2024年11月23日更新(2024年12月1日ページ移動)
■11月23日(土:祝日) 今回も最後の最後で、詰めが... ──西村センセイ、車中避難を疑似体験する──
「疑似」ですから、本当に車中に避難したわけではありません。
今日はお昼を挟んで、西村家および他家を含めた公式かつ重要なイベントが。センセイは朝に自宅を発って実家に立ち寄り、両親を後部座席に乗せて新潟市内の会場へ。今回はおめでたい方の行事。
だからセンセイ以外の皆、特に、後部座席の両親はルンルン気分。問題は今日の天気。非常に不安定な天気で、雨雲が通過するたびに強い雨がフロントガラスに打ちつけます。実家からは北陸自動車道を利用したのですが、時々前照灯を点けなければならないくらい視界が利かない場面も。
新潟市へ接近するにつれて、風も北向きに変わりました。しかも今日は週末かつ祝日。他県ナンバーを含めて非常に多くの車が高速道路を走行しています。中には飛ばす車もいるので、あちこちに注意して慎重に運転せざるを得ない状況。
センセイは両親らの会話には加わらず、黙々と運転します。4人も乗せていると加速は悪く、燃費も低下。それでも予定より早めに出発できたため、往路は80km/hで走行。全体の燃費は20km/Lを超えました。
ただし新潟市内に入ると、一般道は非常に混雑。ストップ・アンド・ゴーを繰り返すし、ドライバーが皆、他者に配慮しているわけでもないので、非常にストレスフルな運転を強いられます。
予定より早く会場に到着したのですが、センセイらがビリ。ま、いいんですけど。予定通りの時刻に行事が始まり、無事に終了。次なる問題は、この後。幹事役の経験が足りず、かなり離れた別会場での午後の部の開始までに1時間以上の間があるのです。
さて、どうしよう。父親と家人は一時期新潟で暮らしていたので「行きたい場所があれば...」と伝えたのです。念頭にあったのは、市内中心部(の海岸部)に存在した頃の新潟大学(現在は市西部に移転)など。されど父親の返事はネガティブ。
今日の天気も関係したのでしょう。そこで、会場にはまだ入れないのですが駐車場は利用できるとのことで、そこで1時間ほど待つことに(写真左奥は、隣の仏教系新興宗教の建物)。う〜ん、これって、大規模地震などの災害が発生した際によく見られる「車中避難」そのもの。
会に参加していたすぐ下の弟は、2004年の新潟県中越地震の時は震源地に近い場所に住んでおり数日間、一家5人での車中避難を経験しています。意図せず初めて擬似的に体験することになったのですが、これが結構厳しい。ガソリンの消費を考えてエンジンを停止したのですが、数分で窓が曇ってきました。換気と除湿をしていないため、湿度が上昇しているのです。
自覚症状はありませんが、二酸化炭素濃度も上がっているはず。窓を少し開ければ問題は解決するのですが夏期はともかく、現在の外気温10℃ではすぐに寒くなります。なるほどねぇー。弟は避難の際、「ずっとエンジンを掛けていた」と言っていたのですが、その意味をやっと実感しました。
後部座席の両親は午前中の緊張から開放されたからでしょうか、仮眠しています。だから何が起きているのか、まったく気づいていない。それはともかく、何とか無事に午後の部開始。2時間半ほどすると日本酒の影響で父親が眠り始めたので関係者にお礼を述べて、先にお暇(いとま)することに。駐車場から道路に出ると、いきなり渋滞。
当然、気を使います。それでも無事に高速道路へ。予想していたよりも遅い時間になったので急いで、できるだけ日があるうちに実家へ戻ることにします。当然、往路のように悠長に走ることはできません。概ね100km/h程度で走行。
測定条件の完全な統制は無理なので参考データに留まりますが、帰路の燃費は往路より15%程度低下しました。往路同様、高速道路はかなり混雑。しかも再び天気が悪くなってきたこともあって、走行車線への車線復帰などは身を乗り出すような格好で左側の安全を確認するなど、非常に注意して運転します。
約1時間で実家到着。両親は珍しく、さかんに礼を述べています。気持ちはありがたいのですが、こちらの苦労の実態は見えていないはず。いいんですけど。
この頃はまだそれなりの天気だったのです。ところがいよいよ拙宅に到着した頃には再び大荒れの天気に。雨と暗さで周囲の状況をよく確認できない状態にもかかわらず、いつも通り、バックで進入路へ。
いくら自宅とはいえ明らかに、余裕がない状態。話のオチは、皆様すでに察しの通り。
車庫の構造の関係で、珍しく助手席にいた家人を進入路の途中で降ろします。彼女が割とワイルドにドアを開けた瞬間、「ガツッ!!」。ドアを、進入路左側の隣家の低い石垣の端にぶつけたのです。
要するに、「ドアパンチ」。良く聞く、子供が周囲を十分確認しないままドアを開けた時のドアパンチのような状況。自動車を運転する人は下車する際、必ず周囲の状況を確認してドアを開きます。されど家人は、自動車の運転免許を所持していない。
ただし根本的には、センセイが周囲の状況を十分に確認せず、停車させた位置が悪かったが故に起きたこと。さらに一歩引いて考えると、姪宅を訪れた際に車体左後部をブロックに接触させた時と共通する要素が多い。つまり余裕がない状況を十分に確認したつもりでも、注意力が最後の最最後で途切れてしまう。
つまり、全然学習できていないということ...。トホホ。車庫の照明を点けても暗いし、構造の関係もあって現時点で受傷の詳細は不明。ただしドアの凹みは視認しています。
う〜ん、これって、「老化という現実を直視して、姪宅での損傷と合わせて私をちゃんと修復してよぉー」ってことかぁ?(今回は女性の立場で記述してみました)
■11月22日(金) 生き馬の目を抜くような... ──ココカラファインとマツモトキヨシで目的は達成──
予定を変更して、昨日の続きを。初めて知ったことがあったので。
今日は金曜日なので、お昼過ぎに実家へ。明日もまったく別な用で行くことになっているので、今週は月曜日から6日連続で通うことになります。でもその前に、寄り道を。昨日揃えることができなかった介護用食品の購入です。
結論からすると途中の「ココカラファイン」と、実家近くの「マツモトキヨシ 西山店」で用を完結させることができました。後者は2年前、地元資本のスーパー「ナルス 西山店」の隣にオープン。国道沿いではあるものの、周囲はこの2店以外何もない文字通りの田舎。
冗談抜きで大丈夫かなぁ...と思ったのですが、両店ともしっかりと存続。今回、必要に迫られてドラッグストアを巡ることになったのですが、少しお伝えしたように、お店によって品揃えや雰囲気がずいぶん違います。
同時に、例えばアオキはアオキというように同一会社内の店舗はかなり統一。まぁバラバラだったら組織的な商売になりませんけどね。でも振り返ってみると、少なくとも今回買い求めようとしていた商品群については、ココカラファインとマツモトキヨシはかなり似ていました。
偶然だろうと思ったのですが、帰宅後に調べてみると、予想外の事実が判明。センセイが鈍かった──というより忘れていた──だけかもしれませんが。センセイにとってマツモトキヨシは大学院生および助手時代の、山口もえさんが演じるTVCF「〜何でも欲しがるマミちゃんは〜」(2000年)のイメージ。
当時はドラッグストアとご縁がなかったこともあり漠然と、洗練された印象を持っていました。他方、ココカラファインはというと、新潟県民にとってなじみ深かった「クスリのコダマ」を2012年に買収した相手。
娘が幼かったころコダマには散々お世話になったので、個人的にはあまり良い印象がありません。ところが調べてみると、確かにマツモトキヨシは一時期、この業界1位だったものの、やがて生き馬の目を抜くような業界再編で立場が逆転。2021年に経営統合により、ココカラファイングループに。
確かに、当時かなり話題になりました。詳細はもっとややこしいのですが、要するにマツモトキヨシとココカラファインはグループ内企業。品揃えと雰囲気が似るわけだ。
ま、利用者としては目的を達成できさえすれば、何の問題もないのですが。
■11月21日(木) 「ドラッグストア」だからといって、必ずしも医療や看護、福祉関係に強いわけでは...
昨夕、台所で夕食の準備──家人は昨夜まで外出──をしていたら、電話が。
実家の方で用の調整をお願いしている方からで、明日の朝イチに関係者全員で今後の対応を協議したいとのこと。要するに召集命令です。もちろんセンセイは4日連続で実家近くへ。車を止めると関係者が続々と集まってきます。
お越しになったスタッフは合計4名。こちら側は3名。(途中から、高齢者用の三輪自転車でやってきた父親が加わった)
実際に作業しながらいろいろ相談と調整を重ねて、作業のポイントを確認していきます。異なった立場の人がそれぞれの知見を生かし、しかも他者の意見にきちんと耳を傾けつつ、為すべきことを円滑に進めます。
実に、お見事。先日の警察官と消防署員もそうだったのですが、学ぶべきことが本当にたくさんあります。まぁ、警察と消防は上下関係が厳しそうでしたが。
センセイはスタッフと家族のコミュニケーションを取り、全体の進行に不備がないかを確認するような立場。偉そうに響くかもしれませんが、実際の仕事は優秀なスタッフにお任せするしかありません。
最終的に与えられた具体的な任務は、ドラッグストアで介護用食品を購入することだけ。打合せは1時間半弱で終了。スタッフの方々はそれぞれの持ち場へ戻ります。もちろんセンセイもご帰宅。お昼を頂いてから指示通り、ドラッグストアを何店か訪れてみました。
ここで初めて気づいたことが。そもそもですが、センセイはドラッグストアを「医薬品(と化粧品)を中核にして、その守備範囲を関連する生活用品全般に拡大したもの」と理解しています。
(一社)日本チェーンドラッグストア協会のによる定義も、概ね似たようなもの。もちろん実際の守備範囲や具体的な商品構成、そして重点の置き方などは当然、会社の経営方針によって大きく異なります。
それでも当然、いわば祖業(そぎょう)である医歯薬看護、そして福祉系の商品は充実しているはず...。でもセンセイのこの認識は、実に甘かった。
今回求めている商品類については、取り扱いが店舗によって本当に大きく異なるのです。金沢にいる時からお世話になり、自宅から近いこともあってよく利用しているお店は予想外に、取扱点数が最も少ない。まぁ、このお店の場合は最近、一般の食品に力を傾注(けいちゅう)しているという事情があるのでしょうが。
結局6社の店舗を回ったのですが、他店も同様。あのお店で並んでいたものが、このお店にはなかったり...という具合。帰路、普通のスーパーに立ち寄ったのですが、お目当ての商品こそなかったものの、商品構成はドラッグストアに勝るともとも劣らず。
現在、スーパーから見た最大のライバルがドラッグストアであることは良く知られています。今回はそれに加えて、逆の視点からそれを確認することになりました。
以下は、オマケ。
先日、駅裏を歩いていたら、9月に閉店した旧「ツルハドラッグ 柏崎幸町店」店舗で設備備品を搬入していることに気づきました。ほぼ居抜きのような状態で新しいドラッグストアが入ることになったようです。
もう開店しただろうと考えて、今日のドラッグストア巡りの最後に訪れてみました。ところがご覧のように、まだ準備中(写真)。今月末に開店するそうで、現在、オープニングスタッフの募集中でした。
どこのお店になるんだろうと思っていたら、新潟県内を中心に福島、山形県内で73店舗を展開する「(株)星光堂薬局」──現在は全国チェーン「(株)サンドラッグ」の連結子会社──の「ドラッグトップス 柏崎幸町店」とのこと。
拙宅近くにも「ドラッグトップス」があるのですが、個人的にはほぼまったく利用していません。ご縁はあるのかなぁ...。
■11月20日(水) されど乗降客を見たのは1回、1名だけ... ──JR越後線「石地」駅リニューアル──
昨日、当地での初冠雪──平野部での初雪は未観測──と、人々の雪への対応の様子をお伝えしました。
スーパーの駐車場で見る限り、地元の自動車の大半は冬用のスタッドレスタイヤに交換済。やはりこのところの冷え込みと、その事前報道が大きく影響したようです。で、センセイはというと実は、既に約2週間前に交換済。
例年なら今週末、つまり11月下旬に交換をお願いしているのです。でもお伝えしたような事情で、しばらく新潟を離れるわけにはいかず、しかも常に自動車で出動できる態勢を保つ必要があります。まぁ、そう言いながら毎晩ビールを飲んでいますが。
交換作業についてはエンジン・ミッションマウントおよびクラッチ、そしてサスペンションを交換していただいたお店にお願いしようと考えていたのです。年金生活者の現在、お店との良好な関係を継続したいので。
ところが電話をかけても繋がらない。本当に繋がらない。転送された携帯電話にやっと社長が出たのは出先。かなり忙しいらしい。つまり商売繁盛。もちろんそれは言祝(ことほ)ぐべきこと。ただし以前お伝えしたように、社長としての業務をバックアップする体制に、やや難が。
最初に対応してくださったチャーミングな女性も全然見かけないし。社長には、引き続き(別な)整備をお願いすると伝えた上で、急ぐタイヤ交換については長岡のディーラーに依頼しました。平日、しかも11月上旬だったので、ビットには余裕があるとのこと。
そこで、実家への用があった翌日の朝にディーラーを訪れて作業していただきました。しかも、いつもなら30分ちょっとかかる交換作業が、この日は20分ほどで終了。もちろん有り難いことなのですが長岡市内でお昼を頂いたとしても、次の約束まで時間があります。
そこでこの機会に、ちょっとご無沙汰している場所と気になっていた建物を訪れることにしました。本来ならば長岡から西へ向かうのですが、ひとまず北上してから西へ転進。30年ぶりくらいに走る道です。峠をショートカットするトンネルが造られていたのですが、今回は旧道を選択。
「夏子の酒」のモデル「久須美酒造」脇を通って、小島谷駅前に出ます。いくつかの懐かしい場所を通って、国道116号線へ。ここから先は実家を目指して南下するのですが、途中で旧道に入った上で、ちょっとだけ寄り道します。
目的地は1枚目の、JR越後線「石地(いしじ)」駅。(旧刈羽郡西山町)かつては有人で、相対式2面2線のホーム──現在は棒線化──を持ち、多数の乗客を乗せた列車交換も行われていました。駅前には映画館も存在したほど。
ただしセンセイが高校生の頃には、既に閉館していましたが。写真でお気づきかともいますが無人駅であるにもかかわらず、外観はちょっとだけ予想外。
ここは新潟工科大学・柏崎市立内郷(ないごう)小学校・JR東日本新潟支社共同による「JR越後線石地駅 111th anniversary リノベーションプロジェクト」の現場なのです。
センセイはNHK新潟のニュース(動画は掲載終了)と『新潟日報』紙の記事(掲載終了)で知りました。詳細な経緯と取り組みについては(株)JR東日本びゅうツーリズム&セールスが運営する「*and trip.」や、新潟工科大学のニュースが参考になります。
また地元民放局UX新潟の報道で、昨年11月8日のオープニングセレモニーの様子を視聴することができます。2枚目の写真は駅舎内部の様子。1枚目の写真とほぼ同じ方向から撮影しています。待合室のポイントは、ホームおよび到着した列車を一望できる大きな窓と、送迎客および地域住民のための椅子。
いずれも視線が、特に後者については年齢による差異が強く意識されています。蘊蓄(うんちく)についてはリンク先をお読みいただきたいのですが、センセイとしてはこの取り組みをかなり高く評価しているつもり。特に新潟工科大学生の取り組みについては、学部学生時代のものですからね。
そして単なるアイディアに留まらず、JR東日本および地域住民を(それなりに)取り込んだ点も高く評価されるべき。ただし本質的な問題も。このような取り組みが冷酷な現実の改善になかなか繋がらないのです。
誤解されたくないのですが、決してこの取り組みを批判しているのではありません。まったく逆です。されど急速な人口減少および高齢化、そしてモータリゼーションの進行という現実の「重さ」に抗(あらが)うことが難しい。
子供たちには初めての電車乗車だったし、センセイだって今回、自動車で現場を訪れています。(関係者やマスコミもほぼ同様のはず)センセイはたぶん何百回も石地駅を通過していますが、ほとんど電車──かつては気動車──で通過するだけで、下車(?)したのは初めて。しかも退職後、おそらく15回くらいここを通過していますが、乗降客を見たのは1回だけ。
高齢の女性が乗車して、二つ先の出雲崎駅で下車しました。正直なところSNS等の普及の陰で、この人間社会のヘビーな現実をどこまで伝わるのか、そしてそもそも伝えることができるのか、かなりナーバスになる部分があります。
でも、ま、センセイとしては、やるしかない。
■11月19日(火) いよいよ冬本番。地域のシンボル「米山」を含めて、少し高い山々が冠雪しました
今日はタイトル通り、そして見たまま──とは言えないかも──のお話。
センセイは昨日に引き続き、今日も実家と親戚宅へ。
相手先の都合で朝の通勤時間帯に出発したのですが、国道8号線は同116号線と分岐する直前の区間で渋滞しているはず。その先にある東京電力柏崎刈羽発電所への通勤客が集中するのです。
ただし一般の職員は地元バス会社のチャーターバスに分乗。(幹部社員については承知していない)そこで少し山側(南東側)の経路を使うことに。国道8号線および116号線ルートは最短ですし、ほとんど高低差がありません。だから自転車で実家へ行く時は選択の余地なくこの経路。
今回の山側ルートは少し高低差があります。実家の割と近く、隣村から再び柏崎市(旧西山町)に入ったばかりのところで、ご覧のように北陸自動車道を跨ぎます。写真は跨道橋の上から柏崎市市街地を見たところ。
中央奥は地元のシンボル、「米(よね)山」(993m)。さて、おわかりでしょうか。ポイントは山頂」付近。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
当地は先日までの高温が嘘だったかのように、昨日から気温が急降下。一昨日の寒冷前線通過以降、気温は下がる一方。48時間で10℃以上低下しています。
日中も気温はほとんど上昇しないし、風を伴う冷たい雨も降ったので、体感気温はそれ以上に寒く感じます。行く先々では炬燵(こたつ)かストーブが稼働中。断熱設計の拙宅も今朝からガスストーブを使い始めました。また先週末は、タイヤを冬用に交換する様子があちこちで見られました。
こうなると、地域住民の関心は「いつ雪が降るか」に集中。報道によると、新潟市中央区では昨日の夜遅くに初雪を観測したとのこと。当地は海岸沿いで標高も低いため、冬の初めに雪がドカンと降ることはありません(経験したことはない)。その代わり写真の米山その他がまず冠雪。
それを見て人々は、本格的な冬が迫っていることを覚悟します。で、その米山はどうかというと、昨日は山頂付近の雲が取れなかったため、初冠雪を確認できず。今朝も最初は雲がかかっていたのですが、撮影時はひとまず雨雲が切れました。よぉーく見ると、山頂付近の地面が...。
ちょっと予想だったのは、米山より約100m低い市内の「黒姫山」(891m)が真っ白になっていたこと。もちろん雪雲の通り方の問題でしょう。米山の初冠雪に得心していただけるかどうかは別にして、当地はいよいよ本格的な冬のシーズンに入ります。
今朝走行した際の車外気温計の表示は、ずっと5℃(0.5℃刻み)。今晩はこのまま気温が低下するため明朝はもっと冷え込むとの予報。
さて、どうなる。
■11月18日(月) これで外出準備完了!! ──復活したMacBook Proにあれこれインストールしました──
断続的に約1か月続いたMacBook Proの修復および再整備も、最終回。(のはず)
1枚目の写真は最近、センセイが所有するMacintosh(Windows 10実機2台)を起動した際に突然、全画面モードで表示されたもの。ちょっとびっくりしました。ただし3台の仮想マシンではまだ出くわしていません。
単なる偶然かもしれませんが、その内容はというと、1年後に迫ったWindows 10のサポート終了を告知し、早めにWindows 11への移行を促すもの。その際のサポート態勢についても言及しています。
ただしセンセイの場合、お伝えしたような事情でこれからも現在のMacBook ProおよびMac miniを使い続けるつもり。自宅内で使用している限りは何の問題もありませんし、何より個人の自由のはず。OSをアップデートしなかったために何らかのトラブルに遭ったら、それは本人の責任なので。
ただしMacBook Proを外に持ち出す際は、いろいろな意味で注意と配慮が求められます。皆さんからすると当然、サポート終了に伴うセキュリティ面のリスクをイメージされたと思います。もちろんその通りなのですが見方を変えると、それもユーザーつまりセンセイの責任。
センセイ個人の関心は、ちょっと別なところに。何回かお伝えしましたがセンセイにとって、MacBook Proは「これ1台で何でもできる」という夢のような万能マシン。
本来のMac OS Xに加えてWindowsも実機および仮想マシンとして起動可能。しかも特殊なソフトを介して、異なるOS間でもデータを自由に交換できます。
慣れてくると、OSの違いをほとんど意識しなくなるほど。(実話)さらにWindows 10(実機および仮想マシン)上では“SheepShaver”を用いて、旧Mac OS(MacOS9)が起動します。さすがに旧Mac OSとのファイルのやり取りについては、いくつかのステップを踏む必要がありますが。
「万能マシン」ぶりを実感していただけましたでしょうか。ただし昨日の時点で、これらのソフトは未インストール。諸般の事情で秋の東北ツアーは断念しましたが、まったく別な理由で来月上旬、他県で一泊することになっています。
それまでに、システムを整備しておく必要が。そこで昨日と今日、最後のソフトをいくつかインストールしました。2枚目の写真は、“SheepShaver”を組み込んだところ。
数年ぶりの作業だったので少々戸惑いましたが、必要なファイルさえ揃えておけば──実は、これが大変──インストール作業そのものは、さほど難しくありません。
今回はわかりやすいように、旧Mac OS部分の画面の色を一時的に変えています。(色をできるだけ正確に管理するため、本来はすべて50%グレーに設定している)右上にアイコンが見えますが、一番上が旧Mac OSの仮想マシン(ノート機のアイコンに設定している)。その下がMac/Windows/DVDドライブから構成されたMacBook Pro実機。
この状態で、実機の不可視ファイルを含めた全ファイルにアクセス可能。(つまり非常に危険な状態)これでwindows 10側についてはほぼ整備を終えたので、外出先でのメールのやり取りやこのページの更新などについては問題ないはずです。
されど別な意味で、もう一つ反省点が。ここ10年くらいのセンセイのシステムは、肝心要の最新データをMacBook Proに依存させるという弱点を抱えていました。もちろんバックアップシステムは用意していたのですが、やはり完璧ではありませんでした。
しかも、負荷はMacBook ProのWindows側に片寄りがち。何のことはなく、その方が使いやすく便利だから──おーい、Macの“For the Rest of Us”の精神はどこへ行った? ──なのですが今後、Windows実機が使用できない事態を想定して、Mac側でもある程度対応できるようにする必要が。
具体的には画像ソフトと、サイト更新(FTP接続)。この(Macの)難点は、仮想マシンソフト“Fusion”上の仮想Windowsマシンで解決します。つまりMac上の問題をWindowsで何とかしようという、(Macユーザーとしては)実に情けない事態。
3枚目の写真は“Fusion”起動直後の様子。実はMacBook Proにはもともと、Windows 10/7/XP/2000のOSをインストールしています。まぁ、後二者──若い方は見たことすらないはず──はお遊びのようなものですが...。
ただしWindows 10および7は現役。FTPソフトはWindows 10にインストール済。そこでAdobeの“PhotoShop CS2”(純正品)をWindows 7にインストール(Windows 10は不可)したのが最後の写真。この勢いで仮想Windows 10マシンにも“SheepShaver”をインストール。
その旧Mac OSは、“Color It!”という非常に軽いソフトを搭載しているので。以上、趣味の世界といわれればそれまでなのですが、老い先短く、しかもいつ何時呼び出されるかもしれない立場としては、何があっても可能な限り対応できる態勢を用意しておく必要があります。
センセイ自身を含めて若く、関心が将来に向いている時はなかなか気づきにくい事柄。決して若い世代を批判しているのではなくなく、むしろ逆に、とても期待してご紹介しているつもりです。
■11月17日(日) Appleがミスを。しかも2回!! ──非常起動用USBメモリを何とか作成しました──
本当に、やっとで作成しました。まさに難産。
深刻な障害から何とか復活して、無事に実用段階にまで復帰した MacBook Pro(2TSSD、16GB、 macOS 10.12.6)ですが、OSのバージョンが他機と異なるため、メンテナンス上の問題を抱えたまま。
現状では他機から起動しての診断、修復ができないのです。現在は何の問題もなく使用できるのですが、記録媒体(SSD)上の問題の有無すら確認できない状態。まぁ新規インストール直後は問題ないことが多いのですが...。そこで予告したように、非常時に外部から起動するためのUSBメモリを作成することにしました。
ところがこれが、予想外に難航。何回も断念しようとしたほどです。
実際の作業に入る前に、まずMac側から起動して、Apple純正の「ディスクユーティリティー」という診断、修復ソフトを立ち上げます。これは病気の外科医が、自分で自分を診断して手術しようとしているイメージ。
外部から起動しているわけではないので、診断できたとしても軽微なものを除き、修復はできません。(起動ディスクにロックがかかる)1枚目の写真は、Mac(空色およびオレンジ色)と960GBのWindowsボリューム(赤色)からなる2TBのSSD全体を見ているところ。基本的にはこちら(3枚目の写真)と同一です。
ただし前回は外部のMac OS 10.11システムから起動していたため、Macボリュームは「フォーマットされていません」。今回はmacOS 10.12システムからストレージを見ているので、きちんと“MacBook Pro”と認識されています。そのMacボリュームを見たのが2枚目の写真。
ご覧のように、ごく普通の記録媒体として認識されています。その上で診断しましたが、この時点では問題は見つからず。ひとまず、やれやれ。でも、ここからが本番。
以前ご紹介した方法(こちらおよびこちら)で、起動用USBメモリの作成を開始します。
メモリに内蔵させるインストーラはすでに所定の場所に配置済。「ターミナル」を起動して、Appleのサイトで紹介されているコマンドをコピー&ペーストし、エンター。
あれっ?!即座に「理解できないコマンド」と返してきたのです。そんなはずはないので、再起動を含めて何回か繰り返したのですが、やはり不可。単なるセンセイのミスではなさそう。
心はすでに半分以上折れていますが、自分を鼓舞して関連情報を調べます。すると、まず後述する第二の問題点が先に判明。続いて、どうやら少なくともOS 10.12についてはコマンドが不正らしいことが判明します。(OS 10.11は問題なかった)
そこで、この問題を紹介するサイトからコマンドをコピーすると、無事に起動。ただし今度は、別な問題を指摘してきて、そこから先に進むことができません。
倖い、この点については偶然見つけた第三者のサイトで紹介されていました。具体的には、現在提供されているOS 10.12のインストーラに問題が含まれているというのです。つまりAppleのミス。
それも2回。この件は今回のように、外部起動用のUSBメモリを作成する際にのみ問題となるはず。センセイはこのインストーラを使ってOS 10.12をインストールしたのですから。
詳細は記事に譲るとして、インストーラ──見かけはアプリケーションだが、実際はフォルダ──を開き、設定ファイルを修正します。すると、あっさりとコマンドを受け入れてUSBメモリの作成作業に入りました。待つこと約20分で1本目のUSBメモリ完成。インストーラの容量は約6GB。
そこで8GBのUSBメモリにインストールしてみまたのですが、こちらも無事にインストール完了。3枚目の写真は前回の要領で、作成したUSBメモリから起動したところですが、インストールその他のタスクを問題なく選択することができます。
もちろん今回は、OSのインストールは不要。ただし前回のようにうまくいかない可能性は残ったまま。されどその場合は、今回のMacBook Proインストールのように外部から起動してインストールすれば済むこと。最下段の「ディスクユーティリティー」を起動。
MacBook ProのMacボリュームを点検します。ちょっとわかりにくいのですが、4枚目の写真がその結果。さすがに特化した専用ソフトには敵わない部分がありますが、Apple純正の「ディスクユーティリティー」は、それなりのソフト。
イザという時は、かなりの問題を修復してくれます。それが「問題なさそうです」と報告してきました。
お伝えしたように、他のMac──具体的には2台のMac mini──についても、OSを10.12に更新しようかと考えていたのですが、どうやらその必要はなさそう。
お伝えしていませんでしたが実は、アップデートした場合の問題が。macOS 10.12は、旧Mac OSを搭載したマシン(“PowerMacintosh G4 Cube”)が採用している“HFS”ファイルシステムを認識できないのです。現在はお互いに認識できるため、“G4 Cube”のSSDに問題が起きた場合は即座に対応可能。
それができなくなるのは痛い。この問題は事前に把握していたため、OS 10.12への更新を避けていたという事情があります。
されどG4 CubeのOSは約24年前のMac OS 9.2.2と非常に古く、モダンOSのように常に、しかも頻繁に読み書きしているわけではありません。
そのため問題は起こりにくい。(実際には、問題はほぼまったく起きていない)また万一の際も、先代のMacBook Proその他から起動すれば済むことなので、過度に心配する必要はないのですが...。最後の写真はオマケ。
安定した基盤システムがあるから実現できることも。右の写真は、Macボリューム側から起動して、Windowsを繋ぐ“NTFS for Mac”というソフトでWindowsボリュームをチェックしたところ。
無事、「エラーはありません」と報告しています。もちろん実際にはWindowsからのメッセージをそのまま伝えているだけなので、記録メディアの実態をどこまで正確に反映しているのかはわかりませんが。
それはともかく細部の整備は残っているものの、これで複数台のMacから構成され、しかもMacおよびWindowsをそれなりに点検、修復できる比較的安定なシステムをひとまず構築することができました。
今日は、本当に疲れた。