2018年7月7日更新(2018年7月15日ページ移動)

──2018年7月第1週のニュース──

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7月7日(土) 柏崎市内の廃業したホテルで、解体・撤去の行政代執行が始まりました

 今日は七夕。

 でも西村センセイ、ロマンティックな話には久しくご縁がありません。被災経験を重ねた身としては西日本の大雨も気がかりですが、今現在で我々にできることも限られています。というわけで今日は、センセイが見聞きした話題を。
 昨日に遡ります。

 軽微とはいえ、自動車事故の現場を目撃するなどしてかなり疲れた西村センセイ、昨日は帰宅後、ひとまず書斎で休んでいました。還暦を過ぎてから体力が一段と低下しています。
 そこに実家から呼び出しが。

 たいした用ではなのですが、赴かざるを得ない。事前に確認した際は、来なくて良いと言っていたのに...。

 予想通り、帰り道は夕方の帰宅ラッシュとぶつかりました。センセイの自宅は市街地にあるので、大きな車の流れとは逆方向なのですが、それでもかなりの混雑。
 勝手知ったる地元なので、裏道に回ります。この機会に、いろいろ確かめたいことがあったのです。

 その一つが、写真のホテル。ただし20年くらい前に廃業したので、「旧ホテル」と呼ぶべきか。

 センセイが物心ついた時にはここに存在していました。センセイが高校生の頃、近くに柏崎刈羽原子力発電所が建設されることに。建設工事に伴い、ここ含めて周辺のホテルは大繁盛。
 この諏訪町地区は旧市街地の中心部にあり、市内他地区に現在の「ルートイン」や「東横イン」のようなホテルは存在していなかったのです。

 でも約15年後に原発の建設工事に区切りがつき、センセイがこの地に戻った頃、ここは少なくともホテルとしての営業を停止していました。1階はリサイクルショップか何かとして使用されていたはずですが、それも数年後には閉店。
 報道(地元紙および全国紙の例)によると、所有者は死亡し、相続人もないとのことで、建物は荒れる一方。

 縮小しているのでわかりにくいと思いますが、落下防止のためのネットが全体に掛けられています。費用は市の負担。しかし、このままでは倒壊の可能性が高いため先日、解体・撤去の行政代執行が始まったのです。
 写真は表通りからの撮影。工事は裏側から始まっています。

 改めて、高校1年生の時に一冬過ごした諏訪町通りをゆっくりと走ります。幹線道路の混雑とは対照的に、交通量は少ない。そして全国の地元商店街同様、シャッター通りと化しています。年に2回開かれていた「ガラクタ市」も今年で終了したとのこと。
 でもこれは、決して特別な光景ではありません。

 偉い人がどんな奇麗事を言っていたとしても、この国が、その基盤からゆっくり崩れつつあることを再確認させられます。



7月6日(金) (再び)冗談抜きで、気をつけよう... ──自動車の接触事故現場に遭遇しました──

 金曜日に帰ろうか、それとも日曜日にしようか...。実は、ずっと迷っていたのです。

 ご存じのようにセンセイは、原則として週に1回、新潟の自宅へ戻ることにしています。金沢に洗濯機がないというのが一つの理由ですが、今日もそうだったように、両親の最低限の面倒を見なければならない。
 でも今週は土曜の午後に、研究会が開かれます。

 センセイらの主催ではないのですが、深く関係する部署が催す対外的な行事。センセイも参加者を申し込んでいます。研究会を終えてから自宅へ戻るのは難しい。個人的にはさほど問題ないのですが、家人は早寝早起きなのです。
 それも常人では考えられないほど。

 となると、木曜日に仕事を終えてから帰宅し、金曜日の昼間に大学へ戻って、そのまま翌日の研究会に参加するか、日曜の早朝に帰宅して、月曜の早朝に金沢へ移動するか。前者は昨晩の少林寺拳法部新入生歓迎会が入ったので不可。
 後者はなかなか辛いものが...。

 で、金曜日、つまり今日の仕事に区切りをつけてから自宅へ戻ることに。

 60歳を過ぎてから、疲れがなかなか抜けないこともあって急遽、有給休暇を頂戴することにしました。今朝はゆっくりと起床し、出勤ラッシュを外してから金沢を発ちました。
 基本的には順調だったのですが、予想外のアクシデントが。写真はドライブレコーダーの映像。

 自宅近く、上越市柿崎区の国道8号線を走っていると、道路工事現場に出くわしました。傷んだ舗装を全面的に直しているのです。

 片側1車線の交通規制が行われており、その規制を抜けて走り始めた途端、何台か前を走行する商用車(写真中央奥〔対向車線の大型トラックと重なっている〕)が急に右側にはみ出て、すぐに左側の車線へ戻りました。
 たとえば道路左側に走行中の自転車がいて、それを回避するような走り方。でも、周囲の反応がおかしい。

 要するに、戸惑っています。

 それでも車列はゆっくりと進んだので現場に行ってみると、対向車線のプリウスの後部バンパーが一部、外れて落ちています。高齢の運転手は唖然とした表情で、ドアを開け始めました。
 接触事故です。

 ぶつけた側はというと、少し先の道路左側に車を止め、やはりこちらも高齢のドライバーが助手席側から降りています。それができるくらいなら、何故接触事故を起こしたんだろう...。約1ヶ月半前に出くわしたのは事故直後。でも今回遭遇したのは、その瞬間。
 前回同様、センセイらが救護しなければならない状況ではなかったので、皆がその場を離れます。

 ここは(よね)の山裾が日本海に迫る場所。細い海岸を国道8号線とJR信越本線が走っており、近くに迂回路はありません。工事規制──誘導等に問題はなかった──中の道路で、現場検証が行われることになります。 
 凄いことになったんだろうなぁ、と思うと同時に、気をつけようと(再び)自分に言い聞かせたセンセイなのでした。

 で、オマケ。参加するはずだった研究会は、大雨でキャンセルされてしまいました。金沢へ急いで移動する理由がなくなってしまいました。



7月5日(木) 西村センセイ、文具コーナー → ドラッグストア → スーパーマーケットと、お店のハシゴをする

 ...でも正確に言うと、センセイが今日訪れたのは売店の文具コーナーとドラッグストアだけ。

 今日はいつもと違うことが一つあります。消耗する会議などではなく、センセイが顧問を務めている少林寺拳法部の新入生歓迎会が開かれるのです。本来はもっと早くに催すはずだったのですが、センセイが出張してばかりいるので、このタイミングになってしまったのです。
 関係者の皆様、ゴメンなさい。

 顧問といっても、センセイに少林寺拳法の経験があるわけではありません。ある日突然、「西村先生は少林寺拳法部、ね」と告げられてからのお勤め。ただし彼ら彼女らの活動の様子を見る機会は決して多くないのですが、その姿勢に驚かされ、また、学ぶことも多い。
 だから節目となる行事にはほぼすべて参加しています。

 早朝に起床して外の様子を確かめると、雨。少し前は相当強い雨が降っていました。しかも天気予報はこれから大荒れの天気になるとのこと。さて、どうしよう。
 迷っているのは出勤手段です。

 歓迎会では成人向けにアルコールも提供されます。センセイはいつもビールをお願いするので、行事がある日は徒歩で出勤します。しかしさすがに今日の天気は、厳しい。というわけで、車でご出勤。
 いろいろな仕事を片づけ、講義を終えます。

 強い雨の中、大学食堂でお昼を食べていると、夕方の歓迎会のための「のし袋」が切れていることに気づきました。少林寺拳法部への差し入れを包むのし袋です。
 階上の文具コーナーへ向かったのですが......ない。先日までは確かにあったのに。

 弔事用を含めて、一切存在していません。もちろんコンビニで簡単に手に入るのです。でもこの場所からだとかなり遠い。しかもこの強い雨の中を歩く必要があります。
 思いついたのはすぐ近くにある写真のドラッグストア

 もちろん、のし袋を見つけることができました。ただし、ちょっとイマイチでしたけど。のし袋を見つけるまでに時間がかかったこともあって、結果的には店内を一周するような格好に。やはりインスタント減塩味噌汁はない......。
 でも実は先日、最寄りスーパーで探していたタニタ監修マルコメ味噌製造のインスタント味噌汁を確認しました。

 文具コーナーは商品がなく、健康を保つためのドラッグストアには健康のための食品がなく、ごく普通のスーパーで「それ」が提供される。これを仁義なき闘いと見るか、商機と見るか......。でも、センセイの理解はちょっと違う。
 問題設定そのもの、あるいはその前提を問うべきではないかと考えています。

 どうでしょう。



7月4日(水) 新潟県中越地震の際にお世話になった公衆電話機が廃止、撤去されてしまう...

 困っている学生の個人面談と会議を終えるともう7時。スーパーから惣菜がなくなり始める時間です。

 急いで荷物をまとめて、通用口へ向かいます。その手前にある守衛室で、研究室の部屋の鍵を返却する必要があるのです。夏至を過ぎたばかりなので、まだ外はかなり明るい。
 ......あれ?!

 緑色の公衆電話機に張り紙が。気になって近づくと「公衆電話撤去のご案内」の見出しが目に入りました。「公衆電話利用低下に伴い・・・撤去する事になりましたのでご案内申し上げます」。
 8月20日に撤去するとのこと。

 以前は街のあちこちにあった公衆電話ですが、目にする機会がめっきり少なくなっています。西村センセイ、データ通信の手段を無線通信にするまで電話回線を使用していました。
 出先ではグレーのISDN公衆電話機にアナログで接続して、このサイトを更新。

 グレーの電話機はほぼまったく見なくなりました。今となっては、正確に思い出すことが難しくなっています。

 個人的には2004年10月に発生した新潟県中越地震の際、この電話機に大変お世話になりました。大きな災害だったので、携帯電話の輻輳(ふくそう)を避けるため通信量が制限され、なかなか繋がらなかったのです。
 でも公衆電話は別。

 非常時には優先的に繋がるので、100円玉を握りしめて、この場所で実家や弟と連絡を取り合いました。たまたま石川前学長がそこを通りかかったのですが、後でお話をしたら、その時は「なぜ携帯電話を使わないんだろう」と訝(いぶか)られたとのことでした。
 現在も、非常時に携帯電話が繋がりにくいことに違いはありません。

 ただし以前と違って、メールなどの通信は比較的繋がりやすく、連絡手段が途絶(とぜつ)することは少なくなっています。

 だから廃止、撤去は仕方ない、と頭ではわかるのですが......。



7月3日(火) 学生相手の小商い、これなら意外と手堅いかも... ──大学裏に新たな駐車場がオープンしました──

 今日は見たままのお話。

 写真は今朝、出勤途中で撮影したもの。大学裏を走っている道路の脇に、写真のコイン式駐車場がオープンしたのです。もともとここは、ずっと駐車場として使用されていました。ただし以前は、月極。
 ちなみに、奥のプレハブ建物は国際交流施設の建設工事事務所です。

 先日、それがコイン式の駐車場にリニューアルされていることに気づいたのです。お伝えしたように、この近くには昨年、別会社の駐車場オープンしました。
 どうやら利用者の大半は金沢工大の学生らしい。

 本学は特例を除き、低学年の学生には「自動車による通学」を認めていません。ただし正確には、「学生用駐車場の利用を認めていない」。自動車に乗ることを拒むことはできません。
 移動の自由、つまり基本的人権に関することなので。

 学生の中には、大学の近くに駐車場を借りている学生もいるようですが、そちらはかなりお金がかかる。でもコイン式なら、1回あたりの費用が少々かかっても、「必要な時だけ」と割り切ることも可能。
 この駐車場の方がキャンパスに200mほど近いのですが、料金は1時間あたり100円高い。微妙な価格設定です。

 学生相手の商売、飲食店(たとえばこちらこちら)や理髪店などは、絶えずお客の変化に合わせる必要があります。それに何より、人件費が占める割合が高い。
 でもコイン式パーキングなら、初期投資は大きくても......。

 コイン式駐車場という小商(こあきない)。でも、意外と手堅く儲かるやり方かもしれない。



7月2日(月) 先週と今週はたくさんの胡瓜とジャガイモ。そして来週は、美味しいトマトを食べられそうです

 内容的には、昨日の続き。

 お伝えしたように昨日は、実家へ立ち寄りました。還暦を迎えたセンセイとって、やや強行軍だったのですが、高齢の両親の様子を確かめる必要があります。そしてもう一つの目的が。お土産を渡し、そして、もらうこと。
 前者は松本博多名古屋で購入した、その地の漬け物類など。

 今回はスペシャルバージョンとして、わざわざ大阪のお土産を用意したのですが、地震に遭遇したことを伝えなかったので、母親から特に質問はありませんでした。全国的にはやっぱり、その程度の認識なんだろうなぁ。
 被災地でまだ不便な生活を強いられているであろう皆様、申し訳ございません。

 後者は母親が育てた野菜類。センセイの母親は農家出身ではないにもかかわらず、お米や野菜を育てるのが本当に上手なのです。
 残念ながらその点に関して、彼女の3人の息子は誰ひとり、その才能を直接引き継ぐことはありませんでしたが。

 写真は自宅近くの畑で撮影したもの。先日購入、運搬した鉄製の支柱がご覧のように組み立てられています。一般的には下部をもっと広げるようですが、母親には言いません。
 育てているのはトマト。

 センセイの才能のなさを暴露してしまうことになるのですが、トマトの生育には雨露が良くないらしい。すみませんが、理屈は知りません。
 そこで写真の「屋根」を設置したそうな。母親は大満足。

 今年はトマトの生育が遅れているそうで、食べられるようになるのは来週とのこと。その代わり、新鮮な胡瓜と玉葱を、そして箱一杯の重いジャガイモをもらいました。
 先週は伯母宅にも寄って野菜を頂いたので、玉葱とジャガイモは首都圏の元同僚宅へお裾分け。

 先週、今週とセンセイは胡瓜を金沢まで運び、夕食の最初に頂いています。以前はそれなりに調理したのですが、キンエン生活もあって、水洗いしてからそのままガブリと頂きます。塩はもちろん、味噌も付けません。
 でもこれが本当に甘くて、美味しい。そして、野菜の味がする。

 センセイを含めて、世の中の男性のほぼ全員はマザコン。でもこの美味しさは、それだけが理由じゃないと思う。



7月1日(日) 「長い間有難う御座いました」 ──実家近くの、物心付いた時からお世話になっていたよろず屋が閉店していた──

 いつもなら金曜日、仕事があっても土曜日には自宅に戻るセンセイですが、お伝えしたように昨日は仕事だったので、今朝早く金沢を発ちました。

 日曜日なので交通量は少なく、順調に走行していたのですが7時を過ぎ、富山県に入ると予想外の事態に出くわしました。道路沿いのあちこちに人の姿があるのです。集まって何かをしています。
 ゴミ拾いだったり、各自がゴーグルを付け、機械を肩から掛けての草刈りだったり。

 そう言えば今日はつきが改まり、7月1日。集落毎にクリーンデイなどの行事が行われたようです。

 この間、気温はどんどん上昇。石川県内は24℃くらいだったのですが、富山県内は30℃に迫ろうという状況。新潟県に入ると気温はいったん低下したのですが、自宅に近づくと再び気温が高くなりました。エアコンはフル作動。
 アメダスによると当地の最高気温は32.4℃。金沢はさらに高い33.7℃だったそうです。

 お昼前に無事自宅に到着。書斎で休憩しようと思ったのですが、あまりに暑くて無理(この時点ではエアコンを入れていなかった)。安否確認を兼ねて実家へ向かうことにします。事前に電話したところ、食料の買い出しを頼まれたのです。
 疲れが抜けていないことはわかっているので、運転には気をつけ、こちらも無事、実家に到着......あれ?!

 実家近くの万(よろず)屋に異変を感じたのです。写真右方向から走っていて、最初に目に入ったのは破れたビニール製の庇。商売気(しょうばいげ/しょうばいっけ)が感じられない。
 通り過ぎようとして、玄関引き戸に「閉店」の文字が見えたような......。

 実家に車を置いて徒歩で戻り、撮影したのが写真。貼り紙には「閉店 いたしました。長い間有難う御座いました」。

 このお店はセンセイが生まれる前からこの地に存在している古いお店。左手が住居で写真中央が店舗。センセイが6歳くらいの時に旧店舗を解体して店舗を新築しました。
 建前の日に、地域の人が沢山集まってきたことをよく覚えています。

 旧店舗も覚えています。店の奥、高い場所に大きな壷が並んでいて、その中には1個1円の「バラキャラ」。若い方には想像できないと思いますが、今とは違って甘いものがない時代のこと。
 今でも左手で握り締めた硬貨の感触を覚えています。

 一番古い記憶は醤油に関するもの。若い方が想像するのは難しいと思いますが、当時、醤油はペットボトルなどに入った売り切りではなく、量り売り。
 一升瓶を持参し、それに新しい醤油を詰めてもらっていたのです。

 5歳くらいだったセンセイは張り切って、母親に告げてその一升瓶を持ったのですが、自宅まで歩いている途中に手が滑って、瓶を地面に落としてしまいました。もちろん瓶は粉々。後はお察しの通り。しかも会計はというと「通い(かよい)」。
 つまりその場で精算するのではなく、貸し借りを帳面につけておき、月末に決済するという方法。

 センセイの実家のある集落と、このお店がある隣接する集落に、約150戸の家がありました。車はもちろん、バイクや電話すら貴重な時代。電話があったのは、このお店を含めて、商売をしている家だけでした。
 主要な交通手段は、満員のバスか、すぐにパンクする自転車。

 二つの集落に4軒あった万屋──今風に言えば、コンビニエンス・ストア──で、たいていの用事は足りたのです。センセイ自身を含めて高齢化と過疎化、そしてモータリゼーションが進み、実家付近の戸数は30%〜40%にまで減少しています。
 高齢者の独居が多いので、人口はたぶんピーク時の20%程度のはず。もちろん経済活動は低迷。

 4軒あった万屋はすでに2軒に減少していました。つまり今回の閉店で残されたのは、実家から少し離れた1軒のみ。

 これが地方、そして都市部でも密かに進行しつつある現実。センセイとしては、「地方創生」の掛け声の虚しさに気づかない──ある意味、幸福かもしれない──のは、実は足元をえぐられつつある都市圏だけだろうと考えています。

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