2022年8月13日更新(2022年8月21日ページ移動)
■8月13日(土) いよいよ田舎のメインベント本番。センセイもやっと夜を迎えることができました
今日は見たまま、そしてタイトル通りのお話。
ご存じの通り、今日は旧暦のお盆。当地は明らかに、お昼過ぎから非常事態モードに切り替わっています。目立つのは県外ナンバー。それも普段とは違い、「滋賀」など見慣れないナンバープレートの車が目立ちます。
西村センセイ、今日の午前中は雑用と大学のお仕事。いろいろあって、大学院科目の採点評価が遅れているのです。されど午後、作業を中断します。
これから夜にかけて田舎では正月と並ぶ最重要行事のお盆が始まるのです。実家に戻るとすでに、すぐ下の弟は入浴済み。
今晩の段取りを確認した上で、センセイも身を清めます。汗を拭いていると階下から母親の声。墓参に行くよとのこと。写真はその際に撮影したもの。高齢(92歳)かつ腰の弱い父親は腰掛けています。
この光景を見ることができるのは、あと何年だろうか...。実家に戻り、蝋燭の火を仏壇に戻すとお盆の宴会開始。少し遅れて、下の婿入りした夫婦も合流。おまけに、向いの従姉妹の孫達3人の大花火大会へのお付き合い。
彼ら彼女らは大きくなった時、この花火のことを覚えているんだろうか....。酒が回り、ずっと昔の古い記憶をお互いに掘り起こす中で、「し、知らなかった・・・」という事実が多数。
都会の方にはわかりづらいかと思いますが、これが田舎のお盆です。
■8月12日(金) 新築工事はお盆休み。されど、このツートンカラーの色遣いに見覚えがあるような...
西村センセイ、今日は朝からあっちへ行ったり、こっちへ行ったり。
家人の発熱騒ぎ──お伝えしたように、倖いにも陰性──では、例えば受診した耳鼻科の料金は後日「具合が良くなってから」精算とのこと。医療機関のご好意というより、陽性/陰性で経費の取り扱いが変わるためと思われます。
前者は国庫負担なので。検査結果は陰性ですから、(どこまでかはわかりませんが)料金支払いの義務があるはず。それに処方された解熱剤については代金を支払っていません。病院の指示の解釈に齟齬があり、支払わずに帰宅してしまったのです。
というわけで朝イチに徒歩で耳鼻科へ。おぉ、何と、医院の駐車場は空っぽ。嫌な予感がしていたのですが...。玄関の貼り紙には、来週半ばまでお盆休みとのこと。すぐ近くの薬局はというと、局内の照明が点いていました。
こちらはカレンダー通りの営業らしい。ご苦労様です。この薬局は事実上、隣接する二つの医院の薬剤を処方している──もちろんそれ以外も受付可──するのですが、今日は両医院とも休業。
だから来客を予想していなかったらしく、担当の方は虚を突かれたような表情でした。近くにある同級生の内科医院は診療を受け付けていたのですが、お休みの医院の分がこちらに回ってきたようで、駐車場は満杯。そういえばかかりつけの歯科医もお休みだった。
お昼前に徒歩でスーパーへ。昨日のような殺気だった光景は見られませんでしたが、お客さんの表情を見ていると、帰省客を迎える地元の方々は準備万端という感じ。
たった1日違うだけなのですが、関東を中心とした県外ナンバーが急増しています。いよいよ、お盆本番です。
写真は先日ご紹介した「貸店舗」の近況。外側の工事に区切りがついたようで、工事用に足場はすべて取り外されています。工事の中心は設備や内装に...というところなのでしょうが、人の気配はありません。
要するにお盆休みらしい。写真は概ね道路側から見ているのですが、お伝えしたように建物の長辺ではなく短辺が出入り口。つまり種々雑多な商品をアピールするのではなく、限られた種類のお店を販売するお店と思われます。
奥が深いのは必要に迫られて。つまりお店の奥で、お客さんの目に直接触ることのない、何かをするのでしょう。
ポイントは薄いグレーと黒に近い濃い塗装の使い方。いろいろ考えていたのですが、金沢工大の近くで同じ色遣いのお店を見たことがあるような...。ただし、そちらは既存店の改装なので、たぶん典型から外れているはず。
どうでしょう。
■8月11日(木:祝日) 旧暦のお盆まであと2日。田舎の人間と自然(!!)は完全に歓迎モード入りしています
今日は祝日。そして田舎の大イベントである旧暦のお盆まで、残すこと2日。
実は、今週に入ってからのセンセイはかなり大変だったのです。月曜日に同居する家人が「全身が非常にだるい」(!!)とのことで、臥(ふ)せてしまいました。起床もままならず、特に右手がまったく持ち上がらないそうな。
「強いだるさ」...って、考えることは皆、ほぼ一致するはず。病院での受診を強く勧めたのですがかたくなに拒絶。されど昨朝になってついに、「発熱した」とのこと。こうなるともう問答無用。同級生のかかりつけ医に連絡して、正午前の発熱外来を予約しました。
やれやれ、と思っていたら直前に連絡があり、申し訳なさそうに「急患が発生して...」。もちろんそちらが優先なので診察中止を了解し、改めて保健所に連絡を取り、別な発熱外来を紹介して頂きました。
午前中の受付時間を過ぎつつあったこともあり、候補すべてに断られ、再度保健所に連絡。何とか、センセイかかりつけの耳鼻科医院へ連絡することに。
夕方、家人を乗せて自動車で訪れて問診票記入後、戸外でドクターによるPCR検査を実施。「ふーん、こうやってやるんだぁ」というのがセンセイの本音。検査結果は翌日に連絡。「でも今は(発熱者が急増して、検査が)混雑しているから、(陽性/陰性の連絡は)遅くなるかもしれないよ」とのこと。
さて、これからどうしよう。客観的に考えて、だるさその他は疑いようのない事実ですが、同時に喉の痛み等、呼吸器系の問題は見られません。新型コロナウイルス感染の可能性は半分以下。
ただし皆無ではありません。陽性の場合、センセイは濃厚接触者になりますが、仮にセンセイ自身がウイルスを浴びているとしても、そしてウイルスが体内に侵入しつつあるとしても、まだ増殖モードに入ってはいません。
何より、体調に問題は問題はまったくないし。そこで家人を自宅に戻すと同時に、最悪の場合これから1週間程度続く(かもしれない)引きこもりの準備に入ります。具体的には食料と医薬品を確保。倖い、お盆にはたぶん弟夫婦が実家に戻るので、食料品の確保を依頼できるはず。
つまり食べ物に関する限り最低限、明日までの準備をすれば良い。昨晩はぐっすり眠り、今朝を迎えました。意外と早くドクターから連絡があり、陰性だったとのこと。やれやれ。
家人の体調はまだ万全ではありませんが、センセイ個人は無罪(仮)放免。お昼を確保すべく近くのスーパーに出向くと、お客さんで猛烈に混雑しており、レジ前は長蛇の列。こんなに長い列を見たのは初めてです。
誰もが「レジ要員を増やせば...」と思うはず。その気持ちは良くわかります。でも、それを妨げているのもたぶん、新型コロナウイルス。感染者だけでなく濃厚接触者や、患者の看護をしなければならない人が急増しており、要員が不足しているものと推測されます。
全国各地で進行していることです。他のお客さんの買い物かごの中身を拝見すると、明らかにお盆用品ばかり。駐車場に他県ナンバーは稀ですから、休日を利用して、お盆の帰省客を迎える側が準備を整えているのです。これは人間の問題。
不思議だったのは何と、自然の進み具合。ご存じのように、北陸地方はこのところ、ずっと暑い日が続いています。当地の最高気温は猛暑日一歩手前の34.7℃でした。センセイは毎日徒歩で外出しているので猛烈に日焼けするし、日焼けするとさらに真夏の太陽光線を吸収しやすくなります。
露出している部分が直射日光を浴びるとヒリヒリ。写真は今日の午後、買い物に出かける際に出くわした「若い」入道雲。この程度なら、まだ下では雨になっていませんね。(拡大写真(1280×960、113KB))
金沢では先月下旬、秋──8月7日に立秋を過ぎている──を告げるヒグラシが鳴き始めたのですが、当地はアブラゼミばかり。人間の行動は理解できるとして、自然までもがお盆モード入りしていいます。
あのヒグラシたちは結果的に、勇み足だったんですねぇ。可哀想に。
■8月10日(水) 新潟市は遠くなりにけり... ──30年前に住んでいた場所を訪れてみました──
というわけで、やっと新潟の自宅編。ただし今日はちょっと例外的かも。
センセイが今回新潟に戻って最初向かったのは実家。何度もお伝えしているように、高齢の両親の安否を確認──これが一番大切──し、1週間分の食料調達を手伝うこと。特に今回は、田舎での最重要行事の一つ、お盆の打ち合わせを兼ねています。
「○○は婿入り先の行事を片付けてから...」とか「○○はコロナ禍で実家に戻るなと言われているので、逆にお盆は日帰りでこちらに...」という具合。ま、どれだけ綿密に打ち合わせても、直前で変更になることが多いのですが。
いつもならこの後はお盆本番までセンセイの時間。今回、学部成績評価は終えたものの、残念ながら大学院がまだ残っています。でも仕事を抱えたセンセイが日曜日に向かったのは机ではなく新潟市。
春に入籍した娘のマンションを訪れたのです。婿殿はお仕事で不在(それを狙ったわけではない)。出てきた娘に最初に提案したのは、マンションの近くを少し歩いてみないかということ。実は西村センセイ、約30年前にこの地域に住んでいたのです。
正確に言うと1991年春から、地元柏崎市に新築した自宅へ転居する1996年夏まで住んでいた場所です。センセイは1991年の春、最初の勤務校における助手(現在の「助教」)の任期を満了し、新潟県内に開学する前任校に最年少の教員として赴任すべく、新潟に戻ることに。当然、住まいが必要。
センセイも家人も新潟県中部がホームグラウンド。その関係もあり、結果的に新潟市西部(現在の新潟市西区)に住宅をお借りすることになりました。
自営業──PowerMac 9500でのお仕事!! ──の大家さんが戸建て住宅を購入後、大きなお宅に転居したため、たまたま空き家となっていたお宅をお借りすることになったのです。それが右の写真の場所。ここは高い砂丘の頂上部付近(やや北側)で日本海に面しており、冬になると強風で家が揺れます(実話)。ただしそのため、さほど暑くないので過ごしやすい場所。
クーラーがなくてもほとんど問題はありませんでした。ここはもともと3区画に建売住宅が建っていた場所。訪れてみると、中央付近に存在した「我が家」は跡形もなく、右奥の老夫婦が住んでいた区画と一体化されていました。
それだけでなく、近くにあったあちこちの広いお宅が更地になっていました。3歳までここで過ごした娘の当時のお気に入りは、砂丘を下った場所にある小さな公園。現在も存在していましたが最近、公園のすぐ下に住宅が建設されて、日本海は見えなくなっていました。
訊いてみると公園はともかく、滑り台のことは微かに覚えているらしい。そこから西へ移動して、新潟市寺尾中央公園(旧「新潟遊園」)脇を通り、JR越後線寺尾駅方面を目指します。娘が現在、通勤のために利用している駅です。
その手前にあるスーパーで食材を購入し、センセイが手料理を作ってあげようというのです。スーパーを出た西村センセイ、正直なところ愕然としました。向かいの、旧国道116号線沿いの大きな区画がすべて更地になっていたのです。
ここには手前から商店、ホームセンター、そしていつも配達にきてくれた酒屋さん、そしてお世話になったガソリンスタンドがありました。娘は決して美人ではないものの、皆から可愛がられる姿格好と性格。だから近所の方々や近くにあった本屋さんの従業員だけでなく、とりわけ酒屋さんのご主人と奥さんに愛されました。
ご夫婦にお嬢さんが二人いらっしゃったことが関係しているかもしれません。看板にはホームセンター建設予定地と書かれていました。
改築された寺尾駅を通って砂丘を南側に下り、少し歩いて娘夫婦のマンションへ。センセイの母親からもらった野菜と、スーパーで購入した食材でチャチャチャッと調理します。
それを美味しいといって食べる娘の姿は、自らの力で合格した大学に入学すべくアパートに引っ越した日、センセイが作った肉野菜炒めを食べていた時の姿そのもの。学部の後半はコックで生計を立てていたセンセイですが、どうやらそのセンス──たぶんセンセイの母親由来──は娘に遺伝しなかったらしい。
でも同時に、これだけは確認しておきたいことが。この日センセイが「見たかった」のはセンセイにとっての約30年前の「新潟市」。娘夫婦のように、今現在ここで生きている人たちの新潟市とは必ずしも一致しません。
料理の件もそうですが、それが定め。絶対に手出しできない、あるいは、手を出してはいけない領域なのです。
■8月9日(火) あれから5ヶ月が経過。されど環境省からは訪問はおろか、何の連絡すらない
ひとまずは金沢でのお話。されど実際には居住地とほぼ無関係。
3月上旬、同月9日つまりまさに5ヶ月前の日付で投函された封書がセンセイのアパートに届きました。皆さんもそうでしょうが、各種連絡現在、その大半が電子的に行われているため、とても珍しく感じたことを覚えています。
発送元つまり送り主は、何と、環境省。少々びっくりしましたが、悪いことに対する呼び出しの類ではないらしい。やれやれ。
開封してみると、入っていたのは環境省地球環境局長名による「『家庭部門のCO2排出実態統計調査』の御協力をお願いいたします」という書類。
続いて目に飛び込んできたのは「・・・全国の世帯から統計上の抽出方法に基づいて・・・」。要するに、抽選に当選してしまったらしい。最初に感じたのは「面倒くさいなぁ...」。(ゴメンなさい)
それでも気を取り直し、何の調査だろうと思って本文を読み始めると、書いてあるのは「・・・他に漏らすことは統計法で禁じられており・・・」など守秘に関するものと、実施方法だけ。
何をどのように調査するのかについて、タイトル以上の情報はありません。具体的な調査実施方法については、「・・・株式会社○○に委託して行っており・・・2月15日以降・・・順次お尋ねして・・・」って、もう調査期間に入っているじゃないですか。
ということは近々、夜討ち朝駆け状態に?!でもご安心ください。5ヶ月経った今でも、調査員は一度も訪れていません。もちろん日中はほとんどアパートにいないのですが、少なくとも早朝や夜間に調査員が訪れたことはありません。
居留守なんて、絶対にしていません。(キッパリ)調べてみるとこれは、環境省の「家庭部門のCO2排出実態統計調査(家庭CO2統計)」を指すようです。
グダグダ述べましたが、それでもちゃんと説明、依頼していただけるのなら、程度はともかくそれなりに協力できるんじゃないかと思います。でも訪問はおろか、一切連絡がないとなると、さすがに...。
ついつい「実は委託先が...」などと、妄想を膨らませがち。う〜ん。
■8月8日(月) 無事故で地球を4週!! ──BMW 320iの走行距離が160,000kmに達しました──
もう1日だけ、金沢から戻る途中で起きたできごとを。
「二代目 美國」に時の流れを感じさせられた西村センセイ、後ろ髪を引かれつつも、ここは頭を切り換えるようにします。タイトルにある通り、間もなく現在乗っている車の走行距離が160,000kmを超えるのです。
若い方や車を運転しない方はピンと来ないかもしれません。地球の全周は40,000kmです──というより、そのように定義した──から、この車で地球を4周したことになります。少しはイメージしていただけたでしょうか。
その歴史的瞬間を撮影したのが写真。最上段は車外気温計、その下の数字はここまでの実燃費。エアコンをずっと強力に作動させているためか、いつもより0.5km/Lほど低めです。
最下段左側が総走行距離で、その右が金沢からの実走行距離。センセイが現在のBMW 320i M Sport(F30、MT)を購入したのは6年半前。ですから事前の予測通り、年間24,000km程度走行していることになります。
ここ2年半は想定よりやや長め。理由は簡単で、新型コロナウイルス禍で出張がほぼすべてキャンセルされ、出張の途中で自宅に立ち寄ることがなくなったためです。
この間、アパートに駐車中に、倒れてきた大家さんの脚立で損傷し深手を負ったたこと以外、無事故。素晴らしい。
前の318i(E46、MT)は11年2ヶ月乗って約150,000km、その前の日産プリメーラ(P11、MT)は8年5ヶ月で20,000km弱、さらにその前の、岳父から譲り受けたマツダファミリアでは約150,000km走行しました。
国産車はいずれも、最後の最後は「大丈夫かなぁー」という感じ。でもやはり、BMWは違います。
318i(E46)については、新潟のディーラーでのサスペンション交換作業内容に問題があったらしく、その後、両後輪での異音と身の危険を感じるほどの不審な挙動に悩まされることになります。
でも今から考えると、それを除けば何の問題もありませんでした。現在の320i M Sport(F30)もサスペンションを6月に交換して頂きましたが、作業をお願いしたのは金沢のディーラー。作業部分に関してはまったく問題なく、以前の乗り心地をほぼ完全に回復しています。
白状すると、それ以外にちょっと良くわからない小さなトラブルが継続しているのですが...。BMWを購入する際に複数の先輩から頂いたのが「ドイツ車は20万キロからだぜ」というアドバイス。現在ベンツにMT車は存在しないので、センセイはBMWだけですが、2台乗り継いだ経験から、確かに納得がいきます。
めざせ、30万キロ!!
■8月7日(日) 西村センセイ、読みを誤る。(たぶん) ──「麺辛屋 二代目 美國」オープン──
昨日の続き。
お伝えしたような条件を考慮すると、センセイが自宅へ戻る時の昼食の候補店はごくごく限られてきます。現在はほぼ「サンレパス ルート8」の一択。というか、まったく選択になっていませんねぇ。
当初は「おまかせ定食」ばかりだったのですが、タンパク質不足を認識してからは「鶏の唐揚げ定食」がメイン。でも「キンエン生活」に入る前は麺類にすることが多かったので、候補となるお店は今より格段に多かったのです。その候補の一つが上越市にあった「ラーメン えいしん」。一度だけですが、ここで美味しい味噌ラーメンを頂いたことがあります。
ところがちょうど2年前に閉店。家族経営のお店のようだったので、ご主人その他がどうされているのか気になっていたのですが、約2ヶ月の休業後、「呑み喰い処 えがぴょん」として営業再開。
お昼も営業していました。ほぼ定食だけだったようですが。センセイが夜ここを通ることは滅多にないし、お昼に通過する時は既に「サンレパス」で食事を済ませた後。だから一度も「えがぴょん」に入ることはありませんでした。
それでもお店を再開されたのだから...と安心していたのです。ところが何と、2ヶ月くらい前に「えがぴょん」の大きな窓の掲示が取り外されました。続いて玄関に貼り紙が。「閉店」の文字が読みとれます。
次に通過した時は出入り口からすべてが撤去されていました。どうなるんだろうと心配していたら1ヶ月ほど前、まず建物裏2階の掲示物が替わりました。どうやらご主人、ラーメン店に戻ることを決意されたようです。
続いて建物正面側に「8月2日オープン」と張り出されました。そこには「辛旨豚汁ラーメン 麺辛屋 二代目 美國(みくに)」。
ご主人はやはり...と思いながらも、念のために調べてみるとセンセイの予想は完全に外れたようです。地元タウン誌の情報によると、お店を運営しているのは「東京の人気激辛ラーメン店で修行した」方とのこと。
その方が上越市内の別な場所で2018年に開業(旧店)し、今回、こちらに移転されたようです。明らかに「えいしん」のご主人とは別の方、
移転、オープン後初めての週末となるこの日は、広い駐車場がほぼ満車でしたし、何と、徒歩で近くからお越しになる方もいらっしゃいました。上越市地域ではかなり知られたお店のようです。
それはそれで言祝(ことほ)ぐべきこと。でもセンセイが気になっているのは、「えいしん」を切り盛りされていたご主人とその御家族のその後。
良く考えてみるとそもそも、前の「えがびょん」は御家族のお店だったんだろうか。センセイが「えいしん」に入ったのは10年近く前のこと。中学生と思(おぼ)しき女性が餃子作りを手伝っていました。
だから「えがぴょん」になった時、強い違和感を覚えたのです。今から考えるとご主人は、「えいしん」閉店とともに経営を断念されたんじゃないかと思います。つまり「えがぴょん」の運営者は別の方。それが何らかの理由で経営継続を断念し、空いた店舗を「美國」が引き継いだ、ということのようです。
ただし、ここでご安心頂きたい情報を。「えいしん」のご主人は飲食店の経営から手を引かれた可能性が高いと思います。でも彼を含めた御家族は、現在もこちらのお宅の2階にお住まいと推測されます。以前の記事を読み比べていただければ、その理由をご理解いただけると思います。
ヒントは、写真の左側にあります。