2025年3月22日更新(2025年3月30日ページ移動)

──2025年3月第4週のニュース──

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3月22日(土) 幕内3回目の優勝をめざして(?)、トキ鉄「大の里」ラッピング車両は今日も快走!!

 写真は先週の日曜日に撮影したもの。

 お伝えしたようにその日は、まずJRとトキ鉄で糸魚川市内の浦本駅まで行き、近くのサンレパス ルート8」へ。帰路は直江津駅で下車して、近くに長期間放置されていたニッサン・プリメーラを撮影。
 
鶏の唐揚げ定食」を頂き、浦本駅のホームで待っていると定刻に列車接近を知らせる警報音が。

 ...あ"っ。

 浦本駅の長い長いホームに進入してきたのは写真のET122型──JR西日本のキハ122型とほぼ同等(トンネル区間が長いので、燃料タンクが二重)──K3編成。「編成」と言っても1両だけですが。
 主に旧北陸本線で使用されるトキ鉄標準型の車両です。

 車両がすぐ近くまで接近してきた時、車体側面に描かれた力士の姿に気づきました。実はこの車両、トキ鉄と大関大の里らを応援するためのラッピング車両
 写真は直江津駅到着後、敷地外から撮影しました。
拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))

 昨秋からの運行。センセイも何回か見かけていますが、実際に乗車するのは初めて。

 なお新潟県内ではテレビニュースNHKBSN(TBS系列)、NT21(ANN系列))や新聞(『新潟日報』(全文を読むためには登録が必要)、『上越妙高タウン情報』、『上越タイムス』(こちらおよびこちら))などで報道されています。
 ただし、以前からちょっと気になっていたことが。

 ラッピング車両運行までの経緯と、1,000万円前後掛かると推測される資金の出所(でどころ)です。トキ鉄にはそんな余裕はありません。車体側面には「新潟海洋高校」との文字。
 車両に描かれた大の里ら4名の力士は、新潟県立海洋高校
(旧能生(のう)水産高校)の卒業生なのです。

 でも県が大の里らに資金を提供するはずがない。高校のOB会等も考えてみたのですが、金額面で無理。だからどうやって...と思っていたのですが、今回その経緯を知ることができました。実は既に報道されていたのです。
 『スポーツ報知』によると、きっかけは約1年前。

 『産経新聞』および『読売新聞』によると、鉄道と相撲を愛する千葉県の保険代理店「トリプルコンフィデンス」社の朱孝社長が、史上最速で大関となった大の里を応援できないかと考えたとのこと。
 鉄分が濃い方のようで、できればトキ鉄も。

 そこで思いついたのがラッピング車両。ただし会社がトキ鉄を直接支援するのではなく、地域へも貢献したいという観点から糸魚川(いといがわ)市への企業版ふるさと納税を選択。またやはり大の里個人への応援は慎重にならざる面が。
 そこで大の里、白熊
(十両)、欧勝海(同)および嘉陽を育てた海洋高校と、地域の特産品をPRをするという形に。

 日本相撲協会の理解もあって、その後は順調に話が進んだようです。大の里は県内ではなく、石川県津幡町の出身。

 ただし相撲留学で糸魚川市の能生中学校、そして海洋高校へ進学。本人自身が新潟県あるいは糸魚川市を第二の故郷と呼んでいます。新潟県内でも人気が高く、NHKローカルニュースは県内力士の成績の前に大の里の取り組みをVTRで流すほど。
 今場所は調子が良かったのですが、昨日の取り組みでは不意を突かれて10勝3敗と一歩後退。

 ところが優勝を競っている高安が負けたため、再び同じ星で明日の千秋楽に。

 取り組みを見ていると身体および才能には恵まれているものの若さそしてエリート故か、やや貪(どん)欲さが不足する面があり、諦めが早い。想定外の場面では弱さをさらけ出してしまうという感じ。
 明日はもちろん、優勝してもらいたい。

 でもそれ以上に、悔いが残らないよう、そして勝敗はともかく今後の成長の糧(かて)となるような取り組みになればと願っています。

 さて、どうなる。



3月21日(金) こちらも、今季初めての挑戦 ──母親からの依頼で、実家近くの畑の一部を耕起しました──

 目が覚めて、センセイがまず確かめたこと。

 それは外の様子ではなく、センセイ両脚がちゃんと動くかどうか。若い方はたぶん、全員が不正解だっただろうと思います。一般的にですが、センセイを含めた高齢者は朝、身体に問題がないかをチェックすることが多い。
 こちらも想像することが難しいと思います。

 ただし今回のセンセイの場合は一般論ではなく、昨日の厳しい自転車移動の影響が残っていないかどうかが問題。お伝えしたように雪解け後初めての走行だったし、菩提寺からの帰路は本当に辛かったので。
 結論からお伝えすると、まったく問題はありませんでした。

 中学生や高校生の頃は部活動や長距離歩行(柏崎から出雲崎まで約25km歩いた)あるいは海岸にあるから標高993mの(よね)山頂まで登ったりする──後二者は高校の行事──と翌日、脚が棒のようになることがしばしば。
 でもなぜか、大学生になった頃から起きない...。

 もちろん本人が「運動した」と勝手に思い込んでいるだけで、実際には運動量が不足しているだけなのかもしれません。それはともかく、今日は当初計画通りに行動することに。母親から、雪が融けた畑の耕起を頼まれているのです。
 彼女は美味しいお米
──現在は耕作していない──や野菜を育てるのが本当に上手。残念ながらこの点はセンセイに引き継がれていません。

 その反面、機械や科学、そいて社会の仕組みにはからきし弱い。今回も、女性向けの小型耕耘(こううん)が動かなくなったため、自分では耕起できないと言うのです。
 点検したところ耕耘機に何ら不具合はなく、力不足で起動しなかっただけ。

 そこで予定を調整して今日...となった次第。写真は実家に入る前、念のために畑の様子を確認した際に撮影したもの。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
 事前に得ていた情報と、ちょっと違います。

 依頼は「石灰を撒いてある部分を...」とのことだったのです。写真中央から右側がそのはずなのですが、かなりの部分が既に耕起されています。ナシテ?
 ただし興起された部分を良く見ると、かなり粗い。

 訝(いぶか)りながら実家に入って確認したところ母親曰く、鍬(くわ)を使って「(自分の)手で耕した」とのこと。おそらく待ちきれなかったのでしょう。
 それほどまでに春は、人を惑わせる力を持っているのです。

 両親の1週間分の食料を買い出し、作業着に着替えてから耕耘機を現場まで運びます。一発での起動は叶いませんでしたが、2回目で無事に起動。先週末、実家を訪れた甥が試しにエンジンを掛けてくれた時より煙は少ない。
 調子は上々。

 1時間弱かけて、指定された場所を耕起します。ちなみに機械を用いた耕作と聞くと楽チンな作業というイメージを抱かれるかもしれません。もちろん乗用など大きな専用機械の場合はそうなのかも。
 でも実家にあるのは、耕起と前進を兼ねた非常に小型のもの。

 実際には全身を使っての作業。正直なところ、これだったら鍬を使って自分で耕した方が早いんじゃないかと感じられるほど。

 しかも、母親の頭の中にはしっかりした野菜補完計画が存在するのですが「石灰...」の件から容易に推測できるように、なかなか他人がわかるようには指示できない。客観的に見れば、この点はセンセイにも確実に遺伝しています。
 トホホ。

 でも、ま、今さら仕方ない。ご参考までに耕作後の様子もご紹介します拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))。撮影位置が違いますし、この間、約2時間が経過しており太陽の確度や光の加減がかなり相違しています。
 耕起した3ヶ所がおわかりになりますでしょうか。

 母親はというと、ロープを張って手際よく畝(うね)を作っています。動きや成果物に無駄がない。

 センセイのマザコン度は相当低いのですが同時に、彼女の優れている部分を正当に評価すべきだということも確実です。



3月20日(木:祝日) あら、同じ菩提寺だったのね... ──西村センセイ、今季初めて自転車で出かける──

 今日はお彼岸の中日。

 というわけでセンセイは去年に続き、菩提寺で催された「彼岸会(ひがんえ)」に10代目ご当主様(予定)として参加しました。今回は初めての試みが。もし天気が悪くなければ、約11km離れたお寺まで自転車で行こうと考えたのです。
 冬の間はやはり、どうしても運動不足気味に。

 明らかに身体が鈍(なま)っています──高齢者にとって体力低下は大敵──し、その身体は鈍りともに春を感じているらしく、運動したがっています。繰り返しになりますが、問題は天気。大崩れしないのは確実。
 ただし、朝は雪との予報。

 今朝起きてみると青空が見えるし、道路は乾いています。なーんだ、と思って自転車にすることに(後に、この判断が甘かったことがわかる)。身支度を整えてから雨雲レーダーを確認すると、仮に降ったとしてもパラパラ程度と推測されます。
 玄関を出た時、嫌な兆候が。

 予想外に風が強い。天気図の気圧勾配から想定していたものと違います。逡巡(しゅんじゅん)したのですが、すっかり今年初の自転車──昨日整備した──のつもりだったので、今さら引くに引けない。
 う〜ん、これって、まるで旧日本陸軍の発想。

 センセイも典型的な日本人なのでしょう。決して偉そうなことは言えませんねぇ...。

 それでも往路は概ね順調だったのです。「概ね」と制限したのは、一つにはお寺付近の勾配が非常にきつく、最後は自転車から降りて押さざるを得なかったこと。
 ただしこれは想定内。

 菩提寺は平野部分より約30m高い場所にあります。平野部から進入すると徐々に高度が増す──これもけっこう辛い──のですが最後に、一気に20mくらい高くなるので。
 問題は、もう一つ。

 お寺まで2kmくらいの場所まで来た時、道路が濡れていることに気づきました。天気予報通り、お寺付近では朝、雪が降ったのです。方丈(ほうじょう)(=住職)は境内の一部を除雪された(!!)とのこと。
 しかもお寺に近づくと、道路に雪が残っています。

 さすがにこれはまったくの想定外。スリップしないように、しかも急勾配に耐えつつ自転車を漕ぎます。何とか無事に、菩提時到着。
 受付を済ませると不意に、後ろから声を掛けられました。

 小中学校の同級生。昨秋の同級会以来です。彼岸会では時々同級生に会うことがあるのですが墓地が一緒なので、驚くほどのことではありません。でも、彼とは初めて。同じ菩提寺だということを初めて知りました。
 いよいよ前半の涅槃会
(ねはんえ)および彼岸会開始。

 今年の参加者は去年の1.5倍くらいで、大きな本堂がほぼ満杯に。焼香の後、「諷誦文(ふじゅもん/ふうじゅもん)」という各家の先祖あるいは故人を供養する文章を読んでいただき、約1時間の彼岸会は終了。
 お団子を頂き、彼と「じゃ、またな」と言い交わして菩提寺を後にします。

 ここからは下り坂...のはずだったのです。もちろんお寺付近はひたすら下るだけ。ところがこの頃になると覚悟していたよりもはるかに強い風が吹き付けるように。完全な向かい風が長時間続きます。
 しかも周囲は田圃。柏崎市街地まで風を遮るものはまったくありません。

 ギヤを一段下げて向かい風と格闘しながら、帰宅。帰路に要した時間は通常の2倍弱。脚の疲労が経験したことがないほどの限界に達しています。白状すると、帰宅直後は2階に上れないんじゃないかと思ったほど。
 手摺りに掴まりながらも何とか上ることができたし、比較的短時間でかなり回復したのですが。

 かように、反省点は実に多い。

 でも同級生夫妻との邂逅(かいこう)もあったし、予想外ではあったものの良い運動に。そして何より(ご不満は残るかもしれませんが)先祖をそれなりに供養できました。だから、まぁ、許していただけるんじゃないかと思っています。

 ちょっと甘いかもしれませんが。



3月19日(水) こんなコペンがあるんだ... ──年度替わりを迎え、人々の動きが徐々に活発に──

 今日も予定を変更しています。

 当地は予報通り、雨が明け方から雪に。午前中は辺り一面が真っ白になりました。積雪は2、3cmくらい(アメダスの記録は0cm)。写真は、お昼前に外出した際に撮影したもの。このころには冷たい雨に。
 そのため、積もった雪は午後までに融けてしまいました。

 寒いし風も少しあったからか、出歩く人はごく僅か。老女が食料品を詰めたと思われるリュックを背負ってスーパー方向から歩いてくる程度です。
 途中、気づいたことが。

 写真右奥のアパート前の駐車場に、見慣れぬ自動車2台が止まっていたのです。目の前でボンネットの雪が一部滑り落ちました。状況からして、昨晩からこのままなのでしょう。
 考えてみれば、年度末。

 入居者の一部が入れ替わったものと思われます。同じ部屋かどうかはわかりませんが、いつも止まっていた山形ナンバークラウンをしばらく見ていません。
 センセイが気になったのは新潟ナンバーの白い車。

 どう見てもダイハツ・コペン。でも何だか雰囲気が違います。良く見るとフロントグリル(ナンバープレートの右側)に、赤と黒で「GR SPORT」と記されたワッペンが。
 でも「GR SPORT」って、トヨタ車のスポーツタイプシリーズでは?

 帰宅後に調べたところ、これはトヨタブランドで販売する“COPEN GR SPORT”らしい(ダイハツからも同価格で販売中)。ちなみに写真の車は5速MT車。コペンにMT車の設定があることは知っていたのです。
 確かに、それならば「GR SPORT」シリーズに加えやすい。

 わざわざ特別なシリーズを選択し、しかもMT。オーナーの方の熱い想いがひしひしと伝わってきます。

 この場所を通る楽しみが一つ増えました。



3月18日(火) 全国で172店を一気に... ──新潟県中越地方から「ドミノ・ピザ」が完全撤退──

 予定を変更してお伝えします。

 今日はまず歯科医院へ。先週、奥歯の詰め物(レジン)が取れてしまったのです。てっきり抜髄(ばつずい:歯の神経を抜くこと)した失活歯(しっかつし)だから、カリエスの部分を削り、レジンを詰め直せば...と思ったのが甘かった。
 実は生活歯、つまり文字通り生きている歯。

 かなり大変なことになりました。自宅では痛みをまったく感じなかった──加齢によるもの──のですが、実は炎症が進んでいたため神経を抜く必要が。治療もやや長期に及びます。しかも大事な部分の歯なので、一部自由診療の可能性が。
 その額、今年度金沢工大で働いた分のお金が吹っ飛ぶくらいの金額。トホホ。

 先週、今週と2週続けて麻酔を注射しての治療。おかげで治療中に痛みは感じなかったのですが、治療後も口腔内の感覚は戻らない。妙な気分だし、それより何より気持ちが沈んでしまっています。
 病気を治療していただいているのですから本来ならば喜び、ドクターに感謝すべきところなのですが...。

 クリニックを後にすると、郵便局その他の用を済ませてからひとまず帰宅。改めて徒歩で出直します。国道の歩道を歩いていると、向こうからセンセイと同じくらいの年齢の男性が。
 珍しい。

 予報が少し外れて、写真のように今日はそれなりの天気だったのですが、それを考えても歩いている人は稀。田舎での移動手段は、自動車がデフォルトなのです。(高齢者の一部を除く)
 ...え"っ?!

 決してじろじろ見ていたわけではありませんが少し注意していると、男性は不意に道路を外れ始めました。一瞬立ち止まって写真の建物を一瞥(いちべつ)すると、妙に納得した表情で歩道へ戻ります。
 影響されたセンセイ、その方向に歩いていくと、あ"っ...。

 2022年の夏にオープンしたドミノ・ピザの様子が変。最初に目に入ったのは風除室に取り込まれた幟(のぼり)。営業している様子はありません。
 入り口付近に張り紙が。

 当然、閉店の告知文でしょう。

 まったく予想していなかったかといえば、必ずしもそうではない。正直なところ、あまり繁盛している雰囲気ではなかった。でも、つい最近まで配達のアルバイトを見かけていたので、「何とかやっているんだろうなぁー」と考えていたのです。
 帰宅後に調べてみると、地域住民も驚いています。

 閉店は仕方ないとして、「(今後は隣接する)長岡○○店へ行くしかないか」といった具合。念のため長岡市のお店を見てみると、同市内の2店とも当店と同じ3月9日に閉店。これで「ドミノ・ピザ」は新潟県中越地方から完全撤退したことになります。
 これら3店はたぶん、フランチャイズ。

 「ドミノ・ピザ」は新潟市にも2店舗あるのですが、こちらは営業を継続している模様。新潟市と中越の店舗の経営者が同一かどうかはわかりません。ただしいずれにせよ、かなり厳しい経営判断を迫られたはず。
 そもそも国内全体の状況が非常に厳しいらしい。

 報道(『日本経済新聞』/『産経新聞』)によると「ドミノ・ピザ」はコロナ禍を奇貨(きか)として、国内店舗を急拡大。金沢工大近くの「金沢久安店」や当店──ただし2年ほど遅れる──は、その時期に開店したグループ。
 ところがコロナ禍の収束に伴い、利用客が減少傾向に。

 昨年も大規模なリストラを実施したそうですが今回は何と、全国で172店(!!)もの店舗を一気に削減。

 後出しじゃんけんなので説得力はまったくありませんが柏崎店の場合はやはり、若年を中心に人口減少が急速に進む地方での展開そのものが無理だったんだろうなぁー。



3月17日(月) 成否はともかく、意気込みは応援したい ──三角形の不便なこの土地が有効活用へ──

 完全にローカルなお話。

 写真は土曜日に撮影したもの。全体的に黄色あるいは赤みがかかっているのは夕方に撮影したためです。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))

 きっかけはその日の『新潟日報』朝刊地域面の記事(全文を読むためには登録が必要)。お伝えしたように、その日の午前中は依頼された仕事に従事して激しく消耗し、日中は実家で姪や甥その他の接待。
 片づけを終えて帰宅した後、晩酌のツマミを求めて徒歩で外出した際に撮りました。 

 そもそも前日は遅くまで飛び込みの仕事に従事。当日はたまたま家人の都合で1時間早起き。しかも実家へ向けて発つ前に、依頼内容に区切りをつける必要があります。残念ながら、いろいろな意味で朝から疲れている状態。
 朝食後、新聞2紙を持って2階の書斎へ。

 まず『新潟日報』──新潟県内では全国紙を圧倒。東北での『河北新報』のような位置づけ──を読み始めたところ、あれっ?!

 同紙は近年、県内をいくつかのブロックに分けて、地域に密着した内容を報道することに注力しています。当地域(柏崎市、刈羽(かりわ)村および出雲崎町)の面に、大きく掲載されていたのがこの記事。
 記事内容の舞台を伝えるための写真に見覚えが。

 ただし週末のため記事がWeb上で公開されなかったため、今日までご紹介を待っていたという次第。

 記事の要旨は、地元不動産会社が外遊びができる児童向けの「遊び場」を市内にオープンさせる予定というもの。その場所は、おぉ、拙宅のすぐ近く。
 室内施設として使用する建物と、その北西側
(記事の写真右側)の屋外スペース部分を示した写真が掲載されています。

 でもこれって、どう考えても「あの、三角形の場所」(=右の写真。記事写真の右側から撮影)。困ったことに、無料で読める部分には写真が掲載されていません。
 ただし1階層上の、当地域全体を紹介するページの左側に、縮小された写真が掲載されています。

 それと比べながら見ていただくとわかりやすいかも。お察しかと思いますが、奥の建物は一昨年冬に閉店したレンタルビデオ店跡。記事の写真は、その内部の様子です。手前は、これまでなかなか有効活用されてこなかった土地。
 三角形という形状も大きく関係しているのでしょう。

 現在は一面がアスファルトで追われていますが、それを剥がして「外遊び」ができるようにするらしい。この計画を進める原動力は、3児の父親である社長の考え。著作権上の問題があり、記事全文を紹介することはできません。
 しかしながら、社長のお考えにはかなり賛同できます。

 それにしても、この三角形の土地が活用される時が来るとは。そして室内室外ともに、どんな「遊び場」になるんだろう。

 応援しています。



3月16日(日) 個人的にはMT車じゃないかと思う ──国内メーカー製なのに、見たことがない車──

 本来のニュースの前に、お詫びとお知らせを。

 1週間ほど前、2011年のバックナンバーへのページが完全に誤っていることに気づきました。具体的には、内容が前年2010年のままになっていたのです。2012年年初に年替わりの処理をしたさい、誤ってしまったようです。
 なお誤っていたのはリンクのページだけで、同年のバックナンバーそのものは引き続き正常に残っています。

 東日本大震災など、非常に重要なニュースが掲載されているにもかかわらず、管理するページの不具合にに気づかず申し訳ありませんでした。お詫びします。本日、数時間かけて全面訂正しました。
 加えて、もう一つお詫びをするべきかも。

 今日お伝えする内容が、上記のお詫びと無関係だということ。写真は先日、普段あまり通らない道を歩いている時に気づいて撮影したもの。でも、見たことがない車...。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
 最初に気づいたのは、とても丁寧に手入れされているということ。

 塗装の具合などから、オーナーが購入されてからそれなりの年月を経ていることがわかります。たまたま洗車直後だったのかもしれませんが、仮にそうだとしても外観は非常に綺麗。
 当然、外から見えないメカ類も、きちんとメンテナンスしていらっしゃるであろうと推測されます。

 車体前面のエンブレムはホンダ。そして左ハンドル。また明らかに、日本人向けのデザインではない。ということは、ホンダ・アコードの逆輸入車じゃないだろうか。
 1990年のバブル経済崩壊前後、アコードの逆輸入車が話題になったことがあります。

 でも、さすがにその時代の車ではない。それにそもそも、逆輸入車の話題を聞かなくなりました。他方、もし逆輸入車だとしたらMT車の可能性が高い。
 興味津々ではあるのですが、MT/ATを含めて公道上からでは詳細がわからないので、写真だけ撮影。

 帰宅後に調べたところ、この車はやはり米国製のアコードの逆輸入車。

 ただし正確にはアコードそのものではなく、「アコードクーペ」。このモデルはアコードとしては7代目、アコードクーペとしては5代目で、2002〜2007年に生産されたものらしい。
 車両の状況と一致します。

 正規ルートでは国内に輸入されていないとのこと。どうりで、日本向けのデザインじゃないわけだ。

 欧米では他社を含めてクーペタイプの乗用車を当たり前のように見かけますが、国内では稀。もちろん一定数のコアなファンは存在することは承知していますが、クーペがメジャーになるかというと、やはりそうではない。
 このモデルが正規輸入されなかった理由も、ある程度納得できます。

 幾重(いくえ)もの障害を乗り越えてこの車を購入されたオーナー。もちろん専門のお店があるんだろうと思います。でも本当の問題はおそらく、購入後のメンテナンス。いくら国内メーカー製とはいえ、国内で流通する部品とは一致しないことが多いはず。
 でも、
(ワンオーナーだとして)購入後20年くらいもの間、この車を購入後ちゃんとお使いのはず。

 オーナーはもちろん、そこまで読んだ上で購入されたはず。

 ベタ惚れ、なんでしょうねぇ...。

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