2019年6月22日更新(2019年6月30日ページ移動)

──2019年6月第4週のニュース──

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6月22日(土) 夏至、そして「越路ホタルまつり」が開かれた今日、三波春夫顕彰碑を訪れました

 久しぶりに自宅で迎える土曜日。

 ただし休日であっても、家長として、そして次期ご当主様としての仕事があります。午後から実家を訪れ買い出しの運転手を務めることになっています。でもその前に、長岡市にあるBMWのディーラーを訪れる予定。
 搭載しているETCのソフトに関して、「サービスキャンペーン」(無償修理)が届いたのです。要するに、軽度のリコール。

 ETCゲート通過時に、地上側の機器との通信が途切れ、ゲートが開かなくなる可能性があるのとのこと。センセイの車で不具合は発生していませんが、これを口実(?)に、ふだんあまり訪れない長岡へ行くことにします。
 途中に、ぜひ立ち寄りたい場所があるのです。

 それは長岡市塚野山にある「塚山活性化センター(昔ばなしとほたるの館)」。

 「新潟鉄道記II」の著者が、この旧越路町内に住んでいらっしゃるのですが、彼の鉄道写真を含めた「初めて見る塚野山写真展」が今月末まで開かれているのです。
 地元民ながら初めて走る道で目的地到着。

 でもその前に、センターに隣接する三波春夫(オフィシャルサイト)の三波春夫顕彰碑(写真)を訪れます。

 三波春夫(1923-2001)は「お客様は神様です」決めぜりふで知られる演歌歌手。センセイらの年代なら知らない人はいない。そして若い方はたぶん、全然ご存じない。
 1964年の「東京五輪音頭」や、1970年の大阪万博のテーマ曲「世界の国からこんにちは」を歌っています。

 その三波春夫(本名は北詰文司)、この地の出身なのです。もちろんそのことは知っていたのですが、2002年に建立された顕彰碑を訪れるのは初めて。
 右手にはヒット曲「チャンチキおけさ」の歌碑が、反対側には沿革碑があります。

 塚山活性化センターに入ろうとしたのですが、ちょっと周囲が騒がしい。そもそも、あちこちに「ほたるまつり」のぼんぼりが設置されています。
 すぐ近くの「塚山南部地域体育センター」(旧塚山中学校体育館)を訪れると、「越路ホタルまつり」と書かれた大きな門。

 その向こうではイベントの準備をしており、道路の反対側には「コシヒカリとほたるの里 越路 渋海ほたるの会」と記された吊り物とゲート。
 帰宅後調べてみると、まさに今日、ここで「第22回越路ホタルまつり」(チラシ)が開かれたようです。

 8時過ぎから、写真奥の小川で飛び交う蛍を鑑賞できるらしい。蛍は汚染にに弱く、澄んだ水がコンスタントに提供される場所でしか生きることができません。
 かつては実家の前を流れる用水路でも無数の蛍が飛び交っていました。しかし水路がコンクリートで覆われると絶滅。

 この目で見てみたい気持ちもあるのですが、オトナはディーラーとの約束を優先せざるを得ません。予定より少々早く到着し、何の問題もなくプログラム書き換え。営業の方が対応してくださったので、こちらもオトナの対応。
 『星の王子さま』の冒頭に出てくる場面そのものです。

 そして今日はたまたま夏至。天文学的には、太陽が黄経(こうけい)90°の位置に来る瞬間。そしてそれを含む日が夏至日。

 10年くらい前、娘が通っていた高校──正確には中等教育学校──で、たまたまこの日に体育祭が開かれました。校長先生が開会の挨拶の中で、「今日は太陽が、地球に一番近づく日」とお話しされたので、センセイは絶句。
 しかし次の瞬間、誰も異論を唱えないことに愕然としたことを思い出しました。

 実際は、遠地点に近いのですが...。



6月21日(金) 明後日は、我が身... ──突然、隣家の解体工事が始まってしまった──

 正確に言うと、田圃を挟んでの隣家なのですが。

 昨日の朝、自転車で出勤すべく身支度を整えていると、工事の音が聞こえてきました。最初はご紹介した新築中の住宅からだと思ったのです。でも良く聴くと、コンクリートを打ち砕く音。新築の家ではない。
 昨晩、隣家に接した道路に工事用の車両が数台、停車していたことを思い出しました。

 その時は違和感を覚えながらも、新築現場のものだろうと思い込もうとしたのです。しかし今から思い返すと、あれも今日の「音」に関係しているはず。立派な隣家の前に来ると、ご覧の通り。
 ガスのメーターと電線は、既に撤去済。

 コンクリートの床は一部が砕かれており、窓と扉の一部が撤去されています。室内は既に空っぽ。間違いありません。解体工事が始まったのです。
 このお宅は、2002年にセンセイが金沢工大に移籍した時から存在していました。

 徐々に判明したのですが、住んでいらっしゃるのは老夫婦。ご主人はセンセイが自動車購入の最有力候補と考えた──ただし、最終的には別な結論に──フォルクスワーゲンの「ボーラ」に乗っていらっしゃいました。
 写真左側のガレージは、十数年前に増築したもの。

 しかし「ボーラ」の出番が徐々に少なったため心配していると、10年くらい前にご主人が逝去。その後、お宅は現在までほぼ現状を保ってきました。
 せめてお盆と正月には、実家で皆が...という感じ。

 しかしここ1、2年、遠方および近県、そして県内在住と思われるお嬢様と思われる方が数人、割と頻繁に出入りするようになりました。長女(?)と思われる方は、何やら片付け。だからとても気になっていたのです。
 どうやらついに、「その日」が来てしまったようです。

 ありそうなパターンは、ここ数年姿を見かけない奥様をお嬢様のお宅で引き受けるか、老人介護施設へ。すでに入所済かもしれません。子供たちは皆がそれぞれの生活を持っているので、お嬢様達の実家は、解体して更地に。
 その通りであってもそうでなくても、関係者のプライバシーやご判断に土足で踏み入るつもりはありません。でもセンセイとしては個人的に、非常に気になる。

 お察しの通り明日とは言わないまでも、明後日(あさって)は我が身の問題なのです。



6月20日(木) 静かに、しかし確実に世代交代は進む ──西村センセイ、約50年前に建設された「寮」の前で考える──

 今日も予定を変更してお伝えします。

 そのきっかけは、出勤する際に出くわしたもの。個人的にはかなりショックだったのですが、それを説明するためには、まず、金沢工大近辺で全般的に起きていることをお伝えする必要があります。
 写真は今日のお昼、お弁当を買うために外出した際に撮影したもの。

 大学のすぐそばにある学生用のアパートで、学生教職員を問わず、金沢工大関係者なら直ちに同定できる建物だと思います。ただし現在、学生は誰も住んでいない模様。
 センセイが金沢工大に移籍した直後はまだ、数人が居住していたと記憶しています。

 中央左側の建物が学生の居住区画。正面玄関の左側が共用トイレで、右が共同浴場。大きな煙突が立っています。左側には非常口...というか出入口。
 棟続きで、右側にオーナーのご自宅。

 様態からおそらく、約50年前に金沢工大がこの地に設立された頃、最初期の「寮」──金沢工大およびその学生は、アパートをこう呼ぶ──と思われます。
 実際、食事が提供される「寮」だったのかもしれません。ただし食堂がどこだったのかはわかりませんが。

 それから約半世紀が経過。学生はこのような共同生活色の強い「寮」ではなく、バストイレ付の個室アパートを好むようになっています。
 しかしそのようなアパートですら、すでに、リニューアルないしは解体が進行中。

 もう一つ、センセイの関心事が。

 解体中のアパートの時にお伝えしましたが、学生ではなく、経営者の変化です。仮に50年前、30前後の若い夫婦が「寮」を建設して経営を始めたとすると、現在は約80歳。食べ盛りの学生への食事提供、そして「寮」の保守管理は難しい。
 他方、ご夫婦の子供は独立、それぞれ家庭とそこでの日常を持っています。

 手間のかからない駐車場の経営は続けているものの15年ほど前、つまり約65歳の時に「寮」の経営を止め、悠々自適の生活に入った...というところでしょうか。世代交代はかように進む、というわけです。
 ちなみに、黄色い車の奥にはカーポートがあり、家主のものと思われる自動車があります。

 最初に「金沢工大近辺で...」とお伝えしましたが実は、少なくとも新潟大学五十嵐キャンパスの近くでも、似たような状況が進行中。

 センセイが現役の大学生だった40年くらい前は、新潟大学近辺でも、このようなアパートが多数存在したのです。ただし食事を提供する「寮」は少数派でしたが。数年前に五十嵐地区を再訪して驚いたことがあります。
 何と、このタイプのアパートが一部、そのまま残っていたのです。

 ただし、住人は大学生ではありません。連れ合いを亡くした、高齢単身者用のアパートとしてです。びっくりしました。(実話)

 どうやらこれは、金沢工大近辺あるいは新潟大学五十嵐地区だけでなく、もっとはるかに広い範囲で、静かにしかし確実に進行しつつあることの一部らしい。



6月19日(水) 今回の地震発生時には、違和感を感じませんでした。現在のところ、関係者にも被害は確認されていません

 今日は急遽、予定を変更してお伝えします。もちろん昨晩、新潟県北部──というより、山形県との県境──で発生した地震についてです。

 実は西村センセイ、今回の地震は今朝まで知りませんでした。昔々都内で初めて、そして昨年6月に大阪で、さらに同年9月には北海道(札幌)で経験した地震発生直前の、えも言われぬ「嫌な感じ」がなかったのです。
 震源地が金沢から遠かったからでしょうか。(当地の揺れは震度1)

 地震発生時、センセイはNHKのテレビニュースを見ていました。「それなら当然テロップが入ったはず...」と思われるかもしれません。「その時間にNHKのニュースはないはず」と考えた方は鋭い。
 センセイが早送りで見ていたのは毎晩自動で録画している、夜のニュース(地震発生直前に放送)なのです。

 今さら慌ててもしょうがありません。夜のうちに電話がなかったということは、少なくとも関係者に目立った被害がないということ。ざっと状況を確かめると、何と、実家のすぐ近くで震度5弱を記録。
 ただしそこは町役場があった場所。かつての河川敷跡で、軟弱な地盤です。

 その上で自宅と実家に電話すると、新潟県北部に住む下の弟宅を含めて、はっきりとした被害は確認されないとのこと。ただし昨晩は防災無線が夜通し鳴り響いて、大変だったそうです。
 ひとまず、やれやれ。

 ただし、関係者に被害がなかったから問題ない、というわけではありません。

 小学校1年生だった新潟地震(1964年)に始まり、新潟県中越地震(2004年)、同中越沖地震(2007年)、そして東日本大震災(2011年)と、画に描いたような被災者を経験したセンセイ。
 画面に映る人々の大変さが、皮膚感覚で「痛い」。

 仕事を終えてスーパーで惣菜を購入して外へ出ると、北西の空の低い場所に、大きな太陽がゆらゆらと浮かんでいました。夏至(22日)直前なのです。夜7時だというのに、周囲にはまだ明るさが残ります。
 現時点でできることは限られていますが改めて、それでも何ができるのか、何を為すべきかを考えます。

 心配してくださった皆様、明日中には状況をお伝えできると思います。



6月18日(火) 素直に喜んでいいんだろうか... ──柏崎市の西の玄関口に、ローソンがオープンしました──

 「コンビニのオープンが話題になるほど、柏崎市は田舎なのか...」と問われると、そうであり、かつ、そうではない。

 後者から言うと、柏崎市はそれなりの広がりと人口を有する地方都市なので、市街地を中心としてコンビニはいくつも存在しています。でも今回オープンしたのは、柏崎市の、西の玄関口のような場所。
 富山、金沢方面から北陸自動車道の米山
(よねやま)I.C.で一般道に降りた場合、最初に接するコンビニとなります。

 しかも今回は、「日本海鮮魚センター」などで知られる「日本海フィッシャーマンズケープ」内のオープン。センセイ個人は利用しませんが、観光客には有名な場所。
 センセイが学会で帰宅しなかった先々週末(7日)に開店しました。

 金沢でその情報に接したのですが、自宅から金沢へ移動すべく、その1週間前に現場を通過した時はまだ、まったく変化はありませんでした。
 だからびっくりしたのです。

 で、土曜日に帰宅する際に意識して立ち寄り、撮影したのが写真。ここは「日本海フィッシャーマンズケープ」の中心部。中央の建物の1階に、確かにローソン。
 ここはかつて、地元の野菜類を販売する「おうみがわ」──現在もサイトに残る──でした。

 ここから西方には、10kmほどコンビニ空白地帯が続きます。だから観光客には便利。長距離ドライバーにとっても...と言いたいところですが、この場所の駐車場は狭い。
 大型車用の駐車場は少し離れた坂の下にあるので、彼ら彼女らには、ちょっと使いにくいと思う。

 写真には入っていませんが、左側には一昨年、センセイらの同級会が開かれたホテルがあります。ただし経営が苦しかったようで、同級会の直前にホテル部門を「九州ホテルリゾート」(福岡市)に譲渡しました。
 どうやら「日本海フィッシャーマンズケープ」本体も、厳しい状況らしい。

 つい先日、地元紙がこの「日本海フィッシャーマンズケープ」と、すぐ近くにある「道の駅」(休止中)の一体で運用する計画について報じました。市の正式決定ではあるものの、肝心の運営会社とはまだ、具体的な条件などを協議していないとのこと。
 このような状況下での、ローソン開店。

 市と運営会社それぞれの思惑、そして今後の見通しなど、いろいろ考えさせられてしまいます。



6月17日(月) 「何の魚のカマかわからないけど...」 ──「サンレパス ルート8」で、おまかせ定食を頂きました──

 一昨日の土曜日、新潟の自宅へ戻る時のこと。

 お伝えしたように、先週末は8時頃に大学を出て1時過ぎに自宅到着の予定。このような場合、ずっと以前は早朝に金沢を発っていました。交通量が少ない時間帯に富山市付近を通過することができるからです。その場合は、柏崎に入ってからお昼。
 でも今回は富山県を通過してから昼食の時間帯に入ります。さて、どうしよう。

 そこでこの機会を利用して、以前から気になっていたお店に入ってみることにしました。時刻は11時過ぎ。お店の構えは...という感じですが、ひとたび店内に入ると、普通の、ちょっと古いタイプの食堂。
 先客は作業服姿のお二人。

 先に会計を済ませるようですが、天玉うどんをオーダー。どうやら勝手知ったる常連客のようです。センセイはというと、「おまかせ定食」(600円)をお願いします。どうやら、これがこのお店の定番らしいのです。
 レジを打っていらっしゃるのは70歳くらいの奥様(?)。他にはご主人と思われる方。

 その奥様から、「○×△□?」と尋ねられたのですが、耳が遠いセンセイは聴き取れません。改めて尋ねると、レジ脇の魚を指差しながら「何の魚かわからないけど、焼いたカマ〔魚の鰓の付け根〕があるけど...」。(実話)
 どうやら、焼き魚と煮魚とどちらかを選ぶか、ということのようです。

 お茶や水はセルフサービス。その脇に、ご夫婦には似つかわしくないフェイスブックの案内が。ここで初めて知ったのですが、お店の名前は「サンレパス ルート8」。お店の外に書かれていた「おふく楼」はお店の名前ではなく、自然食品のブランド名か何かのようです。
 
何度も確かめましたが「サンパレス」ではありません。

 以前に存在した看板から、「サン」+「レパス」であることは確実。でも「レパス」って何?

 もし“lepus”ならラテン語で「野兎」ですが...。お客さんが急に増えてきました。客層は明確で、高齢者を含む地元の家族連れと、仕事中の男性。ドライバーだったり、作業員だったり。彼ら彼女らに愛されていることが良くわかります。
 ただし厨房の老夫婦は適切に動いているものの、残念ながら来客の多さは、お二人の働きぶりを上回ります。

 どうなるんだろうと心配しているとここで、母国フランスを救うジャンヌダルクのように、40歳くらいの女性が颯爽(さっそう)と登場。やりとりから、明らかにお嬢さん。
 もちろん嫁いでいらしゃるんでしょうけど。

 ここでお嬢さんが届けてくださったのが、写真の「おまかせ定食」。左上から概ね時計回りにカツ(ヒレカツ?)、カボチャ、茄子、ピーマンのフライに始まり、煮魚、ポテトサラダ、漬け物、タコと胡瓜、人参、玉葱の酢の物。
 そして、ご飯と味噌汁。

 合掌してから、まずお味噌汁を頂いたのですが、白状すると熱すぎて味が良くわかりませんでした。写真でも湯気がわかるほど。

 酢の物からポテトサラダ、煮魚の順に頂きます。これはもう、掛け値なしで本当に美味しい。素朴な味ですし、何よりご飯を含めて、素材の味の奥深さが図抜けています。
 地元の食材なのか、それとも
「おふく楼」に関係したものなのか。

 最後にフライ類に挑戦したのですが、センセイはやはり、ここでもキャベツから。これがまた美味しくて、それだけで主食になりそうなほど。今度こそフライを箸で挟んだのですが、まず、皆がカラッとしています。
 かなりの高温で揚げているのです。だからちょっと、硬め。

 「美味しい」以外の表現はないのかとのお叱りを受けそうですが、美味しくて思考が停止してしまうのです。それでも敢えて智慧を絞ると、これに「なべやの洗練さが加わったら、これはもう、完璧。
 そしてもう一つ(+α)。

 写真はかなり上方から撮影しているため、ちょっと上手く伝わっていない──ゴメンなさい──かもしれませんが、全体としてはもの凄いボリュームです。都市部だったら倍の値段で十分通用します。センセイはその晩、ほとんど何も食べられませんでした。
 最後は、まったく個人的な理由。

 「サンレパス ルート8」の売り物は素材の良さに加えて、揚げ物のようです。センセイに続いて入ったドライバーお二人は「唐揚げ定食」を頼んだのですが、とんでもない大きさの唐揚げ。それを本当に美味しそうに食べていらっしゃいました。
 でもセンセイのような高齢者にとって、これだけの量の油物はキツイ。

 素材の良さは図抜けているし、料理も素朴な味でとても美味しい。でも悲しいかな、油物が多いという点で、センセイには難しいかなぁーという感じです。トホホ。



6月16日(日) 電光掲示板の文字の色が... ──上越新幹線での運用が始まったE7系に初めて乗車しました──

 本当に久しぶりの鉄道ネタ。

 センセイは今日、学会の仕事(役員会)で、都内へ日帰り出張しました。センセイのことですからもちろん、新幹線指定席を予約しています。昨日、金沢から戻る際、途中の柿崎駅旧駅舎)で手に入れました。
 なぜ最寄りの柏崎駅を利用しなかったかというと、昨日は「えんま市」の真っ最中。相当混雑していたはずなのです。

 今回は、鉄道ファン的な楽しみが一つ。

 春のダイヤ改正で上越新幹線での運用が始まったE7系に初めて乗車することにしています。E7系は北陸新幹線で用いられている車両。JR東日本はこれを上越新幹線にも投入し、E2系および二階建てのE4系に置き換えることにしているのです。
 問題は昨日からの、この季節としては珍しい悪天候。

 新幹線は風雨や降雪に強いものの、在来線はそうはいかない。特に、信越本線および旧北陸本線は海岸沿いを走っており、北風に弱い。遅延ないしは運休が見込まれます。というわけで今朝は、1時間ほど早起き。
 それでも幸いなことに、気象庁の雨雲レーダーを見ると雨雲の中に晴れ間が見えます。

 とにかく北風が強いし、寒い。真冬の天気です。最低限の身支度を整えて駅まで急ぎます。強風に加えて降雨があると傘を差すことができないのです。
 弱い雨に濡れながらも、無事に柏崎駅到着。

 目の前を、快速列車が10分弱遅れで発車していきます。やはり列車は、強風のため徐行運転中です。予定していた列車だと、新幹線に乗り継ぎできなかったかも。
 2本早い各駅停車で乗換の長岡駅に着きました。

 せっかく指定席を予約しているので、1時間ほど待って本来の列車に乗車するつもりだったので。でも...変。予約内容と駅の電光掲示板の情報と齟齬(そご)があります。
 予約していた新幹線はなぜか10両編成。つまりE2系。

 E7系上越新幹線は、将来的に北陸新幹線と一体運用されるので12両編成。そして一つ早い列車はまさに、12両。西村センセイ、どうやら予約を誤ったらしい。
 再びのポカです。

 気を取り直して次善策を練ります。幸いなことに、まさにそのE7系にまだ間に合います。乗車変更(指定席の変更)の時間はないので、自由席。ただしせっかくだから、モーターのない1号車へ。
 この辺が、鉄分の濃さ。

 程なく到着したのが写真のF21編成。旅慣れた写真の高齢ご夫婦はたぶん、初めての車両に「ほぉ...」と軽く驚いていらっしゃるようです。ただし、車内はガラガラ。「北陸新幹線の、いつもの席」に座ります。
 センセイにとっては乗り慣れたE7系。

 でも窓の外に目を転じると、見慣れた新潟県の風景なので、身体が捻れるような猛烈な違和感を覚えます。ただし高崎からは両線が合流するため、捻れは解消されるのですが。いくつか気づいたことが。
 それは、色。

 写真でも辛うじて認識できますが、上越新幹線E7系の一部車両には期間限定で、列車側面のゴールドと青の帯の下に、ピンク(朱鷺色)の線が引かれ、朱鷺をイメージしたシンボルマークが描かれています。
 そして、客室内両端にある電光掲示板に表示される文字の色が、な、何と、ピンク!!

 「電光」といってもLEDを用いているので、色の変更が可能なんでしょう。ちなみに北陸新幹線は白色です。

 無事に長い会議を終えたセンセイは、置き換え対象のE4系で帰宅しました。今日の関東は30℃を越える暑さだったのですが、三国峠には厚い雲がかかり、その向こう、新潟県内は大荒れの天気が続いたまま。
 柏崎駅からは徒歩での帰宅を覚悟していたのです。

 荒れていたら、滅多に利用しないタクシーに乗るつもりだったのですが、今晩、タクシーは出払っているはず。「えんま市」最終日なので。ところが駅前ではタクシーがお客を待っています。運転手に尋ねると何と、今日の「えんま市」は荒天で中止になったとのこと。
 センセイが知る限り、中止は初めて。

 夕方に驟雨(しゅうう)があったようですが、それよりも問題は強い風。参加者の安全を考えると、確かに屋台の類は風に弱い。

 若いお父さん、お母さんは、苦労したんだろうなぁ。この日を心待ちにしていた子供をなだめるために、


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