2019年12月7日更新(2019年12月15日ページ移動)

──2019年12月第1週のニュース──

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12月7日(土) 与えられた条件下で、ベストを尽くす ──上越新幹線に取り残された西村センセイは...──

 昨日の出張の目的地は、東北大学。

 午後、羽田(はた)貴史広島大学・東北大学名誉教授(写真)の講演が行われるのです。良く存じ上げていますし個人的にも、2015年にセンセイが東北大学に招聘されて講演した際は、終了後の懇親会でいろいろお話しさせていただきました。
 それにそもそも、今回のテーマはセンセイがまさに関心を持っている内容。

 これはもう、行くしかない。

 時間があれば新潟の自宅を起点として例えば、信越本線、白新線、羽越本線、陸羽西線、陸羽東線そして東北本線という具合に、在来線だけで移動したい。でも今回は前後の厳しい日程の合間を縫っての出張。というわけで、今回は経路選択の余地なし。
 1ヶ月前に、信越本線、上越新幹線、そして大宮乗り換えの東北新幹線を予約しました。もちろん座席は一番良い場所。

 しかし今回、その最初から躓(つまづ)いてしまいました。ひとまず乗り組んだ快速列車の車掌によると、長岡手前のある短い区間で、「踏切の安全確認を行っています」とのこと。もしかしたら、不意の積雪によるものかも。
 ただし、その区間に踏切は2カ所しかない。

 いずれも保線の拠点からは離れた場所にあるから時間が...と思っていたら、約20分遅れで出発するとのこと。ほぼ、本来乗車するはずだった後続の特急の出発時刻。お伝えしたように、利用客はホームでその到着を待っています。
 特急なのだから、速いはずだし、自分は特急券を持っているし...。

 でも長岡他で上越新幹線に乗り換える場合、その判断は不適切。

 ポイントは、目的の新幹線の出発に間に合うかどうか。1分1秒を争います。在来線なら、かなりの確率で乗り換え客を待ってくれるのです。でもJR東日本の新幹線は大宮以南の運行、特に東京駅での折り返しが飽和状態。他区間への影響を避けるべく、可能な限り遅延を避けます。
 つまり、全然待ってくれない。センセイも何度、辛い思いをしたことか。

 信越本線では現在、後続優等列車による先行列車の追い抜きをほとんど行いません。スリムかが進行し、その設備がないのです。だからこの快速列車が乗り換え駅に先に到着。問題は、それでも間に合うかどうか、なのです。
 車掌から続報が。

 「踏切の安全確認」については変わらなかったのですが、奇妙なことに区間が手前に移動し、しかも長い。そして決定的なアナウンスが。「この区間では安全確認のため、徐行運転を行います」。残念ながら、センセイは指定券を持つ新幹線に乗ることができない。
 もちろん、後続の特急に乗車していたとしても。

 この区間に踏切は1カ所しかありません。かつてはもっと存在したのですが、センセイが子供の頃、大雪で立ち往生した路線バスと列車がその踏切の一つで衝突して死傷者が出たため、ほとんどが立体交差化されているのです。
 問題はおそらく、踏切ではない。

 その区間の最初の駅に差しかかると、列車は徐行運転開始。速度はたぶん30km/hくらい。塚山峠は15cmくらいの雪に覆われ、住民がいなくなった茅葺きの民家はすっぽりと雪に覆われています。
 ...撮影しておくべきだった。

 峠を越え、塚山駅を過ぎると、EF510交直両用機関車(赤色の基本番台)とすれ違いました。こちらも徐行運転。察するに、信号機器のトラブルが発生したため、追突を避けるべく区間を閉塞(へいそく)し、1つの列車しか走らせていない。
 柏崎駅で運行を開始しなかったわけだ。

 信越本線は宮内駅を過ぎてから上越新幹線の高架下を走ります。ちょうどその頃、乗るはずだった新幹線が長岡駅を発ったはず。その姿を見ることはできませんでしたが。駅到着後は急いで精算窓口へ。
 ここが次のポイント。

 乗り遅れたのはしょうがないとして、次善策を練る必要があります。

 ここでは長岡駅の駅員と相談/喧嘩するのではなく、最も早い後続列車の指定席を確保すべき。駅員は状況を理解しているので、ごくごく低姿勢。センセイの後ろに、状況をあまり理解していない乗り換え客の長い列ができます。
 遅れている特急が到着したら、それはもっと長くなるはず。

 あらかじめ承知していましたが、後続の上越新幹線の発車は1時間後。しかも空席は3人掛けの中央しかないとのこと。しかたありません。この状況下、着席を確実にしただけでもラッキー。長岡駅の職員は、ベストを尽くしたと思います。
 彼は、マルス(乗車券の発行システム)で大宮乗り換え、仙台までの最善な指定券を発券してくれました。残念ながら通路側でしたが。

 へそ曲がりの西村センセイ、それでも自由席ならと思って、雪の舞う新幹線ホームで1時間弱待ちました。しかし到着した「とき」は予想以上の混雑。
 自由席の通路で立っている乗客の間を抜けて、駅員が手配してくれた席に着席しました。

 わずか8分で乗り換えた大宮からの「はやぶさ」は、全席指定。自由席はありません。実際、完全に満席。それでもE5系新幹線は、本当に速い。大宮から1時間8分、ノンストップで仙台に到着しました。
 本来の到着時刻から遅れることわずか37分。長岡出発は58分遅かったのに。

 というわけで結果的に、13時からの講演開始8分前に会場到着。写真は講演開始時に撮影した証拠写真(?)。

 講演開始後まず思い知らされたのは、センセイの不勉強。こちらは素直に、恥じ入るしかない。でも得るもの、あるいは自身の現状認識を正当に評価すべきと確認できる点も。
 コアな部分に関しては、「そうですよねぇ」ということが多い。

 そもそもかなり無理して、加えて今回は、予測困難なトラブルを前にしてですが、与えられた条件下では、ほぼベストに近い対応ができたと思います。自慢しているわけではありません(しているかもしれないけど)。
 考えてみれば、人生、この繰り返し。

 生きていて、「条件」を与えられることは、ほとんどない。多くは「生まれたら」とか、「気がついたら」、あるいは「突然そうなってしまい...」。もちろん、それはそれで良くわかる。でも、才能を問われるのは、その次。
 ...で、どうする?

 問われているのは、現状への直接の対応というよりむしろ、この状況をいかに捉えるか。要するに、「問いの立て方」。

 顕在的な能力(“ability”)というより、センセイら教師が学生や生徒から引き出す(“educare”[ラテン語])べき、いわば潜在的な才能(“potential”)です。そして現在の、大学を含めた高等教育機関が見失いつつあるもの。
 羽田先生は敢えて、それを明確に指摘。

 言い換えると高等教育機関の機能はそれほど、本質的な部分から弱体化しつつあるということ。

 読み手、あるいはメッセージの受け手の見識が、まさに問われています。



12月6日(金) 帰宅に合わせるかのように、新潟県内は一晩で一面真っ白に。でもその後が結構、大変で...

 お伝えしたように昨日は、夜のご帰宅。

 この間、雨が降っており、視界が悪かったこともあって、交差点の信号を2回誤認してしまいました。事故に直結する可能性はなかったのですが、危険だったことには違いない。

 2008年の四人囃子ライブ(音源は16bitリニアPCM)を、アキュフェーズのDACとSTAXの真空管式イヤースピーカーシステム点検整備済)の組み合わせ──これが実に、素晴らしい──で聴きながら、このページを更新。
 翌日の出張に備えて就寝しようと思った時...あれっ?!

 イヤースピーカーを着用していた時から違和感を認識していたのですが、それを外したら、窓の外で「ボトッ」というような鈍い音。ただし大きな音ではありません。
 ...あ"。

 日付が替わる直前に、窓を開けて撮影したのが写真。初雪が積もっています。深夜なので建物その他はそれなりに冷えており、すぐに融ける状態ではない。暖かい地面は別ですが。
 「音」は2階の屋根で少し融け、塊となった雪が1階の屋根に落ちた時に立てた音。

 北陸地方はここ数日、かなり冷え込んでいます。昨日も出勤する途中で、小粒ながら霰。新潟の自宅へ戻る時も、場所によって路面が3℃になったとの警告を受けました。路面凍結の可能性があるのです。
 もともと天気が良くないことはわかっていました。

 予報によると、今日の新潟県内は山間部を中心に降雪の可能性があるとのこと。ただし平野部での降雪への強い言及はありませんでした。天気予報は外れるものなのです。
 今日は公務出張。もともと早起きをして、天気と列車の運行状況を確認することにしていました。

 予想外の雪は仕方ありませんが、列車の運行状況は順調。それにそもそも、余裕を見て特急列車を予約しています。それでも気になって、積雪5cmくらいの道路を、革靴型の防水靴で進み、駅を目指します。
 ...あれっ?!

 先に発車するはずだった、そして万一の際はそれに乗車することにしていた快速列車がホームに停車しています。しかもどうやら、列車は柏崎駅で足止めされているらしい。

 センセイが運行状況を確認した後で、何らかのトラブルが発生していることは確実。ホームに出ても、もはや絶滅危惧種となった115系湘南色)3両編成の快速列車は停車したまま。状況のアナウンスはありません。
 ホームには後続の、そしてセンセイが予約している特急列車の到着を待つ乗客が並んでいます。

 さて、どうする?



12月5日(木) タイヤの直径の件は、濡れ衣だったかも... ──西村センセイ、平均速度計に目を遣りながら、高速道路を走行する──

 今日は木曜日。つまり平日。

 でもセンセイは明日の出張の関係で、午後の講義を終えてから新潟の自宅へ移動しました。冬なので日没は早い。老人には危険な夜間走行は可能な限り避けたい。しかも一般道だけなら富山市内で帰宅ラッシュにぶつかります。
 というわけで今日は、かなりの区間を高速道路にしました。

 天気は雨時々曇り。高速に乗った時点ではまだある程度明るかったこともあり、できるだけ100km/hを保つようにして走行。車も少なく、リニューアル工事も終了していたので、快適に走行できました。で、燃費は約19.6km/L。
 夏用タイヤの時(こちらこちら)よりも低い。まぁ、そんなに真面目に速度をコントロールしていたわけではないのですが。

 入善PAでトイレ休憩。高い位置から眺める夕暮れの富山湾は絶景でした。運転中だったので撮影していませんが。ここから上越市までの大半の区間は80km/h規制。しかも完全に日が暮れてしまいました。
 100km/hは、やはり、怖い。

 そこでここから先は、できるだけ80km/hを維持して走行することに。アナログメーターとデジタルメーター(平均速度計)の数値は非常に良く一致します。最初のうち、数値ははちょっと不安定でしたが、80±0.1km/hで安定して走行。
 コンピューターが車軸の回転数から算出した最終的な平均速度は80.0km/h。

 帰宅後、以前ご紹介した方法で速度を計算してみると何と、6%弱低い。予想に反して、夏用タイヤの約4%より差異が大きいという結果に。
 つまり摩耗による夏用タイヤと冬用の直径の差も関係しているのでは、という推測は外れたようです。すみません。確かに、摩耗量はわかっても、そもそもの直径を測っている訳じゃない。

 ただし、場所によっては水たまりがあるなど路面状況が悪かったにもかかわらず、80km/h走行時の燃費は約24.5km/L。こちらはやはり、冬用タイヤの方が良い。
 写真は高速に乗る前、南砺市内で撮影したもの。

 国道359線沿いにある「お食事処 ともえ」。以前、1回だけ入ったことがあります。お客さんはほとんど地元の方で、流行っているわけではありませんが、「それなり」という感じ。
 ふだんはその前を通り過ぎるのですが、1ヶ月くらい前から変化が。

 中央付近に看板がありますが、これ、「本日休業」と書かれています。でもこのところ、その上部に見慣れないカバーが掛けられているのです。メッセージはおそらく、本格的な休業。左側の薄茶色の鉄柱には、営業中かどうかを知らせる看板が掛けられていました。
 こちらも何だか寂しそう。

 個人的にはご縁がなかったものの、地元の方には愛されていたお店のようなので、存続を願っているのですが...。



12月4日(水) 「家族のため」という、強い意志 ──新築工事中だった隣家は間もなく、居住可能に──

 写真は一昨日、撮影したもの。時系列的には、昨日の続きとなります。

 悪天候とスリップに耐えながら、お昼過ぎに金沢入り。やれやれと思いながらアパートに接近すると...あれっ?!

 センセイは写真奥から車でやって来たのですが、まるで進路を遮るかのように複数の工事用のトラックなどが駐車中。もちろんセンセイのアパートではありません。
 手前の、6月下旬の解体工事から始まった隣家(写真左側の建物)の新築工事現場前です。

 車両の陰から工事の方が急に飛び出たりすることがあるので、徐行しながら脇を通過。ついでに隣家の様子を確認したのですが、あちこち驚かされることが。そもそも早い段階で工事用の足場が解体されたのです。
 しかも半月くらい前、周囲を覆っていたフェンスも取り外されました。

 その後はしばらく動きがないように思えたのです。でも一昨日は道路に面した部分の土木工事中。数台止められる駐車場を整備していました。
 帰宅時にはコンクリート舗装工事も完了していました。

 脇を通過する時に目に入ったのは、一部の窓にカーテンが設置されていること。写真は側面を見ていますが、2階の窓にもしっかりとカーテンが。
 もちろん、給湯器やエアコン類なども設置工事を終えています。

 ...早い。新築工事は最終段階に入っているのです。先に建設が始まった脇の、コストを重視するはずの建売住宅の工事が遅々として進まないのとは対照的。施主さんの「短時間で完成させるぞ」という強い意志を感じます。
 そしてそれはおそらく、家族のため。

 わかるつもりなんだけど、それだったら築約30年くらいとはいえ、問題なく居住可能だった──と思われる──家を、ほぼ同規模のものに建て替えるだろうか。しかも立派な造りなので、相当な資金が必要なはず。
 少なくともセンセイには、できない。

 なお、このご家族のお考えを批判しているわけではありません。繰り返しになりますが、「センセイにはできない」ということです。誤解なきよう。



12月3日(火) 好立地。でもなぜかお店が長続きしない曰く付きの場所に、中華料理店がオープンしました

 「センセイの行動範囲内、いつか入ってみようと思っていた飲食店が突然閉店してしまった」シリーズ(例えばこちらこちら)。

 実はまだご紹介していない物件があるのですが、そちらは後回しにして、今回は番外編。閉店ではなく、オープンなので。

 写真は昨日、金沢への移動途中で撮影したもの。場所は上越市東部(旧大潟町)の国道8号線沿い。

 センセイがこの建物に気づいた時は、スナックか何か、いずれにせよ「夜のお店」だったのです。センセイにはご縁がないので、ちゃんと営業していたのかどうかも知りません。
 その頃は薄いベージュか何か、ごく普通の塗装でした。

 ある時それが、中華料理店に。その時はまだ外壁を塗り直していませんでした。何ヶ月か続いたと思いますが、やがて閉店。しばらくそのまま放置状態。
 2012年、つまり7年前の冬、店舗は本格インドカレーのお店として生まれ変わりました。その際、外壁は写真左側の濃紺色に。

 カレーのお店は年単位で営業していたと思います。決して流行ってはいませんでしたが、お客さんがいないわけでもない。しかしいつの間にか存在感が薄くなり、閉店。
 再び放置されていたのですが、2年前、中華料理店──正確には台湾料理らしい──「しん満楼」としてオープン。

 店名の「しん」は全体としては「金」なのですが、JISコード表(第一・第二水準)には存在しないようです。また「満」も本当は難しい漢字。店舗前面のオレンジと緑の派手な塗装はその時のものです。
 どうなるんだろうと思っていたら、半年くらいで、あっけなく営業休止。

 その後、半年以上も空き店舗のままでした。お察しの通り、ここはなぜか飲食店が長続きしない曰(いわ)く付きの場所。手前は幹線国道で、交通量は多いのですが...。

 このままの状態が続くんじゃ...と思っていたところ、2週間くらい前に動きが。工事の現場は見ていませんが、店舗前面および道路脇の看板が書き直されています。新しい「聚泉福(じゅせんふく)」としてオープンしたのです。
 これはちょっと想定外。

 先日は従業員らしい女性も見かけましたが...この光景、どこかで目にしたような。

 気になって以前撮影した写真やGoogle Mapを確認すると、書かれたメニューやその価格、そして店名の書体や色使いまで、かつての「しん満楼」とほぼ同一。「新しいお店」ではなく、再オープンというのが実態らしい。
 しかも似たような店が上越市内に数店舗存在するとの情報も。

 どうやら同じ経営者が運営するお店のようです。「しん満楼」の件は、閉店ではなく一時撤退。旧日本陸軍の「転進」です。それはそれでわからないではない。

 でも、本当にこの場所でやっていけるんだろうか。駐車場はガラガラだし...。



12月2日(月) 救援の手を差し伸べたのは、やはり... ──北陸新幹線の定期列車は来春から平常運行に──

 代休を頂戴した今日の西村センセイ。

 朝食を済ませると荷物をまとめて、金沢へ移動開始。少し迷ったのですが結局、全区間を一般道で走行しました。

 天気予報通り今日はかなり荒れた天気。強い向かい風と、所々危険を感じるの雨の中を走行しました。山間部では強風で木の葉が雪のように舞い、車にぶつかってきます。トイレ休憩のために車を止めると、フロントグリルに落ち葉が2枚突き刺さっていました。
 富山市内では道路上に溜まっていた水のため、カーブで車両全体がスリップ。

 事なきを得たのですが、隣を走行する車がいたら接触していたな。昼過ぎに金沢到着後は少しだけ休んで大学へ。出勤ではありません。自己都合による「自己研鑽」。
 ...って、全然代休になっていない。

 新潟の自宅では、全国紙と新潟の地方紙『新潟日報』に目を通しました。金沢では管理できないため、新聞を取っていないのです。『日報』に気になる記事2本が。
 1本のタイトルは「北陸新幹線定期ダイヤ3月14日復旧」。(冒頭のみWeb上から閲読可)

 それによるとJR東日本は、颱風19号で甚大な被害を受けた北陸新幹線長野新幹線車両センターの機能回復のメドがある程度立ち、来春3月14日のダイヤ改正に合わせて定期列車については通常運行に戻すとのこと。
 良く知られているのは新幹線車両の水没と、廃車。

 でも被災直後にお伝えしたように、正常運行のためには車両の点検整備も大切。新幹線のみならず、センターの水没で現在は点検はおろか、運用を終えた車両収容機能すら停止。
 だって、センター全体が停電し、機能を停止しているので。

 北陸新幹線はその後、暫定ダイヤで全線運行再開

 報道によると、とにかく被災車両を片付け、センターの設備を機能を普及させるとのこと。それまでは新潟の車両基地(新潟新幹線車両センター)が「仕業検査」という最低限のメンテナンスを担当する(=現在も担当している)そうな。
 やっぱりなぁ。

 たぶん、営業を終えた列車は深夜、高崎経由で長野─新潟間を往復し、仕業点検を受けているのでしょう。

 決して合理的な対応ではないけれど、上越新幹線に北陸新幹線と同じE7系が配備されていなければ、そして新潟新幹線車両センターにその整備設備がなければ、北陸新幹線の運行はとんでもないことになっていたはず。
 まさに、僥倖
(ぎょうこう)

 でもこの話題、どれだけの人が理解してくださるんだろう。アメリカ人と対照的に、日本人はこの種の合理的なシステム思考に非常に弱い。

 ちなみに、長野車両センターの一部は増水で浮き上がり、結果的に脱線してしまいました。Web上には載っていない方の紙面情報によると、脱線する/しないの差は主に、停車させてからの時間によるものとのこと。
 つまり脱線した車両は停車されてからの時間が相対的に短く、車内の空気が抜けていなかった。

 それらの車両に搭載されていた機器や設備は廃棄されずに、新造車両で用いられるそうです。それ自体は言祝(ことほ)ぐべきこと。



12月1日(日) 4人揃った姿を見ることができるだけでも... ──四人囃子の2008年ライブDVDを購入しました──

 入学試験の代休を明日頂戴することにして、センセイは一晩だけ帰宅。

 午後はいくつかの用を済ませたのですが、途中、母親を乗せて食料の買い出しに出た時、初めて目にする気象現象に出くわしました。ただし母親を実家に送り届けた時には消失してしまっていたため、撮影し損ねてしまいました。
 う〜ん、残念。

 というわけで、最近購入したDVDディスク「四人囃子 ANTHOLOGY 〜錯〜」のご紹介を。正確にはCD2枚とDVD1枚から構成されています(写真左)。四人囃子はセンセイが18歳の頃に強く影響を受けた日本のロックグループ。
 40年以上も前のお話ですが、予備校の寮での夜、モノラルのFM放送で放送された「泳ぐなネッシー」を聴いた時の衝撃を、今でも昨日の出来事のように覚えています。

 西村センセイ、バンドのリーダーだった森園勝敏氏(ギター)には単独長時間インタビューしています(!!)し、初期の作詞担当の方──キングクリムソンのピート・シンフィールドのような存在──とは、何と、吉祥寺で一緒に河豚料理を頂いたことがあります。
 センセイにとって、それくらいの存在。

 バンドは1974年のメジャーデビュー以降、メンバーチェンジとサウンドの変化を繰り返しています。音源はLPレコードおよびCDとしてかなり残されています。
 ただし映像はごく僅か。

 動画がありふれる現在では想像しにくいことですが、1970年代はライブ演奏を含めて、音楽はLPおよびEPレコードで襟を正して聴くものであって、「観る」ものではなかったのです。
 四人囃子の映像がまとまった内容として市販されていたのは、ほぼ、2002年のライブを記録した“FULL HOUSE MATINEE”(写真右)のみ。

 左側の2枚と大きさがまったく異なりますが、それもそのはず、これはレーザーディスク。もちろん廃盤ですが最近、DVDで発売されています。中央はその時のライブのCD版ですが、現在は廃盤のようです。
 「四人囃子 ANTHOLOGY 〜錯〜」の存在は以前から知っていたのです。

 でもCDはすでに所有する音源が大半。他はFM東京で放送した後期のスタジオライブなど。ただし良く調べてみると、DVDはCS衛星放送で放送した2008年のライブらしい。
 「完全生産限定版」とのことだったのですが、まだ流通していたので、急遽購入しました。

 で、肝心の内容ですが、音質は素晴らしい。ただし編集は少し雑。

 映像については、パッケージものとしてはかなり安直。カメラ割りは事前に綿密に調整されておらず、現場の判断で撮影したものを編集で苦労して繋いだという状況。初期のミュージックビデオに良く見られたパターンです。
 それにそももそもHD撮影が普及していたのに、安価なSDでの撮影。

 でもファンにとって、そんなことはどうでも良い。

 佐久間正秀氏はその後、この業界で知らない人はいない超有名プロデューサーとして名を馳せます。しかし残念ながら、2014年1月、61歳の若さで急逝。ちなみに、乃木坂46の生田絵梨花さんが、佐久間氏の従兄弟のお嬢さんというのは有名な話。
 二人は共演もしています。

 ギターの森園氏はその後、脳内出血。家業を継ぐため脱退した初期ベーシストの中村信一氏と、彼に代わる佐久間氏を四人囃子に引き込んだ茂木由多加氏のお二人は、既に鬼籍(きせき)に入っています。
 そもそも、僅かに6年しか離れていない二つの映像ですが、メンバーの衰え具合には身につまされるものが。

 そして今や、センセイもまさに同年代。

 4人のメンバーが揃い、しかも彼らにしかできない演奏をしているだけで、貴重な、そして明日へ続く記録なのです。

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