2025年12月13日更新(2025年12月21日ページ移動)
■12月13日(土) 「正しく、美しい歩き方」の効果かぁ? ──血圧が、日替わりで変化しています──
予定を変更してお伝えします。
昨日を含めて、このところ血圧の変化の幅が大きくなっています。グラフは本年1月からの血圧変化の様子。2本の赤い横線はいわゆる「正常値」の上限。グラフ右端が今日お伝えしたい内容。(拡大グラフ(別ウィンドウ、1280×930))
年明けから4月中旬までは優等生的なデータ。ただし2月上旬の1週間は、「収縮期血圧」(いわゆる「上」)、「弛緩期血圧」(同「下」)ともに、明らかに高い状態を継続。これは前任校での集中講義によるものです。いろいろな意味で非常に厳しい環境下での講義実施。
そのため、とりわけ夜の数値が悪化しています。4月中旬から7月末までは、金沢工大と前任校での講義とそれに伴う移動のために血圧が規則的に変動しており、かなり高い日も多い。でも、よぉーく見ると、フロアレベル──特に「弛緩期血圧」──はそんなに変わっていません。
その意味では「比較的安定していた」と解釈することも可能。ちょっと予想外だったのが講義終了後。普通だと血圧がかなり低下するのですが、今年はなかなか下がらなかった(ただしフロアレベルの変動は少ない)。今年の酷暑が影響しているのではないかと考えています。
9月下旬から、前任校の後期講義が始まりました。
当然、周期的な変動が始まりますが、前期ほど顕著ではありません。やはり金沢工大への「通勤」、心身にとっては相当な「痛勤」だったのかも。
なおグラフ右端近くの12月初旬の上昇は先週の東北ツアーと続く講義、そして実家でのストレスによるもの。だからある意味、これらの血圧変動を納得できるのです。ただしここで見逃すことができない点が。変動幅の拡大だけでなく、9月中旬以降はフロアレベルが緩やかに上昇しています。
春から夏とは対照的に、「弛緩期血圧」でその傾向が顕著。(なお朝の「収縮期血圧」も上がっている)ストンと下がる日もあるので一概には言えないのですが、考えられる原因としてはまず、気温の低下が挙げられます。この現象は広く確認されています。
でもそれなら、年初の低い血圧の説明ができません。「キンエン生活」つまりNa+摂取量については、引き続き十分気を付けています。運動量についても、ここ4ヶ月は平均で13,000歩(/日)以上を確保。(ただし現在、歩数そのものには拘泥(こうでい)していない)
外来ストレスについてセンセイはコントロールできないので、受け入れて軽減させるしかありません。
結果的に、講義日と実家へ行く日は血圧が上昇し、それ以外は睡眠不足や東北ツアーなど通常とは異なる行動、そして外来のストレスで変動というパターン。
そこに前提条件として気温変化が加わります。昨日まで、血圧変動をこれで概ね説明できていたのです。
当地の天気は日替わり。明日から数日間は大荒れになると予想されています。今日は何とか持ちそうだった──予報より回復が遅れた──ので厳しい冷え込みが続く中、午前中に徒歩で外出しました。
実は、このところの悪天候で「正しく、美しい歩き方」を実践できていません。そこで今日は歩き方を強く意識した上で、14,000歩以上歩きました(筋肉がかなり疲労する)。本当に寒かったのですが数千歩歩くと、体の中から暖かくなってきます。
おそらく、ふだんは省エネかつ身体に良くない歩き方をしているのでしょう。昨日は悪天候だったので「正しく」は歩けませんでしたが、それなりの運動量(約15,500歩)を確保。ただし当日まで続いたストレスの影響か、日中の「平均」(「収縮期血圧」の3回移動平均の最低)は正常値をクリアできず。(137mmHg)
それが頭に強く残っていたので、「今日は正常値をクリアできるといいなぁ...」と願いつつ測定。結果はというと昨日とは対照的に、測定データはすべて正常値をクリア。「収縮期血圧」の個別最低記録は96mmHg、「平均」は写真の103mmHg。これも「正しく、美しい歩き方」の効果かぁ?
もちろん生命現象がそんなに単純でないことは重々承知していますが...。明日から数日、中断していたお話──新しいネタを含む──をお伝えする予定です。
■12月12日(金) 予想通り、大変なことに... ──西村センセイ、市内の法律事務所を初めて訪れる──
いつもと毛色が異なる話題。つまり個人的にはあまりご縁がなかった分野のお話。
寒冷前線の通過と寒気の入り込みにより、当地は昨晩から大荒れの天気に。今回は気圧勾配が険しい「山雪型」の気圧配置。今朝は本当に冷え込みました。路面凍結により、あちこちでスリップ事故が多発しています。
山雪型の場合、平場ではあまり雪が積もらないのが普通。その代わり、とにかく風が強く猛烈に冷え込みます。決して「雪がドカドカ降る」状態ではないのですが、それでも雪が舞います。こんな日は風と雪がある程度収まるまで、徒歩での外出は控えたいところ。
でも今日は、9時に約束が。事前に関係者と相談、調整した結果、センセイが法律事務所(写真左)を初めて訪れることになったのです。ちなみに右奥は地新潟方法務局柏崎支局が入る建物。こちらは母親が畑にする土地を購入した際、訪れたことがあります。
かように、法律事務所は法務局の近くに事務所を構えることが多い。(事前に事務所を確認しておいた際に気づいた)オトナにとって「約束」は(ほぼ)絶対。徒歩での行動範囲なのですが、最悪の場合は自動車利用を覚悟。でも県西部(「上越」地方)は雪雲が続いていますが、当地は雲の切れ間も。吹きすさぶ寒風の中、徒歩でご出発。
元サラリーマンなので、約束の5分前に事務所前に到着。雪が降ってきたので、建物の陰で雨宿りならぬ「雪宿り」。8時59分30秒に事務所のチャイムを押しました。用件はもちろん法律に関すること。でも実は、センセイや西村家に直接関係する内容ではない。
要するに、「田舎の空き家」問題なのです。
親世代までの田舎の女性は、近所に嫁ぐのが普通。父方の伯母の一人も実家の集落内の方に嫁ぎました。ご夫婦は大阪で商売を始めます。
義理の伯父は商才に恵まれ、一代で財を為すことに。その兄妹は全員地元を離れて、皆が成功。他方、地元つまり義理の伯父の実家には年老いた父親が残されます(奥様は先に亡くなったはず)。そこで他県で教師をしていた妹を呼び戻して、親の面倒を看てもらいます。
センセイが小学生の頃、その父親が逝去。呼び寄せた負い目があるので、義理の伯父は妹のために実家を建て替え、さらに増築。15年くらい前に、親の面倒を看ていた妹も鬼籍に入ります。
つまり、その立派なお宅が空き家に。それ以降も税金は義理の伯父およびその息子(センセイの従兄)がきちんと支払っていたのですが、土地(他に田畑および山林がある)と建物の登記は乖離状態。登記簿に伯父の名前はありません。
税務署は事情を重々承知した上で、「税金さえ払ってくれればよい」というスタンスなのです。時間がさらに経過し、親世代で存命なのはセンセイの父親のみ。次世代つまりセンセイの従兄弟ですら、櫛の歯が欠けるようにこの世を去っており、現在はその子どころか、一部は孫世代(!!)に突入しています。
ここで整理しておかないと、二度と収拾がつかない事態に。以前から関係者が集まるたびに話題になっていたのです。こで先月、直接の関係者(従姉妹)がセンセイの実家に集まって、対応を協議。その後も連絡調整を重ねて、今日に至ったという次第。
実は、いくら伯母が嫁いだとはいえ、他家の問題。センセイ自身(および父親)は直接の当事者ではないのです。他方、地元に残っているのはセンセイらだけ...というわけで、手続の入口に立つまでをセンセイが担当することに。ちなみに登記を整理することができたら、(立派な)建物は解体して更地化。
たぶん、その後はセンセイの父親が無償譲渡していただくか、は登記手続料のみを負担して譲り受けることになるはず。そして、それを相続するのはセンセイ...。
お気づきのように、西村家としては直接のメリットは皆無。いわゆる「負動産」が増えるだけでなく、租税も負担する必要があります。でも鬼籍に入られた伯父伯母等を含めて、広い意味で親戚関係を考えるならばおそらく、これが最も適切な落としどころ。
未来に対してだけでなく、過去に対しても責任があるはずなので。だからセンセイは一生懸命...ですが、懸念材料も。
直接の当事者は、広い意味での「相続」に関する知識が不足しています(センセイもその一人)。従兄は「連絡が取れる関係者が了解すれば...」と考えているようですが、相続する権利を持つ関係者はずっと多いはず。
事務所でその点を確認すると、センセイの理解通り。誤解されたくないのですが、今日の事前打ち合わせは極めて建設的かつ有意義なものだったのです。対応してくださった司法書士の方──出入りの工務店に紹介していただいた──は経験豊富。そして何より、実直なお方。
ご説明いただいた内容には、十分得心(とくしん)がいきます。帰宅後、相談した内容をメールで送信したのですが...予想通り、お礼のメールの行間に従兄が絶句している姿が見えます。
でも、まぁ、センセイとしてはベストを尽くすしかありません。
次期ご当主様(10代目予定)なので。
■12月11日(木) 数字と施設の広さが一致しない... ──「PLANT-4 聖籠店」を初めて訪れました──
「聖籠」と書いて「せいろう」と読みます。
前任校は県北部の新発田(しばた)市と同町の境界に位置しています。今日はその前任校での講義の日。年内の講義は今日と来週を残すだけ。進度が遅れ気味なので、このところかなりのスピード。
だから気が急(せ)いて...というわけではないのでしょう──それほどヤワではない──が、昨晩はなぜか寝つけず。眠りが浅いことを強く自覚しながら目覚めました。「高いだろうなぁ...」と覚悟しながら血圧を測定すると期待(?)通り、高い。今朝は珍しく正常値をクリアできず。少なくともセンセイの場合、朝の血圧は前の晩の睡眠状態で決まります。
でも、これが現実。加えて今日は行程が特殊。往路復路ともに途中で新潟市内に立ち寄るのです。残念ながら体調が万全ではないので、事故を絶対に起こさぬよう慎重に運転。もちろんちゃんと講義し、無事に帰宅しています。
問題は、昼食。講義を終えて前任校を発つのは12:30ころ。2時間10分程度運転するので、学食あるいは大学近辺でお昼を頂くと行程の後半で眠くなる可能性が高い。そこでいつもは経路半ばでスーパーに立ち寄り、簡単なお昼を頂きます。
でも今日は、運転開始後40分くらいで途中にある目的地に降り立ちます。その後、食事を取ることができる可能性はありません。同時に、軽いお昼で済ませる必要があります。だから学食で「カレーライス(小)」(300円)を頂くつもりだったのです。ちなみに通常のカレーライスは、学生向けにかなりの大盛り。
でも講義を終え、片づけを済ませて学食の様子を確認すると券売機前には長蛇の列。年末が近づき、課題などを警戒して出席率が上がっているのでしょうか。当初案は即刻放棄。
車を出しながら、次善策を考えます。コンビニならあちこちにあるのですが、一般的に塩分濃度が高い。値段も張ります。だからやはりスーパー...と考えた時、大学の割と近くに写真の「スーパーセンターPLANT-4 聖籠店」があることを思い出しました。
経路の国道7号線のすぐ脇なので良く見えるのですが、入ったことはありません。
こちらも初めての道路を慎重に走行して広い駐車場へ。お昼時とはいえ平日なので車は少ない。とにかく店内へ...と思ったのですが、どこが食品売り場なのか想像できません。
とにかく広く、大きな建物なのです。プラントのサイト(「よくあるご質問」→「PLANT全般について」)によると、「PLANT-」に続く数字は広さを示しているはず。センセイの母親は主に、刈羽(かりわ)村にある「PLANT-5 刈羽店」を利用。
同店の場合、新潟県中越沖地震で建物および設備が大きな被害を受けました。一時閉店していたのですが、刈羽村の要請を受けて規模を縮小し営業を再開。だから同店の場合、数字──数字が大きいほどお店の規模も大きい──と現状の規模が一致しないという特殊事情があります。
でも刈羽店の本来の規模を考えても、「4」つまり一回り小さいはずの聖籠店の方がはるかに広く、大きい。つまり数字と施設の広さが一致していません(増築したのかも)。それはともかく、中央付近の入口から店内へ。最初は何が何だかわからなかったのですが、どうやら食品売り場は写真の左側らしい。
その後は概ね順調。店内で軽いお昼を頂き、次の目的地へ。帰路は注意力不足を懸念して、持参した貴重な「カフェロップ」を一包服用します。運転中、西から天気が坂道を転げ落ちるように悪化。寒冷前線と強い寒気が迫っているのです。
帰宅後は、雨や雪こそ降らないものの、強い風が。(19時頃から風雨になった)またまた「高いだろうなぁ...」と覚悟しながら血圧を測定。今回も期待に応える(?)かのように、正常値をクリアできず。ただし「平均」(「収縮期血圧」の3回移動平均の最低)は朝よりは低く、個別記録は正常値に入る場合も。
気を遣いながら相手に接し、しかも厳しい条件下で運転したのですから、しかたない。問題は、明日以降の変化です。
ちなみに、センセイの母親が「PLANT」を好む理由は、品揃えと価格。「○○より安い...」と、嬉しそうに語ります。でも客観的には、かつては確かにライバル店より安かったものの、最近は割としっかり販売価格を上昇させています。
お客は敏感。少なくとも「刈羽店」の場合、明らかに利用者が減少しています。他店の方が安い場合が増えているのです。お客の減少は当然、店頭に並べられる商品の削減に繋がります。隙間が目立つ棚がさらなる客の減少を...という、ほぼ最悪のパターン。
当然、本部もこの状況を把握済(のはず)。本部社員と思われる挙動不審(?)な複数の人物をしばしば見かけます。
それにもかかわらず、「安い...」と喜んで商品を籠に入れるセンセイの母親って...。ま、いいんです。買い物は本質的に、本人の満足度の問題なので。
センセイが母親に他店の情報を伝えることはありません。
■12月10日(水) 来春開業予定の民間体験施設「放課後の遊び場『にわニワ』」の工事が始まりました
タイトル通りの、ローカルな話題。
先日、いつものスーパーで晩酌のツマミを買い求めた帰路の出来事。国道8号線の交差点が見えてくると同時に、重機の音がすることに気づきました。実は現在、交差点の拡幅工事を実施中。
だから重機の音そのものは当然。でも、音源の方向が違う。
接近してみると、おぉ、「ビデオ1」として用いられていた建物(写真奥)の隣の、駐車場だった場所のアスファルトを剥がしています。もちろん土地(と建物)を再活用するため。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
以前ご紹介した民間の遊び体験施設「放課後の遊び場『にわニワ』」(紹介記事)計画が順調に進行しているようです。
この日は剥がす作業だけ──それも、完了しなかった──でしたが、翌日には廃アスファルトの搬出作業を開始。数日で綺麗な更地になりました。
ここは「外遊びスペース」になるはず。毎日通って確認しているわけではないのですが、建物内を含めて現在、工事は一休みという感じ。でも来春にはオープンとのことなので、積雪時も工事をするものと思われます。
子供たちの活動の場が増えるのは、社会全体にとって望ましいこと。ただし個人的に気になることが。地域人口とりわけ若年層が少ない当地には、「遊び場」の強力なライバルが存在するのです。しかも今春、一段とパワーアップ。
当地最大の負の遺産である「フォンジェ」内の、「キッズマジック」です。もともと「フォンジェ」開館時から存在していた民営の「キッズマジック」。でも「フォンジェ」は経営破綻し、テナントは次々と撤退。空きスペースはイベント(こちらやこちら)で使用される程度。
これとは別に、急激に進む少子化対策は重要。両者の利害が一致して、昨秋「キッズマジック」をひとまず休止。施設全体を大幅に拡充させ、備品を更新するだけでなく何と、市営・無料化(!!)。本年春に再オープンしました。連日、多数の子供たちが利用しています。
週末や祝日は入替制を取らざるを得ないほど。冷静に観察すると、来客の目的は「キッズマジック」利用のみ。館内や、近くの商店街で何かを購入することはほとんどありません。残念ながら、これぞ衰退が進む当地の現実。
本題に戻ると、屋外で身体を動かせるかどうか、そして子供たちが自分で「遊び」を考えることができるかどうか──ここは見逃せない──という点を除けば、「遊び場」としては同じ部類に括(くく)られます。
ただしライバルの「キッズマジック」は無料。もちろん、それを十分承知の上での「放課後の遊び場『にわニワ』」開設。
今後の展開を注視するだけでなく、経営側の意気込みと努力を応援したいところです。
■12月9日(火) なぜ来春のダイヤ改正からじゃないんだろう... ──山形新幹線新アプローチ線──
ご存じのように昨晩、東北地方で大きな地震が発生しました。
新潟県北部(「下越地方」)では震度3を記録した地点もあったそうですが、当地は震度1。気づきませんでした...というか白状すると、机の前で完全に寝落ち。だから少々揺れても認識できなかったというのが本当のところ。
情けない。他方、最大震度は6強。発生が深夜だったこともあり、多くの方が暗く寒い中での避難を強いられたはず。交通機関も大きく乱れました。(これとは別に、上越、北陸新幹線は熊谷駅で発生した人身事故のために長時間混乱した)。
同じ災害の被災者として、心よりお見舞い申し上げます。写真はその東北地方の「南の玄関」とでもいうべき福島駅付近で撮影したもの。つまり先週の東北ツアーに関してご紹介し損ねていた話題。いろいろ考えたのですがやはり、今日ご紹介させていただきます。
今回のツアー2日目は、郡山を出発して秋田を目指しました。ツアー後半で利用したように、この間は新幹線だけで移動できるのです(ただし乗り換えが必要)。でもこの日の主目的は米坂線乗車。そこで、まず山形新幹線で米沢まで移動。その際、揺れの少ない車両中央の、その右窓側の席を確保しました。
もちろん、これには理由が。上りか下りかにもよりますが、福島─山形県境の板谷峠は、右側席の方が美しいと思う(逆に、見えない風景もある)。そして、もう一つ。福島駅での新アプローチ線新設工事(2枚の写真)の進捗状況です。
それを確認するためには、右側に座る必要が。
ご存じの方も多いと思いますが一応、ご説明を。福島と青森を、山形、新庄経由で結ぶ奥羽本線は、東北本線と並ぶ東北地方の大動脈。
東北新幹線開業後も、夜行列車など在来線の列車が運行されていました。ただし山形新幹線開業に伴い、広軌(実際には「標準軌」)化されるとともに路線を改良。また高架上にある東北新幹線乗り入れのため、センセイが現在利用している福島駅のアプローチ線を新設。
ところがこのアプローチ線は1線のみ。福島駅で最も西側の待避線に繋がっており、ここで上下すべての山形新幹線の分離・連結を行います。つまり、そもそもかなりややこしい。
それでも下り列車については、相対的にまだ簡単な方。問題は上り列車で、下り用の待避線に乗り入れてから、下り線で待機(!!)していた上りの東北新幹線──実にややこしい──に連結。そこから線路を数本横切って、本来の上り線に入ります。
もちろん、それを考慮してダイヤ設定。だから、ふだんはあまり問題にならないのです。
でもご賢察の通り、冬季、それも雪が積もると山形新幹線のこの構造による遅延が原因で、JR東の新幹線全体に混乱が波及。福島駅全体の構造を変更するのは困難。
そこで上り専用のアプローチ線を新設して列車の平面交差を回避することに。工事はかなり進捗しているとのこと。1枚目の写真は、福島駅出発直後に撮影したもの(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))。太陽は右斜め後ろ。その関係でいろいろなものが陰になっており、何が何だか良くわかりません。
だからセンセイも最初は見逃したのですが良く見ると、東北新幹線の高架の下に真新しい新アプローチ線。2枚目の写真は、続いて撮影したもの(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))。新アプローチ線の様子が良くわかります。「2026年度末の開業」とのことだったので、あまり期待していなかったのです。
でも実際にはすでに、架線も張られています。これは完全に予想外。北陸新幹線の工事を間近で見た人間からすると、後は電気・軌道総合検測車を走らせるだけ...という感じ。
素人からすると、来年3月のダイヤ改正に十分間に合うと思うのですが...。ま、いいんですけど。
■12月8日(月) 数十トンを支える支柱を、スポスポと?! ──傾いたお宅の修復作業が始まりました──
予定を変更してお伝えします。
今日の当地は大荒れの天気。とにかく西風が強く、まるで真冬のよう。気温もかなり低いので、いっそうそう感じます。違うのは横殴りの雪が吹き付けないことくらい。ただし午前中は大雨にならないだろうとの予報。
残念ながら親戚の仕事──次期ご当主様の任務──で午前中は在宅。区切りがついたのは10時半頃。雨雲レーダーを見ると、あと約30分で雨になる見込み。ただしその後も雨が続くはずなので、急いで最寄りのスーパーへ。用を済ませて外を見ると、とんでもない降り方です。
とても外へ出られない...。大きなスーパーなので25分ほど店内をフラフラ(おかげで新しい発見がありました)。降り方は小降りになり、西風も少し弱くなったので次の目的地へ移動します。その後も数回雨宿りして、買い物その他を済ませました。
旧市街地からは追い風に。
強風で壊れる点にさえ注意すれば、往路と違って傘を差すことが可能に。風向きを考えて住宅の陰の、風が弱くなる場所を歩きます。
あと1kmくらいで自宅...という場所で、あれっ?!道路の反対側にトラックが止まり、雨の中、制服姿の1人の男性が何かの作業中。もちろんそれだけなら良くあることなのです。問題は作業の現場あるいはその対象。
ここは以前ご紹介(こちらやこちら)した、傾いた家の前なのです。折れ曲がった円柱状の支柱はすでに撤去されています。作業を少しだけ拝見させていただくと何と、角柱状の鉄柱をトラックの荷台から運んで、スポスポと嵌め込んでいきます。
すでに右側と中央の鉄柱は嵌め込み済。写真は、左ドアミラー部分の後ろにある左端の鉄柱を嵌め込んだところ。数十トンにも及ぶ上部構造物の重量を支え、建物全体の強度を保つ鉄柱(の一部)を、ですよ。
さすがにこれにはびっくり。もちろん、そんなわけはありません。
鉄柱の両端部(特に真ん中の柱)を見ると、塗装の色が他と異なります。そしてその右隣には同じような形状の鉄柱が。つまり今日持ち込んだのは脇にある古い鉄柱を置き換えるためのものでしょう。
今後、ジャッキ等で上部を持ち上げて、角柱状の支柱を交換すると推測されます。折れ曲がった円柱状の鉄柱は、家屋の最前部。そこまで以前と同じに戻すのかどうかは不明です。でも、ま、この家屋──たぶん、もともと無人──を再活用するということなのでしょうから、それは喜ぶべきこと。
高額な修復費用は当然、自動車か何かを衝突させた側が負担したはず。保険を使ったかどうかはわかりませが。
■12月7日(日) 感覚的に一番近いのは、細野晴臣の初期作品群 ──越後線2番「比角踏切」──
写真はJR越後線を走行するE129系電車。
ただし今日の主役は電車でなく、写真の踏切。ここは写真の左奥に位置する柏崎駅を発った列車が、拙宅最寄りの「田中踏切」に続いて通過する「2番『比角(ひすみ)踏切』」。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
すぐ隣、続く「第一羽森町踏切」を越えると列車は「東柏崎駅」(旧「比角(ひすみ)駅」到着。
つまりそもそも、列車到着時も出発時も駅に近い。しかも東柏崎駅は、現在でこそ棒線化されているものの、かつては相対式ホーム2面2線(+待避用の中線)を備えた立派な構造。
センセイが高校生の時、帰りの列車はここで対向してきた蒸気機関車牽引(!!)の貨物列車と交換していました。当時は引き込み線が複数存在しました(今も待避線が1本残されている)。現在も駅構内に出入りする際、それなりのカーブ(こちらの2〜4枚目以降の写真)が存在。
このような理由でこの「比角踏切」を通過する列車は極めて低速。踏切はあちこちに存在しますが、大半は列車が轟音を立てつつ高速で通過。だからこの「比角踏切」で見る電車の印象は、ふだんの姿と大きく異なります。
感覚的には路面電車あるいは、かつて旧新潟県庁付近まで一部国道上を走行していた新潟交通電車線に近い。個人的には細野晴臣の、「はっぴいえんど」時代に作った「風をあつめて」(1971)や、ソロ時代の「終わりの季節」(1973)の雰囲気を強く感じます。
前者には都内を走っていた路面電車が、後者には貨物列車が登場。ただし作詞は別な方(前者は松本隆)なので、ここでの「細野の曲」という表現が適当かどうかは、はなはだ疑問ですが。
それはともかく、ふだんとは違う鉄道の姿を見ると、印象がガラッと変わる時があることは事実です。