2025年9月6日更新(2025年9月14日ページ移動)
■9月6日(土) 「秋刀魚の味」 ──西村センセイ、晩酌のツマミに困り果ててサンマの塩焼きに至る──
昨晩に続き、季節の話題。
暑かろうが寒かろうが、あるいは槍が降ろうが──ただし経験したことはない──自宅でのセンセイがお昼頃に徒歩で外出するのは、まず、健康を維持すべく最低限の運動量を確保するため。家にいる時の大半は机の前に座っているだけなので。
もう一つの目的は、晩酌のツマミを購入すること。もちろんこの他にも郵便局や銀行などの用もありますが。ツマミに関して言えばセンセイの場合は夕食後に、書斎でその日を振り返りながらの「ぼっち宴会」。だから飲み会のような、ちゃんとした料理は不要。
何より低塩分、かつタンパク質を中心とした「何かちょっと...」があれば十分なのです。今までは、贔屓(ひいき)のスーパーで小盛りの刺身(あるいはその加工の際に出る端材)を購入。このお店はしばしば地元産の新鮮かつ美味しいお刺身を提供してきました。だから良いものがあればお刺身を、そうでない場合は端材を、という感じ。
少なくとも20年くらい、この状態を継続。ところが数ヶ月前──たぶん年度替わり──に異変が。お刺身の品揃えが一変して、魅力的あるいは「欲しい...」と思えるお刺身が消えてしまいました。正直なところ、「ただ並べているだけ」という感じ。
どうやらお店の鮮魚部門の担当者が替わったようです。
個人的には本当に大変。毎日お店を訪れるのですが、手ぶらで帰る日の方が多い。かといってツマミを用意しないわけにもいかないので、最近は冷蔵庫に6Pチーズを常備。
25年くらい前は、このチーズあるいは輸入品のチーズをツマミにしていたのです。現在は、このお店でツマミを確保できない場合は他店で何かを購入するパターンが増加。ただし残念ながら、そちらはお刺身が美味しくないか、とても高い。
センセイのような需要は想定されていないのです。そこで時々焼き魚も購入してみたのですがこれが、ほぼ完全にハズレ。素材の品質や肝心の味はともかく、塩分量が多すぎる。もちろん購入前に、ラベルの塩分量をチェックしています。
でも実際の塩分量は、表示されている量よりはるかに多い。だから一口だけいただいて...(以下、略)という状態が続いていました。昨日も本来のお店にお刺身がなく、次のお店へ。残念ながら刺身も焼き魚も、めぼしいものは...あ"っ。
目に入ったのは、サンマの塩焼き。報道でご存じの方が多いと思いますが、太平洋側で長く続いた黒潮大蛇行が収束したためか、今年はサンマが豊漁。しかも大型のものが多いらしい。値段は以前より高いままですが、それでも当地でも出回るように。
「脂が乗っており...」とのことだったのです。当地で並んでいたのはそれほどではありませんが、ここ数年続いた「痩せこけた...」でもありません。塩分については覚悟しつつ、今季初のサンマを購入しました。今回、これを頂くのはセンセイだけ。
当然、一匹だけ。電子レンジで少し暖め、塩分を覚悟しながら口にしたのですが、「美味しい...」。心配された塩分も懸念されたほどではありませんでした。ただし昨日は長いままのものを購入し、加熱前に簡易的に切断。
何しろ、そのままでは電子レンジに入らないので。というわけで証拠写真こそ撮影したものの、公開は回避。
実は結果的に、今日もこのパターン。
他の用もあってスーパー2店をハシゴした後、「サンマ」のお店へ。他店を含めて適当なものがなかったため昨日同様、このお店でサンマの塩焼きを購入しました。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))※不快に感じる可能性もあるため、閲覧にはご注意下さい
そこで今日は、焼いてからお店が切断したものを。撮影後に頂いたのですが、やはり昨日と同じ味。塩分をかなり感じますが、それでも長く食べ続けないという条件下なら、まぁ、許容できる範囲。それより何より、「秋の味だ...」。
残念ながら塩分量を考えると、サンマの塩焼きも今日限りでしょうが、それでも季節を堪能させていただきました。
ちなみに「秋刀魚の味」は、老いをテーマにした小津安二郎監督最後の映画作品のタイトル。「秋刀魚」はそれが獲れる秋から「人生の秋」、つまり老年期を意味しています。もちろんセンセイは何回か観ています。
されど、しばらく間があったこともあって、作品の中にサンマが出てきたかどうかの記憶はありません。偉そうなことを言っていても、これが「老い」の実態です。
■9月5日(金) これだけを見たら、もう初冬の風景 ──颱風15号は太平洋へ。直江津はその後...
──
タイトル通りのお話。
ご存じのように颱風15号は西日本から東日本の広い地域に大雨を降らせながら夕方、太平洋に抜けました。当地の雨を含めてまだ影響は残っていますが、明日のお昼頃までには天気は回復していくものと予想されます。
ただし地域によっては、深刻な傷痕を。特に静岡県の一部地域では竜巻が発生したようで大型トラックが横転し、商店や民家などの家屋および農業施設に甚大な被害が。竜巻で、約1tある乗用車が巻き上げられて落下する様子は、何度見てもゾッとします。
また東海道新幹線は一時期運転を見合わせ、東名および新東名高速道路も不通に。被害および影響を受けられた皆様にお見舞い申し上げます。
ただし颱風本体に関する件は全国規模なので、ここでは一昨日の上越市直江津地域を中心とした豪雨の続報を。昨日の「・・・お昼以降・・・被害にほぼまったく触れていません」という情報を一部修正する必要が出てきたのです。
お伝えした内容は、昨夕の時点でセンセイが把握していた情報に基づいたもの。ただし今日、改めて調べてみるとNHK新潟放送局は昨夕のニュースでその後の状況を伝えていたようです。ただしセンセイは放送を見ていません(民放を見ていたのかも)。また上越市の地元紙は当然、今朝の朝刊で被害状況を報道しています。
これはセンセイの守備範囲外ですが、なおこれらのニュースソースは、昨4日11時時点での上越市が発表した内容に基づいています。NHKは今夕、さらに新しい情報を伝えています。情報が更新されていますから当然、床上/床下浸水を中心に被災家屋数は増加。
また、主力のコシヒカリの収穫を目の前にして、田圃や農業施設の被害も徐々に明らかになってきています。
他方、これまでに得られていた情報と大きく食い違うほどではないこともまた、事実。被災された方々には本当に申し訳ないのですが...。
直江津地区の浸水に限定する限り、土砂崩れ等で家屋の中に大量の泥が入り込んだわけではありません。また不幸中の倖いで、また今回は床下浸水に留まった家屋が多い。それでも基礎の清掃や、浸水した物品の後始末は大変なはず。
心を鬼にして東隣、つまり当地柏崎市の状況を。颱風15号に関する限り、新潟県全体がその雨雲のほぼ北限。不確定要素が多すぎたのですが、颱風からの暖かく湿った南風が新潟県に掛かると予想される寒冷前線を刺激する可能性があったのです。
前線については予測通り、佐渡から県北部にかけて発生。ただし結果的に、颱風近辺から供給される水蒸気はそれほどでもなかった──これは気象衛星「ひまわり」の水蒸気画像からも読みとれる──らしい。
未明から今朝10時頃まで雨は降り続いたものの、基本的には「シトシト」という感じ。風も強くなかったし。写真はお昼前、徒歩で外出した際に気づいて撮影したもの。地域の基幹病院(写真左)と並んで、当地域のシンボル「米(よね)山」(992m)を見ています(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))。地面は濡れていますが、大降りではありません。
ポイントは、低層の雲。手前の峰に並行するように、高度300〜400mくらいの雲が掛かっています。この雲だけでは雨を降らせることはできません。ただし当地でこの様子だけを見たら、これは11月つまり初冬の風景。
この時の実際の気温は約25℃くらいでしたが。今日は金曜日。つまりセンセイにとって実家の面倒を看る日です。ひとまず用を済ませたのですが帰宅後、母親に追加で頼まれた用があって近くのホームセンターへ。ある野菜の種が欲しいものの、彼女の行動範囲内では見当たらないとのこと。
実家からの帰路、割と大きな店に立ち寄ったのですが、そこにもなし。そこで帰宅後、改めて徒歩で近くの別なお店へ。丁寧に探すと、「郷土の野菜」と記された目的の種──生産地はインドだった──を発見。もちろん購入します。帰路、自宅近くを歩いていると日中だというのに、藪から虫の音が。
こんなに近くで聴いたのは、今季初めてだ。当地は、少なくともあと2週間ほど30℃越えの暑い日が続きそう。
でも同時に、大きく見ると季節は確実に進んでいます。
■9月4日(木) 豪雨の影響はこんな所にも... ──県西部の鉄道網は本日夕方から徐々に通常運行へ──
予定を変更してお伝えします。
昨日の、上越市直江津地区を中心とした大雨。その後をお伝えすると、まず道路については高速道路に続き、夜に国道8号線の通行止めが解除に。ただし鉄道については直江津駅構内が水没したので、そう簡単にはいきません。
設備点検に時間を要するため、駅を管理するトキ鉄だけでなく乗り入れているJR東日本も翌日(=今日)も運転見合わせ。昨晩および今朝の時点では両社ともに、「終日運休見込み」とのことだったのです。JRついては直江津駅への乗り入れができないため、その手前の、折り返し運転設備がある柿崎駅までの運行。
お忘れかもしれませんが、影響はJR貨物にも。というか、地元だから...という事情を抜きにすれば、富山─新潟そして新潟─山形県境の在来線を存続させているのは長距離貨物列車運行のためという面が。物流の観点からすると日本海縦貫線は、もう一つの大動脈。
かつての特急「はくたか」や「北越」、「いなほ」並に、高速貨物列車が多数運行されています。あまり知られていないのではないかと思いますが、トキ鉄など第三セクターの収入の柱は、JR貨物(およびJR東日本)からの線路使用料。たとえばトキ鉄の場合、何と全収入の約2/3を占めています。
ただし良いことばかりではありません。長期的に見るとトキ鉄は今後、設備更新関係費用が相当な支出に。その大きな部分を、ほぼJR貨物のためだけ──ただしトキ鉄の「観光急行」も使用──に維持している電力設備の更新費用が占めています。
トキ鉄は来月運賃を改定しますが、背景にはこのような事情が。それはともかく、当然、昨日から貨物列車は足止めを喰らったまま。それも列車によっては2日以上(!!)。同社が公表している情報──主に荷主向け──によると富山貨物駅だけでなく、直江津駅や南長岡駅でも停車中。
さらには、能生(のう)駅や名立駅──両駅の追い抜き設備を利用している──でも停車。
ただし実は、ちょっと良くわからないことが。雨が落ち着いた昨夕、センセイはJRの「どこトレ」で、2編成の列車がが直江津駅に向けて回送されていることを確認しています。(貨物列車は表示されない)
だから直江津駅の、最低限の機能は回復したんだろうと考えました。ただしそれと客扱いは別。安全確認のために翌日(=今日)は運休という判断も理解できます。空気が入れ替わったこともあり、昨晩は割と過ごしやすい気温。朝食を済ませ、書斎で新聞2紙に目を通します。
もちろん豪雨の記事。ところが、お昼以降のニュースは、上越市での被害にほぼまったく触れていません。感覚的にはまるで何もなかったかのよう。実際に被災するとわかりますが、水害で大変なのは、その後片づけ。
特に乾いて固まった泥と、言いようのない臭いが本当に大変。また水没した車について、若い所有者が興奮気味で語っていました──それはそれでわかる──が残念ながら、彼の新型スイフトはまず間違いなく廃車。まさに「これから」が問われる場面であるにもかかわらず、現時点では行政もマスコミも掘り下げようとはしません。
テンションがかなり下がった状態で、お昼前に外出。
帰路、たまたま柏崎駅(駅舎は写真右端奥にある)東側の踏切を渡り始めて、え"っ?!
最初は「安全確認をしながら線路脇の除草をしているなぁ...」と思ったのです。でも良く見ると写真中央奥、待避側線にJRの塗装ではない電車が。
これはトキ鉄所属のET127系──転属前はJR東のE127系──3編成6両。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))この列車は一昨日の晩にここに留置され、本来ならば昨朝の一番列車として直江津方面へ向かうはずだったもの。センセイは昨日のお昼、違った場所──この踏切は通っていない──からこのET127系を確認しています。
ナシテ?一部繰り返しになりますがJRおよびトキ鉄は昨夕、列車の回送を開始。当然、このET127系も所属先の直江津駅へ戻ったはずと考えていたのです。
今日は終日運休で、このまま明日の始発列車に充当するのなら...と自身に言い聞かせて帰宅。ところが夕方、情報を確認していると「直江津駅含むトキ鉄の設備点検が終了、信越線は4日夕方に運転再開」との情報が。しかもトキ鉄によると、お昼頃から順次、運行を再開。
今日は健康診断の関係で14:30頃にこの踏切を通ったのですが、トキ鉄ET127系はそのまま。それどころか、よぉーく見ると、右奥には別な列車が。帰宅後に写真を確認すると、これは特急「しらゆき」および「いなほ」として使用されているE653系1100番台。それが折り返し運転用の待避側線に、前照灯を点けたまま停車しています。
留置するのなら柏崎駅にも別な留置専用線があるし、長岡あるいは新潟の新潟車両センター他があるのに...。良くわからないことだらけですが、物事にはやはり、それなりの理由があるはず。
なお旅客列車運転再開後も当地では貨物列車の運行を確認できませんでしたが、このページを更新中の21:15頃、貨物列車が通過。やれやれ。
(颱風の影響がなければ)明日の朝、世の中はきっと「まるで何事もなかったかのよう」な表情をしているのでしょう。
■9月3日(水) 夏と秋が、呉越同舟 ──上越市直江津地区に猛烈な雨が降り、被害が発生しました──
昨晩は日付が替わる頃に就寝。
例によって完全に酔っぱらっていたので、割とストンと就寝。でもすぐに締め切った複層ガラス窓──防音性能は高い──を通して入ってくる騒々しい音で目覚めました。1時頃から急に、強い雨が降り始めたのです。
続いて雷が。それも単発で鳴るのではなく、まるで「海の大花火大会」のスターマインのような、連続かつ切れ目なし(ホントに)。当然、音だけでなく障子戸の向こうが昼間のような明るさに。落雷による被害も懸念されます。
でも正直なところ付き合いきれないので、そのまま二度寝。後から調べたところ、この時は約40mmの雨が。これは、いわゆる「バケツをひっくり返した...」降り方です。当地は明け方と午前中にも雨が降ったため結局、24時間で54.5mmの降水。相当な量ですが、まぁ、これくらいまでは経験済。
しかも新潟県県全体を見渡せばこれでも、まだ少ない方。県内の昨日から今日にかけての雨は、大雨が続いた県北部と、渇水に悩まされてきた上越地域に集中。正確に言うと、天水に頼り渇水が深刻な上越地域山間部にはあまり降らなかったのですが。(だから、農家は別な意味で大変)
上越地域の降雨は明け方に集中。雨雲が線状に連なったため、雨は上越市の旧直江津地区およびその近辺に集中。同地区には気象庁のアメダス観測計が置かれていません。そこで最も条件が近い大潟区(旧「大潟町」)のデータを参照すると、明け方の数時間に約100mmもの雨。
24時間だと114.5mm。当地のざっと倍の降り方。こうなると当然、排水が追いつかない場所が。しかも今回はタイミングが悪く、皆が通勤通学を始めた/始めようとしていたところ。後から柏崎駅付近を訪れたのですが、直江津方面行の始発電車(「えちごトキめき鉄道」所属)が抑止されたまま。
つまり電車は始発から動いていなかったはず。他方、自動車の移動はそう簡単に制限できません。定刻に出勤すべく、皆さん真面目に自宅を発っても道路は至る所で冠水し、しかも状況は刻々と悪化。報道(一例)でご存じかもしれませんが、今回は直江津駅近辺の被害が最も深刻。
そもそも駅構内が完全に水没してしまいました。列車の運行は不能。乗り入れているJR東日本および北越急行を含めて、少なくとも明日まで運転を見合わせるとのこと。正確に言うと、少なくともJR信越本線に関しては今夕、列車の回送が始まっています。
だから少なくとも直江津駅構内までの乗り入れは可能になったはず。明日の運休は、安全面の確認などそれ以外の理由によるのでしょう。この他にも、同駅前に新設された運転免許センター上越支所──センセイはまだ利用したことがない──や一般家屋、商店が床上ないしは床下浸水の被害に遭っています。
道路状況はもっと深刻。で、幹線道路の国道8号線は上越市西部で落石等が発生したため、朝になってから通行止めに(現在も不通)。並行する北陸自動車等も通行止めになった──こちらはその後、解除──ため、上越地区は西方との移動ルートが一時途絶。
長距離トラックを含めて、仕事関係の移動は修羅場だっただろうなぁ...。ただしテレビおよびラジオ、さらにはWeb上でも午前中はこの件に関する報道は極めて少ない。被災経験者として、現地で何が起きているかは容易に想像できます。痛みを皮膚感覚で覚えつつも、今は何もできません。
現時点で、こちらができることは限られているのです。
当地は10時過ぎにかなり雨が降ったのですが、それでも11時前には小降りに。そこで徒歩で外出し、至急のものを含めていくつかの用を片付けます。
ふと、西の空が青く、そしてとても高いことに気づきました。秋の空です。
大きく見ると、今日は当地を寒冷前線が通過。異常に強い太平洋高気圧からの湿った南風に変わって、大陸からの乾いた移動性高気圧に覆われつつあるところ。
もちろん、日が当たると暑くて、汗が出ますでも冷静に観察すると、日陰では案外涼しいことに気づきます。湿度が低い移動性高気圧の特徴です。つまりここは夏の空気と秋の空気がせめぎ合っている現場。
「○○は高い所が好き」らしいので、公共の場で高い場所で撮影したのが写真。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))旧市街地中心部から、南西方向──写真中央下部は、当地域のシンボル「米(よね)山」(992m)──を見ています。上空に目を向けると、中央上部には高い雲。巻雲(/絹雲:けんうん)でしょう。澄んでおり、不安定な感じはない。
目を左側(=南側)に転じると、低い積乱雲が。今日は「神」広角レンズを持っておらず、今日の空の様子の全貌をお伝えすることができません。南側の積乱雲は寒冷前線の残党──実際の温暖/寒冷前線は数波に分かれている──か、内陸部が日中暖められたために発生したもの(およびその複合体)。
いずれにせよ、これは夏の雲。颱風接近もあり、明日午後にはこの状況は日替わりで変化する見込み。当地では酷暑が続く予想ですが。それでも季節は確実に進んでいます。
何てったって今日の日中、旧市街地中心部を歩いていたら昼間にもかかわらず、虫の音を確認したし...。
■9月2日(火) この状態は、しばらく続くと思っていた... ──果たして、実家初のエアコンは?!
──
昨晩7時過ぎ、書斎専用の回線──自宅は2回線──に電話が。
誰だろうと思って出ると、7月にエアコン工事その他をお願いしながら、1ヶ月間忘れられていた電器店から。先日再訪した際、実家での現地調査の日程を決めたのですが、それを少し変更できないかというのです。
やはり商売繁盛らしい。田舎のニッチなマーケットを、ほぼ寡占状態なので。
相談した結果、今朝9:30という当初予定を1時間早めて8:30に。異論はないのですが、こちらはさらに早く現地に赴き、最低限の清掃をする必要があります。頑張って掃除機を掛けたところに電器店の息子さん(面識あり)が到着。
依頼内容のメインは、エアコン設置。実家は63年前に、両親他が苦労して建てたもの。
もちろんそれには敬意を表しますが、客観的には非常に古い構造。何しろ現在では常識の、コンクリート製の「基礎」すら存在しない(!!)。しかも開放的な造りなので、むやみやたらにエアコンを導入すれば良いというわけにはいきません。
詳細は省略しますが配管に関する構造上の問題や、三相200Vを使えないなど電力面の制限が。今日の主目的である諸問題を確認しつつ、設置可能性のある部屋を案内し、あれこれ説明します。通常タイプのエアコンの場合、室外機の設置および室内機とのドレンを含めた接続が問題になります。
そこで外回りを含めて実家を一周。改めて、「茶の間」という名の客間(その奥が「座敷」)へ。相談していると、父親が次第に興奮してきました。やがて「俺が生きている間は、茶の間と座敷(の構造)をいじる(=変更する)気はない!!」。
オイオイ。ただし父親のこの反応、当初から容易に予想されたこと。
高齢者の中にはプライドが高い──それだけで生きているようなところがある──人が。残念ながら両親はともに、このパターン。もちろん高齢者全員が、というわけではありません。同じ姉弟でも昨年末、惜しまれながら99歳6ヶ月の天寿を全うした伯母はその真逆。
だから彼女は、最後の最後まで皆から愛された。「茶の間」へのエアコン導入は母親が希望したため、ひとまず検討したもの。冷房効率および構造上、さらには電力面からも実現可能性は低い。最初からその旨を母親に伝えています。ただし彼女はいまだに、理由を理解できていないはず。
この場での父親への反論はほぼ無意味。粛々(しゅくしゅく)と確認、検討を続け、30分ほどで用件を完全に済ませます。ここで母親が冷えた麦茶を。気まずい「間」──たぶん、彼はかなり考えた──を挟んで、電器店の息子さんは駐車場として案内した場所の裏にある畑の話を始めました。
お察しの通り、まず、母親が反応。
続いて息子さんは、今年の暑さと農作物への水の影響に話を振ります。もちろん両親を持ち上げると同時に、さりげなくエアコンの有効性を二人にアピールします。
残念ながら温度変化を感じなくなっており、自分事とと思っていない父親にはまったく通じていませんが。それはともかく、この地域では同じような家庭ばかりだからでしょう、やはり高齢者の扱いに慣れています。そもそも彼には才能が。
客間へのエアコンの話を持ち出して失敗したなと(密かに)反省した母親だけでなく、父親すら、すっかり上機嫌。駐車場まで息子さんを送りながら、あれこれ雑談。少しお伝えしたように息子さんは、センセイの中学校の同級生の甥。しかも彼(=同級生)は、センセイの小学校からの同級生と結婚。(実話)
つまり彼にとって叔父夫婦はともにセンセイの同級生。会話から、彼らの最近の様子を初めて知りました。彼を見送り、実家に戻ります。テーブルの上には実家の建物の保険(正確には「建物共済」)の書類が置かれており、「何とかしてくれ」とのこと。
さっきの勢いはどうなった。「はいはい」と言って、自宅へ持ち帰ります。
今朝は早く自宅を発ったので新聞2紙に目を通していません。その上でメールやあれこれを確認すると、もうお昼前。しかもかなり遅い時間。
日焼け止めクリームを塗って、外へ。道路構造──写真右側の越後線の下にアンダーパスがある──上の関係で、あまり通らない場所を歩いていると、あ"っ...。あるべき物が存在していません。(1枚目の写真)
実は、ここにはつい先日まで長年、長野ナンバーのスズキ「カルタス」──現行「スイフト」に相当──が放置されていたのです。2枚目の写真は昨年11月に撮影したものですが、Googleマップによると遅くとも2019年以降はここに。記憶に間違いがなければ、もっと前から存在したと思う。
個人的には「いうまでもここに...」という感じ。もちろん地権者など関係者に迷惑至極(しごく)でしょうが。かなり無理やりに話を実家に戻すと、父親が就寝時に暑いと思っていないことは、一種の「事実」。今日も現場を確認したのですが、締め切った六畳間。
しかも網戸すら、「寒い」と言って使用していません。その上で、万年床にタオルケットと薄布団を掛けて就寝(!!)。加齢が進み、温度変化を感じなくなっているのです。電器店の息子さんに説明すると、さすがに絶句していました。問題の本質は、その先。
父親にとって「暑くない」のは「事実」でしょう。でも、その自らの感覚を無条件で是認(ぜにん)して、無邪気に他者に強(し)いられても困る。身内、具体的には彼の妻や子供、孫、そして曾孫(ひまご)ですら、暑くて困っているにもかかわらず、全体像を認識できない。
程度や様態はともかく、これは母親についても言えること。客観的にはこの状況、長く居座り過ぎた「カルタス」に似ているかも。
そんな両親から生まれたセンセイ。しかも、西村家の次期ご当主様(見込み)。ここは何とかするしかありません。
ま、いいんです。
後々のことを考えて、「次」は一気に清算するつもりなので。
■9月1日(月) 今季最高となる気温35.7℃の中、当地でも主力コシヒカリの収穫が本格化しました
タイトル通りのお話。
今日から9月。暦の上だけでなく気温、空の高さ、そして雲もそれなり変化して当然なのに、当地はまだ真夏。秋の気配は唯一、日没後の虫の音だけ。今日は特に暑さがぶり返し、気温は朝から急上昇。
尋常な気温変化ではありません。午前中は実家の用に従事していた──正確には、緊急連絡に備えて待機していた──のですが、どうやら何も問題なさそうなので、徒歩で外出することに。直前にチェックした当地の最高気温は35.7℃。今季の最高記録です。
36.0℃越えを覚悟して外へ。(結果的には、35.7℃が今日の最高気温)
周囲を見渡しても、歩道を歩いているのはセンセイだけ。厳重に日焼け止め対策を施したした女性の自転車はを時々見かけるくらい。それどこか今日は、自動車すら少ない。
スーパーの用を済ませます。JR信越線の踏切を渡ろうとした時、遠くからからエンジン音が。線路脇の伸びきった雑草で姿は見えませんが、コンバインによる稲の収穫が行われているのです。
生育具合から、「そろそろだろうなぁ...」と思っていました。踏切を越え、線路脇の農道を進むと、おぉ以前、出穂(しゅっすい)をご紹介した田圃で収穫作業中。撮影に間に合うだろうと考えたのですが、甘かった。
最近のコンバインはホントに高性能。あれよあれよという間に収穫を終えました。しかもこの間、たったお一人で作業していらっしゃいます。つまりコンバイン内の籾米(もみごめ)タンクも大容量。
もう少し小型だとすぐにタンクが一杯になり、積み替え作業が必要になるのです。で、どうされるのだろうと思っていたら、センセイの前方の農道に苦なく乗り入れ、さらに奥の田圃へ。写真はそこで撮影したもの。稲に混じって緑色の草が見えますが、これは稗(ひえ)。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
この田圃は、稗がかなり多い。手植え手刈りの頃は丁寧に稗を抜くのが常識。先日収穫をご紹介した田圃でも、その前に手作業で稗を除去していました。でもこの方はあまり気にしないらしい...。それ以上にセンセイが驚いたのが収穫時期。
というのは収穫中のこのお米はたぶん、コシヒカリ。誤解されると困るのですが、センセイが稲や籾を見て品種を判断できるわけではありません(ただしプロなら、ある程度見分けられるかも)。慣れると籾の毛の太さや色で、うるち米──普通のお米──と餅米は区別できますが。
ポイントは収穫時期。農家にとって人出や、収穫から脱穀、そして乾燥に充てるリソースは限られています。そこで(極早稲〜)早稲(わせ)、中手(なかて)そして晩生(おくて)と、収穫以降に必要な作業を分散させて稲を栽培。
つまりすでに手一杯。仮に収穫が重なると、すべてがパンクしてしまいます。農林水産大臣が農業の効率化を進めるため、高額──これは事実──なコンバイン等の農機具を全国規模でレンタルするよう推進すると、自信たっぷりで発言していました。
日本は南北に長いこともあり、発言にまったく意味がないわけではありません。でもこの発言、実は現場の実情にまったく無知であることを自ら暴露しているようなもの。(実際、この件はその後は報道されなくなった)
それはともかく早稲品種でも、かつては9月に入ってから刈り取ったのです(これでも相当早い方)。主力のコシヒカリは早くても9月中旬以降。市内の中山間地や有名な魚沼地方(中越地区の山間部)はさらに遅い。
実家で育てていたお米の味に近く、いつも買っていたコシヒカリ「じょんのびの里」が手に入るのは10月中旬。だから今までだったら、現在収穫できるお米は「こしいぶき」などの早稲米だったのです。ところが近年、コシヒカリの収穫時期がどんどん早くなっています。 高温で収穫が早まった去年よりも1週間程度早い。
標高の高い魚沼地方ですら、先月下旬から稲刈り(全文を読むためには登録が必要)が始まったほど。原因あるいは理由は二つ。お察しの通り、一つは夏季の高温で稲の生長が早まっているため。もう一つの理由は高温および渇水対策として、意図的にコシヒカリの田植えを早めているため。
ご紹介した魚沼米の場合、田植えを1週間早めたとのこと。この調子だと当地の稲刈りは、ごく短時間で終わるんだろうなぁ...。他方、気温が高い状態は、まだしばらく続く見込みです。
トホホ。
■8月31日(日) 地域の大学と高校、特別支援学校高等部による初めての文化イベントが開かれました
タイトル通りのお話。
午前中のセンセイは、「紙工作」。
何度かお伝えしたように、金沢工大大学院の講義は先月末で終了。成績は先週半ばに確定しています。この段階で対応すべきことがあるのですが、お気づきでしょうか。それは自宅に持ち帰った答案や課題類の処分。
当該科目では紙ベースでの試験は実施していないので、実質的には課題と出席確認表だけ。これらは個人情報そのもの。当然、一般のゴミとして捨てるわけにはいきません。そこで現役時代は梱包した上で決められた日に「機密書類」として回収、溶解処分していただきました。でも客員教授の現在は、無理。
そこで成績確定後、関係書類を厳重に梱包した上で金沢工大にへ送付。(その後、溶解処分)お察しの通り、そのためには適当な梱包材が必要ですが、なかなか適当な箱が見つからなかったのです。大きなミカン箱にスカスカの状態で課題を...というわけにもいかないし。たまたま昨日、実家で適当な段ボール板を見つけました。
それを持ち帰って午前中、「箱」に仕立てたという次第。答案類を「箱」に収め、ガムテープでしっかり縛ります。ここまでの勢いを保ったまま、徒歩で宅配便の営業所へ持参して発送。やれやれ、これで一区切り。ちなみに前任校の講義では期末試験を実施。
答案は書斎内で保管しています。こちらについては、後期講義開始後大学へ持ち運んでシュレッダーにかけて処分する予定。ただしもしかすると、それぞれにコメントした上で受験者に返却するかも。それはともかく、気分はかなり楽に。
歩いていると1枚のチラシに目が止まりました。「産文フェス」。
今日だったんだ...。「産文」というのは市の産業文化会館(写真)のこと。ここを会場にして、初めての文化イベントが開かれるとのこと。
もちろんこの種の文化行事は、これまでにも開かれています。どこが新しいかというと、市内にある2大学(および隣の長岡市の長岡造形大学)、高等学校(センセイの母校)、そして特別支援学校高等部という異なった組織が協力して開催すること。
開催に至る経緯については、「新潟日報」紙の紹介記事(全文を読むためには登録が必要)をお読みください。市内のあちこちにはチラシが。また市(教育委員会および元気発信課)や会場の産業文化会館だけでなく、コミュニティFM局までもが広く告知しています。
個人的には開催日を失念していましたが、気づいたからには行くしかない。ご存じの方も多いと思いますが、センセイはこの種のイベントが大好き。高校生の頃から前任校──つまりオトナ──の頃まで、いろいろな活動をしていました。
実はプチ同級会で、当時のセンセイの公開の場での演奏(Eg)に言及した方が複数。個人的には完全な不意打ちを喰らいました。覚えてたのね...。
炎天下、会場までたどり着くと...何だか静か。この暑さですから会場の外に人がいないのは当然のこと。でも会館内に入っても、「静か」。
誰かに声を掛けられるわけでもありません。メイン会場最後部から撮影したのが写真。市内にある大学の軽音楽部の演奏です。メンバーは変則的で、Vo、Eg/Ag、Dr。つまりベースが欠けている。
センセイが到着した時にはビートルズ(!!)を。続いてメンバーの一人がEgをAgに持ち替えて、奥田民生。ボーカルが歌うことに専念できることもあって、意外にも演奏はそれなりでした。ただし聴衆はというと、ご覧の通り、パラパラ。
誤解されると困るのですが、参加人数を問題にしているのではありません。学生/生徒主催のイベントなんて、こんなもの。センセイがもっとも危惧しているのは、会場の雰囲気。
参加者は少数でも、コアな...という感じではない。個人的には、これまでのプロモーションに難があったんだろうと推測しています。前述したように、自治体等が積極的に関与。
しかもイベント経験をお持ちの、ある種の「先輩」があれこれ「助言」しています。当然、経験がない/少ない次の世代はその意向に従うはず。もちろん若い人が見逃しがちな、ある程度の環境整備は必要なのです。でも、もしセンセイがプロデュサーだったら、ある段階から先は、絶対に口を挟まない(2日目)。
そうしないと若い世代は問題の本質を認識できず、古い世代に従順に従うだけ。いろいろな意味で衰退が進行する地方。でも本当に反省すべきは若い世代ではなく、(センセイを含めた)老人の側なんじゃないだろうか。個人的には若い世代を肯定的に捉え、支援していきたいと考えています。
そう考えた直接の理由はバンド演奏を含めて、今日の大学生諸君の表情から。そしておそらく、昨日実家を訪れてくれた姪2人(+それぞれの子供)の相手をしたからでしょう。昨日はホントに疲れました。でも旧世代は若い世代の可能性を言祝(ことほ)ぐとともに、彼ら彼女らに感謝すべき。
綺麗事に過ぎるとお感じになるでしょうけど。