2024年11月2日更新(2024年11月10日ページ移動)
■11月2日(土) 「あぁ、またこの季節がやって来た...」 ──実家近くの池に、ハクチョウが飛来中──
先月上旬、1階で夕食を頂いていたら窓の外で、低く大きな「グヮァーッ」という鳴き声が。
外を見る必要はありません(窓を開けても間に合わない)。白鳥の群れが拙宅の上を通過したのです。1羽あるいは少数の時と異なり、群れの白鳥は声を掛け合って──もしかするとリーダーだけかも──飛ぶのです。
鳥類としては非常に低い鳴き声なので、すぐにわかります。その後、親を乗せて実家を行き来する際などに、遠くの田圃で餌を啄(ついば)んでいる群れを見かけたことはありますが、今シーズンはまだ近くで見たことはありません。
そこで昨日、実家でいろいろ調整した帰りに、ちょっと遠回りして「長峰大池」へ。この池は人工湖、つまり営農用の大きなため池なのですが、有名な阿賀野市(旧水原町)の「瓢湖(ひょうこ)」とともに、現在はハクチョウの飛来地として知られています。
「現在...」という但し書きがつくのは、割と最近(1980年頃)になってからハクチョウが飛来するようになったため。池は、センセイらの出身中学校──現在は統合、移転──のすぐ近く。池の周りや近くの道路は体育や部活動のランニングコースだったので、良く知っています。
でもその頃は、ハクチョウなんてまったく見かけませんでした。それはともかく、長峰大池を訪れたのはお昼前。ハクチョウはどこかの田圃で餌を食べているか休息している時間帯。夕方になるとここに戻ってきます。
だから、全然いないかもなぁーと考えていたのです。実際、1週間くらい前に訪れた時は1羽も見かけなかったし。
車を駐車場に止めると、おぉ、池の真ん中に2羽。そしてコンクリート製の堤防のすぐ脇に2羽のハクチョウが(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))。さらによぉーく見ると、ハスの合間に1羽ずつ4羽の、計8羽。
いずれも休息中。もちろんセンセイを認識していますが、警戒している感じではありません。写真の2羽は、距離2mくらいの場所から撮影しているのですが、ちゃんと立っていたのは僅かの時間で、それ以外の時間は丸くなって「ウトウト...」という感じ。
もし「いかにもハクチョウ...」という感じの写真を撮りたいのなら、餌を求めて飛び立つ朝か、戻ってくる夕方が狙い目。また、寒くなって雪が積もると必要な量の餌の確保が難しくなるため、割と頻繁に飛ぶようになります。だから雪の日も要注意。この日は様子を見に来ただけなので、邪魔するつもりはありません。
10分ほどで長峰大池を後にして帰宅しました。なお、ハクチョウの離水や着水にはかなりの距離を要します(カモ類は長くても50cm程度で離水)。つまりハクチョウは離着水に障害がある池には集まらないのです。そのため長峰大池の場合、地元の「長峰白鳥愛護会」が10月初めにハスを刈り取っています。
先日、地元テレビ局がその様子を放送していました。最多で400羽以上ものハクチョウが越冬する長峰大池。今シーズンは、どうなる?
なお、この続きがあるかどうかはわかりません。
■11月1日(金) 次期ご当主様(予定)は大変だ... ──(またまた)遠すぎた「ドジャース食堂」──
今日から11月。年末までは、あっという間。
だからここで、まず雪が降る前に、そして年内、さらには年明け後年度替わりくらいまでの見通しを立てる必要があります。同時に今日は、金曜日。つまりセンセイにとっては家族サービスの日。
今回は母親の通院を兼ねているので6時に起床して実家へ赴き、彼女を病院まで送り届けます。9時半頃に電話があったので、今度は実家へ送り届けます。途中で大型スーパーへ立ち寄り、両親の1週間分の食料を確保。早い時間帯だったため、鮮魚類や揚げ物などの総菜はまだ少な目でしたが。
さて今日は、ここからが本番。実家到着後、両親に現状を報告した上で、あれこれ相談。プライドの高い父親がどう出るかと思ったのですが、足腰が急速に弱っていることもあるのでしょう、「俺が出ていっても邪魔になるだけだろうから、お前にすべて任せる」とのこと。
やれやれ。というわけで西村家次期ご当主様(予定)のセンセイは、これからしばらくの間、あれやこれやと差配する立場に。すでにあちこちに頻繁に連絡を入れて、調整を進めています。それを踏まえた上での、父親の発言。
記憶力の衰えが目立つものの、今回の彼の判断は適切。現実的な問題は、この非常時態勢をいつまで続ける必要があるのか。もちろん「神のみぞ知る」。つまり誰にもわかりません。半月か、1ヶ月か、年内か。あるいは...。
誤解されると困るのですが、センセイ自身のことを念頭に置いているのではありません。センセイは一歩引いて、全体の成り行きを調整するだけ。大変なのは現場で格闘する当事者たちです。申し訳ないのですが具体的な負担に関して、センセイの出る幕は(ほぼまったく)ありません。
で、今日のお話はここから派生する、ちっとも高尚とは言えない内容。実は今月中旬、以前ご紹介したJR東日本の会員限定スペシャル企画乗車券を使って、5日間の東北ツアーに出かけるつもりだったのです。
もちろん指定券は、最も良い席を確保済。肝心の行程は、9月に断念した内容そのもの。というか、ほぼ完璧なプラン。
本当の目的は、このツアー実現──いつになるやら──後にお伝えできるかもしれませんが、目先の目標は秋田駅前の「ドジャース食堂」(お店のサイト)を再訪すること。それが達成できず、個人的には残念。
春の「キュンパス」そして9月に続く、3回目(!!)の断念ということになります。されどセンセイが為すべきことは別にあるので、仕方ない。というわけで記念写真撮影後、企画乗車券および指定券をキャンセルしました。
ちなみに最近の「ドジャース食堂」を調べてみると、まず、提供される商品の価格がどんどん上昇しています(この点は認識していた)。しかもどうやら最近、売り物だった「ご飯の盛り方は自由」という仕組みが廃止されたようなのです。
デフォルトでは、ご飯大盛り状態で提供。もし「もっと...」という方がいた場合は、券売機で追加料金を支払ってね、ということらしい。昨今の原材料費、特に今夏以降の米価や光熱費、そして人件費高騰を考えればおそらく、止むを得ないこと。
それはそれで認めた上で、センセイとしては「一期一会(いちごいちえ)」。秋田大学を訪れた時の衝撃が、最初で最後のご縁だったのかなぁ...。
■10月31日(木) 駆け込み乗車を試みた若者の手から、スマートフォンがスルッと滑り落ちて線路上に!!
日曜日に前任校を訪れた際の出来事。
お伝えしたように、センセイが住む県中西部──「中越」地区の最西端──の柏崎市と、前任校がある県東北部の新発田(しばた)市は相当離れています。自動車での実測だと、約110km。そもそも、新潟県は北東から南西にかけてとても長いのです。
加えて中越地方などは、かなりの広さ。物理的な距離だけではありません。細長い地形は移動の際の障害となりやすい。鉄道網は割と発達しているのですが、連携が取れているのは(現在の)新潟市の、それも割と中心部に近い地区だけ。
具体的には新潟駅を起点にして、東は白新線の豊栄駅、西は越後線の内野駅、そして南は信越本線の新津駅までが完全一体運用。この区間は約20分に1本の列車が走っているので、ダイヤを覚える必要がないほど。ただしその外側の区間の運転本数は1時間に1本前後。そのため、これらの地域へ出入りする際は自動車を利用するというのが新潟県民の常識。
センセイの場合は特に、その不便な区間を電車で乗り継ごうというのですから、うまく接続できるわけがない。どの列車に乗車しても、新潟駅で1時間程度待たされるのが普通。そこで一工夫。
「1時間に1本」は仕方ないとしても、そのまま新潟駅へ向かうのではなく、途中の豊栄駅で下車するのです。前述したように同駅から先は3路線の一体運用。
豊栄駅で少し待つと、他の路線──今回は越後線──へそのまま乗り入れる折り返し列車が到着するのです。これで新潟駅でのバタバタ──かなり混乱する──を回避することができます。時間があったので駅舎の外へ出て、周囲を少し散策。街並みが以前とかなり変わっていました。
豊栄駅へ戻ります。西新発田駅で一つ早い列車に乗車できたので、乗車予定の列車より1本前の列車が3番線(写真)に入線してきました。写真右上、「ワンマン」の停車目標で停車。
運転士は折り返し運転の準備に入ります。三々五々、お客さんが乗車していきます。センセイも「あ、大丈夫。新潟、行きますよぉ」などと声掛け。発車間際になって、18歳から20歳くらいの男性4名が、写真右奥にある階段から駈け降りてきました。
もちろんホームで発車を待っている新潟行の列車に乗り込むため。2名は先に列車最後部に乗車。ところが少し遅れた2人の一人の手から、スマートフォンがスルッと滑り落ちてしまいました。「ガチャッ」。お察しの通り、スマートフォンが存在するのは、線路の上。
さて、どうする?センセイが、ではなく若者が、です。もし線路に降りるような素振りを見せたら即座に制止し、同時に運転士──この時点で、事象を認識しているかどうかは不明──に連絡するつもり。なぜならば非常に危険な行為だから。
そしてこの状況では、列車側も安全運行を確保できないためです。(現場に残された)2人は、戸惑っていました。
少し間があって、落とした当人がもう一人に何か話しかけ、話しかけられた方が車内の2人を呼び戻すために車内に入ります。4人がホーム上に出たところで発車時刻。運転士がこの状況を視認しているのは確実。
列車は、まるで何事もなかったかのように定刻に発車。落とした当人は、駅員に事情を説明すべく階段を上って駅事務室へ向かいます。
5分くらい──かなり間があった──してから、駅員と当人が降りてきました。職員は、ホームに備えられている長い棒のような器具を使ってスマートフォンを摘み上げようとします。先端部分で物を挟めるようになっているのです。
ただしその「挟み」の角度調整に難航。他方、次の折り返し列車、つまりセンセイが乗車する列車が豊栄駅に迫っています。新潟側の踏切の信号が鳴動(めいどう)しないかハラハラしていると、やっとピックアップに成功。やれやれ。
その約2分後、折り返し列車が到着しました。センセイは先頭車両に、4人の若者は2両目に乗車します。
事態に介入しようかどうか──最近は、こんな場面ばかり──迷ったのです。でも少なくとも今回は、全体の状況を把握してイザという時の態勢を整えつつも、「何もしない」が正解。4人組と駅員はセンセイの存在に気づいていません。
不満を述べているのではありません。これでいいんです。多少の問題を含みつつも若者4人組はどう行動すべきか、状況をほぼ適切に把握した上で判断し、駅員を含めて概ねベストな方法で対処しています。
(確かに幼さは認めつつも)若者つまり次の世代を、もっと肯定的に捉えるべき、とセンセイは考えるのです。
どうでしょう。
■10月30日(水) 修復したばかりなのに... ──MacBook Proは、やはり完全新規インストールへ──
予定を変更して、昨日の続きを。
結論からお伝えすると、障害が発生したMacBook Proについては、当面こそ現状のまま使用を継続するものの、並行してSSDを換装して完全新規インストールする方針です。
ただしその前に、昨日お伝えし忘れた情報から。古いMac用のインストールディスクを作成するためには、まず、インストーラをAppleのサイトからダウンロード。多少時間はかかるものの、簡単な作業です。
その上で、「ターミナル」を起動。ふだん意識することはありませんが、Mac OS XはUNIXの一族。その本性(?)を見せる瞬間です。個人的にはとても手に負えない代物。
今回の場合は、準備されたコマンドのテキストをコピー・アンド・ペーストするだけ。(場合によっては一部を書き直す必要が)1枚目の写真がその直後の様子。ただし、ここからが長い。本当に何も変化が起きません。事前に得た情報とも一部が異なります。何らかのトラブルが起きたのかと考えて、1回目は中断したほど。
ただし2回目もまったく同じ状況に。そこで、そのまま30分(!!)ほど待つ──この間、画面は一切変化なし──と、不意に作業終了。できればサイトに、そのように記していただければありがたいのですが...。
なお、USBメモリの名称も変わっていました。(昨日の写真)今日も親戚の用事で実家その他へ行ったのですが、出発前にMacBook Proの電源を落とそうとしたところ、異常終了。障害発生時を思い出して、ゾクッとしてしまいます。
ただし帰宅後にWindows側からブートすると、問題なく起動。ひとまずやれやれという感じですが、もしかすると、完全に修復したはずのMac側のSSDに、再び問題が起きている可能性があります。
そこでMacBook Proを「ターゲットディスクモード」に切り替えて、他のMacから起動。これによってMacBook Proを単なる外付けHDD/SSDとして扱うことができるのです。病んだMacBook Proを手術台に載せて、外科医がメスを構えているイメージ。
“DiskWarrior”という特殊なソフトを起動して診断、修復へ。検査、修復についてはApple純正かつ標準搭載の「ディスクユーティリティ」というソフトも。DVDのディスクイメージ化など役に立つソフトなのですが、修復に関しては“DiskWarrior”の方が格段に優れています。
障害認知後、まずこの状態にして点検、修復すべきだったのですが...後悔先に立たず。トホホ。2枚目の写真は「診断」中の、また右の写真は診断、修復レポートの一部。それによると、Mac側ボリュームのブートブロックが損傷しているとのこと。(ただしこの後に修復)
そして何と、システムフォルダにも問題があったようで、「起動可能にしました」。(!!)こまめに点検、修復することで、しばらくは現在使用中のSSDを交換せずにMac/WindowsともにMacBook Proの使用を継続できるだろうと思います。
他方、SSDの寿命は近いと考えるべき。この問題にどう対処するかは、センセイの今後の活動、そして1年後に迫ったWindows 10のサポート終了と密接に関係しています。
現役時代なら多少投資してでも、新マシンの購入など時代の変化に対応すべき。ただし現在のセンセイは引退した身で、しかも年金生活者。倖いなことに非常勤として教鞭を取る機会を与えられていますが今後、問題なく続いたとしても、あと3年半が限度。
その後は、MacBook Proを外に持ち出す機会は激減するはず。(...というより、持っていかないと思う)家庭内の利用であれば今後もWindows 10を使用できます(ただし自己責任)。金沢工大のような組織では1年後にWindows 10使用禁止令が出されると思いますが、その場合は大学のPCを借用すれば済むこと。
何しろ、与えられた業務を進める上で欠かせない「道具」なので。(そもそも、私物を正当な業務に使用するのが筋違い)センセイにとって現在のMacBook Proは「これしかない」1台。何しろ、Mac OS XとWindows 10という異なるOSを、キーボードの差異その他をまったく意識せずに双方からシームレスに乗り入れることができる。
しかも、多少手間はかかるものの、旧Mac OSも利用可能。これだけですべてをひとまず完結することができる、まさに夢のようなマシン。
そこで、ふだん通りの使用と並行して、近日中に未使用のまま所有するSSDの中では最大容量の4TBに仮に換装して、まずMac OS Xを、続いて1TB程度(!!)を割り当ててブート用のボリュームを切り、Windows 10をインストールする予定。
MacBook Pro本体に問題がなかったとして、これで3〜4年程度は現役のままで...と期待したいところ。MacBook Proが終わる時はたぶん、長年ご愛顧頂いたこのサイトを閉じる日。
なお、お気づきかと思いますが、最近のセンセイはちょっとバタバタしています。
そのため実際のインストール作業はいつになるのか、ちょっと見通しが立っていません。
■10月29日(火) 証拠写真を残そうとしたら... ──Mac OS X起動用USBメモリを作成しました──
主力機MacBook ProのWindowsボリュームに、致命的な障害が発生した件の続報。
お伝えしたように、根本的な原因はWindows側──多少の問題は発生していたかも──ではなく、Macボリューム側の情報の混乱。見方を変えると、センセイの日頃からのメンテナンス不足によって起きた問題。
早い段階で気づいていれば、もっと浅い傷で済んでいたはずなのです。ただし、いろいろな意味で余裕がなくなっていた西村センセイ、根本原因を確認しないまま、つまり問題を残したままの状態でWindowsボリュームを消去。残念ながらその瞬間。貴重なファイルを大量に消失させてしまいました。
痛恨のミスです。されど過去に遡及(そきゅう)することはできないので、ここは先に進むしかありません。ひとまずWindows 10をインストールして、苦労しながら特殊なユーティリティソフトを組み込みます。その上で、何とかWindowsネットワークと接続。
ただし、まだ不安材料が。Windows 10インストールから約10日が経過したにもかかわらず、何度試みてもバージョンは“20H2”に留まったまま。最新版...というよりWindows 10の最終バージョンである“22H2”へのアップデートができない。
実害はないのですが正直なところ、気持ち悪い。Windows側に未知の問題が残っているのでは...と、勘ぐってしまいます。
今回のトラブルを別な観点から考えるとメンテナンス不足に加えて、メインマシンとして酷使されたが故に、そのSSDの寿命が近づいてきた結果と考えることも可能。修復方針としては、こちらこそ本来のあるべき姿。
実際、今回もまず新規SSDに換装した上でMacBook ProにMac OS X(10.11)をインストールしようとしたのです。(この点は正当に評価すべき)しかもこの方法なら、従来のデータは完全な形で引き継ぐことができたはずなのです。ところがお伝えしたように、あっさりと「OS Xをインストールことができませんでした」。
ナシテ?!4年前にもほぼ同じ障害が発生したのですが今回同様、インターネット上からのOSインストールに失敗しています。今回、センセイはその時の事をすっかり失念していました。
もっと困ったことが。その状態からどうやってMac OS Xをインストールしたのか、センセイの記憶が完全に欠落しています(トホホ)。でもここは、何とかするしかない。
というわけで、いろいろ調べて非常用兼OSインストール用のUSBメモリを作成しました。手順はAppleのサイトに記されているのですが、かなり難しい。というか、もともと作成方法は知っていたのですが難しくて、手を出さなかったのです。
だから、とても4年前にこの方法でインストーラを作成したとは考えられない。(存在すべきUSBメモリも現存しない)それはともかく、もはや選択の余地はありません。いくつかの記事──困ったことに、実際の作業内容と相違していた──も参考にして、何とかUSBメモリを作成。写真はMacBook Pro起動時にブート・ボリュームを選択している場面。
右側の“Install OS X El Capitan”と記されたボリュームがそれ。黄色のアイコンはUSB接続を意味しています。このUSBメモリから起動して、新規インストール直前の状況まで確認済。ちなみに、このイントーラには有効期限付の証明書が組み込まれており、時間が経過すると再度作成する必要があるのとのこと。
でもひとまず作成に成功したので、さほど心配する必要はありません。これで新規インストールの準備は完了。
インストール済のWindows 10(“20H2”)は順調に稼働しているので、すぐに新規インストールする必要はありません。されど、いざという時に備えて換装用のMac OS XおよびWindows 10がインストールされたSSDを作成するつもり。
そこで昨晩、アップデートを拒否している証拠写真を撮ろうとして...あれっ?!何と、“22H2”へのアップデートが...。(実話。従って、証拠写真はない)
外堀を完全に埋められたことをやっと悟り、ビビッたかな。
■10月28日(月) 「たわら屋」富塚町店、復活!? ──外出先での「高タンパク質かつ低塩分」は難しい──
昨日の続き。
せっかくの学園祭だというのに、お伝えしたような事情でセンセイは何も食べずにキャンパスを離れました。他方、朝が早かったこともあり、お腹が少し空いています。お昼は途中の「イオンモール新発田」で頂くつもりだったのです。
帰りの電車に乗車する白新線西新発田駅は、イオンの目と鼻の先。今回の移動行程は主に列車ダイヤと、大学─最寄り駅間の通学バス(+昼食の場所)によって規定されています。センセイが至った結論は、往路は佐々木駅で下車し、帰路は隣の西新発田駅まで歩くこと。
地図を見ると、まるで大学と西新発田駅を結ぶかのように、川沿いに細い旧道が走っています。前任校には11年間在籍しましたが、当時は自動車での移動が主。この旧道はまったく通っていません。だから個人的には、興味津々(しんしん)。
地図でもう一つ気づいたことが。旧道は途中で旧国道7号線と交差するのですが、そこに「弁当製造業者」と記されていたのです。「まだやってた(=営業していた)んだぁ」というのが最初の感想。
少々、補足説明を。前任校は新設大学。細かいことは省略しますが、センセイやは学生募集や入学試験の業務をずっと担当してきました(要するに、担当できる人が他にいない)。ほぼ年中無休、24時間営業のような働き方。
昨今のワークライフバランス重視とは、まったく無縁。最初は新潟市西部に一軒家を借りていたのですが、5年後に現在の柏崎市に転居。これによって通勤時間は一挙に、片道2時間以上に。そのため週に4日くらいは泊まり込むはめに。(もちろん、ホテルに宿泊)
その時によく利用していたのが、この弁当店「たわら屋」。節約のためか、ホテルの朝食があまり美味しくなかったからか、たいてい、出勤途中にこのお店によって玉子うどんを頂いていたのです。基本的には弁当店なのですが、イートインコーナーも。
ただし2020年、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けて運営会社が破産。このお店を含めて、新発田市付近に何店舗からあった「たわら屋」はすべて閉店しました。(ただしその後、一部店舗は営業を再開しているらしい)
そこまでは知っていたのです。だから地図上で「弁当製造業者」という記載を見つけた時にはびっくり。これはもう、(お弁当を購入するかどうかは別にして)行ってみるしかない。
もちろん、経営主体は替わっています。現在のお店は「弁当・惣菜店 みや乃屋」(「しばた通信」での紹介例)で、市内の食品製造会社の一部門。現地を訪れると、リニューアルされているものの、外観も店内もほぼ昔のまま。
ビジネスモデルも「たわら屋」時代を踏襲しています。感動のあまり(?)予定を変更して、店内でお昼を頂くことにしました。
今風の食券機でメニューを選択。塩分が少ないのは一般的に、焼肉類か唐揚げ類(ただし後者はお店による)。肉野菜定食にも惹かれたのですが、お店によっては塩分が強い(こちらやこちら)場合も。
そこで唐揚げ定食をオーダー。席に座り、改めて店内外をあれこれ確認します。最初に気づいたのは、次から次へとお客さんが訪れること。しかも客層は偏っていません。最大の理由はもちろん、休日のお昼前だから。
されど同時に、お店がしっかりと地域に根ざしていることが見て取れます。オーダーが入ってから揚げ始めるるので、提供まで15分ほどかかりました(クレームではない)。まず最初にみそ汁を一口頂いたのですが、美味しい(この点については後述)。ご飯は...というと普通か、ちょっと下のレベル。
千切りキャベツとポテトサラダを少し頂いてから、メインの鶏の唐揚げへ進みます。最初の印象は、美味しい。続いて感じたのは、醤油味がベースだということ。そして「サンレパス」の「鶏の唐揚げ定食」(最近の提供形態)と違って皮の部分が多い。
ただし食べ進むにつれて、ちょっと気になってきたことが。唇の乾き具合からして、どうやら料理はいずれも、割と塩分が高いらしい。最初に感じた「美味しさ」はそのためだったようです。前任校で今年度から再開した講義は、諸般の事情で今年は集中講義。
もしかすると来年以降は週1回の、通常の講義形態になる可能性が。その場合、開講時限にもよりますが、毎週お昼にこのお店の脇を通ることになるかも。だから...と期待していたのです。でも個人的には、ちょっとご縁はなさそう。
う〜ん、残念。ただし、間違いなく美味しかった──そうでなければ繁盛しない──ので、決して誤解なきよう。
ちなみに、道路反対側にも弁当製造店「北弁」が。実はこちら、市内にある170年以上の歴史を誇る老舗割「割烹 北辰館」から独立したもの。各種の賞を受賞するなど、評判(こちらやこちら)は高い。
ただし個人的には前任校時代、お世話になることはありませんでした。たまたま昨日は定休日だったので、営業中の様子はわかりません。高品質とリーズナブルな価格を両立させているようなので、関心はあるのですが...。
(来年度から通常の講義形態に替わったとして)果たして、両店にご縁はあるのだろうか...。
■10月27日(日) この週末は、あちこちで秋の収穫祭 ──前任校の学園祭を、電車で訪れました──
現実逃避...というわけではないのですが、今日は電車に乗ってお出かけ。
最大の理由は、本日のみ有効の企画乗車券(センセイはさらに割安)を譲り受けたこと。貧乏人には、妙に説得力がある理由だ。楽しいはずの「さて、どこへ行こうか...」が難しい事情については、すでにお伝えした通り。
ただし今回、迷う理由はありません。昨日、今日と、前任校で34回目の学園祭が開催されているのです。これはもう、行くしかない。まぁ実際は、ご挨拶と仕事の打合せを兼ねているのですが。されど電車での移動となると、行程の組み方が難しい。
意外に思われるかもしれませんが今回、ポイントは乗り換えの妙よりも、帰宅時刻。今回は、比較的単純な約110kmの往復──ただし往路は信越本線経由で、帰路は越後線──なのです。ただし夕方までに帰宅することを考えると、出発時刻はどんどん前倒しに。結論からお伝えすると、まず、5時半に起床。
始発の快速列車に乗車し、終点の長岡駅で少し待って乗り換えます。これだとその後は乗り継ぎなしで大学最寄りの佐々木駅まで移動することができるのです。無情な雨の中を歩いた昨年とは違い、駅前で無料の通学バス──33年前のセンセイが走らせた──が待っているはず。
列車だけの乗車時間は、乗り換えを含めて約3時間40分。自宅からだと、各駅停車でも富山市の手前まで到達できるほどの時間距離。やはり遠い。
帰路はもっと悲惨で、まず、通学バスが設定されていないため、駅まで歩くしかありません。その後の列車の接続も悪く、帰路は(乗り換え時間を含めた)乗車時間だけで4時間弱。
移動全体では5時間以上。でも、ま、これも貴重な体験ということで予定通りに行動開始。さすがは鉄道ファン。佐々木駅に到着して最初に気づいたのが、下車した乗客の多さ。
せいぜい数人だろうと予想していたのですが、おぉ、20人近くの方々。
しかも大半は、初めて佐々木駅で下車するらしい。駅は現在、たぶん無人駅扱いなので、Suica等にも対応した入出場システムが設置されています。(センセイは紙の乗車券なので無関係)
多くの方が、その使用方法にも戸惑っています。駅から出た人の中の3人は、駅前で待っていた家族の軽自動車の中へ消えましたが、それ以外の方は、大学が用意した大型バスへ向かいます。
不意に、「あら、かわいらしい駅ねぇ」という声が。先ほど戸惑っていた方々の中の、受験生を含めた3人連れ、母親の言葉です。学園祭はオープンキャンパスを兼ねているのですが、センセイの想定以上に受験生の訪問が多い。
センセイが滞在した時間の中で、10組ぐらいの見学客を確認しました。プログラム開始10分前の9時50分頃に大学到着。お昼にはまだ早い時間ですが、キャンパス中央の広場ではご覧のように屋台が。コスプレ姿の女子学生も。
彼女はマンガ、アニメ研の宣伝中らしい。あちこちにご挨拶してから 教室の展示を拝見しします。あっという間に、ご帰宅の時刻が迫ってきました。やはり自宅との距離が効いています。
これだけの距離を、よく通ったものだ。学生諸君や関係者の邪魔をする意図はないので静かにキャンパスを離れて、下車駅の一つ隣の西新発田駅まで歩きます。西新発田駅の直前にあるのが「イオンモール新発田」。
大学の屋台だと、ちゃんとしたお昼には軽すぎます。そこで、ここで何かを頂いてから帰宅しようと考えていた──この件に関しては、後日──ため、立ち寄りました。イオンの専門店街で、まったく別な用を済ませて外に出ると、おぉ、ここにも屋台村が。想定外です。
これは今週末限定の「全国うまいものグランプリ」らしい。福島県の「なみえ焼きそば」など、思わず手を伸ばしそうになるブースもあったのですが、センセイは「キンエン生活」中。泣く泣くその場を立ち去りました。何回かマニアックに乗り換えて、17時過ぎに自宅到着。
今週末は、秋の実りに感謝するお祭りの日なんですねぇ。(センセイの留守中、当地ではこちらのイベント(昨年)も開催されていた)秋の実りについては素直に喜び、それをもたらしてくれた何か──太陽か、唯一神/複数神かは別にした神様など──に感謝するというのは、日本人としては割と自然な発想。ここで、それを問題視するつもりはないのです。
センセイだって仏教徒(曹洞宗)だし。ただし「秋の実り」は目の前の即物的な存在を指すわけではありません。
この点は特に、最高学府たる大学にとっては重要なポイント。その意味で、年頃の若者のエネルギー表現の場としては嬉しかったけど、もうちょっとだけでも知的な「実り」だと、評価は格段に上がるんだけどなぁ...。
でも、ま、未来はセンセイのような老人ではなく、若者の掌(たなごころ)の上に。後は、任せた。