2025年2月22日更新(2025年3月2日ページ移動)

──2025年2月第4週のニュース──

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2月22日(土) まとまったものとしては、今季最後となるのか? ──雪がズンドコ降ってきた──

 今朝は、外がとても静かだったのです。

 「土曜日だから...」と思われるかもしれませんが、雪国の人間の受け止め方はちょっと違うはず(たぶん山間部でも同じ理解)。雪国での静かな朝は何事も起きていないか、雪が積もっているかのどちらか。
 天気予報は、後者。

 気圧配置および風の流れの予想、そして上空の寒気の入り込み方からも同じ結論に至ります。つまり今日の午前中、新潟県西部は里雪型の「ドカ雪」になる可能性が高い。階下に降りる前に外を見ると当地には珍しく、細かい雪が降っています。
 つまり予測通り、地表付近の気温も低い。
(アメダスによると-1.3℃)

 すでに10cmほど積もっており、降雪の勢いが止む気配はありません。家人によると6時頃から降り始めたとのこと。降り方は激しくなる一方で、本当に「ズンドコ」という感じ。書斎に入る前に進入路をひとまず除雪。
 ただし、まだまだ降り続くことは確実だったので、完璧は目指しません。

 雪の様子を撮影しようかと考えたのですが、ここは「仕事」を優先します。午前中は気合いを入れて確定申告書を作成。自身と実家の分は提出済ですが事情があって、今回のみ親戚(従姉)の申告も代行しているのです。
 かなりややこしかったのですが、頑張って11時前に作業終了。

 さて...と思ってカーテンを開くと雪は、ほぼぴったりと止んでいます(この点も予報通り)。お昼を兼ねて徒歩で外出します。積雪は約30cm。(アメダスの記録は24cm)

 この時点では幹線道路が除雪されているだけで他は写真のように、まったく手つかず。夜間に積もり始めたのなら、人々の活動が本格化する前にある程度除雪できるのです。
 でも今回は朝から降り始めたので、仕方ない。

 当然、歩道なんてそもそも存在しないも同然。最悪の場合は車道の端を歩かざるを得ません。雪がほぼ止んだため、多くの方が自宅付近の除雪に励んでいらっしゃいました。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
 土曜日ということも関係しているはず。

 除雪されていない道の場合、歩行者はご覧のように車の轍(わだち)を辿(たど)るしかありません。自動車の側はというと、このように乾いた雪の場合は意外とそれなりに走行できます。
 ただし道路の端が不明瞭になっているので、脱輪には十分気をつける必要が。

 除雪されたにもかかわらず、その上に雪が新たに積もった道路に出ました。路面は圧雪状態。ここでは人間と自動車の関係がほぼ逆転します。まず人間は滑りやすい。
 今日は20回くらいツルッと滑りかけました。老人なら
──センセイも高齢者だけど──転んで骨折してしまうところ。

 でも人間以上に、圧雪の前で自動車はほぼ無力。雪道の走行になれていないため動輪を空転させながら走る車を何台も見かけました。でも、ハンドルさばきはもっと大変。
 “L”字型のカーブでは、1台の軽自動車が目の前でコントロール不能に。
(実話)

 倖い、事故等には至りませんでしたが、若い男性ドライバーに反省の気配は感じられません。ある意味、この無神経さの方がもっと怖い。
 何とか無事に自宅前へ。

 お伝えしたように拙宅の近くにはバスの営業所(写真右手前)。そのため官公庁や学校、病院などと並んで、ここまでの道路除雪は優先されます。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960)。奥に別の除雪車が見える)
 ただしドカンと降ったからか、その後の除雪がなかなか進まない。

 自宅前はというと、夕方に1回重機が入って道路の反対側を綺麗にしたものの、拙宅側はなし。そのうちに...と期待したのですが、続きはなさそう。
 でも、ま、いいんです。

 午後になると、気温も少し上昇(最高気温2.8℃)。サラサラだった雪も、重く湿った雪に変わりました。

 やはり、春の雪。

 週明けには気温も上昇するする見込み。明日はまだ雪が積もるかもしれませんが大きく見れば、今回が今季最後のまとまった雪になりそうです。



2月21日(金) 今後の価格動向は予測困難? ──生産地ですら、お米の価格が高騰しています──

 きっかけは、家人からの依頼。

 珍しく、適当なものがあったらお米を購入してくれないかというのです。家人は自動車を運転しない──そのおかげでMT車を維持できるという面がある──ため、食材購入についてはスーパー等の方法とともに、生協(生活協同組合)の宅配を利用。
 ところが生協は、少なくともお米に関しては全国一括で商品を確保しているらしく、最近は価格が高騰しているというのです。

 新潟県産コシヒカリ(5kg)の場合、4,000円(+税)を超えているとのこと。金沢工大時代、金沢へ持ち込むお米は自分で購入していました。実家で育てていたお米に最も近い「じょんのび米(コシヒカリ)です。
 甘みとツヤ、そして粘り気がある美味しいお米。

 お米は精米から時間が経過すると食味が低下します。(当たり前ですが)金沢では一人暮らしだったので、いつも少な目の2kgを購入。時期によって価格が変動──新米が出回る前は安くなる──しますが、概ね1,050円(+税)くらいでした。
 内容量が違うので厳密な比較はできませんが、現在はざっと1.5倍にまで上昇しています。

 一昨日、親の通院のために自動車を使用。実家からの帰り、いつものスーパーに立ち寄ってみました。晩酌のツマミとともに、お米を購入するためです。5kgはさすがに重く、徒歩での運搬は難しいので。
 お米コーナーを訪れてみると、確かに価格が一段と上がっています。

 ただしこのお店に「じょんのび米」はなし。センセイが退職する頃から取り扱わなくなっているのです。それにもかかわらずこのお店を訪れたのは、当日のみ有効のクーポン券を持っていたため。
 代わりに、美味しさに定評がある新潟県の新ブランド米「新之助」5kgを、約3,750円
(+税)で購入しました。

 帰宅後、改めて徒歩で外出。複数のスーパーに入ってみたのですが、やはり「じょんのび米」は評価と価格が高く、どのお店でも4,350円(+税)くらいします。
 県産の安いお米も並んでいますが総じて、そこそこの年内産米は4,000円台。

 流通システムが整備された現在、生産地と保管、そして流通場所は区別する必要が。ただし昨夏のお米不足の際にも、生産地の当地はそれなりにお米が流通していました。
 それを考えると現在、都市部でお米の価格がさらに高騰していることも得心
(とくしん)できます。

 最後に、当地JAえちご中越(旧JA柏崎)の直営販売所「愛妻館(現在のサイトInstagramを訪れました。「じょんのび米」はJAの取り扱いなのです。
 さすがに、JAの他ブランドを含めてお米は山積み。予想通り「じょんのび米」はここが一番安く、約3,750円
(+税)

 米価に関する石破内閣総理大臣の「倍とはいかないまでも...」という答弁が散々批判されていますが、少なくとも当地の場合、昨年と比較して米価は1.3〜1.5倍程度。昨年(米騒動前)、「じょんのび米」は2kgで1,250円(+税)だったのです。
 それにしても、こんなに高騰しているとは...。

 政府の備蓄米が来月一部市販されますが、その後の動向については予測できない部分があります。もしかすると夏の端境(はざかい)──新米が出回る直前──には再び、お米不足に陥る可能性が。
 「それなら増産を...」と言っても、もはや手遅れ。

 高齢化と従事する人間の減少で、増産はもはや不可能。遅かれ早かれ、こうなることはわかっていたのに...。

 ちなみに写真を撮影した際、「愛妻館」の隣の建物には、こちらも価格が高騰しているキャベツを満載したトラックが横付けされていました。やがて建物の中から高齢の男性が。どうやら、農家はこうやって商品を納入しているらしい。
 初めて見ました。

 今後のお米の価格動向は予測し難い...というのがホンネです。



2月20日(木) 「実害がなければいい」ということか... ──猛吹雪の中、税務署を訪れました──

 もちろん教育、勤労と並び、日本国憲法が定めた国民の義務の一つである納税のため。

 確定申告のPRをするつもりはないのですが、センセイら研究者は本務以外に講演会だったり印税だったりと、少額の雑収入があるのが普通。なお決して、世の中でイメージされるような額ではありません。
 同時に、それらの業務を進めるための必要経費も発生。

 しかもセンセイはいくつもの病気──倖いなことに、重篤(じゅうとく)なものはない──を患っており、年間に支払う医療費は毎年10万円を超えています。何回かお伝えしましたが、「尋常性乾癬(かんせん)」という皮膚病(ただし本質的には自己免疫疾患)の治療薬がかなり高価。
 そのため、少なくともここ25年くらいは確定申告をしています。

 確定申告、以前は非常にストレスフルな作業だったのですが、近年は国税庁のホームページから電子的に作業することができるようになり、負担がかなり軽減されています。また提出する書類も大幅に削減。
 以前は支払った医療費の領収書をすべて提出したのですが、それが毎回の詳細登録に。

 しかも最近は医院や薬局ごとにまとめてのデータでOK。今回初めて気づいた──だから、実は以前からかも──のですが、収入の詳細を記した「源泉徴収票」添付すら不要。
 もっとも手続がいくら簡略化されたとしても、「税金を理解させない」という点だけは一貫しています。

 個人的には医療費控除の関係で、実家の確定申告も数年前から代行。これまでは母親の言う通りの方針で入力、作成してきたのです。
 詳細について省略しますが良く考えてみると、ちょっとおかしな部分が。

 今回、母親の説明の一部が誤解であることを確認しました。つまり部分的に誤った申告書を提出していたことになります。なお納税──実際は還付──額そのものへの影響は軽微。
 つまり、誰にも実害はない。

 プロなら直ちに気づく種の誤りです。ただし、申告書作成を代行している旨を明記して提出してきたにもかかわらず、税務署からの連絡はありません。
 これまで不備の指摘を受けたのは、2013年の「復興特別税」
(確定申告の「復興特別所得税」)の時だけ。

 前年の実績を元に申告書を作成している方が多いでしょうから、「復興特別税」新設の際は本当に多くの方が指摘を受けたはず。で、これまでの実家の確定申告の誤りを税務署側からすると、たぶん「わざわざ指摘するほどのことでも...」。
 要するに、実害
(=納税額の大きな変化)がなければいいので。

 実家の分については、揃えるようお願いしていた証明書に欠落があったため、通院の送迎で昨日実家を訪れた際に必要な書類を確保。それを元に今日、申告書を提出しました。写真は一昨日撮影したもの。
 センセイ自身の分については準備を終えていたため、30分くらいで申告書を作成、印刷。

 必要な証明書類も添付して送付文書を入れた封書を完成。後は切手を貼付して投函するだけ...ですが、考えてみたら税務署って、センセイのお散歩コースの一つ母校の隣)。確定申告、去年までは金沢財務書に提出していたのです。
 というわけで荒れ気味の天気でしたが、お昼に外出。

 ご存じのように今週の北陸地方は大荒れの天気。ただしいつも雪が降っているわけではなく時々、晴れ間がのぞくことも。どうなるかと思っていたら税務署に近づくと猛吹雪に。写真はかなり縮小しています。
 拡大写真
(別ウィンドウ、1280×960)だと、少しは雰囲気が伝わるかも。

 で、やっとで辿りついた税務署に入ったのかというと、実は門の隣にある「時間外収受箱」(24時間受付)に書類の入った封書を投函して、次の目的地へ。そのような方法で提出するよう案内されていたので。
 さて、何か問題点を指摘してくるのだろうか...。

 横殴りの風雪で、ズボンはびしょ濡れです。



2月19日(水) とても大きな「災害廃棄物」 ──被災した駅前ホテルの解体工事が始まる模様です──

 時間的には妙高高原(駅前)ツアーの前。ただし内容はまったく無関係です。

 朝、線路脇の歩道を駅(写真左側)に向かって歩いていると駅前にあるレンタカー会社の敷地内に、プレハブの建物(写真右側)があることに気づきました。いかにも一時的な用途のために設置しましたという感じ。
 仮設の工事事務所です。

 思い当たる節は、ただ一つ。

 向かい(写真左奥)にある薄いクリーム色のビル2棟の解体工事のためのものに違いありません。以前もお伝えしましたが、ビルは「ホテルサンシャイン」。昨年元日の「能登半島地震」で被災したのです。
 海岸沿いの砂丘の上にある旧市街地と異なり、この辺りはもともと沼地だった場所。

 かつて、旧市街地が社会活動の中心だった時代に新しい輸送手段である鉄道を導入しようしても、旧市街地への乗り入れがなかなか許されませんでした。要するに、貴重な土地を鉄道施設に転用する必要があるので。
 だから多くの場合、旧市街地の外れに駅を設置。

 この辺の事情は、城壁都市の外側に駅を設置したため主要駅間が繋がっていないことが多いヨーロッパと似ている部分があります。

 当地に戻ると、鉄道敷設の面も緩やか勾配──沼地なので──が好ましいため、両者の利害は一致。ところが当地の場合、駅付近には数本の川筋が流れており、少しでも水が出ると線路は水没してしまいます。
 そして何より地盤が非常に軟弱。

 そのため「能登半島地震」では、この付近で大きな被害が出ました。「ホテルサンシャイン」も例外ではありません。被災直後は営業再開を目指しましたが、被害は甚大。
 もちろん営業どころではありません。

 何より、当時は公表されていませんでしたが、ビルが2棟とも傾いてしまったのですこちらこちら。その結果、昨年2月末での閉館を余儀なくされました。
 当然、建物は解体。

 プレハブの工事事務所は解体に向けた準備が進み、間もなく工事に着手するという意味。何故、道路を挟んだレンタカー会社の敷地内かというと、経営母体が同一だから。
 ホテルもレンタカー会社も、地元の「中村石油」が経営しているのです。
(企業沿革を除き、ホームページからホテル事業は削除済)

 妙高高原駅からの帰り、ホテル(跡)に立ち寄ってみると、新たな掲示が。そこには発注者柏崎市長名で「駅前一丁目地内災害廃棄物(ホテル)解体・撤去工事」。確かに、大きくても災害廃棄物だ。
 問題はこれから。

 解体工事ではなく、ホテルの需給関係です。衰退が進んでいるとはいえ、それなりの地方都市ですから一定のホテル需要があります。中村石油、もしかしたら解体後に...などと考えていたのですが、どうやら違う流れに。
 旧市街地にあった市役所の駅前移転の関係で、その前にある土地の活用が問題になっていました。

 つい先日の報道地元紙日経および日経によると何と、東横インが進出する見込みとのこと。狭い地域の小さなパイなので、同業他社への影響は必至。中村石油もそれを見越して撤退したんだろうなぁ。

 まぁ、個人的には地元のホテルを利用する機会はなさそうですが。



2月18日(火) 白地の車体に、朱色の太い帯?! ──西村センセイ、思いがけず鉄分を補給する──

 妙高高原(駅前)ツアー、最終回。

 突如出現した外国人中心の観光客に圧倒されたセンセイ。でも良く考えてみると昔はもっと混雑していた。なお、ここでの「昔」はセンセイが高校生だった1970年代前半、つまり約半世紀前を指しています。
 当時、庶民の長距離移動手段はほぼ鉄道
──しかもJRではなく日本国有鉄道──に限られていました。

 観光や修学旅行、あるいはスキーなどは列車で地域の拠点駅まで行き、駅前から大型観光バスで目的地へ向かうというパターン。列車の編成は長く、乗車率も高かった。駅舎も大きくて売店はもちろん、食堂などの施設を備えているのが普通。
 高校2年の夏、たぶん学年全クラスで妙高高原を訪れたことが。

 1泊2日の行事そのものは無事に終了。帰路、他クラスの男子学生が妙高高原駅舎内の立ち食い蕎麦店でそばを注文したところ、食べきらないうちに電車が到着。彼は乗り遅れまいと列車に窓から入ろうとする(!!)事態が発生。(実話。写真の1番線だった)
 もちろん発車しかけた列車は緊急停止し、事なきを得ましたが。

 当時、妙高高原駅を含めて拠点駅の駅前は、10台前後の大型バスを横並びで止める(並列駐車)ことができるよう非常に広く、駅舎の向かいには多数の土産物店や飲食店が軒を連ねていました。
 それに釣り合うだけのお客さんが駅を利用していたのです。

 それに比べれば、今回駅前に集結したジャンボタクシーやマイクロバスは6、7台程度。それも駅舎前の縦列駐車で事が足ります。やはり利用者は大きく減少しているのです。
 観光客の様子を撮影しようと駅に注目したその次の瞬間、あ"っ。

 それどころではなくなりました。ホームには到着済の、しなの鉄道“SR1”系──写真右奥にわずかに見える青い車両──が停車しているはずなのですが...変。
 だって、1番線には白地に朱色の太い帯が入った列車?!

 通称“East i-D”と呼ばれるJR東日本のキヤE193系電気・軌道総合試験車(検測車)です。有名な「ドクター・イエロー」のJR東日本在来線版。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
 ちなみに“East i-D”は夏の間、JR北海道に貸し出されています。

 この“East i-D”は非電化区間用のディーゼル気動車(検測のため、一部電化区間も走行する)。この電車版、通称“East i-E”ことE491系こちらこちらを含めると、センセイはJR東日本の現行検測車両2編成を、間近で10回弱見ています。
 ただし「ドクター・イエロー」がそうであるように、運行は非公開。

 珍しいことに違いはないので、大急ぎで1番線へ移動しました。写真はそこで撮影した1枚ですが、しばらく停車しているだろうと油断していたところ、撮影直後にあっさりと発車。良く見るとライトが赤い尾灯になっています。
 追いかけるような格好で、数枚撮影。

 もう目にすることはできないかなぁ...と思っていたら、おぉ、帰りの電車の終点直江津駅構内に停車中。もちろん今度はいろいろ観察、撮影させていただきました。“East i-D”は直江津駅でホームの南側の側線に停車。
 その関係でホームからだとどうしても逆光になるため、綺麗には撮影できませんでした。残念。

 直江津駅で撮影していると、乗務員2名が下車して詰所へ。測定業務の要員ではありません。つまり今回、“East i-D”は検測のためではなく例えば直江津駅構内での車両運用の都合などで、妙高高原駅まで一時的に待避していたらしい。
 後から考えると“East i-D”は、ET122系1000番台「雪月花」
こちらこちら(2枚目の写真))の「スジ」──ダイヤのこと──で運行されていたようです。

 「雪月花」は現在、初めての「全般検査──自動車の「車検」に相当。しかもほぼ全体を分解、点検する──を受けており、運休中。

 というわけで、多少心残りはありつつも本来の目的に加えて、今回もしっかりと鉄分を補給した西村センセイ...で、終わるつもりだったのです。ところがもう一つ、まったく想定していなかったことが。
 帰路、初めて目にする鉄道遺産の存在に気づきました。

 ただし現在はまだ情報が不足しています。しかも容易に接近できる場所ではありません。

 この件、いつになるかはわかりませんが、チャンスがあれば続報をお伝えできればと願っています。



2月17日(月) その神々しさに、圧倒されます ──雪に覆われた妙高山の全貌を初めて見ました──

 今回の妙高高原──といっても、駅前だけ──ツアー、天気が想定より良かったので「もしかしたら... 」と期待していたことが。

 妙高山(2,454m)の全貌を望むことです。何度かお伝えしたように、センセイは小学生の頃から高校生の時まで年に1、2回はこの地域あるいはその先にある野尻湖や長野市、戸隠高原、志賀高原などを訪れていました。
 野尻湖や長野市は、家族でりんご狩りおよび善光寺詣での途中に。

 妙高を含む県境の高原地域は、高校のクラスやクラブ活動の合宿などで。なお妙高高原のスキー場を家族で訪れたこともあります。つまり個人的には割と慣れ親しんだ地域なのですが、何故か妙高山をちゃんと見ていない。
 どの山もそうでしょうが綺麗に晴れて、山の全貌を見渡すことができる日は意外に少ないのです。

 もっとも、最大の理由はセンセイの無知。そして、それに起因する「見よう」という気持ちの欠如に違いありません。そんなセンセイを情けなさを強烈に自覚させられたのは20年前
 お伝えしたように、弟一家に誘われて妙高市桶海にあった「妙高パインバレースキー場」
(現在は「アパリゾート上越妙高」。スキー場は2005年廃止)を訪れた時です。

 子供たちとゴンドラに乗車し、標高935mの終点で下車すると、関川を挟んだ西側12kmほど先に「初めて」見る妙高山が。すべての世俗を拒絶するような神々しさに圧倒されました。
 その時の写真が1枚だけ残されています。

 色バランスだけを補正した上でトリミングしたもの(原寸)を再掲しますが、あくまでもメモ代わりなので無粋な鉄棒についてはご容赦の程を。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960)
 大いに反省した西村センセイ。

 その後はできるだけ注意していたのですが、1997年に北越急行線が開業して北陸地方と頸都圏を結ぶ交通体系が一変したため、この地域を訪れる機会が激減してしまいました。
 訪れるのは数年に1回程度。

 しかも、せっかくのチャンスに恵まれても、肝心の妙高山は雲を纏い...。20年前の記憶が薄れかかっていた昨年、妙高高原駅を訪れたセンセイの前に、不意に妙高山がその姿を現しました。(2枚目の写真)
 再びの衝撃。

 妙高高原駅の「リベンジ」に拘った理由を、少しはお感じいただけたでしょうか。写真は往路、その願いが通じて(?)列車内から撮影することができた妙高山。少し雲がかかっていますし、窓ガラス越しの撮影。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960)
 でも列車内からこのような妙高山を見ることができたのは初めてです。

 ちなみに帰路は、太陽が西に移動したため印象がかなり違うし、何より天気が悪化して雲の量がずっと増えてきたため、撮影はしていません。今回は本当に幸運だったようです。なお、右下近くに見える観覧車は「妙高サンシャインリゾート」。
 現在は冬季休業中です。

 妙高山信仰(例:『上越タウンジャーナル』紙)が、わかるような気がしてきます。



2月16日(日) 「雪とともに」などと軽々しくは... ──冬の妙高高原駅を半世紀ぶりに訪れました──

 新潟県内の鉄道線がほぼ乗り放題となる企画乗車券──正確にはジパング倶楽部会員専用──を家人から譲り受けました。

 どこへ行こうかいろいろ考えたのですが、架線凍結で達成できなかった先月の計画の一部をリベンジをすることに。今後の予定の関係とともに、今日の天気が決め手。封土うさrているように崩れつつあることは確実。
 でも少なくとも午前中は、従来の予想より良さそうなのです。

 前回「雪の妙高を訪れたのは15年くらい前・・・」とご紹介しましたが調べ直したところ、20年前のちょうど今ごろ。それも妙高高原そのものではなく、関川を挟んだ対岸でした。この件については後日ご紹介できると思います。
 だから冬の妙高高原を訪れるのは高校の合宿以来、50年弱ぶりらしい。

 まだ集中講義の疲れが抜けきっていないので、早い時間帯の電車は断念。9時前に柏崎駅を発ち、直江津駅で乗り換えて妙高高原駅へ向かいます。途中、高田、上越妙高、新井と乗客が下車。
 それでも、ある程度の乗客は最後まで乗車。
(いつもこんな感じ)

 残った乗客のほとんどは上越妙高駅でしなの鉄道線に乗り換えて長野方面へ向かいます。センセイも昨年夏に上京した際に利用した列車。
 新型“SR1”系への転換が進むしなの鉄道ですが待っていたのは今回も115系。これが標準色です。

 乗り換え先の列車、いつもなら妙高高原出発時の乗車率20%くらいでその後、徐々に混雑してきます。乗り換え客もそのつもりで待機していたようですが駅に到着すると、え"っ?!
 様子が予想と全然違います。

 列車はすでに乗車率は100%近くに達しています──ここにさらに、乗り換え客が加わる──が、それ以上に目立つのがお客さんの違い。日本人は20%程度で、大半は外国人客。(ほぼ欧米人)
 ニセコ飛騨高山、そして白馬ほどではありませんが実は、妙高高原も外国人客が多く訪れる場所。
(滞在客が多い)

 外国人客は大きなスーツケースをいくつも引いています。置き場がないので座席の上に置いたり、最後はドアを塞ぐようにその前に並べたり。(実話。各地の新幹線でも問題になっている)
 こう書くと最近しばしば目にするオーバーツーリズム批判に便乗しているとお感じになるかも。

 確かにもう少し他者のことを考慮していただきたい部分はありますが、そもそもマナーは国その他によって大きく異なります。「阿吽(あうん)の呼吸」とか「忖度(そんたく)」、「空気を読む」なんて外国では絶対に通用しない。
 それに見方を変えると、そのようなお客さんの要望に応えていない日本の交通システムの方にも問題が。

 今日見た範囲内では、決して他者を無視して...などという外国人客はいませんでした。満員の乗客を乗せて、しなの鉄道の列車は長野駅に向けて出発。センセイは改札を通り、駅の外へ。
 今回のテーマは雪深い地域の冬の生活。

 駅前に出ると、おぉ、この好天の機会を捉えてやおとく食堂(写真左)と向かいのスポーツ用品店他では屋根に積もった雪の除雪中。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960)
 見ているだけでも怖くなってくる高さですが、命綱は装着していらっしゃいません。(白状すると、この目で命綱を付けての雪下ろしを見たことはない)

 除雪でできた雪山の高さも凄い。中央の雪山の高さは6m前後。また写真には十分入っていませんがその右側にある山はさらに高く、8m以上あるものと推測されます。
 これだけの量の雪が積もるのですから、人々の生活に影響がないわけがない。

 右の写真はその近く──右隅奥の平べったい構造物は妙高高原駅──で気づいて撮影したもの。この地域も無人の家屋が目立ちます。当然、除雪はできません。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960)
 その分、建物の傷みが非常に速く進みがち。

 写真の家屋の場合、そもそも構造に無理があったようです。“M”字型の屋根をしているため。除雪および排水がうまくできないと、凹んだ部分に雪や水が溜まりやすい。
 その結果、凹んだ部分で水が内部に入り込み、構造そのものが崩壊しつつあります。

 まぁ、屋根に積もった雪の量を考えると不思議ではありません。見かけはともかく、内部は凄いことになっているんだろうなぁ...。しかもここはほんの一例。
 程度の差こそあれ無人の家屋は皆、雪の重さで構造に歪みが発生していました。

 道路脇の高さ2mくらい──少なくとも身長約170cmのセンセイより高い──の雪壁の中を通り抜けて第一スーパー妙高店へ。「やおとく食堂」は日曜定休なので、駅近辺で飲食店を利用することはできないのです。
 低塩分の総菜を買い求め、持参したバナナともにベンチで頂いてお昼。

 妙高高原駅に戻ると、(今日2回目の)え"っ?!

 駅が凄いことになっています。長野からの快速列車が到着し、先ほどの列車の外国人客と同じくらいの人がホームから改札口、そして駅舎前に出てきているのです。そういえば、ジャンボタクシーやマイクロバスが何台も走っていた。
 その様子を撮影しようと思ったのですが、
(個人的には)さらに驚くことが。

 慌ててホームへ向かいました。なぜなら...。(続く)

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