2018年10月13日更新(2018年10月21日ページ移動)

──2018年10月第2週のニュース──

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10月13日(土) 糸魚川市内で、ウィンドサーフィンをしている人を初めて見ました

 今日は見たまま、そしてタイトル通りの話題。

 もちろん、センセイがウィンドサーファーを日本海側で初めて見た、という意味ではありません。夏になると柏崎市の中央海水浴場で、海水浴客の少し沖でゆっくりと走っている姿をよく見かけます。
 でも、それ以外の季節と場所で見かけたのは初めてです。

 お伝えしたように西村センセイ、昨日は大阪大学へご出張。なぜか午後遅くからの会だったし、そもそも阪大はJR線からだと少し不便な場所にあります。金沢に戻ったのは夜遅く。
 今日は自宅へ戻ります。

 本当は交通量の少ない早朝に金沢を発つつもりだったのですが結局、いつもの出勤時刻にアパートを離れました。土曜日の朝なので、全般的に交通量は少な目。ただし長距離トラックが多いなぁーと感じます。
 経済活動がある程度順調であることを示していますから、言祝
(ことほ)ぐべきこと。

 問題なく新潟県内に入ったのですが、糸魚川市東部(旧能生町)の藤崎地区──テレビドラマ「疑惑」のロケ地の一つ──でサーファーの一群を目撃しました。
 風の力でではなく、自分で波に乗る方のサーファーです。

 20人以上のメンバーがボードの上に半分乗りながら、「波」を待っていました。ただしこれは良く目にすること。ただし撮影はしていません。センセイのデジカメだと、彼らが蟻さんのような小さな黒い点にしかならないのです。
 もちろん撮影テクニックにもよるのでしょうが。

 ふと、その先に写真のウィンドサーファー。本当はもっと大きく写したかったのですが、その時に用意していたのは望遠端84mm(35mmフィルム換算)の“PowerShot G9 X Mark II”のみ。残念ながらやはり、蟻さん状態。
 ちなみに、右側の細く、黒い物体は筒石漁港の防波堤です。

 で、よぉーく見ると、水平線が長い波長で僅かに波打っています。今日はけっこう風が強かったのです。これが「うねり」というものなのかしら。

 「うねり」は最終的に、海岸線で波となって砕け、塩分を多く含んだ飛沫(しぶき)が車体にかかります。フロントガラスがたちまち白っぽくなるのですが、ガラスはともかく、鉄製の車体には非常に厳しい状況。
 錆の原因となります。

 ざっとでもいいから今日中に洗い落としたかったのですが、帰宅すると実家や伯母宅、そして家庭内などいくつもの用が。途中、中学校の同級生に出くわしたこともあって、結局、洗車できないまま。

 明朝は綺麗にするというより、塩分を流してから金沢へ移動するつもりです。



10月12日(金) 金沢工大で教えている内容そのものだ... ――西村センセイ、大阪大学医学部付属病院を訪れる――

 と言っても、附属病院でなければ治療できない病気を患ったわけではありませんので、ご安心を。日帰りで、大阪大学で開かれた研究会に参加したのです。

 車窓から沿線の様子を見ていて気づいたのですが、大阪を訪れるのは久しぶり。先々週の、同じ大阪大学への出張――ただし別キャンパス――が台風で流れたため、地震で足止めを余儀なくされた6月以来ということになります。
 高等教育や入学試験に関する会だったのですが、主催者でありセンター長のK教授の研究室が医学部の建物内にあるため、ここで開催されることになったようです。

 キャンパスを行き交うのは、白衣を着た学生や病院関係者。稀に患者さん。当たり前だけど、ふだん目にする光景とはずいぶん違います。列車の関係で、会場へは一番乗り。
 まずK先生にご挨拶します。

 今回のテーマはフランスの「バカロレア」制度。ひとまずは「日本のセンター試験のフランス版」とご説明できるでしょうが、内実は相当異なります。
 そもそも歴史、そして背後に存在する哲学がまったく違うのです。

 西村センセイは教育学者だし、10年以上入学試験を指揮しているので、バカロレアについてもある程度の知識は有しています。でも、どうしても謎のまま残っていた部分があることも事実。
 今回はフランスに留学して、大学でも教えていた先生などから、詳しい説明をお聞きすることができました。

 細かいお話はすべて省略しますが、会に参加して気づいたことがあります。

 バカロレアの本質って、金沢工大でセンセイらのグループが教えている内容そのもの。正確に言うと、その中で用いている「セブン・ステップ・ガイド」という方法の考え方と非常によく似ているのです。
 これには、びっくり。

 ただし「セブン・ステップ・ガイド」はセンセイらが考え出したのではなく、アメリカ・イリノイ工科大学のM.デイビス教授が提唱した方法。つまり舶来品。それを金沢工大の事情に合わせて用いています。

 やはり、日本では生まれない発想なんだろうなぁ。



10月11日(木) 西村センセイ、「ハード 140 ビスケット」で組織のタフさについて考える

 西村センセイ、以前は水曜日に業務が集中していたのです。

 でも他の先生と共同で担当する科目の関係で、今学期は木曜日も忙しい。特に今日は、始業前(!!)に上層部との難しい打合せがあり、続いて臨時の幹部会。センセイは珍しく何回か発言しました。
 事務方の、応援する視線を背中で感じながらです。

 会議を何とか乗り切ると、今度は午前中の講義。ただしその前に緊張した声で電話が。すぐにいろいろなご相談。実際の対応は、午前と午後の講義を終えてからにします。
 研究室へ戻ったのは12時15分。

 午前中の飛び込みの相談で中断せざるを得なかったデータを完成させ、ネットワーク経由で講義用のMacBook(White)にコピーします。午後の講義の準備をある程度整えた12時35分、大学食堂へ。
 とにかく食べなければ、身体が持たない。

 何を食べたのか良く分からない──アジフライ定食はなかった──状態で大教室へ戻り、質問に答えたり説明をしたりして、13時ちょうどに大学院の必修クラスを開始。
 大人数だし、優秀な学生諸君が多いので知力、体力を使います。

 ヘトヘトになって研究室へ戻ると、面談の学生が待っていました。約束してあったのです。1時間以上の話を聞き終えてから、午前中に発生した案件に対応。こちらは別な先生と調整して、極めてうまく対応。
 気分的にはすでに1日が終わっています。でも金沢工大、そんなに甘くはない。

 続いて...は省略させていただきますが、そんなセンセイを陰で支えてくれているのは、昨日スーパーで購入した「ハード 140 ビスケット」。非常にシンプルですが、これが本当に美味しい。センセイのアパートからそう離れていない金沢市内で製造しています。
 人間、最後はある意味での「体力」勝負。食べなければ始まらない。

 ただし「体力」とは、文字通りの体力だけではなく、困っている時などに、人間がお互いに支え合うネットワークでもある。最後の最後は、家族。その手前は「仲間」あるいは「同志」。この人達は絶対に裏切らない、という感覚。
 要所要所でツボを押さえている人がいる組織はブレない。そして強い。

 これこそが金沢工大のタフさの秘密なのです。



10月10日(水) 冬が来る前に... ──大火に見舞われた糸魚川市内で、住宅の再建が本格化しています──

 新潟のお話を、もう1日だけ。気がついていた変化を、ちゃんと確認することができたので。

 写真は、糸魚川市内の国道8号線で撮影したもの。安全のため、赤信号で交差点手前で停止している時に撮影しました。右端に地名を記した標識が見えますが、ここはこちらの地図の最上部。
 センセイは金沢へ向かって西に進んでいるので、この交差点を左折(南側)するとJR糸魚川駅に至ります。

 お察しの通り、写真におさまっているのは約2年前の大火に襲われた場所。写真左奥の赤い屋根の家は、奇跡的に焼け残ったお宅です。
 この家を除き、辺り一面が文字通り、焼け野原になりました。

 センセイはほぼ毎週、この付近を自分で運転しながら、あるいは新幹線の車中(こちらこちらこちら)から、自分の目でその後の様子を見ています。
 銀行など、早期に修復された例もありましたが、地域の再開発と関係しているようで、大半の民家やお店はほぼそのまま。

 ところが、今年の夏頃から復興の動きが目立っていました。確認していませんが、関係者の間で調整がついたということだと理解しています。そしてもう一つ。
 厳しい冬が来る前に、ということなのでしょう。

 ドライブレコーダーの映像を除けば、なかなか撮影する機会がなかったのですが、昨日、初めて自分の目とカメラでその様子をしっかり確認することができました。
 ちなみに、白い塀に囲まれた割烹「
鶴来(つるき)」は写真の右側にあり、やはり再建が進んでいます。

 ただし残念ながらセンセイは被害の大きかった地区(発生直後)を迂回するような格好で走行します。

 その後どうなっているのか、こちらもチャンスがあれば、自分の目で確認したいと思っています。



10月9日(火) そのために用意したかのような席 ──自宅近くで育てられた、コシヒカリの新米を購入しました──

 というわけでセンセイはすでに金沢へ移動。

 自宅に滞在したのはわずか14時間程度。しかもそのかなりの部分は睡眠ですから、いったい何をしているのかという気分になってきます。でも仕事は仕事。
 それでも昨日は高速道路を使ったため、いつもより少し時間的な余裕がありました。

 いくつかの用を片付けたのですが、その中の一つがスーパーでお米を買うこと。最初に訪れたお店にはなく、2軒目で見つけることができました。
 それが写真の「棚田のコシヒカリ じょんのびの里」。

 自宅のある柏崎市内、山間部の旧高柳町内で育てられたコシヒカリです。生育環境が似ているためか味が、かつて母親が自宅で育てていたものに一番近い。
 出回り始めたばかりなので高いんだろうな、と思っていたらいつも通りの1,050円(+税)。

 「新米」のシールを確かめてから手に取りました。産地間競争が厳しく、高く設定できないのでしょうか。現在は店頭販売に注力しているようで、通信販売は今月下旬に開始されるようです。
 で、写真。

 全体としては黒っぽい場所で、プラスチック製の凹みにそのコシヒカリが収まっています。実はここ、BMWのトランクルーム内の左端。下部に何もないようで、転がりやすい物を置くことができるような構造になっているのです。
 ちなみに右側にはバッテリーが収納されています。前後の重量バランスを50:50に揃えるため、車体最後部に設置されています。

 う〜ん何だかコシヒカリは、ここにいるのが当然、というような表情。さて、肝心のお味は...。



10月8日(月:祝日) 世の中、3連休だったのね... ──パン屋さん「ブロス」は明日から営業再開──

 入学試験(公開されている事実)を終えてから、新潟の自宅へ戻りました。

 写真は今朝撮影したもの。交通事故による損傷が気になっていたパン屋さん「ブロス」の様子です。右側には厚手のベニヤ板が打ちつけられたまま。でも、同じように塞がれていた中央の出入り口は、新しいドア。
 貼り紙には明日から営業を再開するとのこと。

 不思議だったのがベニヤ板の取り付け方。上下(天地)で厚みの違う楔(くさび)状の部材を挟んで止めてあるのです。良く見ると分かりますが、上の方が手前に出ています。
 つまり、前屈
(かが)み。平らに止めれば良いように思うのですが...。

 業務は予定通りの時刻に終了したので、アパートへ立ち寄って荷物をまとめ、自宅へ向けて出発します。ただしここからはやや予想外。金沢の街や道路の雰囲気が、いつもと違うのです。
 ここでやっと気づきました。

 センセイはずっと働いていたけど、世の中、3連休だったのね...。

 秋で日暮れが早くなっているため、高速道路の走行を好まないセンセイも、一般道が混雑する富山市付近と上越市付近だけは北陸自動車道に乗ることにしていました。
 でも一般道が混雑しているだけでなく、高速も車が多い。

 しかも滅多に目にしない「大分」など他地域ナンバーが目立ちます。北陸自動車道は一部80km/h制限なのですが、多くの車がそんなことお構いなしのスピードとハンドルさばきでセンセイの右側を通り抜けていきます。
 庄内あるいは山形ナンバーの駈け抜けぶりには、「日付が替わらないうちに自宅へ着くぞー」という気合いに満ち溢れています。

 高速道路ですらこの状態。一般道でも観光拠点を中心として混雑が予想されます。正直なところ、とてもつき合いきれないので予定を変更して、このまま高速道路に乗り続けることにします。理由はもう一つ。
 運転し始めてから自覚したのですが、やはり疲れています。

 80km/hちょうどで走行し、無事に自宅へ戻りました。高速道路を利用したのは全行程の80%程度で、最終的な燃費は24.0km/L。高速道路だけなら26km/L弱と推測されます。

 条件如何にかかわらず、与えられた仕事は静かにきちんとこなす。それだけでなく運転手が疲れているなど、不具合の予兆があったら、それをしっかりと教えてくれる。実に奥が深く、そう簡単には真似できない。
 もちろんセンセイではなく、BMWが、です。

 若い人にはなかなか分かってもらえない種類の情報だと思いますが...。



10月7日(日) 別な意味で、季節が交替する... ──大学近くのお宅が解体されました──

 入学試験は3日目(1日目は先週)。ただし例によって、そちらへのコメントはありません。

 写真は数日前、自転車で出勤する途中、前方の大きな音に気づいて撮影したもの。逆光なのでちょっと分かりにくいと思いますが、民家の解体工事が進んでいました。右手奥、僅かに図書館棟が見えます。
 昨日もこの場所を通ったのですが、作業はさらに進み、コンクリート製の基礎部分が瓦礫となって残っているだけでした。

 金沢工大の建物がこの地に建設された頃、周囲はほとんどが田圃でした。金沢市と野々市市の境界なので、地価は比較的低かったはず。
 現在では田圃や畑も残るものの、大半は住宅地になっています。

 要するに新興住宅地なのですが、それならではの宿命も背負っています。つまり地域住民が同じように高齢化し、やがてこの場から去っていくということ。
 写真の場所に関する限り、どうやらほぼ同じ時期に一斉に宅地化されたらしい。

 小さな子供を抱えた若夫婦がこの地に憧れの我が家を建築し、子育てを含めた生活を始めました。同世代の住民の連携は、堅固。しかし彼ら彼女らは現在、相当な高齢になっています。
 朝にはデイサービスの車が訪れ、中には無人になった家も。

 解体中のお宅の左側にはかつて、広い敷地を持つ家がありました。10年ちょっと前だと思いますが、それがなぜか解体されてしまいます。不思議に思っていると、土地を三分割して一つには小さな新居を建築。
 残り二つを新築住宅として売り出しました。たぶん老後に必要な資金を考えてのことでしょう。

 ただし以上は写真の場所に限ってのお話。地域全体を見ると、特定の業者が大規模に開発した「団地」ではないので、開発は徐々に進みました。その分、全体としては状況はかなり緩和されています。
 気になって、少し離れた場所にある6月に解体されたお宅を訪れてみると、敷地はそのままで、新しい家がほぼ完成に近づいていました。

 ただし、新居で生活を始めるのが以前の住民かどうかは別。お子さんなど身内かもしれないし、まったく新しい住民かもしれない。

 別な意味で、季節あるいは登場人物が交替していきます。

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