2025年8月30日更新(2025年9月7日ページ移動)
■8月30日(土) 「平和」という名の喫茶店 ──実家のエアコン設置の件は何と、振り出しに...
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先週末の新潟市再訪、最終回。
センセイは昨日──お伝えしていません──に引き続き、自動車で実家へ。昨日は母親の送りと、2人の1週間分の食料確保が目的。今日は新潟市で暮らす姪2人が、少し遅い墓参のためにそれぞれの子供を連れて実家を訪れるというのです。
他方、センセイは昨日、父親から頼まれた事が。そこで今日はかなり早めに自宅を発ち、後述する用を片付けてから実家へ。気温はすでに30℃を越えていましたが、作業服に着替えて長靴を履きます。父親に頼まれた仕事の一つが実家外周のどぶ掃除。
たくさんのスラッジや落ち葉、雑草が溜まっていました。でも、まぁ、これは単純労働。
ただし次は、ちょっとヤバイかもしれない。実家裏、家紋の入った土蔵のメンテナンスを頼まれたのです。土蔵の屋根の外側(1枚目の写真に写っていない右側)は、地面からの2本の支柱で補助的に支えられています。(たぶん積雪に耐えるため)
その1本の基部の位置を調整してほしいというのです。オイオイ...。現場を訪れると、父親の言わんとすることは理解できました。危険は伴いますが、屋根が直ちに落下してくるような状況でもありません。かなり力がいる作業ですが、その辺に転がっていたものを使って、何とか調整。
やれやれ。お察しの通り、今日はもう一つお仕事を。実家を訪れる前に地域の電器店を訪れ、7月に依頼した実家のエアコン設置他の件を尋ねたのです。その時は、「忙しくて7月は無理」。それはよく理解できます。
こちらも7月いっぱいは講義があり、対応が難しい。そこで「8月に入ったら、こちら(=お店)から(センセイに)ご連絡します...」ということだったのです。それそのものに異論はないのですが、気がつけば9月はもう目の前。そこでお店を再訪すると、前回対応してくださったご主人の表情は、「す、すみません...」。
予想通り、完全に失念して入らしたようです。ここでプッツンしても良い結果にはなりません。「もちろん、そちらもお忙しかったでしょうから...」。急遽、息子さん(?)が呼び寄せられました。調整の結果、来週前半に現地で状況を調査、確認することに。
まぁ、田舎はこんなもの。それでもお互いに何とか支え、支えられて回っています。
で、先週土曜日。教育学部旧校舎を後にしたセンセイは砂丘の坂を下ります。左側(=北東)には新潟市立寄居(よりい)中学校。最初の交差点には日本赤十字血液センターが。でも今はコイン式の駐車場。
向かいの「ナガイ画材」店は奇跡的にそのまま。教育学部が44年前に五十嵐地区へ移転して以降、どうやって顧客を得ているんだろう...。
そこから先の風景は一変。古本店も、日本共産党系の書店も、アルバイトで同僚だった方のご実家「藤田屋食堂」、そして東中通との交差点にあった「イタリアン」のお店「みかづき」もすべてなくなっています。
ちなみに、長岡市や当地など中越地区で「イタリアン」を販売しているのは「フレンド」。(ご参考)「みかづき」の向かいにある和菓子店「百花園」は老舗。しっかりと営業していらっしゃいました。されどその北隣、センセイがピアノを習った大きな楽器店は閉店。
「新津屋小路」を東進します。駄菓子店やフランスパンのお店は消え、お世話になった中華料理店「東華楼」本店兼本部跡はマンションに。そこから先は選択肢が限定されるため、ほぼ前回の経路。
駅近くのホテルにチェックイン後、カメラだけを持って駅南へ。この地区が大きく再開発されたことは知っていたのです。でも、ごく一部を通過することはあっても日中、ちゃんと歩くのは初めて。
知らないビルの間を抜けて辿りついた──身体は覚えていた──のが写真中央、南欧風の建物。
駅南の「けやき通り」(写真奥)からほんの少しだけ北側に入った場所にある「喫茶 カフェ・ドゥ・ラ・ペ」です。フランス語表記は“Cafe de la Paix”。(“Cafe”の“e”にはアクサンが付く)
“paix”(通常は最初も小文字)はラテン語の“pax”で、英語の“peace”に相当。だから直訳すれば「喫茶『平和』」。1993年か1994年の1月末、幹部を含めた前任校の職員数人とともに、近くでの業務──その内容は秘密──終了後、訪れたのが最初。
その日は雪がかなり降っており大学へ戻るため、車に積もった雪と駐車場を除雪したことを覚えています。「カフェ・ドゥ・ラ・ペ」、静かな店内では時間がゆったりと流れています。DENON──当時の呼び方は「デンオン」──製CDプレーヤーDCD-1650が控えめに流す音楽が思考を邪魔することはありません。
マスターは渋く落ち着いており、何より彼が入れるコーヒーは本当に美味しい。すっかり虜(とりこ)になった西村センセイ、それから2000年頃まで節目節目でこのお店を訪れています。ある意味、それにきちんと応えてくださるだけのお店だったのです。
されど2002年の金沢工大移籍後は、一度も訪れていないはず。ずっと気になっていたのですが、そもそも移籍後は新潟駅付近に降り立つ機会が激減。駅に降りたとしても乗り換えだったり飲み会のためだったり。結果的に、「カフェ・ドゥ・ラ・ペ」には不義理を重ねてしまいました。
詫びを入れるべく(?)お店を訪れると達筆で、「本日、臨時休業いたします」。張り紙の様子からしてどうやら、「臨時」ではないらしい。あれから四半世紀が経過しています。
昨日お伝えした新潟大学教養部および教育学部での学恩同様、「カフェ・ドゥ・ラ・ペ」を訪れていた頃のセンセイは、いろいろな方に本当にお世話になりました。今のセンセイは、それらの方々によって形づくられたようなもの。
されど現在、直接コンタクトできるのはごく一部の方に限られます。何てったって教養部の師匠のように、鬼籍(きせき)に入られてしまうともう、連絡の取りようがない。個人的には、これまでに賜(たまわ)ったご恩は、(直接学生にお目にかかる機会がない放送大学を含めて)講義その他の場面で、学習者に「チャンス」あるいは「きっかけ」を用意したつもり。
でも本当のところ、その効果がどれほどだったのか、実はよくわかりません。学恩すら、「これは自分の実力で獲得したものだ」と見誤りがち。
冗談抜きで自身を反省するとともに「カフェ・ドゥ・ラ・ペ」を含めて、ご縁があった方々および組織に改めて、心から感謝申し上げます。
■8月29日(金) 「違和感」の正体 ──実際に恵まれた何物にも代え難いご縁と、幻の「ご縁」──
か、軽い...。
もちろんこれだけでは何のことかわかりません。センセイは今朝、直江津行の電車に乗車。1週間前、整備のためにお預けした愛車を引き取るためです。整備費は「20万円くらい」とのことだったのですが、実際には約12万円。
半分ちょっとが技術料(=人件費)。今までの経験からして、ディーラーに頼むとほぼ倍の金額を請求されると思う。しかもどうやら、技術力はこちらのお店の方が上。代金を支払い、お礼を述べて店を後にします。エンジンを掛け、左右を十分確認してから目の前の国道8号線へ出ます。
この時まで特別な感覚はなかったのです。でもゆっくりと加速──センセイは絶対に急加速しない──した瞬間、「か、軽い」。特に後部が軽く、後ろからグッと押されるような感じ(実話)。これほどまでに違うとは思わなかった。自宅からお店までちょうど30km。
途中は市街地かアップダウンで、状況の変化が大きい。そのため、現時点では比較対照できるほどのデータは得られていないのですが、こんなに違うのなら燃費は改善しているんじゃないだろうか...。今回の後輪ベアリングの交換の件、直接のきっかけは異音。
でも実は、燃費が少しずつ低下──ざっと、5〜7%──しており、以前から気になっていたのです。差が目立つのはタイヤを交換した時。走りと燃費がかなり変化します。でもどうやら、タイヤだけではないような...。考えられる可能性としては経年劣化。というよりセンセイの場合、問題になるのは走行距離の影響。
BMW 320i M Sport(F30、MT)の走行距離は現在、約202,000km。当然、部品は経年劣化します。顕著なのがゴムを使用した部品。そこで足回り(こちらおよびこちら)およびエンジンマウントを交換していただきました。でも金属を主体とした部品も劣化しているはず。
こちらについてもエンジンマウントとともに、クラッチ板を更新しています。地球を5週以上する距離ですから、ベアリングの劣化は当然。燃費の改善──費用よりも、走行時の感覚に直結──についてはもう少しデータを集める必要がありますが、乗り心地がこんなに違うのなら今回、前輪も一緒に交換すべきだったかなぁ...。
すみません。予想を越えた違いに驚いたため、前フリが異常に長くなってしまいました。急いで昨日の続きを。新潟大学歯学部および医学部のゾーンを抜けるとT字路に。そこから先は教育学部のテリトリーだったのです。角地には付属小中学校があり、センセイの指導教授は当時、その校長先生。
校門を抜けると、教育学部の裏側(1枚目の写真)へ。
...ただし今や、その面影はまったくなし。付属小中学校はセンセイの卒業後、かなり早い段階で近くの理学部および六花(りっか:雪の結晶のこと)寮(男子学生寮)があったへ移転。
学校の跡地は現在、医学部関係者の駐車場に。(写真の駐車場とは別)新潟大学の場合、医歯学部と他学部の格差は歴然としているので、ま、仕方ない。テニスコートを抜けた場所で撮影したのが右の写真。北方向を見ています。
右側が新潟大学教育学部の旧校舎。写真には入っていませんが、体育館もあります。車が止まっている場所(正確にはもう少し奥)には校舎と並行して木造2階建ての建物が。ほとんど入ったことはありませんが、センセイがが4年生の時から女子学生が使用するように。
同年、看護師資格を持つ人材を対象に、養護教諭育成を目的した養護教諭特別別科が設置されたためです。写真のさらに左側(この写真には写っていない)には広いグラウンドが。ただしここは前述した当時の付属小中学校の管轄で、大学生が入ってはいけない領域。
唯一の記憶は、附属小学校1年を相手にした初めての教育実習で、ここを駆け回ったことだけ。(激しく疲れた)
奥に見える立方体状の構造物は、通称「日本海タワー」。正式名称は市水道局南山配水場。ポンプではなく、高さを利用して各戸に水を配水する施設です。
お気づきかと思いますが、最上部には展望施設が。しかも実は回転式。20分ちょっとで一周しながら、信濃川と関屋分水、そして日本海に囲まれた通称「新潟島」およびその周囲を見渡すことができました。
残念ながら老朽化により2014年にタワーの営業は終了。ここを通り抜けた右側で撮影したのが右の写真。新潟大学教育学部旧校舎、現在は医学部保険学科および大学院として使用されています。
もちろんたくさんの想い出がリアルに。ただしセンセイの場合、それと同時に記憶の薄さも認めざるを得ないことを白状せざるを得ません。歳を取ったから忘れた...ではないのです。(ただし多少はあるはず)
昨日お伝えしたように、センセイの興味関心がどこかで切れている部分が。五十嵐地区の教養部へ通った時は大学生活を満喫していたのです。
本当にいろいろなことに関心を持ち、しかも何人かの先生方が強く反応してくださりました。お一人は理学部の教授で、他学部学生──それも1年生!! ──であるにもかかわらず、「順検」という地質調査に同伴させていただきました。
数年後、大学食堂(「第一食堂」)で偶然再会すると、「君は研究者になると思っていた...」とのこと。ありがたや。ただし分野は異なるものの、センセイはその後、教養部および教育学部時代の学びを生かした大学教員になりました。先生の学恩に直接お応えすることはできなかったものの、ご寛恕(かんじょ)のほどを。
もうお一人は教養部所属の心理学教授。教授とは1977年の入学から先生のご逝去間際まで長く、そして深くお付き合いさせていただきました。
もちろん教育学部の先生方や職員の方々、そして何より同級生にはお世話に。されど同時に、旭町校舎で強く意識させられたのが師範学校以来続く専門職養成学校の伝統。リベラルアーツの対極です。
なお教育学部を批判しているのではなく、そんなことすら気づかなかった過去のセンセイを言っているので、決して誤解なきよう。どこかで醒め切っていたらしくセンセイは卒業を目の前にして、無謀にも「共通一次試験」(現在の「大学入学共通テスト」)を受験します。(続く)
■8月28日(木) 残っていたのは、ほぼ「丸屋」だけ... ──約40年ぶりに新潟市学校町を訪れました──
ただし後述するように、まったく訪れていなかったわけではありません。
お伝えしたようにセンセイは先週末、新潟駅付近で開かれた2回目の学部のプチ同級会に参加しました。この機会に前回同様、越後線で2駅手前の白山駅で下車して、学部学生時代にご縁になった場所を再訪することに。
出発地と目的地は同一ですから、大きく見ると前回とほぼ同様のルート。お借りしていた2軒のアパート(最初のものはそのままでは存在していない)は確認済。そこで今回は長い学生時代、一種の「庭」だった新潟市学校町を改めて探索することに。一部繰り返しを含みますが現役での国立大学入試に失敗したセンセイ、その年(1976年度)は浪人。(当時は一浪が普通だった)
新潟市西部(小針)にあった寮から新潟市中心部にあった予備校(後述)に通っていました。翌1977年度は新潟大学教育学部に無事合格し、学校町南隣の白山浦の安アパートから大学へ通学。ただし実際にはちょっとややこしく、1年生の教養部──今や、この言葉を知らない人が多いはず──時代は市西部の五十嵐キャンパスへ。
2年生から4年生までは本来の旭町校舎へ通学しています。されどその頃から、教育学部は戦前の師範学校の流れを汲む一種の専門職養成学校であることを痛感させられます(気がつかない方が悪い)。限界を感じたセンセイ、4年生で「共通一次試験」および個別試験を受験、合格して、同大学人文学部に再入学。
その後は3年生の半ばまで、白山浦(途中でアパートを替わっている)から五十嵐キャンパスまで通学していました。(その後は五十嵐地区へ転居)つまり7年半──予備校時代を入れると8年半──もの間、学校町および白山浦、そして後述する旭町付近をウロウロ。学校町は新潟大学医学部および歯学部とそれに関連する短大等、そして教育学部や私立短期大学に近い。
そのため当時の学校町は学生や、働き始めた人たちの「若者の街」。同時に、今からは想像できないほど皆が貧しかった(ただし医・歯学部学生の多くは別)。たとえばセンセイの場合、最初に借りたアパートは4畳半。「神田川」の世界です。トイレは共同で、風呂はなし。家賃は月9,000円(+水道、光熱費)。
毎月の支払いは近くに住む大家さんに手渡し。(実話)信じてもらえないかもしれませんが、当時はこれがごく普通だったのです。
アパートを借りているなんて恵まれた方で、同級生の多くは一般家庭に間借りしていました(実話)。センセイを含めて、お風呂のない人は銭湯へ行くしかありません。毎日は無理なので、入浴は2日に1日程度。
入浴料は270円くらいだったと思います。大きなお風呂はとても快適でした。公衆浴場は以前ご紹介した「有馬湯」(2枚目の写真)か、学校町のお店(残念ながら名前を思い出せず、調べてもわからなかった)。風呂上がりの学校町には若者が繰り出しています。
もちろん彼ら彼女らを迎え入れる各種のお店がずらっと並んでいます。センセイの場合、毎月の仕送りは5万円。家賃その他を支払い、書籍代2万円くらいを捻出した残りが実質的な生活費。夕食は完全に自炊していました。当然、「遊ぶ」なんて余裕はありません。
それでも学校町独特の「若者の街」の雰囲気を満喫していました。
「そこへ行けば何かある」という感じでしょうか。6年のブランクを挟んでセンセイは東京から新潟へ戻ります。冒頭で述べたように、当地区をまったく訪れていなかったわけではありません。
1991年の前任校着任後は、新潟市西部(小針地区)に一軒家を借りて居住。学校町は文教地区。新潟中央高校があり、その西隣および南側には別な高校2校があります。就職後のセンセイは出張講義や高校訪問、あるいは高校を会場とした研究会で時々、学校町および付近の変化を見ています。
でもちゃんと訪れるのは、約40年ぶり。白山駅到着後、新潟商業高校──道路を含めて付近の様子は一変していた──脇を通り抜け、いよいよ学校町へ...が、いきなり「ここは、どこ?」。
覚悟はしていたけれど、知らない街。お世話になった銭湯、(2回目の)願書出願のため訪れた病院、有名な「野沢書店」、そして一足先に就職した元同級生が奢(おご)ってくれたおでんのお店も、すべて消え去っていました。
ほぼ唯一残っていたのが、1枚目の「丸屋 そば屋」。学生時代はほとんど入っていませんが、この近辺ではとても良く知られたお店(紹介記事例1/2/3/4および紹介動画例1/2)。個人的には5、6年前、新潟中央高校で開かれた研究会の際に再訪しています。
その時はご夫婦で切り盛り。
でも今回得られた情報によると、現在は奥様だけでやっていらっしゃるようです。せっかくの営業中だったのですが、今回は時間の関係でパス。
少し歩くと、おぉ、最初のアパートでお世話になった不動産屋さんが。ただしこちらも実質的には営業を終えているようです。学校町の道路カーブについては記憶通りなのですが、残っていたのは両店くらい。しかもその先は、国道旧116号線を大幅に付け替えています。
気を取り直して歯学部、医学部脇の坂を上ります。ここは予備校時代から5年間通った道なので、身体が覚えています。ただし風景は一変。歯学部・医学部の建物は完全に建て替えられ、当時の雰囲気はまったく残されていません。
変わらないのは道路東側の「新津記念館」(長期休館中)くらい。坂を上り切った場所で撮影したのが右の写真。もちろんこれだけでは何のことかわかりません。左側の建物は医・歯学病院受診者用の薬局。
右側にあるのは医学書を中心とした総合出版社「西村書店」新潟本社。西村書店はずっとここにあります。以前は古町にもビルを構えていたのですが、現在は撤退したようです。なぜこの写真をご紹介したかというと、薬局およびその右側の場所にセンセイが通った予備校があったから。
予備校は、少し東にある東中通に面して大きなビルを構えていたのですが、センセイの国立受験クラスはなぜかここの木造2階建て校舎。お昼になると皆で坂を下り、県庁(現新潟市役所)内の食堂でお昼を頂くことが。オーダーミスがあると、誰かがその恩恵に与(あずか)ることも。予備校メンバーなので、その後は誰とも連絡を取れていません。
先を急ぎます。センセイが4年間学んだ教育学部(旧校舎)は、目と鼻の先です。(続く)
■8月27日(水) まるで、最後の断末魔 ──破産したゲームセンター「想い出広場 レトロ」に動きが──
当地を含む北陸地方は、昨夕から非常に不安定な天気に。
報道でご存じかもしれませんが、たとえば金沢市の24時間降水量は96.5mm(!!)。1時間あたりのデータでも最高56.0mm。「バケツの水をひっくり返したような...」をはるかに超え、身の危険を感じる降り方だったはず。
当然、あちこちで出水し、鉄道なども運転見合わせ。新潟県も、新発田(しばた)市赤谷で93.5mm(/24h)を記録するなど、県北部の下越地方で猛烈な雨が降りました。今回の雨は寒冷前線の通過に伴うもの。したがって通過時刻、つまり雨が降り始める時刻はかなり正確に予測されていました。
ただしそれと、「どこにどれだけ雨が降るか」という予測はまったく別。寒冷前線の特徴はその不安定さ。暖かい空気の上に冷たい空気がのしかかるため大気が不安定になり、比較的短時間で大量の雨を降らせます。降雨幅は70kmが目安。前線の下では上昇気流と下降気流が入り乱れています。
上昇/下降気流だけだと空気が消失するする空間が発生するため、周囲からそこを目がけて空気が回り込むのです。気象庁や天気予報会社(例)などはスーパーコンピュータを使って、その様子をある程度数値計算し、図示化することが可能。これがテレビの天気予報などで目にするものです。でもセンセイを含めて一般人には無理。
今日は金沢工大の成績確認(「異議申立」)最終日で、朝はそちらへの対応に従事。
一方、雨はというと、当地をお昼過ぎにメインの寒冷前線──実際には数波の不連続面──がことはわかっていたのです。でも詳細については雨雲レーダーを見るしかないという状況。
それによると当地は、10時過ぎから正午過ぎまでは曇りか、降っても小降りになりそう。そこで折り畳み傘を持って外出しました。予想通り曇り空で、時々雨がパラつく程度。でも途中から何だか怪しい風の気配に。寒冷前線本体が接近しているのです。
雨はたいしたことないのですが吹き付ける風が強弱を繰り返すので、折り畳み傘が壊れそうになります。急いで帰宅しようかと思ったのですが、このところの酷暑でセンセイは運動不足気味。頑張ってもう少し遠くまで歩いてみることにしました。
...あ"。インターネットカフェ「自遊空間」を再オープンさせたものの、昨年閉店に追い込まれて結局、運営会社そのものが今夏破産したゲームセンター「想い出広場 レトロ」に動きが。
以前と異なり、破産後は建物から人の気配が一切消失していたのです。でも今日は、入口前に黒いバンが止まっています。良く見ると、入口も少し開いていました。ただし店内の照明は消えていたので、内部の様子はまったく不明。脇に回ったところで写真のトラックに気づきました。
UFOキャッチャーマシン2台を荷台に載せています。作業服ではなく平服。それはまぁ許すとしても、質量のある機材を素手で運んでいます。実は閉店後(ただし破産前)、このような備品搬出場面に出くわしたことがある──写真は撮影していない──のです。
でもその時は制服姿の複数人が、安全と手順を確認しながら作業していました。その後、破産に伴う法的手続がどうなっているのかは知りません。でもどうやら、権利関係の整理は最終段階に入っているらしい。
当地は夕方に一雨。明るさが残っているのに、まるで雨を待っていたかのように庭で虫が鳴き始めました。虫の音に気づいた一昨日とは大違いで、今晩は窓を閉めていてもしっかり聞こえてきます。
高気密高断熱設計、樹脂製二重窓であるにもかかわらず。自然も人間の世界もかように、「季節」が確実に進んでいます。(一昨日と同じオチで申し訳ありません)
■8月26日(火) 生成AIの急速な発達でそう遠くない将来、迷惑メールの見分けができなくなるかも...
朝、センセイは書斎に入ると机に向かい、まず血圧測定。
ちなみに今朝は「平均」(「収縮期血圧」の3回移動平均の最低)120mmHg。十分正常値の範囲内ですが、このところやや高め。暑さで十分休息できていないためでしょう。新聞2紙に目を通してから、3台のMac(2台のWndows 10と旧Mac OS)の電源を投入します。
システム起動後は、各マシンをWindowsネットワークで接続。その上で、メールを確認すべく“Becky! Internet Mail”と“Outlook”を立ち上げます。最初に使用するのは前者。大学院生に教えていただいた“Becky!”。ダウンロード前のメールボックスを覗いた状態で、届いたメールの情報(タイトルや差出人等)を確認できるという優れもの。
お察しの通り、最近激増しているスパムメールをこの段階でサーバー上から削除するためです。
皆さんもそうでしょうが、もともと迷惑メールは多かったのです。ただし現在のセンセイは年金生活者。
もはや届くメールのほとんどがスパムという状態。発信人はこれまでカード会社や通販会社、運送会社などを名乗っていましたが、最近のメインは証券会社。
特に、証券口座乗っ取り補償対応後は激増。センセイは株取引をまったくしていません。「カード会社」を騙(かた)る警告も使っていない会社ばかり。だからこの段階で片っ端から削除。起床時に届いているのは20通くらい。
それらを消去しても、午前中に10〜15通くらい届きます。興味深いのがメールアドレス「@」以降のドメインの情報。発信元の組織や、国名などを示しています。午前中は“.cn”つまり中国からの発信が多い。
日本との時差を考えると、ある意味、朝起きてから真面目にスパムメールを発信しているんだろうと思います。
その削除は簡単なのですが、たとえば“.com”などは一目で削除...とはいきません。しかも最近増えているのは実在の組織のドメインを名乗っている場合。
たとえば1枚目は“sbisec.co.jp”つまりSBI証券。実在するドメインを騙っています(SBI証券も警告)。どうやって偽装しているのかわかりませんが、こうなるともうドメインだけでは正規かスパムか見分けがつかなくなります。
前述したようにセンセイは株取引をしていないので、即削除ですが。SBI証券以外にも実在する企業等のドメインを使用するスパムメールが増えています。たとえば2、3枚目は「ヤマト運輸」から届いたメール。
2枚目が偽装しているもので、3枚目が正規メール。いずれも“kuronekoyamato.co.jp”を名乗っており、これだけでは正規かどうか判断できません(ヤマト運輸も警告)。両者の違いは主に2点。
スパム(2枚目)は日本語がおかしく、正規メールはちゃんと宛名が記されています。日本で激増するこの種のスパムメールの背後に存在するのが、生成AIの発達。ずっと前からスパムは存在しましたが、横文字のものは注意──仕事上の本物メールもあるので──しつつも、片っ端から削除。
日本語風のものもありましたが、ご存じのように日本語がおかしく、見るからにアヤシイ。でも最近は生成AIのおかげで、見極めがなかなか難しくなっています。2枚目のケースは不出来な方。
この調子だと、そう遠くない将来、ドメインや文面だけではスパムかどうか見極めがつかなくなるんじゃないだろうか。
ま、センセイの場合、その頃にはメールを使わなくなっているんじゃないかと思いますが。
■8月25日(月) 気持ちはわかるけど... ──古ぼけた「事務所 移店しまた」の張り紙と新聞広告──
タイトル通りのお話。
お伝えしたいのは1枚目の写真について。でも状況を説明するために、まず2枚目の写真から。写真中央を走るのは、柏崎市市街地をほぼ東西に横断する国道8号線。現在、西南西方向を見ており、左奥に地域のシンボル「米(よね)山」(992m)が見えます。
100mほど先には日吉町交差点。
そこで旧市街中心部と市の南東地区を結ぶ国道252号線と交差しています。拙宅から800m位しか離れていないので当然、センセイの徒歩での行動範囲内。
ただし自動車で走ることはあっても経路の関係で、ここを歩くことは少ない。特に道路右側の歩道は滅多に歩きません。少し前に車を運転していた時、中央やや右寄りの建物に張り紙があることに気づきました。「事務所 移転しました」。
そう言えば思い当たる節が。ここは電器店。地元固定客を中心に、工事を含めて家電製品を販売するようなタイプの小売店です。実家もそうですが、田舎では十分ニーズがあります。
たぶんお店は住宅を兼ねており、敷地内には回収した廃冷蔵庫やエアコンなど。(良くある光景)それはそれでわかるのですが、かなり前から何だかお店の様子が少し変だったのです。回収した家電製品はそのままですが、どうも営業している雰囲気がない。
ずっと気になっていました。
先日ここを歩いていた際に思い出し、どこへ移転したのだろうと初めて張り紙(1枚目)を近くで読んでみました。最初に感じたのは、紙がかなり古ぼけていること。
一瞬の間を置いて、「事務所 移店しまた」。「移転しました」じゃなかったんですね。車内から一瞥(いちべつ)した時は、意味を勝手に繋げて読んでいたわけです。良く見ると、「所」の上には何やらイラストが。
これはたぶん、建設会社と共同で出稿した地域紙の移転広告。もちろん移転先も明記されて...え"っ?!思い当たる節がなかったので、もしかすると遠い場所に...と考えていたのですが、現実はセンセイの予想の斜め上。「移転」先は、道路を挟んだ左側の四角い建物。
そう言えばここに何かがあったのは確かですが、強い印象はない。帰宅後調べてみたところ、左の建物は当該電器店の倉庫か何かとして使用されていたもの。何らかの理由で倉庫を大幅に改築して新事務所に転用したようです。
なるほど。他方、旧店舗は自宅を兼ねているのですぐに解体というわけにはいきません。でも倉庫がなくなったので、いつまでもこのままで...というわけにもいかないはず。でもそれは第三者の与(あずか)り知らぬところ。
新店舗を構えるほどですから、経営は比較的順調と考えられます。ご同慶(どうけい)の至り。
このページを打っていて、拙宅庭で鳴く虫の音(ね)に今季初めて気づきました。当地の最高気温は32.5℃、今もまだ気温は高いまま。
でも自然と人間の「季節」は、確実に進んでいます。
■8月24日(日) さて、肝心のお味はいかに... ──極早稲品種「葉月みのり」の新米を購入しました──
正確に言えば、実際に買い求めたのはセンセイではありませんが。
先週お伝えしたプチ同級会が昨晩、新潟市内で開かれました。4月に引き続いての開催となりますが、前回参加者が6名だったのに対して今回は11名と、いわば拡大版。前回のセンセイは「飲ませ上手」だったんだそうです。
個人的にはそんなつもりはなかったのですが。
で、今回。最初はマイペースだったのですが、途中から前回の「意趣(いしゅ)返し(?)」というわけで、あちこちから慣れない日本酒を次から次へと注がれてしまいました。
センセイのことですから、頂いたものはちゃんと...。お察しの通り、近年稀に見る深酒。散会後ちゃんとホテルに戻ったのですが、その途中、まっすぐ歩くことができないことに驚きました。気がついたら日付は替わっており、外出時の格好のままでベッドの上。
センセイにしては希有(けう)な事態です。もちろん着替えて寝直しました。二日酔いになるようなことはなかったのですが、予定していた今日の移動案の早い方には間に合いませんでした。さすがに今回は、かなり反省。
トホホ。写真は昨日、自宅を発つ前に撮影したもの。昨日から販売が開始(報道例)された当地域産の極早稲品種「葉月みのり」です。(拡大写真(別ウィンドウ、555×720))
「新米」と書かれているだけでなく、パッケージの右下に「(令和)7年産米」と記されています。これはJAが集荷したもので、価格は3,780円(+税)。一昨日、別なスーパーで見かけたものとデザインが異なります。あちらはやはり、別ルートで集荷、販売しているということになります。
で、「葉月みのり」、どうやら相当売れたらしい。田舎の人間にとってこの感覚は、たぶん関東での「土用の丑(うし)の日」や金沢での「蟹解禁」──いずれもセンセイはピンと来ない──と同じようなものなのでしょう。「苦労して育てた...」あるいは「待ちに待った...」という感じ。
気になるのは今年の小雨と高温の影響。前者については、当地は用水路が整備されているため、影響は比較的軽微と期待されます。ただし後者つまり高温の影響については何とも言えません。「葉月みのり」は高温障害を受けやすいコシヒカリ系なのです。
お伝えしたように、初日の「葉月みのり」品質評価検査は全量2等。当然、このお米もそうでしょう。赤く「新米」と書かれた部分の脇に、僅かですが中のお米が見えています。特に変わった印象は受けませんが、白濁米が少し目立つかな...という感じ。肝心要の味については、まだ口にしていないので何とも言えません。
当然、在庫がなくなってから「葉月みのり」の新米を頂くことになるはず。本件、続きがあるかどうかはわかりません。悪しからず。