2024年6月29更新(2024年7月7日ページ移動)
■6月29日(土) センセイも乗船したフェリーが、「ドキュメント72時間」で放送されました(前編)
まず最初に、残念な情報を。
これからご紹介するNHK地上波の「ドキュメント72時間」(毎週金曜22:00放送)、「日本海 フェリーで旅する人生行路」(2024年6月28日放送)については現在のところ、再放送の予定はありません。(ただし登録済の場合は、「NHK+トライアル視聴」から視聴可能。
悪しからず。本来ならば翌々日の日曜日、夕方の18:05から再放送しているのですが、今回は特別にスポーツ番組(日本陸上選手権)が組まれているためのようです。
またそもそも、近畿地方については再放送はないとのこと。改めてのご紹介になりますが、「ドキュメント72時間」はどこかの現場を連続72時間撮影し、そこで生きる市井(しせい)の人々の生き様を伝えようというドキュメント番組。
登場するのはごく一部を除き、一般の方々です。個人的には割と興味ある番組なので、毎週録画するほどではないものの、放送予定について注意してチェックしているつもりです。
これには「田んぼの中のオアシスホテル」で、地元のホテル「公楽園」が紹介されたことが関係しているかも。今回、タイトルにある通り、センセイが昨年乗船した新潟と小樽を結ぶフェリー──ただし正確には、同型姉妹船の「らべんだあ」──を放送することに。
これはもう録画、視聴するしかない。ただし実は、放送について情報を得たのはNHKのサイトからではなく、フェリーを運航する「新日本海フェリー」の「トピックス」ページ。
NHKの情報を確認していなかったため、放送視聴後に再放送についてご紹介しようと考えていたのです。そのような事情で、今回についてはしばらく再放送がないようですが、良くチェックすると再放送に関する情報に出逢うことができるかも。
「田んぼの中のオアシスホテル」が昨夏に放送されていたことも知りました。(知らなかったので録画していない。トホホ)昨日は私事でバタバタしていたため録画だけセットして、後から観直そうと思ったのです。でも作業が遅れたため、リアルタイムで視聴することに。
練りに練った退職記念旅行(?)の開始日が、まるで昨日のことのように思い出されます。というわけで、今までお伝えしていなかった──甥の頓死(とんし)でチャンスを逸していた──小樽行きフェリーの様子を、前後編に分けてご紹介。
今回は個室内部の様子です。1枚目は...をご紹介する前に、センセイが実際に乗船した時と、番組の違いを。もちろんドキュメンタリーなので、大半の部分は共通なのです。
センセイが気づいた限りで、事実に大きく相違するような内容は認められませんでした。ただしセンセイが乗った時に出迎えてくださったのは、普通のスタッフ。番組では船長かと思われる人物でした。しかも出帆(しゅっぱん)時には銅鑼(どら)の音が。
そんなもの、なかったぞぉー。もちろん運行会社の全面協力下での撮影。さほど問題視しているわけではないのです。そしてもう一つの違いは、天気。センセイの時は、運行には支障ないものの、非常に不安定。
ただし今回はかなり良好で、綺麗な日没を画面上で拝見させていただきました。で、改めて1枚目は細長い個室奥の大きく、非常に重い窓──...というより、扉。もちろん開閉可能です──と、その奥にある専用ベランダ。ここへ出て虹を撮影しています。
室内左側にはソファ。ちなみに、向かって左が船首。北航つまり小樽へ向かう時は陸地が見えます。下船時に確認したのですが、北航では右側の部屋だけを使用していました。(ただし、たぶん乗客が少ない場合)
おそらく南航時はその逆。乗客の心理を考えてだと推測していますが、予約済だった南航はキャンセルして乗船していないので、この点は未確認です。
2枚目の写真は、デスクの周囲。AC100Vも用意されています。椅子は移動可能ですが、お伝えしたように、1枚目の写真にある丸いテーブルは完全に固定されています。
もちろん荒天時の安全を考えてでしょう。3枚目の写真はツインベッド。そして4枚目は、3枚目奥の壁の向こう側にあるトイレとバスです。写真には入っていませんが、手前のベッドの向かいには32インチの液晶テレビが。
日本海側の各県のテレビ電波を何とか受信していました。(ただし、時々途切れることもある)国際線の航空機同様、船の現在位置と到着予定時刻を知らせるチャンネルもあります。というわけで、ご覧になった方は、普通のホテルと何ら遜色ないとお感じいただけるのではないかと思います。
ただし実際に利用してみると、少し違いも。乗船時にお伝えしているのですが、湯船は非常に浅いため、全身をゆったりと...というのは不可能。寝台列車同様、真水は貴重品なのでしょう。なので「お風呂に入ってゆったり...」という方は、大浴場へ。(なお、センセイは利用していない)
番組の中でも紹介されていました。確かにそれなりの料金はかかります。でも実は、かつて札幌と大阪を結んでいた夜行寝台特急「トワイライトエクスプレス」A個室「ロイヤル」のほぼ半額。北海道までの移動費を考えると、意外にリーズナブル。
それに「トワイライトエクスプレス」に湯船はなく、シャワーだったし...。明日はフェリーの公共スペースその他をご紹介する予定です。(続く)
■6月28日(金) どこにもピントが合っていない写真 ──丸っこい後ろ姿が、すべてを物語る?!
──
今日は予定を変更してお伝えします。
写真は昨晩7時頃──実際はかなり暗い──に撮影したもの。何と、画面内のどこにもピントが合っていない(!!)という、天日乾燥中のワカメの写真を凌駕するボケぶり。(拡大写真(別ウィンドウ、640×478。原寸切り出し))
お気づきかと思いますが、上半分(の大部分)については、ピントが合っており、人為的にぼかし処理を掛けています。撮影したのは拙宅2階の寝室。昨日の写真の右上方に位置します。寝室の南側にはベランダがあり、その最外周部には転落防止のための手摺りが。
その上に、写真の、スズメより一回り大きい鳥が止まっていたのです。明らかに幼鳥。それだけならさほど珍しくないのかもしれませんが、家人によると親鳥が餌を運んできて、子供に与えていたとのこと。(センセイは目撃していない)
すぐに書斎から小型カメラを持ち出して、幼鳥を刺激しないよう、網戸越しに望遠端で撮影しました。小鳥にピントを合わせたつもりだったのですが、小型デジカメだとピンポイントで調整できないため結果的に、ピントはその奥にある隣家の1階に。
周囲が相当暗かったことも影響しています。後から考えれば、幼鳥ではなく手前のベランダ手摺りにピントを合わせるべきだったのです...。(反省)
書斎へ戻り、望遠レンズを装着した大型カメラを用意していると、「(手摺りに)糞を残して飛び立った」とのこと。う〜ん、残念。というわけでセンセイに残されたのは、このピンぼけ写真のみ。
トホホ。それはともかく、幼鳥は親鳥が餌を運んでくるであろう方向──写真右上方──を見つめて微動だにしません。冷静に考えれば背後に人の気配があり、何やら不穏な音もしているのですが、幼鳥が注意を払っている気配は微塵(みじん)も感じられません。
独特の丸みを帯びた後ろ姿が訴えるメッセージは、「お腹が空いたぁ!!」と、ストレート。この状況は先週、金沢の近江町市場で見かけたものと酷似(こくじ)しています。いずれも幼鳥は最低限の飛翔が可能。だから文字通り「巣立ち」を終えたのですが、まだこの段階では親からの給餌(きゅうじ)に頼っている/頼る傾向が強いのかも。
仮にそうだとしても、これが鳥類一般に当てはまるのかどうかは不明です。サイズ的にはスズメより大きい。当然、ツバメの可能性が考えられるのですが、色が少し違うように感じられるし、尾もまだそんなに発達していないし...。でもそれを言い出したら、近江町市場のツバメの幼鳥に似ているような...。
もしかしたらモズなのかもしれませんが、ご存じのようにセンセイは動植物にからきし弱いので、判断がつきません。すみません。
■6月27日(木) 今年は既に、反省モード ──枝豆の追加播種は、後になるほど発芽率が低下──
約3週間ぶりに、庭の枝豆のその後の様子を。
センセイくらいの年齢になるとやはり、金沢までの往復──そして何より、気を使う大学院の講義──は大仕事。特に、昨水曜日は自宅に戻ってからも在米留学中の学生に提供すべく動画を編集したり、提示資料をアップロードしたり。
というわけで昨日は、ヘロヘロになって就寝。その分、昨晩はしっかりと休むことができました。しかも天気予報がどんどん良い方に変わったこともあり、今日の午前中はいくつかのお仕事を。
まず、写真の枝豆に水遣り。
理由は後日お伝えする予定ですが、続いて久しぶりに丁寧に洗車。この頃にはずいぶん暑くなっていたのですが、1時間弱かけて庭の草を刈り取りました。
明日からしばらく雨の日が続き、庭の手入れができそうにないのです。一区切りつけ、あれこれ片付けてから、改めて枝豆の現在の様子を撮影。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
昨年の様子と比較する──撮影位置と画角が少し異なる──と、まず枝豆を植えた場所が違うことがわかります。去年は左側の塀沿いに2列、種を蒔きました。
連作障害を回避すべく、今年はその右側に播種。ただし種がかなり余ったので、手前部分のみ昨年育てなかった部分にも種を蒔きました。つまり“L”字型を左右にひっくり返したような格好に。ご覧のように手前の日当たりが良い場所は、割と順調に生長しています。
背丈は現在、10cm〜20cmくらい。問題はその奥。お伝えしたように最初の播種後、水遣りをしてしまったために発芽不良に至るという想定外の事態に。生き残っている枝豆もなかなか生長しません。そこで発芽不良が確認された場所については、種を再購入して再播種。
それも、2回。(秘匿(ひとく)していたわけではありません)反省後に種を蒔いたのですから、良い結果を...と思ったら、これが甘かった。種の数の関係で手前にも少し蒔いたのですが、そちらは割と無事に発芽しました。対照的に奥の方は、ほとんどといっていいほど芽を出さない。
ほぼ壊滅状態。特に、後に蒔いた種ほど成績不良。言い訳が許されるなら、この時については天気予報が外れて、播種後2日続けて雨になったことが理由かも。でも本来ならば、それもリスクに織り込んで種を蒔くべき。
というわけで、昨年は7月末に反省会(?)を開いたのですが、今年は既に、全面反省モード。このほろ苦さを肝に銘じて、ぜひ来年こそ...。
■6月26日(水) センセイの心臓に毛が生えてきた!? ──県境に架かる仮設橋の使用が始まりました──
今日の写真は、ドライブレコーダーの映像(安直だ...)。色合いや雰囲気がいつもと異なるのはそのためです。
朝イチの大学院講義を終えて夕方、「無事」に自宅に戻りました。
今回の往復のハイライトは、写真の橋。新潟県(奥)と富山県の県境に架かる「境橋」が、まさに昨日から仮設橋(右側)に切り替わったのです。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×879)。原寸切り出し(トリミング範囲が異なります))
以前お伝えしましたが、「国土強靱化基本計画」の一環。具体的には、糸魚川地区橋梁架替の最後の工事──のはず──として準備が進められていたもの。仮設橋そのものは昨年度中に完成済。
今年度、つまりセンセイが再びここを通るようになってから、接続道路などの工事が始まりました。ご覧のように、現在はまだ仮設橋前後の表示等が完成していないため、片側交通を強いられていますが、それが終われば当然、対面通行に。
同時に、旧橋(左側)の解体工事に着手するはず。この地域の国道8号線については現在、北から「有間川橋」、「青海川橋」そしてこの「境橋」と、そんなに広くない地域で同時に3つの架け替え工事が行われています。
つくづく、国土交通省の予算は潤沢だ。ただし完成、供用済の(北から順に)「弁天大橋」、「能生(のう)大橋」、「両鬼(りょうき)橋」そして「歌高架橋」の例を見ても、完成までに数年掛かるはず。
特に、基礎工事に相当時間がかかっています。「果たして、センセイが新しい『境橋』を自分で運転して渡る日は来るんだろうか...」などと考えながら、このすぐ先にある道の駅「越後 市振の関」でトイレ休憩。ここから先は1本道なのでスイスイ...のはずだったのです。
ところが今日は想定外の事態に。糸魚川市から上越市までの約20km、低速のクレーン車が先を塞ぐような格好で走行。その後ろに続くのは、まるで大名行列のような長い車列。普通なら時々左側に寄って、後続の車に先を譲るのです。
でも今回はそんな気配、微塵(みじん)も感じられません。センセイのすぐ後ろを走っていた熊本ナンバーの大型トラック──市振の関から一緒だった──が痺(しび)れを切らして時々右に大きくはみ出し、クレーン車に対して猛烈なパッシング。センセイに対してではないことは良くわかっているのです。
でも後続の大型トラックから、まるで煽られるかのようにパッシングされるのは...。で、その低速クレーン車。不意にウインカーを出したかと思ったら左折して、「道の駅 うみてらす名立」にキャンピングカーのノリで入っていきました。あれは一体、何だったんだ...。
それはともかく、無事にご帰宅。かなりストレスがかかる運転だったので血圧は高いだろうなぁーと覚悟して測定したところ、「平均」(「収縮期血圧」の3回移動平均の最低)127mmHgと、何とか正常値の範囲内。
実は長距離運転にもかかわらず、昨晩も125mmHgに留まったのです。(ちなみに今朝の「平均」は、98mmHg!!)う〜ん、センセイの心臓に毛が生えてきたということかぁ!?
■6月25日(火) 手にした時、ふと覚えた違和感 ──かなり珍しい1,000円札、だと思う...
──
今日はタイトル通り、そして写真を見た瞬間に終わってしまいそうなお話。
西村センセイ、日常の買い物についてはキャッシュ派。自動車の整備など金額が大きいものや、乗車券類を購入する時、そしてビールをケースで買う際はクレジットカード決済ですが、少なくとも「○○ペイ」の類(たぐい)はまったく使用していません。
先日、いつものスーパーで晩酌のお刺身を購入した時のこと。このスーパーでは昨年から、レジは引き続き担当者が打つものの、現金の支払いについては専用の精算機で済ませるシステムに変わっています。
高齢者等、慣れない人のために、支払いまで係員が行うレジも一部残されていますが。この日は代金分の小銭がなく、かつ千円札も切れていたため、高額紙幣――たぶん五千円札――を精算機に投入し、問題なく確認されました。
電子音のアナウンスとともに、つり銭が出てきます。まず小銭を受け取り、続いて数枚の千円札を受け取ったのですが...何だか妙な感じ。もちろん偽札などといった物騒な話ではないのです。
使い込まれた真正の千円札なのですが、どこか違和感...。少し間――残念ながら一瞬ではなかった――を置いてから、あ"っ。
もうお分かりだと思いますが、かなり珍しい千円札だと思う。決して記念のために...というわけではないのですが、今のところ、財布の中にまだ残っています。
新紙幣に切り替わる直前に起きた、不思議な出来事です。
■6月24日(月) 西村センセイ、最難関の「宿題」に挑戦する ──鍋立山トンネル内「儀明信号場」編──
先週末のツアー、最終回。
センセイのことですから、今回も広義の目的は鉄分補給。経路的には、まず直江津経由で妙高高原駅まで往復して旧関山駅のスイッチバックを確認(+タンパク質補給)。他に選択肢がないので、その後は乗ってきた電車で直江津まで折り返し。
その先については、三つの選択肢が。(1)旧北陸本線で糸魚川まで往復するか、(2)犀潟(さいがた)駅から北越急行線に入り、六日町駅、長岡駅を経由して戻る、あるいは(3)何もせずに帰宅する。どれを選ぶかは、天気などの状況によって選択するつもりだったのです。
倖い、雨が降るようなことはなかったので、(2)の「ほくほく線」に乗ることに。「ほくほく線」はこちらとこちらに続く、今年に入ってから3回目の乗車。これを選んだからには狭義の目的は明確。鍋立山(なべたち)山トンネル(9,130m)内の「儀明(ぎみょう)信号場」を撮影する。(キッパリ)
実は、相当チャレンジングな挑戦。そもそもですが、「信号場」というのは一種の駅。昨日ご紹介した旧信越本線(一部複線区間あり)や今回の「ほくほく線」は単線。同じレールの上を上り下りの列車が行き来します。
当然、どこかですれ違う(「交換」)する必要が。多くの場合は駅ですれ違うようにするのですが、人里離れた場所などでは列車交換設備だけを用意して人の乗り降りはさせないことも。この場合は当然、ホームなどが存在しません。これが信号場。
実は、結構存在します。その中で割と珍しいのがトンネル内の信号場。単線時代の上越線清水トンネル内「茂倉(しげくら)信号場」──現在は廃止。ただし列車内から確認できる──など、長大トンネルで地上でのすれ違いができない場合に設けられます。
北越急行線の場合、儀明信号場の他に薬師峠トンネル(6,199m)内の「薬師峠信号場」と、赤倉トンネル(10,472m)内「赤倉信号場」の計3カ所が存在。難しいことはともかく、かつて越後湯沢と北陸地方を結んでいた特急「はくたか」──雪が多い場合は長岡経由あり──に乗車したことがある方なら、真っ暗なトンネルの中でしばらく停車した経験をお持ちのはず。
あれが(どれかの)トンネル内信号場。ちょっと待っていると、すぐ脇を反対方向の「はくたか」が猛烈なスピードで通過。耳はツンとなるし、車体は大きく左右に揺れるし、何より窓ガラスが大きく凸凹します。
実際、気圧変化が大きすぎて、営業開始直後にはガラスと窓枠の間に大きな隙間ができたこともあるとのこと。その後、北陸新幹線の開業に伴い「はくたか」は廃止。その名前は新幹線に引き継がれました。「ほくほく線」は純粋なローカル線となり、便数も大幅削減。
儀明信号場以外は、信号場としての機能を停止。同信号場内での交換も、平日朝の1回だけとなっています。そもそもトンネルなので基本的には真っ暗。列車の先頭か末尾に立てば、肉眼で信号場の様子を割と簡単に確認できます。ただし、撮影は極めて困難。
列車最前部は運転席のため乗客は立ち入り不可。だからどうしても車内照明が入り込んでしまうので、何が何だかわからなくなってしまうのです。そこで今回、列車最後部からの撮影に挑戦したのが最初の写真。
儀明信号所の東側(まつだい駅側)の分岐点(「ポイント」)部分を見ています。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))概ねここから先、赤信号の部分までが儀明信号場。暗くてよくわかりませんが、まっすぐなレール(「本線」)が奥に延びているだけでなく、写真下部から分岐して右側に延びる「待避線」を確認できます。
9両編成の「はくたか」2編成を収めるための長さがあります。(複線用区間は何と、680m!!)「ほくほく線」最後の赤倉トンネルを抜けると、おぉ、八海山が左側の車窓から飛び込んできます(ホントに)。NHKの大河ドラマ「天地人」(2006年)のオープニングで、妻夫木聡さん演じる直江兼続がこの山頂に立つ空撮シーンが印象的でした。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960)。手前は関越自動車道)
魚沼地域のシンボルとなる、美しい山です。都合良く解釈すれば、儀明信号所の撮影に何とか成功したことを褒めてもらっているかのよう。
それが適切かどうかは別として、乗換駅六日町駅に隣接するスーパーで晩酌のツマミを購入──海岸部ではない場所でお刺身を買った(!?)──し、長岡で乗り換えて予定通り帰宅したセンセイなのでした。
ま、いっかー。おっと、明日は金沢への移動日。講義の準備をせねば。
■6月23日(日) 西村センセイ、「宿題」をもう一つ片付ける ──関山駅、幻のスイッチバック編──
昨日の続き。
ただし「幻」という表現は、やや不適切かも。確かに現在は通常の用途には使用されていないため、「幻」という表現で間違いないのです。でも実はスイッチバック、センセイが高校生、大学生の頃まで現役だったのです。
廃止されたのは1985年。舞台は直江津駅からだと妙高高原駅の一つ手前の、関山駅。以前お伝えしたように、関山駅は1886年(明治19年)、官営鉄道(旧信越本線。現えちごトキめき鉄道「妙高はねうまライン」)が直江津から開通した際の終点の駅。
重要な路線だったので、翌々年には長野駅まで延伸されます。実際に訪れると良くわかりますが、直江津駅から新井駅付近までは勾配こそ徐々にきつくなるもの、それでも割と平坦。でもそこから先は山岳路線のような雰囲気に一変します。要するに、かなりの急勾配。
そのため新井駅の次の二本木駅(こちらやこちら(動画あり))は、スイッチバック式。勾配に加えて同駅の場合、駅の奥から日本曹達二本木工場への専用線が延びているという事情が。動力を持たない貨車を留置しておくためには水平である必要があるのです。(ただし二本木駅は現在、JR貨物の駅として残るものの、タンク車による輸送は終了)
そして次の関山駅もスイッチバック式。関山駅は開業時に終着で車両を留置する必要があったことと、貨物の取り扱いをしていたためです(1971年廃止)。当時の貴重な写真を観ると、いかに重要な駅だったかがわかります。
前述したように貨物取り扱いの廃止を受けて1985年、駅舎を約400m離れた本線上へ移転。それに伴い旧駅舎(解体撤去)やホーム(残存)、スイッチバックは使用されなくなりました。ただしその後も線路は残存。(完全かどうかはわからない)
保守車両などの待避場所として使用されています。センセイが高校生の時は、クラスやクラブで年に2回くらい妙高高原あるいはその先にある戸隠高原、志賀高原などでキャンプやスキー。
ずいぶんのんびりしていたんだなぁ。(遠くを見る目)だから2駅続けてのスイッチバックを良く覚えています。
関山駅のスイッチバック、実は最近、再び注目されるようになっています(たとえばこちら(動画あり))。だから...というわけではないのですが、前2回を含めて関山駅には注意していました。
今回の帰路、関山駅を発車後に撮影したのが写真。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))センセイは急な坂を下る本線上の列車車中におり、スイッチバック線と、その先にあるホーム跡を見ています。
実はこの関山駅のスイッチバック、トキ鉄の現社長鳥塚亮(あきら)氏自身が紹介しています。なぜわざわざ「現社長」と記したかというと、同氏は今月26日に退任し、大井川鐵道の社長に就任するため。
トキ鉄の前は、存続が危ぶまれたいすみ鉄道社長として同社の再建に尽力した人物。今後のご活躍をお祈りすると同時に、今後もトキ鉄の応援をぜひよろしくお願いします。
もちろん地域住民や(センセイを含めた)利用客がまず、当事者として努力しますから。