2023年8月26日更新(2023年9月3日ページ移動)
■8月26日(土) 何だか、それ以外にもありそうな... ──待望の雨が降りました。0.5mmでしたが──
今日は予定を変更してお伝えします。
当地の、昨日時点での本日午後の降水確率は50%と、最近にしては珍しく高い。これまでも県内は、午後の降雨確率が高い状態が続いていたのです。確かに午後になると、西や南の空にかなり活発な積乱雲が発生。
でも昨日同様、実際には50kmくらい遠くの県境付近。雨雲レーダーと重ねてみても、雨が降っているのは県境付近ばかり。1回だけ南西方向から雨雲が迫ってきたことがあったのですが、米(よね)山(993m)に遮られるような格好で、結果的に当地の降雨は皆無。
されど情報を総合すると、今日は降雨が期待されます。そこで所用は午前中に済ませて、正午過ぎに帰宅。ぼんやりとしてたら午後2時半頃、遠くで雷の音が。慌てて雨雲レーダー画面を開くと、県境付近で発生した積乱雲が発達しながら、北西方向へ移動中。
“Windy”の情報通りです。待望の雨が間もなく...と期待したのですが、雨雲は発達こそしているものの、なかなか当地には至りません。当地上空に存在するのはごく薄い雲ばかり。
15kmくらい離れた場所で相当降っていることが肉眼で確認できるにもかかわらず。3時過ぎ、やっと当地でも雨粒がポツポツと当たり始めました。ただし瓦屋根に降ったものは僅かな時間で蒸発し、熱せられた道路に降ったものは直ちに跡形もなく消失という有様。
アメダスの記録を確認すると、この時点での当地の降雨は0mm。半ば諦めて仕事をしていると再び雷鳴が。確かめると、南側から別な雨雲が迫っているのですが、やはり米山に遮られて、その北東側の当地ではまとまった雨にはなりません。
それでも、ある程度の雨雲が当地域全体にかかり、待っていた雨がしらしらと降り始めました。この状態が30分ほど継続。やがて西の空が明るくなったと思ったら、東側の空に見事な虹がかかりました。虹(「主虹」)に加えて、その外側に「副虹」がかなり綺麗にかかっています。
つまりこの上空にはまだ雨粒が漂っているということ。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
主虹は太陽光線が雨粒に出入りする際に屈折する──ここで屈折率の違いによって色が発生する──とともに、雨粒の中で1回反射。副虹はもう1回反射(計2回)反射するため、色の順番が逆転...あれっ?!
写真をよぉーく見ると、主虹のすぐ内側および副虹の外側にも何か、色ムラのようなものが...。調べてみたところ、これが「過剰虹」あるいは「干渉虹」と呼ばれる現象なのかも。初めて知りました。アメダスの記録によると夕方の降雨量はわずか0.5mm。もちろん農家その他にとって満足できる降り方ではありません。
されども降雨後、当地の気温は6℃少し低下。
■8月25日(金) これでも降るか降らないか、という程度 ──今季初めて「かなとこ雲」を見ました──
今日はいつもより1時間早く起床。
というか、明け方には目が覚めてしまったというのが実情。決して寝不足ではないのですが、ちょっと集中力が不足気味。朝食を済ませて身支度を整えると、車で実家へ。高齢の父親を病院へ送り届けるためです。
帰路はモロに、通勤通学の時間帯。いくら田舎とはいえ、車が連続します。病院近くの道路状況を確認しようと珍しくカーナビを操作していたら、前の車が急に左折してガソリンスタンドへ。ヒヤッとしました。時間的な余裕は十分にあり、焦ってはいなかったのです。
それでもやはり、注意不足は否めない。父親を病院に送り届けてからしばらく休憩。その甲斐あってか、実家へ送る際にはまったく何の問題もありませんでした。父親を降ろしてから、草取りをしていた向かいの家に住む従姉妹と少し立ち話。
お互い、口から出るのは「あっちぇーねぇ(暑いね)」だけ。今日の当地は最高気温34.2℃。かろうじて猛暑日は免れたのですが、逃げ場のない暑さが続いていることに変わりありません。それ以上に問題なのが極端な小雨。7月21日の梅雨明け以降の当地における累積降水量は、わずか1mm。(実話)
要するに、カラカラ天気が1ヶ月以上続いているのです。お伝えしたように、この影響で県内の農作物には深刻な影響が。最近の報道(一例)によると、中越地方の山間部で育てている鯉にも影響が出ているそうです。
当地は下流の平野部なので、それでもまだ恵まれている方。帰宅してから徒歩で外出したのですが、用水路や田圃にはかろうじて水が。田のひび割れは確認できませんでした。晩酌用の刺身を確保してスーパーを出たところで、あ"っ。
北北西の方向に「かなとこ(金床)雲」(こちらの2枚目やこちら)が。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))正確に言うと、ほぼ真西方向に積乱雲があり、成層圏に達した北側の部分が、かなとこ雲になりかけています。積乱雲そのものはそれほど高くないような印象を受けます。
されど対流圏界面は数kmの高さにあり、安定しています。つまり、積乱雲の頂上が低く見えるということはそれだけ遠くに存在するということ。比熱を考えると、雲は富山湾上ではなく、約130kmくらい先の能登半島の上の可能性が高い。
そして、これくらいの規模だと、地上で雨が降るかどうかという程度。(明らかに降っている時はわかる)帰宅してから確認してみると、ちょっと外れていた点も。雨雲レーダーによると積乱雲の中心部は予想通り、能登半島上空。ただしその先端部、珠洲市付近でした。もう少し南側だろうと予想していたのに。
問題は雨量。レーダー画面上では濃い赤色で表示された部分もあったのですが、少なくともアメダスの記録で降雨は確認されていません。観測ポイントが限られている点を考慮する必要はありますが、やはり(ほとんど)降らなかったらしい。
これを当たりと解釈するかどうかはお任せします。明日が晴れに変わるなど、当地の天気予報はこのところ次々と「良い」方へ。差し当たりのポイントは、明後日の午後に雨が降るかどうか。しかし降ったとしても、待望の本格的な雨にはならないはず。
当地では、この厳しい状況が最低でも1週間くらい続きそうです。
■8月24日(木) 最後の採点と成績報告が負担だった? ──日中の収縮期血圧の記録を更新しました──
今日は予定を変更してお伝えします。ちょっとびっくりしたので。
約2週間前にお伝えしたばかりのセンセイの血圧変化に関して、お盆および最近、かなり特徴のある動きが見られました。まずは1枚目の写真から。今日の午後に測定した「最高」血圧(「収縮期血圧」)の個別記録の一コマです。
今日は午前中、拙宅の保険(建物共済)に関する来客が。1時間ほどで用件を終え、センセイは身支度を整えて炎天下の外へ。ちなみに当地の最高気温は35.4℃。何度目かの猛暑日となりました。
出歩く人はごく僅か。2時間ほどで帰宅し、流れ出る汗を拭きながら血圧を測定。「今日はバタバタしていたから高いかも...」と考えていたら、不意に測定が終わりました。
上腕型と異なり、手首型の血圧計は血圧が低いほど測定時間が短くなります。110mmHgくらいかなと思ったら、99mmHg。その後も2ケタ台の数値が続き、時々100mmHgあるいはそれを僅かに超える数値が出る程度。低いなぁ...と思っていたらえ"っ?!
ご覧のように、89mmHg。センセイの場合、血圧は朝の方が低く(ただし最近は逆転傾向)、そちらだと87mmHgが個別最低記録のはず。それにはかないませんが、日中の記録としては最低記録更新です。
「平均」(「収縮期血圧」の3回移動平均の最低)は95mmHg。実は、前回の翌日に「平均」94mmHgを記録しており、今日はそれに次ぐ記録となります。もちろん「悪い」あるいは都合の良くないデータも、お約束通りに公開。
右図は年初から今日までの血圧の変化。縦軸、横軸ともにこれまでのグラフと異なっている点に注意が必要です。また血圧変化の全体像については別グラフ(別ウィンドウ、1222×876)の方がわかりやすいと思います。
前回お伝えしたのは7月末から8月上旬にかけての変化。右図右端付近の凹部分です。ご覧のようにその直後、血圧特に収縮期血圧は急上昇。これはお盆に実家で開いたイベント(準備から後片づけまで)によるものと考えられます。
特に本番前夜は、長距離運転などにもかかわらず休息できなかったため、夕方に140mmHgを記録しています。されどお盆終了後、血圧は低下傾向に。特にここ数日は非常に低い値が続いています。また朝より日中の方が低い傾向が。
そもそも、ですが、全体としては退職した4月以降、明らかに「最高」「最低」ともに低下傾向です。以前お伝えした同級生医師の「退職すると、すぐに下がる人もいるよ」そのものと考えられます。
最近の短期間の変化についても同様。7月末から8月初旬は、金沢工大での大学院講義を終えた時期。そしてここ数日はその採点と成績報告を完了したタイミングと重なります。もちろん塩分(Na+)摂取の抑制と、適度な運動が大前提。
その上で、 ですが、少なくともセンセイの場合は、ストレスを抱え込まないようにすることがポイント、ということのようです。いわば当たり前の結論。
そして、わかっていても、それを実践することができない現役世代の皆さんには本当に申し訳ない結論なのですが...。
■8月23日(水) auの女性店員もお手上げ。iPhone SEにはもはや、初期化しか残されていないのか?
半年間担当した大学院講義の成績提出期限は、今日の正午。
講義は先月末に終了。その後も受講生とのやり取りなど、多少の残務はありましたが、それでもすぐに成績評価作業を進めることができたはず。でも締め切りが迫らないと仕事をしないセンセイ、やる気はあってもなかなか仕事に着手できず。
出鱈目に暑かったし、今シーズンは私用が重なり...といっても、通用しませんねぇ。それでもやはり、(元)サラリーマン。述べ227名の各種提出物を採点し、昨日までに成績を登録。やれやれ。
成績評価とタイトルと無関係のようですが、両者は関係してきます。写真は、春に撮影したセンセイのiPhone SE(第2世代)の画面。センセイにとって当面の課題は、マイナンバーカードをめぐる不具合の解消。
具体的には、センセイのカードへの各種情報登録に関する問題です。マイナンバーカードそのものは昨年度のうちに金沢で取得しています。転居に伴い、住所も変更済。
ただしご存じのように、健康保険証その他と紐づける必要があります。またそれに伴って付与されるはずのポイントは、良く考えてみれば原資は国民の血税。
つまり「与えられる」のではなく「取り返す」だけという、この国の衰退ぶりを思い知らされるトホホな事態。愚痴を言っても始まらないので、iPhone SE(2nd)でアプリケーションをダウンロードし、手続きを進めようとしたのですが...何度やってもうまく行かない。
途中で止まってしまいます。良く考えてみるとセンセイのiPhone SE(2nd)、最初の頃はともかく、例えば自宅書斎の無線LANに接続しなくなったとか、auのサイトで同様に手続きが止まるなどの不具合を連発。
そこで5月、予約した上でauのお店を訪れました。今回、最低限の目標はiPhone SE(2nd)のパスワードリセット。決してauのお店でマイナンバーカードに関する作業をしたわけではありません。
誤解なきよう。商品を購入するわけでもないのに、若い女性定員は丁寧に対応してくださります。その点には心より感謝。しかし残念ながら、まず間違いなく彼女は技術面には詳しくありません。
最初は彼女の指示に従ってセンセイが作業。やがて求めに応じて彼女にスマートフォンを委ね、彼女自身が操作するようになりました。時計の針はどんどん進みますが、それでも彼女は嫌な顔一つさせません。少なくとも表情には出さなかった。
偉いなぁ、ホントに。1時間ほどしたところでついに、彼女はデータセンター(?)に電話し、センセイのiPhone SE(2nd)のパスワードを遠隔で強制的にリセットしてもらいました。そんなことできるんだぁ...というのがセンセイの感想。その日はそこで打ち止めに。
お礼を言って帰宅します。問題はどこにあるのでしょう?
不具合の原因はおそらく、iPhone SE(2nd)のOS損傷。購入当初から、あるいはその後のアップデート──こちらの可能性が高い──の際に、OSのデータが損傷したと推測されます。唯一の対処方法は、OSのクリーンインストール。
簡単かつ確実なのは完全な初期化。ただしこの方法だと、記録されているすべてのデータが消去されます。有用なデータを残しながらのOS更新は可能なのだろうか。
そしてもう一つ。これが成績報告と関係してきます。
セキュリティ確保の関係で、センセイが金沢工大のシステムにアクセスする際、iPhone SE(2nd)の機能を利用する必要があるのです。いろいろ不具合が発生しているとはいえ、現在は何とかシステムにアクセス可能。
下手なタイミングでOSを更新すると予期せぬ不具合が発生し、システムにアクセスできなくなる可能性があります。お察しの通り、今回の成績報告で一つの山場を越えました。実際にはもう少し残務が続くのですが、それも今月中には完了。データを保存しつつ、何とかしてiPhone SE(2nd)のOSを無傷なものに更新し、手続きを進める必要があります。
マイナポイントの申込み期限も9月末だし。というわけで、遅くとも来月初旬からOSの更新に取りかかる予定。もしかすると原因に関するセンセイの推測が違っているかもしれませんが、その場合を含めて、経過については正直にご報告させていただくつもりです。
オマケを、もう一つだけ。センセイの場合──当たりか外れかは別にして──ある程度見通しを立てて事柄を進めているつもりです。しかし社会全体を考えれば、必要な知識を持ちあわせていない人が大半。決して見下しているわけではありません。
それが、現実の社会。今回、auのお店で、彼女とiPhone SE(2nd)側の不具合を確認した上で、「これだと新しいiPhoneを買わないといけないですかねぇ?」と語りかけると、彼女は控えめにニコッ!!(実話)。人間らしさを感じた瞬間です。
価格の目安を尋ねると、安くても10万円くらいとのこと。(再び、ニコッ!!)今回はやや特殊なケースでしょうが、高齢者など社会的弱者のスマートフォン対応などを考えると、この国の劣化がもたらしたこの種のトラブルは、すでに数え切れないほど発生し、そしてこれからも延々と続くはず。
「デジタル敗戦」あるいは「デジタル後進国」は、センセイらにとっては周知の事実。何しろ、為政者が今ごろになって「初めて知った」と口にするほどですから。
■8月22日(火) 地図出版社「昭文社」から、廃線区間を載せた『全国鉄道地図帳』が刊行されました
ある意味、昨日の続き。
愚女(=娘のこと)を含めて、若い方に「地図」あるいは「マップ」と尋ねたら、スマートフォンあるいはパソコン上のマップソフトが想起されるんじゃないかと思います。でも、センセイらの世代が小学校で最初に学んだ地図は1:25,000の、大きな紙のもの。
もう少し広い地域を調べる場合は、1:50,000という具合。ちなみに、書斎には自宅および実家付近の上記地図が4枚あります。地図を目的別に冊子化したのが地図帳。現在も中学校には「地理」科目があるので、やはり地図帳を使っているんだろうと思うけど...どうなんだろう。
オトナになってからも移転先の地図や、自動車用地図帳を時々購入していました。いくつかある地図専門出版社──デジタル化が進む現在なら「地図システム会社」とすべきか──はいくつかありますが、外すことができないのが「昭文社」。
『マップル』の愛称の地図帳が有名で、センセイも2冊持っています。その「昭文社」が何と、2020年に鉄道の地図帳を出版。正式には『レールウェイ マップル 全国鉄道地図帳』。たちまち鉄道ファンの間で話題になりました。
当然、センセイも初版を購入。((c)昭文社)たとえば重要な鉄道関連施設や見どころが吹き出し風(2枚目参照)に解説されているとか、撮り鉄用に撮影ポイントが記されているなど、地図専門店ならではの特徴がいくつか。
見逃せないのが、戦後に廃線となった区間を掲載していること。鉄道ファンとしては、これはもう買うしかない。で、届いた『全国鉄道地図帳』を手にした最初の印象は「厚い、重い」。428ページもあります。もちろん見た目より内容の方が重要。
こちらも、さすがに全国を網羅しているだけあって圧巻...あれっ?!良く読む──辞書と地図帳は「読む」もの。参考・解説書は「引く」もの──と、少なくとも廃線区間に関しては少々残念な部分も見受けられます。その一例が2枚目の写真。
通称「新潟島」と呼ばれる、新潟市中心部です。注目していただきたいのは、左下から右端付近の「新潟」まで、太い黒線で続く越後線。これがが関屋駅を出た後、白山駅へ向けて不自然にカーブしています。(太い紺色は上越新幹線)
このカーブには理由が。越後線は、旧白山駅─比角(ひすみ)駅(現東柏崎駅)間で開業した旧「越後鉄道」の路線を母体にしています。問題は旧白山駅の位置。旧越後線は、関屋駅から直進。
路線跡は現在、道路として使用されています。旧白山駅は、地図中の「はくさん」の「は」の字付近にありました。現在は鏡淵小学校の敷地となっています。新潟駅が発展するにつれて、これでは不便に。
そのため1951年に路線を一部つけ替えて、すでに新潟方向から延びていた貨物線を利用して新潟駅と接続。(白山駅も移転)関屋駅付近の不自然なカーブは、既に存在していた新潟交通電車線(細い黒線)を高架で越えていたためです。鉄道敷設は在来路線を優先し、後からの路線は高架あるいは地下でそれを越えるのが原則。
この地域の詳細についてはこちらが参考になります。何故拘るかというと、センセイは学部学生時代の約6年間──普通なら4年間のはず...トホホ──旧駅の近くに住んでいたからなのです。それはともかく戦後の移設であるにもかかわらず、『地図帳』には掲載されていません。
もちろん、全国の情報をすべて網羅するなんて不可能。そんなことは求めていません。でも、昨日お伝えした北陸鉄道旧「松金(しょうきん)線」も、野々市駅─野町駅間の情報が欠落しています。いずれもたぶん意図的に無視したのではなく、詳細な情報を把握していないなかったためと推測されます。
そして、行き違いが発生した根本的な原因はおそらく、現代的な地図屋の感覚──批判、否定しているわけではない──と鉄道独特の感覚、あるいは歴史的な視点の相違に由来するものでしょう。
繰り返しになりますが、全国規模での情報を得るためにはとても有用。興味があったら、ぜひ一度手に取っていただければと思います。なお、もうお気づきかと思いますが、今回は2020年末以降、2年半もの間お伝えし損ねていたネタです。
トホホ。
■8月21日(月) アフター・サーヴィス ──北陸鉄道「野町」駅近くで、銭湯に出くわしました──
オマケのオマケ。
サーヴィスの後(meta)なので、アフター・サーヴィス。このオチを知っている人は皆、還暦を過ぎているはず。それはともかく、今日は旧北国街道「金澤町屋」外伝。今までお伝えするチャンスがなかったお話です。
季節は2月。ご覧のように雪が残っています。場所は北陸鉄道「野町」駅の近く(金沢市野町5丁目)。所用でアパートから金沢市中心部まで出かけたのですが、天気が良かったので歩くことに。関係者は驚かれるかもしれませんが、実際には約4kmの距離でしかありません。
途中から北陸鉄道旧「松金(しょうきん)線」ルートへ。一つの区切りとなるのが「野町」駅。現在の北陸鉄道石川線の終点。昭和後半、石川線はまだここから先へ延びており、しかも市内線に接続。今では想像することが難しい、路面電車中心の時代です。
少し先にある西茶屋街付近を抜けて犀川を...と歩いていた時、え"っ?!左側(=西)の小路を向いた時、センセイの眼に飛び込んできたのが「湯」の文字。間違いではありません、「野町湯」と書かれています。
こんなところに銭湯、つまり公衆浴場が?!幻を目にしたように感じた西村センセイ、迷わず坂を下ります。この辺はそれなりの傾斜の坂なのです。間違いありません、公衆浴場です。
ただし営業しているかどうかは微妙。正確に言うと、現在はほぼ間違いなく休業中。手前の建物2階の屋根から、氷柱のようなものが下がっています。実はこれ、屋根の軒(のき)が傷んで垂れたもの。
ご覧のように、1階の屋根全体に防水シートが掛けられていますし、壁面にもかなりダメージが。帰宅後に「石川県公衆浴場業生活衛生同業組合」のWebサイトを確認したところ、「銭湯一覧(廃業含む)」のリストには掲載されていませんでした。
ただし廃屋かというと、それもちょっと違う。ガラス越しに見える限り、つい先日まで営業していらっしゃったような印象を受けます。調べてみるとまず、ツイッター(現“X”)で「野町湯四代目」が「只今、再開に向けて動いております」とのこと。
その他にもいろいろな...は、皆さんご自身で。残されたWeb上の記録を読んでいて感じたのは西茶屋街のごく近くという、この地域独特の雰囲気。センセイも薄々感づいていたのです。欧米人や県外客がニコニコと行き交う現在の当地とは、別の顔。
ディープな金沢です。さて、長らくお付き合いさせていただいた金沢ですが、大学院の講義が終わった──正確には明後日締め切りの成績を未提出──こともあり、おそらくこの野町湯が最後のお話になると思います。
もしあるとすれば、プロフェッショナルによる愛車のメンテナンスか。
次回以降、こぢんまりとしたネタが続くと思いますが、それでよろしければ、もう少しお付き合いいただければと思います。
■8月20日(日) 旧北国街道「金澤町屋」群を抜けて次の野々市に入る前に、ここで腹ごしらえを...
旧北国街道「金澤町屋」のオマケ。つまりサーヴィス。
金沢市泉地区の「金澤町屋」群を抜け、国道157号線に合流して右折(=西側)しても、少し歴史を感じさせる街並みがしばらく続きます。もちろん当時の郡部ですから、これらは江戸時代の建物ではありません。
最も古いものでも、おそらく昭和の半ば。そこから先はありふれた新興住宅街に。約1km進むと、金沢工大脇も流れる高橋川との関係で旧北国街道は南西に向きを変えます。また国道157号線から少し逸脱。ここから先は、現在の野々市市本町(ほんまち)通り。
かつて街道のすぐ脇を、北陸鉄道旧「松金(しょうきん)線」が走っていました。お伝えしたようにセンセイは先月まで週に1回、金沢工業大学で大学院の講義を持っていました。列車乗り継ぎの関係で、往路はこの付近で旧北国街道に合流します。
何のことはなく、JR西日本西金沢駅13:30過ぎに下車して南下するとここに至るのです。時刻は13:50前後。往路は列車の乗り継ぎが良すぎて、途中でお弁当を買い求める時間がないため、昼をまだいただいていません...あ"っ。
突然、目の前に写真のお店が。当地では有名な「カレーうどん 獅子家」です。しかもかろうじてまだ営業中。駐車場はガラガラだったので、席も空いているはず。どうしようか逡巡(しゅんじゅん)したのです。
でもこの日はこの経路初日だったのでパスして、大学近くでお弁当を購入。今から考えると、これが判断ミスだった。実はアパートの割と近くだったので、機会があれば訪れてみたいと考えていたのです。でも週末あるいは休日のセンセイは新潟にいることが多い。
他方、大学からだとちょっと離れているので、平日は利用しづらい。しかもセンセイは数年前からキンエン生活に。どうしても塩分が多くなる麺類は、ほぼまったく口にしていません。というわけで「いつか獅子屋に...」と思いながら、金沢最後の日を迎えてしまいました。
やはりあの時、例外規定を設けるべきだった...。「獅子屋」前から旧北国街道を徒歩で10分ほど南下すると、通称「工大通り」に出ます。現在はその後造られた道路との関係でやや複雑な構造になっていますが、古くは単純なT字路だったはず。
旧北国街道、つまり本町通はここを右折(=西進)。程なく「水毛生家住宅」そして「喜多記念館」に至ります。なお喜多家は昨春、居住部分を新築されました。歴史的建造物をできるだけ保存しつつ、その基盤となる居住者の現在の生活にも十分配慮していらっしゃいます。
もちろん、それを可能とする実力をお持ちだからこそできること。そして、もう一つ。
建物を一瞥(いちべつ)しただけでは「金澤町屋」も野々市の建物も同じように感じられるかもしれません。でも、その背後にある考え方や思想まで思いを巡らすと、ずいぶん違った印象を持ちます。
差し障りがあるといけないので、詳細は省略しますが、以前お伝えした狭義の「金沢」地域と、それよりむしろ長い歴史を有し、富樫家の支配下にあった野々市という歴史的、文化的背景の違いによるものが大きいと考えています。
さて、皆さんはいかがお考えでしょうか。といっても、まず現地をご自身で歩き、ご自分の五感で感じていただく必要があるのですが。