2014年3月8日更新(2014年3月16日ページ移動。2017年3月13日一部写真削除)
■3月8日(土) 地元のバスが「おかげさまで 今年で100周年 越後交通」の幕を掲げて運行しています
先週自宅に戻った時に気づいたのですが、新潟県の中央部(「中越地方」)で路線バス、観光バスを運行している越後交通のバスが、「おかげさまで 今年で100周年 越後交通」の幕をつけて走行しています。
バスの運転時刻を確かめるために、自宅近くの営業所を訪れた際に撮影したのが写真。調べてみると母体となる会社の中の一つが確かに、1914(大正3)年3月3日、つまり100年前に設立されています。
もっとも当時は現在のようなバス会社ではなく、鉄道会社で、設立翌年から鉄道を運行しています。ホームページの上段に、当時使用されていた電車の姿を見ることができます。
母親の実家がその路線の終点(旧栃尾市)近くだったので、センセイも子供の頃はよく利用しました。しかしその後は鉄道からバス会社へ変換。さらにモータリゼーションの進行、つまり自家用車の増加と利用者の減少に伴って、1960(昭和35)年にいくつかの会社が合併し、越後交通が発足しています。
その後も利用客の減少は続き、不採算路線を別会社化。この営業所も、越後交通と分社化された会社が同居しています。100年という歴史は、民営鉄道・バス会社の中では相当古い方。この間に、社会の中心は田舎から都市部、特に首都圏へ移動しました。
信じてもらえないかもしれませんが、戦前の日本において、人口の大半は都市部ではなく地方に居住していたのです。交通手段もさらに変化。センセイだって、前任校の時は路線バスとJR、そして自家用車を併用しました。
でも勤務先と移動形態が変わったこともあり、現在ではバスをほとんど使いません。僅かに、荷物がある時や天気が悪い時に柏崎駅前とこの営業所の間だけ乗せてもらう程度。
利用頻度は年に数回。運賃は150円。しかし高齢の父がそうしたように、老齢になり運転免許を返納──センセイだってやがてそうなる──した人、あるいはもともと持っていない人も実はたくさんいらっしゃいます。
都市部だって事情は同じ。(実はむしろ、状況はさらに厳しい)県庁所在地の新潟市との間にはこれまで、日中は1時間おきに高速バスが運行されていました。センセイも良く乗ったのですが、その当時は時々、乗り切れない人が出たほど。
今だからバラしちゃいますが満席になり、運転手の判断でお客さんにステップに立ってもらったこともあります。しかしこの4月から共同運航先の新潟交通がこの路線から撤退。越後交通の単独運行となります。利用客が減って、採算が合わなくなったんでしょうね。
老人だけでなく、お金がないためバスを利用していた若者も困ることになります。だからこそ、これからも頑張ってもらいたいと思っているのです。
■3月7日(金) 新潟県内はセンセイが想定していた以上の大荒れ。真冬の天気に戻っています
今日はいくつかの大学公式行事が開かれることになっているのですが、センセイはそのいずれもキャンセル。1月下旬の入学試験の代休(休日出勤)を頂戴しました。
私用で今日の夕方までに自宅へ戻る必要があるのです。もっとも、このところサボり気味だったこともあって、相手のある仕事が遅れに遅れています。そのため早朝から大学の研究室をお借りして、その後始末。今日は決して「出勤」ではありませんので、念のため。
また関係者の皆様、ご連絡やお返事は明朝以降に行いますので、もう少々お待ちを。かなり頑張ったのですが、時間切れ。お昼過ぎに大学を離れます。雪と風による大荒れとの予報にやや相違して、金沢と富山の日中の天気は比較的良好。ただし気温はこの時期にしてはかなり低め。
往路同様、今日も318iは柔ら目にヘタってきたサスペンションを除けば絶好調。不調な時なんてあるんだろうかと訝ってしまうほど。......こんな凄いものを造ってしまう人々と、万が一にも戦うことがあったら、絶対に負けるな。
石川−富山の県境を一般道で抜けると、先日の凄惨なバス事故現場脇を通り抜けます。実はセンセイ、事故の12時間ほど前に現場(高速道路本線上)を通っているのです。複雑な気持ち。
ハンドルを握る両手に、力が入ってしまいます。走行中に聴いていた富山県内のラジオニュースと交通情報によると、問題のバスは事故現場の相当手前から蛇行していたそうで、今日は車線を規制して現場検証を実施中とのこと。
でも少なくともセンセイが視認した範囲内では確認できませんでした。そのまま新潟県内に入り、上越市を通過したころまでは良かったのです。
不意に風と雪が強くなってきました。場所によっては横殴りの雪で前がよく見えないほど。路面上に雪が積もっていて、走行にはかなり注意が必要な状態。
気温も急激に低下し、車外気温計は-1.5℃を表示したまま。自宅のある柏崎市に近づくと不意に風雪がおさまりました。
さすがにこのまま漫然と走行することに危険を感じて、米山大橋を過ぎたところで少し休むことにしました。
橋の下に降りて撮影したのが写真。写真中央奥(少し左)はJR東日本青海川駅。「日本一海に近い駅」の一つとして知られています。
TBSが制作したドラマその他の中で登場しています。確かにホームの下はすぐ日本海だったのですが、2007年の新潟県中越沖地震で崖(写真左奥)から崩れた土砂で線路が埋まってしまいました。
信越本線そのものは約2ヶ月後に復旧しその後、青海川駅舎も新築されました。向こうに広がるのは日本海。海岸近くは真っ白です。海からの風が強いことを示しています。
気を取り直して車を進めると、再び風雪で前が見えなくなってしまいました。木々の枝々も初冬のように真っ白。それでも降雪量は大したことないのです。
しかしとにかく冷え込み、しかも北風が強い。本格的な春を目の前──今日は冬物の衣類をすべて持ち帰ってしまった──にしながら、何だか今冬はむやみに頑張っているシベリア冬将軍の力を見せつけられたような今日。
......疲れた。
■3月6日(木) 不調だったPowerBook G4 12"(Aluminium)を再整備し、SSD化しました
大学は春休みに入っています。でもそれは、学生の話。
毎日事務作業やら会議、打合せにあちこちとの調整ばかり......ふぅ。でも講義はない──それはそれでちょっと寂しい──ので、その気になれば集中的に作業できます。
そこでこの機会に、瀕死のPowerBook G4 12"(Aluminium)を再整備しました。「そんな時間があったら、取引先の迷惑を考えて仕事をしろ!!」との声がセンセイの頭の中で響きますが、聞こえなかったことにします。関係者の皆様、お許しを。
メンテナンスソフトの報告によるとHDDに深刻な障害が発生しているとのこと。非常用に確保しておいた64GのSSDがあるので、それに換装することにします。まずは開腹手術。Web上の情報をもとに作業しましたが、難易度は中くらい。
寄せ木細工のようなPowerBook 2400cほど難しくはありません。写真左下がHDD/SSDのスペースで、右隣はバッテリーが収納される場所。その上はDVD-Rドライブです。
左上はCPU関係で放熱対策の様子が良くわかります。再び組み立てて、基本のOSをインストールします。その所要時間は約20分。
この時間を利用して、元のHDDを外付けケースに収め、他のMacから点検します。ダメもとです。
すると、何も問題ないとのこと。う〜ん、どうなっているのでしょう。でもそれなら、HDDの内容をSSDにそのまま戻すことができます。Macならではの技。ところが......あれ?!
容量が足りません。ぴったりだと思っていた64GのSSDが、半分の32Gしかないのです。再度分解して本体を確かめると、確かに32G。
どうやら64Gのものは使ってしまって、32Gをその箱に収めていたようなのです。どうしようかと思ったのですが、無事に使えることは確認したし、お伝えしたようにこのPowerBook G4 12"(Aluminium)は、Windows/Macintoshを問わず、現在センセイが使用するすべてのマシンに接続できる、貴重な存在。
そこで新たに128GのSSDを購入し、再度システムをインストールしました。もう10年近く前のものなので、使用しているインターフェースの規格が古く、SSD化しても書き込み速度はそれほど向上しないのです。しかし読み出しはかなり高速です。
しかもHDDのあの振動とアクセス音から解放されます。いろいろ大変だったし、やはり寿命が近づいているようで、まれに「どうしてここで?」という場所でフリーズしてしまうのですが、それでもPowerBook G4 12"(Aluminium)は筋が良い。
お互いの命が続く限り、使っていきたいと思っています。あ、そうそう。
もし皆さんの中にPowerBook G4 12"(Aluminium)を使用している方がいらっしゃって、HDDが限界に近づきつつあるようでしたら、SSDへの交換を強くお勧めします。
当方にご連絡いただければ、実費(部品代、送料その他)だけで作業いたします。ぜひぜひ前向きに、ご検討ください。
■3月5日(水) 果たして国内に「ものづくり」は残るんだろうか... ──車で空箱を運んで気づいたこと──
冬物の衣類を春物に入れ替えたりする必要があるので、今週は車で金沢に来ています。例によってドライブそのものは極めて快調。一部高速道路を使って、平均速度は約50km/h。燃費は19.0L/km。
信じてもらえないだろうなぁ。それはともかく、今回は衣類や野菜、(美味しい地元産の)お米に加えて、大きな空箱を1つ運びました。先日、自宅書斎用に購入した業務用カラーモニタの空箱です。
自宅に残しておいても何の問題もないのです。でも金沢のアパートはもともと少人数家族用で、収納スペースがたっぷりあるので、そちらに運ぶことにしたのです。
使い捨ての機器の箱は捨てますが、長持ちさせる機器のものは別。再び運搬することがあるかもしれません。
買い換えなどで専門業者に買い取ってもらう可能性だってないわけじゃない。ちなみに2年前に購入したモニタの買い取り価格は現在、250,000円。民生用では考えられない価格です。
高いけどきっちりと長く働かせる。「安物買いの銭失い」の反対ですね。アパートに無事到着し、何も考えずに箱をしまおうとして、箱のデザインが新旧で少し違っていることに気づきました。
最初は2年前のもの(奥)も今回購入したもの(右手前)もまったく同じだと思っていたのです。そこで改めて箱をよく見ていたら、ある文字が目に入りました。
右手前の箱の右下隅、機種名の下に、“MADE IN CHINA / FABRIQUE EN CHINE”。(3枚目の写真)
英語とフランス語で、「中国製」。前の箱を調べると、同じ場所に製造国は書かれておらず、別な場所に「日本製」と表示されています。(2枚目の写真)
びっくりしました。中国製だからダメだ、と言っているのではありません。金沢工大へ移籍した時に購入したブラウン管式カラーモニタはイギリス製でした。
現在もSD映像用として現役(写真の右奥)です。日本の企業であっても、特に大量生産品などは人件費の安い中国や東南アジアで製造することが当たり前になっています。
でも業務用機器など少量多品種は、国内で一貫生産した方が品質もコントロールしやすいし、トータルコストを抑えられるはずと考えていたのです。この機種の場合、開発、製造当初は国内で生産しましたが、製造プロセスが安定してきたので外国で組み立てることにした、ということなのでしょう。
このシリーズは、1年前に生産が累計2万台を超えたヒット商品群で、業務用としてはかなりの数を製造しているからかもしれません。う〜ん、でも、こんな特殊な製品まで外国で製造するようなら、もう国内で生産する工業製品、特に民生用の家電製品なんか、ほとんど存在しないんじゃないだろうか。
■3月4日(火) 工大前の交差点の信号が、歩車分離式に変更されました
タイトル通りの、そしてどちらかというと工大OG・OBの皆さん向けの話題です。
日出の時刻が早くなってきたのでセンセイの出勤も早くなっています。研究室到着後はまず、入れたてコーヒーを飲みながらサンドウィッチを頂き、ニュースをざっとチェック。
朝早い時は通常、途中のコンビニでサンドウィッチを買うのです。でもこの頃はもっぱら、大学前のパン屋さん(写真奥)。新鮮で美味しいし、コンビニより安い。ただし開店は7時半なので、その直前まで研究室で片づけものなどをしてから、店へ向います。
途中、交差点を渡るのですが、たいてい赤信号。横の自動車用の信号機が赤になったことを確かめて、いつものように横断歩道を渡ろうとすると......正面の歩行者用が青に変わりません!!
ここでやっと、大学からの通知を思い出しました。歩行者が多いので、3月1日から歩車分離式になったのです。写真はお昼に撮影したもの。
3カ所の歩行者用信号がすべて青色になっています。歩いている──一部は保育器に乗せられている──のは保育園の園児たち。引率の先生方もまだ慣れていないらしい。
あちこちを見渡し、さらにお互いに確認しながらの横断でした。ちなみに、大学のある野々市町が野々市市になってから、つまり市制へ移行してから2年半が経過しました。
各種の標識類の大半はすぐに変更されましたが、本日現在、この交差点の「野々市町 工大前」はそのままです。ま、いいんですけど。
■3月3日(月) きっかけは、黒いビスを1個落としてしまったこと ──修理中のMac mini(PPC)が1台頓死!?
──
2005年、2006年と続けて購入し、金沢のアパートと自宅で使ってきたMac mini(PowerPC)。
その後のインテル機の導入で、残念ながらここ数年は半ば引退状態が続いていました。性能面では新鋭機に見劣りします。でもセンセイの場合、それ以上に問題だったのがWindowsネットワークとの接続が安定しないこと。
Windowsにきちんと繋がるMacOS 9マシンは、今だにバリバリの現役なのです。幸いにもネットワーク機能は回復しました。ただし小さな問題は残っています。久しぶりに再起動したら時計が狂っているのです。設定を保存する電池が機能しなくなっているんですね。
ネットに繋がっていれば起動後すぐに修正されるのであまり問題になりません。でも金沢のアパートは、必要な時だけ無線(iPhone 5によるテザリング)で接続する方式。そのためセンセイの使い方では、Mac mini(PowerPC)はPowerBook G4(Titan)同様、ネットに接続できません。
可能ならば電池を交換したい。昔のMacは特殊な、しかし長持ちする電池──1,000円くらいする──を使っていたのですが、調べてみると何と、Mac miniの頃から“CR2032”というボタン型のリチウムイオン電池に変更されています。
100円ショップで2個入りで売っているヤツです。他の用途に2個持っていたし、ネットで調べたら簡単そうだったので、この機会に2台とも交換することにしました。
まずは開腹手術。初めての時は大変でしたが、今はもう慣れました。ヘラ1枚で簡単に開けることができます。
目的の電池は写真右下(実機では向かって正面左上)、排気ファンの下に収められています。ところが目の前に見えているのに、なかなか取り出すことができません。ネットの情報とはかなり異なっていました。
仕方ないので、各パーツを上から分解します。まず一番上のDVD-Rを外し──本来は不要な作業でした──配線を切らないように注意しながら内部の構造を確かめます。
結局、写真の一番下にある基盤と、上のブロック全体を切り離せば良かったのです。しかも電池交換だけならネジ3カ所を緩めて、写真のように前部を浮かせれば作業できます。事前の情報ではネジの1本が特殊なものだとのことでしたが、そんなこともありませんでした。
電池を交換後、逆の順番で框体を組み立てます。電源を投入すると無事に起動。ついでにP-RAMクリアを兼ねて再起動すると......今度はちゃんと起動しません。起動画面のある場所から先に進まないのです。
もう一度再起動すると、おぉ、今度はデバイスそのものを認識しなくなってしまいました!!もちろん再度分解。
疲れが出てきたためでしょうか西村センセイ、この作業中に黒いビス(ネジ)を1個床に落としてしまいました。この頃からセンセイとMac mini(PowerPC)の関係が少しずつおかしくなっていきます。
接触に問題はないので、疑われるのはディスクのトラブル。起動直後に「ターゲットディスクモード」という特殊なモードにも入らないので、システムディスクから起動させることに。これならどんなに酷くても再起動するはず......だったのです。
それどころかディスクを飲み込んだまま電源が切れてしまいました。強制排出も受け付けません。絶体絶命です。
もちろん改めて分解。内部に引き込まれたままのシステムディスクは、DVD-Rユニットの上蓋を開けて取り出します。
次にHDDを臨時に、PoweBook G4 12"(Aluminium)用のSSDに交換。HDDの交換はかなり大変で、写真のようにほとんど完全に分解する必要がありました。
ところで、この過程で伝えられていたHDDの温度センサは存在しないことが判明しました。情報は結構間違っているんですね。
それはそれとして、残念ながら何回やってもデバイスを認識しません。どうやらもう、諦めるしかないようです。このマシンはもう1台のMac miniのための部品取りと割り切ることにします。
製造後約9年、天寿を迎えたのでしょう。
電池はまだ使えるので取り外し、再度組み立てて確認の為に電源を入れると、あれ、まぁ、何事もなかったかのように起動。電池がないので、時刻は狂っていますが。
結局、再度電池を装着し、普通に使えるようになりました。ただし相変わらず、なぜか時計は狂ったまま。
良家の出身でプライドが高いため、自分を記憶する電池が100円ショップで買った安物だという事実は素直に受け入れられない......かのようです。
■3月2日(日) あまりにも酷すぎる ──新潟市西蒲区で海の家8棟が全焼──
この週末、所用で新潟市まで往復しました。車を使ったので、経路は自由。そこで帰路は日本海に沿って走る国道402号線「越後七浦シーサイドライン」を走りました。
風光明媚だし、カーブと坂道が連続するので318iで走ると楽しいし。でも今回は別な理由があります。お察しの通り、センセイが知っている場所で先日、大きな火事があったというのです。場所は新潟市西蒲(にしかん)区間瀬(まぜ)。
間瀬集落の北隣の入り江に「間瀬下山海水浴場」があり、「海の家」──報道機関を含めて新潟の人は「浜茶屋」と呼ぶ──が密集して並んでいます。
報道によると2月18日の未明にその中の1棟から出火し、8棟が全焼してしまったとのこと。短いトンネルを抜けて現場に出ると、無惨としか言いようがありません。胸が痛くなります。
かなり広い場所なのですが、赤茶色に焼けてひしゃげた鉄板が一面に散乱しています。鉄筋の1棟のみがかつての形状を伝えていますが、他の建物はコンクリートの基礎を見ないと何が何だかまったくわかりません。
「不審火と失火の両面で捜査」とのことですが、前者だろうなぁ。道路を挟んだ反対側に、日本海側では珍しい 「日本海間瀬サーキット」があるのですが、その建物の一部も黒く焼け焦げていました。
最初は「ここにも放火したのか...」と思ったのですが、こちらは類焼だそうです。火災現場から100mくらい離れていますす。想像を絶するような火の勢いだったんでしょうね。
幸いにもけが人はありませんでした。いつも、できれば何かほっとするようなニュースをお伝えしようと心がけているのですが、今回ばかりは救いようがありません。暗澹(あんたん)たる気持ちになってしまいます。
誰もが持つ、人間の暗い一面(ダークサイド)の深さを思い知らされます。