2024年9月7更新(2024年9月15日ページ移動)
■9月7日(土) 当地の稲刈りは早稲品種から「コシヒカリ」へ。「令和の米騒動」も先が見えてきました
「令和の米騒動」で困っている方々には朗報...かも。
写真はお昼に外出した際に撮影したもの。線路──中央をJR信越本線が左右に走る──の近くを歩いている時、右後方から聞こえるエンジン音に気づいたのです。あ"っ...。もっと早く認識すべきでした。
振り返る必要すらありません。コンバインを使った稲の収穫作業中。今年も何回か稲刈り作業を目にしているのですが、実はすべて運転中の車中から。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960。原寸切り出し))
歩いている時に目撃したのは初めて。当地のような平場では概ね、極早稲品種の「はづきみのり」や早稲品種(「こしいぶき」や「越路早稲」など)の収穫を終えています。つまり今回は、主力の「コシヒカリ」。(たぶん)
去年もちょうど今頃から刈り取りが始まりました。若い方はご存じないと思いますが、冷夏の1993年は「平成の米騒動」が発生。日本で普通に流通する「ジャポニカ米」ではなく、サラサラとした「インディカ米」を急遽輸入したほど。
県内の米流通業者の倉庫には、マスコミがべったりと張り付きました。(実話)その時ほどではありませんが、いろいろな要因──その背後には地方の疲弊がある──や駆け引きが重なって、予想外の「令和の米騒動」に。ただし少なくとも当地では、先月末から新米が流通しています。
全国規模で見ても、騒動のピークを過ぎつつあるはず。収穫、脱穀後も、適切な乾燥、籾(もみ)摺り──籾殻を取り除いて「玄米」にする──そして食べやすい白米にする精米作業が必要。従って、消費者の皆様のお手元に届くまでには、もう少々お時間がかかります。
ただしそれも、せいぜい2週間程度。写真中央奥、地域のシンボル「米(よね)山」(993m)は、お米を求めて右往左往する人間を優しく見守っています。
■9月6日(金) 気分は、職人さんか業者さん ──西村センセイ、早朝のホームセンターを訪れる──
「早朝」といってもここでは、「普通の開店時刻より前」くらいの意味。具体的には、朝8時過ぎです。
センセイにとって金曜日家族サービスの日。今日は特に、限られた時間の中でいくつかの用を効率的に進める必要があります。まず母親を病院へ送り届けるべく1時間早起きして実家へ。実は、約束の時刻より15分早い。
母親が準備している間に向かったのは、父親が寝室として使っている部屋。実は、彼が2ヶ月くらい前から「ベッドが欲しい」と言い始めたのです。数年前から時々話題になっていたのですが、いよいよ布団から起きるのが辛くなったらしい。それは良くわかるのですが、Xデー以降どうするのかが問題。
母親は「次は私が使うから」と言うのですが、残念ながら問題の本質は変わりません。また父親はあれこれ貯め込んで、身の回りに並べるタイプ──センセイはこの特徴を引き継いでいる──なので、本当は広い部屋がずいぶん狭くなっています。誰がどうやって片付けるんだぁ...。
しかも実家は古いので、部屋はすべて畳敷き。いろいろあったのですが結論からすると、すぐ下の弟が使っていた組み立て式のパイプベッドを父親が使うことに。先週末弟が持ち込んで組み立てました。
高齢の父親は、それなりに満足そう。部屋に入ったセンセイはベッドを採寸して「足」の部分の様子を確かめます。そのままだとベッドおよび父親の重さが、面積が狭い「足」に集中するのです。
重さを分散させる工夫、具体的には「敷物」が必要。受付時刻の30分前に母親を病院前で降ろして、センセイはひとまず帰宅。そこから徒歩で向かったのが、写真の「ホームセンター ムサシ」(柏崎店)。
開店までにはまだ時間がありますが、この「資材館」だけは朝7時から営業しているのです。これは住宅設備や外構などの仕事を中心とした関係者のため。住宅の新築などではあらかじめ計画をしっかり立てて資材を準備し、できるだけ一気に作業します。ただし改築改装や修繕の場合は、そうならないことも。
作業を始めてから、「あれが足りない」などということは、しばしば。そこで職人さんが現物を調達できるように、朝早くから開店しているのです。
西村センセイ、初めて早い時間帯に入館。一般の売り場がすべて消灯しているので、不思議な感じがします。あらかじめ調査して目星をつけておいたので、その場所に直行。「敷物」は、面積が狭いとその意味がありません。
同時に、硬すぎると「敷物」の辺縁部に力が相対的に掛かり、畳を傷める可能性が。要するに、(繰り返しになりますが)重さを分散させる工夫が求められます。センセイが選んだのは“MDF”(medium-density fiberboard:中密度樹脂板)と呼ばれる薄めの木質ボード。耳慣れない名称かもしれませんが実物を目にしたら、「あぁ、あれね」。
サイズおよび形状が異なるものを5枚買い求めて、合計1,500円ちょっと。帰宅後に仕事をしていると、母親から治療を終えたとの電話が。迎えに行き、スーパーで1週間分の食料を購入します。今日はもう一つオマケが。両親はATMを使ったことがなく、必要な時は毎回、地元農協の窓口で手続をしていたのです。
今回初めて、ATMで通帳とカードを使用できることを確認。でもお察しの通り、高齢者が使うのは難しそう...。ま、いいんですけど。
実家で食料を降ろした後、ベッドの下に「敷物」を配置。上手く「しなって」くれました。やれやれ。ゆっくり休もうと昨晩は早めに就寝したのですが、どうしても眠りが浅くなります。今日は本当に注意して安全運転を心がけました。
ふぅ。でも今日のセンセイは、初めての「職人さん、業者さん」気分。
ま、いっかー。
■9月5日(木) 去年はどうだったっけ? ──西村センセイ、退職後初めて(?)肺X線検査を受ける──
お伝えしたようにセンセイは先週、同級生のクリニックで検診と胃の内視鏡検査を受けました。
若い方にはちょっとわかりにくい部分があると思いますが、センセイは退職後の2年間──つまり今年度まで──私立学校教職員組合に任意で加入しています(退職時に選択できる)。「特定検診」はこちらの検診。
それとは別に、現在居住する柏崎市の検診がいくつか。今回、同時に済ませたのは、まず「大腸がん検診」。センセイはビールを好むので、大腸がんになるリスクが高め。実際、12年前に金沢でポリープの切除手術を受けています。昨年、再度内視鏡検査を受けた理由です。
その際に初期のポリープが見つかっており、同級生の医師からも毎年検査を受けるよう指示されています。そして「前立腺がん検診」と「肝炎ウイルス検診」(今回限り)。ただしクリニックで受診できなかった検査も。それが「肺がん(および肺結核)検診」。センセイはノンスモーカーなので正直なところ、肺がんに罹る可能性は低い。
現時点では健康状態および栄養状態に問題はないので、結核の可能性もさほど高くありません。ただし結核を過去の病気と侮(あなど)るのは禁物。特にセンセイのような高齢者は十分注意する必要があります(特に免疫が低下した場合)。お気づきかと思いますが、検診に関する書類は早い段階で届いていたのです。
でもセンセイのことですから、どうしても後回しに。さすがにマズいと考えて、まず「特定検診」その他の手続きを済ませました。肺のレントゲン検査についてはどうしようか迷っていたのですが、「65歳以上は義務」とのこと。
改めて書類を読み直すと今日、近くの市上下水道局で検査を受けられるとのこと。「なぜ上下水道局?」という疑問は残ったのですが、これもう、行くしかない。直接には関係なさそうな場所で本当に検診を実施しているのか、一抹(いちまつ)の不安が...。
でも道路から局舎の窓越しに、検診用のバスが。間違いありません。角を曲がって局の入口で撮影したのが写真。局舎の入口で受付をしています。並んでいるのは数名。ラッキーと思って近づくと建物内、入り口付近に人々が。
お察しの通り、受付の順番を待っている方々。その数、ざっと40人。それでも20分ほど並んだだけでセンセイの順番が。ご覧のようにバスは1台。着替える必要があるので、男女の別はどうするんだろうと不思議だったのです。
これまでの検診ではすべて、日時を指定して受検者を分けていたので。淡々と受付が進みます。どうするんだろうと訝(いぶか)りながらバスに近づくと何と、バスの前方と後方に入口が。当然、その先にはそれぞれ更衣室が。「なるほど、高価なレントゲン装置が2台あるのか」と思ったら、こちらは大ハズレ。
撮影装置はバス中央部に1基だけ。前後の更衣室に一人ずつ入室させ、そこから撮影室へ交互に入る仕組みでした。なるほどねぇ。
「なぜ上下水道局?」という疑問は、冷房の効いた並んでいる間に解けました。検診を終えた方は当然、自宅その他へ戻られるのですが、移動手段はほとんど自家用車。高齢者施設の名前を記した車に複数の方が乗車される場合も。
センセイのような徒歩は、極めて稀。要するに、検診を受ける方のための駐車場を確保できるかどうかがポイントだったのです。車社会の田舎ならでは。
というわけで無事、すべての検診を終えたのですが良くわからないことも。正確に言うとセンセイの記憶が曖昧なのです。去年、「特定検診」については市内の総合病院で検査していただきました。
それはいいのですが、それ以外の検診はどうだったのだろう...。市の検診を受けた覚えはないし、そもそも案内を頂いた記憶がないのです。
■9月4日(水) オーナーの方は、困っているだろうなぁ... ──アルファードに続いて、その隣も...
──
写真は昨夕撮影したもの。
お伝えしたように昨日はお昼に外出。その際、郵便物を2通投函するつもりだったのです...が、お察しの通り、家を出て少ししてから鞄に入れていないことに気づきました。高齢者の「あるある」です。
一瞬、帰宅しようかと考えたのですが、急いでいるわけではありません。そこで用事を済ませて帰宅し、少し涼しくなった夕方に自宅近くのポストに入れることにしました。短パンにサンダル履きというラフな格好で投函。ふと思いついて町内それも同じ班内のアパートの前へ。
やっぱり...。町内の班内にはアパートが2棟。数年に1回、主に市からの公報類を配布する「班長」の役目が回ってくるので、センセイも退職後は様子がある程度わかるように。
どこでもそうでしょうが仕事その他の関係で、アパートの住人はどんどん替わります。同じアパートに21年ちょっと住んでいたセンセイなんて、天然記念物のような存在。まぁ、そのおかげで隣の大家さんと仲良くさせていただきましたが。
で、このアパート。入居者が入れ替わる──ただし別の1棟と異なり、町内会に入会していないので詳細は不明── 一方で、ここ数年、下手をするともっと前から変わらないことが。それが写真の2台の自動車。
2代目アルファードとフィット・シャトルが、ずっとここに留め置かれたままなのです。その右側と比べていただくとわかりますが、出入りがないので白いラインが消耗せず、かなり残されています。ただしアルファードは数年前──正確な日時は不明──ナンバーが取り外されました。
ここはよく通るのですが最近、「何か変だなぁ...」と感じることが。だからこそ訪れたのですが、2年前との違いにお気づきでしょうか。まぁこの問いは同時に、センセイがこの間、ちゃんと状況を認識していなかったということを白状しているようなものなのですが...。
「正解」はアルファードに続いて、フィット・シャトルのナンバープレートが取り外されたこと。この間のどこかで、誰かがここにやって来てナンバープレートを外したことになります。業者(?)の人が堂々とやったのか、後述する「関係者」が──もしかすると暗闇の中で(?)──こそこそ作業したのか、それはわかりません。
ナンバープレートはなく、車検証の期限も切れているので、公道の走行は不可能。以前は、単に2台が隣り合って止められている、という認識だったのです。でも実態はおそらく、同一の人物および関係者が所有する車で、かつ事実上、2台をここに放棄していったんだろうと思います。
もちろんそれには当事者なりの理由があるのでしょう。でもそれ以上にかわいそうなのは、(自動車ではなく)このアパートおよび土地の所有者。2台が物理的にこのスペースを占有しているため有効に、つまり駐車場として利用して利益を得ることができない。
かといって、オーナーに所有権はないので、この2台を勝手に処分することもできない。このような事例、実はあちこちで起きているのです。
関係者は本当にお困りなんだろうなぁ。
■9月3日(火) まさか、ここが神聖な神社の境内だからというわけでは... ──異形の三本松──
一瞥(いちべつ)しただけで内容がわかってしまうタイトルは、あまり好ましくないのですが...。
当地の今日の午前中の降水確率は60%と、ちょっと高め。弱い寒冷前線数本が時間を置いて上空を通過したのです。雨雲レーダーを見ていても、降るか降らないかホントに微妙。ただしパラつくことはあっても、本降りはなさそう。
というわけで駅その他の用を済ませるべく、午前中にちょっと外出しました。ただしこのところ暑く、陽射しの強い日が続いていたため、外出先は自宅近辺ばかり。それでも、直近1週間の平均は9,300歩以上歩いていますが。そこで今日はちょっとご無沙汰している場所をいくつか経由してから駅を目指すことに。
まず向かったのが、自宅近くにある羽森神社。この春、初めて春祭を見た神社です。目的は社殿ではなくその裏、境内にある3本の松の木。左奥にも複数の松の木が見えますが、こちらは至ってごく普通。これという特徴は感じられません。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
ただし写真の3本の姿は異形(いぎょう)。まるで松の木が、自らの意志で足(?)で立ち上がろうとしたかのように、空中に浮いています。H. G. ウェルズのSF小説『宇宙戦争』に登場する火星人の「トライボッド」のイメージ。ここは旧市街地の一部。
つまり海岸沿いの砂丘の上なので、肥沃な平野部と比べて水分と栄養分が乏しく、植物、特に木々がなかなか育ちません。時間は前後しますが神社を後にしてから母校、柏崎高校の「ニュートンのりんごの木」──植樹直後はこんなに細かった──を約半月ぶりに再訪したのですが、やはり、やっと生き延びているという感じ。
ちなみに、1個だけ残っていたりんごは跡形もなく消失していました。羽森神社の松の木に戻ると、木の下部やそこから横に延びている部分は樹皮の様子こそ枝に似ているもの、どう考えても枝とは思えません。
つまり本来は、根。それが何らかの理由により地上で長時間曝(さら)されたため、水分の蒸散等を抑えるべく、まるで枝のような格好に変化したものと推測されます。(ただし、外れているかも)
原因として考えられるのは、例えば松の木の下部を覆っていた土砂の流出や意図的な除去など。でも、写真後方に生えている松は普通に生長しています。だから正直なところ、なぜこうなったのかさっぱりわからないと白状せざるを得ません。
わからないことはそのまま措くとして、このグロテスクと称されても否定しがたい姿から学ぶべきことが。センセイが3本の松の木から感じるのは、「何としても、生きよう」という強い意志。
17世紀、物理学はニュートンの画期的な研究成果によって劇的に進展。
その成果は程なく現実の社会に影響を与えます。例えば自然科学では、化学が古い四元素説から原子論へ転換。興味深いことに、それまで自然科学と無縁だった社会科学にもニュートンの原子論が持ち込まれます。
「社会学」がその典型。自然科学に戻ると、それまでアリストテレス以来の「生物は(個体あるいは種レベルで)生きようとする」という目的論的発想に基づいていた生物学が、ニュートン力学の影響を受けて徐々に機械論的発想、つまり「この世界は一切の意志を持たないマシーンだ」という発想へ。
生命現象をすべて、分子や原子の動きで説明しようというのです。ご賢察の通り、現在の自然科学の体系全体がその延長上に位置します。でも個人的には、眼前のこの松の木と対峙(たいじ)して、「果たして、それで本当にすべてを説明できるんだろうか...」と思えてきます。
まぁ、退職したから今だからこそ、初めて口外できるのかもしれませんが。なお、変な神秘主義やオカルト思想へ誘導しようという意図はありませんので、決して誤解なきよう。
■9月2日(月) 個人的には「廃墟以上に廃墟」、という印象 ──「柏崎エネルギーホール」解体──
ある意味、昨日の続き。(ただし時間的には、こちらの方が先)
以前はたいてい旧市街地中心部で晩酌のツマミを購入していたのですが、昨秋のスーパー撤退後は中心部や周辺地域を訪れる機会が激減しています。客観的に見ると、これはセンセイだけではありません。
以前ご紹介した旧市街地での移動販売も、開始当初の半分程度にまで減っています。要するに、日中の旧市街地には移動手段を持たない高齢者などごく僅かな人しかいないのです。スーパー閉店が旧市街地の衰退にとどめを刺したという格好。センセイが驚いた理由を、少しご理解いただけたでしょうか。
だからあまり期待せずに旧市街地中心部(の周辺部)へ向かったのです。ところが前方から何やら大きな異音が。構造物を重機で破壊している音...あ"っ。工事用車両の出入り口から撮影したのが写真。わざわざ立ち寄ったのではなく、たまたま通り道だったのです。
かつてここに存在したのは、東京電力の「柏崎エネルギーホール」という多目的施設。そもそも、なぜ当地──電力を供給しているのは東北電力──に東京電力の施設があるかというと、同社の首都圏向け原子力発電所が地域内にあるため。ちなみに、世界最大。
ただし2007年の新潟県中越沖地震で被災し、現在もなお全7基が停止したままですが。ご存じのように原子力発電にはメリットとデメリットが。しかも、立場を入れ換えてみるとわかりますが、電力消費地と発電所所在地では受け止め方が大きく異なります。
今でも首都圏の人の大半はど、こで電力が生産されているのか考えたこともないはず。原子力発電推進のためには、地元自治体や地域住民の理解が必要。地域住民の想いは原子力発電賛成/反対のいずれにせよ、そんな簡単に割り切れるものではありません。
そこでホールなどを備えたこの「地域共生施設」が建設されました。個人的には知り合いの発表会などで1、2回くらい入ったことがあるはず。そのような経緯を背負った施設の解体。運営側の東京電力としてはもちろんそれなりの理由が。
報道(朝日新聞、日本経済新聞)によると地域住民の理解を得るだけでなく、東京にある本社と現場──つまり当地──の「距離」を縮めるために、原子力部門の事務所を新設するとのこと。
う〜ん、社内でも連携が取れていなかったってことね。ちなみに1階にはこれまで通り、地域住民用の施設を用意してくださるそうです。
今回はたまたま解体現場に出くわしたのです。この種の工事では通常、現場を工事用のフェンスで覆い、できるだけ粉塵その他が飛び散らないようにします。もちろん今回も配慮されているのですが角度の関係か、解体現場が丸見え。
しかもかなり大規模。写真の左側に白っぽい粉塵が盛大に飛び散っています。作業員が散水しているのですが、まったく間に合っていません。ホントに、大丈夫かぁ...という感じ。
センセイ個人の印象は、廃墟以上の廃墟。ただし翻(ひるがえ)ってみると、センセイのDNAにもしっかりと刻み込まれた昭和30年代および40年代高度成長期のツケを、こうやって支払わされているような気持ちになります。
もちろん、その美味しい部分を味わったこともまた、事実。単純には割り切れない、現実の重さです。
■9月1日(日) 問われているのは、誰か ──写真を見て背筋がゾクッとする人と、しない人──
写真は先日、旧市街地で撮影したもの。
ただし旧市街地といっても砂丘の上に広がる中心部ではなく、以前ご紹介した新潟市西部に似た砂丘の内側(=南側)。かつての湿地帯だった場所との境界に当たる場所です。ここはふだん、あまり通らない地域。
この日は陽射しが強かったので、センセイは街路樹の木陰を伝うような格好で市の公共施設(右側のグレーの建物)脇を歩いていました。...あ"っ?!
施設本体は無事なようですが、ご覧のように附属するブロック製の建物(写真中央)がかなり傾いて──しかも、たぶん歪んで──います。それだけでなく、ここから先の歩道を含めた左側の部分全体が沈下。
以前ご紹介した近くの場所と同様、能登半島地震で、地中にしっかりとした基礎がない地盤や建物が相対的に沈み込んだらしい。その先日の場所ではつい最近、修復工事が始まりました。ここでは何と、これ以上傾かないようにチェーンで施設に結びつけられています。
もちろん応急処置でしょうが、う〜ん、これでいいんだろうか。というかそもそも、この写真──巧拙は問題としないように──を目にした時、どれだけの人が皮膚感覚で「ヤバイッ!!」と感じるのでしょうか。
正直なところ時々、自分の感覚に自信がなくなる時があります。個人的には新潟地震、新潟県北部地震。新潟県中越地震、新潟県中越沖地震、東日本大震災、大阪府北部地震、北海道胆振東部地震、そして今回の能登半島地震を体験。
されど今までの経験からして、大きな揺れをまったく知らない方が大半だということも認識しています。ちなみに、このサイト開設前だったのでご紹介していませんが、1995年(平成7年)7月11日に発生した「7.11水害」も経験。この時は実家の田圃の大半が、川から溢れ出した土砂で埋め尽くされました。
復旧までに2年かかっています。今日は「防災の日」。これまで悲惨な風水害や地震に遭遇しなかった方々は倖せですし、そのことを素直に言祝(ことほ)ぐべきでしょう。こちらとしても、それを羨むつもりはまったくありません。
ただしお互い、今後についてはまったく別。偉そうなことを言うつもりはないのですが、やはり「イザ」という場面で起きる(かもしれない)ことを想像できる力はとても重要。
これまでの被災場面を通じて得た、実感です。