに流布(るふ)させることには、細心の注意が必要です。場合によっては誰かの所有物の価値を、確かな根拠なしに毀損(きそん)させたなどということになりかねないのです。でも正直なところ、残念ながらホテルの廃業は不可避だろうなぁ...と考えていました。
その理由、つまりセンセイが被災直後に気づいたことが、この写真の中に存在しています。もうお気づきだと思いますが疑いの余地なく、また、より明瞭にお知りになりたい場合は、少しだけ違う位置から撮影した写真(別ウィンドウ、1280×960)をご覧頂ければと思います。
それにしても、本当の理由は公表されるんだろうか...。
■2月19日(月) 「10万円」...じゃ、なかったのね ──両親の分を含めて、確定申告を行いました──
要するに、サブタイトルにある通りの内容。ただし今回は、考えさせられることが。
何度かお伝えしているように、センセイは自己免疫疾患──致命的なものではない──など、難治性の病気をいくつか患っています。重くはないですし、それにそもそも、病気は自身の一部。(キッパリ)
生涯お付き合いするしかない。センセイの医療費(3割負担)は毎年、10万円を確実に超えます。
というわけでこの時期には確定申告。多額の医療費を支払った人は「医療費控除」として、医療費の一部を還付されるのです。ただし現役時代は非常勤や放送大学などの収入があったため、たいてい、実際はさらに納税することになるのですが。
引退した今年からは、医療費が10万円を超えている高齢の両親の分についても申請を代行することに。毎年追加納税していたからでしょう、昨年までは金沢税務署からあらかじめ申告書が送付されてきました。当然、「逃がしませんよ」と受け止めてしまいます。届いた用紙と睨めっこしながら記入し、申告。
まぁ、実際の追納額はたいしたことないのですが。でも最近はちょっと様変わり。国税庁の「確定申告書等作成コーナー」で作成し、最後は印刷して提出。((c)国税庁)
作成中に必要な情報がわからなくなった時など、データを保存しておくことができるので、格段に便利になっています。ただし、冷静に考えると落とし穴も。
以前もお伝えしたのですが、この国の所得税(相当)は基本的に「理解させない仕組み」。(特に、その使途)「政治家はいいよなぁ...」と思いつつ、でも、ま、そこは彼ら彼女らと違ってオトナ。グッと抑えて申告書を作成しました。実家の分については簡単に終了。
年寄りにとって、医者通いが仕事のようなもの。支払いすぎた医療費が還付されます。実はずっとこの状態が継続していたのでしょうが、両親が確定申告をしていなかったため、毎年税金を納め過ぎていたはずなのです。
そうだったとしても、税務署が「納め過ぎていますよ」などと教えてくれることはありません。(キッパリ)で、センセイの申告書へ。今回の確定申告、実は相当前から準備していたのです。なぜなら、今年のセンセイは特別なので。税体系からすると、すべての基準日は昨年の1月1日。
つまりその時点で、センセイはまだ現役。そして(当時の)現住所は、金沢市。所得税は、その時点での前年の収入に対して課せられるので、(いくら給料が安い金沢工大とはいえ、)それなりの金額が課税対象に。ただし実際にはほぼ退職しているので、現実の収入はとても少ない。
その結果、退職した年は、収入が少ないにもかかかわらず、課税額は相対的に過大に。また、こちらは税金ではありませんが、保険料も同じ理由で俄(にわか)には受け入れがたいほどの金額に。「絶句」という表現が適切かも。(対象となる皆様、あらかじめ覚悟を)
そのため、良く知られている話──センセイも知っていた──ですが、退職直後は信じられないほどの出費となります。今年のセンセイは、その過渡期。4月以降の収入は年金(+金沢工大での非常勤)だけだったので。
よくわからなかったのが、「介護保険」。ご存じのように、退職と同時に新潟の自宅へ戻りました。つまり所属する自治体が変更に。その関係で、支払った介護保険の金額──非常に高額──がコロコロ変わりました。適切と考えられる金額を記入し、領収書を添付して申請。
ただし今回はさすがに、間違いを指摘されるかも。その上で医療費控除関係のデータを入力したのですが...結果は、予想外。
想定していた金額の2.5倍くらいの還付──納め過ぎた税金が戻ってくる──を受けることに。いろいろ考えたのですが、その理由はおそらく二つ。まず、退職に伴い実際には収入が激減しているにもかかわらず、自治体側の事情で介護保険料を取り過ぎた。
「ゴメン、ガバッと取り過ぎたから、ちょっと返すね」というイメージ。そして、もう一つ。
金額そのものは、たいしたことないのですが、医療費控除の基準が、実は必ずしも「10万円」ではなかった(!!)のです。調べてみると、基準は「所得金額」(≠「収入金額」)によって決定され、「所得」が少なければ10万円以下に。
実家も、そして何と、センセイもその適用対象。これが、年金生活ということか...。
■2月18日(日) 娘達を学校まで送り届け、交差点を右折した途端... ──人間が心で見ているもの──
15年くらい前のこと。
当時、娘は市内にある中等教育学校の生徒。学校までの距離があるため、冬の天気の悪い日など時々、近所の同級生とともに自動車で送ることが。通学地域が広く、大半の生徒が同様に送迎してもらっていたのを目(ま)の当たりにして、羨ましくなったのでしょう。
自分で通学するという約束だったのに...。冬のある日のこと、2人を学校まで送り届けて、東柏崎駅(旧「比角(ひすみ)」駅)前の交差点を右折した途端、あ"っ...。
その時のセンセイが「見た」ものをできるだけ忠実に再現したのが写真。先日、市内諏訪町町内で撮影しました。ちなみに昨日ご紹介したスバル・フォレスターが立ち往生した現場です。
以前ご紹介した旧「諏訪町食堂」跡の青い建物も、画面左奥に見えています。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))中央に見えるのは当地域のシンボル、「米(よね)山」(993m)。富山県民(立山が見えない一部地域を除く)にとっての「立山」のような存在です。
米山を単純にスマートフォンやデジカメで撮影すると...期待に反して、なかなか画にならない。それならば、と、ズームアップ。確かに大きく写っているのですが撮影者の思い入れと相違して、写真を観る人にとっては、「これが、どうしたの?」という感じ。
なかなか上手く撮影することができない。センセイは撮影技術を習っていませんし、勉強もしていません。でも「遠景、中景、近景を意識」ということだけは知っていました。
そこで例えば、できるだけ高い場所から撮影(たとえばこちらやこちら)してみるのですが、う〜ん、イマイチ。撮影テクニックのなさは、お許し頂くしかないのです。
でも問題は、なぜ期待するイメージと食い違ってしまうのか。いろいろ考えました。決して、この写真が結論...というわけではないのですが、実は人間、「風景」をかなり主体的に切り取っているんだろうと思う。
特に今回は、自動車の運転時(を想定)。ハンドルを握っていると、何が起きるのかわからないので前方、それもかなり遠方に注意を集中しています。そこに、想定外の何か──この場合は米山──が不意に飛び込んでくる。当然、心あるいは脳が受ける印象は強いはず。
ちなみにこの写真は、約400mmの望遠レンズで撮影しています。運転時はたぶん、こんな感覚で見ているんでしょうねぇ。たとえば「オイオイ、砂丘の頂上部、黒っぽいフォレスターがハザードランプを点灯させながら止まっているぞ。どうしたんだろう...」といった具合で。
オマケのオマケの、(たぶん)最後のオマケ。
13日(火)深夜に発症したノロウイルスによる感染性胃腸炎の件、基本的には本日までに概ね回復にこぎつけました。ビールの美味しさは昨晩までに何とか戻ったのですが残念ながら、準備しておいたお刺身には手つかず。
ダイコンの煮物ばかりを口にしていました。最も想定外だったのが体重。一生懸命食べるようにしているものの、昨日と今日は、体重がさらに減少(約-1.5kg)したまま。どうやら体内の水分管理がまだ上手くいっていないようです。ただし味覚は戻っているので、数日で元に戻ると期待されます。
自覚症状として残るのは、胃の不快感だけ。「...回復までに1、2日程度」が、この有様(ありさま)。これが歳を取る、ということなのでしょう。
皆様、くれぐれもご注意ください。