2024年7月6更新(2024年7月14日ページ移動)

──2024年6月第6週〜7月第1週のニュース──

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7月6日(土) 三等国の、さもしい風景 ──柏崎駅1番線ホームの水飲み場が封止されていた──

 予定変更が続いたため、お伝えし損ねていた話題を。

 写真は2週間前、妙高高原他を訪れた際に撮影したもの。ただし撮影したのは最初の電車に乗り込む前。柏崎駅の1番線ホームで変化に気づいたのです。注目していただきたいのはもちろん、中央の水飲み場。
 かつてはそれなりに大きな駅のホームで、ごく当たり前に見られた光景です。

 ただしお気づきかどうかここ20年くらいの間に、どんどん撤去されています。もはや在来線ホームで目にする機会はほとんどなくなりました。

 センセイの行動範囲では、夜行列車が多数停車したり、折り返したりした長岡駅には、在来線ホームに立派な洗顔所(2枚目の写真)が。(ただし、ホームにトイレはない)
 上野からの夜行寝台特急だと、秋田・青森方面へ向かうためには直流機関車から交直両用に付け替える必要が。
(165系電車の新潟行急行「佐渡4号」を除く)

 北陸方面へ向かう場合も交直両用に付け替え、かつ進行方向を変える必要があり、いずれもかなり長時間停車することになります。
 この時間を利用して、乗客の一部が車外に出て洗顔所を利用していたのです。

 ただし長岡駅も、在来線ホームの洗顔所は完全に撤去──良く見ると、跡が残っている──され、新幹線の上りホームに1カ所残存するだけ。
 ...ただしここ2年ほど訪れていないので、本当に残っているんだろうか。

 この日は気温がある程度高かったのですが、猛暑というほどではなかったので水筒を持たずに出発。乗車前、念のために...と思って水飲み場を訪れたら、あ"っ...。ご覧のように、蛇口があった場所は真新しい水栓で封止されています。
 今回初めて気づいたのですが、右側は子供用だったんですね。良く考えられている...。

 もちろんイザとなったら、ホーム内にある自動販売機で水かお茶を購入すればよいのです。駅舎内には売店もあるので、駅員に断って一時的に外出することも可能。だから「ケチなことを...」と言われても仕方ない。
 ケチ、つまり「吝嗇
(りんしょく)」ですね。

 でも良く考えると、これは「鉄道(および付帯設備)は誰のものか」という問題。もちろん現在、直接にはJR東日本のもの。水道料金も払っているはずだし。そうだとするとある意味、確かに「株主のもの」かも。
 そこまでは理解できるとして、では鉄道の利用者は「JRが利用させてあげている」存在なのでしょうか。

 さらに非利用者に至っては「利用していないのだから関係ない」と即断して良いのでしょうか。この問題、さらに広く考えれば「公共財」は誰のものであり、誰のために誰が維持負担すべきかということ。
 三等国
(あるいは四等国)に仲間入りし、国に余力がどんどんなくなっている現在、「公共」はどんどん狭く解釈されるように。

 未熟な状態で生まれて(親を中心とする)誰かに育てられ、最後は誰かのお世話を受けながらこの世から退場していくのに、最も調子の良い時だけを基準にして、他者に見返りを要求してしまう。
 もちろん誰も、この罠から完全には逃れられないのでしょう。

 でも今回の地震など非常時を考えれば、それがいかに一面的にしか過ぎないことはすぐにわかるはず。それすら指摘されないということそのものが、三等国あるいは四等国であることを示す証左(しょうさ)なのでしょうねぇ。

 なお、送別会で送り出される時など特別な場合を除き、「センセイのビール代を他者が負担しろ」などと主張しているわけではありませんので、絶対に誤解なきよう。



7月5日(金) 日本人はやはり、判官贔屓?! ──当地は最高気温34.2℃と、猛暑日の一歩手前──

 ご存じと思いますが「判官贔屓(ほうがんびいき)」であり、「はんがん」ではありません。

 センセイにとって、金曜日は家族サービスの日。

 特に今日は、順番待ちを伴う病院への送り迎えが。いつもより1時間早く起床して実家へ。出勤すべく、やたら飛ばす車とともに病院を目指します。早朝はそれほどでもなかったのですが、この頃から気温がどんどん上昇。
 病院に送り届けてからは、強烈な太陽光線から逃げ帰るように自宅へ。

 1時間半ほどで治療を終えたとの連絡が入ったので、再び病院へ向かったのですが、もう真夏を思わせる太陽光線。冷房が効いた車内にいても、ガラス越しに日が当たっている部分が痛くなってきます。
 途中、スーパーで1週間分の食料を調達し、再び実家へ。

 正直なところ陽射しがきついので、外に出たくない気持ちもあったのですが、今日も郵便局等の用事があったため帰宅後、日焼け止めクリームをたっぷり塗って徒歩で外出。
 行き交う車も少ないのですが、歩いている人はごく稀。時々、自転車に乗っている人とすれ違う程度。

 汗がどんどん気化しています。気温30℃以上は確実。最低限の用を済ませて正午過ぎに帰宅しました。いくつか片付けようと思っていたことがあったのですが、あまりの暑さにすべてキャンセル。
 エアコンは苦手なので、扇風機だけ
──それも風が直接当たらないようにする──で乗り切りました。

 デジタル温度計を時々見ていたのですが、確認した限り、今日の書斎の最高気温は32.9℃。2階の、風通しの良い場所の温度計は31℃台を指していました。
 他方、アメダスによると当地の最高気温は34.2℃。

 猛暑日一歩手前。当地での今年最高の記録です。

 もうこうなるとエアコンを使わない限り、知的活動および身体活動は無理。というわけで珍しく、ぼんやりと過ごしました。その甲斐(?)あってか、日中の「平均」血圧──「収縮期血圧」の3回移動平均の最低──は102mmHg。
 ちなみに、朝は99mmHgでした。

 午後、陽射しが少しだけ弱くなったことを確認して、拙宅西側で撮影したのが写真。枝豆のその後の様子ですが、今回はこれまでとは逆に、北から南側を見ています。中央で何とか頑張っているのは、最も弱そうな枝豆。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
 奥の、日当たりの良い枝豆の順調な生長ぶりとは対照的。

 長い間教員という仕事をしていると、まず順調に成長する学生諸君に目が行くのです。次に注意が向くのはそうじゃない学生。教員を経験された方の中の、かなりの方が賛同してくださるのではないかと思います。
 ちょっと乱暴ではありますが、前者についてはひとまず彼ら彼女らに内在する能力
(“potential”)の発現に任せるべき。

 ただし後者への対応は、とても難しい。何しろ、センセイ自身がそうだったので。

 「手取り足取り」は、潜在能力の顕在化──見えるようになった能力が“ability”──を阻害しがち。ただし放ったらかしも別な意味で非常に危険。だから、目立たぬようにコミュニケーションを取りながら、「付かず離れず」。
 「センセイのおかげで...」と言われた
──何回か経験している──ら、個人的には嬉しいけれど、教育者としてはアウトを宣告されたようなもの。

 当地はこのところ割と雨がちで、土壌にも水分が多く含まれています。だから水遣りはなし。その代わり「かわいいなぁ...──「健気(けなげ)だなぁ...」の方が近いかも──と、花を愛する女性を念頭に置いて写真を撮りました。
 この株の枝豆を食べさせて...とまでは言わないけれど、やはり、それなりに生長してもらいたい。

 日本人はやはり、判官贔屓なのかも。



7月4日(木) 「最後の荒稼ぎ」だったのかも... ──アヤシイお店は、1ヶ月半で撤退していった──

 火曜日の往路とは対照的に、昨日の帰路はかなり順調に走行。

 新潟県内の一部を除けばノロノロ運転はなかったし、信号で停止する回数も少なかったし。もちろんいきなり険しい峠を越える石川─富山県境では燃費が極端に低下。されどその後は燃費が改善されて、新潟県に入る時点で19.7km/L。
 かなりの好成績です。

 新潟県内はアップダウンが相対的に少ないし、市街地を除けば信号機の数も多くないので燃費は大きく改善されて、ピーク時には20.8km/Lを記録。最終的には20.7km/Lでした。タイヤ交換後のベストレコードのはず。
 車の調子が良ければ人間の方も...と期待しながら血圧を測定。

 ただし残念ながら、昨晩は「平均」(「収縮期血圧」の3回移動平均の最低)134mmHgと、正常値の上限をクリアできず。心配されるのは、翌日つまり今日以降の血圧
 帰宅した後は夜遅くまで講義の片づけに追われていたのですが、その分、夜はかなりグッスリと就寝。

 朝、少しドキドキしながら血圧を測定すると、「平均」は111mmHg。ちなみに日中も114mmHgと、いずれも問題ないレベルで安定しています。
 心臓に毛が生えたかどうかはともかく、講義前半より血圧の低下
──というより正常値への復帰──が早まっています。

 こうなると火曜、水曜のONと、他の日のOFFとの切り替えあるいは「落差」が際立ってきます。今日は実家から何も頼まれていないこともあり、まさにOFFの日。
 疲れが抜け切れていなかったので朝は少し休んで、お昼前に郵便局その他の用を片付けるべく徒歩で外出。

 写真はその際に撮影したもの。5月19日にオープンした、十分アヤシイお店です。実は先週、お店から一切の気配が消えたことに気づいたのです。
 入口脇にカラーコーンが置かれ、手書きの「ハイエンド」という看板が掛けられていたのですが、それもなし。

 振り返ってみると、開店から約1ヶ月はそれなりにお客さんが。ただしオープン直後の異様な盛り上がりはなくなっていましたが。その後はだんだんと存在感が失われて...という感じ。今日はご覧のように「貸物件」の札。
 気になって帰宅後に調べてみたのですが、お店に関する情報はほとんどヒットしなくなっていました。

 何が起きたのか正確なことはわかりませんが、察するに、県内に僅かに残された新天地での「最後の荒稼ぎ」だったのかも。



7月3日(水) 見ているようで... ──西村センセイ、実は「森八」の脇を毎週何回も歩いていた──

 写真は昨夕撮影したもの。

 半年──といっても実質は3ヶ月半──の大学院講義も、残念ながら終わりが近づいてきました。講義を開始する時はいくつものデータを処理して配布資料を作成し、それを人数分印刷するので、かなり手間がかかります。
 加えて、お偉方や元同僚に時間をかけてご挨拶。

 お伝えしていませんでしたが、5月には元同僚その他と3週連続(!!)で飲み会も。もちろん、それはそれで有意義だったし、何より楽しかったし。でも6、7月は割と淡々と講義をこなしながらホテルと大学を往復するだけ。
 最終回が近づくと再び、ご挨拶その他があるのですが。

 去年はゴールデンウィークのあたりから猛烈に暑い日が続いたのですが、今年はそれほどでもありません。というわけでセンセイは前日にサービス出勤後、雨が降っていなければ徒歩でホテルへ移動。
 最大の目的はもちろん、体調管理。

 昨日も必要な準備を終えてから、ひとまず近江町市場の「ダイヤモンド」を目指して徒歩で移動しました。その際、少しだけいつもと違う道を選択。
 センセイは写真の右側から歩いてきたのです。

 ここを左折つまり手前に曲がれば近江町市場の「十間町口」。目的地はもうすぐ...と思ったその時、え"っ?!

 最初に目に入ったのは写真右側の看板。そこには黒地に白抜きで「森八」。先日、金沢工大近くに「久安店」がオープンしたことをお伝えした老舗菓子店「加賀藩御用御菓子司 森八」です。
 気づかなかった...。

 金沢工大指定のホテル──全国の私立学校系のホテル──は写真左奥に。センセイは近江町市場の入口に立っています。大学へ向かうバスの停留所も手前側に。
 つまり宿泊する際、この場所、特に建物の左側は何度も何度も通っていたのに...。

 もちろん立派な和菓子店があることは認識していたのです。窓に沿ってイートインスペースもあるし。それに割と早く閉店するし。ただしそれ以上は詮索(せんさく)しようとしませんでした。
 その最大の理由はやはり、センセイが辛党だからでしょうか。
(なお、甘いものも食べられますので、念のため)

 見ているようで、実は全然観ていない。偉そうなことを言っていても...と、今回は本当に反省させられました。トホホ。

 なお立派な店構えですが、ここは「近江町店」。「本店」は大手町つまりもっと格式の高い場所にあるとのこと。「久安店」を含めて、「森八」がご縁のある場所の割と近くに存在することを知ったことはありがたい。
 ただし、センセイが実際に訪れるかどうかとなると、話は別。

 う〜ん、正直なところ、ちょっと難しいだろうなぁ。



7月2日(火) 大学らしさは、こんなところに ――キャンパスの杜の中に突如、ハンモックが出現――

 予定を変更してお伝えします。個人的に、ちょっと「ほっこり」したので。

 明日の大学院講義に備えて、いつものように金沢へ移動しました。ただし今日はなぜか、新潟県内の一般道がずっと混雑。特に大型トラックや高齢ドライバーと思われる車が多くて、ノロノロ運転。
 通常、平均走行速度50km/h程度のところが、43km/h台まで落ちました。

 その分、燃費も悪くなり、富山との県境を抜けた時点で20.7km/L。タイヤを交換して燃費が数%低下した後も、何とか21km/L程度を保っていたのですが...。そして何より、どうしてもストレスがかかり気味です。
 ただし年金生活者の現在、さほど急ぐ旅でなし。

 安全運転を最優先で...と頭を切り替えて運転し始めると、富山県内はスイスイ(実話)。新潟県内とは対照的に、なぜか行き交う車が少なく、信号にもあまりかかりません。富山・石川県内で遅れと取り戻して結局、いつもと同じ所要時間で金沢工大に到着。
 ちなみに、最終的な燃費は19.5km/L。まぁ、こんなものでしょう。

 「あのイライラ感は何だったんだ...」と反省しつつ駐車場に車を止め、大きく育った「ニュートンのりんご」を撮影。曜日読み替えのため、来週の講義はお休み。
 次にお目にかかるのは再来週になるのです。

 車に戻ろうとして、あれっ?!

 駐車場と道路の間に多数の樹木が植えられており、ちょっとした杜(もり)のようになっています。その中、割と開けた場所に見慣れない物体が。
 最初に目に入ったのは、タープ。
(タープテント)

 その下に設置されているのは、もしかすると、ハンモック?!

 ご覧のように、張り紙が。そこには、建築系のある研究室名とともに「クールスポット班 ご自由にお使いください。靴を脱いで使ってください」。
 そして重量制限に関する注意と、緊急時の連絡先。

 張り紙の傷み具合からして、少なくとも数日はこの状態らしい。

 現役時代は人間を取り扱う研究に関する研究倫理審査を担当していた――学内で公開されていた事実――ので、当該研究室の研究内容は良く承知しています。一言で表現すれば、温度や湿度を含めた快適な住環境の研究。
 このハンモックはおそらく、その延長上にあるものと推測されます。

 ただし、「その先」が良くわからない。

 使用に関して何か書き込むものがあるのか、あるいはセンサーやカメラ等で利用状況がモニタされている――この場合はインフォームドコンセントが必要になる――のかと考えたのですが、どうもそんな気配はない。
 要するに、本当に「自由にお使いください」。

 卒業研究(金沢工大の「プロジェクトデザインIII」)とは関係なく、ある種の、純粋な遊び心で設置されたようです。正直なところ、金沢工大では珍しい。いろいろあってもやはり、ここは最高学府の大学だ...。
 いかがでしょう。

 講義の準備を終え、雨が降り始めるまで少し間がありそうだったので、今日も金沢市中心部のホテルまで徒歩で移動しました。今日の総歩数は14,000歩弱。「ぼっち宴会」用の買い出し後に血圧を測定すると、「平均」――「収縮期血圧」の3回移動平均の最低――は136mmHgと、正常値クリアならず。
 感覚的には、あまりストレスを感じていないのです。

 でも身体にはやはり、新潟県内のあの渋滞が効いたのかも...。



7月1日(月) 能登半島地震から半年。BS103chを利用した被災地向けサイマル放送が終了していた

 この週末、実家に数家族が集まって、それなりに大きな行事が。

 本来ならば当主の父親が仕切るところ。ただし何しろ御年94歳なので、もうほとんど名誉総裁のような存在。というわけで立場上、センセイがプロデューサー兼、ディレクター兼、カメラマン兼、頼んで置いた料理を引き取りに行く運転手。
 しかも実際の作業は土曜日を中心に、前日から昨日曜日まで。

 ふう、疲れたぁ。

 昨日は行事に参加した娘を、夫婦が暮らす新潟市西部まで送り届けました。新潟市西区から、まったくの別件で県道16号「新潟亀田内野線」へ。センセイらの世代にとって、この道は旧旧国道116号線。
 新潟市と柏崎市を結ぶ国道116号線は現在、地域のかなり南側を走っています。

 でも新潟市中心部から西部については以前、北側の砂丘の上(現在の「西大通り」)を、そしてさらにその前は、砂丘南側の縁を走っていたのです。
 3月にもご紹介しましたが、この県道16号線沿いの地域は、元日に発生した「能登半島地震」で非常に大きな被害を受けました。

 被災後、センセイがこの地域に入るのは初めて(娘夫婦が暮らす地域を除く)。「新(しん)川」──人工的に開削された河川──手前は、道路が多少凸凹しているなぁ程度。
 でも川を渡って、新潟大学に近い内野地区に入るあたりから、被害が顕著になってきます。

 新潟市付近の砂丘は概ね、北東から南西方向に形成されており、新潟市中心部──特に旧市街地──はその上か、砂丘の南側に形成されています。
 西部では、砂丘のすぐ内側つまり南東側に「西川」という川が流れています。

 新川とは違って、こちらは自然に形成された川。ちなみに西川は、その後人工的に造られた新川と「新川暗閘(あんこう)」という鉄橋で直交(!!)しています。この西川はかなり蛇行。
 場所によっては、砂丘の南端に接するような場面も。

 2枚の写真はいずれもそのような地点で撮影したもの。1枚目中央は新潟大野郵便局で、その奥は美容院。手前は薬品会社ですが看板が外されています。
 写真はほぼ完全に水平な状態で撮影。

 つまりどの建物も大きく傾いたままで、現在利用されている様子はありませんでした。右の写真も同様で、手前の柔道の稽古場に人の気配は皆無。
 左隣の古いアパートについては言及不要でしょう。

 娘夫婦のマンションの近くにある「らーめん家 コトブキ」は営業再開に漕ぎ着けたようでしたが、周囲を良く見ると、傾いたままの住宅や最低限の補修を済ませただけの道路──たぶん私道──は数知れず。
 娘に聞いても「手つかず」とのこと。

 一瞥しただけでは、幹線道路もちゃんと通れるようになったし、お店も何とか営業しています。でも良く見ると、被災したスーパー「リオン・ドール寺尾東店」は更地に。
 ただしこれすら、はっきりとした事実として目に見えるだけでも良い方なのかも。

 震源から遠く離れた新潟市であっても、場所によってはお伝えしたような有様。

 能登半島地震から今日で半年。先週くらいからニュースでも取り上げることが増えてきたと思います。でも冷静かつ客観的に考えればその前は、現地の様子があまり報道されなくなっていました。いつの間にか。
 時々紹介される話題も、明るい材料ばかり。

 つまり見えるものしか見ない。そして、目に入らないものは観ていない

 それでもこの件に関してNHKは、衛星波再編で空いたBS103chを使用して全国向けに金沢放送局のサイマル放送をするなど、努力してきた方だと考えていました。今日の夕方、金沢のニュースを見ようと思ってチャンネルを切り替えると...グレー一色。
 受信そのものは正常で、BS101chはちゃんと映ります。

 調べたところ、BS103chを利用したサイマル放送は、昨日で終了したようです。

 揺れが大きかった能登の状況は間違いなく、もっと深刻。『ニューズウィーク』誌の本日付署名記事「能登半島地震から半年、メディアが伝えない被災者たちの悲痛な本音と非情な現実 REFLECTING THE FUTURE」が最も実態に近いんだろうと思います。

 (程度はともかく、)同じ被災者としての実感です。



6月30日(日) センセイも乗船したフェリーが、「ドキュメント72時間」で放送されました(後編)

 昨日の続き。

 個室内のご紹介はほぼ終えたので、ドアを開けて公共スペースへ。乗船した「あざれあ」の客室は4階〜6階。各階とも外側つまり海が見える側は個室になっており、2列の通路を挟んだ内側は、概ね相部屋になっています。(一部に、窓のない個室あり)
 センセイの部屋は6階。

 その中央部付近に立ち、船尾方向を撮影したのが写真。ここは4階のエントランスから続く螺旋(らせん)階段になっており、他の階へ移動する時は主に、この階段を利用します。
 ただし写真の背後にはエレベータがあるので、ハンディのある方にも問題なく対応しています。

 写真には入っていませんが左側に男性用、右側に女性用の大浴場が。またそれぞれの奥には露天風呂とサウナもあるそうですが、センセイはいずれも訪れていません。
 中央奥、明るく輝いている部分は船の外。

 緊急時用と思われるヘリポートがあります。なお写真では良くわかりませんが、その手前にそんなに広くはないもののスポーツルーム。
 ランニングマシンとバイクが置かれています。

 階段を降りて、やはり船尾方向を向いて撮影したのが2枚目の写真。まず目に入るのが中央部のショップ。土産物が目に飛び込んできますが、実際は船内の万屋(よろずや)さん。
 おっと、今はコンビニエンスストアですね。

 番組ではレジ袋を手に出てきた男性がインタビューされていたのですが、実はこの方は乗務員(航海士)。もちろん、勤務時間外です。
 船舶という特質上、乗務員の方は何十日もオンとオフの生活を船上で続けていらっしゃいます。

 時々は船外にも出るのでしょうが、場合によってはこのコンビニですべてを調達せざるを得ない場面すらあるのかも。そう考えるとこのショップ、奥が深い。
 目を右側
(船の左舷側)に転じると、前方からキッズルームと休憩用の椅子。

 写真右奥は後方への細い通路になっており、その先にはグリルと、ドライバー専用のレストランが。このフェリーが運んでいるのは乗客以上に大型トラックに積載された貨物。
 その運転手のための設備が充実しているんですね。

 目を左に転じると、ショップ隣にはカフェ。そしてその奥(右舷側)には窓に面した広いレストランがあります。ただし正直なところ品数は限定され、価格も高め。
 これは船舶という特性を考えると当然のことでしょう。

 ここまでの施設をご覧になって納得していただけたのではないかとと思いますが、極端に言えば、一般の乗客が何も持たずに乗船しても、それなりに充実した船旅ができるように考えられています。
 特に、例えば仕事での車両航送
(こうそう)だとか、北海道でのバイクツーリングに向かう場合だとか。

 移動費用については相部屋──ただし、最低でもカーテンが用意されている──を選択すれば、運賃を大幅に抑えることができます。夜はゆっくり休んで、到着後はすぐに行動開始...というイメージ。
 ただしセンセイのような「ぼっち宴会」派については、ちょっと別。

 実は、2枚目の写真奥にバーベキューガーデン(左舷側)とオープンデッキ(右舷側)が用意されています。番組内では前者で開かれた少人数の同級会が紹介されていました。
 ただし安全確保のため、夜通しの宴会は無理と推測されます。
(未確認)

 船舶を含めて、乗り物の運行で最も重要なのは当然、乗客乗員の安全確保。3枚目の写真は5階最前方にある「フォワードサロン」。本来ならばここで、フェリー前方の景色を堪能できるはずなのです。
 番組内でも、高齢の女性がここで読書をしていました。

 ただしセンセイが乗船した時は、ご覧のように窓のカーテンは閉じられ──たぶん前方窓そのものが塞がれている(未確認)──ており、オープンデッキも立ち入り禁止。
 ドアが閉鎖されていました。
(その可能性がある旨、明記されている)

 決して番組が優先されてセンセイが意地悪をされているのではなく、海が荒れがちな冬期だったための安全確保措置だったと考えられます。(従って、決して異議を申し立てているわけではありません)
 というわけで、「ぼっち宴会」派には個室が必須。

 6階の部屋に戻り、テラスから出帆(しゅっぱん)前にiPhone SE(2nd)のパノラマ撮影機能を使って撮影したのが最後の写真。拡大写真(別ウィンドウ、1280×669))
 新潟港から、新潟市の市街地東部を観ています。

 フェリー乗船は2回目ですが、前回と比べると、フェリーは多様な目的を持った人々に柔軟に対応できるよう、着実に進化していると実感します。年老いたセンセイを含めて、です。

 年金生活者なのですぐには無理だろうけれど新日本海フェリー新潟─小樽航路、再乗船は意外と近いかも。

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