2019年6月29日更新(2019年7月7日ページ移動)

──2019年6月第5週のニュース──

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6月29日(土) 「越後秘蔵麺 無尽蔵」が、「横浜家系ラーメン 風神家 柏崎本店」としてオープンしました

 今日の新潟は、午後から雨との予報。午前中に実家その他の用を片付けることに。

 でも、途中ちょっと寄り道を。新潟県中越沖地震の直前など、時々利用していた柏崎市内国道沿いのラーメン店「無尽蔵」が閉店し、別なお店になったというのです。
 金沢へ移動する時にはお店の前を通らないため、センセイは知りませんでした。

 オープンしたのは「横浜家系ラーメン 風神家 柏崎本店」。今週火曜日(25日)から一般の営業を始めたようです。

 「無尽蔵」はもともと、すぐ近くにある「元祖らーめん中華一龍」同様、新潟市内に本社がある(株)キタカタの一事業形態。地元のオーナーが、フランチャイズで両店の経営を始められたんだろうと推測しています。
 ただし「一龍」は現在もまだキタカタに残っているものの、「無尽蔵」はいつの間にかチェーンのリストから消えていました。

 写真は今朝9時過ぎに撮影したもの。お客さんはもちろん、従業員の方も出勤していらっしゃらないようです。で、営業時間帯だったとして、センセイが入ってみるかというと、微妙。
 センセイは、キンエン生活中──ただし例外あり──なので。

 「無尽蔵」時代も味は安定していたのです。だから、もしかしたら1回くらいは訪れるかもしれません。



6月28日(金) 梅雨に似合うのは、紫陽花。あれっ?!

 当地は昨日から雨。

 気象庁のアメダスの記録によると、金沢は本日未明に2時間ほど20mm以上もの土砂降りの雨が降ったようです。ただしセンセイは酔っぱらって寝ていたので、まったくわかりませんでしたが。
 雨に似合うのは、紫陽花
(あじさい)

 お弁当を買うためにキャンパス内を歩いていると、あちこちで紫陽花が咲いています......あれっ?!

 白状するとセンセイは、動植物に弱い。この点だけは母親に似ませんでした。小学校から高校までの理科教師の免許状を持っているのに。
 もちろん見慣れた、いわゆる「紫陽花」が多いのです。

 でも、例えば写真の紫陽花──たぶん──は、中央でシアン色の小さな花が咲いているだけでなく、周囲に「四つ葉のクローバー」状の花弁(はなびら、かべん)が。
 気になって確かめると、実に多様な紫陽花が。

 今までまったく気づいていませんでした。後から調べると、外側の「花」は「装飾花」と呼ばれるもので、その実体は、萼片(がくへん)
 中央の小さな部分こそが本来の、花。

 びっくりしたのですが、いわゆる「紫陽花」は、装飾花が塊になったものとのこと。写真のものが本来の「ガクアジサイ」らしい。

 ...知らないことばかりだ。



6月27日(木) 学生諸君の感性を、もっと高く評価していいんじゃないかと思う ──学内で研究会が開かれました──

 今日は見たままのお話。

 木曜日は午後に講義があるのですが、今日は臨時で朝イチに授業。同僚のT先生が海外出張中なので、代理で講義をしたのです。いずれも問題なく終了。
 ポイントは、その後。

 放課後に当たる時間に、外部の方をお招きして、今年度初めての研究会を学内で開くことになっています。所長という立場上、背広にネクタイ姿でご挨拶。
 それ自身はさほど問題ではありません。

 前半は企業からお招きした講師お二人による、これからの情報化社会に関する写真のプレゼンテーション。やはり大学教員と少し発想が違うので、興味深いものが。
 休憩なしで後半戦突入。 

 同じ室内ですが、広い場所に移動して、参加者約20名がお互いの顔が見えるように円陣を作ります。そして前半に関して、それぞれの立場から意見交換。
 言い忘れましたが、大学の研究者は関係者だけで、他は外部からお越しの一般の方や本学学生。いわば皆が素人。

 で、学生諸君の発言が実に素晴らしい。自分の意見を声高(こわだか)に積極的に主張するというわけではありません。身の丈に合った、しかし彼ら彼女らの潜在的な能力の高さを示す発言が続きました。
 一つには、研究会を催したK先生の呼びかけに「ピ、ピッ」と反応するほどセンスが良く、そして知的レベルの高い学生がその場に集まっていたからでしょう。

 されど本質的には、程度の差こそあれ、学生諸君も良く考えているということ。

 彼ら彼女らの感性と潜在的な能力を、もっと高く評価してもいいんじゃないかと思います。



6月26日(水) 大学中庭の芝生の上を、電気掃除機が自律走行している!?

 写真は先週の金曜日に撮影したもの。

 金曜はお昼前に講義があるので、「5号館」という建物の2階の教室へ早めに到着して、準備を整えます。開始時刻までまだ数分あるので、周囲をお散歩。障害が残る左足を鍛えるという目的もあります。
 教室の廊下からはキャンパス中央の日本庭園が見えるのですが...あれっ?!

 芝生の上、何かが動いています。目を凝らすと、まさに電気掃除機のような形状と大きさの物体が、左から右へ動いていました。後から考えると、電気掃除機の框体(きょうたい)を転用しているんじゃないかと思います。
 「それ」は程なく、庭石と接触。

 どうなるんだろうと思って見ていると、自分で方向を転換して戻るような格好で走行し始めました。もちろんセンサーが石との接触ないしは接近を検知して方向転換させたのでしょう。
 でも、まず、電力を供給するケーブルが見えない。

 加えて、少なくともセンセイが立っていた位置からは、リモートコントローラーを手にした人物は見当たりません。たまたま建物の陰になっていたのかもしれませんが。
 断定はできませんが、自律走行ロボットのテストとデータ収集をしていたんじゃないかと思います。

 日本庭園と自律走行ロボットの対比は、なかなかシュールな光景。

 階下に降りて現場の様子を確認できれば良かったのでしょうが、最も重要な任務である講義が始まろうとするところ。教室へ戻りました。
 講義終了後、2階から確認した限り、「掃除機」はもう見当たりませんでした。

 ちなみに左奥から手前に向かって歩いてくる男子学生。表情も、歩みも変えずに淡々と足を進めます。「掃除機」に全く気づいていないのか、逆に、彼の位置からだと関係者の存在を含めた全てが丸見えなのか、それはわかりません。
 個人的には前者じゃないかと思っていますが。

 今日は早めに帰宅。隣家は2階が撤去されていました。1階の内部も丸見え。明日から雨になるので、重機を使って解体作業を急いだようです。



6月25日(火) 建てる時は軽くリズミカルで、壊す時は重く鈍くて、不規則 ──帰らなかった週末に起きたこと──

 ご存じのようにセンセイは毎週、自宅のある新潟と金沢の間を、同じルートを使って行き来しています。

 北陸新幹線の開業に伴って自動車での移動となったのですが、同じ経路の方が運転のポイントが絞られるので安全だし、到着時刻も誤差数分で読むことができます。さらに沿道の様子とその変化も、良くわかる。
 まるで定点観測。

 ただし今月上旬の週末は、金沢市内で開かれた学会に参加したため、金沢に留まりました。翌週の土曜日、時間帯こそいつもと異なるものの、無事に富山県内に入り、高山本線を跨線橋で越えます。
 下り坂のすぐ先は交差点......え"っ?!

 交差点に面し、いつも混雑しているコンビニ「セブンイレブン富山小倉店」が......ない。消滅して、更地になっています。そのすぐ奥には写真の店舗。
 まるで、コンビニが瞬間移動したかのよう。

 全く気づかなかったのですが、以前から旧店舗の背後で建設工事が進んでおり、センセイがその前を通らなかった2週間のうちに古い方の営業を終了して、店舗を解体したようです。
 旧店舗は繁盛していましたが、お店の前の駐車場が狭かったのです。

 1週間後のこの週末にお店の前を通ると、工事はさらに進んで舗装も完了しており、6月28日(金)の朝7時に開店するとの貼り紙が出されていました。約3週間の休業ということになります。
 休むだけなら、影響は少ない。それに、利用者にとってはさらに便利になるわけだし。

 でも一方通行で、戻らぬものも。

 隣家は解体工事が進んでいます。昨日は壁の内側が剥がされ、今日は屋根瓦が撤去されていました。屋根には所々、穴も開いています。叩きながら内部を解体しているようで、「ドーン、ドーン」という低く鈍い音が響きます。
 しかも不規則に「ベキ、ベキッ」という耐え難い破壊音と、重い物が落ちる音。

 隣接して新築中のお宅。順調に作業が進んでいるこちらは、「トン、トン」という軽いリズミカルな音。まるで命が世の中にデビューする時と、ご縁を引きちぎりながら、それがやや強引に消え去る時のよう。

 「季節」の移り変わりを、我が事として思い知らされます。



6月24日(月) 価値を理解してもらえる方なら... ──LPレコードのデジタル化に、ひとまず区切りをつけました(2)──

 今日は金額、というか価格に何度も言及します。悪しからず。

 実家から自宅書斎へ運んだLED ZEPPLINの“Physical Graffiti”、レコードを取り出すためにはまず、外側の二重のビニールを外します。“Physical Graffiti”は彼らの“III”同様、ジャケットが特殊な構造になっており。画の描かれた内袋があります。
 レコードはさらにその内側、石丸電気で購入していた専用の帯電防止袋の中に収められています。

 ジャケットも内袋も美しい。そして(美しくはないけど)解説も読み応えがあります。その後のCDではほとんど省略されてしまった豪華さと美しさ。再生機器の準備を含めて、音を出すまでに多くの手続き──「儀式」の方が相応しいかも──を踏む必要があります。
 最近の手軽な音楽の楽しみ方とは、まったく違う。

 繰り返しになりますが、音質も素晴らしい。“PL-7L”プレーヤー(1984年、99,800円。以下、販売年と定価)は質量がある上に振動を吸収するインシュレーターが強力で、外部ノイズをほとんど遮断します。
 MCカートリッジ“MC-L1000”(1986年、85,000円。写真)は、知る人ぞ知る名機。

 LSIの製造技術を応用して、何と、カンチレバー(スタイラス〔針〕がついている棒)の先端、つまりスタイラスの直上に発電用のコイルを設置。
 レコードに刻まれた信号を極めて低い歪みで取り出します。

 写真をよく見るとわかりますが、カートリッジの右奥にちょっと出っ張りと配線が見えます。これは“HA-3”MCイコライザーアンプ(1982年、68,000円)の一部、「サテライトアンプ」。
 アンプの初段FETをここまで「出張」させているのです。 

 A/D変換を担う“SBM-1”(1995年、40,000円)も、音にやや図太さが不足気味になりますが、それでも十分高品位。これらはシステムとして一体で整備しました。35年くらい前のことです。
 その頃のセンセイは、貧乏大学生。

 アルバイトで生活費を捻出していましたが、支出をやり繰りして、本と、これらの機器を購入しました。当時はすでに、SONYのCDプレーヤー“CDP-502ES”(1984年、150,000円)を所有していたのです。
 使い勝手は図抜けていたのですが、肝心の音質が悪い

 本当は早い段階でCDに全面移行するつもりだったのですが、改めてアナログのシステムを整備し直したのです。いずれも当時の条件下で、かろうじて手を出せる価格。それでも、良い物はどうしても高価格。
 しかしその分、長持ちする。

 今回のデジタル化で、これらの機器はひとまずの役目を終えました。さて、レコードや機器をどうしよう。要するに「終活」です。健康面で大きな問題がなかったとしても、20年もすれば足腰が弱く──すでに弱い──なり、AVシステムが設置された2階の書斎は遠くなる。
 自宅を設計した時は、想像すらできませんでしたが。

 価値を理解してもらえる人や組織なら譲っても良いと考えているのです。ただしネット上で買い取り業者を見ていると、とにかく安く買い取って、高く販売するという感じ。もちろんそれが商売ですから、責められる類のことではありません。
 しかし、彼らがこれら機器の価値を理解しているとは思えない。

 ところが(株)マーケットエンタープライズが運営する“ReRe”にだけは、別な印象を持っています。もちろん担当者が音質云々(うんぬん)に言及することはありません。でも、これまでの所有者にとっての「価値」をできるだけ理解し、次のユーザーに渡そうとしていることが良くわかります。
 びっくりしました。ちなみに提示された買い取り価格も、非常に高い。

 “MC-L1000”は専用の桐箱や周波数特性の測定図などが完備した極上品。ネット上で調べていただくとわかりますが、33年前の定価──当時は消費税導入前──の2倍半くらいの価格で流通しています。
 “PL-7L”はそこまでではありませんが、定価と同じくらいの相場。

 他方、これほどの完成度なら、このまま使い続けるという選択肢もあります。センセイの引退とこれら機器の寿命が尽きるのはほぼ同じタイミングと予想されます。さて、本当にどうしよう...。
 いずれにせよ良い物や良い事柄は、自然と長く続く。

 ちなみに音質が悪かった“CDP-502ES”はその後、改造およびメンテナンス(デジタルアウト化PLL回路の時定数変更ディスクトレイのベルト交換)を経て、現在もTEACの“D-500”(改造済)とともに現役。
 ただしのOPPOの“UDP-205”およびAccuphaseの“DAC-50”D/Aボード導入後はさすがに、ラックの中で余生を送っている感じですが...。

 後継機のTEAC製“VRDS-10”の方が先に廃棄されてしまいました。



6月23日(日) さて、これからどうしよう... ──LPレコードのデジタル化に、ひとまず区切りをつけました(1)──

 昨日、母親のお供で食料の買い出しを終えて実家に戻ったセンセイは、実家2階へ。

 使っていないオーディオ機器や自作の機器、LPレコード、一部カセットテープなどが残されているのです。レコードの一部は自宅へ移してあるのですが、デジタル音源が主になった現在、自宅書斎の収納場所が限られているため、自宅に運んであるのは少数。
 棚からLED ZEPPLINの「フィジカル・グラフィティ」 (“Physical Graffiti”)を取り出して、母親が育てた野菜とともに帰宅。

 “Physical Graffiti”は、センセイが高校生だった1975年つまり44年前に、全世界で同時発表された2枚組の有名なアルバム。もちろんCDも所有しています。それにもかかわらず、LPレコードを持ち出したのには理由が。
 CDには少々残念な点があるのです。

 それはLP1枚目B面最後の曲、「死にかけて」(“In My Time of Dying”)の最後。LPでは、緊張から解放されたメンバーとスタッフが、少々ふざけ合いながら曲を終えます。しかしその部分がCDではすべてカット。
 そこで、LPを自宅でデジタル化しようというのです。

 PIONEER製“PL-7L”ターンテーブルにレコードを載せます。カートリッジはVICTORの“MC-L1000”。

 MC(ムービング・コイル)型なので高品位ながらも低出力。その微かな信号を右側ラック内のYAMAHA製“HA-3”MCイコライザーアンプで、RIAAイコライザーをかけつつ、ラインレベルまで一気に増幅。
 画面の中央に仮設されたSONYの“SBM-1”A/Dコンバーターで、デジタル化します。

 “SBM-1”の出力は16bitですが、SBM(スー パービットマッピング)方式というノイズ・シェーピング技術により、音質に大きな影響を与える中高音域で18bit相当の精度を実現しています。
 周波数アナライザ(FFT)から、その効果は一目瞭然。

 センセイの現在のシステムでは最高24bit、96.0KHzでサンプリングできるのですが、25年以上前のこの古いシステムでも、音質は素晴らしい。正直なところ、CDは不要と思えるほど。
 そもそもこれらアナログ(+α)システムは、完璧に作動しています。現在の機器は果たして、25年後に稼働しているだろうか。

 別なCDにも問題が。

 すでにデジタル化を終えた四人囃子の「'73 四人囃子」のマスターテープに、ある時点で不具合が発生したようで、CD版では最後の最後で音程が下がっています。版によっては多少修正されているのですが完全には直っておらず、気持ち悪い。
 無傷で残っている音源はたぶん、LPのみ。

 今回のZEPのデジタル化で、LPレコードのデジタル化に一区切りがつきました。昨日、実家に残したLPレコードをざっとチェックしたのですが、急いでデジタル化しなければならないものは見当たりませんでした。
 クラシックのLPを含めて「センセイって、こんな趣味だったんだぁ」という感じ。主に20歳前後、つまり講義の相手と同じような年齢だった時のセンセイです。

 さて、いろいろな意味で、どうしよう...。(続く)


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