2024年2月10更新(2024年2月18日ページ移動)
■2月10日(土) あの店は、このお店そのものだった... ──市内の有名な菓子店が、全店舗閉店──
メインタイトルは、ほぼ意味不明。つまり悪い見本ですね。
写真は2枚とも今日撮影したもの。当地はお昼過ぎに寒冷前線が通過して天気が急変。まず風が唐突に吹き始めて、やがて強い風が断続的に吹くように。日中はそれほどでもなかったのですが、夜になると本格的な雨に。
ただし午前中は放射冷却の影響で気温こそ低かったものの、良い天気。そこで外出したついでに、ちょっと気になっていた場所を訪れました。申し訳ありませんが、まず撮影場所のご説明から。
1枚目は、柏崎駅の駅裏(南西方向)。中央に見える4軒の建物の奥を、左右(≒東西)にJR信越本線が走っています。当地は遅くとも鎌倉時代までには、一定の規模の町が形成されていました。(『吾妻鏡』に「比角(ひすみ)の庄」として登場)
ただしそれは、海岸沿いの砂丘地帯や丘の上。その内側(南側)は、川が合流して形成された湿地帯。人口は少なく、ところどころ標高が少し高く、島のようになった場所に「枇杷島城」(現在の柏崎総合高校の地)その他があった程度。鉄道(当時の「北越鉄道」)は勾配に弱いこともあって、線路をこの湿地帯に敷設。
すると人々も徐々にこの近辺に居住し始め、工場も進出するように。この場所もその一つなのですが、同時に、写真奥にある旧市街地と手前の(旧枇杷島城跡を含む)地域を結ぶ街道(現在の国道352・353号線に相当)が交わる場所。
当然、踏切(現在は撤去)が設置されます。戦後になると住民も増え、また東側に大きな工場が二つ建設されて労働者も多く行き交うように。つまり50年くらい前のこの場所は繁華街だったのです。
通りの両側には当然、客商売のお店が軒を連ねていました。今回の主役(?)は、その一つ。写真中央の、やや緑がかったグレーの建物です。ここは「御菓子処 杜の家」の「柳橋本店」。(表記に少し揺れがある)
周囲には立派な造りの割烹や呉服店、酒屋などがあり、当時は相当賑やかだったはず。申し訳ありませんが、時代は再び戻ります。
この場所が栄えた頃には貨客ともに鉄道輸送両が増加。どうなるかというと、交通量は多いのに踏切が開かないという事態に。酷い時は20分ほど待たされたそうです。そこで1975年、写真の左側に立派な跨線橋を建設。
当然、人の、そしてそれ以上に車の流れが激変します。つまり客商売をする上でこの地は一等地から転落。そこで地元民の要望により廃止された踏切に代わって、この「柳橋地下道」を1978年に建設。(ただしセンセイの記憶と一致しない)
四輪車は走行できず、軽車両および歩行者のみ通行可。しかし歴史の流れは変えられず、この地域はやがて商業地から住宅地へ。現在、営業を続けているお店はごくわずか。センセイがこの近辺を時々歩くようになったのは2、3年くらい前から。
以前の「杜の家」を微かに覚えています。でも「杜の家」、別などこかで目にしていたような記憶が...。そこで今日、完全に閉店して什器備品が撤去され、空っぽになった「柳橋本店」を確かめた後、地下道を通って駅前へ。
2枚目の写真は柏崎郵便局のすぐ近く、有名な「そばよし」の斜向かいにある「遠山タクシービル」。今から15年くらい前、和洋菓子店がビルの1階にテナントとして入居。遠山タクシーそのものは地域の衰退により、2020年に破産。
菓子店はというと数年営業した後、タクシー会社破産前の2017年頃に閉店。ごく最近思い出した──情けない──のですが、かつてここに存在した菓子店の名前が「杜の家」だったような気が...。というわけで現場を訪れてみると、角の部分の入口上に掲げられていた立派な看板は、閉店時に撤去済。
でも歩行者用の信号付近、アーケード内に残っていた札にはご覧の通り、「御菓子処 杜の家」(「駅通り店」)。(「(株)高橋屋 杜の家」のFacebookのみ残存)個人的には甘党でない──目の前にあれば頂く──こともあって詳しくなかったのですが、調べてみると「杜の家」、「柏崎で一番おいしい半熟チーズケーキ」が評判で、最盛期には市内に3店舗を構えていたとのこと。(ただし、3店舗目の記憶はまったくない)
「柏崎市の菓子販売 -【アクセスランキング】」にも「営業不明」ながら登場するなど、市内ではある程度知られていたお店(らしい)。察するに、お店の代替わりの機会などに「駅通り店」を新規出店して努力したものの地域経済の縮小などもあって、数年で撤退を迫られた...ということなのでしょうか。
■2月9日(金) 「飼い慣らされる」必要はないんだよ ──空気が抜けた「シルビア」に遭遇しました──
2日続けて自動車の話題となります。悪しからず。
写真は先日、市内(旧市街地の外れ)で撮影したもの。ふだん通らない小路を歩いていたら突然、家の陰からこの車が目に飛び込んできました。最初に気づいたのは、あちこちに残る改造(および傷)の跡。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960)
もしかしたら車高も下げているかもしれません。いかにも自動車が大好きな「走り屋」の車、という感じ。最初は、現在アメリカで大人気の「スカイライン」(9代目、R33)かなと思ったのです。
自分で最初に買った日産「プリメーラ」(P11)を車検に出した際、代車として同車(MT)を数日お借りていたために、そう感じたのかもしれません。ちなみに当時幼稚園児だった娘は、こちらの方が「格好いい」とのこと。ハンドルを握るお父さんは、車体が大きく馬力もあるため、運転しにくかったことを覚えています。
でもこの車を良く見ると、「スカイライン」を特徴的づける丸形テールランプではありません。帰宅後に調べてみるとどうやら、この車は1993年から1999年にかけて販売された日産「シルビア」(6代目、S14)らしい。つまりセンセイの「プリメーラ」と同時代ですね。
センセイは2004年の年末にBMW 318i(E46)に乗り換えましたが、それを考えると相当長く乗っていらっしゃる。でも、何か変...。
よぉーく見ると、まずタイヤのホイールが前後で異なっています。まぁ、この点は問題がなければいいのでしょうが、ここままで実際に走行するのは難しいと思う。なぜなら、前輪後輪ともに空気が抜けているので。
ずっとこのまま取り残されているのかな、とも考えてみたのです。でも、例えば当地のベンツのように、車体の下に苔が生長するほどにまで放置されているわけでもなさそう。例によっていつものように、「よくわからない」という情けない結論に至るのですが、最後に弁護(?)も。
オーナーの方はやはり、この「シルビア」に変わらぬ愛情をお持ちなんだろうと思います。そう言えば最近は、「走り屋」の車をほとんど見かけなくなってきたと思う。もしかすると、若者が「飼い慣らされた」──『星の王子さま』における“apprivoiser”──のかも。人の選好(せんこう)は人それぞれ。
事故や騒音など、(人間以外を含む)他者に危害とならなければ、思考と嗜好(しこう)の自由は可能な限り尊重されるべき。程度問題だし、何よりセンセイを含めた誰もが、そんなに綺麗な身じゃないので。
どうでしょう。
■2月8日(木) 最近のデザインの流行は、やや復古調? ──新型「スイフト」を、間近で拝見しました──
写真は最近、雪が積もった日の翌日に撮影したもの。
いつものようにお昼に外出した際、先月ご紹介した「スイフトスポーツ」があったその場所に、新型「スイフト」(6代目)が置かれていました。現在、大量のCMが流れているモデル。走行中の新型を1回だけ見かけました。
でも、実車を間近で見るのは初めて。歩行者用の信号が青に切り替わるまでの僅かな間、外まわりを観察させていただきました。したがって今日の内容は、車体のデザインに関してのみ。
センセイの個人的な第一印象は「大人しくなったなぁ」、そして「ちょっと復古調なのかな」。ご存じの方も多いと思いますが4代目までの歴代「スイフト」は、丸みを帯びたかわいらしいデザイン。それが先代(5代目)で大きく変化。
何より、マッシブ。サイズはもとより、モデルのコンセプトなど数多くの制約がある中で「ずいぶん攻めたな」というのが、センセイの5代目に対する印象でした。
特に「スイスポ」は、(後述する)後部ドアノブと独特の「D」型ステアリング(ハンドル)を除けば、個人的には受け入れ可能。ただし赤色を多用した内装にはついていけませんが。それはともかく、「スイスポ」を含む先代「スイフト」はデザインが優先されたため、後部座席ドアのノブが写真のような通常の位置ではなく、ドア後部の少し高い位置に。
そこだけ見たら、まるで2ドアクーペのような印象。若い方なら何の問題もないと思いますが、ただしセンセイのように、ファミリーカーとして用いる場合、このようなドアノブの配置、高齢者には、チト使いづらい。
個人的には、それもあって新型「スイフト」でドアノブの位置が変更されたのでは、と考えています。ただしこのようなノブの配置は、他社のSUVでも見られます。その一つが写真のホンダの先代ヴェゼル。姪が同型に乗っているので間近で良く見ています。
後部ドアのノブは、ドアの最後端。立場によって意見や評価は分かれるでしょうが、デザインとしてはよく理解できるつもり。車体前部から後部にかけて、何かを巻き上げつつ疾走するようなキャラクターデザイン。(凹凸のデザイン)
そして、この流れを締めくくるのが、後部ドアノブ。ただし新型ヴェゼルでは、このデザインコンセプトが大幅に変更されています。正確に言うと、後部ドアノブについては先代と同じく、ドア最後部に。
でもそれ以上に強調されているのが前後方向、ほぼ水平に配置された強い直線。ここ数年、特にSUVで目立っていた肉感性とは明らかに異なるメッセージです。よく言えば知的、ネガティブに考えるならば機械的、あるいは単調。中にはセンセイのように、「復古調」と解する人も出てくるはず。
もちろん難しいところだと思いますが、少なくとも最近まで続いていてきた流行とは一線を画しています。それを踏まえ、改めて最初の「スイフト」の写真を観ると...どうでしょう。あちこちに歴代のイメージは残しつつも強調されるているのは車体側面、前後に伸びる直線的なキャラクターデザイン。
どうやらこれが最近の流行らしい。直線だから復古的だ、と主張しているのではありません。
その例がスズキの「アルト」。よく見かける先代は、直線を多用したスパルタンなデザインでしたが、新型は前照灯などで先代を意識しつつも、全体のデザインは明らかに、先々代以前に戻っています。
かように、比較的狭い意味での「デザイン」は行きつ戻りつを繰り返すのかも。なぜ「スイフト」に(少し)拘っているかというと、以前ご紹介したように、もし「次」にMT車を購入するとしたら他に選択肢がほぼなく、未発表の「スイフトスポーツ」を選ばざるを得ないと考えるため。
もちろん、いきなり「ワゴンR」になったり、何らかの事情で「次」が存在しなかったりするかもしれませんが。なお、いろいろ印象はお伝えしたもの、それぞれのデザイナーあるは会社等の意図を批判する意図はありませんので、誤解なきよう。
■2月7日(水) 得心していただけるか、ちょっと微妙... ──冬と春が、狭い場所で同居しています──
「得心(とくしん)」とは、「確かにそうだよね」などと、心から納得すること。
例によってお昼に外出したのですが晩酌のためのお刺身を確保してから、次のスーパーへ。
お店によって得意不得意分野があるのです。近くにある郵便局へも行きたいし。地域の基幹病院(写真左)の前を過ぎて、写真奥から手前に歩いて来ると、あ"っ...。弱いながらも、現象的には「気嵐(けあらし)」です。
と、言っても何が何だかわからないので、時系列順にご説明を。当地は一昨日、いつもより冷たい雪が少し積もりました。ただし昨日お伝えしたように、大地はそれなりに暖められています。相対的に、海や河川より地表は温度変化が大きい。
だから陸風や海風が起きるのです。地表付近では寒さと暖かさ、言い換えれば冬と春のせめぎ合いが起きています、昨晩は雲が薄くかかった程度。夜、窓を開けて外を確かめました。
寒気がまだ残っていたことに加えて、昨晩は軽度の放射冷却が起きたらしく、今朝の最低気温は-1.3℃。海沿いであまり冷え込まない当地としては珍しい寒さ。他方、今日の午前中は時々日も射すなど、割と良い天気。もう一つ考慮すべきは風。
昨晩から写真を撮影した今日の午前中まで、ほぼ無風に近い状態を継続。いわば、その結果が写真。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960(原寸トリミング))
この時点で、道路は完全に除雪されているものの、まだ濡れたまま。水たまりや凍結部分はありません。強くはありませんが、朝からエネルギーの強い太陽光が降り注いでいるので、道路表面の温度は上昇。
地表の水分は、水蒸気としてどんどん蒸発していきます。ここまでは当然の現象なのですが、水蒸気を受け入れる大気の状況は、ちょっと別。
風が弱いので、昨晩からの冷たい空気が残ったまま。空気は温度変化を起こしにくい──だから断熱材として重宝される──ので、太陽光に少し照らされたくらいでは、そんなに大きく変化しません。
そのため、地表(道路表面)から放出された水蒸気(無色透明)は冷たい大気に冷やされて、白く細かい水滴──いわゆる「湯気(ゆげ)」──として凝結。現象的には、「地面から湯気が立ち上る」。これが気嵐。
川霧などが顕著な例ですが...地表だとちょっと微妙。肉眼だと湯気がゆらゆらと立ち上っていることが明白なのですが、撮影は難しい。半ば諦めながらその気嵐の中を通り抜け、それでも何とか撮影したのが写真。
中央奥の道路上、左右に細長く広がっている白っぽい数本の筋が、気嵐。なお、撮影した時は気づかなかったのですが、中央奥の「P」マーク付近では道路脇の雪山が鏡のように上下反転して写っています。おそらく、場所あるいは高さによって温度差が大きく、屈折率が大きく異なっているためと推測されます。
要するに、蜃気楼のイメージ。ただしタイトルに記した通り、この写真で得心していただけるかどうかは別。
再び諦めつつ歩いていると、急に雨。風向きも大きく変わり、南西から暖かく湿った風が急速に入り込んできました。冷たい空気を駆逐してしまうので、さきほどまでの気嵐はまるで一切存在していなかったかのように、文字通り霧散(むさん)したはず。
自分では見ていませんが。局地戦争ではありますが、まさに冬と春のせめぎ合い。あるいは同居か。連休の天気はあまり良くないようですが、その後は春の陽気になるとの予報です。
(被災地を含めて)やはり春は、近い。
■2月6日(火) よく、まぁ、ここまで積み上げたものだ... ──予想外の積雪なれど、やはり春の雪──
今日は予定を変更して見たまま、そしてタイトル通りのお話。
日のお昼頃から、ニュースのトップは昨関東地方の雪の話題に。その後の状況については皆様ご存じの通り。報道される映像を見ていると多くの方がゴム長靴などを履いており、それなりに対応していらっしゃいました。
もちろん革靴の方も見受けられましたが。冷たいと思われるかもしれませんが、現役時代──雪の中の入試実施は本当に気を使う──とは違って、センセイは当初、今回の雪を割とお客さんの視点で見ていたのです。ところが夕方になると状況が一変。
当地でも雪が積もり始めたのです。昨日も日中は傘を持たずに外出していたほど。雪雲が迫っていたため、早めに帰宅したのですが、レーダーの様子から「チラチラ舞う程度かな」と予想していたのです。
ところが寒気が予想より強かったようで、小粒の雪が静かに、しかししっかりと降り続いています。雪は真夜中に降り止みました。積雪量は10cm程度でしかありませんが、庭の樹木の冬囲いにもしっかり積もるなど当地では珍しい、昨年末のような雪。
遅くならないうちに就寝したのですが...今朝のセンセイは、寝不足気味。原因は、この雪。
朝の3時頃から多数の重機が出動し、街中の除雪を始めたため、その騒音と振動でぐっすり眠ることができなかったのです。もちろん翌日の円滑な交通を確保するためなので、その点については感謝。
されど、わずか10cmくらいで出動するとは思わなかった。お伝えしたように今シーズンは暖冬少雪。今回の出動はたぶん、大人の事情によるものでしょう。
それはともかく、朝になると積もった雪の様子は一変。冬囲いから雪はほとんど落ちてしまい、積もった雪もグチャグチャに。地表や建物のその他の温度がそれなりに高く、また寒気が抜けたために気温も上昇しているのです。
写真は、お昼に外出した際に撮影したもの。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960)社会福祉協議会事務所の駐車場の雪が除雪され、積み上げられています。写真手前にあるので高く感じるのは当然ですが、周囲の家屋と比較すると雪山の高さは4m程度。昨日まではここまで高くはなかった。
お見事。頂上部の雪の塊はセンセイが運んだものではありません。すべてが重機による作業。写真では良くわかりませんが、裏に回ってみるとホイールローダーのタイヤの跡がくっきりと残っていました。(写真の左下隅にも)
注目していただきたい点が、もう一つ。雪山周囲の、地面の様子です。
しっかりと濡れていますが、ここは地下水を散布する融雪装置などを備えない、ごく普通の駐車場。気温が高い──といっても、この時の気温は3℃前後──ため、雪がどんどん融けているのです。
何より、雪の表情が違う。敢えて厳しく評価すれば、昨晩を含めて、もう春の雪。まず間違いなく、被災地も。
この雪が、今シーズン最後の雪になるんだろうか。
■2月5日(月) 「フォンジェ」でのカラオケ大会は、ある意味、地域の現状をよく表しているのかも...
昨日の続き。
在宅している時のセンセイは、実家で農作業を手伝ったり何かの用に従事する場合──原則、自転車を利用──あるいは両親の食料を買い出しに行く場合(こちらは自動車)を除いた毎日、お昼を兼ねて徒歩で外へ出かけます。
目的の一つは晩酌のおつまみを自分で確保すること。そしてそれ以上に、健康管理のため身体を動かすことが目的。そのついでに、自分が住んでいる地域の観察であることは皆さんご承知の通り。昨秋までは、これらの目的を同時に達成すべく、最後に旧市街地中心部を...という日が多かったのです。
ところがスーパー撤退でこの行動パターンが一変。(自動車での移動を前提とした)郊外のお店や郵便局、銀行を巡り、最後にスーパーの別な店舗でお刺身を...と変化。要するに旧市街地中心部には立ち寄らない。もちろん、時々旧市街地も訪れるようにはしているのです。
でも、お店は次々と閉店するし、そもそもほとんど人が歩いていない。この姿、実は当地だけでなく、全国各地の駅前商店街その他で起きていること。
以前の「フォンジェ」はというと、外はともかく、建物内はスーパーを中心にそれなりの人で賑わっていたのです。中央には吹き抜けの公共スペースがあり、老人とともに高校生がスーパーで買ったものを食べていたり。
キーテナントだったスーパー(写真奥のシャッター部分)撤退後の店内はまるで、火が消えたかのよう。その後1回だけ、風の強い日に建物の入口でお弁当の出張販売を見かけました。でもお客さんはおろか、店員すら見かけませんでした。もちろん一時的に席を外していただけでしょうが。
幼児向けの遊戯施設を除けば、「フォンジェ」にに残っているのは僅かな店舗だけ。そして空いたスペースを使用しているのは、数は多くないものの健康増進のためのセンターや、当地にある原子力発電所関連の事務所。撤退した書店の跡は、空きスペースのまま。
そしてこの建物を管理しているのは第三セクター。要するに、市民の税金でこの施設を何とか維持しているようなもの。
だから「フォンジェ」に入らなくても...と思っていたのですが、入ってみると、ちょっと予想外。確かに人影はないのですが、静かというわけでもない。
その発信源は、前述した公共スペース。何と、開かれていたのはカラオケ大会(?)。これは完全に、想像の斜め上。
それなりの準備を経て開催されていることがわかります。ただし参加者は高齢者ばかり。なお、カラオケ大会の開催そのもの、あるいは高齢者の行動を批判しているわけではないので、誤解なきよう。
人がいるのは、ここだけ。まるで、当地の閉塞(へいそく)した状況を象徴しているような一コマです。
■2月4日(日) 建物の周囲の土砂は沈降し、かつ低方へ移動... ──砂丘地が抱える地震のリスク──
写真は昨日撮影したもの。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960)
日本海に面した当地は冬期、雪と風で外へ出にくくなります。特に風が強いと傘が役立たないため、最低の用件だけ近所で済ましてしまうことが多くなりがち。だから、どうしても運動不足気味。
もちろん、いざとなったら自動車を使えば用は足りるのですが。でも昨日は曇りながら時々晴れ間も見えるなど、冬の新潟とは思えない天気。そもそも今シーズンは暖冬少雪なのです。昨日は特に、風が弱かったので、まるで早春の気分。なお暦の上では、節分の機能までが冬で、立春の今日から春なので、念のため。
それはともかく、陽気(?)に誘われて、ついついあちこち探検することに。最後に訪れたのは、贔屓(ひいき)にしていたスーパーの撤退後、すっかり足が遠くなっていた旧市街地中心部の複合商業施設「フォンジェ」。今日お伝えしたいのは、その建物について。
この日は、建物裏の小路を通って、写真の場所から建物内へ。旧市街地中心部は、日本海に面して概ね東西に広がる砂丘地の頂点に位置しています。つまり東西に長い商店街(だった)。「フォンジェ」はその頂点からやや南側。
建物正面(写真左側)は頂点付近なので最も標高があり、後ろは低い(黄色の矢印方向)。砂丘とは、その名の通り砂が盛り上がっただけの場所。そこを揺れ、つまり強い揺れが襲ったらどうなるでしょう。これがまさに、1月1日の能登半島地震の際に起きたこと。
この場所では、激しい揺れで砂が沈み、低い方へ流されるという現象。建物そのものはしっかりとした基礎の上に建設されているので(あまり)沈みません。でもその周囲の、基礎がない部分は沈んだり、流されたり。
先日ご紹介した拙宅進入路の状況と共通する部分が。(ただし拙宅は液状化が大きく作用している)写真からまず、建物の本来の地上部分(中央上部の薄緑色の部分)と地面が一致していないことがわかります。メジャー等を持参していたわけではないのですが、その差異は約250mm。ただし能登半島地震ですべてが沈下したわけではありません。
その下の部分を良く見ると、概ね2:1くらいに分割されることがわかります。また、明らかに色も違う。たぶん、上部は建設当初からこのまま(右隣を見るとわかる)。下部は2007年に当地を襲った新潟県中越沖地震(および2004年の新潟県中越地震)、そして今回の能登半島地震による沈下部分と考えられます。
砂丘地では、こんなにも沈下するんですねぇ。横方向に注目すると、建物の基礎と周囲の間には約20mm〜30mm程度の新しい割れ目が。隙間に堆積物がなく、非常に深いことから能登半島地震によってもたらされたものだということがわかります。
なお東西方向(写真前後)にも10mm〜20mm程度の隙間が生じています。つまり建物の周囲は概ね南南西方向(写真の右側よりちょっと下)に流された。ただし周囲部分は斜め方向および写真右上奥に伸びる古い割れ目──汚れが蓄積している──を除けば、割れ目は見られません。
つまりコンクリート内に鉄筋が配筋されているはず。以上を確認して正面に回ると、おぉ、業者が柱の底部を修復作業中。
砂丘の、高い場所に築かれた柱も、その最下部で周囲が沈降し、補修が必要になったようです。さてバブル時代に計画され、市街地活性化策の結実として1998年にオープンした「フォンジェ」。
建設当時から既に過去の遺産状態で...についてはすでにご紹介した通り。現在は撤退したスーパーの代わりに、夏期は建物前で、冬期は建物内で移動販売を実施中。
久しぶりに、建物の中に入ってみると...。(たぶん、続く)