2024年4月27更新(2024年5月5日ページ移動)
■4月27日(土) こちらは(ほぼ)毎日が日曜日のようなもの ──世の中は大型連休に突入!!
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今日から、ゴールデンウィーク。
当地は天気予報よりやや悪い方に傾いて、終日薄曇り。残念ながらスッキリとは晴れませんでしたが、日中は気温が上昇して過ごしやすい1日に。陽気に誘われて、拙宅近くの駅前公園には多くの家族連れが繰り出しました。
今年は前半と後半と、きれいに分かれての大型連休。サービス業はともかく、製造業では間の3日をお休みにして、最大10連休とする会社も。大手ポンプメーカーに勤務する甥も「1週間の休みをもらった」そうで、数年ぶりに祖父母宅、つまりセンセイの実家を訪れることに。
というわけで次期ご当主様(予定)のセンセイは、朝から実家へ「ご出勤」。両親の食料は一昨日確保したばかり。ただしその後に甥の件が確定したので、まずはお昼の買い出しへ。戻ると、すぐ下の弟と甥は既に到着済。優しい甥は室内を清掃中。
こちらの手が回らず、申し訳ない。弟には別な目的が。「雨後の筍」掘りです。実は筍の探索も、発見した筍の収穫も弟の方が上手い。食事の準備をしていると、実家の裏に弟の姿が見えました。
勝手口に回ると、おぉ、掘った15本もの筍を整理中。先日と異なり、いずれもかなり大きく、しかもかなり揃っています。つまり予想通り、一昨日は小さくて見つけられなかった「雨後の筍」が僅か約48時間で、ここまで一斉に生長したということ。
早めのお昼を頂きます。数年ぶりだから...ということが関係しているのかもしれませんが大学卒業後、12年間社会人を経験した甥はいろいろな意味で成長し、逞(たくま)しくなっていました。
仕事に不満はなく、「長く働きたい(会社)」とのこと。それは何より。そして、さすが国内最大手。ただし彼の仕事における取引先は、ほぼ完全に、お役所。「官尊民卑(かんそんみんぴ)」──実際の発言はもっとストレートだった──が露骨だと吐露(とろ)していました。(このことからも、彼の成長ぶりがわかる)
なるほど、大変なんだぁ...。日本酒の回った父親、つまり甥にとっての祖父がこのあたりから冗舌(じょうぜつ)になり始め、やがて延々と皆に説教を。彼は元地方公務員。県庁内でのキャリア組ではなく、そのすぐ下のポジションで約40年働きました。
センセイが学業を続けることができたのは紛(まが/まご)う方なく、彼のおかげ。その点には感謝しますが、現在、甥が相手にしているのはまさに、現役時代の父親のような人たちに違いありません。自分の言葉にも酔った父親はもはや、自身がどう見られているのかを判断することができなくなっています。
やや後味の悪いお昼を済ませて、弟と甥、そしてセンセイはそれぞれ帰路に。ところが夕方、母親から電話があって、何と、センセイは明日も「出勤」することに。でも、ま、しかたない。
それがお役目だし、しかも(大学院の講義と移動のための火曜、水曜を除けば、)こちらは毎日が日曜日のようなものなので。
■4月26日(金) あたかも見頃を、実家の筍に合わせるかのように... ──市内の母校を訪れました──
季節のお話を、もう1日だけ。
先週そして今週と、大学院の講義を実施。やはり少し疲れました。もともと加齢に伴い1コマの講義後、研究室で1時間程度の休息を要するようになっていたのです。ぼんやりしているだけで、昼寝をしているわけではないのですが。
しかも退職後は新たに、講義の前後に長距離移動が発生。現役の時は日曜日と、講義のない金曜日に移動。だから「この両日は移動に専念できる」──実際はそれほど簡単ではない──というイメージ。お伝えしたように、今年度はこれまで2回とも自動車で移動。
当然、移動中の(ほぼ)全責任を背負います。それ故、運転を終えてもしばらく身体の緊張状態が抜けず、翌日くらいまで血圧が高め。当然、「それなら電車にすれば...」ということに。
ご助言はありがたいのですが西村センセイ、やはり新幹線を好きになれない...。在来線の移動だと精神的なストレスは低いのですが、時間がかかる。というわけで、いずれの移動手段も「帯に短く、襷(たすき)に長し」状態。
ただし、連休明けの次回は他の事情もあって、すべて在来線で移動します。その後の移動方法については、様子を見て判断するつもり。金沢への移動手段とは別に、講義の初回はどうしても気を使います。でも2回目、つまり今週になるとこちらも受講生も、かなりリラックス。
この点は現役時代と同じです。昨年度と違い、今年度は講義終了直後に車のハンドルを握りました。それでも昨日はかなりゆっくりできたので、心身ともにある程度余裕が。
そこで今日の午前中、他の件で外出したついでに、市内の母校を訪れました。2002年末に植樹した「ニュートンのりんごの木」(標識)の様子を確かめるためです。
今までの経験から当地では、金沢での桜やりんごの開花より数日から1週間弱程度遅い傾向が。金沢工大の「りんごの木」もそうなのですが、りんごは若葉が出てから開花するので、桜のように「辺り一面が淡いピンク一色に...」というわけにはいきません。
正直なところ、遠くからではなかなか絵にならない。でも近づいてみると、右の写真のように可憐な花を多数咲かせています。やはり金沢工大のりんごの木より数日遅く、見頃は今週末から来週前半。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
撮影していると、チャイムの音が。授業終了のものだったようで、俄(にわか)に建物内が騒々しくなりました。どうやら体育の授業で、隣の市営グラウンドへ移動するクラスもあるらしい。
先輩ぶるつもりはありませんが、りんごの木同様、後輩に当たる生徒達も順調に成長しているようです。ここはやはり、「老兵は死なず。ただ消え去るのみ」でしょう。
■4月25日(木) 「雨後...」のピークは、週末から来週いっぱいになりそう... ──筍を収穫しました──
昨晩、実家の母親から電話が。
用件の可能性は二つ。昨日午前中までの雨を受けて筍が出始めたか、大手メーカー勤務の甥が数年ぶりで実家に立ち寄る日程が決まったかのどちらか。ただし、いくら「雨後の筍」とはいえ、前者はチト早過ぎる。
後者だとすると、実家に来るのはこの週末か...。結果は、予想外の前者。どうやら昨日、一昨日の雨とは無関係に先週同様、陽当たりの良い場所で筍が出始めたらしい。ただし朝のうちは仕事が。こちらも先週同様、昨日の講義の録画に一部欠落があったのです。
欠落部分は20分ほど。バックアップシステムのHDVテープの内容をブルーレイレコーダのHDDへダビングしてからDVD-RWに焼き、そこからMacでデータを読み取ります。
単純作業なのですが、トラブルがなかったとしても手間と時間はかかる。(先週はトラブルが続発した)1時間ほどかけて作業終了。公開前には内容のチェックが必要。だから大学のシステムへのアップロードは帰宅後にすることに。早めのお昼を頂いた後、実家へ向かいました。
両親の1週間分の食料を買い込んでから、いよいよ筍掘りへ。最初は裏の崖へ向かったのですが、こちらは筍の姿を確認できず。もともとここは、敷地内で最も遅く筍が出てくる場所なのです。続いて、裏山へ。
するとまず、所有地への道の上に、大きな筍が1本。そのままにしておくと通行の邪魔になる──やがて通れなくなる可能性も──ので、これは無条件で収穫OK。実家の土地に入ります。
最初はまったく目に入らなかったのですが、改めて、よぉーく見ると、ポツンポツンと筍の緑色の先端部分が。裏山の所有地を一巡して収穫したのが写真の筍。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
ご覧のように大きく生長したもののと、まだまだ小さなものとの両極端。おそらく、前者は今回の降雨と無関係に出てきたもので、後者が「雨後の筍」。この調子だと、筍のピークの一つは今週末。
来週半ばには再び雨が降るとの予報なので、崖の部分では来週後半にたくさん出てきそう。筍は大きくなると硬くなる傾向があります。そこで小さなものを中心に、間もなく99歳になる、つまり白寿(はくじゅ)──「百」という漢字から一番上の「一」を抜くと「白」になるため──を迎える父方の伯母宅へ届けました。
この時季だけの、しかもごく短い期間の恵みです。
■4月24日(水) よく働いた(?)日のご褒美は... ──「ニュートンのりんごの木」に花が咲きました──
今日はタイトル通りのお話を。
お伝えしたように、先週から始まった金沢工大大学院の講義については、初回そして今回と、続けて自動車で移動しました。1回目は荷物が多かったため。先週は大型の三脚まで運んだほど。
もっとも、三脚を使用することはなかったので、こちらは自宅に持ち帰りましたが。
でも白状したように自動車にした本当の理由は、BMWが走りたがっていたから。昨年度はすべて列車で移動したのでBMWはその本領を発揮できず、ずっとウズウズしたままだったのです。(実話)
そこでこの機会に、BMWの「走りたい」という要望に応える(?)だけでなく、金沢のディーラーで点検、整備していただくことに。昨春、飛び石で傷ついたボンネットを再塗装していただいた際に指摘された点が。エンジンおよびミッションを固定しているゴム製の「マウント」と呼ばれる部品が経年劣化しているため、エンジン始動時にやや大きな音がするというのです。
実際、特に冬期──ゴムなので、低温では硬くなる──で目立つため、気になっていました。
さすがに点検整備のためだけに自動車を金沢まで移動させるのは難しいので、何もしないまま今日に。昨日はまず、金沢工大の、そのさらに先にあるディーラーへ向かいました。
やはり市街地での走行は、郊外でのそれよりも気を使います。点検の結果はというと、意外にも無罪放免。気温が少し高くなっていること、また既に新潟から約240kmも走行しているため、部品が暖まって弾力を増しているからでしょうか。
でもやはり、ここは専門家の意見に従います。ところで、来週の金沢工大での大学院講義はお休み。センセイがサボったのではなく、大学の講義計画によるものです。次回講義は連休明けの週に。
西村センセイ、その週の行動は特別で、火曜日に金沢へ移動し、金曜日に金沢から帰宅します。「マウント」の交換、費用はそれほどではないものの、やはり重整備。やはりエンジンその他をひとまず外してから再装着するわけですから、オイル交換などとは違います。
当然、ある程度時間もかかります。そこで交換するなら、この連休明けに...と考えたという次第。交換せずに済むのなら出費は発生しないので、こちらとしてはもちろん嬉しい。
他方、冬期にどうなるか、ちょっと不安ですが。エンジニアにお礼を伝えて金沢工大キャンパスに入ると、おぉ、「ニュートンのりんごの木」がたくさんの花をつけています。想定外だったので、素直に嬉しい。
大型カメラで撮影したのが右の写真。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
清楚(せいそ)な、そして小さな花なのですが、(石川五エ門の口調で)「可憐だ...」。葉の新緑にも生命力が漲(みなぎ)っています。
満開になるのはこれから。常勤だった一昨年までは確認していた(こちらやこちら)のですがタイミングが合わなかったのか、どうやら去年は見ていなかったらしい。
講義の準備で忙し過ぎたからでしょうか。りんごの花から生命力を頂いて、2回目の講義に臨みました。だからこそ「もちろん、上手く...」と記したいところですが、現実は冷酷。最後の最後で段取りを間違えていました。
トホホ。直接には、昨晩あまり眠れなかったためのようです。ま、言い訳に過ぎませんが。ただし、りんごの花に励まされたことは紛(まが/まご)う方(かた)なき事実。
次回の講義で受講生にお詫びの上で補足し、頂いた生命力を勉強熱心な受講生にお伝えしたいと考えています。
■4月23日(火) 最後はLPとCD、そして「ハイレゾ」だけ? ──「ハイレゾ」再生、始めました(終)──
新年度2回目の講義のため、金沢へ無事移動しました。
移動時および金沢工大キャンパスでいろいろあったのですが、今日は予定通り、「ハイレゾ」再生に一区切りを。あらかじめお断りしておきますが、「こんな終わり方?」と、苦情が寄せられそうな内容。
まぁ実際には、それほど関心を持たれていないでしょうが。なお今日のお話はあくまで、「老い先短く、しかも発想が古いセンセイの場合」という条件付きですので、悪しからず。
写真は故坂本龍一氏の「戦場のメリークリスマス」(サントラ版)を、氏自身がピアノ用にアレンジし、かつ自分で演奏した“Avec Piano”という「カセットブック」。写真左側の中央に、カセットテープを確認することができます。
右側は、そこに収められていた小冊子。英語に直訳すれば“with piano”ですが、「ピアノ版」という意味で用いているんだろうと解釈しています。このカセットテープはとても好評だったので、すぐにタイトルを“Coda”と改めた上、LPレコード化、
さらにはCDにも。センセイの場合、昨日ご紹介した、氏の「千のナイフ」――何と、センセイは大学祭で演奏(コンピュータとギターを担当)した!! ――同様、同じ音源が高音質化されるたび、新メディアを改めて購入するというパターンが多い。
ただし、さすがにそろそろ、音源や映像を整理する必要が。メディアにもよるのですが、実は15年くらい前から音源を整理し始めていました。再生だけのLPレコードやCDはほとんどそのまま現存。
ただしカセットテープから始まり、オープンリールテープ(状態が比較的良いので、実はあまり処分していない)、DAT、MD類はほぼすべて廃棄。「廃棄」という言葉は刺激的ですが、内容についてはほとんどすべてA/D変換し、可動部分を持たないSSD(Solid State Drive)に、二重に保存。
まぁ、1回だけ1TBのSSDが昇天したことがありますが、HDDに比べれば長生きする可能性が高い(と、思う)ので。再生はもちろんMac mini。以前は「ジッター」に悩まされたのですが、受信(=D/A変換)側を“BDP-105D JAPAN LIMITED”に切り替えると、音質は一変。(ただしOPPO社の製品は、高音域に癖がある)
“DAC-50”導入後は、これ以上望むものが存在し得るのか...というほどの高音質に。つまり、「この上さらに、それなりの支出をしてまで入手したい音源なのか」ということ。センセイの回答は「ある」と同時に「ない」。矛盾するようですが、これまでの経験から、「ハイレゾ」に価値があるものとないものが見えてきたように思えます。
繰り返しになりますが、「センセイにとって...」という条件付きです。「ハイレゾ」効果が最も顕著なのは、1980年ころ以前のアナログ録音。「アナログ」と聞くと、条件反射的に低品質をイメージされるかもしれませんが、業務用機に代表される高級機種(こちらやこちらなど)はまったく別。
マスター音源は極めて高品質。ただし初期のCD用A/D変換の品質が低かったため、不本意な結果に終わっています。これはこれまで購入した高音質版CDや、今回購入した「ハイレゾ」音源から、ほぼ確実と考えられます。
視点は少し異なりますが、雰囲気やノリを重視するクラシック音楽やジャズ――個人的にはあまりご縁はないけど――も、ハイレゾがお勧め。...というか、たぶん、SACD(=DSD)しかないでしょうね。
他方、音質とコストパフォーマンスを考えると、あまりお勧めできない種類の音楽も。それはデジタル多重録音が普及した1980年ころ以降のポピュラーミュージック。コンプレッサーやリミッターが多用され、個々の「音」は見事に整理整頓されています。
こうなると、もう、「ハイレゾ」ならではの有用性は低い。実際、この若者向けのジャンルは、高音質よりデータの軽さ(=取り扱いやすさ)などが重視されているようです。そしてこれが現在流通する音楽のメインストリーム。決して批判や否定しているわけではありません。
人によって音楽の意味や、その聴き方が違うということ。長くなったので結論を急ぎますが、センセイの場合、生き残るはまず、超貴重なカセットテープ。ナカミチの“ZX-7”も健在。ただし、これは例外的な存在です。LPレコードについてはパイオニアの“PL-7L”およびビクターの“L-1000”カートリッジが現役。
後者は、新品価格の数倍の値段で流通しているようです。CDについては、いくら衰退しているとはいえ、普及率の高さから間違いなく、センセイが物理的に存在しなくなるまで再生は可能。ただしその後継と見做(な)されたSACDについては、残念ながらちょっと微妙。
もちろん、すぐにどうのこうのということはないのですが...。SACDを望んでいた人々の関心はむしろ、「ハイレゾ」に向いているように思われます。何しろ、音源を「購入」――サブスクリプションを含む――さえすれば、PCと再生ソフトウェア、そして再生機器を揃えるだけで何とかなるのですから。
しかも“1bit”の性質上、音質はPCMと違ってハードウェアへの依存性が相対的に低い。(ただし無関係ではない)というわけで、センセイのような立場の場合、「最後はLPレコードとCD、そしてハイレゾ音楽配信」という結論になりそうなのです。
どうでしょう。
■4月22日(月) SACDプレーヤに、ご縁はあるだろうか... ──「ハイレゾ」再生、始めました(9)──
昨日の続き。
そもそも西村センセイ、この「ハイレゾ」再生を差し迫った問題として意識するようになったのは、「ユニバーサルディスクプレーヤ」が絶滅危惧種になってしまったことがきっかけ。もちろん、その背後には本質的な問題が存在します。
つまり、現役引退後のAVシステムをどうやって(縮小)維持していくかという難問です。音源を整理した現在、12cm(/8cm)ならブルーレイディスク(BD)からSACD、DVD、CD類と、ほぼ何でも再生できる米OPPO社製“BDP-105D JAPAN LIMITED”があるのです。特定の操作をするとフリーズする時もありますが音質、画質は良い。(ただし癖がある)
1980年代から1990年代前半までの国内メーカーの、あの燃えるような勢いを彷彿(ほうふつ)とさせられます。ただし同機の購入からすでに9年が経過。不具合は発生していませんが、未来永劫というわけにもいかない。センセイの場合、少なくとも現在は4K対応のUltra HD ブルーレイを使用していない──書斎床下の配線はFHDまでの対応──ので、映像はBD止まり。
まぁ、将来的にはわかりませんが。遍歴が強く関係しているのでしょうが、やはりセンセイの関心は映像よりも音楽。倖か不幸か高齢者になった現在も、微妙な差異まで聴き取ることができます。だから若い時は新しいメディアが出るたびに乗り換え続けて来ました。
メーカーからすれば、「鴨が葱を背負って...」ですね。たとえば1枚目の写真は、故坂本龍一氏のデビューアルバム「千のナイフ」(“THOUSAND KNIVES OF Ryuichi Sakamoto”)のジャケット表裏面。これはSACD。
裏面右下(写真中央下部)、黄色の枠内にその表記があります。話が逸れて申し訳ないのですが、一般に販売されている坂本氏の演奏の録音は、このアルバムではなく、2枚目の高橋悠治(坂本氏のピアノの師匠)が1979年に発売した「新ウィーン学派ピアノ音楽集成」の第二ピアノの演奏が最初。
ライナーノーツ(枠内)には、坂本氏の名前がしっかりとクレジットされています。本題に戻ると、たとえば「千のナイフ」の場合、LPレコードから始まり、CD、その高音質盤、そしてこのSACDと買い足しています。
ちなみに下の高橋氏のアルバムはLPとCDを所有。確かに、音はどんどん良くなっています。繰り返しになりますが、初期のCDはA/D変換の精度がかなり低く、また「きついLPF」の影響が大きかったからだと考えます。
SACDの音質は良い...と個人的には考えますが、多くの方に受け入れてもらえるかどうか、また汎用性があるかどうかは別。前者に関して言うと、SACD(=DSD)は相対的にノリや雰囲気などに強く、生の演奏に近い。これがクラシックやジャズのファンにSACD愛好者が偏っている理由でしょう。
ただし皆が皆、このような音を好むとは限りません。すべてをきちんとコントロールされたビジンさん、つまりPCM録音を好む人の方がずっと多いと思う。これは感覚的な問題だけではありません。
「ハイレゾ」化によってPCM録音でもSACD、つまりDSDとほぼ同等──ただし、微妙な表現──の音質を実現できるようになってきたのです。後者、つまり汎用性については、SACDの方が不利だと思う。SACDの規格制定と製品発売開始は1999年ですが、その際、SACDのコア技術であるDSDを“DSD64”(CDのサンプリング周波数の64倍)に限定。
お察しの通り、CD同様、これがSACDの足枷(かせ)に。その後、倍の周波数を用いる“DSD128”(5.6MHz)などが登場。そのままではハードウェア側が対応できないので、DENONのCDプレーヤ(一部機種)などでは、ユーザーが“DSD128”の音源をDVDに焼けば再生可能(!!)とするという、訳のわからない事態に。
しかもSACDが発売されたまさにその頃、Appleから初代“iPod”が発売。(2001年)ちなみにSACDプレーヤ、国内クラシックおよびジャズファン以外には受け入れられず、国外ではほとんど売れていないらしい。
“iPod”の音源については当初、CDからのリッピングでしたがその後は、ネットワークを通じた音楽配信へ移行。お伝えしたように今春、遅ればせながらセンセイもそのハイレゾ版に足を踏み入れました。
SACDプレーヤの場合、曲単位のDSD音源を普通のアルバムのように使うことができるなど、使いやすさもあるのです。でも「ハイレゾ」音楽配信なら特定かつ高価な再生機を使用せずに、汎用PCとソフト、そして簡単なハードウェア──理論的にはD/A変換後、抵抗とコンデンサによる簡単なLPFで再生可能──で、それなりの音質を再現できます。
しかも自宅書斎の場合、使い勝手はともかく、SACDよりもDSDの方が高音質を期待できるし。SACDはこれからも生き残ると思いますが、全体としては縮小傾向。醒めて考えると、過去に成功したビジネスモデルに拘泥(こうでい)した結果、ということなのでしょう。
センセイの場合はというと、ユニバーサルプレーヤとのご縁はどうやら、“BDP-105D JAPAN LIMITED”が最後になりそう。ちなみにセンセイが所有するSACDディスク、中古市場では価格がつり上がっているそうです。
個人的には“BDP-105D JAPAN LIMITED”が使えなくなるまで、SACDディスクを手放す気はありませんが。予想外に長くなった「ハイレゾ」再生、次回が一区切りの予定です。
■4月21日(日) もはやオーバーサンプリングは不要?! ──「ハイレゾ」再生、始めました(8)──
季節の話題や新年度初めての講義などで10日も空いてしまいましたが、「ハイレゾ」再生の続きを。
PCM(パルス符号変調:Pulse-Code Moduration)とDSD(Direct Stream Digital)の違いは何となく理解できたとして、「どちらかを選べば即座に問題解決」...というわけではないことにお気づきと思います。
この件、そんなに簡単ではないのです。少しでも話をわかりやすくするため、ここでは時代順に考えてみることにしました。
現在に続くデジタル録音技術は1960年代末からのNHKやDENONによるデジタル録音機を嚆矢(こうし)とし、1970年代末に業務用機が実用化。1981年にはSONYから民生用「PCMプロセッサ」“PCM-F1”が発売され、大ヒット。
センセイ個人は、1984年に同社製“PCM-501ES”を導入しています。(その後、デジタル出力付に改造)このPCMプロセッサのアナログ/デジタル変換技術と、別に研究が進んでいた光学ディスクを組みあわせるような格好で、ソニーとフィリップスがCD(Compact Disc)を共同開発。1982年に民生用初号機が販売されます。
その後の栄華と、音楽配信の増加による衰退については、皆様ご存じの通り。今日はデジタル信号のアナログ化、つまりD/A変換に注目。
以前、「きついLPF(ローパスフィルタ“Low-pass filter”)」に触れていますが、そこでも述べたように、このアナログLPFはどうしても高音域端が「詰まった」感じになります。この問題を解決したのが、デジタルフィルタ。
こちらもご紹介済ですが、NECと日本マランツ(蘭フィリップス)は最初の製品からこのデジタルフィルタを導入。高音質で高い評価を得ました。図は、デジタルフィルタの役割を説明するために作成したもの。
まず1kHz(Fs=44.1kHz、16bit)の音源を用意します(図には載っていない)。フルビット(=最大音量)の音源をソフトウェアで-60db(=1/1,000)まで減衰(=音量を絞る)させます。
同時に、これによって有効ビット長が6bitまで減る(=細かい音を再現できない)ため、波形が少しギザギザになります。“Dither”(ディザ)を使えば劣化は最低限に抑えられるのですがデータを見る限り、用いたソフトは単純に演算しているだけのようです。上のグラフは、それを1,000倍増幅して振幅を元のフルビットに戻したもの。
本来は綺麗なサインウェーブなのですが、少し劣化していることがわかります。ここまでは準備。いよいよデジタルフィルタに掛けます。具体的には、Mac OSのQuick Time Proでサンプリング周波数(Fs)を本来の4倍の176.4kHzに設定し、変換。
これがオーバーサンプリング。ただしこの演算によって、必ず元のbit数以下の誤差が発生します。そこでデータビット長も16bitから24bitに拡幅。その結果、精度が、時間軸(横方向)については解像度が4.0倍に、振幅(縦方向)については1.5倍に高められています。
演算結果を上のグラフに合わせたのが下段。...どうお感じでしょうか。
上段の、飛び飛びの値と比較すると、下段はかなり滑らかなカーブになっています。と、同時に、凹凸がすべて解消されているわけでもありません。そもそも、一度失われた情報を完全に復元することはできないのです。
情報の喪失はA/D変換時や、その際に用いるLPF、そしてその後のデジタル演算によって発生します。このようにデジタルフィルタは、残った(≠元データ)データを元にして、時間軸および振幅方向に「補間」(“Interpolation”)。できるだけ元データに近い値を推測(≠復元)します。以前、“SRC2496”を用いて、再生時にサンプリング周波数を変更すると、アナログ出力の音質が激変することをお伝えしています。
これこそ、まさにデジタルフィルタによるもの。同時に、お察しの通り、デジタルフィルタの演算方法(=推測方法)で、音質はコロコロと変化。今回用いたソフトはいずれも、かなり単純なアルゴリズムを用いて演算しているように思われます。(ただし、実態はブラックボックス)
ここからが核心部分。繰り返しになりますが、初期のCDプレーヤはD/A変換後にきついアナログLPFを用いて不要なノイズを除去していました。しかし程なくデジタルフィルタ、つまりハイビット・オーバーサンプリングが用いられるようになります。
たとえばセンセイが長年愛用していたTEACの“D-500”DAコンバータは、NPC製“SM5803APT”(選別品)を用いた8倍オーバーサンプリング。ただし出力DACが16bit(フィリップス社製“TDA1541A-S1”(選別品))なので、カスタムチップによる“Dither”でデータ長を16bitに収めていました。
その後、DA変換の精度は“1bit”技術も導入──というより“TDA1541A-S1”などのマルチビットには、主にコスト面での壁がある──して、飛躍的に進歩します。もはや完全にブラックボックス化されてしまい、内部で何が行われているのかわからない状態。
DACおよび再生機器メーカーは、何度も試聴を繰り返した上で、質を決定づけるデータ変換のアルゴリズムを慎重に決定しているはず。もはやMac mini側でハイビット・オーバーサンプリング化しても、“SRC2496”のアナログ出力ほど変化しなかったのはこのため。何しろ、Mac miniの“Audio MIDI”とデジタル信号を受け取ったDAC側の双方がデータの補間をしているのですから。
まぁ、良くなることはないし、劇的に劣化することもないでしょうが。センセイを含めた普通の人がCDやパソコンからD/A変換機器に接続する場合、オリジナルのサンプリング周波数とbit長で出力する方が賢明なケースが多いと考えられます(ただし、例外の存在を否定しているわけではない)。
言い換えると、ユーザー側は原点に立ち戻り、「良い音」かどうかを自分の耳で判断するしかない...。1ヶ月近く続いた「ハイレゾ」再生ですが、やっと暫定的な──ただしある意味、情けない──結論に辿り着きつつあるようです。(もう少々続く)