2015年8月29日更新(2015年9月6日ページ移動。2018年1月6日一部写真削除)

──2015年8月第5週のニュース──

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8月29日(土) もはや味でも人気でも「こまどり」を凌ぐかも... ──八珍亭に初めて入ってみました──

 お昼を、どうしよう......。

 今日ではなく、昨日の昼食のことです。新潟大学での学会はお昼休みに入ったのですが、午後のプログラム前半は学会総会など会員向けの行事が続きます。しかもかなり長い。
 センセイはこの学会の会員ではないので、これらの行事には出席することができません。

 久しぶりの新大(しんだい)なので、二段重ねのカツ丼で有名な「かねこ」でもいいのです。途中、今までにはなかった「名物二段重ねカツ丼」というお店の貼り紙も見たし。でも「かねこ」だと食後に時間が余りそう。
 それにセンセイはこの頃、肉をあまり食べなくなっているし。

 大学周辺のラーメン店でもいいのですが、この辺は割と良く来る地域。何だかその気になりません。ふと市内、少し離れた「八珍亭(はっちんてい)」のことを思い出しました。最近、市内在住の人と話した時に話題に上ったのです。
 家族で訪れたそうですが、美味しかったとのこと。

 お店を解説する前にまず、「八珍(はっちん)」のご説明を。というかそのもう一つ前、「燃土燃水」などの「越後七不思議」(浄土真宗バージョンあり)から始める必要があります。
 「七不思議の次」という意味で「八珍」と名付けられたのが「八珍柿」。

 要するに種なし柿で、原木は旧新津市(現在は新潟市)古津(ふるつ)にあり、苗木が庄内地方および佐渡に伝えられてそれぞれ「庄内柿」および「おけさ柿」。八珍亭のある地域でも特産品として栽培されています。
 店名の「八珍」はこの柿に由来すると思われます。

 お店そのものはかなり古く、センセイが車を運転するようになった時にはこの地で営業していました。
 定食や焼肉、ラーメンなど何でも取り扱う田舎に良くある食堂。

 ところがどういわけか20年くらい前からどんどん有名になるし、繁盛──というか混雑──するし。
 「いつでも入れるから...」と思っていたのが、いつの間にか入りそびれてしまいました。でも、もう一つ理由が。

 すぐ近くにある超有名店「こまどり」の存在です。新潟県人で知らない人はいないと言いたくなるほどの「こまどり」。
 「寺泊こまどり」「東横」「東光」「しぜん堂」など、新潟の味噌ラーメンに決定的な影響を与え続けています。

 八珍亭の駐車場の混雑ぶりを見るとセンセイはついつい、「今回はこまどりへ」という選択をしがちだったのです。でも今日は、覚悟を決めて八珍亭へ。
 意外にもすんなりと入店することができました。

 勝手がわからないので、とにかく、知人も頼んだ「特製味噌ラーメン」(800円)をお願いします。
 改めて見直すと、お座敷あり、大きなテーブル席ありの田舎のお店。カウンターはごく僅かです。

 客層は幅広く、昼食休憩中の制服OLから家族連れが主。程なく届いたのが写真の特製味噌ラーメン。
 何と、器こそ違うものの、こまどりの味噌ラーメンと酷似しているではありませんか!!

 少なくとも、炒めた──実際は「煮た」に近い──大切りのキャベツとモヤシのトッピング、モチモチしたストレート極太麺など、見た目はそっくり。
 その時点では理由がわからなかったので、単に「真似たのかなぁー」と思っていました。

 しかし実際にスープを頂き、トッピングと麺を食べ始めると印象がどんどん変わっていきます。最初に感じたのが、ある種の甘さ。
 「こまどり」は雑味を排している分、味に余裕がないのです。

 そしてもう一つ。ニンニクが最初からかなり多めに入っています。これが甘さの秘密かもしれません。本当は学会からの帰り道に別な場所に寄ろうかと思っていたのですが、このニンニクで諦めました。
 お客さんの様子を見ていると、そしてセンセイの実体験によるとこの「八珍亭」、味でも人気でも「こまどり」を凌ぐんじゃないだろうか。

 自宅に戻ったから確かめると、意外な事実が判明しました。このお店のご主人(?)は何と、「こまどり」で修行していらっしゃったんですね。味が似るわけです。
 でも単なる模倣に終わっていない部分が人々を集めるんだと思います。

 時として人は耳障りの良い、しかし空虚な言葉に振り回されることがあります。でもセンセイは、彼ら彼女らの味覚、臭覚そして触覚は、とても正直で健全だと思うのです。



8月28日(金) 新潟大学で開かれた、初めての学会に参加しました

 本当は昨日のお昼頃に大学を離れる予定だったのです。

 でも立場上の仕事が入ったため夕方まで金沢に留まり、その後移動。目的地の新潟に到着したのは深夜になりました。
 ふう。

 なぜ新潟かというと、昨日から新潟大学で開かれている学会に初めて参加するためです。学会にとっても今回の大会でまだ5回目。
 つまりとても新しい学会ということになります。

 センセイらは大学の教員の立場で物事を考えますが、この学会は基本的に、それを外部から審査する立場で考察します。
 両者の間にはとても大きな──むしろ「断絶」に近いかも──相違があります。構成員もふだん出入りする学会とはまったく異なり、知り合いは皆無。

 かなりショッキングなものがあったのですが、逆に、今までとは異なった視点で捉え直すチャンスでもあります。それはそれで得るものがありました。
 母校でもある新潟大学を訪れるのは、去年の12月以来約9ヶ月ぶり。

 夏休み期間中であるにもかかわらず、学会会場の図書館では少なくない学生が熱心に勉強していました。こちらも、センセイの頃とはずいぶん違う。
 センセイだけが勉強していなかったのかもしれませんけど。

 というわけで学会を終えて、新潟県柏崎市の自宅に戻りました。残念ながら相手のある仕事が溜まっているため、自宅にいてもゆっくりなんてできないのですが。



8月27日(木) 雨や雪の日は不便だ ──南北の校地を繋ぐ地下通路が通行禁止に──

 今日は見たままのお話。

 先週、仕事に区切りがついたし、スーパーの総菜が値引きされる時間になったので、帰宅することにしました。
 研究室の鍵は、写真奥にある守衛室で所定の場所に返却するのですが、その手前に「通行禁止」の看板が。

 関係者ですからもちろん事前に連絡を受けていたのです。でも、心の準備がまだできていない時に出くわすと、ドキッとします。
 「何でだったんだっけー」。

 センセイらがふだん存在している金沢工大扇が丘キャンパスは、大きく見ると道路を挟んで南北に展開しています。
 この階段を降りると、南北校地を繋ぐ地下通路があるのですが、それが一時的に通行止めになったのです。

 別に、地下通路そのものに何か不具合があったわけではないのです(たぶん)。問題はその先。
 次の写真は、道路を渡った先にある南校地の様子です。

 北校地からの地下通路は、道路を越えると写真中央下部から、左の自動車の場所あたりまで繋がっているはず。
 曲がった階段を経由して、左側の校舎右端で地上に出ると......隣接する校舎が工事中。

 時々、重機のけたたましい音が聞こえてきます。右側の古い校舎を解体しており、安全確保のために通路が閉鎖されたのです。
 写真ではわかりませんが、その奥に存在した大きな建物はすでに解体、撤去済。更地になっています。

 センセイは講義で写真右側の校舎を一度使ったことがありますが、正直なところ、校舎そして設備ともに老朽化が進んでいました。
 暑い時期だったのに冷房が効かなかったこともあって、学期の途中で教室を変更せざるを得ませんでした。

 だから現役からすると、「まぁ、しかたないかな」という感じ。しかし金沢工大のOB・OGにとっては、学生時代の思い出の舞台そのものかもしれない。

 諸先輩の話を聞かせていただく機会などに、ふと、そう感じる時があります。



8月26日(水) 宇奈月温泉へお越しの際、よろしければお立ち寄りを ──「うなづき 五叉路」──

 新潟─金沢間を日中に5時間かけて移動する場合、午後早くに出発するのでなければ、途中のどこかでお昼を食べる必要があります。もちろんコンビニならどこにでもあります。
 でも申し訳ないのですが老い先短いセンセイとしては、それなりにちゃんとしたお店で食べたい。

 上越市や金沢市内ならお店は多いのですが、糸魚川市はバイパスを通行する関係で道路沿いにお店はありません。富山県内は主にスーパー農道を利用するので、飲食店はごく僅か。
 富山県内東部を11時頃か1時過ぎに通過することが多いのですが、そうなるとお店は限られます。

 最初の候補はあっさり味のラーメン店「おもだかや」(こちらおよびこちら)。

 「おもだかや」は新潟市を中心に店舗を展開する、県内ではよく知られたお店です。それがなぜか、朝日町の国道8号線沿いにもあるのです。
 新潟県外はこの店舗だけだと思います。

 でも残念なことに、「おもだかや」はセンセがいつも利用する経路からは少し外れています。
 北陸自動車道朝日ICを利用する時は便利なのですが。

 魚津市内には地域の人が運営していると推測される「かんのん亭」があるのですが、味が安定していないのと、営業していない日も多い。
 これまで沿線の新しいお店をいくつか挑戦したのですが、どれもイマイチ。

 その中で最近比較的利用しているのが写真の「うなづき 五叉路(ごさろ)」。JR北陸新幹線「黒部宇奈月温泉駅」のすぐ近く、黒部市宇奈月町にあります。
 宇奈月温泉の入口にあるので、大型観光バスが行き交います。

 正直なところ、何年か前に最初に入った時はあまり良い印象を持ちませんでした。

 焼肉や定食、うどん、ラーメンがメインなのですが、店内は手入れが行き届いているとは言い難く、分煙もされていません。
 でも最近、見方が少し変わるようになりました。

 きっかけは、料理が早く提供されること。もちろん混み具合にもよりますが、厨房で手抜きせずに一生懸命作っているのがわかります。
 一般論ですが、こういうお店の料理は期待するだけの価値があります。

 そして肝心の味が魅力。調理の様子に似てややワイルドな味ですが、それぞれ訴えかけるものがあります。
 写真は今回頂いた「鉄板焼きそば」(670円)。

 太めの麺の上に大切りの野菜や肉──センセイはあまり食べないんだけど──とともに、目玉焼きがトッピングされています。量は多め。
 小細工のないストレートなソース味。

 通りすがりのドライバーはもちろん、この地域の人には愛されているようで普通ならあまり来ないような老夫婦や家族連れなどでお客は絶えません。
 まだ現地を確認したわけではないのですが、朝日町の泊駅前や入善、黒部駅前にも系列店があるようです。

 というかそもそも朝日町泊に、通称「五差路」と呼ばれる──表記が一部異なる──という場所があり、そこに「五叉路泊店」があるようなのです。
 この場所は一度しか通ったことがないので、チャンスがあったら行ってみようと思います。



8月25日(火) 北陸本線旧筒石駅は筒石に存在しなかった!? ──北陸本線旧線探訪の旅(2)──

 待避側線を確認した勢いで、もう一つの問題を解くために車を走らせました。それは旧筒石駅があった場所。

 センセイは北陸本線の旧駅跡をすべて探訪したわけではありません。たいていの場合、あそこが駅だったんだな、ということは容易にわかるので、必ずしも訪れる必要はないのです。
 ただし筒石駅だけは別。

 現在の筒石駅は頸城トンネル内にありますが、旧北陸本線と旧駅は海沿いに存在したのです。
 そもそも筒石を含む直江津─糸魚川─親不知間はリアス式海岸。しかも地盤が悪い。

 地滑りが多発してしばしば不通になったため、1969(昭和44)年に長大な頸城トンネルが建設されたのです。
 駅は廃止される予定だったのですが、地域住民の要望に応えてトンネル内に新駅が建設されました。

 右の写真は西側に隣接する糸魚川市(旧能生町)藤崎地区の崖の中腹から筒石を撮影したもの。
 奥はこちらの2枚目および4枚目の写真と同じ場所ですが、崖が日本海に迫るこんな場所に鉄道を敷設していたのです。

 旧線は集落の裏、崖の途中を削って造った、ホントに狭い場所を走っていました。とても駅を置けるような場所はありません。
 いったい、筒石駅はどこに?!

 中央奥に見えるのは筒石漁港。それを取り囲むように、海沿いに細長く広がっているのが筒石地区です。

 ここから筒石魚港まで1km弱離れているのですが、実は、センセイがいるこの場所こそが旧筒石駅跡。筒石駅は隣の藤崎にあったんですね。
 上の写真、右下隅に立っているのが右の記念碑です。

 現地に立つと分かりますが、確かにある程度の広さがありるので、列車交換のために必要な複数の線路と駅舎、駅前を確保できます。
 しかしこの場所は崖の中腹、しかもかなり高い場所にあるのです。蒸気機関車の運転は大変だっただろうと思います。

 そしてもう一つ。一見すると台地のように見えるこの場所はしかし、明らかに大規模な地滑りが発生し、しかもそれが不完全に止まって形成されたもの。
 実はそもそも、藤崎地区全体が非常に大きな地滑りの跡なのです。

 若い地層が多い新潟県ではしばしば見られる地形なのですが、旧駅舎のあったこの場所も2度、全体的に海側へ数m流された(!!)そうです。
 しかしそのたびに数日間で復旧させたとのこと。信じられない。

 人々にとって北陸本線と筒石駅がいかに重要であったかを示しています。 

 筒石の名前は、1964年に公開された映画「越後つついし親不知」(水上勉原作、佐久間良子、三国連太郎、小沢昭一他出演)にも登場します。基本的には漁港の町。
 夫は漁に出て、妻は獲れた魚を筒石駅から列車に乗っり、行商としてあちこちで販売する。その様子はNHKが制作した番組として残されており、その中で新筒石駅の様子も紹介されています。

 漁港は異なりますが、センセイが高校生の時は早朝の列車には必ず、いかにも重そうな荷物を背負った──もちろん列車内では降ろす──行商の姿がありました。
 でもその後はモータリゼーションが急速に進行して、徒歩での行商は衰退。

 今では僅かな数の高校生が乗り降りするだけの、静かな駅になっています。



8月24日(月) 52年前の記憶の場所 ──北陸本線旧線探訪の旅(1)──

 3月の列車ダイヤ改正以降、ご存じのようにセンセイは、自宅─金沢間を車で移動しています。

 安全確保のための「2日連続での長距離運転は避ける」という原則をなかなか守ることができません。今回も土曜の夜に自宅へ戻り、翌日には金沢へ向けて出発。
 事故は絶対に避けたいので、余裕のある行動を心がけます。

 日曜日のうちに金沢へ着けばよいのですが、夜間走行は避けて、日中のしかも眠くならない時間帯に移動します。昨日は午前中に所用を済ませ、休息してから行動開始。
 時間的にも余裕があったので途中、休憩を兼ねて、以前から気になっていた場所に立ち寄ってみました。それが写真の場所。

 現在は上越市に編入されましたが、旧名立町(上越市名立区)と旧上越市の境界、鳥が首岬です。海側を走るのは国道8号線。奥(北東方向)にぼんやりと陸地が見えます。
 左端がセンセイが住む柏崎市です。右手の山陰に上越市(直江津地区)があります。

 目的地は中央にあるガードレールの右側の道路。実はこれ、旧北陸本線の廃線跡なのです。
 現在は供用区間32.1kmの「一般県道上越糸魚川自転車道線」(通称「久比岐
(くびき)自転車歩行者道」)として使用されています。

 古い鉄道路線は勾配に弱い蒸気機関車のために敷設されているので、自転車道に向いているんですね。快走するスポーツ型自転車をよく見かけます。
 中央の、海側に膨らんだ部分、何だと思いますか。

 奥の看板には「丹原(たんばら)休憩所」とあり、その通り自転車の休憩所として使用されているようです。
 でも自転車のためにわざわざ設置するでしょうか。

 これは単線だった旧北陸本線の列車が行き違うための待避側線跡なのです。それにしてもごく短い。車両1両を待避させる長さしかありません。
 でも間違いなくこれは待避側線。

 なぜ断言できるかというと、センセイは客車列車を追い越させるため、奥(直江津方向)に向けてこの場所で待避している蒸気機関車を目撃しているのです。
 52年前、就学前のセンセイは大阪の親戚を訪問し、北陸本線で自宅へ戻りました。

 薄暗い状況だったのですが海側に突然、まるで日本海に突っ込むかのように1両だけで停車している蒸気機関車が姿を現しました。こちらを見送る運転士の姿を良く覚えています。
 最寄りの名立
(なだち)や谷浜など、それほど大きくない駅にも列車交換設備はあったはず。

 でも単線にもかかわらず運転本数が多かったためか、このような場所での待避も行われていたようです。現在でも短い待避側線は、山陽本線瀬野駅─八本松駅間(通称「瀬野八」)などで見られます。
 センセイはずっと後になって、敦賀─今庄間を含めて北陸本線旧線跡あるいはその近くを自動車で走行する機会に恵まれました。

 いわば旧線を乗車したようなものなのですが、子供の時の記憶と照合すると、客車列車があの蒸気機関車を追い越したのはやはり、ここしかない。すべてが記憶と一致するのです。
 トンネルも旧北陸本線時代のもの。

 看板には「茶屋ヶ原」(トンネル)と記されています。でも入口の銘板を確認すると、直江津側は「1955」、名立側は「1957」。いずれも建設された年(昭和に直すと30年および32年)を示しています。
 でも、こんなに新しいはずがない。

 山側に敷設された新線の供用が開始され、この旧線が廃止されたのが1969(昭和44)年ですから、わずか10年ちょっとしか使用されなかったことになります。
 そもそもこの地域の旧北陸本線が開業したのは1911(明治44)年ですから、それとも一致しません。

 トンネルの中に入ってみると、理由はすぐにわかりました。

 明治時代に掘削されたトンネル区間はとても短く、出入り口で土砂の崩落や雪崩の影響を受けやすいため、トンネルを延長する格好で覆道(シェッド)が作られていたのでした。
 明治時代のトンネルはサイズが一回り小さく、煉瓦造り。

 というわけで、気になっていたことが一つ解決したので、運転中に眠気を寄せ付けさせないためにも、この勢いで......。(続く) 



8月23日(日) 「逃した魚は大きかった」かも... ──BMW 新3シリーズが発表されました──

 何度かお伝えしているようにBMW Japanは今月、主力の3シリーズ後期型の販売を開始しました。センセイは観ていないですが、TVでCFも流されているようです。
 そもそも、テレビをダラダラ見る習慣はないので。

 センセイも10年半乗っている前の前のモデル“E46”を後期MT型で更新するつもりなので、強い関心があります。そこでWeb上で調べてみると、意外な──ただし当然かも知れない──ことが判明しました。
 特定のモデルでしかMTを選択できないのです。

 実は、前期型ではスタンダードモデルに加えて、スポーツ型、デラックス型、お洒落モデル──それぞれ正式名称は異なる──およびランクが異なる“Mシリーズ”からなる全モデルでMTを選択することが可能でした。
 価格設定を低く抑えた“SE”バージョンはATだけでしたが。

 センセイとしては当然、後期型もこのバリエーションを踏襲するつもりだろうと思っていたのですが、一抹の不安があったことも事実。
 だからこそWebサイトを確認したのですが。

 センセイが乗っているのは、ホントに標準装備のノーマルモデル。何故かMTでは、アームレストなど一部装備が省略されていたので、わざわざオプションで標準に揃えました。
 でも今の日本で、ノーマルモデルのMTを選択する人がどれだけいるのでしょう......。

 たぶん実際は、ほとんど販売されなかったんだろうと思います。センセイのE46も細部まで指定し、3ヶ月かけて南アフリカ工場で組み立ててもらった特別な1台なのです。
 で、後期型はというと、MTはスポーツモデルおよび“M”だけの設定。

 ここでふと、先日、俄には信じられないほどの大幅値引きの提案があったMTモデル(前期型)のことを思い出しました。(写真は前期型“M”。(c)BMW Japan)
 説明がなかったので、センセイはノーマルモデルだと思い込んでいたのです。

 営業担当に連絡してみるとあっさり、「“M”です」。

 逃した魚は大きかった、かもしれない。

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