2025年1月18日更新(2025年1月26日ページ移動)
■1月18日(土) つくづく、Wordは使いにくい... ──写真入りの寒中見舞いを作成しました──
よくご存じ、あるいはお気づきの方も多いと思いますが、センセイは怠け者。
もっとも典型的なのが、締め切り間際にならないと仕事を始めないこと。実は来月上旬に前任校で集中講義の続きを行うことになっています。非合理的な理由で3年ほどブランクがあったため、今年度は教材を大幅に更新。
実は、従来のものを使ってもかまわないのです。ただし基本的にはパワーポイントが存在しない時代に制作したもの。テキストや一部画像は再利用できますが、受講生に最新の情報をお伝えしたいこともあり、やはり全体は作り直すしかない。
それはわかっているのですが、昨夏は割と何とかなったので、腰が重い。「年内(=昨年)には...」が「年が明けたら今度こそ...」になり、最後は「さすがに中旬になったら...」。
トホホ。
印刷作業は先方が担当してくださるので、こちらはワードとパワーポイントのファイルデータ(+α)を作成、提供しさえすればいいのです。でも高精細度の画像を多数使用するため、データ総量は数百MBになるはず。
昨夏つまり前半部分のデータ量は、300MB弱でした。教材が完成したら、このサイトの空き部分──契約容量の0.3%(!!)しか使用していない──を使ってFTP転送するつもり。
でも何らかの理由で転送できない場合は、データをUSBメモリなどに格納して事前に郵送するしかありません。それを考えると、もう時間がない。というわけでさすがに最近は、割と真面目にお仕事。
でも実は、教材制作より急ぐべきものが。寒中見舞いの作成と投函です。
センセイ自身が昨年(喪中ハガキの発送は一昨年)そうであったように、人生にはどうしても欠礼しなければならない場面があります。喪中葉書を頂いてもこれまでは、相手に応じて何もしないか手書きの寒中見舞いを送っていました。
でも今年は今後も考えて、再利用可能な寒中見舞いを作成することに。デザイン(写真)はほぼ、毎年の年賀状に揃えました。旧Mac OSの“PageMaker”という業務用のソフトを使ってサクサクと作業したところ、20分ほどで終了。されど残念ながら、このファイルは使用不可。
(再び)トホホ。旧Mac OS対応の貴重なプリンタを売却して非対応のものに更新したため、そのままでは印刷できないのです。それでもPDFファイル化できれば...と思ったのですが、途中に入る特殊なソフトが正常に動作せず。
昨年末、民生用のソフト──中間のソフトを使用しない──ならPDF化できたのですが...。今後のことを考えるとWindowsの汎用性の高いソフトを使うしかありません。具体的にはワードかパワーポイント。後者は割と何でもできるのですが、精密な作業には向きません。つまりワード一択。
手抜きをしてもいいのなら、実は割と何とでもなるのです。
実は、A4サイズの紙は葉書のほぼ4枚分(正確には異なる)。だから1枚を制作して4枚割付で印刷したり、頑張って1ページに4枚作成すれば手間が省けます。
でも、ちゃんと作成しようとしたその瞬間、目の前に越えがたい壁が立ちはだかります。業界用語で「くわえ」──「銜(くわえ)える」に由来──と言うのですが、ちゃんとした印刷でもプリンタ印刷でも、最外周には紙を引っ張る部分が必要。当然、その部分には印刷できません。
プリンタの場合は余白とほぼ同義だと理解していただいてかまいません。具体的には、周囲に白い部分が残ってもいいのならさほど問題はないのです。でもセンセイは写真左側上部のように、本来のスペースの外側まで印刷。
印刷後の紙を本来のサイズに裁断(「裁ち落とし」)することで見かけ上、最外周まで印刷。そのためには写真のように周囲に余裕を持たせて印刷し、かつ、裁ち落としの目標となる「コーナーポイント」──写真の線は手抜き──を印刷する必要が。
ワードにも「裁ちトンボ」(「オプション」→「詳細設定」)という項目はあるのです。でもこれは文字入力の端を示しているだけで、印刷業界の使い方とは別(ただし、ここで「段落」→「(左右の)インデント」を使うという方法はある)。しかもワードには「マスターページ」という概念がないらしい。(パワーポイントには存在)
ワードにもヘッダ/フッタおよび印刷時の透かし機能は存在しますが、制限が多い。というわけで、すべてを手動で微調整しながら作業を進めます。少しでも本文をいじると全体がおかしくなります。でも今回はそれなりのものを相手様に届けたいので、ここは臥薪嘗胆(がしんしょうたん)。
右側は本物のハガキをスキャンして仮貼りしています。「郵便はがき」という文字や郵便番号の枠を作成して仮画像を削除したら完成。(表面右半分のフローティング部分)
なお上下の文字位置や文字間隔、そして「長体(ちょうたい)」や「平体(ひらたい)」──ワードでの表現は異なる──の設定については、ワードでもかなり対応できることを念のために申し添えます。本当は2ページまで同内容を作成し、両面印刷機能で一気に2枚作成するつもりだったのです。
でもストレスが高まってきたので、断念。(相手様へのストレスではありませんので、誤解なきよう)最後は印刷。確実に刷るため、市販の用紙の中ではかなり重く──128g/m2──しかも綺麗に印刷できる白いマット紙に出力。もちろん問題なく印刷できました。要らない紙を下に敷いた上で、手作業で裁断。
切断面のザラザラがちょっと目立ちます。しかも市販のハガキに比べるとペラペラ気味ですが、そこは手作りということでお許しを。
それにしても教材作成同様、もっと前から始めていればこんなことにはならなかったのに...。
(3回目の)トホホ。
■1月17日(金) 水かきで水面を蹴って飛び立つんだ... ──激しく運動する生物の撮影は難しい──
今日は金曜日。つまりセンセイにとって家族サービスの日。
別な用を先に済ませるべく、1週間ぶりに車を使って前倒しで出発したのですが、そちらの用はあっさりと終了。このまま実家へ向かうと到着が早すぎます。
そこで、ちょっと気になっていた「長峰大池」を経由することに。気象庁の「風雪強し」との予報にもかかわらず、少なくとも日中は天気が回復したこともあります。お伝えしたように前回は天気が良かったからか、池に留まるハクチョウは僅か。
大半は少し離れた餌場(こちらやこちらなど)でお食事中だったはず。車を走らせていると、おぉ、池に近づくにつれて、あちこちの田圃そして上空にハクチョウの群れが。どうかなぁーと思いながら長峰大池到着すると先日とは打って変わり、多くのハクチョウが休んでいます。
その数、ざっと100羽前後。ちなみに駐車場に車は1台、つまりセンセイだけ。後から改めて確認したところ池の反対側、遠いところに2名の方がいらっしゃいましたが。
ハクチョウはというと、以前のようにこちらを警戒している気配はありません。人間が少なく、また存在したとしても距離があるので安心し切っています。基本的には休憩中ですが食後の運動(?)なのか、割と活発に動くものも。
引き揚げようとして車に向かいかけた時、背後から「バサバサッ!!」という大きな音が。4羽のハクチョウが、まさに飛び立とうとしているところ。急いで態勢を立て直して撮影したのが写真。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
写真は中央の2羽(原寸切り出し)ですが、よく見ると離水する直前に水かきを使って水面を蹴っています。漠然とは認識していましたが、ちゃんと見るのは初めて。
ハクチョウは大きく質量があるので、その場ですぐに離水...とはいかないのです。4羽は池の周囲を一周した後、まるでからかうかのようにセンセイの真上を通過して、近くの仲間の所へ。今回は「松」望遠レンズを使用して、運動する生物を初めて撮影しました。
やってみると、本当に難しいというのが実感。それなりに高速で移動する被写体を高倍率レンズで追尾しているので、そもそもファインダー(/液晶画面)の中に捉えられないことが多い。
上手く収めたとしても、今度はピント──すべてAFで撮影──がなかなか合いません。今回や滑空時のように、動きがある程度予測できる場合は何とかなることも。でも実際には、予想外の動きばかりする被写体を追いかけているので、ピント調整が追いつきません。
露出も課題。ピント同様、明るさもすべてオートを選択したのですが、時々雪が吹き付ける曇天とはいえ、空は相対的に明るい。
その中を飛翔するハクチョウを地上から撮影すると、空の明るさに負けてかなり暗く写ってしまいます。ハクチョウはまるでコクチョウに(実話)。晴天のスキー場で撮影した人物写真の、肝心の人間が暗く写ってしまうのと同じ理由です。
他方、今日の写真のように周囲が相対的に暗いと逆に、肝心のハクチョウの露出がオーバー気味に。今日の写真でもハクチョウの羽根の上部がほぼ真っ白。「白飛び」と言われても反論できません。実際のハクチョウは、こちらやこちら(いずれも別ウィンドウ、1280×960)のように、そんなに白くないのです。
誤解なきように申しますが、今日はカメラやレンズの問題点を挙げたいのではなく、センセイの撮影テクニック不足を吐露(とろ)しただけ。もちろんピントや露出の設定──現在はほぼデフォルト──については、よく調べて直す必要があるはず。でも、それ以上に磨かなければならないのは技量。銀塩写真の時代とは違い、高価なフィルム代や現像、焼き付け費用を考慮する必要性は低下。
この好機を生かして場数を踏み、経験知を積み重ねる必要があります。そのスタートラインに立った日の情けない記録ということで、今回はお許しを。
■1月16日(木) こうすることに、何の意味があるんだろう... ──ビルの「テナント募集中」──
文章が長くなりすぎているので、今日は手短に。
写真は市内のディスカウントストアを出たところで撮影したもの。道路の反対側には3階建てのビルがあり現在はご覧のように、1階右側1/3に美容院が入っています。左側2/3は、こくみん共済のお店。
問題は2階。
ここにはかつて保険会社が入居していたのですが正確なタイミングはわからないものの、割と最近撤退。当然、家主および管理会社は次のテナントを募集します。
それ自体は何ら問題ないのです。でも写真をよく見ると、左の窓の内側から張り出された「テナント募集」という掲示は正常ですが、右側は「集募トンナテ」。もちろん逆順にしたもの。
こうすることに、何の意味があるんだろう...。商用自動車の場合には走行方向を意識して、右側側面に「右から左」に社名等を記すことがあります。数字や外国語表記との関係でしょう、最近は滅多に見かけませんが。
また珍しい例として、こちらの「イエローハット」も。趣旨は同じと考えられます。「同じ」とはいえないものの、警備会社の車両などが前を走る車ら不審に思わないよう、鏡文字で「日中ライト点灯中」などと書かれた大きなシールを車体前面に貼っていることも。
先行車両からはミラー越しに、ちゃんと文字を読むことができます。今回もその可能性がないわけではないのですが、それなら「
」とするはず。それに2階という高さを考えると、自動車のルームミラーおよびサイドミラーで読むのは難しい...。
要するに、「わからない」というしかありません。
■1月15日(水) ここにも人間の愛情の尊さと、業の深さが... ──列車内から見た「お弁が滝」──
お気づきかと思いますが、今回のツアーではかなり気合いを入れて撮影。(ただし技量は問わぬよう)
最近購入した望遠および広角レンズ──いずれも中古──の、使い勝手を含めた「性能」を確かめるためです。センセイがそれらの性能を見極めるなんて絶対にできませんが、現時点での評価は十分合格。
というより、とても良いと思う。(特に広角「神」レンズ)最後に撮影したのが、右の写真。滝です。場所は青海川駅(駅舎)の西南西400m。
先日お伝えしたように青海川駅は、「ザ・ホテルシーポート」がある「鴎(かもめ)が鼻」と、写真の「松ヶ崎」という小さな岬に挟まれた入り江にあります。松ヶ崎の付け根(東側)にあるのが、この「お弁が滝」。
落差は約20m。とても名瀑(めいばく)とは言えませんが、海に直接落ちる滝はそんなに多くないと思う。注意さえしていれば、誰でも信越本線の列車内から見ることができます。直江津行など上り列車の場合、青海川(おうみがわ)駅出発直後に入るロックシェッドを抜けてから数秒視認可能。
ただし上り線は山側。位置の関係が撮影は難しい上に、向かい風になるのでカメラが海水の波飛沫を浴びる可能性があり、窓を開けにくいという問題も。そこで写真は帰路、下り列車内から初めて窓を開けて撮影──周囲は無人──したもの。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
滝のクローズアップ(別カット)もオマケします。(別ウィンドウ、1280×960)
ご紹介したリンク先をご覧になった方はご承知でしょうが、「お弁」は佐渡に住んでいた若い女性の名前。柏崎の船頭「藤吉」──船大工との説あり──と恋仲に。
されどやがて藤吉は当地に帰郷。藤吉を恋い慕うお弁は、夜な夜な「たらい舟」で約55kmある佐渡(/越佐)海峡を渡って(!!)、当地へ通います。そもそも二人の関係は道ならぬ恋。
お弁のあまりの熱意に恐れをなした藤吉はある晩、お弁が進路の目標にしていた「番神岬」の灯を消します。お弁は難破し、この地に打ち上げられます。それを知った藤吉も投身。悲恋を哀れんだ人々は、この滝を「お弁が滝」と呼ぶようになったとのこと。
浪曲「佐渡情話」の「お光(みつ)」と「吾作」のモデルです。ちなみに解説中の「おべんが松」がある「諏訪神社」は、ここから東北東に5km弱離れた、市街地西部の「番神諏訪神社」(番神自治会のサイト)を指します。
境内にはお光と吾作の碑があるそうです。お気づきでしょうが、この伝説の核心部分は隣の上越市に伝わる「人魚伝説」(こちらやこちら)と酷似(こくじ)しています。いずれも主題は人間の愛情の尊さと、人間が本質的に持つ業(ごう)の深さ。
決めつけや、スキャンダルとしての嘲笑は容易。でも個人的には、そう簡単に割り切れない悩ましさにこそ人間の本性、そして人間としての存在の意味があるように思われるのですが...。
なかなか賛同していただけないかも。
■1月14日(火) な、なぜ、こんな場所に書店&花屋さんが?! ──糸魚川「村に灯りをともす店」──
糸魚川(いといがわ)鉄分補給ツアーの続き。
今回は糸魚川市の浦本駅から能生(のう)駅まで約6.4kmを徒歩で移動。国道8号線も少し歩きましたが交通量が多く危険なので、大半は並行する「久比岐(くびき)自転車道」(国土交通省)こと県道542号上越糸魚川自転車道線を利用しています。
「久比岐」あるいは「頸城(くびき)」は、『日本書紀』にも登場する新潟県西部の古い呼称。何回かお伝えしましたが、この自転車道の大部分は旧北陸本線の廃線跡を転用したもの(一部例外あり)。全体としては海沿いの国道8号線の、集落を挟んだ内側つまり山側の高い場所を走っています。
坂に弱い蒸気機関車用の鉄道路線だったので、勾配は比較的緩やか。でも実際に訪れてみると、「こんな勾配を蒸気機関車が重い貨物列車を牽引していたのか」と驚かされる場所が多数存在します。機関士および機関助士は本当に大変だっただろうなぁ...などと思いながら歩いていると、え"っ?!
昨日お伝えした「伊藤家住宅」の裏に、写真の新しいお宅が。(左端に見えるのは日本海)
もちろん住宅の存在自体は何ら不思議ではありません。でも外から本棚が見えるし、玄関には何やらマークが。このお宅は商店を兼ねているらしい。
この場所の自転車道は、並行する旧来の自動車道とほぼ一体化。お店は幹線道路の国道8号線から100mほど離れた、絶対に地元民しか利用しない道路に面しています。繰り返しになりますが近くにはコンビニすらない地域の、それも「裏道」。
そんな場所に、なぜ、お洒落なお店が?カメラを準備していると、ガラス越しに女性の姿がチラリと見えました(後から考えると店主つまり奥様だったはず)。入口の引き戸には「孫平(まごばい)books&flowers」。
お伝えしたように、今回はトラブルにより目的地と予定を変更しています。ここから先の予定には時間的余裕があるはずなのですが、確証は持てません。そこでここでは撮影だけしてその場を通り過ぎました。月に2日程度しか営業していない日に訪れた奇遇(きぐう)と知るのは、帰宅してから。
調べてみるとお店のサイトに加えて、SNS(Instagram/Facebook/note)で積極的に情報発信中。ここは私設図書館(兼書店と花屋)。「まごばい」は「孫平(まごへい/まごべい)」が訛ったものと推測されます。県内ではよくあること。関東地方から当地に嫁がれた奥様がご主人──おそらくnote担当──とともに始めたお店だそうです。
キャッチフレーズは「村に灯りをともす店」。店主は、例えば糸魚川市総務部企画定住課が運営する「いといがわ くらしサポートサイト わたしのいと」サイトの「糸魚川でくらす人のライフスタイル」でライター業務を担当されるなど、実に多方面で活躍中。
物事をネガティブに捉えず、「良い」と考えたことを積極的に押し進めるタイプのように思われます。現在は糸魚川駅北大火の経験を後世に引き継ぐべく設置された「糸魚川市駅北広場 キターレ」(1枚目の写真右奥)が活動の中心らしい。
私事で恐縮ですが実は、センセイの母親も彼女に似た性格。ただし2世代(≒60年)も前の、封建的かつ閉鎖的な田舎での出来事。若い方には想像もできないでしょうが、必ずしも良いことばかりではなく、周囲との軋轢(あつれき)も。
されど、それから半世紀以上が経過。単なる時間の変化だけでなく、地方では少子高齢化が劇的に進行しています。今は彼女のように、地域に新しい風を吹かせる人材が評価、重用される時代。その意味で、センセイの母親は早く生まれすぎていたのかも。
でもそうなると、そもそもセンセイは存在していないんですけどね。お店、そしてご主人と奥様のご活躍とご繁栄をお祈りします。
■1月13日(月:祝日) 「サンレパス ルート8」の運営会社は、地域に根ざし、進取の気性に富んだ会社だった
数年前のこと。
金沢での勤務を終えて、糸魚川(いといがわ)市(旧能生(のう)町)木浦(このうら)の国道8号線を自動車で走っていた時、俄には理解できない場面に出くわしました。ここは旧北陸街道沿い、ただし西隣に鬼舞(きぶ)漁港があるなど漁村の要素も。
港は現在、はほとんど利用されていませんが。
されど、かつて国内の物流を支えていたのは陸上輸送ではなく海運。現在の鬼舞漁港が使われていたのかどうかは不明ですが、鬼舞地区には重要文化財の「伊藤家住宅」が。
県内屈指の廻船(かいせん)主の住宅です。多くの自動車が行き交うことを除けば現在は静かな地域に、突然、国道南側にある未舗装の駐車場から鮮やかな青色のパーティードレスを纏った若い女性が1人で現れたのです。
「寒村」とというほどではありませんが、コンビニすら存在しない地域...に、ですよ。彼女は横断歩道で国道を渡ろうとしていました。その瞬間、何が起きているのかを理解。彼女は当地(!!)で開かれる結婚式に参加するのです。
もちろん新婦の友人でしょう。結婚式にはいろいろな様態がありますが、ある種の「式場」が必要。実は横断歩道の先に結婚式場があるのです。それが右の写真の建物。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
当地にはあまりに不釣り合いな施設なので、かなり早い段階でその存在に気づいていたのです。
2枚目は建物の裏側、つまり日本海に面した側から撮影したもの。両脇の建物をご覧いただければ、当地域の雰囲気を感じていただけると思います。式場は2階。
サイトの中では、大きな窓が活用されています。金沢工大移籍後の13年間は電車での移動が主。自動車でこの場所を通過するのは1ヶ月に1回あるかないかという程度なので、この建物の正確な建設時期は不明です。
でもたぶん、15年くらい前からは確実に存在。センセイが感じた違和感は、周囲との不釣り合いさと人の出入りをほとんど見たことがなかったことに由来するもの。関係者の姿を除けば、この施設の利用者と出会ったのは彼女が初めてだったのです。
どう使われているかはわからないけれど、でも、まぁ、結婚式場だと判明したから...と、関心は徐々に低下。ところが4年くらい前から、別な意味で少し気になるように。人の姿を見かけないのは相変わらずですが施設、特に前面の樹木の手入れがなされなくなったのです。
休業/廃業したのかなぁ...などと考えていたのですが、ごく最近、まったく予想外の情報に出くわしました。改めて1枚目の写真、式場の名称に注目すると「ルーシャスフィール ザ シオジオリエンタル」。
ポイントは後半の「シオジ」。外国語ではなく、日本語の「汐路(しおじ)」。「サンレパス ルート8」を運営する「株式会社 味千汐路」の名称です。
ただし、すべてを簡単に決めつけるにはまだ早い。現場を訪れて裏付けを取るしかないのですが、困ったことに木浦地区は能生駅と浦本駅のほぼ中間にあり、駅からだとかなりの距離があります。
そこで4月から半年間(予定)の、自動車での金沢「通勤」の際に確かめようと考えていたのです。されどお伝えしたように、倖か不幸か昨日は列車ダイヤが混乱。当初プラン放棄後、次善策を練っている際に疑問を晴らすべく、浦本駅から能生駅まで歩く途中で現場を訪れることにしたという次第。
従って、今日の説明と実際の撮影順は一致しません。(むしろ、ほぼ逆)3枚目(右)の写真は「サンレパス ルート8」(右端の黄色の建物)から西側を見たところ。中央の奥まった場所にあるのは「味千汐路調理センター」。
その際に言及した元コンビニが左側に見えます。(縮小しているため判然としませんが、能登半島も見えています)
西側に位置を変えて撮影したのが最後の写真。お気づきと思いますが、単なるコンビニにしては店舗が大きすぎます。何より大きな窓を持つ2階が。
1階海側(左側)奥にも見晴らしが良さそうな広いスペース。実際、ここは低い崖の上なので海側の視界は良好。能生移動後、可能な限り「味千汐路」に関する場所を訪れました。まず、駅の南側には「株式会社 味千汐路」と「合資会社 汐路」が入る簡素な建物が。
“JR”能生駅前の案内板によると「株式会社 味千汐路」はかつて、合資会社だったらしい。「味千汐路」は現在、有機JAS認定食品加工および食品加工に加えて、1989年にオープンした道の駅「マリンドリーム能生」2階でレストラン「味千汐路 番屋」を運営。
なお「番屋」については徒歩の行動圏外だったため、今回は訪れていません。(高いので、入ったことはない)株式会社と合資会社の業務分担は不明ですが、少なくとも汐路グループは駅前ビルの2、3階で「汐路駅前店」も運営。この日は「糸魚川市消防団様」の札が。1階は「汐路 酔虎傳(すいこでん)」。
昼は食堂、夜は居酒屋として使われているようです。これらに加えて、今回訪れた「ルーシャスフィール」。長くなりました。
現在残されている建物等から推測できる範囲内で情報を時間順に整理すると、地元の関係者が資金を拠出しあって(?)設立された「汐路」は進取の気性に富み、約40〜45年前(?)に広い駐車場を備えたコンビニ事業を開始。
その際、おそらくそれ以前から始めていたレストラン事業(1F)+割烹(2F)の施設も併設。「マリンドリーム能生」オープンと「番屋」の開業、そして道路反対側へのセブンイレブン進出を受けて、4枚目の写真施設の機能を徐々に縮小させて、レストラン関係の食材準備業務は奥の「調理センター」に集約。
他方、順番はわかりませんが有機食品加工にも進出。現地を訪れるとわかりますが、旧能生地区の住民にとって「汐路」はなくてはない場所。お昼は「汐路でラーメン...」そして何かの行事の打ち上げは「今晩は汐路で...」というイメージ。しかも変わり身が早く、時代の変化に対応。
もちろん、今回のように失敗した事案も多いはずですが。グループ全体の経営状況は不明ですが、大損はしていないと思う。それだけでなく、田舎でこれだけの事業を継続することによって、本当に多くの雇用を生んでいるはず。
地元の方が「サンレパス」を、ふらっと訪れたくなるわけだ...。
■1月12日(日) 西村センセイ、架線凍結によるダイヤ混乱もめげず、久しぶりに鉄分を補給する
タイトル通りのお話。
今日は珍しく落ち着いた天気になることが確実視されるため、譲り受けた企画乗車券を使って久しぶりに「鉄分」を補給することに。そもそも昨年後半は種々の事情で鉄道旅行を断念(こちらやこちら)しています。
しかも『時刻表』を「読んで」いて、最近気づいたことが。使うのは今回も県内各鉄道路線──福島県および山形県の一部を含む──が乗り放題となる「えちごツーデーパス」企画乗車券。ただし新潟県は北東から南西へ長細いためセンセイの利用は、どうしても県中越および上越に片寄りがち。
その上で、できるだけ通常の時刻に起床して、我が家の門限である17時頃までに帰宅できるコースを探究し尽くしたつもりだったのです。(たぶんこの条件下での見落としはない)でも条件を少し緩めて、出発時刻を1時間ほど早めると、おぉ...。
早起きして食事を済ませ、血圧──「平均」107mmHg──測定後に運転状況を確かめると、心配していた事態に。「信越本線内で架線が凍結し...」。今朝はある程度冷え込んだのですが、それに加えて昨日の湿度は高かった。
心配していたのですが、やはり架線凍結という事態に。されど大枠の予定は変更したくないので状況に応じて対応することにし、自宅を発ちます。湿った路面はいたるところ凍結しており、細心の注意が必要でした。無事駅に到着すると、架線凍結が起きたのは長岡駅構内とのこと。
目的の電車は36分遅れで運転中。
今日は直江津で旧信越本線に乗り換えて、まず妙高高原駅まで往復。新潟県西部の「上越」は、例年になく少雪──ただし、ほとんど報道されていない──のです。それでも県境付近はやはり、平場とは違う積雪量。
雪の妙高を訪れたのは15年くらい前、弟家族とスキー場を訪れて以来なので、楽しみにしていたのです。直江津まで戻ったら旧北陸本線に乗り換え、浦本駅から「サンレパス ルート8」まで歩いて「鶏の唐揚げ定食」を頂く。ここ半年ほどご無沙汰しています。
浦本駅まで戻ったら、その先の糸魚川駅まで足を伸ばし、隣接する物産展で漬け物を購入して帰宅。完璧だ。残念ながらこの「プランA」は断念するしかありません。どうしようかと思案しつつ、冷え込んだホームへ。新潟、長岡方面の下り列車は次々と到着。乗ってもいいのですが、ここは原案の趣旨を大切にすることに。
待避側線にはJR東日本所属の“EF-64”型直流電気機関車1031号機。まさに「霜取り」列車として与えられた任務を終えて快速列車、特急、そして各駅停車の通過を待っているところです。残念ながらこの1031号機は遠くない将来、廃車になる運命。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
自動車の車検に相当する「全般検査」を終えてから日がないようで、ピカピカです。到着した各駅停車に乗りこみます。車内はガラガラ。
眺めの良い席に座ります。天気についてはあまり期待していなかったのですが今日は、北は弥彦山から角田山、そして北西には佐渡がはっきりと見えます。
感覚的には「手を伸ばせば...」という感じ。新潟県に関する限り、低気圧が西側から迫りつつあり天気が悪くなり始める時にこのように見通しが良くなる事象があることが知られています。
実際、午後から天気は下り坂。右の写真は帰路、青海川駅付近つまり昨日お伝えした窓ガラス破損現場の下で撮影したもの(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))。水平線上、青白く見えているのは「小佐渡」。
良く見ると写真左側などに高い山が多い、北側の「大佐渡」がはっきりと。拡大写真では、この寒さの中を疾走するモーターボート(左側水平線付近)および操業中(?)の漁船(その右側)も確認できます。で、センセイ。
「雪の妙高高原」はとうの昔に放棄。与えられた条件下でいろいろ考えた結果、旧北陸本線に乗って「サンレパス ルート8」から「糸魚川駅でお土産購入」コースを選択。されど転んでも、タダでは起きない。
この機会に、以前から気になっていた複数の場所を自分の足──不便な場所なので、自動車で通った際に確かめるしかないと考えていた──で訪れることに。実際、その通りに行動した結果、今日の総歩数は21,879歩。
歩いた距離は、約16.7km。しかも、まったく予想だにしなかったことに...。(続く)