2024年2月17更新(2024年2月25日ページ移動)

──2024年2月第3週のニュース──

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2月17日(土) 「明日は我が身」を避けたいのですが... ──すぐ近くから、異音が聞こえてきた──

 先日、旧市街地の一角、諏訪町商店街のアーケード下を歩いていた時に突然、すぐ近くから、もの凄い異音が。

 金属が関係した──ただし相手は金属ではない──鋭く、何かと摺れるような音。一番わからないのは、その音がどこで発生したのか。音がした方向を見回したのですが、一目でそれとわかるような発生源は見当たらない...。
 ナシテ?!

 音が発生した前後を振り返ります。関係する可能性があるのは、道路の反対側に止まっていた写真のスバル・フォレスターだけ。センセイと擦れ違う格好で動き出したと思ったら、なぜかすぐに停止。
 そこで右後方へ移動したフォレスターを一瞥
(いちべつ)したのですが...何事もなさそう。

 でもそれ以外の発生源は考えにくい。改めて地元ナンバーのフォレスターを良く見ると、ハザードランプを点灯させたまま停車中。運転手の右手には携帯電話。
 まぁ、この状況で電話しながら走行するわけにはいきませんからね。

 で、よぉーく見ると、あ"っ...。

 道路の反対側に渡り、左後輪付近を撮影したのが2枚目の写真。タイヤがバーストして、その大半がホイールから外れてしまっています。
 異音は、露出したアルミホイールが路面と接触した際に発した音だったのです。

 印象が薄かったため、走行開始前の状況を良く覚えていないのですが、察するに、車線上でタイヤの状況が悪化したため、無理しながら車を道路脇に寄せた、ということでしょうか。
 稀に、ですが、パンクして走行不能に陥った自動車を目撃することがあります。

 タイヤのバーストも、軽自動車で1回見たことが。ただし、ここまで酷い状況に遭遇したのは初めて。こうなるともう、走行できるのはせいぜい数メートルでしょう。
 西村センセイ、ちょっと良くわからないことが。

 なぜこんなに酷い状況になったんだろう。たとえば高速道路上で、不適切なタイヤ空気圧(空気圧不足)により「スタンディングウェーブ」現象を発生させてしまったのなら、まぁ、理解できなくはない。
 遭遇したいとは、これっぽっちも思いませんが。

 でもここは、高速道路やそのI.C.から離れた旧市街地。

 考えられるのは、例えば一般道において何らかの理由でパンクが発生。運転手はそれを認識したにもかかわらず、例えば「何とか、この先にあるディーラーまで...」と、無理を重ねた...など。
 こうなるともう、少なくとも後輪のタイヤを左右ともに交換せざるを得ないと思う。

 ゾッとする光景だったのです...が、センセイのこの気持ちは、たぶん、読者の皆さんに上手く伝わっていない可能性が高いと思う。(もちろん、責任はセンセイに)

 実はタイヤのパンクやバースト、冗談抜きで「明日は我が身」の問題なのです。

 つい先日、夏用タイヤへの履き替えについてご報告しました。今のBMW 320i M Sport(F30:MT)が納車時に履いていた夏用タイヤは、コンチネンタル(独)のランフラット。残念ながらやたら硬くて、乗り心地はイマイチ
 グリップ力も同様で、走行ノイズも大きい。(特に摩耗時)

 ところがディーラーのお薦めで履き替えたミシュラン(仏)製高性能タイヤ(PS4)は、ランフラットであるにもかかわらず、性格は対照的。グリップ力も静粛性も優れており、(消耗の激しさ以外)何の不満もありませんでした。
 そこで同じものを発注。

 ところが先週、ディーラーから連絡があり、そのミシュランの入荷見込みが立たないとのこと。グローバルに見た場合、どうやら日本のタイヤ市場などもう、どうでも良い存在にまで落ちぶれているらしい...。
 トホホ。

 ただしタイヤは、完全な消耗品。

 購入しないわけにはいかないので、乗り心地等を勘案した結果、同じミシュラン社製の後継タイヤ(PS5)を選択しました。まぁ、それも少量の入荷で、3月に確保できるかどうかという、実に情けない状況なのですが...。
 悩ましい点は、そのタイヤがランフラットではないこと。

 ご紹介が遅くなりましたが、ランフラットタイヤはタイヤの壁面を厚くして万一、パンク等で内部の空気圧が低下しても(今回のフォレスターのように)即座に走行不能に陥るのではなく、一定速度で数十km可能というタイヤ。
 これを採用することで、スペアタイヤの搭載が不要に。

 センセイもF30購入直後、初めてのパンクに遭遇しましたが、冗談抜きでランフラットに助けられました。その代わり、乗り心地は硬い(特に初期の製品)、要するに、両者はトレードオフの関係。
 他方、これまでの約35年間、距離でいうと80万km程度──地球を約20周!! ──の走行において、パンクは1回だけと考えることも可能。

 いろいろ調べ──実際に流通していない──また考えた末、ランフラットではないタイヤに。つまり、パンクにより即座に走行できなくなる可能性を一定程度受け入れる、という選択をしたことに。
 万一の際は、ただちにレッカー移動と腹を括るしかない。(キッパリ)

 バーストしたタイヤの前で「ゾッとした...」センセイの皮膚感覚、少しはご理解いただけたでしょうか...。 



2月16日(金) 物理(生理学)的、心理的原因が相俟って、西村センセイ、「いつも揺れている...」

今回も一部、病気および身体の状況に関する内容を取り扱います。不快に感じる可能性がありますので、ご注意ください

 まずはオマケのオマケから。

 火曜日の深夜に発症したノロウイルス胃腸炎の件、残念ながら症状が相当重かったのか、あるいはその後の対応に問題があったのか(/またはその両方)、回復が予想よりも遅れています。
 敢えてご紹介を控えていたのが、排尿量の激減。

 実は発症から2日半ほど、ほとんど排尿がありません(!!)でした。冬期は気温が低いため、皮膚からの水分蒸発量が減少。その分、尿として排出される量が増加する──もちろん摂取する水の量が大きく関係──のですが、それが激減。
 僅かな尿は、猛烈な色の濃さ。

 そりゃ、そうでしょう。腎臓に猛烈な負担を掛けているんだろうなぁ...。

 予想外だったのが味覚と聴覚の不調。前者は当然、消化器系の不調によるものでしょう。昨晩、罹患後初めてビールの栓を抜いた──何のことはなく、1晩休肝しただけ──のですが、まず、美味しそうじゃない...。(実話)
 気のせいだろうと思って一口頂いたのですが、まず味がわからないし悲しいことに、実際、飲んでも美味しいとは思えない。(涙)

 酷い風邪をひいた時など、似たような状態になることはありました。状況を悟り、少し飲んだだけで就寝。

 また、味覚と直結はしないと思いますが、少量のビールで明らかな腹部膨満感。ノロウイルスは毒素を分泌させることはないそうですが、その代わり、十二指腸付近の小腸上皮細胞を脱落させる(!!)とのこと。
 ダメージが大きく、小腸の回復が遅れているのでしょうか。

 これと関係するのか、体重は再び1.5kg低下。症状が最も重たかった時の状態に戻ってしまいました。そして考えてもいなかったのですが、聴覚がおかしい。変な音が聞こえる(/あるいは聞こえない)とかではなく、音を楽しめない。
 本当は美しく感動的な音楽のはずなのに...。

 いずれにせよ、残念ながら発症後3日が経過した現在も体調不調は否めない事実。皆さんはセンセイを悪しき前例として気をつけていただければと思います。

 で、本題。

 上記事情が関係しているのかもしれませんが、ここ数日、センセイは個人的に「いつも揺れている」という感じ。これにはいくつかの原因あるいは要因が。まず、間違いなく物理的に揺れている。
 一つは能登半島地震に伴うもの。

 能登地域で余震が続いているのですが、当地の沖合、能登半島と佐渡の中間付近でもM5.0程度の地震が続いています。昨15日も2回。
 ただし1回は自動車の運転中だったので、認識しませんでした。

 お伝えしたように、この地域には能登半島地震による「断層の割れ残り」が存在すると指摘されており、いつ大きな揺れに襲われても不思議ではない状況。
 ここから先は心理的な問題ですが、こうなると、どうしても揺れについては神経質になりがち。

 もちろん油断して不意打ちを食らうよりは良いのでしょうが、ナーバスになりすぎるのも...。物理現象に戻ると、拙宅付近は地震以外の理由でも本当に揺れています。
 この地域は、海岸沿いに発達した砂丘の内側の、かつては湿地帯だった場所。

 当然、地盤は良くありません。だからこそ拙宅を建てる際、親戚の工務店の提案を受け入れて、パイルを地中深くまで打ち込みました。
 その効果は、覿面
(てきめん)

 ただし地面の揺れそのものを抑える(「制震」)わけではありません。近くの小さな川沿いにJR信越本線が敷設されている──昔の蒸気機関車は勾配に弱いため──のですが、重い貨物列車が通過するたびに揺れます。(軽い電車は揺れない)
 ただし列車が通過する時刻は決まっているので、慣れれば、まぁ、何とか。

 揺れで、列車が定刻に運行されているかどうかもわかるし。

 問題は、数日前から近所で始まった宅地造成工事。3ヶ月くらい前に準備を始めたので、工事開始は時間の問題だったのです。土砂を満載したダンプカーが、拙宅を半周するような格好で不規則、かつ、ひっきりなしに通過。
 我が家の宅地を造成する際も同じことが起きたはずなので、お互い様なのですが...。

 というわけでノロウイルス感染で体力と気力のレベルが低下しているところに、「揺れているのではないか」と、やや疑心暗鬼(ぎしんあんき)気味に。そこに複数の理由で物理的に揺れが加わるという悲惨な状態。
 地震発生直後の数日間、被災地でも同様の事態が起きていたはず。

 それでも当地では、夜になればダンプカーが走ることはありません。被災地が強いられた状況と相違して、「明けない夜はない」ことを比較的短時間で実感できます。

 高齢者の西村センセイ、調子が戻るまでに、もう少し時間がかかりそうです。



2月15日(木) 三兎を追う者は別な一兎も得るが、一兎を忘れる(3) ──糸魚川、もう1両のSL──

 先週末のツアーに関する最終回。

 突発事件で間が空いてしまったので、これまでをごく簡単に再確認すると、ツアーの目的は(1)ほくほく線「鍋立山トンネル」と「儀明信号所」の確認、(2)「サンレパス ルート8」で美味しいお昼を頂くこと。
 ご紹介したように、ここまでは達成済。

 残された最後の目的は、(3)乗換の長岡駅でSUICAにチャージすること。

 最近、SUICAを兼ねたクレジットカードを変更したため、カードが無チャージの状態になってしまったのです。センセイはJR東日本を多用するので、ポイントが自動的に溜まります。しかし当地は田舎なので、それをSUICAに付け替えるマシンがない...。
 ただし今回、この目的は達成できなくなったことがすぐに判明。

 何のことはなく、SUICAを忘れてきたのです。自宅から公道に出た時に気がついたのですが、情けないので戻りませんでした。トホホ。

 それはともかく、浦本駅に戻り泊行上り列車に乗り込んだセンセイは西へ。このような外出の場合、センセイはトートバックにコンパクトデジカメ(+この日は折り畳み傘)くらいしか入れません。必要なダイヤは概要をすべて暗記。
 言い換えると、想定外の事態への対応は困難。

 ただしこの日はたまたま、以前に直江津駅で頂いた簡易時刻表を持っていました。戻ることができる西端の駅まで行こうかと思ったのですが、乗車した列車は糸魚川駅で21分も停車。
 その関係で、西隣の青海駅までの往復が限界。

 そこで糸魚川駅で列車から降りて、高齢者へのお土産を購入してから戻ることにしました。実はもう一つ、新たな目的が。昨年訪れた「糸魚川ジオステーション ジオパル」のもう少し先まで歩くこと。
 そこには写真の「C12 88」蒸気機関車が静態保存されているのです。
(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))

 この小型蒸気機関車は主に大糸線で使われていたもので、1972年に廃車となった後に当時の国鉄から糸魚川市に無償貸与され、現在は駅近くの糸魚川小学校の敷地内に置かれています。
 注意していると在来線の車内から見ることができます。

 保存当初は立派な屋根が設置されて腕木式の信号機も置かれていたのですが、小学校の建て替えに伴い、敷地内で移設。現在はご覧のように露天で保存されています。
 そのため、残念ながら車体上部の傷みが進行中。

 北陸新幹線の高架と、在来線の踏切を渡って駅の北側へ。小さな交差点を渡ると街並みが急に途切れて、そこから先は更地に。2016年末に発声した「糸魚川市駅北大火(現在の火災跡地)」火元、ラーメン店があった場所です。
 ここも在来線から良く見えます。

 駅ビルに隣接した観光物産センターで、地元産の漬け物──実は、大半が県内他産地産──を購入してから下り列車で直江津駅へ。入線済のほくほく線に乗り換えて、予定通り「鍋立山トンネル」を目指しました。
 というわけで今回の行程は、結果として
前回の真逆になってしまったのでした。

 以下、オマケ。

 ノロウイルス感染のその後ですがセンセイの場合、残念ながら「ケロッと...」とはいきませんでした。昨晩は通常より3時間早く、しかもビールなしで就寝。どうなるかと思ったのですが、結果的には朝までの10時間、泥のように眠りました。
 やはり相当消耗していたらしい。

 ただし今日になってもお腹周りの調子はイマイチで、気持ち悪さも残っています(日常生活は送ることができますので、ご安心ください)。感染力が非常に強く、幼児が集団感染しやすいノロウイルス。
 今回、センセイはある程度の知識を持っていましたが、それでもお伝えしたような体
(てい)たらく。

 仕事を持ちながら幼児を育て、日々忙しく過ごされているご夫婦だと、まず、幼稚園等で集団感染が発生。体調が急激に悪化する子供の対応に追われているうちに、今度は家庭内で次々と発病...。
 倖い、深刻な事態に陥る可能性は低いようですが、罹患した側、そして面倒を看る側は本当に大変。

 今日のニュースでも報道していましたが、県内ではノロウイルスが大流行中。

 冗談抜きでお互い、本当に気をつけましょう。



2月14日(水) 原因は、言えない... ──西村センセイ、ノロウイルスに感染して七転八倒する──

病気および身体の状況に関する内容を取り扱っており、人によっては不快に感じる可能性があります。その場合、本日はお読みにならないことをお勧めします

 「七転び八起き」ではなく、「七転八倒」(「しちてんばっとう」/「しってんばっとう」/「しちてんはっとう」)。要するに苦しさのあまり、のたうち回ること。実は昨夜から今日にかけてのセンセイがまさにこの状態だったのです。
 というわけで予定を急遽変更して、悲惨だったノロウイルス胃腸炎罹患の顛末を。

 昨晩までの西村センセイ、身体にちょっと違和感を覚えたのですが、特に問題とするほどではありませんでした。そこで夕食を終えから、2階の書斎で故小澤征爾が指揮するブラームスの第1番を聴きつつ、ビールの栓を抜きました。
 いつも通り、22:40ころ就寝。

 ただし夜中に胸焼け(「逆流性食道炎」)を起こしそうな予感がしたので、ふだんから使用している市販の胃薬を予防的に服用。同級生のクリニックで胃の内視鏡検査を受けるたびに指摘されるのですが、センセイは胃と食道の境界にある「噴門」の筋力が弱いとのこと。
 だから注意していないと、逆流性胃腸炎を起こしやすいのです。

 やれやれと思いながらすぐに眠りについたのですが、そのわずか20分後、異常事態が発生。まず激しい胃液の逆流。食道は胃液に対応していないので逆流するととても痛く、内視鏡で見ると赤く焼けただれたようになっています。(そう簡単には治らない)
 いつもと同じ量の薬を飲んだのに。

 でも、まぁ、我慢すれば何とか...と思ったのが甘かった。その直後、突発的──本当──に腹部膨満(ぼうまん)感に襲われ、気持ちが猛烈に悪くなってきました。もはや我慢できるレベルでないことは明らか。
 すぐにトイレへ駆け込み...。(以下、省略)

 こんなに多くの水分が体内に収められていたのかと驚くほど。こんなことは初めて。

 この時点で原因は未確定。それでも問題物質(?)を体外に排出したのだからこれで...と考え、再度胃薬を服用して就寝。ところが、もう何も残っていないにもかかわらず膨満感は収まらず、不快感も一向に解消しません。
 ただし今回、食道を除けば、それほど強い痛みは感じませんでした。

 他方、体温は平熱より少し高いものの、36.9℃に収まっています。熱っぽさもありません。不調を最初に自覚した時、当然、新型コロナウイルスやインフルエンザへの感染を考えたのですが、その可能性は低い。
 一番可能性が高いのは、ノロウイルス感染による胃腸炎。

 流行っていることは知っていたのです。ノロウイルスはエンベロープ(「封筒」。ここではウイルスを包む脂質性の膜)を持たないので、通常のアルコール消毒は役に立ちません。だから、ことあるごとに薬用石鹸で手指を洗っていたのですが...。
 23時以降、きっちり2時間ごとにこれを繰り返すことになりました。

 水を口にすると直ちに気分が悪くなり、飲んだ量の数倍の水(!!)を嘔吐。気持ち悪さは相変わらずだし、状況が改善する兆候も見られません。
 驚いたのは5時過ぎの嘔吐物の内容。

 水分がほとんどですが、固形物も若干含まれています。その形状を観察すると、12時間前の夕食の内容が、ほぼそのままの色と形(!!)で。
 胃酸の影響をほとんどまったく受けていません。

 つまり胃(と十二指腸および小腸?)が、まったく機能していないのです。それでも6時頃になると、ちょっとだけ眠ることができました。
 朝起きた時はげっそり。

 体重がわずか約7時間で1.5kg減少していました。もちろんほとんどが失われた水分の質量。身体は激しく消耗しており、手摺りに掴まりながら歩くのがやっと。
 家人は救急車の利用を提案しましたが、客観的に見て、即座に命にかかわるような緊急性は低いと思う。

 いろいろ考えた末、電話をしてから同級生のクリニックで診てもらうことに。

 ただし自動車の運転は難しそう。25分くらい歩こうか...などと考えつつ、受付開始時刻までの間、ノロウイルス胃腸炎に関する情報を調べました。ここまでのご説明は、センセイが記憶していた内容なのです。
 するとまず昨晩起きたことは、ノロウイルスのほぼ典型例と判明。つまりノロで確定。

 今後の治療の見通しですが、結論から言うと抗ウイルス薬は存在せず、対症療法しかないとのこと。明らかに脱水症状なので、医師の判断で点滴をするかもしれませんが、せいぜいその程度。
 また下剤を服用した大腸の内視鏡検査時に比べれば脱水も軽い。

 あの時は体内の水分が失われすぎて、話そうとしても発声できませんでした。

 さらに回復までに1、2日程度。免疫力が低下している高齢者などを除けば後遺症もないとのこと。この時点で発症から約9時間が経過。少しずつですが、未明までのあの悲惨な状況ではなくなっています。
 イメージ的には「人間の世界に帰ってきたぞ」という感じ。

 というわけで受診を諦めて、書斎で大人しくしていることに。ただし水分補給が必要なので、ふだんまったく口にしないスポーツ飲料を買ってきてもらいました。夜のことがあったので、どうなるかなと思ったのですが、少しずつなら飲めるように。
 疲れが溜まっていたからでしょう、1時間ほど午睡。

 体調がふだんの半分くらいまで回復したので、外へ出て刺激が少なく、油っぽくないものをちょっとだけ頂きました。現時点でもまだ体調は万全ではありませんが、明日になれば案外、ケロッとしているのかも。
 ところで、ノロウイルスの潜伏期間は予想より長く、24〜48時間程度とのこと。

 最初は昨晩の食事に問題があったのか、戸外のどこかで感染したのかと思ったのですが、これで原因はほぼ確定。日曜日に、夕食とその後のおつまみで頂いた、広島産の大きな牡蠣の加熱不足です。
 普通の表現をすれば、「牡蠣に当たった」ということ。

 今回初めて知ったのですが、ノロウイルスは冷凍を含めて低温にはきわめて強いだけでなく、感染性が長持ちするとのこと。

 う〜ん、でも今はまだ、伝えられない。

 きわめてストレスフルだった今日。当然、血圧は高いだろうなぁーと覚悟しながら測定したところ、朝の「平均」(「収縮期血圧」の3回移動平均の最低)は98mmHg(個別記録の最低は90mmHg)、日中は何と90mmHg。
 日中の個別最低記録も90mmHgで、それを3回記録しました。

 昨晩から今日はホントに大変だったのですが...良くわからない。



2月13日(火) 三兎を追う者は別な一兎も得るが、一兎を忘れる(2) ──今回は想定外の行程変更──

 昨日の続き。

 今回の行程は結果的に、前回の真逆に。ただしこれは本当に結果論。「サンレパス ルート8」で普通にお昼を頂くと実行できない移動だったのです。お店があるのは旧北陸本線浦本駅と能生駅の中間。
 前者から歩いて20分、後者だと1時間ちょっと。

 直江津から乗車した1両編成のディーゼルカーは浦本駅に10:19到着。駅前(写真中央奥)から、旧北陸本線跡を転用した「久比岐(くびき)自転車歩行者道(写真左)を歩きます。写真はその途中、糸魚川市鬼伏(おにぶし)と間脇(まわき)境界付近で振り返りながら撮影したもの。
 右の道路が国道8号線。海に接しているので、冬期は日本海の波飛沫
(しぶき)をモロに被ります。

 反対側から歩いてきた地元の高齢女性に会釈をしてすれ違い、10:40頃お店に到着。11時開店まで待つとして、どんなに早くてもお店を出るのは11:15ころ。
 浦本駅に戻ると11:35前後ですが、上り列車は約20分前、下り列車も数分前に駅を発っています。

 そこで今回は、お昼を頂いた後、浦本に戻るのではなく、逆方向(写真手前)の能生駅まで歩くことに。そこから直江津まで戻ってほくほく線に乗り換えようと考えたのです。
 能生駅には12:20ころに到着するので、12:26発の直江津行き下り列車に乗車できるはず。

 能生駅まで歩こうと思った理由がもう一つ。この日は曇りで、時々雨も。浦本駅から見て北東にあるお店に向かう時はあまり問題はないのですが、駅に戻るとなるとほぼ向かい風。
 もし雨が降っていたら、最悪。

 それならば多少距離があっても追い風を背中に受けながら、さらに東の能生駅へ...と考えたのです。撮影したのは鬼伏の岬の近く。
 岬に沿ってカーブしているので、ここを過ぎると突然、「サンレパス ルート8」が目に入ってきます...あれっ?!

 遠くなのではっきりしないのですが、入口脇に「営業中」の赤い看板が下げられているような...。心なしか、歩みが速まります。やはり、しっかり営業中。実は「サンレパス ルート8」の営業時間、はっきりしていないのです。
 ネット上には11時〜19:30営業とありますが、公式情報ではないはず。

 他方、昔の“Facebook”上には10時から15時とあるのですが、確実に、夜まで開いています。現役時代、金沢へ向かう時はお店の脇をいつも9:25ころに通過していたのですが、その時はまだ準備中。
 正確に言うと店内に灯りはなく、準備しているかどうかすらも不明。

 ただし11時前にはすでに営業していることもあったような...。たぶん実際の営業時間は10:00時から19:30なんだろうと思います。それはともかく、予定通りの時刻に「サンレパス ルート8」到着。
 先客は3名、いずれも地元の方。

 お昼になると長距離トラックの運転手や、女性を含めた地元客で賑わいます。家族連れも多い。

 能生駅まで歩くつもりだったので、ぼんやりと待っていると意外に早く「鶏の唐揚げ定食」が届けられました。美味しく頂いてから、さて、どうしよう。倖い、雨はほとんど降っておらず──結局、終日折り畳み傘を使わなかった──風もさほど強くはありません。
 そこで予定を変更して浦本駅へ戻ることに。

 駅に到着したのは11:20前だった──時計は持っていない──のですが、駅舎内の時刻表を見ると泊(とまり)行き上り列車が11:18に発車するとのこと。僅かな差で乗り遅れたかなと思ったのですが、それなら目撃しているはず。
 もしかしたら...と思いながら上りホームに出たところで、列車接近の警報音。

 もちろん、逡巡(しゅんじゅん)することなく乗車します。

 さて、この後をどうしよう...。今回は、まったくの想定外だったのです。(続く)



2月12日(月:休日) 三兎を追う者は別な一兎も得るが、一兎を忘れる ──鍋立山トンネルと儀明信号所──

 先週末、先月に引き続き、家人から企画乗車券を譲り受けました。

 土日祝日限定(夏期および冬期は平日も利用可)とはいえ、第三セクター線を含めた県内ほぼ全域で、2日間利用できるという優れもの。しかも今回利用した会員用は格安。正確には4月から、いずれも数十円ずつ値上げされるのですが。
 それはともかく、鉄道ファンのセンセイとして乗らない理由はない。

 ただしお伝えしたように、センセイの場合は地理的条件から日帰りでの行動範囲は限られます。そこで今回は、まず、いろいろ涌いてくる要望をリスト化して、優先順位をつけることに。その上で、場合によっては低位希望の救済可能性も。
 その栄えある第1位に選ばれたのは、鉄道ネタ。

 具体的には、北越急行(ほくほく線)の「鍋立(なべたち)山トンネル」と、その中にある「儀明(ぎみょう)信号所」をちゃんと確認し、可能ならば写真を撮影することです。検索していただくとわかりますが、いずれもとても有名な施設。
 
鍋立山トンネル」はほくほく線のほぼ中間に位置する、長さ9.1kmもの長大トンネル。ローカル線で、ですよ。

 そしてその長さに以上にトンネルの名を世に知らしめているのが、その超難工事。開通まで実に22年(!!)近くも要しています。ちなみに、紀行作家宮脇俊三の「白き湖底の町にて」(『線路のない時刻表』所収)に、未通時の現場工事の様子が登場。
 また、この時の体験を元にした短編「豪雪地帯の巻」が、氏の推理小説『殺意の風景』に収められています。

 もちろんセンセイのことですから、鍋立山トンネル」を何十回──100回以上かも──も通過しているのです。ただしそのほとんどが当時、北陸と首都圏を結んでいた681/683系特急「はくたか乗車時。
 特急なので当然、車両の前方は見えない。

 「儀明信号所」についても同様。ほくほく線は単線なので、「はくたか」に乗っていると何度も列車交換します。もちろん地上での交換もあるのですが、トンネル内の時も。
 ほくほく線内には3カ所のトンネル内信号所(列車交換施設)が。
(「はくたか」廃止後、他の信号所は運用休止状態

 真っ暗なトンネル内で列車交換する場合、停車した特急のすぐ脇を別な「はくたか」が国内最高速(現在もタイトル保持)の160km/hで通過。風圧で車体が揺れ、大きな窓ガラスの中央部が凸凹します。(実話)
 なかなかシュールな光景。

 夜の列車交換なら、地上であっても同じようなものだろうと言われれば、まぁ、それまでなのですが...。

 今回、「鍋立山トンネル」と、その中にある「儀明信号所」を視認することは難しくないとして、要望の第2位をどうするか。いろいろ考えた末、再びサンレパス ルート8」で「鶏の唐揚げ定食」を頂くことに。
 偉そうなことを言っていても、食い気(+タンパク質補給)には勝てなかったということか...。

 第3位以降の敗者復活戦もあり、センセイは時刻表とずっと睨めっこ。今回は目標達成のため、かなり厳しく取捨選択。欲張りかつ優柔不断なセンセイとしてはかなり珍しいことです。悩んだ末に選択した経路については後日。
 ちなみに、前回ほどエレガントではありません。

 写真は「ほくほく大島駅」手前から見た「鍋立山トンネル」入口。トンネルの径が大きいのは、当初、貨物列車を含めてこの駅での列車交換を前提として設計した名残(なごり)(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960(原寸トリミング)。トンネル左側に「鍋立山」と記されたプレートを確認できる)
 「儀明信号所」を含めた3カ所のトンネル内信号所についてもちゃんと確認しました。

 前回もその一部については確認していたのですが、残念ながら今回も含めて写真撮影には失敗。主たる理由はトンネル内が暗いのに対して、車内が明るいこと。前回がド派手な「ゆめぞら」号だったこともあります。
 されど今回、全体の状況を把握することができたので、次のチャンスををめざすことに。

 計画および実行段階で頑張った──今回は天気にも恵まれた──ため、結果的には「サンレパス ルート8」で美味しい「鶏の唐揚げ定食」もちゃんと頂いたのですが、今回はセンセイにしては珍しく、想定外の事態に。
 同時に、本当に情けない理由で失ったものが。

 ただし、予想外に恵まれたものも。

 たぶん、続く。



2月11日(日:祝日) 358と823 ──去る者あれば来る者あり。市内に新しいお店がオープンしました──

 写真は今月撮影したもの。まだ雪が残っています。

 ここは駅裏の、ふだんあまり歩かない場所。去年の後半──たぶん秋──に写真左の白い建物が持ち込まれていることに気づきました。「建てられた」ではないのは、これがコンテナハウスだから。
 基礎の部分を見ていただくとわかります。

 もちろん店舗なんだろうと思ったのですが...何のお店になるのか、さっぱりわからない。その時点で建物に書かれていたのは、側面(短辺側)の「358」という数字だけ。(現在も変わらず)
 やがて大きな窓ガラスに店名が。

 そこには“PROTEIN CAFE 358”(インスタグラム)。若い女性をターゲットとした喫茶店の一種らしい。実際、その後はコンスタントに女性客が。
 右側を目を転じると、黒く塗装されたシンプルな建物の入口に「823」。

 こちらもそれだけでは意味不明ですが、入口には”GO HARD OR GO HOME”と、挑戦的な言葉が掲げられています。どうやら“JACK'S GYM”(インスタグラム)というジムらしい。
 ただしこちらの入りは良くわかりません。

 右の建物はもともと塗装屋さんだったのです。インスタグラムを見ても、白と黒の両店は深い関係にあるようです。(昨日に引き続いて)察するに、オーナーが心機一転、同一の敷地内で新しい業態に挑戦した...のかも。
 もちろん、個人的にはあまりご縁はなさそう...。

 ただしセンセイにとって、本当の問題はたぶんその点に。このような企画を立てて実行していらっしゃるのは、少なくとも精神的には若い方。注意して反省してみると、この衰退著しい地域にも、ポツポツと新しい動きが。
 センセイのような高齢者がそれに気づかないなら問題だし、軽視あるいは無視してしまうとしたら、実はより重大な事態。

 どこまで可能かは別として、高齢者もアンテナの感度をできるだけ高く...と、反省したのでした。

 それにしても358と823、いったいどういう意味があるんだろう。

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