2025年9月27日更新(2025年10月5日ページ移動)

──2025年9月第4週のニュース──

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9月27日(土) 人生の節目で、彼岸と此岸を意識させる花 ──見事なヒガンバナに遭遇しました──

 今日は久しぶりに、ちょっとだけ遠くへ。

 でもそちらは後回しにして、昨日のホタテ貝殻運搬の続きを(正確に言うと、時間的にはこちらの方が先)。お伝えしたように、センセイはスーパーを出てから少し遠回り。国道8号線に出るため、道路を曲がろうとしたその時、あ"...。
 道路脇のお宅の庭に、見事なヒガンバナ
(曼珠沙華)が。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))

 その名の通りヒガンバナは彼岸に合わせたかのように、不意に鮮やかな花を咲かせます。今年の秋の彼岸は9月20日(土)から23日(火・祝日)の「中日」、そして昨26日(金)の「彼岸明け」まで。
 少なくとも当地の場合、カレンダーに合わせるかのようにあちこちでヒガンバナが開花。

 されど残念ながら、目にしたヒガンバナはどうも色がくすみがち──昨年の実家も同様──で、イマイチ。でもこのお宅のヒガンバナは違います。
 逆光という点を差し引いても、本当に美しい。

 白状すると撮影から加工、そしてサイト公開時に使用している“jpeg”写真フォーマットには限界があり、特に、赤色の鮮やかさが相当損なわれてしまっています。
 実際の色は、「キツイ」と感じるほど鮮やか。

 でも、ま、その点はしかたない。本当は昨日ヒガンバナをお伝えしようと考えていたのです。でもホタテ貝殻の運搬という意外性を優先して変更。
 今日は彼岸明け後ですが撮影は間違いなく昨日ですので、ご寛恕
(かんじょ)のほどを。

 ひとまず帰宅した西村センセイは車で実家へ。高齢の両親の食料調達が主目的ですが、それ以外にもあれこれ頼まれごとが、それでも最近は割と合理的な依頼が続いていたのです。
 でも昨日は、ご紹介できないほど酷い内容。

 加齢に伴う身体能力の低下は誰の目にも明らかなので、割とわかりやすい。ただし精神面は別。倖いなことに認知症ではないのでしょうが、老化と健忘(けんぼう)が進んでいます。問題は、その進行度がまだら模様だということ。
 この点は一般的に認知症でも良く聞きますし、認知症の
(両親以外の)身内でも実感しています。

 今回は95歳の父親が問題だったのですが、もともと持っていた「退行」──“regression”.イメージ的には「赤ちゃん返り」──がさらに進行。時には、合理的な対応が困難な場面も。何しろ、このような時の彼の基本的な精神構造は、ほぼ幼児状態なので。
 昨冬逝去した彼の姉、つまりセンセイの伯母とは対照的。

 当然、その相手をせざるを得ないセンセイは悲惨なもの。

 身体的には、決してたいしたことをしているわけではないのですが、精神的にはボロボロ。血圧は見事に急上昇──測定初回はとんでもない値だった──し、残念ながら一晩経過した今日も、朝晩ともに正常値の範囲内をクリアできず。
 他方、今の彼はまず間違いなく、マイペース。

 そもそも自分のことしか頭にないし、「何も悪いことはしていない」どころか、「良いことばかりしてきた/している」と信じているに違いないので。でも、ま、ここは清濁合わせ呑(の)み、何とかするしかありません。
 ヒガンバナは、その名の通り此岸
(しがん:この世)と彼岸(ひがん:あの世)の区切りの象徴。

 ここ数年、彼岸になると、改めていろいろなことを考えさせられます。当面は両親に関する諸問題ですが、お察しの通り、さらにその先も。

 ま、立場上、ここはしかたない。



9月26日(金) こうやって運ぶんだぁ... ──センセイが今日、国道を歩いていて出くわしたもの──

 予定を変更してお伝えします。びっくりしたので。

 今日は金曜日。つまりセンセイにとっては実家での家族サービスの日。当然、その前にいくつかの用を片付けておく必要があるので、早めに徒歩で外出。当地は昨晩から今日にかけて雨。
 しかも未明には、かなり激しく降った時間帯も。

 今回は寒冷前線の通過に伴う降雨で、お昼頃にはかなり晴れるだろうとの予報。センセイが自宅を発った時はまだ、かなり怪しい雲行きだったのです。ただし西の空を見ても、雨雲レーダーを観ても「ポツポツ」以上の降りになる気配はない。
 傘を持たずに外出し、いくつかの用を済ませます。

 その後の予定との関係で、11時45分頃までには戻りたい。最後のスーパーから直接帰宅するという選択肢もあったのです。でもまだ時間があったので、少しだけ遠回りすることに。一つには運動量確保のため。
 同時に、いつもと違う場所を訪れてみたい。

 その途中で国道8号線──もちろん、その歩道──を150mほど歩き始めました。進行方向の信号機が赤になったため車は次々と停車。しばらくの間、センセイがそれを追い抜くという格好に。20tくらいの大きなトラックに追いついた時、ふと、違和感。
 荷台側面
(「アオリ」)に割と小さく、「ホタテ貝殻運搬××運送」。(時間がなく撮影できなかった。また多少間違えているかも)

 最初は「ホタテ運搬」...と思ったのです。でもそれなら生鮮食品ですから冷蔵冷凍車で運搬するはず。でもどう見ても、トラックは無蓋(むがい:覆いがないこと)
 変だなぁーと思って再確認すると、確かに「貝殻」。

 高い「アオリ」の上を見ると、え"ーっ?!

 本当にホタテの貝殻が、しかも山積みされています。歩きつつ、しかし大急ぎで鞄の中からカメラを取りだし見上げる格好で、とにかく撮影したのが右の写真。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
 ホタテの貝殻だと気づいた
──2枚目の写真の位置関係に近い──時、強い違和感を覚えたのです。

 単に貝殻を運ぶのなら産廃コンテナなどのようなものに入れて運ぶはず。でも写真を良く見ると、貝殻の中央にわざわざ穴を空けて針金を通し、束ねています。
 それもご丁寧に、「小××」
(たぶん)と記して。

 ナシテ?!

 全体をちゃんと撮影する前に信号が青に。車列は順次発車します。それらに追い抜かれつつ、トラックの後部を撮影したのが2枚目の写真。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
 車体最後部が黒っぽいのは、この部分が道路の南側にある自動車販売店の陰になっているため¥。

 秋分を過ぎたこともあって太陽高度がかなり低下しており、陰が長くなっているのです。

 収穫したホタテの貝殻の処分方法が問題になっていることは知っていました。だだし一般論ですが、カルシウムを主体とした資源としての認識についても時々耳にしていたのです。
 だからトラックが去った時、「資源として活用...」と考えたのです。

 でもそれなら、ここまで手間と暇、そしてコストを掛けるだろうか。ホタテの貝殻の形状および素材を活用してオブジェにするという可能性は考えられます。
 でも今回は、その貝殻の中央に穴を空けられています。

 かようなまでにホタテの貝殻を丁寧に運搬していることについては何とか理解できたつもり。でもトラックの「行き先」は、相変わらず不明。

 そしてその先、肝心の貝殻の活用方法については、まったく想像することができません。



9月25日(木) ある意味、初めて見るりんごの木... ──後期の初回講義をほぼ無事に終えました──

 前任校での後期講義初日。

 それなりに準備したつもり──それでも忘れ物が1点あった──なので、再度の課題は前の晩の良質な眠り。早く就寝しようと思っていたのですが、結果的にはいつも通りの時刻。眠りの室についても必ずしも良好とは言えず。
 血圧を測定します。

 残念ながら、血圧はこのところやや高め(原因不明)。「深くは眠れなかったし、講義や移動のプレッシャーもあるから...」と覚悟していたのですが、「平均血圧」(「収縮期血圧」の3回移動平均の最低)は118mmHgと、問題なく正常値の範囲内。
 自分の身体に関することですが、う〜ん、良くわからない...。

 後日改めてご紹介する予定ですが今日は、講義以外に別の用が。それもあって予定より約5分遅れで自宅を発ちます。新潟市内の「新新バイパス」は女池(めいけ)インター付近まで混雑。だから決して「スイスイ...」というわけにはいかなかったのです。
 他方、「激しい渋滞で...」というほどでもありません。

 昨日お伝えした「秋の全国交通安全運動」も十分意識しつつ運転。結果的に、いつもより10分ほど遅れて大学に到着しました。まずは配布資料の印刷と、教室内での講義準備。
 講義初日ということもあり、トラブルが複数発生。

 でも自身の忘れ物を含めて、この程度のことは想定済。それより何より、受講する学生のために、それなりのレベルで講義を実施することの方が大切。
 定刻に講義を開始します。

 実際には通年講義なのですが、形式的には前期/後期で分かれています。前期の受講生がほぼそのまま...と想定して準備していたのですが、1/3くらいが入れ替わっていました。
 受講数
──現時点では未確定──は若干減少した模様。

 実質的には前期から続いている内容なので、前期末試験の解説を含めて前期の内容を振り返ります。その上で、講義の全体像を初めて解説。(決して隠していたわけではない)
 受講生は概ね、「なるほどねぇー」という表情。
(新規受講生を除く)

 ここまで来ればこっちのもの(別に、勝負しているわけではない)。新しい内容を解説し始めるとともに、講義を通じた「メタ・メッセージ」をクイズ形式で出題、解説。教室内の雰囲気が予想外に一変し、「どうなるんだ?」という感じに。
 この続きは、次回講義で。

 希望者に前期試験の内容について個別にコメントしてから、教室内を大急ぎで片付けます。学外での次の予定が入っているのです。教卓や「ひみつ基地」の鍵を写真の事務棟で返却し、そのついでに撮影したのが写真。
 言うまでもなく、7月の前期講義最終日
(2枚目の写真)以来となる「ニュートンのりんごの木」です。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))

 2003年以降、センセイは前任校のこの時季の「りんごの木」を見ていません。10月下旬の学園祭には時々参加していましたが、その頃には葉すら残っていなかったと思う。いわば初めて見るようなもの。
 当然、りんごの実は夏の間に落下。
(破片すら存在していなかった)

 「おーい、年老いた『親』が戻ってきたよ」。

 新発田市内での別件を片付けて、帰路へ。ポツポツと雨粒が当たり始めたかと思った途端、大雨に。予報通り、当地は非常に不安定な天気で、お昼を頂くために途中で下車した際は、ずぶ濡れになりました。
 あれこれ気を使いながらも、それでも無事にご帰宅。
(この頃になると雨は上がった)

 それなりに大変な1日だったので「朝はともかく、今度は...」と、半ば諦めながら血圧を測ると「平均」117mmHg。(再び)う〜ん、良くわからない。

 「ホームグラウンドだから」ということなのでしょうか...。



9月24日(水) ここでやるぅ!? ならば、何のために? ──「令和7年秋の全国交通安全運動」実施中──

 写真は昨日、菩提寺からの帰りに撮影したもの。もちろん速度違反取締の現場です。

 場所は柏崎市曽地(そち)地内。道路は新潟と京都を日本海に沿って結ぶ国道8号線、天下の幹線国道です。中央を左右に走るのは北陸自動車道。

 お伝えしたようにセンセイは朝9時過ぎ、写真左奥にある柏崎市市街地を出発。写真右手前方向にある菩提寺を目指して、この道路を奥から手前に向かって走っていました。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
 国道8号線は、写真の奥で国道116号線と分岐しています。
(拡大写真では青い道路標識を確認できる)

 つまり三叉路なのですが、実際の形状は“T”字路に近い。そのため左側の京都・柏崎方面からやって来た場合、116号線は信号機もなく円滑に左へ分岐する一方で8号線はまず間違いなく、信号機でかなり長い間停止。
 その結果、写真のように奥からの車は列をなすのが普通。

 昨日の朝もそうだったのです。前に車が6台くらいいるので、列を作って制限速度の時速60km/hくらいで走行。高速道路が近づいたところで、4台前の車がブレーキを踏みました。
 なぜだろうと思ったのですが、その前の車が左へ左折したためだったようです。

 やれやれと思いながら皆が少しずつ速度を回復させていると不意に、再度ブレーキランプが。ナシテ?!

 車が続いているため前方の視界は良くなかったのですが、高速道路の跨道(こどう)橋に至って急に暗くなった時、道路脇にいる空色と紺の服の2名に気づきました。
 その先には、三脚に載せられた速度測定器。

 これが原因だったのね。この時はまだ設置準備中。その地点から300m進んだ場所(写真では手前)には国土交通省の除雪基地が。違反車両を招き入れる準備をしていました。
 帰路、再び現場へ。

 ただし走行中の車内から撮影するわけにはいかないので、手前の道路外に車を止めて歩きます。除雪機地内にの警官は計7名。検挙車両はなし。歩道上の警官は、長い棒の先に「止まれ」と書かれた赤い旗を持っています。
 その左側には紅白のポール。

 望遠レンズで撮影しているため、実際には警官の手前約20mくらいの場所に位置しています。なお今気づきましたが、ポールの紅白部分は夏場、下部に格納。積雪時、まり冬に備えて最近引き出されたはず。
 人間界でも「季節」は進んでいるんだ...。

 それはともかく、ポールの紅白部分先端の奥をよぉーく見ると、何やら黒く沈み込んだ部分が。その左脇にあるのはパイプ椅子。もちろん速度を測定する警官と、彼のための椅子です。その左には、速度測定器。
 この状況下、奥から走行してきた場合を考えてみます。

 お伝えしたように多くの場合、車列を組んでの走行。その先頭にいて飛ばしたい車は速度を上げるかも。測定掛の警察官はちゃんと制服を着用し、安全のために白いヘルメットを被っています。
 ただし跨道橋下は急に暗くなるので、警察官も測定器も見えない...というか、気づいた時には遅い。

 数え切れないほど走行している場所──初めて取り締まりに出くわした──ですが、実際問題としてそんなにスピードは出せません。つまり、「ここで、やるぅ?」。

 前述の飛ばし屋は別として、新潟県警察柏崎署が意図しているのは検挙ではないはず。皆様お察しの通り、発しているのはおそらく、「現在、『令和7年秋の全国交通安全運動』実施中。安全運転を心掛けてね」というメッセージ。
 富山県警の「とにかく検挙して、ノルマを達成するぞぉ...」という感覚と、かなり異なります。

 それはともかく、そして安全運転運動期間中であるかどうかにかかわらず冗談抜きで、誰のためにも安全運転は大切。センセイの場合、実際問題として明日から後期講義が始まり、長距離通勤を再開します。
 今回の遭遇を奇貨
(きか)として、緩みがちだった気持ちを引き締めなくては...と、深く反省した次第。

 柏崎警察署交通課の皆様に感謝する必要があります。

 深謝。



9月23日(火:祝日) 木々に囲まれた本堂は、冗談抜きで寒かった ──菩提寺の彼岸会に参加しました──

 タイトル通りのお話。

 今日は秋分の日、つまり秋の彼岸の中日。そこで去年および、そして今年のに続き、菩提寺で催された「彼岸会(ひがんえ)」に参加させていただきました。春同様、自転車で訪れることも検討したのです。
 倖い天気は良く、自転車の天敵である風も弱い。

 自転車も点検し、タイヤの空気も補充済。ただしその後のやや嵩(かさ)張る買い物の関係で、今朝になってから自動車に変更しました。9時過ぎに出発。途中、ヒヤッとする場面に出くわしましたが、それは後日。
 もちろん問題なく到着。

 菩提寺は周囲より15mほど高い場所にあります。自転車だとさすがに最後は降りて歩くしかないのですが、自動車ならそんな問題はありません。
 受付で方丈
(ほうじょう)様と、ご子息の副住職にご挨拶してから本堂へ移動。

 隅の方に席を確保してからカメラを取り出し、境内を撮影したのが写真。中央奥が本堂。右側に庫裡(くり)が見えます。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
 境内にはご覧のように、から続く通路の両側に池が二つ。見事な蓮(はす)です。

 周囲は木々に囲まれており、静寂。そして涼しい。その中を檀家の方が次々と集まってきます。センセイも本堂へ戻ります。用意された椅子は140席くらい。
 先ほどはバタバタしていて気づかなかったのですが腰掛けると、涼しいというより冗談抜きで「寒い」。

 車外気温計によれば、自宅出発時の気温は22.0℃くらい。その後少し上昇したのですが、本堂内の温度計の表示は20.6℃。彼岸会終了時も21.7℃に留まりました。
 この頃になると席の大半が埋まったのですが、参加者は9割くらいが長袖か重ね着。

 センセイはというと夏のままの半袖。でも、まぁ、ここはこれで乗り切るしかありません。改めて参加者の顔ぶれを確かめると、まず年齢的には70歳代から80歳代がメイン。ここでのセンセイは「青二才」というわけです。
 さらによぉーく見ると、身内の年忌
(ねんき)供養をされる方々は概ねちゃんとした格好で、中心に近い場所に座っていらっしゃいます。

 これは主に焼香の関係でしょう。定刻3分前に彼岸会開始。お経を手にし、熱心に目で追いかけていらっしゃいましたが、これは少数派。そういえば2回連続で同級生が参加していたのですが、今回はなし。
 どうやら彼らは、身内の年忌供養があったため参加したようです。
(それに異を唱えているわけではないので、誤解なきよう)

 つまり参加者の主体は先祖の年忌供養の方と、(程度はともかく)信仰の篤い方。で、センセイはというと、そのどちらでもありません。そう遠くない将来、菩提寺のお世話になりそうなので...という次第。
 動機が最も不純なのは、センセイらしい。

 ま、いいんですけど。

 彼岸会そのものは約45分で終了。続く方丈様──センセイより1学年上──のお話も、今回は予想外に淡泊。というか、年々短くなっているような気がします。皮膚感覚的には、これが「老いる」ということなのかも。
 散会後、参加者はそれぞれのお墓にお花を供えたりしながら順次、帰路に就きます。

 センセイはあれこれ考えながらかなり離れた公共駐車場まで歩き、次の目的地であるスーパーを目指して車を出します。車外気温計の表示はどんどん上昇し、把握している限りでは最高26.5℃。(車外気温計の表示は0.5℃刻み)
 ちなみに、アメダスによると当地の最高気温は27.4℃。

 途中、往路の「ヒヤッ」の現場が迫ってきます...。(続く)



9月22日(月) 関係者のおかげで、事なきを... ──初めて越後線寺泊駅で下車しました(2)──

 今日は写真がメイン。(ただし技量は問わぬよう)

 列車内に忘れてしまった帽子に関して今回は、少し明るい材料も。「帰りの電車」、実は、乗車してきた列車そのもの。数駅先の吉田駅1番線に入り、約40分停車した後に折り返しの柏崎行となるのです。
 本来ならば運転士と車掌
──ただし当該列車は、運転士のみのワンマン列車──は終点駅到着後、列車内を点検。

 ただし今回は吉田駅での停車時間が比較的短いため、到着後もドアは開けたまま。当然、乗客下車後は柏崎方面への乗客が乗り込んでくるため、点検しても忘れ物か新たな乗客の持ち物かはわからない。
 だから同じ場所に乗れば荷物棚の上にそのまま...という可能性も。

 でもここは、親切な駅員さんにお任せします。

 センセイは、寺泊駅周辺を割と大きく一周することに。約2kmのコースですが、頂戴したチラシによると所要時間は約40分とのこと。どちら回りでも良かったのですが、最後に駅から1km弱離れたスーパーへ寄る可能性が。(今回は帽子の件で時間ロスがあったため、却下)
 そこで反時計回りで移動することに。

 これは海岸部の寺泊から長岡線の電車に乗車し、寺泊駅(当時は「大河津(おおこうづ)」駅)で国鉄(当時)越後線と交差し、長岡方面を目指す場合に相当します。以下、その場合を想定した時系列順でのご紹介。(したがって一部、実際の撮影順と相違)
 1枚目の写真は寺泊駅から西南西に約400m離れた場所で撮影。
拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))

 道路の右奥にJR越後線の「鰐口第二踏切」が見えます。寺泊駅は写真左側のずっと先。中央やや左側(石碑の左側)に細く開けた道のようなものがありますが、これが長岡線跡。
 「止まれ」標識付近から左へカーブしつつ、寺泊駅を目指します。

 写真左端付近で、古くからの道路と交差。中央奥の支柱(中央石碑手前の支柱ではない)を良く見ると、上部から左側に腕のようなものが見えます。
 手前の日本共産党の看板が括りつけられた支柱を含め、これらは長岡線の架線支柱。

 かつては越後線の列車内から放置されたレールが見えた(=奥から写真手前を見る格好になる)のですが、いつの間にかレールは撤去されていました。
 センセイは切を渡るとすぐに左折して、旧「大河津」駅を目指します。

 この付近および寺泊駅東側はかつて一面の田圃だったのです。でも現在は大半が宅地化。幸か不幸か、そのおかげで越後線と長岡鉄道の、まさに交差部分に降り立つことができます。
 なお決して私有地およびJR敷地内には立ち入っておらず、すべて公道上からの撮影。

 右の写真は、列車内から撮影したこちらの写真(2枚目)に相当する場所を、地上から撮影したもの。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
 奥の黄色い建物は駅前の割烹旅館「三松亭」で、右側に位置する寺泊駅はほぼ、生長したススキの陰に。

 以前ご紹介したように写真左下の白い物体は、ATSの地上子(ちじょうし)。1枚目の撮影地は左後方で、越後交通長岡線は地上子のあたりで越後線に乗り入れていました。
 乗り入れ区間は25mとのこと。

 何カ所かレールの継ぎ目部分が見えます。望遠レンズで撮影しているため短く感じますが、レールは定尺の25m。つまり手前の継ぎ目と、その継ぎ目付近だけが乗り入れ区間。
 ごく短かったんですねぇ。

 奥の方を見ると、JR線が右側に分岐しています(これは待避側線)。長岡線はそのずっと手前で右側へ分岐して、ススキの薮の先にあるホームへ向かっていました。
 前回もお伝えしましたが、乗り入れ区間にはコンクリート製の構造物が。

 これは左右に走る用水路に掛かる、一種の「橋」。古い航空写真だと良くわかります──しかも今回は目の前──が、「交差」こちらの1枚目)ではなく「乗り入れ」にしたのはこれが原因のようです。
 さらに100mちょっと進んだ場所で撮影したのが、以前ご紹介した「ラピュタ」。

 これは長岡線の「出発信号機」。廃止されたから半世紀も経過しているため、フードが脱落するどころか、ついに支柱が折れ曲がってしまいました。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
 訴えかけてくるものがあります。

 お気づきでしょうが、長岡線のレールがそのまま残されたり、別な場所から運び込まれたものが放置されていたりします。最近は全国各地で高価な銅線の盗難事件が多発。
 鉄ははるかに安価ですが、レールは質量があるので撤去、売却した方が利益になるように思えるのですが...。

 なお、長岡線のホームは写真の右側に。それならば...と進むと、右の写真左奥のように木が生長しているため、この道路からホームを見ることはできません。
 個人的には、駅南側に広がる住宅地住民への、越後交通なりの配慮なのではないかと推測しています。

 そこで約25分で寺泊駅に戻り、JR側のホームから撮影した──したがって実際は、5枚目の写真が先──長岡線のホームを撮影したのが右の写真。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
 右端に「ラピュタ」が見えます。

 本当は右側から撮影したかったのですが、生長したススキの背の高さに負けました。長岡線のホームを間近で、しかもじっくりと見たのは初めて。
 ホーム上に、駅舎あるいは待合室跡と推測される構造物跡を確認しました。

 なお寺泊駅(当時は「大河津駅」)の跨線橋は昭和50年代に建設されたもの。それまではホームの先、写真右端付近で、列車の目の前を乗客がゾロゾロと歩いていたことを良く覚えています。
 もちろん、遮断機や信号機などはありません。

 古い航空写真を見る限り、国鉄(当時)線だけでなく、長岡線も同じ横断通路を共用していたようです。(残念ながらセンセイ自身は、当地での運行を見ていない)
 でも当時は、これが普通。

 また最近は、補修維持費軽減の観点から、JR信越本線米山(旧「鉢先(はっさき)」)駅のように、跨線橋を廃止して遮断機を備えた横断通路を復活させる例も。
 寺泊を発ち、大河津で乗客を入れ換えた長岡線の列車は、終点の西長岡駅を目指します。

 大河津駅出発後、列車後部に乗り合わせた乗客が振り返った時に目にしたであろう光景が最後の写真。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
 奥に見えるのは大河津駅の跨線橋。
(ただし長岡線廃止当時、まだ存在していない)

 田舎とはいえ、国鉄および私鉄の駅が並びあって存在するくらいですから、当時はそれなりの交通の拠点。周囲には商店や住宅が建ち並んでおり、長岡線は大河津駅を発つと、いくつもの踏切を通過。
 写真中央とその奥は、それらの跡です。

 ご覧のようにレールがそのまま残されています。一部前述したように、所有者の越後交通の資産管理基準は良くわからない点が。レールや鉄柱を撤去した場所もあれば、そうでない箇所も。
 しかも、後になってから段階的に撤去する時もあります。

 本当に資産を管理できているんだろうか...とすら思えてきます。ま、いいんですけど。

 「首を洗って」寺泊駅へ戻ります。皆様お察しの通り、JRのOBである駅員さん──実年齢はたぶんセンセイの方が上──はニコニコと、「すべて手配がつきました」。ありがたや、ありがたや。

 吉田駅で帽子の存在が確認され、折り返し列車の運転士が渡してくださるそうです。ただし「(運転)業務の関係で(寺泊駅)乗車の時点になるか、終点柏崎駅到着後になるかは約束できません」とのこと。
 しかもご丁寧に、センセイに向けて列車の遅れを教えてくださっただけでなく列車到着後はホームに出て、その旨を運転士に確認。

 (再度)ありがたや、ありがたや...。

 残念ながら駅員の懸念は現実に。列車に乗車して運転士席に向かおうとすると、寺泊駅で下車する乗客が列車の最前部へ。ワンマン運転なので柏崎駅を除き、ここのドアしか開かないのです。
 ただし一部乗客にトラブル発生。

 当該区間はICカード非対応──あちこちに明記されている──にもかかわらず、それを知らずに乗車したのです。かなりやり取りがあった後、運転士は駅舎に走り先ほどの駅員に何事かを伝えます。
 時間もなく、車内では対応できないため、寺泊駅で対応して欲しいと伝えたはず。

 もともと数分遅れだったことに加えて、この対応でさらに遅延。運転士が戻り、問題の乗客が下車すると「柏崎駅で...」と運転士に伝えます。彼は即座に了解し、電車を出発させます。この列車は2駅先の「小島谷(おじまや)」で下り列車と交換。
 越後線は単線なので。

 だから事情を知っている人なら誰もが、運行の遅れを最小限に留めたいと考えているのです。柏崎駅等着後、運転士席に向かい帽子を受け取りました。サインか何か必要かと尋ねると、一切不要とのこと。
 3回目の「ありがたや、ありがたや」。

 今回センセイがポカをしたことは事実。決して褒められたことではありませんが、この種のミスは誰にでも発生すること。問題はその後の対応です。今回は関係者にご迷惑をお掛けしたにもかかわらず、影響は最小限に抑えられました。
 誰かによって支えていただいたわけです。

 決して恩を売っているわけではありませんが逆に、センセイの存在や行為が、少しでも誰かのためになっていたら、それは本当に嬉しい。

 誰もが支え、支えられる。ごく当たり前のことなのに、それが少しずつ難しくなっているように感じられます。

 センセイも「当事者」なので、偉そうなことは言えませんが。



9月21日(日) 西村センセイ、再び大ボケする ──初めて越後線寺泊駅で下車しました(1)──

 先週に引き続き、JRの企画乗車券を譲り受けました。(今回はイレギュラー)

 本当は約1年半ぶりに旧北陸本線市振駅まで行き、途中の糸魚川(いといがわ)でお土産の漬け物を購入するとともに、帰りの浦本で下車して「サンレパス ルート8──こちらも1月以来、ご無沙汰──鶏の唐揚げ定食リニューアル後)を頂こうと考えたのです。
 要するに、物欲を絵に描いたようなプラン。

 差し当たりの問題は先週同様、センセイのパワーと、この雨。

 少なくとも当地に関する限り、暑さには先が見えてきた一方で、センセイのパワーはイマイチ。誤解されると困るのですが、たとえば今日の総歩数は約18,000歩(!!)。「身体が重くて...」などというわけではありません。(だから、決してご心配なきよう)
 そうではなく、「電車に乗って、どこか遠くへ...」という気力が不足気味。

 意外に思われるかもしれませんが、今までの経験からするとたぶん、講義が始まって「忙しいっ!!」という状況になると、なぜか意欲も湧くはず。言い換えると「身体が先で、それに気持ちが続く」。
 こう表現すると、賛同していただける方が増えるのでは。

 天気つまり雨については従うしかありません。昨日の当地は夕方から大荒れの天気(その低気圧が北海道に被害をもたらした)。今日は概ね回復傾向。ただし昨晩の時点での予報は、県西部の「上越」地方は雨が続き、風も残るとのこと。
 特に糸魚川地域で顕著。

 起床後に確かめてみると、確かに県西部では降雨が続いています(実際、同地域のJR大糸線はその後、大雨のため運転取り止めに)。第一案は取り下げ、7月に予定していたものの、痛風で断念したJR越後線寺泊駅訪問プランを採用することに。
 目的はまず、駅および駅舎内の展示を見学すること。

 そして以前お伝えした越後交通長岡線との平面交差──正確には25mほど越後線に乗り入れていた──の様子を地上から確かめること。越後線は何百回も利用していますが、寺泊駅(旧「大河津(おおこうづ)駅」)で乗下車したことはないはず。
 前任校での高校訪問の際、長岡地域から自動車で寺泊に抜ける途中で寺泊駅前を訪れていますが、駅舎に入った記憶はありません。

 駅前の割烹旅館を除けば、駅周辺にはコンビニがあるだけ。(ただし10分ほど歩くと何回も利用したスーパーがある)

 そこで、早めに柏崎市内でお昼を軽く頂いてから、越後線に乗車。1時間弱で寺泊駅が迫ってきました。平面交差の跡を確かめるべく、列車最前部へ移動。
 撮影には失敗したものの、事実関係はこれまで確認した通り。

 寺泊駅で下車したのはセンセイだけでしたが、若者数名が乗車してきました。寺泊駅は実質的に有人駅。日中はたいていJRのOBの方が勤務していらっしゃいます。
 企画乗車券を提示して駅舎の外へ出ると、おぉ、駅は修繕か塗装の工事中。

 ここで、不意に違和感を覚えました。何か足りない...あ"っ。

 先ほど列車最前部へ移動した際、荷物棚の上に帽子を忘れてきたのです。3ヶ月ぶりの大ボケ。電車はすでに大河津分水を渡り切った頃で、走行中。
 終着の吉田駅到着まで、あと約10分。

 どうしようか考えたのですが、ここは寺泊駅に戻り、駅員に事情を説明します。センセイがあれこれ書類を書く一方で、彼は吉田駅に電話。ただし列車が未着なので当然、対応には時間がかかります。
 その間に撮影したのが2枚目の写真。

 国鉄(JR)越後線および越後交通旧長岡線に関する写真や資料が待合室の壁に掲出されています。ほぼ同規模の東柏崎(旧「比角(ひすみ)」)や出雲崎、分水(旧「地蔵堂」)駅などでは見られない光景。
 鉄道ファン的には興味がある内容
──個人的にはほとんど知っていた──ですが、その掲出には賛否両論あると思います。

 ただし少なくとも、かつての大河津駅(現「寺泊駅」)が地域の拠点だったことを踏まえると、許してもらえるかも。ただし現在、駅前にはほぼ何もありません。
 それどころか、冗談抜きで朽ち果てつつある家屋も。
(写真省略)

 ここで寺泊駅訪問の目的を説明──決して隠していたわけではない──し、旧長岡線の様子などを確認した上で戻りたい旨を説明すると、鉄道マンの彼はもう大喜びで快諾。
 実は彼、ご紹介した「にいがた観光ナビ」に登場する方なのです。

 ご親切に、新たに長岡市が発行した越後交通旧長岡線のチラシまで頂きました。すでに確認済の知識とほぼ重なりますが、ご厚意には深謝。
 帰りの電車は約1時間後に到着します。

 それを逃すと次は、約3時間後(!!)。果たしてセンセイは旧長岡線を確認した上で予定の電車に乗車できるのか。そして帽子の行方は?!

 本件、決して意図したものではないのですが、続きます。悪しからず。

 (2日連続で)トホホ...。

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