2017年3月25日更新(2017年4月2日ページ移動。2019年5月1日一部写真削除)
■3月25日(土) 少雪だったこの冬の北陸地方、しかし本格的な春はまだ足踏み状態です
今日はタイトル通りの話題。
週末なので普通は新潟の自宅へ留まるのですが、今日は明日以降の予定の関係で、すでに金沢へ移動しています。でもこれが、いろいろな意味でけっこう大変だったのです。
最大の問題は、予定が詰まっている中で行動していること。昨日は夕方まで仕事をしてからの移動だったし、今日はいくつか時間のかかる所用を終え、お昼近くになってから車を走らせました。ふだんのように比較的運転、移動に専念できるわけではありません。
体力に加えて、明らかに注意力も低下しています。夕方、富山─石川の県境を越えて金沢市の東側を迂回する「山側環状」と呼ばれる道路に入ろうとして、急にとても嫌な感じがしました。完全な逆光だったこともあって、最初はそれが何か良くわからなかったのです。
しかし直後、道路左側の歩道に立っている女性警官に気づきました。交通取り締まりです。もちろん何の問題もないのでそのまま通過したのですが、やはり気づくのが遅れました。しばらく進むと左手に若い交通係の男性警官が首を垂れてぼんやりと、まるで眠っているかのように座っていました。
彼も疲れているし、注意力が低下しているのです。もう一つの理由は、寒いこと。意外に思われるかもしれませんが。
昨日、逆のルートで車を走らせ始めたら、急に雪が降ってきました。車外気温計は5.5℃を指しています。
通常なら3℃くらいにならないと雪にならず、これくらいの気温なら霙(みぞれ)になるのですが...。そもそも、今週月曜日などを除くと、金沢ではずっと寒い日が続いているのです。それも雪が融けてからずっと。
この冬の北陸地方は少雪で、降雪量は平年の30%位しかないと思います。ただし暖かかったわけではなく、しかも無雪になってからも低温が続いてます。大地が暖まらないというより上空に繰り返し寒気が入ってくるのです。
冷たく、従って重い空気が上空に入ると当然、天気は不安定に。昨晩の雪はその象徴なのです。一進一退を繰り返しながらも、季節は進んでいます。写真は今日、富山県上市町内を通過中、信号待ちの際に撮影したもの。農家の男性がなぜか1台のトラクターの周囲に集まっています。
写真奥には耕起した跡が見えますから、その様子を見てトラクターの調子を話し合っているのでしょうか。場所にもよりますが、東京なら雪消えと紅白の梅、そして先日開花宣言のあった桜と季節がパターンに従って進みます。でももともと北陸地方はそれが弱い。
しかも今年の春は寒いので、正直なところてんでばらばらという感じ。高い山々に残る雪は当然として、今日は梅と桜──たぶん見間違えではないと思う──をいっぺんに見ました。センセイはまだですが、海外出張中の同僚Tセンセイによると、2週間くらい前に鶯の鳴き声を聴いたそうです。
というわけで、やや乱調気味の春の北陸地方なのです。
■3月24日(金) 新しい道 ──国道8号線、親不知の歌高架橋が架け替えられています──
「道」といっても、「いかに生きるべきか」というような教訓話あるいは精神的な話ではなく、サブタイトルにある通り、本当の道路のお話です。
正確には高架橋なので「橋」とすべきなのですが。今日は朝早くから夕方まで大小の会議が続きました。大学は事実上、新学期に入ったのです。センセイは最後の会議を終えてからアパートに立ち寄り、自宅へ向けて出発。
一晩だけ帰宅するのです。加齢で視力その他が低下しているので、本当は夜間の運転は避けたいところ。でも日程の関係で今日の帰宅は夜になります。しかも予定より遅れ気味の移動。
そこで富山市付近から富山─新潟県境付近までは高速道路を利用しました。いつもなら周囲の美しい風景を愛でながらゆっくりと走行するのだけど、今日はそういうわけには行きません。若い女性ドライバーの車にびゅんびゅん追い抜かれながら、100km/hちょうどで走ります。
朝日I.C.で高速から降りて国道8号線へ。ここから先の親不知子不知は運転していてホントに楽しい場所。ブレーキを踏まずに、ハンドルとエンジンブレーキだけで九十九(つづら)折りを抜けます。
子不知のカーブを抜けると海と崖に挟まれた狭い「歌(うた)」地区に出ます。国道8号線はここを高架橋で抜けています。写真では見えませんが、写真左下に親不知駅が位置しています。上の大きくカーブした構造物は海の上にはみ出して走る北陸自動車道。
高速道路、国道、そして鉄道が3層(旧道を入れると4層)を構成しているのです。右の写真、実は左下に僅かに見えているように今週月曜日にここを通過した時に撮影したもの。
初めて通過した映像です。これでは何のことかわかりませんよね。3、4年前だと思うのですが、この場所の下を電車で移動している時、この「歌高架橋」(写真右側)の基礎工事に気づきました。
やがて工事は写真中央部分へ拡大。旧橋(右側)を新橋(中央)に掛け替える工事だったのです。橋脚の工事には長い時間がかかったのですが、その上に載る橋桁の工事はあれよあれよという間。
もっと時間がかかると思っていたのですが、月曜日にここを通った時、初めて新橋に通されました。今日もまだ同じような状態で、一部分は対面一方通行だったのですが、それもそんなに遠くない日に解消されると思います。そして見えないところで旧橋の解体撤去。
知らない人が通ったら、ホントに何も気づかないと思います。天下の険、親不知を訪れた人の多くが利用する歌高架橋。それがプロの手によって着実に更新されていきます。
■3月23日(木) 100円ショップでは売っていません ──BMW 320i
M Sport、キーの電池を交換しました──
今日もタイトル通り、そして見たままの話題。
先日、車から出たり入ったりしていたところ、急に注意表示が。「車内にキーが見当たらないので、再起動できない」というのです。その時は走行中だったのですが、さしあたりは運転を認めてくれるらしい。
でもいったんエンジンを切ると再起動しないかも。もちろんキーは車内に存在していたのですが、どうやらキーと車体との間で通信が一時的に切断されたようです。
現在のキーは完全電子式。個人的には鍵穴に差し込んで回転させる方が安心できるのですが、主に防犯上の理由で電子式に替わったようです。
まぁ、わからないではない。BMW 320i M Sportの購入から1年2ヶ月が経過。寿命は約1年と聞いているので、この際、内蔵電池を交換することにしました。
購入時に担当者がキーを分解して内蔵電池交換の手順を見せてくれました。だから比較的大きなボタン型リチウムイオン電池だということはわかっているのですが、型番は何だったっけ...。
もうすぐ還暦(!!)のセンセイに1年前のことを思い出せというのは、無理というもの。まず非常用のキー(右)を引き抜きます(写真一部加工)。いざという時はこれでドアやトランクを開けることができるのです。
次にキーをひっくり返し(写真一部加工)、所定の穴にドライバを突っ込んで爪を外すと、カバー(左)が外れます。これで電池が見えるようになるのですが、ごく最近、ドライバで力をかけなくても、非常用のキーをその部分に差し込むだけでカバーが外れることを知りました。
担当者は知らないんじゃないだろうか。それはともかく、型番を確かめると“CR2450”。リチウムイオン電池、直径24mm、厚さ5mmという意味です。
ボタン型電池の中では最も大きく、しかも相当厚い。100円ショップでは見たことがありません。家電量販店にはあるのでしょうが、お店に行く機会がなかったので通信販売で購入しました。
1個約300円。キーと車体、実は解錠やエンジン始動時だけでなくかなりの頻度で通信しているようです。近距離の微弱電力とはいえ、その分電力も消費します。電池の大きさと厚さはそれが理由なのでしょう。
なお電池の供給電力がさらに低下すると、今回のような注意喚起ではなく、警告が表示されるそうです。ちなみに、電池の電力がほぼ全くなくなり正常に通信できなくなっても、ある方法でエンジンを始動する方法がマニュアルに掲載されています。またやり方を習いました。
でもそれはホントに最後の手段なので、定期的に電池を交換することにします。
■3月22日(水) 引っ越しが完了した旧夢考房26では、改築改装工事が始まっていました
今日はタイトル通りの話題。
午前中とお昼に所用で、途中、ほっかほっか亭近くまで出かけました。途中、先日お披露目された新夢考房41に吸収合併されたような格好になる旧夢考房26の脇を通ります。
すると中で大きな動きが。午前中に通った時は搬入口が開いていたのですが、お昼にお弁当を買いに出た時には扉が閉じられていました。
そこでガラス越しに撮影したのが写真。ちょっとぼんやりしているのはガラスが汚れているからです。お伝えしたように新夢考房41の完成後、旧夢考房26と41からは機器機械類の搬出が進んでいました。
それでも先日まではこんな感じ──この写真の右側から見ている──だったのです。ところが今日は、ご覧のように機械類がすべて撤去されただけでなく、パーティションや天井板まで取り外されています。
以前の様子を思い出すのが難しいくらい。この建物は今後、おそらく「26号館」と呼ばれることになるんだと思いますが、キャンパス内の節目のような場所にあります。
生まれながらにしてハブ機能を与えられているかのよう。その恵まれた立地条件から、解体するのではなく改築改装して、別な用途に転用されるのだと思いますが......どうなるのでしょう。
■3月21日(火) 15年間出番がなかったアルミホイルの使い方 ──最近のセンセイのマイブーム──
センセイが金沢工大へ移籍したのは2002年。
引き算すると今月末で満15年が経過し、4月から16年目に入ります。実際には前年のうちに金沢にアパートを借りていました。それまでは自宅から110km離れた前任校へ通勤。
その状態からの引っ越しなので、単身赴任に必要なものを購入しました。家具や電化製品などもそうですが、生活に密着したものも必要です。その一つが料理用の品々。お伝えしたようにセンセイは中華料理店でコックをしていたので、料理そのものに抵抗はないのです。
でもちゃんと作るとなると中華料理になりがち。若い時は何の問題もなかったのですが歳を取ってくると徐々に嗜好が変わります。肉──もともとあまり食べない──より魚、魚より野菜という具合。
冬は魚や野菜を煮込んだり、鍋にしたり。でもこのような生活を続けている中で、残念ながら塩分摂取量が増えていたようで、センセイは現在キンエン生活中。こうなると改めて、金沢での食事、特に夕食が問題になります。
で、最近のマイブームの一つが焼き魚。もちろん時間がなくて「既に焼いてある魚」を買う時もあります。しかしこれらは基本的には売れ残った切り身を翌日お店で焼くことが多い。そこで値引きされた切り身を買ってきて、アパートで焼くことにしたのです。
金沢にはグリル付の普通のガスコンロがあります。でも実は、グリルを全然使っていません。たぶん上手に焼き上げることができるのでしょうが、燃えかすや油などその後の処理が大変。
最近、ふと思いついて、フライパンを使って鮭の切り身を焼いてみました。基本的にはとても上手くいったのですが、別な意味でその後が大変。ちゃんと洗っても魚の臭いがフライパンに残ってしまったのです。
もちろん次回に火を入れれば問題ないレベルなのですが。前フリが長くなりました。ここで登場するのが、15年前に引っ越して以来まったく使っていなかったアルミホイル。
写真のようにフライパンの上にアルミホイルを敷いてから緩やかに包み、弱火でじっくり焼きます。もちろんアルミホイルを時々解いて、ひっくり返します。弱火にしているのですがセンセイが使っているフライパンは非常に肉厚なので、どうしても焼き方が強くなりがち。
しっかり焼き目がつく、というか焦がしがちになるくらい。他方、中までしっかり加熱する必要があるので最近は、切り身をまず電子レンジで内部まで加熱して、それをフライパンに移して外側をこんがりと焼いています。
いくらでも工夫できるので、面白いですよ。それに何より、美味しいし。
■3月20日(月:祝日) 【悲報】西村センセイ、485系特急電車R-28編成の最後を見送り損ねる(2)
昨日の続き。謎解き編です。
485系最終列車の帰路は、車両全体を収めつつ、先頭6号車の「いつもの席」の記録に挑戦します。列車に向かって右側中央の席です。まず、どこで撮影するかを決めなければなりません。
「自宅近く」がコンセプトなので、信越本線を挟んで概ね反対側へ移動します。信越本線は柏崎駅の当方で緩やかにカーブしています。写真中央奥が昨日の撮影場所(この写真では見えない)。
まず気づいたのが、藪の多さ。しかも背が高いので高い場所へ移動します。踏切の警報が鳴動しE129系普通列車が接近してきたので、試しに撮影します。どちらも1両の長さは約20m。この2両の後方に、もう4両繋いだ状態を想像してください。
望遠で撮影しているので、各車両のバランスが昨日の写真と違います。満を持して485系R28編成を待ちますが......来ない。誤差の範囲を過ぎても来る気配がありません。
考えられる可能性としてはセンセイが出発時刻を誤認したか、予定通りに出発していないか、あるいは定刻に発車したにもかかわらず、何らかのトラブルが発生した.....等々。
でもiPhone 5で掲示板を確かめると、定刻に直江津駅を出発したとのこと。ナシテ?!昨日は所用で午後から実家へ行くことになっていました。到着時刻もすでに知らせてあります。ここを離れなければならない時刻を過ぎてしまいました。現場を離れます。
その後もトラブル等の情報は入らず、夕方と夜のNHKニュースは列車の新潟駅定時到着を報道。で、原因はというと、センセイを情報を読み誤った──正確には読み込み不足──でした。直江津駅の出発時刻は正しかったし、次の停車駅が長岡であることも間違っていませんでした。ただし長岡駅の到着時刻が問題。
通常より30分ほど遅いのです。一瞥したのですが、見落としてしまいました。何が起きたのかというと、485系R-28編成は臨時列車なので、通常の列車の邪魔にならないように運行する必要があります。ポイントはそのすぐ後に特急「しらゆき」が追いかける格好で直江津を発つこと。
途中駅で待避側線に停車──正確には「運転停車」──し、特急に進路を譲ったのです。路線各駅の整理が進んだ現在、直江津─長岡駅間でそれが可能なのは柿崎駅と柏崎駅。ただし柿崎駅では待避側線にこんな格好で各駅停車が入っているので、不可能。
つまり今日の写真中央奥にある柏崎駅の、通常は使わない1番線に待避させて、後続の特急を先に発車させたに違いありません。長岡駅到着時刻から逆算すると、センセイが実家に到着した頃、写真の場所を通過したはず。
北陸新幹線開業以前はこの地域全体のダイヤ──時刻というより列車や施設の運用──が概ね頭の中に入っていたので、絶対このようなミスは起きなかったのです。
しかし現在のセンセイにとっては「終わったこと」。まるで485系R-28編成から、「アンタにとって『終わったこと』なら、私だって知らないわよ」と言われたようなものなのです。トホホ......。
■3月19日(日) 【悲報】西村センセイ、485系特急電車R-28編成の最後を見送り損ねる(1)
報道(たとえばこちら)でご存じの方も多いと思いますが、3月4日(土)のJRダイヤ改正で、新潟と県西部の糸魚川(いといがわ)を北陸新幹線開業後約2年間結んでいた、通称「糸魚川快速」が廃止されました。
何と、運行開始前から廃止が事実上決まっていた(!!)という悲運の列車です。北陸新幹線開業まで新潟を中心として、北は特急「いなほ」が酒田あるいは秋田まで、西は金沢まで特急「北越」が旧国鉄型485系特急電車を用いて運行されていました。
485系は他にも、金沢と東京方面を結ぶ特急「はくたか」の一部や首都圏への臨時列車、新潟県内の快速などにも用いられました。新潟地区には最終的に、原型のT-11からT-18およびK-1/2編成、そしてリニューアル車両のR-21からR-28編成までが所属。485系最後の拠点となっていました。
北陸新幹線の開業に伴って485系は順次廃車になり、最後はR-26(すでに廃車回送)および写真のR-28編成のみが「糸魚川快速」用に残されました。485系とセンセイはかなり深い関係。もちろん以前から特急列車として時々乗車していましたが、前任校時代に柏崎市に自宅を構えてから関係は一変。
約6年間、毎日のように「北越」に乗車していました。2012年に金沢工大へ移籍してからは、ご存じのように北陸新幹線開業までの13年間ほぼ毎週利用。
原型およびリニューアル車両ともに、個人的にはもはや身体の一部のような存在と化しています。原型車両はすでに全車廃車になっていますが、これで残されたリニューアル車両(通称「R編成」)までがなくなることになります。
というより、これで旧国鉄型特急車両がほとんど消滅してしまうのです。JR東日本新潟支社はR-28編成廃車前に「ありがとう485系羽越号」を昨日、「ありがとう485系信越号」を本日運行しました。
現在は削除されていますが、同支社のホームページに、つい最近まで情報が掲載されていました。
金沢まで毎週自動車で行き来するようになった現在、485系の廃止は個人的にはすでに「終わったこと」。乗車する気はありません。
ただし団体列車とはいえ最終運行となると、やはり心に染み入るものが...。そこで幸い休日で在宅するということもあり、最後の485系を見送ることにしました。天気が良ければ、地域のシンボル「米山」を背景にして、列車を撮影しようかと考えたのです。でも今朝起床すると曇天。
全国的には好天だったようですが、当地は昨晩から朝にかけて雨が降ったのです。そこでコンセプトを変更して、国鉄色T-18編成お別れ運転の時と同様、できるだけ自宅近くでいつも通りに、見ていた様子を記録することにしました。列車の運行時刻は分かっています。
長岡駅の出発時刻から算出して待っていると、誤差なしに往路の列車が接近してきました。写真はかなり広角で撮影しているので、先頭車両が大きく見えます。往路は最低限、約120mの長さの6両編成全体を1枚に収めようと思ったからです。
先頭車両中央窓側の席で、白いTシャツを着た小太りの若い男性がセンセイを見つけてニコニコと手を振っていました。列車は満席のように見えました。往路の先頭車両は指定席。半室はグリーン車です。センセイがいつも座っていたのは乗最後尾6号車(通常は自由席)の中央。
だから直江津発新潟行きの帰路最終運転が本命です。直江津駅出発は13:00。次の停車駅は長岡。当地の通過時刻は容易に推定できます。ひとまず帰宅してから所用を済ませ、撮影位置を変更してその時を待ちます......が、来ない!!
全然、来ない。ナシテ?!