2024年6月8更新(2024年6月16日ページ移動)
■6月8日(土) 本当は、順番が逆(トホホ) ──西村センセイ、庭の一部を虎刈りにする──
予定を変更して、庭で育てている枝豆のお話をもう1日だけ。
写真は、昨日とほぼ同じ位置から北側を撮影したもの(昨日は北東方向)。手前の2/3くらいに4列、その奥に2列、枝豆の種を蒔きました。“L”の字の左右をひっくり返したような変な格好ですが、蒔いてみたら種が余ったためです。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
お伝えしたように手前の4列部分は陽当たりも良く、比較的順調に生長中。問題はその奥。そもそも相対的に陽当たりと風通しが悪く、さらに土質も少し違うので、どうしても湿りがちです。状況をさらに悪化させているのが雑草。
土質も関係しているのか、奥の土地は割と栄養に恵まれているようで、ドクダミやスギナ、また名を知らない雑草類──センセイは植物に詳しくない──で覆われています。5月上旬に一度、ざっと草取りをしたのですが、最近は再び勢力を増してきています。
ナメクジ出現を聞いてすぐ頭に浮かんだのは、奥の湿度の高さ。カタツムリやナメクジは陸生の巻貝(「陸貝」、後者は殻が退化)。「塩をかけると...」でわかる通り、乾燥には弱い。
まぁ、そこに毎日水遣りをしていたのですから、決して偉そうなことは言えないのですが。湿度には、雑草の存在も大きく関係しているはず。もともと「そろそろこの場所も草取りを...」と考えていたのですが、他の用を優先して後回しになっていました。
この状態で、枝豆を播種してしまったというわけです。これはもう、枝豆の周囲の雑草を刈り取るしかない...と意気込んだまでは良いのですが、この週末は公私合わせて四つの仕事が。しかもその大半の日程が未確定で、あれをつつけばこれが...という具合。
調整が難しく、草取りの時間を取れそうにありません。そのため昨日、雑草取りをしていない段階でナメクジ忌避剤を散布したという次第。でもお察しの通り、本来は順番が逆なのです。基本的な環境整備つまり草取りをしてから種を蒔き、忌避剤を使うべき。
でも、ま、今回はしかたない。その後、一部の用件に目処が立ったので今日の午前中、気温が急上昇する中を2時間かけて、新たに蒔いた枝豆の部分を中心に草取りをしました。写真上部中央付近、奥に伸びている少し茶色っぽい部分です。
その両脇は手つかずなので、まるで虎刈りにしたかのよう。手前の、枝豆が順調に育っている部分も雑草だらけですが、こちらはあまり枝豆には脅威となっていないようなので、後回し。
「かわいいなぁ」作戦、(一部)仕切直しです。
■6月7日(金) 「かわいいなぁ」とせっせと水を遣っても、ナメクジの食害と○○には勝てなかった
...というより、どうやらせっせと水遣りをしたことが徒(あだ)になったらしい。
もちろん約3週間前に蒔いた枝豆のその後についてです。お伝えしたように播種から1週間後、最初の芽(「子葉」)が出始めました。続いて「初生葉(しょせいよう)」も。
写真はいずれも、昨日撮影したもの。1枚目つまり右の写真は庭の南西隅付近から、概ね北東方向を見ています。去年もそうだったのですが、発芽はこの付近のから始まりました。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
奥に見えるのは拙宅の基礎。ここは陽当たりが良く、たぶん地表の温度も高い。しかも砂地なので、いつも割と乾いています。湿った場所を好むドクダミは少ない。
今年も、この辺の発芽は割と順調だったのです。たまたまですが拙宅付近はほぼ東西南北に沿い、碁盤の目状に道路が走っています。当然、拙宅を含めて家屋は敷地や道路に合わせるように建てられています。
つまり写真左上が北。拙宅の場合、ここには何もないので当初は母親が実家からバスで通ってきて、小さな畑として耕作していました。去年から、少しずつ位置を変えて枝豆を栽培。
数年前、西側に平屋の隣家が建設されました。つまり奥(=写真左上)に行くにつれ、陽当たりが悪くなります。また手前が砂地なのに対して、奥は土質が少し異なり、ちょっと泥っぽくなります。
その分、水はけも悪く、ドクダミの勢力圏。去年は手前から奥に向かって順々に芽を出していったのです。その差は最大で1週間くらい。当然、今年もそうだろうと予想していたら...芽を出さない。建物のある場所付近から先、ホントに芽が出ないのです。
最初は鳥に食べられた──大好物とのこと──のかなぁ...と思ったのですが、どうも違うらしい。家人によると「ナメクジが葉っぱを食べていた」とのこと。なお、センセイ自身は目撃していません。改めて現場を良く確認すると、え"っ?!
まず、発芽していない場所の大半で、発芽した形跡を確認することができませんでした。これはまったくの想定外。ただし1カ所だけ発芽し、現在も一部残存している場所が。
それが写真。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))1カ所に3個蒔いた大豆から、いずれも無事に発芽したようなのですが、葉を食べられながらも何とかちゃんと生き延びているのは1本だけ。
右側は生長部分が完全になくなっています。真ん中の1本は微妙で、かなり食べられたものの、良く見ると小さな脇芽(?)を出して、必死に生き延びようと奮闘しているような...。
もはや新たな発芽の見込みはないので昨日、改めて種を少量買ってきて蒔き直しました。同時に、湿っている場所にはナメクジの忌避(きひ)剤(≠農薬)を散布。まぁ、忌避剤の効果がどの程度あるのか、かなり怪しいのですが...。
種を蒔き直した場所と、陽当たりが良く水分が少ない場所の両方に十分水遣りをしてから、改めて情報を収集すると...え"っ?!何と枝豆(=大豆)の場合、播種後は発芽まで水遣りをしてはいけないらしい。
乾燥を防ぐため、必要に応じて霧吹きをする程度とのこと。そうしないと何と、種(=豆)が腐ってしまうそうな。つまり、そもそも「水分不足が問題」というセンセイの反省それこそが、少なくとも発芽前については不適切。
知らなかった...。去年の発芽率が85%程度(蒔いた場所単位)だったのに対して、今年は40〜45%程度と激減。両者の差の原因はというと、一つには確かにナメクジの食害。でも、この危機的な状況をもたらした最大の理由は、センセイの勝手な思い込み。
トホホ...。言い訳が許されるなら、問題点を指摘して正す教育と長所を褒めて伸ばす教育の両方が必要だ、ということなのかも。(反省)
■6月6日(木) 「かわいいなぁ」と声をかけてあげると... ──金沢工大のりんごが色づき始めました──
金沢工業大学の「ニュートンのりんご」の、その後を。
来年はもう見られないかもしれない──今年も7月末まで──ので、大学院の講義で出勤した時はできるだけりんごの木の様子を見るようにしています。まぁ、先週火曜日は大雨だったため、ちゃんと見ていませんが。
写真は昨日、路線バスで出勤した際に撮影したもの。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))ご覧のように、まず丸々と生長してきて、いかにもりんごの実らしくなってきました。また上を向いていた実が、かなり垂れ下がっています。
重力の問題だけではないと思う。ただし望遠レンズで撮った写真から受ける印象とは違って、実物は本当に小粒。前回は「中サイズの梅干し」とお伝えしましたが、今はちょうど梅──今年は不作──のサイズ。
そして、お気づきのように一部の実が赤く色づき始めています。部分的に赤くなっているのは少数派で、たぶん陽当たりの良い場所になった実なんだろうと思います 基本的に実は、収穫期直前までこの少し黄色みを帯びた緑色のまま。
その後、上部から始まって、実全体が赤くなってきます。ただしすべての実が、順調に生長するわけではありません。今回、りんごの木から落ちて地面に転がっている実を2個確認しました。
ただし特段の異変は見られないので、落下する/しないの違いはわかりません。なお、商品としてのりんごを栽培する場合は、過剰な果実を間引き──「摘果」──して、栄養を残されたりんごに集中させるそうです。ただし「ニュートンのりんご」は食用に育てているわけではありません。
間引くかどうかは所有者である大学あるいは金沢工大学園が判断すること。そちらはお任せするとして、金沢工大のりんごの木は「かわいいなぁ」と声をかけたら、照れてほっぺが急に赤くなったような感じ。
でも同じように、愛情を込めて頭をなでなでしながら声をかけても...。(続く)
■6月5日(水) ま、いっかー... ──真っ赤な“TAIYO YUDEN SOLFILLE”バスにばったり──
大学院の講義を終えて、無事に自宅へ戻りました。
でも白状すると今回は、飛び込んできた私用で一昨日から今日までバタバタ。予定は大幅に狂い、今日も睡眠不足。ビールの勢い──ただし規定量──を借りて日付が替わってから眠ったのですが、5時前にはしっかり目が覚めてしまいました。
さすがは(元)サラリーマン。...トホホ。
体力を付けるべく、しっかりと朝食を頂いてから、バスでご出勤。残念ながら睡眠不足の影響が出てしまいましたが、それでも大きなミスをすることなく、無事に講義終了。すぐに片付けて撤収します。
往路同様、帰路も(交通安全と)燃費計に注意を払いながら運転。ただし往路と違い、帰路はすぐに200m前後の山を上り下りします。燃費はどんどん低下して、石川─富山県境付近では何と10.6km/L(!!)を記録。平野部を普通に走行している時の半分しかありません。
平野部(南砺市:旧福光町)に出ても16km/L台。それもそのはず、福光の標高は意外に高く、中心部でも80m〜90mくらいあるのです。トラブルもなく砺波市、富山市などを抜け、新潟との県境へ。
この時点で18.5km/L。新潟県内はそれほどアップダウンがありませんし、信号機も少ない。燃費計の数値も少しずつ伸びていきます。でも移動後半最大のポイントが。上越市内(旧直江津市)の国道8号線です。
何しろ上越の拠点。当然、交通量が多い。最も注意しなければならない国道18号線との交差点で、信号停止。ここは自宅からちょうど40kmの地点。つまり全行程の7/8...など考えていたら、右(=南側)の国道18号線から真っ赤なバスが。(ドライブレコーダーの記録。縦方向に長い)
当然、観光バス...え"っ?!その鮮やかな赤色に続いて目に入ったのは車体側面の“SOLFILLE”という文字。読めるような、読めないような...。続いて、同じく車体側面のライオンのようなキャラクター。
本当に観光バスだろうか。次に気づいたのは、車体上部にゴチック体で明瞭に書かれた“TAIYO YUDEN”の文字。お気づきの方も多いはず。「油田」ではありません。電子部品メーカーの太陽誘電社です。個人的には、光学ディスクでお世話に。
ただし同社は2015年にこの分野から撤退して...あ"っ、そういうことだったのね。もちろんこれだけでは何のことかわかりません。まずこのバスは、太陽誘電社が管理するバス。考えにくいのですが、宣伝用か何か...と思っていたら信号が変わり、こちらがバスに追いつくような格好に。
車体側面、“SOLFILLE”の上には“TAIYO YUDEN WOMEN'S SOFTBALL TEAM”。つまり女子ソフトボールチームの移動用バスに出くわしたのです。今回は試合の間の移動途中だったのでしょう。
肝心の“SOLFILLE”、これはもう楽勝。フランス語の“soleil”(「ソレイユ」:太陽。ラテン語の“sol”:「太陽」に由来)と、女子を表す“fille”(「フィーユ」)の造語。前半は「太陽」誘電なので。ちなみにキャラクターは「ソルフィーちゃん」。(「チーム紹介」最下部)
可愛いライオンではなく、猫らしい。つまりチームの名称は、会社名を反映した「太陽娘」くらいの意味。
それはそれで理解できるのですが、実は問題が。“fille”は単数形なので、直訳すると「一人の女子」。つまりチームにならない。本来ならば“filles”──発音は変わらない──とすべきなのです。たぶん、関係者はそれを承知の上。
イメージしづらくなるからでしょう。だから、ま、いっかー。
ちなみに最終的な燃費は、往路とほぼ同じ19.6km/L。こちらも、ま、こんなものかな。
■6月4日(火) 金沢工大脇、「メガネスーパー」だった建物が、「個別指導塾スタンダード」になっていた
今日は予定を変更して、タイトルのお話を。
明日の講義に備えて、自動車で金沢へ移動しました。大雨で大変だった先週とは対照的に、おおむね順調に走行。省エネ運転に努めたのですが、最終的な燃費は19.5km/L。現在の経路を使う限り、これ以上の大幅な改善は難しいようです。
今日は途中でいくつか寄り道を。そのため、いつもより30分ほど遅れて大学到着。必要な配布物は印刷済みなので、出席確認のシートのみをプリントアウトして準備は終了。
帰り際、事務局に立ち寄って、昨日の遠隔ミーティングのお礼を伝えます。健康のため、今日も金沢工大から金沢市中心部のホテルまで歩くことに。最も合理的な経路に沿って移動を開始したのですが、通用門(写真右外)を出たところで気づいたことが。
ちょっと遠回りして、現場を訪れます、おぉ...。写真中央、大きな赤い看板の建物はかつて「メガネスーパー」だったのです。ご覧のように現在もその跡が残っています。ちなみに左隣は金沢工大の建物。
その中に入っているのが、地域FM局「えふえむ・エヌ・ワン」です。この状態でしばらく続いていたのですが2020年、真向い(右側)に「眼鏡市場」が移転してきました。ガチンコ勝負になったわけですが、たぶん両店とも残るだろうと予想したのです。
でもセンセイの読みは甘かった。「メガネスーパー」が2022年に閉店してしまったのです。競争に負けたというより、マーケット規模の問題なのだろうと思います。
建物は、少なくともセンセイが退職するまで空っぽのまま。それがご覧のように「個別指導塾スタンダード 野々市教室」に。念のためGoogleマップを確かめたところ、昨年9月には塾として用いられていました。
知らなかった...。もちろん知らなかったのはいわば、センセイだけなのでしょうが。
■6月3日(月) 何を基準にすべきか、わからなくなってくる... ──能登で再び地震が発生しました──
このところすぐに夜が明けるので、センセイは睡眠不足気味。
日の出時刻がとても早くなっており、特に来週半ばは1年の中で最も早く夜が明ける時季。地球の公転軌道は楕円なので夏至(今年は21日)ではなく、その約1週間前に日の出がもっとも早くなるのです。
今日も5時前に目が覚めてしまいました。まだ起床の時間ではない──朝食の準備ができていない──のでウダウダしていたところ、階下から電子的な警報音が。最初は火災報知器かなと思ったのです。その約1秒後に、2階書斎に置いていたiPhone SE(2nd)から緊急地震速報が。
「大地震です」と聞こえたような気がしますが、こちらは階下のテレビからかも。例によってセンセイはかなり冷静。周囲に倒れてきそうな危険なものはなかったのでそのまま待機していると、今回は少し間──たぶん2秒くらい──があってから、初期微動(P波)続いて横揺れ(S波)。
それが30秒ほど続きました。震度はたぶん3。揺れが収まってから書斎の様子を見ると、本棚に立てておいた本の一部が倒れている程度で、物が落ちるようなことはありませんでした。1階に降りて状況を確認すると、当地の震度は4。
ただしこれは市内3カ所に設置された地震計の中の1カ所──実家近く──が記録したデータ。拙宅近辺の震度はやはり3でした。防災無線から市長が直々に警戒を呼びかけたり、交通に関する情報提供などが。それによると、付近のJR線は運転を見合わせているとのこと。
当地で大きな被害は予想されなかった──現地がどうなってもいい、という意味ではありません──ので、朝はお仕事。今日はちょっと特別で、アメリカ留学中の大学院生とテレビ会議システムで面談することになっているのです。こちらは8時半ですが、現地は昨晩の7時半。
事務局に手伝っていただきながらミーティング開始。とても有益な場を持てたことには感謝しますが...寝不足の上に朝の地震で、センセイはちょっと知的には限界。仕事が全然進みません。というわけで徒歩で、外出。
今朝の地震に関して、確かめたいことがあったのです。他の用を済ませてから柏崎駅へ向かいます。柏崎─直江津間で運転を見合わせていたので、列車ダイヤはぐちゃぐちゃ。何と、目の前を無人の回送列車(!!)が通過。
柏崎駅の発着番線に余裕がないためと思われます。実際、跨線橋の上から確認すると、待避線を含めてふだんの運用と違っています。しかも駅に近づくと、信越本線上り線ホーム(3番線)から6両編成のトキ鉄ET127系(旧JR東日本E127系)電車が。
実はこの列車、本来は柏崎駅発6:58の上り始発。何と、約5時間遅れでの発車ですが、客扱い──乗客を乗せること──をしていたかどうかを確認することはできませんでした。続いて上り特急列車が入線してきたのですが、いつまでたっても停車したまま、発車しない。
それもそのはず、前を先ほどのトキ鉄ET127系が走っているので。1番線には先発の特急の発車を待つ、(たぶん今日最初の)各駅停車が待機中。その影響で、同じ番線を使う越後線の列車は待避線から動けない...という具合。柏崎駅には止まっていませんでしたが、これに長距離貨物列車が関係してきます。
関係者の皆様、今日は本当にご苦労様でした。というわけで異常に長い前振りが続いた後で、短く本題を。駅前に戻って撮影したのが写真。2棟のホテル──右端にもう1棟見える──と、その左手前に駅前のビルが見えます。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
ちなみに、左端に少し見えている黒いビルは、製菓メーカー「ブルボン」本社。何度かお伝えしたしたように、右側の白っぽいホテルは能登半島地震で大きな被害(こちらやこちら)を受けて2月末で廃業。そりゃそうでしょう...というのがセンセイの実感。この写真はカメラの水準器──精度は高くない──だけを頼りに撮影しています。
他に何を基準にすべきか、わからなかったので。申し訳ないのですが今朝の地震で、ビルは傾きを増したように感じられます。
(個人的には相当耐性を有すると考えられる)センセイですら地震のすさまじい破壊力を思い知らされる、眼前の事実です。
■6月2日(日) この業界すら大幅縮小... ──市内に唯一残った、地元資本のパチンコ・ゲーム店が閉店──
写真は昨日撮影したもの。
お伝えしたように昨日は、農作業と山仕事で汗をかき、実家までの上り坂と帰路の向かい風に格闘しながら、ヘロヘロになって正午前に帰宅。母親からもらった野菜を降ろすと、お昼その他の用を済ますべく、徒歩で外へ。
ただし足がガタガタなので、ゆっくりとした歩みでしたが。長い距離を歩けそうになかったので、最低限の用だけに絞って帰宅することにしました。ただしここで、ちょっとだけ最近訪れていないルートを歩くことに。
....あれっ?少・中学校の同級会で入ったことがある割烹を過ぎると、視界が急に開けます。パチンコ・ゲーム店「想い出広場 レトロ」(ホームページ/X)裏の広い駐車場に出ます。(写真左外)
いつもよりそれが、広い...。もちろん駐車場が伸び縮みしたわけではありません。駐車場に1台しか車がないのです。正確に言うと、その隅には10台くらいの三菱製の自動車がきちんと止められています。
でもこれは、近くにある三菱自動車の販売店が借りている──たぶん──従業員のもの。もともと最近はお客さんが減っていたのですが、さすがにちょっと変。次に考えた可能性は休業日。でも昨日は、書き入れ時の土曜日...。
良く見ると、ドアに張り紙が見えます。近づくと、おぉ、先月20日で閉店したとのこと。ここはもともと地元資本のパチンコ店。市内に2店舗を展開していたのですが、もう一つのお店は5年くらい前に閉店して、経営資源をこちらに集中。
それでも経営は厳しかったようで、お伝えしたように3年前、新業態に。今回初めて知ったのですが、「想い出広場 レトロ」はわざわざ全国からお客さんが駆けつける──実話──ほど、かなり流行ったのだそうです。さらに2年前には、店内に「自遊空間」をオープンさせました。
ただしそのような努力も空しく、利用客は減少傾向。それでも閉店するとは思っていませんでした。
センセイが高校生の頃は市内、それも旧市街地に地元資本のパチンコ店が多数存在していました。それが国道沿いの郊外に展開すると同時に淘汰。気がつくと今や、市内のパチンコ店は全国資本が1店と、県内広域に展開するお店2店だけ。
地元資本のお店が消滅したことになります。ご存じのように西村センセイ、個人的にはこの種のお店にご縁がありません。
それはともかく、改めて地域人口の減少と地域経済の停滞あるいは縮小という現実を突きつけられた日だったのでした。